キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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※注意

 全体的に説教くさいお話です。

 不快感を感じたならば読み飛ばして次の話に進んでください。


09:最初ノ海鳥

 ある程度の荷物を抱えたまま、和人達はショッピングモール四階にある一角のファミリーレストランに足を運んだ。そこに辿り着く前には、四人で食べたいものを何度も話し合い、何でもいいと言っていた者達が本当に食べたいものなどを聞き出したりしたのだが、その時に食べたいと思っているものが全てに洋食に統一されていた事がわかり、その結果として、四人は洋食を食べる事の出来るファミリーレストランを選ぶ事にしたのだった。

 

 しかし、その店が最大手ファミリーレストランのチェーン店である事に加え、休日の昼時というタイミングもあったためなのか、四人が向かった時には、その店の前には巨大な蛇を思わせるかなりの行列が出来ていた。

 

 十数メートル先に最後尾のあるという、東京都心の昼時――特にテレビやネットで店が紹介された時――などに見られる、長蛇の列。そのあまりの長さに、別なところに行くかと和人は提案したくなったが、よくよく考えてみたところ、散々迷って決めたのがこの店だという事を思い出した。

 

 ここに辿り着く前でかなりの時間を使ったのに、ここをやめるとなるとまた別な店を探すために、無駄にこのレストラン街をさまよう事になる。結局時間を無駄遣いする事にしかならないという結論を出した和人は考えを閉じて、恭二や詩乃と話したり、時折スマートフォンの画面を見たりする動作を繰り返して、長蛇の列の中にいる事を選んだのだった。

 

 

 それから十数分経った頃に、和人達はいよいよ店の中に入る事が出来た。中では無数とも言えそうな買い物客や家族連れの姿が確認でき、それぞれが別々の料理を頼んでそれを食べ、ドリンクを飲む事を楽しんでいるという、休日のレストランそのものの光景が繰り広げられていて、それが平和な日常というものを再現していた。

 

 店員に席を案内されている和人達は、そんな光景を横目に見ながら店の中を歩き、やがて周りの客席からかなり距離の開いているボックス席に到着。そこで食事をするのを決定した事を愛莉が店員に伝えると、ソファの席に和人と詩乃が並び合って座り、テーブルを挟んだ対面の椅子の席に、恭二と愛莉が並び合って座る。

 

 そのすぐ後に一同はメニュー表を開き、頼む料理をそそくさと決めて注文。呼び出しベルの音を聞いてやってきた店員にこれを伝え、料理が来るのを待つ事になった。

 

 周りの客の喧騒がほんの少しだけ遠くに聞こえてくる最中。愛莉がコップの中の水を飲みながら、周囲を見回しつつ、呟くように言った。

 

 

「それにしても、やはりお台場のショッピングモールなだけあるな。混み方が尋常じゃないね」

 

「まるで軍勢の中にいるみたいですよね。ここがALOのダンジョンの中で、周りが皆モンスターだったら地獄絵図ですよ」

 

 

 愛莉に答えるべく言った恭二の言葉の中、軍勢という単語を耳にした和人は、ある事を思い出す。先程、秋葉原で愛莉と恭二に出くわした直後、異様な罵声が秋葉原駅の向こうから聞こえてきた。そして秋葉原を去る時には、電車の窓から罵声の発生源が視認でき、それが何かを取り囲んでいる軍勢の如し人の群れであった事がわかった。

 

 だが、あの人の群れが何に集まったもので、あの罵声が何に向けられていたものであるかは、現時点でもわかっていない。罵声が響いてきたあの時、愛莉が早急に秋葉原を離れるように言ったため、愛莉は何かを知っているようだが、愛莉は今この瞬間までその事を話してくれていないし、あまり話してすらいない。

 

 今ならば、聞けるはず――和人はコップを揺らして中の氷を鳴らす愛莉に、声をかけた。

 

 

「あの、愛莉先生」

 

「なんだい、和人君」

 

「秋葉原で見たあれ、なんだったんですか」

 

「あれ? あれって何の事だい。多すぎてわからないな」

 

「ほら、あの罵声ですよ。駅の向こうから聞こえてきたあれです」

 

 

 和人の言葉を聞くなり、愛莉は「ふむ」と言いつつコップをテーブルに置き、顎もとに指を添えた。SAOの時からよく見ている、愛莉の仕草だ。

 

 

「その質問をしてくるって事は、君はここから今までにネットを使っていなかったって事だね。ネットを使えば、答えはすぐに出せたけど……」

 

