キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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―フェアリィ・ダンス 05―
01:二人目の案内妖精、相棒の動揺


          ◇◇◇

 

 

「キリトにいさま、キリトにいさまー」

 

 

 土曜日の午前中にアミュスフィアを起動し、妖精の世界ALOへダイブして早々、俺の耳元には妙な声が聞こえてきた。昨日ALOでログアウトしたのはいつも使っている宿屋の一室であったために、ALOに再ログインを果たした時には必然的にそこで目を覚ます事になるのだが、いつもならばダイブして早々声をかけられる事など無い。

 

 それに付け加えて、身体――正確には腹部の周辺――に何か重くて暖かいものが乗り上がっているかのような感覚もする。俺がログアウトしていた間に、アバターであるキリトの身に何かが起きていたのだろうか。

 

 

 身体に乗り上がっている重みの正体を知るべく上半身を起こして、目を開けると、そこにあったのは、薄らと赤紫がかった銀色の長髪と瞳が特徴的な幼い少女の顔。よく見れば、頭に植物を模した飾りを付けていて、尚且つ白いワンピースのような服を着ているのもわかる。

 

 リランとユピテルの妹でありつつも、ユイとストレアの姉に該当する、三番目のメンタルヘルスヒーリングプログラム、クィネラ。普段は愛莉/イリスのところにしかいないはずのクィネラの顔がそこにあったものだから、俺は思わず驚いて声を出してしまった。

 

 

「わっ、く、クィネラッ!?」

 

「あ、起きてくれましたね。おはようございます、キリトにいさま」

 

「あ、あぁ、おはようクィネラ。とりあえず退いてくれないか」

 

「はぁい」

 

 

 クィネラが頷いたのを見ると、俺はそっとクィネラの脇の下を両手で掴み、そのまま俺の身体から離してベッドに座らせた。無理矢理ではないものの、俺の身体から離されたクィネラは、何の文句も言わずに布団の上でぺたん座りをしてみせたが、そこで俺は昨日ログアウトした後の事を思い出す。

 

 確か昨日も俺は、カイムやシュピーゲルと一緒になって、夜中までグランドクエストの攻略に繋がりそうなクエストなどをこなし、最後にはいつも使っているこの宿屋のこの部屋でログアウトした。

 

 だが、その時にクィネラを誘い込んでいないし、そもそも昨日クィネラに会った記憶もない。しかもこの部屋には利用客である俺と、俺の娘であり、ナビゲートピクシーを務めているユイだけが開ける事の出来る鍵がかかっているはずだから、尚更クィネラがここにいる説明がつかない。ユイが本当に許した相手ならまだしも、クィネラはそうではなかったはず。

 

 

「クィネラ、どうしてここに? どうやってここに入ったんだ」

 

「それならね、メニューを開いてみて。そこでわかるはずだから」

 

 

 クィネラに言われるまま、俺は右手を動かしてウインドウを呼び出す。

 時刻の方に注目してみれば、現実世界の時刻は午前九時三十分で、ゲーム内時刻は午前十時。大幅にゲーム内時間と現実世界の時刻がずれる事が多々あるALOの世界にしては珍しく、現実世界の時間に比較的近しい時刻だ。これならば今日は順調に攻略を進める事が出来るだろう。

 

 しかし、それ以外にあまり目立ったような部分はなくて、クィネラがこうして俺にウインドウを開かせた理由がますますわからなくなった。この娘は何のためにこんな事を――。

 

 

「あっ、キリトにいさま、ウインドウを閉じないで」

 

 

 そう思いながらウインドウを閉じようとしたその時に、クィネラが呼び止めて来たものだから、俺は思わずその手を止めてしまった。いきなり何を言い出すのかと言おうとした次の瞬間、俺は開かれたウインドウの中にある物が浮かんでいる事に気付く。新規アイテムを入手したという報せと、メッセージが届いているという通知だ。

 

 

「あれ、なんだこれ」

 

「それ、大事な事」

 

 

 クィネラの言葉に首を傾げつつ、アイテムウインドウを開き、新規入手アイテムが並ぶタブをクリックしてみれば、《MHHP_003》という、ALOでは見つける事の出来なさそうな名前の貴重品に属しているアイテムが見つかった。同刻、俺は頭の中で昨日の事を思い出す。

 

 確か俺は、昨日のクエストをこなした時には、普段使わないような武器や素材、消耗品などの沢山のアイテムを手に入れていた。あまりにも沢山入手できたものだから、この部屋でログアウトする前には手に入れたアイテムの数や種類の全てを確認、整理したのだけれど、その時にこのような名前のアイテムがあったという記憶はない。

