俺達はヴェルグンデのエリアボス、ラタトスクの撃破に成功した。
ラタトスクは非常にマッシブな体系をしており、パワフルな攻撃を仕掛けてくるような奴だったが、SAOで様々なボスモンスターを倒し、ALOに来てからも同じように何十ものボスモンスターを相手取り、そしてこの前は草原浮島のボスであるフレースヴェルグを倒した俺達からすればどうという事はなく、それなりに善戦をした後に撃破する事が出来たのだった。
ラタトスクの撃破後、一応チームリーダーを務めている俺の元に、フレースヴェルグの時と同じように宝珠が降りてきて、俺のアイテムストレージの貴重品フォルダの中に格納される事になった。これで手に入れた宝珠の数は二つ、残すはあと一つとなり、攻略が何かに詰まる事なく進んでいっている事が俺は嬉しく感じられたのだが、そんな俺に向けられている皆からの視線は、心配の色が強く浮かんでいるものだった。
ラタトスクとの戦いで甚大なダメージを受けたのは俺一人だけだったし、そもそも俺はラタトスクとの戦いの時には武器を一切抜いておらず、リランの背中に乗っている人竜一体形態のまま戦い続けていた。その理由は、俺の頭が極度の疲労によって機能が鈍っており、まともに戦えるような状態ではなかったからだ。
そしてラタトスク戦の中で攻撃を受けてしまったという事実。戦う前からフラフラだったのに、戦ってる最中に普段なら受けない攻撃を受けてダメージを負っていたりするのだ、皆が心配するのは当然だったのだろう。
皆は俺が宝珠を手に入れるなり、早く帰って休めと勧めてきた。当然俺はそこで新大陸が解放されて、新要素を見れるから、帰りたくないと反論したが、その中にシノンとイリスとリランとユイまで加わってくるものだから、流石に反論できなくなり、仕方なく俺は新大陸を見る事無く、妖精の世界からログアウトする事にした。
そして現実世界に帰って来た時、どっと疲れが来たかのように、ものすごい眠気に襲われた。イリスの言っていた事は間違いなかったのか――そう思うよりも先に、俺はアミュスフィアを外してベッドに寝転び、瞼を閉じた。そのまま眠りの世界に転げ落ちるまで、時間はかからなかった。
そして翌日である今日。すっかり調子取り戻した俺は、いつもどおりALOにログインし、既に皆も向かっているであろう新大陸に向かおうとしたのだが、その途中で皆と合流して、そこで止められる事になってしまった。
皆曰く、新大陸が解放されたという事で、空都ラインにて一日限定で大規模な祭が開催される事になったらしく、それを楽しんでから新大陸に向かおうという方向性になったらしい。まさか祭が開催されるなんて思ってもみなかった俺は、新大陸よりもそっちが気になり、その祭に参加する事をあっさりと決定。祭を楽しむ事にしたのだった。
「パパ、浴衣の着心地はどうです」
「あぁ、イベント用の装備だって話だけど、普段着並みに着心地が良いよ」
ALOにログインするといつも広がっている空都ラインだが、その光景や様子は一変していた。いつもはちょっとした出店が出ている程度の街の至る所に、普段を遥かに超える数の出店が出ており、祭と大きく描かれた赤い
そう、空都ラインは今、日本の祭の光景をほぼ完全に再現しているのだ。ALOは北欧神話をモチーフとしたゲームだから、祭をやるとしても海外、それこそ欧州や北欧の祭をモチーフにしたそれをやるのではないかと思っていたのだけれど、空都ラインが展開する祭は、北欧から見れば極東に当たる国である日本のそれ。
祭とは聞いていたけれど、まさか空都ラインで本当に日本の祭が開催されるとは――全然予想していなかった俺は、空都ラインに繰り広げられている光景がとても嬉しく感じられた。
「リランもどうかしら。これが浴衣ってものなのだけれど」