 

 確かに懐にあるスマートフォンを手にとって、ネットで検索をかければ、あの出来事が何なのかを知る事が出来ただろう。だが、詩乃との時間――現在は愛莉と恭二とのでもあるが――を過ごし、楽しむ事を優先していた和人は、スマートフォンを起動させるのは時間を確認する時だけで、いつも使っているネットの検索エンジンやゲームを起動させる事はなかった。先程の待ち時間だって、詩乃、愛莉、恭二と世間話や些細な話をする事で暇を潰していたくらいだ。

 

 

「デート中くらい、ネットを使うのは最低限にするべきって、母に教わったんです」

 

「ほほぅ、和人君のおかあさんはよく理解していらっしゃるようだ。その心がけは実に良い事だけど、知らないなら仕方がない。和人君、あの時起きていた事を、話そうじゃないか」

 

 

 そう言って、愛莉は説明を始めた。

 

 和人達があの出来かけの歌姫とも言える少女の野外ライブを見ていた……いや、正確には和人と詩乃がメディアショップを利用していた時から、秋葉原駅の反対口の方で、現在の総理大臣による街頭演説が行われていたという。

 

 ある時突然、この日本社会に出現したサイバーテロリスト、《壊り逃げ男》。その《壊り逃げ男》による、マスコミやテレビを利用した汚職、反社会組織との関係、癒着、賄賂などといった国会議員達の不祥事の全国放送によって、何人もの国会議員がその職を追われ、場合によっては逮捕される事となった。

 

 そして、その中には総理大臣を含めた内閣府達の議員も、かなりの数存在しており、《壊り逃げ男》の攻撃によって、一斉に内閣の多数の議員が辞職と逮捕を迫られた事により、当時の内閣は崩壊。そしてその任を引き継ぐ者達も次々と同じように辞職と逮捕を迫られていき、最終的に残った議員達が、新たな内閣を立ち上げる事になった。

 

 

 和人がこの話を知ったのは、《壊り逃げ男》であった須郷の計画によって、SAOに拉致されて来た直葉/リーファから聞いた時だ。

 

 

「確か、今は南雲(なぐも)って人が総理大臣をやってるんでしたっけ」

 

「そ。史上初の女性総理だ。彼女が総理大臣になったのは、私達がSAOに閉じ込められている時なんだけれども……どうして彼女が総理になれたのかは、わかるかな」

 

 

 愛莉の質問に頷く和人。この南雲という総理大臣の事を、和人はSAOから帰って来た後に、改めてよく知る事になったし、この人が選ばれて当然だとも思った。

 

 総理となったこの南雲という人間は、元々東京都知事をやっていた者なのだが、その時には、長年放置され続けてきた待機児童のための保育園と幼稚園の増設、行政整理といった、都民を徹底的に思いやる政策を次々と立案したうえに実行し、東京都の状況を良い方向に大きく動かした功労者として、歴代東京都知事の中で最も高い人気と支持率を持っていた。

 

 そして任期満了という形で東京都知事を辞任した後は議員となり、元の人気もあってすぐに当選。最初は下っ端とも言える議員だったものの、国会内での強気な発言や国民を思いやる発言、ヤジを飛ばされても屈しないその姿勢、国民の事を良く考えている政策の立案や提案、その実行などが高い評価を呼び、更に本人の能力もあってか、SAO事件が起きる頃には副総理大臣にまで登り詰めていた。

 

 そしてSAO事件が起きるのとほぼ同時に、《壊り逃げ男》事件が勃発。《壊り逃げ男》によって汚職や癒着や賄賂を暴露された議員達は、次々とその職を追われていったが、南雲だけが何も不祥事も汚職もなかったために、崩壊した内閣の中で生き残る事になった。その結果、南雲が唯一の生き残りとして、総理大臣となったのだ。

 

 そうして日本の政治のリーダーとも言える存在となった南雲総理は、これまでと同じように国民の生活を出来る限り良くする事を考えた政策を作って実行し、SAO事件解決にも全力を注いだため、その姿勢が高く評価されており、ネットでは「史上最高の女性総理」とも言われるようになった。

 

 

「わかります。南雲さんが総理大臣になれたのは、《壊り逃げ男》に攻撃されなかったからでしょう」

 

「そう、彼女だけが何もやらかしていなかった。だからこそ、彼女が総理大臣になれて、《壊り逃げ男》の砲撃を浴びずに済んだ。そんな彼女が秋葉原で演説してたのさ、今日。丁度私達があのメイド少女の歌を聞いていた時にね」

