キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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08:告げられた真実

           □□□

 

 

「ユイ、しっかり持ってね。落としたらパパが悲しむわよ」

 

「はいですママ。これはパパの分なので、しっかり守ります。ママも、おねえさんの分をしっかり持ってくださいね」

 

 

 シノンは娘からの言葉に頷く。今、シノンとユイはカキ氷の屋台を後にして、キリトとリランとの合流地点を目指して歩いていた。そして、シノンの両手には緑色のメロンシロップがかけられたかき氷が入ったコップ状の器と、白いミルクシロップのかけられたかき氷の入った器が持たされていた。一方ユイの両手にも、青い色が特徴的なブルーハワイのシロップがかけられたかき氷と、シノンのそれと同じミルクシロップのかき氷が持たされている。

 

 何故キリトの分だけではなく、全員分のかき氷があるのか。それは、シノンとユイはキリトにかき氷を食べさせたいがために、かき氷の屋台へと向かったのだが、その途中で自分達もかき氷が食べたいという欲求に駆られたのが理由だ。

 

 屋台に着いた二人はキリトの分であるブルーハワイのかき氷を最初に頼むと、シノンとユイの分であるミルクシロップのかき氷を追加注文し、最後にリランの分としてメロンシロップのかき氷を注文した。結果として、手に入れたかき氷の数は四つとなり、二人の両手に持たされる事になったのだった。

 

 

「それにしても、まさか私達までかき氷を食べる事になるなんて」

 

「リズさんが言ってたんです。祭で食べる焼きそばも美味しいけれど、かき氷もすごく美味しいって。パパがかき氷を食べたいっていう気持ちも、よくわかります」

 

 

 まだ東京に来る前、もっと言えばあの事件に巻き込まれる前、街の夏祭に母や祖父や祖母と一緒に参加した時には、かき氷と鼈甲飴をよく食べていたものだ。その時のかき氷はそこら辺の店で売っているものとほとんど大差がないはずなのに、すごく美味しく感じたのが記憶に残っている。だから、夏祭とかに参加するような事があったならば、その時にはかき氷を食べたいと、シノンはよく思っていたのだった。

 

 

「確かに、お祭で食べるかき氷は本当に美味しいけれど……ユイは本当によく食べるわね」

 

「おねえさんとイリスさんがいつも言うんです。大きくなるためには、沢山食べる事が重要だって。なので、わたしは沢山食べます」

 

「それは人間の場合なんだけれど……まぁ、ユイも事実上人間だから、それは間違いじゃないわね。だけど、あんまり食べ過ぎるのも身体に悪いから、程々にしておきなさいよ」

 

「はいです」

 

 

 頷くユイを横目に、シノンは軽く溜息を吐く。ユイやリラン、ストレアやユピテル。この者達は全てイリスが作り上げたAIだが、とある特徴を、全員が兼ね揃えている。――それは太らない事だ。

 

 ユイ、ストレア、リラン、ユピテルは元からそういうふうに設定されているのか、割と食欲が旺盛な方なのだが、食べているものはデジタルデータであり、栄養分や脂肪分を摂取しているわけではないので、どんなにお腹いっぱいに食べ続けたところで体形が変わったり、太ったりする事はないし、逆に食べなさ過ぎてやせ細ったりする事もないのだ。

 

 人間が抱えているデメリットのようなものを、一切気にする事なく生きていられる――そんな人間では絶対にありえない特徴を持っている自分の娘が、シノンは時折羨ましかった。

 

 

 そんな他愛もない話をしながら歩いていると、前から走ってくるプレイヤーが見えてきた。こんな急ぐ要素のないイベントの時に走っているなんて、どんなプレイヤーなのか――そう思って目線を向けてみたところで、シノンとユイは驚く。

 

 走ってこちらに近付いてきているプレイヤーの正体は、金髪の長髪に、頭から白金色の狼耳と、尻元から尻尾を生やしている少女。ユイの姉であり、これから会いに行こうと思っていたところであるリランだった。

 

 

「シノン、ユイ――ッ!」

 

「リラン……?」

 

「あれ、おねえさんです」

 

 

 走る要素などどこにもないはずなのに、どうして走っているのだろうか。そう思っていると、リランは一気に二人の目の前までやって来て、立ち止まった。走る事に慣れているし、体力スキルをかなり上げているためなのか、対してリランは疲れておらず、軽く行きを乱している程度であり、その様子を確認したところで、シノンはリランに問うた。