「なるほどな、日本ではこのようなものを着て、祭を楽しむのか。これは教わらなかった」
そして俺達の格好もまた、街行くプレイヤー達と同じような浴衣姿だった。ユイ曰く、俺が昨日ログアウトしている間に、シノンとユイが浴衣を手に入れて、更に俺とリランの分の浴衣も入手出来たそうで、翌日にログインしてきた俺とリランにプレゼントしてくれたのだ。
ユイが贈ってくれた、黒色で特にこれと言った模様のない、ゆったりとしていて着やすい浴衣を着て、俺は今祭会場を歩いている。そんな俺に浴衣を与えてくれたユイはというと、白い生地の中にピンク色の花柄があしらわれている浴衣を着こなし、シノンは俺と同じ黒色の生地の中に、黄色と青の
そしてリランというと、シノンから贈られてきたものであろう、赤色の生地のところに白色の華が描かれている浴衣を着こなしていた。が、リランの場合は浴衣を見ること自体が初めてだったのか、自分の身体に纏われている浴衣をずっと不思議そうな目で見つめ、時折身体を捻って背中を見たりしている。
「色の方だけど、それでよかったかしら。あんたが好きそうな色って、なかなか思いつかなくて」
「うむ、別に問題ないが……心なしか、ヒースクリフの鎧を思い出すような色合いだな」
シノンの問いかけに答えるリラン。確かにSAOの時に先代の血盟騎士団の団長と、SAOという世界そのもののラストボスを兼ねていたヒースクリフの普段着と鎧も、赤色と白色を基調としているものだった。言われてみれば、リランが今着ている浴衣の感じも、どこかヒースクリフの来ていた服や鎧のそれに似ていなくもない。
「まぁ、いいじゃないか。お前とヒースクリフは、親子なわけだし。別に父親の来ていた服に似た色の服を着ても、嫌じゃないだろ」
「そうだが……気にしたのは余計であったか」
「そうよ。今日は余計な事を気にしないで、お祭を楽しみましょうよ。リランだって、こういうお祭を見るのは初めてでしょう」
シノンの問いかけに頷くリラン。確かにリランはこれまでずっとアインクラッドの中にいて戦いに励んでいたわけだし、それ以外の時に大きなイベントや祭に参加する事だってなく、俺達と一緒に静かに過ごしている事がほとんどだった。そしてここALOに来てからだってユイ達と街の中をぶらぶらしたり、俺達とクエストに行って戦ってばっかりだったものだから、祭というイベントからは、かなり縁の遠いところにいたと言っても過言ではない。
「確かに、こんな祭に参加するのは今回が初めてだな。どれほどのものなのか、よく見ていこうではないか」
「はは、気に入ってくれたみたいで何よりだ。それじゃあ、どこから行ってみるとするかな。だけどユイにリラン、あんまり遠くに行くんじゃないぞ。人だかりが沢山あるから、迷子になるよ」
「そうだな。ユイ、我から離れるでないぞ」
姉の言葉を受けて、ユイは「はいです」と頷く。ユイは俺達の言う事は勿論だけれど、リランの言う事だってよく聞く。二人はあまり容姿に共通点のない娘同士だけれど、やはりちゃんとした姉妹なのだという事がわかる。そうでないならば、ユイはリランの言う事を素直に聞いたりなどしないはずだし、リランだってユイを気にかけたりしないだろう。
俺達の前を行っている、そんなリランとユイを見つめながら歩いていると、隣を歩いているシノンが辺りを軽く見ながら、呟くようにして、声をかけてきた。
「そういえば、ストレアはどうしてるのかしら。リランとユイについて来るって思ったんだけど……」
普段俺達と何気なく会話をして、何気なくクエストに向かってくれる仲間の一人であるストレアもまた、ユイと同じMHCPであり、リランの妹だ。そしてストレアはユイ以上に天真爛漫な娘であるため、こんな祭が開かれようものならば、真っ先にリランやユイと周りたいと言ってきそうなものだが、不思議な事に、この場にストレアの姿はない。