 

 

 愛莉の説明によって、あの時秋葉原で起きていた事が理解できたが、そこで和人は首を傾げた。あの時駅の向こうに見えた人だかりが、南雲総理の街頭演説を聞くために集まった民衆であるというのは理解できたけれど、あの時には罵声も聞こえてきていた。

 

 南雲総理は不祥事も何もしていないからこそ、《壊り逃げ男》の攻撃を受けなかったわけだし、総理大臣になってからも日本国民の事を良く考えている政策を次々と出していて、かなりの人気ぶりを獲得しているから、罵声をぶつけられる事はないはず。

 

 あの罵声は、南雲総理に向けられたものなのか、そうではないのか――同じ事を思ったのだろう、詩乃が挙手をするように愛莉に言った。

 

 

「って事は、あの罵り声は、南雲総理に向けられたものなんですか。だけど、南雲総理がそう言う人じゃないっていうのを知ってるのは、皆同じのはずじゃ……」

 

「南雲総理に向けられたものじゃないよ、アレは。向けられるべき奴らに向けられたものだよ」

 

 

 そこで答えたのが恭二だったが、そこに目を向けたところで、和人も詩乃も驚く。先程まで楽しそうにメニューを閲覧していた恭二の顔は今、かなり険しいものとなっており、歯は強く食い縛られている。何か強い憎しみを抱く相手の事を、思い出しているかのようだった。そんな恭二を横目に見つつ、愛莉がその口を開く。

 

 

「そう、あれは南雲総理に向けられたものじゃない。あれは……南雲総理の演説を撮影しに集まったマスコミに向けられたものだったんだよ」

 

 

 南雲総理のような超大物が街頭演説をするというのならば、テレビ局のスタッフや週刊雑誌の記者達が集まって撮影をしたとしても不思議ではないし、寧ろそれが当たり前のようなものだ。だが、そのテレビ局関係者や記者といったマスメディアコミニティ、マスコミという略称で呼ばれる者達にあの罵声が向けられていたとは、和人は全然予想していなかったため、驚く事になった。

 

 

「マスコミに向けられたもの、ですか」

 

「あぁそうだ。詩乃はテレビを見てないからわからないと思うけど、和人君は昨日の夕方の……いや、連日放送されている報道番組を見ているかい」

 

「見てます。報道番組は、もう滅茶苦茶です」

 

「そうだ。今の報道番組は正確な報道をする事よりも、自分達を攻撃してきた《壊り逃げ男》に報復する事に躍起になっている。もう最悪の状態になっているんだ。けど、それだけじゃないんだよ」

 

「それだけじゃない?」

 

 

 愛莉はどこか悔しそうな、残念そうな表情を浮かべて、コップをテーブルに置き、話し始める。《壊り逃げ男》に攻撃された事に激昂し、正確な情報を報道する事を辞めたマスコミは、その報復の矛先を南雲総理にまで向けている。

 

 和人はまだ見ていないが、マスコミは南雲総理だけが《壊り逃げ男》の被害に遭わなかったという点に執拗に注目し、南雲総理が《壊り逃げ男》であるとか、南雲総理が《壊り逃げ男》の大元であり、全ての元凶である可能性があるとまで、報道番組で言い出しているのだ。

 

 

「そんな! 南雲総理と《壊り逃げ男》は何も関係ないはずだ」

 

「そうだ。だけどマスコミ連中は、南雲総理までグルだと思いこませようとしているんだ。いや、一人だけ被害に遭わなかった南雲総理が憎くて仕方がないんだよ。だからインチキ報道を繰り返してまで、南雲総理を叩こうとしてる。今回の南雲総理の街頭演説に報道機関が来た理由も、南雲総理の不祥事を掴むためだろう。

 そんな南雲総理がいつだったかにマスコミにキレて、「あなたがたはそれでも報道機関か」って発言したのは印象に残ってるね。テレビでは報道されてないけど、ネットじゃ盛り上がりまくってたのは知ってるだろう」

 

 

 確かにこの前、南雲総理がマスコミに向けて強気な発言、ネット民からの支持相次ぐという話をネットのニュースで見たのを和人は覚えているし、そんなネットに対してテレビが、南雲総理の全く不祥事でも何でもない事を無理矢理不祥事に改変しようとしているような、わけのわからない報道を繰り返していたのもまた覚えている。

 

 自分達を攻撃してきた《壊り逃げ男》を倒すためなら、その関係者を社会的に殺すためならば、最早何も気にしないのだ。そう呟こうとしたその時に、恭二が組んだ手をテーブルに置いたうえで、その口を開いた。

