キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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07:『本当の』副団長

        ◇◇◇

 

 

「こっちだ! こっちにリランが現れた」

 

 俺はシノンを連れて攻略を中止し、ある一点を目指して走っていた。マップウインドウをこまめに確認していたところ、気配を消していたリランの反応が再び現れたのだ。リランの反応が確認されたのは、俺達がいた洞穴周辺から西の方角にある岩山地帯。

 

 この事を伝えると、シノンは「お出ましね」と言って攻略を中止し、マップ上にリランを確認する事の出来ている俺を頼りに移動を開始した。

 

 きっとリランは何かを思い出したんだ。そして記憶を失う前に何をしていたのか、または何をするつもりだったのかがはっきりして、それを確認できる場所へ飛んだに違いない。リランの記憶については、彼女の《ビーストテイマー》として知っておく必要がある。いや、知らなければならないはずだ。

 

「それにしても、なんたってこんな方角にリランは姿を現したのかしら。リランが気になるものとか、何かあるのかな」

 

「わからない。だけどリランに何かあったのは間違いないんだ。だから早くリランのところに行って、それが何なのか確認しないと。あいつの主人としてね」

 

 シノンが横顔を見せた。表情は笑みが浮かんでいる。

 

「そう言えばリラン、あんた事とこう言ってたわね。あんたは手間のかかる主人だって」

 

「それ、もうリランに言われてる。《使い魔》に世話を焼かれる《ビーストテイマー》だって。……精進しないとな、《使い魔》に世話を焼かれないように」

 

 シノンはふふんと言って顔を逸らした。

 そうだ、リランに世話を焼かれる《ビーストテイマー》であってはならない。寧ろ、世話を焼かない程度に、共に進みあうのが《ビーストテイマー》と《使い魔》の関係であるはずだ。リランに世話を焼かれないように気を付けて行かないと。

 

 そんな事を考えながら走り続けていると、リランの反応が近くなってきた。もうすぐリランのいる場所に着くと思ったその時に、シノンが何かに気付いたように立ち止まった。俺もすぐさま立ち止まり、振り返る。

 

「どうしたんだシノン。いきなり立ち止まって」

 

 シノンはシッと言った後に小声で言った。

 

「物陰に隠れて。リランの近くに誰かいるわ」

 

「何だって。一体誰がリランの近くにいるんだ。っていうか君、ここからそんな事がわかるって事は、索敵スキルを……?」

 

「細かい事は後で話すから今は身を隠しましょう。隠れながら慎重に近付くのよ」

 

 ひとまず俺は頷き、シノンの後を追って物陰に隠れた。そして二人で小刻みに物陰に隠れながら前進を続けていると、リランの気配がすぐそこまで来た。そのまま物陰から少しだけ顔を出したその時に、俺達の目に白き竜と人影が映り込み、人影はすぐにその正体を明かした。

 俺の《使い魔》であるリランと一緒に居たのは、血盟騎士団の副団長、アスナだった――。

 

 

        □□□

 

 

 突然現れた白き竜の姿にアスナは大いに驚いてしまった。まさか、NPCをぞんざいに扱う自分を攻撃しに来たのか。NPCを利用としようと考える自分を殺しに来たのか。それとも、あの黒の剣士の目障りになったから、排除しに来たのか。

 

 考えを回そうとしても、思い付くのはそんな事ばかりだ。いずれにせよ、こいつは自分の事を攻撃しにきたに違いない。こいつの大きさから考えても、人間は丁度いい餌のような大きさなのだから。

 

「あんたは……何をしに来たのよ。あのソロプレイヤーに何か言われてきたわけ」

 

 白き竜は何も言わずにこちらを見つめているだけだった。当然だ、NPCはプレイヤーのように複雑な思考をしたり、自分で考えて答えを出したりする事は出来ないようにできている。話しかけたところで陸な答えを返す事は出来ない。

 返せるものといえば、制作時に設定された、相手の言葉に対応した答えだけだ。

 

「まぁ聞いても無駄か。あんたは人間みたいに喋る事は出来ないんだもんね」

 

《我が名はリランだ、血盟騎士団副団長、アスナ》

 