だが、アスナが周りの女の子達を集めて周るみたいな事を、パーティを解散する前に言っていたので、恐らくその中に加わって、この祭りを楽しんでいるのだろう。そして、そんなストレアに振り回されている他の女の子達の様子を想像するのは、意外と容易かった。
「ストレアもストレアで、皆と祭を楽しんでる頃だと思うよ。ストレアは何だって楽しめる娘だからさ」
「そうでしょうね。だけどそれにしても、かなりの人の数ね。いつもよりプレイヤーの数が多いような気がするわ」
シノンの言われるがまま、周りを見渡してみる。周囲に広がっているのは五十を超える出店と数えきれないくらいのプレイヤーの群れ。いや、プレイヤーが数えきれないのはいつもの事だけれど、今日の空都ラインに集まっているプレイヤーの数はいつもの何倍も多く感じられる。
「多分だけど、普段ALO本土にいるプレイヤー達も集まってきているんだろう。あんまり人が多いものだから、息苦しい感じがあるかもしれないな」
「確かに。だけど、今日はそんなに嫌な感じはしないわ」
「えっ、なんで。シノンは人だかりが好きじゃないだろ」
そこで、シノンは俺に振り返って来た。人混みの中にいると決まって嫌な顔をするシノンだけど、今はそんな表情は浮かべられておらず、寧ろとても嬉しそうにしている表情が柔らかく浮かんでいた。
「あなたと一緒だからよ。こうしてお祭をあなたと楽しめるのが、すごく嬉しいの」
周囲の灯りの為なのか、それともシノン自身の感情によるものなのか、ほんの少しだけ赤く染まるシノンの頬にほんの少しだけ目を見開きつつ、俺はシノンの記憶の断片を頭の中に浮かび上がらせる。
シノンはこれまで祭を楽しむ事はあまりなかったし、あったとしても友達とかとではなく、母親や祖父や祖母と楽しんでいる事がほとんどであったし、更にあの事件があってからはそんなものに一切触れる事がなくなって、ほとんど引きこもりがちだった。そして何よりもう自分はこんな事には無縁なのだと思い込んでばかりいた。
しかし今は、最高の友人であるリランと、娘であるユイ、そして夫である俺と一緒に祭を楽しむ事が出来ている。本当は叶ってほしかった願いが叶って居る事が、シノンはたまらなく嬉しいのだ。――その気持ちがよくわかって、俺まで何だか嬉しさを感じてきて、頬が少し上がって来た。いや、シノンとユイとリランの三人で祭に行けるってわかった時から、嬉しさはずっと感じていたのだけれど。
「そうだな。俺もすごく嬉しいよ、シノンとこうして祭に来れたんだから」
「けれど、ちょっと寂しい感じもあるかも」
「寂しい? なんで」
「ほら、だって……あの二人を作った人も一緒に居て欲しかったから」
そう言って前を歩いているユイとリランを見つめるシノン。あの二人を作ったのは、シノンの専属の精神科医でもあったイリスだ。シノンの事だから、俺達の中にイリスも加えてこういうところに来たかったのだろうけれど、たまたま予定が被ってしまったのか、仕事が忙しくなったのか、今日イリスはログインしていない。
なので、この場にシノンが居てもらいたかったイリスの姿はなかった。それがシノンは寂しく感じられるのだろう。
「そうだな。ここにイリスさんが居れば、もっと楽しかったかもだけど、イリスさんはログインしてないもんな」
「うん。予定、悪かったのかしら」
「そうかもしれないな」
そこで俺は咄嗟に振り返る。イリスがいない時に、こういう話をしていると、いきなり後ろから声が聞こえてきて、振り返ってみるとイリスがいたなんて事が、これまでよくあったのだけれど、今回はそんな話をしているにもかかわらずイリスの姿はない。やはり今日、イリスはこの世界にやって来てはいないようだ。