 

 

「どうしたのよリラン。そんなに慌てて」

 

「お前達のところに、キリトは戻って来てないのか」

 

「パパですか? パパはまだ戻って来てませんが……あれ、おねえさん、パパと一緒に鼈甲飴を買いに行きましたよね」

 

 

 二人で交互に答えると、リランはすぐさま「なんだと!?」と言い、酷く驚いたような表情を見せつけた。そのあまりの表情にシノンは軽く驚いたが、同時に何が起きているのかがわかったような気がして、再度リランに問う。

 

 

「もしかしてリラン、キリトとはぐれたの」

 

「……あぁ、ちょっと目を離した隙に、突然いなくなったのだ。てっきり我に痺れを切らして、お前達の元に戻ったのではないかと思っていたのだが……」

 

 

 リランがふらふらと歩いていなくなったというのならば、まだわかる。だけど、もう高校生にもなっているキリトが何の理由もなしに、リランにすら何も言わずにいなくなるなんて、あり得ない話であるとしか言いようがない。

 

 

(まさか)

 

 

 その時に、シノンは背中が一気に冷たくなり、指の力が抜けそうになった。以前、自分もこうなった事がある。その時には、黒いポンチョの男――自分達の完全なる敵であるPoHに物陰に引きずり込まれて、散々殴られて蹴られた。

 

 そして、今回突然いなくなったキリト。まさか、キリトはあの時の自分のように、PoHに襲われて、物陰に引きずり込まれてしまったのではないのだろうか。もし本当にそうなのだとすれば、今頃キリトは物陰でPoHに滅茶苦茶にされて――。

 

 

「キリト……まさか、PoHに!?」

 

「PoHだと!? あいつがまた現れたとでも言うのか!?」

 

「だって、前に私が襲われた時も、すごく急だったし……もしかしたら、その時みたいにキリトも……!!」

 

 

 自分でも震えているのがわかるし、冷や汗が次々と頭のてっぺんから流れ落ちてくるのがわかる。止めようとしても、キリトがPoHに襲われている光景が容易に想像出来て、止める事が出来ない。どうしよう、どうしよう――そう考えていたその時に、それまで黙っていたユイが口を開いた。

 

 

「おねえさん、聞きたい事があります」

 

「なんだ、ユイ」

 

「おねえさん達は、鼈甲飴の屋台に行ってたんですよね」

 

「あ、あぁ、そうだとも。それがどうかしたのか」

 

「その近くに、何かありませんでしたか」

 

 

 妹に問い詰められて、姉は咄嗟に黒い浴衣の主と共に歩いた道を、鼈甲飴の屋台の近くに会ったものを思い出すが、あまり意識せずに歩き続けていたためか、多く思い出す事は出来なかった。主との会話に夢中になっていたというのもあるだろう。

 

 

「駄目だ、いまいち思い出せぬ」

 

「なら、そこに行ってみましょう。もしかしたら、何かあるかもしれません」

 

「そ、そんな事をしてる暇なの、ユイ。今はキリトを探さなきゃ」

 

「ママ、ちょっと待ってください。どうしても、確かめたい事があるんです」

 

 

 凛とした瞳で訴えかけてくる我が子。自分の子供であるとわかっているはずなのに、シノンは我が子の今の姿に、恩師イリスの姿を重ね合わせる。全く似ていないように見えるけれど、こういう事が起きた時には、ユイはものすごくイリスに似た感じになる。その度にシノンは、やはりユイはイリスに作られたAIなのであると、再確認する。

 

 

「……確かめたい事って、何なの、ユイ」

 

「とにかくママにおねえさん、鼈甲飴の屋台の近くに行きましょう」

 

「わ、わかった」

 

 

 ひとまずユイの言葉に頷くと、三人は鼈甲飴の屋台を目指して歩き出した。浴衣を着た無数のプレイヤー達がわいわいがやがやと騒いでいる街を歩くその最中、シノンはユイに話しかけたくなったけれど、ユイがとても険しい表情の浮かぶ顔をしていたものだから、全くと言っていいほど話しかける事は出来なかった。

 

 いつもは何気なく話しかけられる娘なのに、時には話しかけるのが難しくなるところも、どこかイリスに似ている。やはり、これでもユイはイリスに作られた娘なのだ。

 

 