 

 

「あいつら程害悪な連中なんかいない。情報を流せるという立場を薄っぺらい笠に着て、自分達がどれだけ偉くて強いかを言う。自分達こそが絶対的な正義だって、自分達こそが絶対神だって喋り続ける。偉そうに。それで僕達みたいな国民が、頷くと思い込んでる。

 僕達を頷かせるためだったら、何の罪のない人を殺す事さえ、あいつらは躊躇わない。自分を絶対的な正義の神だって思い込んで仕方がないんだから」

 

 

 今日一日中、基本的に穏やかな表情を浮かべていた恭二の顔に浮かんでいる、強い怒りの表情を見る事で、和人は恭二はどれほど現在のマスコミのやり方を憎んでいるのかというのを理解できたが、どうしてそこまでとも思った。恭二は何か、彼の者達にされて迷惑被った事でもあるのだろうか――そう思った時に、愛莉がもう一度言った。

 

 

「言い忘れていたけれどね、昨日、恭二君が運営しているブログの記事がマスコミに無断引用された。管理人である恭二君に何の連絡もなしに、だ」

 

 

 その言葉を聞くなり、和人は思わず声を上げて驚きそうになる。昨日の報道番組を見ている最中に、ユイがマスコミに自分の書いた記事を無断引用されたというSNSの投稿を見つけ、話を聞いた時にはその管理人が気の毒だと思ったが、まさかその管理人が目の前にいる恭二だとは、予想していなかった。

 

 

「そうだったのか!? あのブログの管理人、お前だったのか!?」

 

「そうだよ。ブログに広告貼って、それでお金を稼ぐ仕事をしてるんだよ、僕。そしたらブログの中の記事が無断引用されて……僕には何もなしだ」

 

 

 ネットの情報を使うならば、そしてそれがちゃんとした個人のものなのであれば、その人に許可を取るのは勿論の事、場合によっては使用料を払う必要だってある。だが、マスコミが一切そのような事をしていないというのは、現在の恭二を見る事で丸わかりだった。

 

 悔しさと怒りの混ざった表情を浮かべて歯を食いしばる恭二をなだめるように、その肩をぽんぽんと軽く叩いた後に、愛莉が溜息を混ぜながら言った。

 

 

「……今から十年以上前からも、マスコミの悪質さは指摘され続けている。私はそれを見てきているんだが、そのうちマスコミも悔い改めてきちんとした報道をするようになると思っていた。けれど、むしろ悪化の傾向を辿り続けている。

 マスコミは日本で唯一情報を流せる機関だし、何でもできてしまうし、一般人からすればすごく遠いところだから、誰からも攻撃されなかった。マスコミのいるところはまさに天国だったのさ。それが連中を慢心させた。連中はいつまでも、自分達が最高神だと思って好き勝手やり続けた」

 

「……」

 

「だが……《壊り逃げ男》の出現によって、連中は天国から追い出された。そろそろ連中も気付いてる頃だろう。自分達の居場所が天国(ヘヴン)じゃなく、天国の外(アウターヘヴン)になってる事を。だけど連中は天国にいると思い込みたいんだ。自分達の居場所は天国以外あり得ないと、信じたいんだ。

 だから、自分達を攻撃した《壊り逃げ男》を何としてでも倒し、天国に戻ろうとしている。……自分達のやり方を治せばそこを天国に出来るのに、それを放棄して、かつての天国に戻ろうとしてるんだよ、今の報道機関はね。そんな報道機関を国民が許すわけがないという証明が、あの時なのさ」

 

 

 和人も詩乃も、ただ愛莉の話を黙って聞いている事しか出来なかった。これまでも、愛莉が長々と話すのは珍しい事でもなかったし、SAOの時でもALOになってからも、時折あったが、ここまで途中で何かを言い出せなくなるくらいに、聞く事に没頭したのは初めてだ。そんな話を繰り広げた愛莉はコップの中の水を一口飲み、軽く息を吐いた後に、和人に目を向ける。

 

 

「だけど、今はまだいい方だ。集まった民衆がマスコミに向けて野次を飛ばしたり罵声をぶつけたりする程度で済んでいるのだから。だけど、もし《壊り逃げ男》がマスコミの放送網をジャックして流した動画の中で、「マスコミ(われわれ)を見つけたら攻撃して粛正してください」と言ってしまったら、マスコミ連中はお仕舞だ。出た先から民衆というモンスターに襲われる事になるんだからね」