それを確認すると、俺はシノンに向き直った。
「仕方がない。今日は俺達だけで、イリスさんの分も目いっぱい楽しもうな」
「えぇ」
互いに頷き合うと、近くから聞き慣れた声が届いて来た。目線を向けてみれば、リランとユイが並んで、何かを興味深そうに見つめている。その先にあるものが気になって、更に視線を向けてみたところ、少し太った褐色肌のノームのNPCが、鉄板で焼きそばを作っているのが見えた。
「ユイにリラン、何を見てるんだ」
「キリト、我は祭で食べる焼きそばは格別であると聞いた事がある。だが、ここで作られている焼きそばは家庭でよく見るそれと同じだ。何が違うのだ」
興味津々そうにしているAI姉妹二人組の視線を浴びつつ、俺はすんと笑った。確かにここで作られている焼きそばも、家で作られる焼きそばも、作り方も同じだし、味付けだってほとんど同じ。だのに、祭で作られる焼きそばが美味しく感じられるのは、祭の中で食べているという高揚感があるからなのだ。
「それは高揚感だな。祭の中で食べてるっていう高揚感が、焼きそばを美味しくするんだよ。……もしかして食べたいのか、それ」
「はいです!」
元気よく返事をしたユイと、少し輝いている目でこちらを見つめているリラン。恐らくだけれど、二人は祭で食べる焼きそばが本当にいつものそれよりも美味しく感じられるのかどうか、疑問で仕方がないのだろう。
「しょうがないな。シノンはどうする? 焼きそば食べる?」
「私はいいかな。別なものが食べたい。そう言うあなたは?」
「俺も同じかな。特に焼きそばは食べたい気分じゃないけど……娘と相棒が欲しているなら、買ってやらないと、ね」
そう言うと、俺はリランとユイがじっと見つめている焼きそばの屋台に近付き、店主に話しかける。店主によると、焼きそばの値段は一つ二百ユルドで、ソース味となっているらしい。現実世界での祭の焼きそばの値段に近しく設定されている事に、なんとなく感動を覚えつつ、俺は店主に四百ユルド渡し、割り箸が添えられている焼きそばの入った器を二つ受け取り、ユイとリランに手渡した。
ユイはそれを喜んで受け取ってくれて、リランは興味深そうな顔をしつつ、焼きそばを受け取った。
「ありがとうです、パパ」
「感謝するぞキリト。では、食べてみるとしよう」
二人は礼を言って器を開き、割り箸を割って手に持つと、焼きそばを
「どうかしら、ユイ」
「美味しいです! 焼きそばはよく食べているんですが、いつも食べている焼きそばより美味しく感じてます!」
「同感だ。あの話は嘘ではなかったのだな! これはいける」
「というかリランお前、どこでそんな情報を得たんだ」
リラン曰く、リランとユイにこの事を教えたのはリズベットであるらしい。確かにリズベットは祭とかの明るいイベントが好きだから、そういうことにも詳しいと言っていても、違和感はない。というか、なんだかリズベットらしさを感じる。
「それに、祭には沢山美味な食べ物があると聞いている。何も焼きそばばかりではないのだろう」
「まぁ、ここにある屋台のほとんどが飲食関係の屋台だからな。だけど、そんなに食べれるのかよ。焼きそば食ってる時点で、結構腹に来てるんじゃないのか」
「我は別に問題ないぞ。腹がいっぱいになってもまだ食べたくば、フィールドに出て狼竜になる。これでいい」
後からわかった事なのだが、リランは狼竜形態になっている時は、空腹になりやすいらしい。これはリランの身体が狼竜になる際に巨大化し、胃の消化力が激増するからであるそうだ。なので、リランは思い切り空腹になりたい時には自ら狼竜の姿となり、フィールドを暴れ回るらしい。――消化力なんてAIに関係あるのかと聞きたいところであるけれど、リランは嘘を吐かないのが一番の特徴だから、これらは嘘ではないのだろう。