 そんな事を考えながら歩みを進めていくと、いつの間にか目の前には、鼈甲飴の屋台があった。棚に沢山の様々な形と色をした飴が並んでいるという、小さい時から祭の会場に行くとよく見る鼈甲飴の屋台がそこにあったが、シノンは大してそこには目を向けずに、ずっとユイの事を見ていた。

 

 我が子である娘は、鼈甲飴の屋台に等目もくれず、ただ周りをきょろきょろと見まわしているだけだった。相変わらず、話しかけ難い雰囲気を全身から放っており、話しかけようとは思えない。だが、ユイは理由もなしにこんな事になる事はないから、ユイがこうしているという事は、何か――それもかなり重大な事――を探そうとしているという事だ。

 

 

「ね、ねぇユイ」

 

 

 痺れたように動かなかった口をようやく動かして、娘に声をかけたその時に、娘はある方角を向いたままぴたりとその動きを止めた。今度はどうしたのだろうかと思って、もう一度声をかけようとしたその時に、ユイはくるりとシノンの方に向き直り、険しい表情を見せたまま、その口を開いた。

 

 

「ママ、パパを探しましょう」

 

「えっ……何かわかったの、ユイ」

 

「はい。だから、早くパパを探しましょう」

 

 

 詳しい理由はわからないが、ユイは絶対に何かに気付いている。自分では気付けない何かに、気付いているからこそ、何も言わないのだ。そしてキリトを見つけた時、ユイは全てを話してくれるのだろう――それだけがシノンはわかり、ユイの要求をのみ込む事にした。

 

 同時刻、ずっと口を閉じて黙り込んでいたリランが、突然声を上げた。今度は何だと思って振り向いてみれば、まるで何かに気付いているかのように耳と尻尾を逆立てていた。

 

 

「ど、どうしたのリラン」

 

「……見つけた。キリトは、いるぞ」

 

「わかったの、キリトの居場所」

 

「あぁ。こっちだぞ!」

 

 

 そう言い出すなり、リランはそそくさと歩き出した。様々な感覚器官が他の種族よりも高めに設定されているケットシーを選んでいる自分でさえ、気付けないものに気付けるAI達。今はその言葉と行動を信じるしかないと思い、シノンはただ、我が子と愛する人の相棒についていくだけだった。

 

 

 

         * * *

 

 

 

「ぐっ……うぅ……」

 

 

 祭の会場の裏側とも言える路地裏の一角に、キリトはいた。人影もなく、人の気配さえも一切しない、光が余り差し込んでこない暗がりの中で、まるで全身の力の入れ方を忘れてしまったかのように、キリトは座り込んでいた。

 

 

「くそッ……くそッ……」

 

 

 力なく地面に座りながら、キリトは片手で頭を抱える。リランと鼈甲飴を買いに行ったあの時、ふと周りを見たその時に、偶然《射的》の屋台が目の中に映った。少し離れた棚にいくつかの景品が並んでいて、それを一人のプレイヤーが玩具の長銃で狙っていたのだが、その玩具の長銃を見た瞬間に、前に見たような光景が一気に頭の中にフラッシュバックしてきた。

 

 目の前に額に風穴を開けて倒れている男が居て、自分の手に拳銃が握られていて、べったりと血が付着して真っ赤になっている光景。

 

 あまり突然出てきたものだから、その時キリトは思わず驚いてしまったものの、既に経験した事であったため、何とかして膨れ上がる感情を抑え込もうと思えた。そうして、何とか感情の突き上げは防ぎ切れたものの、同時に腹の奥底からせり上がって来た吐き気にも似た感覚は抑えきれず、たまらず路地裏に駆け込んだ。

 

 祭の会場と真反対の、湿っぽくて薄暗い通路を無我夢中で走り、人影も人の気配も一切しないところまで行ったところで、吐き気にも似た感覚は少しずつ消えていったが、同時に身体に力が入らなくなり、動けなくなった。

 

 

「なんでだよ……あんなの……ッ」

 

 

 キリトは拳を握ると、そのまま自分の額を殴りつけた。拳と額に鈍い痛みが走り、ほんの少しだけ強い衝撃が頭を揺さぶる。

 

 あの時に見えたのは、玩具の銃だ。いや、それだけではなく、前に見たモデルガンだって、実際の火薬を詰める事も出来なければ、弾丸を銃口から吐き出す事も出来ない、玩具でしかないのだ。

 