 いきなり《声》が聞こえてきて、アスナは思わず驚いて周囲を見回した。

 いや、聞こえて来たのではなく、頭の中に響いたという方が正しいかもしれない。

 

「今の声は……あんたの《声》?」

 

 白き竜は目を閉じつつ頷く。

 

《そうだ。お前が散々馬鹿にしているNPCの《声》だ。我はこれを使って他の者達と意思疎通が出来るのだ》

 

「便利な機能をお持ちのようね。流石はゲームの中の住人ってところかしら。それで、私に何の用事をもってここへ来たのかしら、《使い魔》リラン」

 

 リランは少し怒ったような表情を浮かべる。

 

《お前は何故このような事をしたのだ。我の到着が遅れていたら、お前は確実に致命傷を負っていたぞ。フィールドとはいえ、ボスに一人で挑むなど、自殺行為に等しい》

 

 この前、あのソロプレイヤーと出会った時にも、こうやってこの竜に説教をされた。あの時の苛立ちがアスナの中でフラッシュバックされ、今現在、心の中に起こり始めた苛立ちと結びつく。

 

「あんたに説教をされる筋合いはないわ。NPCのあんたと……話す必要なんか私にはない。さっさと立ち去って頂戴。私はこのアインクラッドの攻略を進めなければならないのだから」

 

 リランは表情を変えずに、更に声を響かせる。

 

《アスナ、お前は何故にそこまでして攻略を進める。先程お前はふらついていたではないか。あれは休まないプレイヤーによくみられる症状だぞ。何故お前は戦う? 何故、この城の頂上を目指す?》

 

 言われて、頭の中に様々な事柄が蘇ってきたのをアスナは感じた。

 しかしそれを話すつもりになれず、アスナは白き竜から目を逸らす。

 

「現実世界にやり残した事が沢山、あるからよ。といっても、あんたにはわからないでしょうけれど」

 

 リランは首を横に振る。

 

《いや、わかるとも。話してみろ》

 

 アスナは思わず驚き、リランの宝石のように紅い瞳を見つめる。このNPCは、まるで自分の話を、自分達の置かれている状況を理解したように答えを返してくる。それこそ、自分自身で考えて言葉を紡いでいるように。

 

「いいえ、あんたに話したところで理解なんかされない」

 

《何故お前はそう言い切れるのだ。さてはお前、我が言葉を理解できない者であると思っているな?》

 

「えぇそうですとも。あんた達なんてただのプログラムを抱えた3DCGモデルじゃない」

 

 リランの眼光が鋭くなる。

 

《そのただのプログラムとやらに、お前は殺されかけていたわけなのだが》

 

 アスナはキッと白き竜を睨みつけた。

 白き竜の《声》は続く。

 

《もう一度聞こう。お前は何を残してきたから、ここからの脱出を、この城からの生還を望んでいるのだ》

 

 アスナは拳を握りしめる。

 帰りたい理由――それは両親の元へ帰りたいからだ。自分には有名な大学に行き、優秀な人材にならなければならないという道がある。なのに、こんな場所に閉じ込められてしまったせいで、それが危うくなっている。もしこのままここに居続けたら、両親の期待する道から逸れる事になる。没落、する事になる。そんな事になるくらいなら、死んだ方がましだ。

 

「あんたなんかに何がわかるのよ。優秀な人材にならなきゃいけないっていう目標を持った人の気持ちなんて……わからないでしょうに」

 

 リランがどこか驚いたような顔になったが、すぐにまた元の表情に戻る。

 

《なるほど、お前は優秀な人材にならなければならないのか。それは何故だ?》

 

「は?」

 

《何故お前が優秀な人材にならなければならないのかと聞いているのだ。我はお前がそこら辺にいる人間達と大差ないように見える。そんなお前が優秀な人材にならなければならない理由は何なのだ。そもそも、それは何のためなのだ》

 

 アスナは心の中に大きな怒りが込み上げてくるのを感じた。

 

「あんたに話したって理解できないって言ってるでしょ。これ以上聞き込んでこないで」

 

《そうはいかない。このままお前の事を放っておいたら、お前は壊れてしまう。お前が壊れてしまうのが、我は恐ろしいのだ。何がお前を駆り立てるのだ。何がお前を、擦り減らすのだ?》

 