「なるほど、便利な身体してるな、お前って」
「おうおう、もっと言えもっと言え。だが、食費の方は心配しなくていいぞ。我自身もクエストでたんまりと
「そうなのか。じゃあそうさせてもらうよ」
その頃、リランとユイは手に持っていた焼きそばの器の中身を空っぽにしていた。これはSAOに居た時からそうだけど、この二人はAIであるためなのか、食事の速度が俺達よりもかなり早い。アインクラッド第22層の自宅で食べている時なんか、しょっちゅうシノンがユイに「もっとゆっくり食べなさい」と注意していたものだが、ユイの食事速度はアインクラッドに居た時から全くと言っていいほど変わっていない。その事が気になったのか、シノンがユイに注意を呼びかける。
「ユイ、もっとゆっくり食べなさいって言ってるでしょう。そんなに早く食べると、食べ物の美味しさがわからないわよ」
「ごめんなさいママ。わたし自身も意識してるつもりなんですが、どうも食べるのをゆっくりに出来なくて……」
「我も同じだ。我らなりに遅く食べているつもりなのだが、お前達の言うゆっくりにはならぬ」
二人揃って同じ事を訴えている。恐らくだけれど、ユイとリランは食事速度が早めになるように、イリスによってプログラムされているのかもしれない。何のためにそんな機能を付けているのかさっぱり理解できないし、そもそも本当にそうなのかも定かではないけれど、イリスならやりかねない事だけはわかる。
「まぁいいじゃないか。食べるのが早い人は仕事が早く出来るっていうし。さてと、次はどこにいく?」
「そう言うキリトは、何か食べたいものとか、ないの。さっきから歩いてるだけだけど」
俺はそこで顎に手を添える。こういう祭があった時は、小学校の頃とかは直葉とよく来ていたものだけれど、その時にはよくかき氷を食べていた。やはり祭と言えばかき氷というイメージがあるためなのか、祭に来ると無性にかき氷が食べたくなる。だが、ここは一つ俺自身の願望よりも、シノンの願望を叶えてやらねば。
「そう言うシノンこそ、何か食べたいものとか、やりたい事とかないのか。この祭、よくある祭で扱ってる食べ物とか遊びとかは、全部揃ってるみたいだぜ」
「私は……あ、
「鼈甲飴か。それもまたポピュラーな祭の食べ物だな。よし、それじゃあ鼈甲飴の屋台を探すとするか」
「ちょっと待ってキリト。まだあなたの食べたいものを聞いてないわ。何が食べたいのか、言って御覧なさいよ」
「え? 俺は別にいいよ。それよりも――」
そこで、シノンは俺に身体を向けて、俺の両手を掴み、そのまま胸の前まで持ってきて、両手で包み込んできた。柔らかさとシノンだけが持つ暖かさが混ざった感触が両手を覆ってくる感触を覚えながら、顔を上げてみると、そこには穏やかな表情をしたシノンの顔があった。
「今日は特別なイベントの日なんだから、私達ばっかりじゃなくて、あなたも楽しまなきゃ。ほら、食べたいものを言ってみて。私が買って来るから」
「……それじゃあ、かき氷が良い。ブルーハワイのが、食べたい」
シノンの瞳に見つめられていると、思わず食べたいものの名前が結構細かく口の中から出てきてしまった。やはり俺はかなり強くかき氷を食べたいという願いを抱いていたらしい。そしてそれを聞くなり、ユイが何かを思い付いたような顔をした。
「かき氷の屋台ならば、ここに来るまで見ました」
「えぇっ。って事は、ちょっと戻らなきゃいけないわね」
「だが、鼈甲飴のある屋台はここより先にあるみたいだぞ」
見事に道が分かれてしまっている。俺の欲しいものを手に入れるにはここからある程度戻らなきゃいけないし、シノンの欲しいものを買うにはここから先に進まなきゃいけない。かなりの二度手間になるなと思ったその時に、シノンが向き直った。