 なのに、自分の持っている剣と同じ色をしているあの独特の形を見ると、突然異様な光景が頭の中いっぱいに広がり、腹の奥底から吐き気と痺れが来て、身動きが取れなくなるし、現実世界に居る時でなった場合には、吐き気の強さによっては、耐えられなくなって吐く。それを見ているわけじゃないというのに。

 

 これを専属の精神科医に話して、対処方法を教えてもらったというのに、それも全くと言っていいほど効果をなしていない。――いや、別に効果がないわけではないが、それでも完全に抑え込めるわけではないし、やはり効果がない時もある。

 

 

「……駄目なのか……俺はやっぱり、駄目なのか……いや……」

 

 

 暗闇に向かって呟くと、キリトは深呼吸をして、顔を上げた。

 

 いつまでもこうしてなどいられない。鼈甲飴の屋台にリランの事を置いてきてしまったし、シノンに鼈甲飴を買ってやるという約束だって成し遂げていない。先程買った鼈甲飴だって、途中で落としてきてしまったのだろう、アイテムストレージにも入っていなければ、自分の手元にもない。また、買いに行かなければならないのだ。

 

 それに第一、突然自分が居なくなった事で、三人とも心配して探し回っているだろうし、別行動をして祭を楽しんでいる皆に声をかけて、探し始める可能性だって大いにある。そんな大事を起こさせないためにも、早く三人の元へ戻らなければ。

 

 

「早く、戻らない、と……」

 

「キリト!」

 

 

 そう言いながら立ち上がったその時に、右の通路の方から声がして、キリトは驚きながらそこへ向き直った。そこにいたのは、黒色の長髪、金色の長髪と頭の狼耳と尻尾、白水色の髪の毛と猫耳と尻尾の特徴をそれぞれ持つ、浴衣を纏った三人の少女。今から戻ろうと思っていたユイ、リラン、シノンの姿だった。

 

 

「さ、三人とも……」

 

 

 なんてタイミングで来たんだ――そう思いながら小さく声を出すと、三人はすぐさまキリトに駆け寄ってきて、うち一人のシノンがキリトに声をかける。やはりというべきなのか、酷く心配そうな表情が、顔に浮かべられている。

 

 

「よかった……なんでこんな場所にいるのよ」

 

「いや、ちょっと、具合が悪くなって……でも大丈夫だ、今から戻ろうって思ってたから……」

 

「パパ」

 

 

 シノンの問いかけに答えた直後、ユイがそっと歩み寄ってきた。てっきりシノンと同じように、こちらを心配しているような表情を浮かべているかと思ったが、ユイの顔に浮かんでいたのは心配しているそれではなく、険しい表情だった。

 

 

「ユイ……?」

 

「パパ、わたし、パパに聞きたい事があるんです。聞いてもいいでしょうか」

 

「いいけれど……どうしたんだ……」

 

 

 普段見せないような険しい顔をしている娘は、軽く下に目を向けた後にもう一度キリトと視線を合わせて、その小さな口を開き、言葉を紡いだ。

 

 

「パパ、何で具合が悪くなったのでしょうか。先程までは元気でしたよね」

 

「なんでって……急にだよ。急に具合が優れなくなったんだ。だけど――」

 

「それって、鼈甲飴の屋台の近くにあった、射的の屋台を見たからじゃないのでしょうか」

 

 

 その言葉を聞いた途端に、キリトは凍り付き、シノンとリランは瞠目した。言った張本人のユイは口を閉じて、黙り込んだ。重い沈黙が周囲を覆ったが、それを数秒程度にしたのは、リランだった。

 

 

「ユイ……まさか、お前……」

 

「……おねえさん、わたし達が危惧したとおりです。パパは……」

 

 

 妹からの言葉を受けた狼耳の少女は、目を見開いた後に、深く溜息を吐いて、軽く首を横に振った。同刻、尻尾が完全に垂れ下がる。

 

 

「そうか……やはり、そうだったのだな。嫌な予感ばかり当たるものだ……」

 

「危惧? え……え、え? ちょっと、ユイにリラン、何の話をしているの」

 

 

 戸惑ったようにキリトとユイを交互に見つめるシノン。そんな母に構わず、ユイは、凍り付いたように動きを止めて、ただ驚愕しきったような表情で瞬きを繰り返す父を眺めて、その小さな口を開こうとしたが、どこか躊躇うような仕草を繰り返し、中々言葉を発さなかった。

 

 やがて、決心を固めたユイが口を本格的に開いたその時、横に居た姉がその手をユイの肩に乗せた。

 

