キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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12:忘却を齎した者

 詩乃の家に足を運んで、これからの事を話し合い、様々な事を確認し直した数分後に、家に帰る和人が乗るべき電車の到着時間が迫ってきている事に詩乃が気付き、それを聞いた和人は名残惜しさを感じつつも、詩乃に別れの挨拶と、今度こそは二人きりでデートをするという約束を交わして、詩乃の部屋を後にした。

 

 そしてそのまま流れるようにしてSAO生還者のためのマンションを出た和人は、バス停に丁度止まっていた駅行きのバスに乗り込み、駅を目指す。

 

 行きの時よりも少なく感じられる人を乗せた、八時三十分になっても明かりを失う事のない街中の道路を走るバスに揺られた数分後に、バスは駅に到着。僅かな利用客と一緒になって降りた和人が改札口を抜けて駅のホームに行ったところで、埼玉県方面へ向かう電車がやってきた。かなり丁度いいタイミングを掴んだようだ――そう思いながら和人は、迷わずそれに乗り込むと、電車は和人の家のある埼玉県方面へと、走り始めた。

 

 

 普段電車に乗り込むと、電車の駆動音やエンジン音よりも大きな人の話し声がよく聞こえてくるものだけれども、和人の乗る電車の中では、駆動音とエンジン音の方が勝っている。平日ならば仕事を終えた利用客が沢山乗り込んで、その者達による話し声が電車の中を満たすのだろうが、日曜日の夜の八時三十分である今は、そうでもないらしい。

 

 そんなある程度の静寂に包まれた電車の中、ボックス席に座った和人は、窓の向こうに広がる高層建築物の光が作り出すイルミネーションのような夜景を眺めていた。徐々に遠ざかっていくあの夜景は、愛莉曰く十年以上前から当たり前のように存在しており、最近はその大きさと規模が拡大していく一方であるという。

 

 あの夜景さえもかつてあったものが進化した姿であるというのならば、今から十年以上たった時には、あの夜景はどれほどのものへと進化を遂げるのだろうか。そんな事を考えつつ、懐からスマートフォンを取ったその時、突然スマートフォンが振動を始めて、モニタを自動的に切り替えた。

 

 

「……!」

 

 

 スマートフォンのモニタが表示したものは、通話画面だった。電話が来た時の独特な振動を覚えていた和人はスマートフォンが振動した瞬間に、直葉もしくは緑

翠、詩乃がかけてきたのではないかと思ったが、スマートフォンの画面に表示されている通話相手の名前はそれらではなかった。

 

 視認した和人は音無くモニタの通話開始ボタンをクリックし、スマートフォンを耳元に沿えた。スピーカーの向こうから、通話相手の声が聞こえてきた。

 

 

《やぁ、和人君》

 

 

 通話してきている相手は、一時間ほど前に別れたばかりの愛莉だった。普段どんなに電話をかけてみても音信不通で、通話できること自体が珍しい愛莉からの通話だったものだから、スマートフォンのモニタに表示されたその名前に和人は思わず小さく驚いた。

 

 

「……愛莉先生、どうしたんですか」

 

《いやいや。あの時じゃ出来なかった話が今なら出来ると思ったんでね、電話をかけさせてもらったんだよ。ところで和人君、君は今通話が出来る状態なのかい》

 

「出来ますけど」

 

《そうかい。その様子だと、詩乃ともっと深い行動にまで至らなかったという事か》

 

 

 思わず声を出しつつ身体をびくりと言わせた和人。からかう時のある愛莉の事だから、からかいの一環のつもりで言ったのだろうが、それでも和人は身体の奥底から熱が込み上げてくるのを抑える事は出来なかった。更に顔に変な熱を感じるため、鏡を見れば赤くなった自らの顔が映る事だろう。

 

 

「な、何を言ってんですか!?」

 

《なぁに冗談さね。君達はそこら辺の学生よりも良く出来てるし、君達は明日からまた学校だからね。そんな余裕がない事くらいは良くわかっているつもりだ》

 

「……」

 

《そう(ヘソ)を曲げないでおくれ。君とは真面目に話したい事があるんだよ》

 

「それなら前もってあんな事を言い出さないべきだったと思いますが」

 

《ごめんごめん。変な事を言い出した事は謝るよ》

 

 

 反省の色を感じられる愛莉の声を聞いて、和人は軽く喉を鳴らした後にスマートフォンを持ち直した。愛莉とはこれまで真面目な話を何度もしているから、愛莉がそう言う話をする人だという事はよくわかっている。

 

 

「それで愛莉先生、何の用事ですか」

 

《あぁそうだね。それなんだけど……そう、昼間のあの時の事だ。あの時、君の身に何が起きていたんだい》

 

 

 やはりその話か――和人は心の中で呟いた。

 