「それじゃあ、ここは二手に分かれましょう。キリトとリランが鼈甲飴を買いに行って、私とユイがかき氷を買いに行くわ。それで、お互いに物が買えたらここに戻ってくる。それでいいでしょう」
「いいのか。別に全員で交互に行っても……」
「こっちの方が少ない時間で物が買えるでしょう。今は一分一秒がもったいないんだから、出来るだけ時間のかからない方法で、こなしましょうよ」
確かに、この祭イベントは次にいつ開催されるかわかっていないイベントだから、今この時間はとても貴重だ。ここはシノンに従って動いた方が、沢山時間を持て余す事が出来て、もっと沢山祭を楽しむ事が出来るだろう。
「わかった。それじゃあ、行って来てくれ。俺とリランは鼈甲飴を買いに行ってくるから。それで物が買えたら焼きそば屋台の前に集合で、いいな」
「えぇ。それでいきましょう」
「よし、それじゃあ行ってこようぜ、リラン」
リランの「承知した」という言葉を聞いてから、俺達は二人ずつに分かれて歩き出し、俺はリランと共に屋台の並んでいる祭の会場を歩き進めた。先程からそうだけれど、どこもかしこも浴衣を着たプレイヤー達だらけで、まるで人が形成する森の中にいるようだった。まぁ、騒がしさのおかげで森ではないという事がすぐに理解できたのだが。
「鼈甲飴か。如何なる食べ物なのか、楽しみだな」
「そんなに大袈裟な食べ物じゃないぞ。というか、お前はネットに接続して、色んなものを見ているから、鼈甲飴くらい知ってるんじゃないのか」
「確かに存在自体はわかっている。だが、味までは理解できておらぬよ。ネットは様々な事を教えてくれるが、味までは教えてはくれない」
「確かにな。食べ物ばかりは、食べてみないとわからないからな。というか、鼈甲飴が売っているなら、リンゴ飴も売っていそうだな」
そこで、リランはどこか不思議そうな顔をして俺に視線を向ける。その紅玉にも似た瞳には、疑問の光が浮かび上がっていた。SAOの頃からよく見ている光景だ、これは。
「リンゴ飴? リンゴ飴とはなんだ。リンゴ味の飴という事か」
鼈甲飴の事は知っているくせにリンゴ飴の事は知らないなんて、どういう情報の取り方をしているのだろうかと、ちょっと呆れたくなったのを抑え込んで、俺は軽くリランにリンゴ飴についての説明を施した。それが終わる頃には、リランはさぞかし興味深そうな顔をして、目をキラキラとさせていた。
「なんと、鼈甲飴でコーティングしたリンゴだと!? それは食べておかねばならぬな!」
「そうそう。というか、いやに嬉しそうじゃないか。お前ってリンゴ好きだったっけ」
「フルーツ類の中では最も好きな食べ物だ。そう、アインクラッドに行く前から、好きだった」
「アインクラッドに行く前って……」
その時に、俺はハッとした。そうだ、リランはアインクラッドに実装される前は、|茅場晶彦に育てられて、様々な食べ物を食べたり、様々な事を学習したりしていた。恐らくその中で、茅場と一緒にリンゴを食べたりしたのかもしれない。
「なるほど、お前にとってリンゴは、父親との思い出の食べ物って事か」
「そうだ。アキヒコは我に様々な食べ物を与えてくれたのだが、中でもリンゴが一番美味しくてな。あの時以来、我の一番の好物はリンゴなのだ。……アインクラッドに居た時は、100層に行くまですっかり忘れていたがな」
どこか懐かしそうな顔をするリラン。茅場晶彦は、世界的には狂人とされているけれど、リランからすればそんな事はない、たった一人の父親なのであると、彼女の顔を見る事で把握できる。
「だけど、今は全部思い出せてるだろ。自分が茅場の娘だって事も、リンゴが好きだって事も」