 

 だが、《MHHP_003》が何を意味するのかは分かる。メンタルヘルスヒーリングプログラム三号、つまり目の前にいるクィネラの型番、正式名称の事だ。そしてこの名前が付いているアイテムは、MHHPの本体を意味する、ゲーム内では使う事の出来ないプログラム。

 

 つまり俺は今、目の前にいる少女クィネラの本体をいつの間にかアイテムストレージに入れていて、それを閲覧しているという状況に直面している。

 

 

「ちょ、なんでこれがあるんだ!?」

 

「わかった? キリトにいさま」

 

 

 勿論、俺はこのような物を手に入れた覚えはないし、そもそもこれを持っているのはイリスであるから、俺が持っているのは有り得ないのだ。一体何故、どうやって俺はクィネラの本体を手に入れたのか。そう思いつつも、クィネラから確認の指示を受けていたメッセージウインドウを続けて開くと、そこでも昨日までなかったものを見つける事が出来た。差出人は《Iris》、題名は《キリト君へ》。

 

 クィネラの開発者であり、母親であり、プログラムとしてのクィネラの持ち主である、イリスからの新規メッセージだ。

 

 

(イリスさんからか)

 

 

 時にからかい、時に真面目な話を、時にしっかりとした教えをしてくれる、シノンの恩師でありつつも俺の恩師でもある、イリス。そんなイリスの傍に居るはずのクィネラが俺のところに来ていて、尚且つメッセージを届けてきているのだから、イリスが何を考え出したのか、何だかわかるような気がしてならない。

 

 恐らくこのメッセージの中身は俺が想像できるような内容になっているだろう――そう思いつつウインドウを開く。次の瞬間に、比較的大きめのウインドウが出現し、そこに書かれていた文章を目で追った。

 

 

『キリト君へ。

 

 これを読んでいるという事は、君がALOにログインした時にはクィネラが君を迎えただろう。突然だが、君にクィネラを預ける事にする。

 

 クィネラはリランやユイと比べて成長が遅れてしまっているんだ。その成長の促しにはユイとリランとストレアをあそこまで育てた君の力と、私よりも長い時間このALOにダイブできる環境にいる君自身が必要なんだ。

 

 クィネラはこれでもナビゲートピクシーとしての機能を持ち合わせているし、ユイと合わせればダブルナビゲートピクシーになる。それにユイにもクィネラにサポートの仕方を教えるように頼んでおいたから、今後の攻略に役立ってくれるだろう。

 

 急なお願いになってしまったが、クィネラの事をしばらくの間、よろしく頼む。

 ちなみに私はこれまでどおりログインできるから、その辺の事は心配しないでくれ。

 

                             イリスより』

 

 

 メッセージの中身は、俺の想像通りだった。いつもならイリスの傍に居るはずのクィネラがこうして俺の傍に居て、尚且つクィネラの本体が俺のアミュスフィアに贈られてきているというこの状況は、イリスがクィネラを俺に贈って来なければ起こり得ない。

 

 ログイン時間があまり定まっていない、もしくは思い立った事があるとすぐさま行動に移してしまう癖がある上に――俺達も普通に出来るけれどもやらない――アミュスフィアに直接データファイルを送り付ける事があるイリスの事だから、俺がログアウトしている間に、俺のアミュスフィアにクィネラの本体データを送信してきたのだろう。

 

 そして他のプレイヤーは滅多にやる事のない、ナビゲートピクシーの譲渡送信を行い、クィネラの主人を自分から俺に変更。俺のナビゲートピクシーとなった事で、クィネラはこの部屋の鍵を開ける権限を手に入れて、ここに入って来たのだろう。

 

 事実を知った俺は、メッセージウインドウを閉じつつクィネラに向き直る。

 

 

「なるほどな。君はかあさんからの指示で来たわけか」

 

「うん。今日からしばらくキリトにいさまの傍に居なさいって、かあさまが」

 

「そして君は、俺の部屋の鍵を開けられるようになったと」

 

「そうだよ。本当はユイに開けてもらおうって思ってたんだけど、わたし出来ちゃった」

 

「そうだろうな。君は俺のナビゲートピクシーになってるんだから」

 

 

 「えへへ」と笑うクィネラのその頭に、俺はそっと手を乗せて、ユイの時と同じように優しく撫でる。

 

 