 あの瞬間は愛莉もしっかりと見ているし、あの時からずっと自分の事を心配してくれていた。それにあの時の自分の症状はまさしく愛莉が何百と診てきた患者のそれだったのだから、愛莉は気になって仕方がなかったはずだ。

 

 それにこの話は詩乃ともしたけれど、結局わからない事も多かった。だけど、もしかしたら詩乃と話した時にはわからなかった事も、愛莉ならわかるかもしれない。望みを賭けた和人は、詩乃に話した事とほとんど同じ事を、尚且つ話した後に感じた事も全て愛莉に話した。

 

 愛莉はこれまでと同じように「ふんふん」と時々言う程度で黙って聞いてくれて、和人の話が終わった頃に、言葉を伝えるのを再開した。

 

 

《なるほどね……君はSAOの時の事を思い出していたのか》

 

「はい」

 

《それで、そこに奇妙な人物が存在していると?》

 

 

 問われた和人はまた黙り、頭の中に流れている映像を視聴する事にひとまず集中する。大型ショッピングモールでこの映像を思い出してしまった時には、失われたはずのあの世界に意識が引きずり込まれそうになって、詩乃の声で現実世界に戻った。

 

 今もこうして映像が再生されているのだが、あの時と違っているのは、和人の意識が正常のままで、失われたあの世界に引きずり込まれるような事もなく、映像を見る事が出来ているという点だった。その感覚は映画館で、もしくはパソコンのモニターの前で、映画を見ている時のそれに似ていなくもない。

 

 

(……!!)

 

 

 まだ目の前にいるシノン、今はALOという名の妖精界にいるリランやユイと出会う前。《月夜の黒猫団》というギルドに入った時の光景を思い出した和人は、もう一度言葉を失う。

 

 《月夜の黒猫団》は、ケイタという片手棍使いが団長を務め、メイス使いのテツオ、片手剣使いのダッカー、槍使いササマル、そして同じく槍使いで、最も臆病な少女であるサチの合計五人によって構成されていた。

 

 団長ケイタによれば、この《月夜の黒猫団》のメンバー達は、同じ高校のパソコン部の部員達であり、現実世界からの付き合いであったそうだ。そんな凸凹(デコボコ)仲良し五人組の織り成す小規模なギルドに、自分が六人目のメンバーとして入ったはずだった。

 

 だが、頭の中に流れている――あの時から思い出せるようになった――映像には、見覚えのない六人目の姿があり、自分は七人目になっている。

 

 

 猫の耳の付いた黒い帽子を被り、黒と白の混ざった戦闘服と軽鎧に身を包んで、サチと同じ色の髪の毛と瞳をし、髪型をセミロングにした、《月夜の黒猫団》の誰よりも背の低くて、若干の幼さを感じる少女。

 

 

 これまで何度も《月夜の黒猫団》の記憶を思い出しているのに、一切出てくる事のなかった少女の姿。そんな突然記憶の中に出てくるようになった、存在していたかどうかさえわからないような六人目の少女は、《月夜の黒猫団》と映像の中でとても楽しそうに話し合っている。

 

 

「はい。俺はその人の事は知らないですし、そもそもこれまでこの記憶そのものを思い出す事がなくなっていたっていうか……」

 

《それも奇妙な話だね。和人君にとっての大切な記憶が消えてしまっていたなんて……ん? いや、待てよ? まさかな……》

 

 

 愛莉が何かを思い付いたような声を漏らしたのを聞きもらしていなかった和人ははっとして、すぐさま声をかけた。

 

 

「愛莉先生、何か思い当たる事が?」

 

《……健忘という言葉を知っているかい和人君。俗にいう記憶喪失の事なのだが……》

 

「知ってます。それが何か関係が?」

 

《健忘の中には部分健忘というものがある。全ての記憶の中である部分だけが欠損してしまっていて、その部分だけを思い出す事が出来なくなる症状だ》

 

「それで?」

 

 

 何やら脳医学的、精神医学的な話を繰り広げようとしている愛莉が、次に始めた話は、MHHP(エムダブルエイチピー)、つまりリランとユピテルとクィネラの話だった。

 

 この三人の型であるMHHPには、VR世界にダイブしている人間の項部分に触れる事によって、その人間が装着している機器に信号を送り、装着者の脳に特殊な信号を流させ、脳内物質の分泌状態などを変化させて精神状態を治療する力が備え付けられている。この力の存在こそが、彼女達を医療に役立つプログラムである事を示しているのだ。

 

 そしてその力の存在を、和人はSAOでリランと出会った時からずっと知っているし、実際のその力を使う事で精神を治療してもらった事もある。特に先程まで一緒に居た詩乃は、PTSDのパニックなどを抑え込むために、何度もその力の世話になっているものだから、自分と詩乃はあの三人の持つあの力をよく知っている。

 

 

「MHHPの力……なんでそんな話を急に?」

 