「あぁ。だから早く、我の好物であるリンゴ飴を探しに行こうぞ、キリト」
「リンゴ飴じゃなくて鼈甲飴が目当てなんだけどな……っていうか、もう着いてるぞ」
気付けば、俺達は鼈甲飴の屋台に辿り着く事が出来ていた。棚には様々な色と形をした半透明の、棒に刺さった飴が並べられており、その中にはリランの瞳のような紅色をしたリンゴ飴もあった。それを見るなり、リランは歓喜の声を上げる。
「これがリンゴ飴というものか!」
「あぁそうだ。シノンが欲しそうなものもあるし、丁度いいな」
リランが嬉しそうな顔をしている横で、俺は並べられている飴を見つめる。飴は犬や猫や鳥と言った動物の形から、花や草木の形まであり、色も赤、青、緑、黄色、オレンジ、紫、金色、銀色、水色と様々だが、値段はどれも二百ユルドと均一。その中で、俺はあるものを見つけて、それを手に取る。
水色で猫の形をしているという、シノンのALOのアバターの特徴を持っているかのような鼈甲飴だった。きっとシノンに持って帰ってやったならば、さぞかし喜ぶ事だろう。
「よし、これください」
俺は二百ユルドを店員に渡すと、そのままリランに振り返った。リランは耳をぴくぴくと言わせて、尻尾を犬のように振り回しながら、リンゴ飴に注目してしまっている。恐らくだが、どれを選ぶべきか迷っているのだろう。
「リランさん、気に入るものがないんですか」
「そうではない! どれが最も輝いていて、どれが最も大きくて、どれが最も美味しそうなのか、厳選をしているのだ」
「どれも同じに見えるんだけど」
「どれも同じではないぞ! 厳密に見れば違うのだ。というか、気が散るから今は声をかけるな!」
「へいへい。終わったら言ってくれ。それまで待っててやるから」
別に俺だけでシノンとユイのところに行く事も出来なくないけれど、そんな事になったらリランが道に迷うかもしれないし、何より怒ったリランに頭を噛まれてしまいかねないから、そんな事は出来ない。
そんな事を考えつつ、俺は鼈甲飴の屋台からある程度離れて、周囲を見回した。やはり祭というだけあってか、普段見ないようなプレイヤー達が辺りを行き交っていて、ALOの世界観じゃ見る事が出来なさそうな日本風の屋台が並んでいる。まさかこんなイベントが、北欧の地を思わせるような世界で開催されるなんて、誰が予想できただろうか。
いや、誰も予想出来やしなかったからこそ、これだけの人が集まって、祭を楽しんでいるのだろう。そして、日本風の祭が開催されたという事は、今度は北欧や欧州のそれを模した祭が開催されても、不思議ではないという事だ。
その時にはまた、こうして四人で……いや、出来ればシノンと二人で、楽しみたい。
「いや、やっぱりユイとリランが居なきゃ、駄目だな」
そう呟いて、俺はもう一度周囲を見回したが、その時にとあるものが目に入った。それは現実世界でも大きな祭ならば見る事が出来る、祭の遊びの中では非常にポピュラーなもの。
おもちゃの
□□□
「よしこれだ! おい、これをくれ」
結構な数並んでいるリンゴ飴の中で、一際輝きが強くて大きさも大きな飴を選び抜いたリランはそれを手に取り、店主に二百ユルド支払った。リンゴは現実世界では、時に紅玉のようだと言われる事があるが、手に持たれているリンゴ飴は本物の紅玉のように輝いており、飴とリンゴのそれが混ざり合った甘い匂いを鼻に届けてくる。思わず、
「決まったぞキリト。さぁ、シノンとユイの元に戻るぞ」
そう言って、リランは振り返ったが、そこで思わずきょとんとする事になってしまった。
キリトの姿が、どこにもないのだ。そこで待っていると言っていたはずなのに、店の近くにも少し遠く離れたところにも、その姿は確認できない。
「――キリト……?」