 

「えぇっ!? そんな事をしたら逮捕されますよ」

 

 

 驚いた詩乃を見つつ、愛莉はその隣で驚いている和人に目を向ける。

 

 

「和人君、私が君に取らせたぬいぐるみは何だ?」

 

「えっ? あぁ、ペンギンです」

 

「じゃあそのペンギンの生態を知っているかい」

 

「ペンギンの生態?」

 

 

 そう言って和人は、頭の中の図書館へと行き、数えきれないくらいの数の棚の間を橋抜けて、やがて一冊の本を見つけ出して開き、ペンギンの生態を探る。ペンギンとは、翼が退化しまっていて空が飛べない代わりに、海の中を飛ぶように泳げるようになった鳥の仲間であり、主に寒冷地に生息していて、世界中に多くの種類が存在している鳥類である……というぐらいにしか、その本には書かれていなかった。

 

 その情報を瞬時にまとめ上げて、和人は愛莉に話すと、愛莉はうんうんと頷いた。

 

 

「まぁ、そのくらいしか知らないだろうねぇ。結構結構」

 

「他にあるんですか」

 

 

 和人の問いかけに、愛莉はもう一度頷いてから話す。

 

 詩乃に贈られたぬいぐるみの元となったペンギンの生態の中には、《ファーストペンギン》と呼ばれる現象が存在している。それは、ペンギンが狩りを行うべく、海の中に向かおうとする時に、最初に海に飛び込むペンギンの事だ。

 

 ペンギンは狩りに向かう際、全く海に飛び込まないで、氷もしくは崖でじっとしたまま動かないでいる。そしてそれをいつまでも続ける。が、あるタイミングで決心を固めた一羽のペンギンが飛び込んで、その死体が浮いてこないのを確認すると、海の中が安全である事を全体が把握し、一斉に海の中へ飛び込み、餌を探す。

 

 このペンギンの群れの独特の現象に(なぞら)えて、リスクを恐れずに新しい事にチャレンジする人間の事を《ファーストペンギン》というのだ――そんな愛莉の説明が終わったタイミングで、和人が問うた。

 

 

「それと、何の関係があるんですか」

 

「たとえば、《壊り逃げ男》が「マスコミに攻撃せよ」とテレビで放送したとしよう。そしてそれを実行した人間がいて、尚且つ人数が一人だった場合。マスコミに攻撃を仕掛ければ勿論犯罪だから、その実行犯は警察に逮捕されるわけだ。周りの人間達もその実行犯にドン引きする程度で終わるだろう」

 

 

 そこで愛莉の目つきが変わった。極めて真面目な話をする時の愛莉の目つきを目の当たりにした三人は、思わず背筋をしゃんと伸ばす。

 

 

「だが……この実行犯が五人ならどうだ? 十人だったらどう? 二十人だったら? 三十人だったら、どうなると思う」

 

「……!?」

 

「なんと、実行犯が一人の時ではドン引きするだけだった周りの民衆も、実行犯が複数だった場合は、その中に混ざってマスコミを袋叩きにし始める。大勢実行している人がいるなら大丈夫だと思い込んで、行動に移してしまうんだよ。

 ペンギンと一緒さ。一羽で飛び込んだら大丈夫で、それに便乗して数羽のペンギンが一斉に飛び込んでみたら大丈夫だったから、全てのペンギン達が一斉に海に飛び込むのとね。あれだけ多くの人間が実行しているのだから、自分が混ざっても大丈夫だと、そう考えてしまうのさ」

 

 

 愛莉の言葉を聞き終えた時点で、和人はあの時見えた光景を思い出す。秋葉原を去ろうとした時に見えた、百を優に超える人々は、南雲総理の演説を聞くために集まり、そしてやってきたマスコミに罵声をぶつけていた。あの時は罵声をぶつける程度で済んでいたけれども、もし《壊り逃げ男》が攻撃せよと命じた場合、愛莉の立てた仮説通りになるならば、あの数の人々が一斉にマスコミに襲い掛かる事になる。

 

 そうなればどうなるかなど、簡単に想像出来た。それを察したのか、愛莉はさらに続ける。

 

 

「街中の大衆が一斉にマスコミに襲い掛かる状況を作り上げる……大方ハンニバルの狙いもそれだろう。ハンニバルは民衆という武器をマスコミから奪い取り、マスコミや国会を滅ぼそうとしているに違いない。そしてマスコミはハンニバルではなく、その末端器官である《壊り逃げ男》に構っているだけで、ハンニバルに辿り着けてはいないし、理解してもいない。見えざる戦況はハンニバル側に傾いているね」