 次の瞬間、アスナの中に現実世界での出来事や、今置かれている状況が、水が湧き出てくるように広がってきた。そしてそれはとめどなく広がり続け、アスナの中に溢れた。

 

 アスナは実業家の父と、学者の母の間に生まれ、物心ついた時から両親の期待を強く感じながら育って行った。両親はともに己に厳しい人だったが、アスナは両親に優しくされていた。そんな二人の顔を見る度に、もしもこの人達の期待を裏切ってしまうような事になったら、どんな顔をされてしまうのだろうかと、不安になっていた。

 

 それはきっと、自分よりも先に生まれた兄も同じように思っていた事だろう。

 兄もアスナも揃って、両親が選択した私学の学校へ通わされ、何一つ問題を起こさず、学年上位の成績を常に保ち続けた。その中でもアスナは兄が大学へ行くために家を出て行った後、複数の習い事をこなしていた。いや、どちらかといえば習い事をさせられていたに等しかったかもしれない。

 

 実際成績上位だったけれど、アスナは習い事に行く事をあまり楽しいと感じず、行きたくないと感じる時も多かったけれど、両親の期待を裏切りたくなかったから、我慢して行き続けた。

 

 そんな両親の介入は友人関係にまで及んだ。アスナが何気なく喋ったりすると、両親は途端に駄目だしし、自分達が認めた友人以外とは交流するなと言い出して、アスナの友人を限定した。

 

 そんな生活を送り続けるアスナはいつしか、自分は首輪と腕輪を付けられて、自分の行きたくない方向へずるずると引きずられ続けていると感じるようになった。いざとなれば、首輪と腕輪も、繋がれている鎖も断ち切る事が出来るけれど、その鎖を断ち切ってしまえば、そこに待っているのは両親の失望と絶望。外せば迫ってくる物が怖くて、鎖を斬る事は出来なかった。結果、自分は首輪と腕輪を付けられたまま、檻の中へと引きずられ続けるしかないのだ――そう思っていた。

 

 その時からもう、アスナは両親の事を良い物とは思わなくなった。だけど、その期待を裏切るのが怖いと言う感情はアスナの中からは消えず、結局両親に従って行動を続けた。しかし、兄が父親の会社に就職を決めて、ナーヴギアというゲーム機を手土産に帰って来た時に、勉強を続けるアスナの気持ちに綻びが生じ、兄の持ち帰ってきたナーヴギアという機械を使ってみたいという欲求が生まれた。

 

 ナーヴギアの話は既に父親を通じて聞いていたが、初めてその名前を聞いた時には、何の興味も示す事はなかった。しかし、それが完全な仮想現実を再現するゲーム機であるとわかった時には、自分の中に衝撃が走ったのを今でも覚えている。

 

 完全な仮想現実、即ち現実ではないもう一つの世界にプレイヤーを誘うという宣伝文句が、その時のアスナにはとても口当たり良く感じられた。一度でいいからこことは違う世界、両親に支配されていない世界を見てみたい――しかも何の偶然だったのか、アスナの兄はSAOサービスが開始された日に海外へ出張へ出かけてしまった。

 

 アスナは一日でいいからナーヴギアを使わせてほしいと兄に頼み、ナーヴギアを装着し、この世界へと降り立った。

 

 それが運のつきだった。ゲームを初めて、現実世界の自分ではない自分になれている事に興奮を覚えた直後、虚ろな空に姿を現したこのゲームの製作者である茅場晶彦は、このゲームはデスゲームである事を告げた。そして、ゲームがクリアされるまでこのゲームから出る事は出来ないと、プレイヤー達に叩き付け、消えた。

 

 周りのプレイヤー達が絶望や恐怖に打ちひしがれていく横で、アスナの頭の中は現実世界の事でいっぱいになった。明日までに片づけなければならない数学の課題があるというのに――あれが提出できなければ、教師から何と言われるかわからないし、両親からどんな目で見られるかもわからない。早く帰って終わらせないと。

 

 きっとデスゲームなんて嘘だ。1日2日と経てば対抗策が練られて、脱出できるはず……そう考えたアスナは宿屋に籠り、脱出される瞬間を待ち続けた。しかし、1日2日どころか、1週間、2週間経っても救いの手は伸びて来なかった。