《人間の脳は、激しいストレスを感じる事柄に接してどうにもならなくなった時、場合によっては記憶を欠損させる事で自分を守ろうとする働きがある。そして、MHHP達の持っている力は対象となる人間の脳に特殊な信号を送って、脳に精神状態や心の状態の改善を促させるものだから……》

 

「だから……?」

 

《《月夜の黒猫団》の記憶は君にとって一番辛い記憶だ。その一番辛い記憶を忘却する事によって、君の精神状態を改善しようと君の脳が動いたのだとしたら? そして君の脳にそれを促させたのが、リランやユピテルだったらとしたら?》

 

 

 そこで和人はスマートフォンを落としそうになった。指に力が入らなくなり、熱が抜けて冷たくなっていく。電車がごとごとと揺れる感覚も、駆動音も客の喧騒も聞こえなくなる。

 

 

 愛莉は、自分の《月夜の黒猫団》の記憶の忘却を、リランのせいではないかと言っているのだ。確かに《月夜の黒猫団》を喪い、サチを喪い、サチを生き返らせようとして蘇生アイテムを見つけ出したその直後から、SAOをクリアするまで、基本的に自分の傍にはずっとリランがいた。開発者である愛莉曰く、そのような事が出来てしまうプログラムであるリランが、ずっと傍に。

 

 それにリランがあの時自分と出会ったのは、和人の心が度重なるストレス――それも大切なサチを喪ったという重度な負担――で荒み、傷付いていたというのを、リランがMHHPの本能によって感じ取ったからだという。

 

 そしてあの時のリランは記憶を失っていたけれども、MHHPとしての本能と力までも失っておらず、重度に傷付いた心の人間などには迷わず力を使ったりしたし、傷付いた心の者が居たとしたならば、すぐさま治療したいという願望と明確な目的も持ち合わせていた。

 

 

 そして……自分がリランと出会った夜にサチからのメッセージを聞いたのもあるんだろうけれども、次の日からは心の重さが嘘のように取れていたし、その後リランとシノンの言ってもらったのもあるけれど、《月夜の黒猫団》の皆について考える事もなくなっていた。もし、あの時からリランが、自分が寝ている間などに力を使い続けていて、自分の脳に忘却を促させて、《月夜の黒猫団》に関する記憶の部分忘却させたのだとしたら、辻褄(つじつま)が合う。

 

 

「……って事は、俺が彼らの事を忘れていたのって……サチに妹が居た事を思い出せずにいた理由って……」

 

《リランにあるかもしれない。リランが君に隠れて君に力を使っていたのだとしたら、君の忘却症状にも私は納得がいくんだが。試しに聞いてみたらどうだい。主である君の頼みは、基本的には断らないんだろう、彼女は》

 

 

 リランは時に素直で時に素直じゃない。俗にいうツンデレというものと素直の丁度境目にいるような()だが、基本的に和人/キリトの指示には従順だ。従わない時もあると言えばあるけれども、それでも答えてくれるはずだ――そう思った和人は、電話越しに頷いた。

 

 

「……次にALOにログインしたら、聞いてみます」

 

《そうした方がいいだろう。それにしても、君が喪ったサチという()に妹がいたとはね。その娘がその後どうなったのか、思い出せないのかい》

 

 

 それについては何度も試みている。だが、何度思い出そうとしても、自分が《月夜の黒猫団》に入団した時の記憶しか出て来なくて、それ以外のあの少女に関連する記憶は思い出せないのだ。あの少女の名前が何で、あの少女がどのような人物で、そして《月夜の黒猫団》の皆と一緒に死んでしまったのか、そうではないのか……最早何もかもがわからない。

 

 

「駄目です、何度やっても思い出せません」

 

《そうかい。ならば無理に思い出そうとせずに、今は今やるべき事に集中しなさい。君がやるべき事は、それのはずなんだからね》

 

「……わかってます。その、ありがとうございました、愛莉先生」

 

《礼には及ばないよ。AI研究者に戻ったとしても、私はかつての精神科医としての仕事を忘れられないんだ。それに君は唯一詩乃の事を守れる人だし……詩乃が生まれて初めて好きになった人なんだ。

 だから和人君、私がいない間、詩乃の事を頼むよ。何度も言ってるけれど、本当に》

 

「何度も言ってます。任せてください、愛莉先生」

 

 

 愛莉の「ふふふ」という静かで朗らかな笑い声を聞きながら、和人は再び窓の外を眺めた。《月夜の黒猫団》のあの少女の事は、今は何もわからない。だがきっと、いつの日かわかる日が来るはずだ。そしてその時を受け入れる覚悟を、今のうちにしておかなければならないだろう。

 

 自分が忘れてしまっていたサチの妹を知り、それを受け入れる事もまた、《月夜の黒猫団》への、サチへの償いのはずだから――和人は心で決めながら、いつも降りている駅にたどり着くまで、愛莉と話をしていた。

 


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