 

 

 確かに、連日の報道を見ていても、どの報道番組もハンニバルという大元の存在を知らないで、ただただ量産可能の末端器官である《壊り逃げ男》に報復する事に躍起になっているだけだ。物の見事にハンニバルの手玉に取られて、踊らされているというのに、それに一切気付かないで、滅茶苦茶な報道を繰り返している。この流れこそがハンニバルの狙いそのものに違いないだろう――和人がそう思った時に、愛莉は溜息を吐いた。

 

 

「……けれどね。民衆がやろうとしている事も、マスコミがやっている事も、全部間違っている。寧ろどれもこれもやってはならない事だし、よくよく考えてみればおかしな事だって気付く事だ。だけど、誰もそうしない。考える事をやめてしまっているから。

 思考停止状態になって、周りがそうしているからという理由で愚かな行動をとり、疑う事もせず、失敗を繰り返し……気付いた時には手遅れになっている。君達が見ているのは、そんな無知蒙昧(むちもうまい)な大人達が繰り広げる、いずれ悲劇的な終末に繋がる劇なんだ」

 

 

 愛莉がそう言ったその時に、周りの客達の喧騒が一切聞こえなくなり、まるで動物のいない森の中のように周囲が静かになったように、三人は感じた。そんな雰囲気を作り上げた上で、愛莉は深呼吸をして、三人を見回した後に、その唇を開いた。

 

 

「……私が言えた義理ではないかもだし、こんな事を言う私はただの利己主義者かもしれない。けど、言わせて頂戴。詩乃、和人君、恭二君。蒙昧な大衆になっては駄目。愚かな大人になっては駄目よ。

 考える事を、疑う事を放棄しては駄目。大衆の言っている事に耳を傾けるよりも、大衆が信じているものが、周りのやっている事が本当に正しい事なのかを疑ってかかりなさい。決して、周りに流されるような事になっては駄目よ。多数派が正しいなんて事は、絶対にないのだから……」

 

 

 素の喋り方に戻った愛莉による言葉。この喋り方になった時は、愛莉が心の底から頼みごとをしている時や、心の底から言いたい事を言っている時だ。そんな愛莉の言っていた言葉を頭の中に木霊させつつ、和人は考える。

 

 確かにこれまでに多くの人々が、周りがやっているからという理由で誤った選択をしてしまったがために、悲劇的な事情を迎える事になってしまったという話は何度も繰り返されてきているのを、和人はネットの中の情報や社会学者達のブログの記事を読んだりする事で理解している。

 

 

 そして今、本来ならば罰せられなければならない《壊り逃げ男》を、愛莉のいう大衆は支持し、その犯罪行為を素晴らしいとまで言っている。冷静に考えれば、やってはならない事であるのがわかり、罪を課せられる事なのに、それを称賛しているのは、《壊り逃げ男》が大衆が不満を抱いていたところを攻撃しているのが第一だが、第二の理由に、皆が《壊り逃げ男》が素晴らしいと言っているからというのもある。

 

 

 皆が言っているから、皆がやっているから、《壊り逃げ男》は正しい――人々は盲目的にそう思っているのだ。

 

 

 ……そうなってはならない。そうなったが最後、ハンニバルの手中で踊らされ、利用され続けるだけで終わる。もしハンニバルを倒したとしても、その後にハンニバルに似た存在が出て来たならば、無知蒙昧な大人でいたら確実にターゲットにされるだろう。

 

 いや、無知蒙昧でいるという事は、いずれにしてもそうなるという事なのだ。見えざる悪人に利用されて悲惨な日々を迎える事になる前に、考える事を、疑う事を癖にして、大衆とは違う行動を取るように心がけよ――愛莉はそう伝えたいのだ。

 

 だが、それがわかっても、和人はその口を開く事が出来ずにいた。その数秒後に、愛莉はすんと笑って、もう一度顔を上げた。

 

 

「……ま、和人君はSAOで大ギルドのボスをやったし、詩乃は……まぁちょっと大衆じゃ理解できないような事になったし、恭二君もそこら辺の人がやってないような事をしているから、そうはならないとは思うけれどね。ただ、しっかりと覚えておいておくれ。無知な大人にならないってね」

 

 

 愛莉がそう言って笑んだその直後、大衆の声で満たされる店内を店員が頼んでいた料理を運んできて、テーブルに置いたのだった。

 


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