 

 その時ようやく、アスナは外部からの救いはない事に気付いた。そしてすぐさま、アスナは頭の中がぐちゃぐちゃになった。

 はじまりの街の部屋の一つから一切出ず、来る日も来る日も壁を叩き付け、狂ったように叫び、泣き喚く。今まで積み重ねた何もかもが、足元から崩れて行くような錯覚が、常にアスナを襲い続けた。

 

 きっと両親は自分の命なんか心配していない。ゲーム機に閉じ込められて自分達の敷いたレールから外れた娘に激しく失望しているだけだろう。そして友人達は受験に参加できない自分を悲観し、嘲笑し、失望しているに違いない。そんな考えは徐々にアスナの中に濃縮されていき、やがて臨界を迎えた時に一粒の黒い雫になって、アスナの心の中へと落ちた。

 

 その瞬間から、アスナはある事に気付いて、宿屋から出て、マニュアルを読み漁って装備を整えた。助けを待っていても何も変わらないならば、自分がこの世界を終わらせるしかない。――そう思ったアスナは来る日も来る日も休まず戦い続け、レベリングとスキルアップに打ち込んだ。

 

 そうして、攻略の鬼《閃光のアスナ》は生まれたのだった。

 

 

 しかし、そんなアスナの心は日に日に擦り減っていった。いや、あの時落ちた黒い雫から広がった黒い水に、侵されていったと言った方が正しいのかもしれない。

 

 無事にゲームを終わらせる事が出来れば、確かに現実に戻る事が出来る。だが現実に戻れば、待っているのは失望した親の顔と、首輪と腕輪と鎖を付けられる気持ち悪い日々。かといって終わらせなければ、いつまでもこの気持ち悪い偽者の世界に閉じ込められたままで、更には気持ち悪い他のプレイヤー達が「流石閃光のアスナ」「貴方が居なければ攻略が進まない」などと言い出す。

 

 攻略を進めなければ、いつまでのこの気持ち悪い世界に閉じ込められたまま。

 だけど現実に帰れば気持ち悪い親が、自分を縛り付けてくる。

 

 どっち道、待っているものは気持ち悪い。

 世界も、NPCも、プレイヤーも気持ち悪い。

 現実も、両親も、友人も、気持ち悪い。

 

 気持ち悪い。

 

 気持ち悪い。

 

 気持ち悪い。

 

 気持ち悪い。

 

 気持ち悪い。

 

 気持ち悪い。

 

 

「気持ち悪いのよ、みんな揃って!!!」

 

 いきなり叫んだアスナに、リランは思わずびくりとする。

 アスナは下を向いたまま、訴えるように怒鳴る。

 

「ナーヴギアを付けてゲームを起動してみれば、殺されれば死ぬだの、死にたくなきゃクリアしろだの! この世界から出たいと思って行動を起こせば攻略の鬼だの、《閃光のアスナ》だの、血盟騎士団の副団長だの、私に頼らなきゃクリアできないだの言いだして!!」

 

 アスナは髪の毛を力強く掴む。

 

「そもそも父さんと母さんも嫌なのよ!! 何もかも忘れて勉強しろだの、許可できない人と関わるなだの、お前のためを思っているだの、何でもかんでも決め付けて、私の言葉なんか、ろくに耳を傾けてくれなくて、私の事なんか完全に無視して、エリートでいろだなんて言って、何でもかんでも縛り付けて、押し付けてぇ!!

 

 私が、私がいつそんな道に進みたいなんて言った!? いつ、何でもかんでも縛り付けてくださいなんて言った!? いつ、私を檻の中に閉じ込めてくださいなんて言った!? 攻略してくださいだの、攻略の鬼だの、指揮を取れだの、勉強しろだの大学行けだの、私が好きじゃない人と結婚しろだの、期待に答えろだの――」

 

 アスナは大きく口を開き、叫んだ。

 

「私に全部押し付けないでッ!!!」

 

 アスナは膝を付き、何度も首を横に振る。その度に、瞳から涙が弾ける。

 

「私はエリートでいたいわけじゃない! 私だって嫌な事いっぱいあるよ! 勉強だけしかできないのも嫌だし、友達と遊んだり、お喋りしたりできないのも嫌、エリートが通う大学にだって行きたくない! 好きじゃない人と結婚だってしたくない! 全部押し付ける母さんと父さんなんか大嫌いよ!!!」