 

「――お前の家族に関する重要な事を、お前が話すのは辛いはずだ。我も同じ事を考えているから、ここからは我が話そう」

 

 

 ユイが小さく「おねえさん……」と言うと、リランはその手をユイの肩から離し、凍り付いたように動かなくなっているキリトに向き直った。そしてそこで、軽く深呼吸をした後に、唇を開いた。

 

 

「……キリト、アインクラッドで須郷と戦う前にやった事、憶えているよな。キリトがシノンと脳内を接続し合った時の事を」

 

「……あぁ」

 

 

 キリトは咄嗟に、まだSAOに居た時の事を思い出した。SAOの第100層、《壊り逃げ男》であるアルベリヒに精神を破壊されたシノンを治すため、キリトはユイとリランの力を借りて、自らの意識をシノンのそれと融合させた。その中でキリトはシノンの記憶に触れて、自らの頭の中に取り込み、理解する事で、壊れかかっていたシノンの意識に声をぶつける事が出来、シノンの意識を修復する事に成功した。

 

 その後、キリトは自らの意識と記憶をシノンから分離させる事も出来、無事にあの場にある自分の身体に意識を戻す事が出来た。そしてその時から、キリトの頭の中には自分の記憶と朝田詩乃の記憶が同時に存在するようになり、キリトが頭の中で意識をすれば、詩乃の記憶を呼び出す事が出来るようになった。

 

 それは周りの皆にも話しており、その時にはすごい事になっているなと驚かれたものだ。――その一連の流れを、キリトは思い出しつつ、リランに頷く。

 

 

「あの時何が起きたかはわかるよ。だから俺の中には、シノンの記憶があるんだ。今でも、思い出せる」

 

「だが、我とユイはずっと疑問だったのだ。お前がシノンの記憶と自分の記憶という、二人分の記憶を頭の中に詰め込んでいるという、普通では絶対にありえない状態になって、果たして平気なのかとな。何の影響もないのかと、な」

 

 

 キリトは完全に口を閉ざした。その様子を目にしたリランはほんの少しだけ瞼を閉じて、再度呟くように言った。

 

 

「やはり、その様子だと、影響が出ているな。いや、影響どころではないな」

 

「影響なんかない。俺は平気だよ」

 

「では、何故お前は銃に関するものを目の当たりにすると具合を悪くする。先程までは平然としていたお前が、今こうなっている理由はなんだ。あの近くには射的の屋台があったのだ。そしてお前は暇になるとそこら辺を見回す癖がある。その時に見たのではないのか」

 

 

 キリトは首を横に振るが、リランは一切やめる気配を見せなかった。

 

 

「お前はアインクラッドに居た時、料理が出来なかった。だが、お前は現実世界に帰ってくるなり、突然料理がある程度出来るようになったと直葉から聞いた。そしてその程度はシノンと同じくらいだとも聞いた。それは何故だ」

 

「……違う」

 

「お前は人混みの多いところが得意だったはずだ。だが、アインクラッドから帰ってきた時から、お前は人混みを避けるようになったと聞く。それは何故だ。人混みが苦手なのは、シノンの方だぞ」

 

「……違うって言ってるだろ」

 

「昨日の戦いで、飛びかかってきたラタトスクの攻撃を受けたのは何故だ。お前はあの時、ラタトスクが何か違うものに見えていたのではないか。それこそ、発作を起こしたシノンのようにな」

 

「……違うぞリラン。だから黙れ」

 

「前に、詩乃とのデートの時、玩具売り場で具合を悪くしたと、お前を心配した詩乃から聞いた。玩具売り場にはモデルガンも置いている。お前はあの時、モデルガンを目にして具合を悪くしたのではないか」

 

「……黙れって、言ってるだろ」

 

 

「お前は銃は平気だった。だがアインクラッドから帰ってきた時から、モデルガンや玩具の銃を見ると具合を急に悪くする。銃にトラウマを持っているのはシノンのはずなのに、何故お前までこうなるのだ」

 

 

 次の瞬間、キリトはかっと顔を上げて、リランの両肩に掴みかかり、壁まで押したところで、怒鳴った。

 

 

「命令だリラン!! 黙れよッ!!!」

 

 

 唐突に発せられたキリトの怒鳴り声は、路地裏に木霊してから、通路に吸い込まれていき、やがて闇の中に消え果てていった。その怒鳴り声を浴びても尚、リランは一切怯む事なく、激しい怒りの表情が浮かぶキリトの顔――特にキリトの黒色の瞳をじっと眺めていた。そして、数秒黙った後に、リランは静かに言った。