 

 アスナは首を振るのをやめたが、その瞳からは止まり事無く涙が流れ続けた。

 

 リランは何も言わずに、閃光のアスナと呼ばれた娘を見つめていたが、やがて音を立てないように歩き、娘のすぐ前まで来たところで、その大きな掌でアスナの頬に触れた。

 

《……ようやく吐き出した……いや、ようやく姿を見せたな、()()()()()()

 

 アスナはきょとんとし、白き竜を見上げた。

 

「えっ……?」

 

 アスナはリランの目を見つめた。水晶のような紅い瞳が鏡のようになっていて、涙と鼻水でぐちゃぐちゃになった自分の顔が見える。

 

《いい顔になったぞアスナ。それがお前だ……本当のお前だ。出てくるまで時間がかかってしまったが、お前はようやく閉じ込めていた殻を破ったのだ。そして我に、全てを話してくれた。

 お前は親の期待に応えようと必死だったのだな。だが、同時に親に支配されていて、嫌だったのだ。それが、お前を焦らせ、お前の行動を狂わせていた原因だ》

 

 リランは優しい《声》をアスナに送る。

 

《お前は本当は、我らが見てきた『閃光のアスナ』のような人物ではない。ずっと自分を抑圧し続けて、『閃光のアスナ』を演じていたようなものだ。そして抑圧し続けていた本当の自分は、ずっとお前の中で悲鳴を上げ続けていた。さぞや辛かったろう》

 

 アスナは拳をぎゅっと握って俯いた。膝元に涙が落ちる。

 

「大嫌いだった……父さんも母さんも……何でもかんでも縛り付けて……そんな現実、帰りたくない……でも、いつまでもここにいたいわけじゃない……だけど……閃光のアスナとか、そんなふうに呼ばれるのは嫌……」

 

 リランは軽くアスナの頭の上に手を乗せた。

 

《残念だがそれは叶わない。お前達はいずれにせよこの城から脱出し、現実世界に帰らなければならない。だが……この世界を気持ち悪く感じなくなる方法と、現実世界で親の支配から解き放たれる方法なら、我は知っている》

 

 アスナは白き竜を見上げる。

 

「なに……?」

 

 リランはアスナから目を逸らし、周囲を見回した。

 

《一つは、この世界も世界である事を認識する事だ。お前は散々気持ち悪がって、偽者の世界であると言っているが、決してこの世界に楽しみや美しさが無いわけではない。お前は『閃光のアスナ』になっていたから、それに気付けなかったのだ。だからアスナ》

 

 アスナが首を傾げると、リランはアスナに目を向け直した。

 

《一旦攻略を休んで、今一度この城を散策してみろ。特に22層がお勧めだ。お前ならばきっとこの世界の美しさや楽しみを見つけられる。この世界が生きている事を、知る事が出来るはずだ。もし、それでも駄目だと思ったならば》

 

「思ったなら?」

 

 リランは獣の顔で笑んだ。

 

《我が主人の元へ来い。22層に我が主人の家がある。そこで我が主人と接すれば、きっとお前はこの世界が生きている、人の生きる世界である事を実感できるはずだ。あいつはこの偽者の世界でも、懸命に生きているのだから》

 

 その言葉を聞いた瞬間、アスナはハッとした。足元で、これまでとは違う何かがガラガラと音を立てて崩れて行ったのを感じた。この世界でも、懸命に生きている人がいる。現実世界で一日無駄にするのではなく、この世界で一日積み上げて行く――そんな考えの人間がいるとは、思ってもみなかったし、考えた事もなかった。

 

《そして、現実世界で親の支配から解き放たれる方法はただ一つ。彼ら顔面目掛けて私に全部押し付けないでと言い放ち、彼らを失望のどん底に叩き落とすのだ。そしてその後にお前がこれまで心の中に溜め込んでいた事を全て話す。そうすれば、きっとお前への束縛を両親は止めるだろう》

 

 アスナは首を横に振った。この世界が生きている事を実感するのはわかったが、現実世界での両親への対応は非常に難しく感じた。

 

「やめないよ。特に母さんは、絶対にそんなの認めてくれない」

 

《ほぉ、またいい事を聞いた。お前を束縛していたのは母親か。その様子だと、母親も『閃光のアスナ』と同じなのだろうな。ならば……心の奥底まで疑って、揺さぶってやるのだ》

 

「揺さぶる?」

 

《そうだ。お前の母親に問いかけるのだ。何故このような事をするのか、なぜこのような事を強いるのか。こんな事をしても自分は嬉しくない。嬉しくない事を強いて、どう思っているのかなど、我のようにひたすら揺さぶり続けてみろ。さすれば、隠された己が姿を現す。丁度お前のようにな》

 

 その時、アスナは気付いた。そう言えば確かに、母親の心を揺さぶったり、どうしてこういう事をするのかと疑ったり、聞き込んだりしたことはない。リランの言っている事は、自分を束縛から解放するだけではなく、母親の心を知るチャンスを作るかもしれない。

 

「そういえば、そういう事やってない……」

 

《ならばやってみろ。効果覿面(こうかてきめん)なはずだ》

 

 リランの言葉を聞いていたところ、心の中が暖かくなっていくのを、アスナは感じた。今ならば本当にこの世界の事を純粋に受け止められて、現実世界に帰ったら、親の鎖を断ち切る事が出来るような、そんな気がする。

 今までにいない自信が、心の中に溢れている。これも、この竜のおかげだろうか。

 

《さてとアスナ、フィールドボスは我が倒した。お前はこのまま周りの攻略組を無視して戻り、22層へ向かうといい。今日の22層の気象は最高の陽気だ。散策をするにも、散歩をするにも適している》

 

 アスナはリランに声をかける。

 

「貴方は? 貴方はこれからどうするの」

 

《我はこれからキリトの元に戻ろうと思うが……どうした》

 

「22層へは、貴方と一緒に行きたい。貴方ともっと話がしたいの。こんなふうに言うのは、何だか違和感があるんだけど……」

 

 リランは目を丸くしていたが、そのうち何かを思い付いたような顔をして、頷いた。

 

《いいだろう。ただし、その前に一つだけ、お前にやってもらいたい事がある》

 

「なに?」

 

《写真を持っていないか? 写真があるならば、我に見せてほしい》

 

 そう言われて、アスナはアイテムストレージを探った。確か装備を一式揃えた時の事をずっと覚えていたくて、撮っておいた写真があったはず――そう思って探していると、案の定、2023年の日付がされているスクリーンショット写真が見つかった。呼び出してみれば、今ある装備をそろえ、細剣を構えた自分の姿が映っている写真である事がわかった。

 

「これかしら」

 

 リランは写真を見るなり、頷く。

 

《おぉ。それだ、まさに丁度いい。

 では、それを思い切り上に投げてくれないか》

 

「上に投げる? なんで?」

 

《良いから投げるのだ》

 

 アスナは今一腑に落ちない気持ちのまま、写真を上空へ投げ付けた。ふわっと風に乗って空高く舞い上がった写真にリランは顔を向け、いきなり口を開いた。次の瞬間、青紫の竜に止めを刺す時に使ったビーム光線と同じものがリランの口内より発射され、アスナの投げ付けた写真に直撃。アスナが上を見上げて、思わず目を点にして呆然とする中、写真は灼熱ビーム光線に呑み込まれて、消えた。――一体何がしたかったのだろうか。

 

《これで、『閃光のアスナ』は死んだ。今いるお前は『閃光のアスナ』ではなく、アスナだ》

 

 アスナはリランに顔を向ける。

 リランはにっと笑った。

 

《これからは『閃光のアスナ』としてではなく、『ただのアスナ』として生きるのだ。お前に攻略の鬼などというものは似合わない》

 

 アスナはようやくリランの行為の意味に気付き、頷いた。

 

「それじゃあ、一緒に行って、22層に」

 

《いいとも。今日だけ、我はお前の《使い魔》になろう、アスナ》

 




アスナの真実。『閃光のアスナ』の死。

世界を拒んでいた血盟騎士団副団長の心を開いたのは、ある<使い魔>でした。
そして次回、アスナがリランを道具扱いしようとしていた理由が判明。

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