 

 

「お前、嘘を言っている目をしているぞ。そして、こうやって怒鳴ったという事は、図星である事を認めたな」

 

「……ッ!!」

 

 

 そこでキリトは歯を食い縛る。

 

 リランの言っている事はすべて真実だ。前まで出来なかった料理が突然出来るようになったし、平気だった人混みが苦手になったし、飛びかかられると、飛びかかってきたものが違うものに映るし、銃を見ると異様な光景が頭の中いっぱいに広がり、急激な恐怖感と不安感、吐き気に襲われる。

 

 それらが起こるようになったのは、アインクラッドから戻ってきた後……厳密に言えば、詩乃の記憶と意識と、融合して分離した後からだ。

 

 

「言ってやるぞ和人。お前には今、詩乃のトラウマが伝染している。そしてお前の中の詩乃の記憶は、お前の記憶と詩乃の記憶の境目を曖昧にして、お前を侵食していっている。このまま何も手を打たずにいるならば……いずれお前の中の詩乃の記憶とお前の記憶は複雑に混ざり合って劇毒になり、お前を侵し、お前を崩壊へ導くだろう」

 

 

 キリトは何も言わずにいるだけだった。もはや、返す言葉も、リランの話に反論するための台詞もなく、ただ黙るしかなかった。それくらいにまで、リランの言っている事は間違っていないし、これまでずっと自分が隠してきたモノだった。

 

 自分でも、いつか話さなければならないとは思っていたけれど、内容が内容であったために、全然話す事が出来ずにいたが、それを今、リランによって暴露されてしまった。まだ、隠し続けなきゃいけないって思っていたのに――。

 

 リランの言葉が終わってから、ある程度したところで、足が動くような音がして、キリトはその方に向き直った。そこにあったのは、あの時キリトが意識と記憶を融合させた事により、無事に意識を取り戻して、アインクラッドから帰ってくる事が出来た、キリトがこの世界の誰よりも愛している人、シノンだった。

 

 その顔には、目の前で起きている事が、これまで聞かされた話の一切が信じられないような、驚愕しきった表情が浮かんでいた。

 

 

「シ……ノン」

 

「……なに、それ」

 

 

 キリトは何度も首を横に振り、シノンに近付くがその都度、シノンは後ろに下がっていく。どんなに距離を詰めようとしても、詰まる事がない。

 

 

「シノン、詩乃、違うんだ。俺は、俺は……」

 

「なにそれ……私の記憶が、キリトに、和人に伝染(うつ)ってて、和人を苦しめてて……最後に、和人を、壊す……? 和人が、私に、壊され……る……?」

 

「違う、違うんだ、詩乃ッ……そんな事はッ……」

 

 

 

「和人が、私に、殺される……?」

 

 

 

 そう呟いた直後に、シノンは目を見開き、すぐさま両手で口を覆い、俯いた。何も言葉を発しなくなってしまったシノンに、キリトが声をかけようとした次の瞬間、シノンは咄嗟にメニューウインドウを呼び出して操作、ログアウトウインドウを呼び出すと、何の躊躇いもなく決定ボタンをクリックした。直後、シノンの身体は青白い光に包み込まれて、シルエットになってしまった。そしてそれから数秒も経たないうちに、シノンの身体は消えていき始める。

 

 

「詩乃ッ!!」

 

「ママ!」

 

 

 和人とユイは、消えていくシノンの身体に手を伸ばそうとしたが、それよりも先にシノンの身体は完全に消滅し、路地裏を、妖精の世界そのものを脱して行ってしまった。

 

 

「……詩乃」

 

 

 色々話したい事が、伝えたい事があったというのに、それら全てを放棄して、詩乃はいなくなってしまった。その場に残された和人は、呆然と立ち尽くし、その場を動く事が出来なかった。

 

 しかし、すぐさま何をするべきかを和人は思い付き、詩乃と同じようにメニュー画面を開いて、あるウインドウを呼び出した。それは、詩乃が先程この世界から脱するために使ったものと同じ、本当にログアウトしますかという問いかけと、二つのボタンが用意されている、ログアウトウインドウ。

 

 

「詩乃……!」

 

 

 和人は何も躊躇う事なく、ログアウトボタンを押し、妖精の世界を脱した。

 


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