 俺達がこの娘クィネラと出会い、リランとユピテルと同じMHHPの三番目である事を知ったのは割と最近だ。

 

 そしてその時から、クィネラはイリスのナビゲートピクシーとしての機能を持つようになり、イリスが俺達の攻略に参加した時には、ユイ同様のサポートをしてくれるのだが、イリスのメッセージに書いてあったとおり、クィネラには違和感がある。

 

 

 リランやユピテルといったメンタルヘルスヒーリングプログラム、ユイとストレアといったメンタルヘルスカウンセリングプログラムは、そこら辺のAIと比べて非常に強くて高度な学習能力が設定されており、様々な事を教えてやったりすれば、ぐんぐん成長していくようになっている。

 

 そして俺の目の前にいるクィネラもまた、MHHPの三番目であるから、そこら辺のAIとは比べ物にならないくらいの学習能力と進化能力を持っているのだ。なので、クィネラがこれからどんどん強くて賢いAIに成長していくのは間違いないのだが、如何せんクィネラの成長速度はリランやユイと比べて、どこか遅いように感じられる。

 

 

 クィネラは俺達と出会ってからそれなりの時間が経過していて、その中で尚且つ俺達と一緒に攻略を進めたり、ナビゲートピクシーとしての攻略支援などもして、イリスの許可をもらったアスナやリランといった女の子達が街に買い物に連れていったりしているから、結構な事を学習して、成長しているはずだ。

 

 しかし、そうであるはずなのに、クィネラは未だに舌足らずな喋り方をしているし、言動もどこか幼いままで、成長したり進化したりしているような感じは見受けられない。以前、クィネラと同型で兄にあたるユピテルがこのような状態であったけれども、ユピテルはその後様々な事柄を経て成長と進化をし、現在の状態となった。それと同じくらいの経験をクィネラは毎日しているはずなのだが、やはり成長している気配はない。

 

 まるで経験値が溜まり続けているものの、レベルやステータスの成長に反映されないでいるかのようだ。

 

 

 開発者であり母親であるイリス曰く、「MHHPとMHCPの全てには個体差が存在しているから、どの子も同じにはならない」らしいのだが、そうだとしてもクィネラはもう少し成長していてもいいはずだ。

 

 

「……」

 

 

 このままではクィネラの成長が遅れるばかりで、クィネラを楽しませてやることが出来ない――イリスもこれまでの事でそれがよくわかって、その解決策が俺達にあるのだと思ったからこそ、俺にクィネラを任せようと思ったのだろう。ALOにイリスよりも長い時間ログインしている事が出来て、尚且つクィネラと長い時間接する事の出来る俺達ならば、クィネラをより早く強く成長させられると、リランとユピテル、ユイとストレアの成長具合を見てきたイリスは考えたのだ。

 

 多分直接話されてはいないだろうが、そんなイリスの考えに頷いて俺の元へやってきた銀色の少女の頭から、俺はそっと手を離した。

 

 

「クィネラ、君はかあさんに言われてきたって言ってるけれど、俺と一緒に居るって事は、かあさんとあまり会えないって事だぞ。寂しくないのか」

 

「大丈夫。かあさまと約束して来たから。それに、リランおねえさまとユピテルおにいさま、ユイとストレアもいるから、寂しくない」

 

 

 そう言った銀髪の少女は、人間の幼い少女のそれと全く同じ笑みを浮かべた。

 

 確かに俺の傍にはいつもリランとユイとストレアが居るし、アスナの用事がない時にはユピテルも加わる。そして、同じイリスの手から生み出されたという事が共通しているこの四人は、登場と紹介が遅れてしまったクィネラの事も大切な家族と思っているから、邪険にする事など一切ないし、そんな四人の中に加わったクィネラがとても楽しそうにしているのを実際に何度も見ている。

 

 その事をよくわかっていたから、尚更イリスは俺達の元へクィネラを送ることを決めたのだろう。そんなこんなで突然の出来事を迎えたクィネラが寂しい思いをする可能性も、ないと言ってしまっていい。

 

 

「そうか。それじゃあ、しばらく俺達のところに居ても大丈夫だな?」

 

「大丈夫だよ。これからよろしくね、キリトにいさま」

 

「こちらこそ、よろしく頼むよ、クィネラ」

 

 

 俺の言葉を受けたクィネラは、もう一度満面の笑みをその顔に浮かべた。そんな新しく俺のナビゲートピクシーとなった少女を連れて部屋を後にし、宿屋のロビーに出た。そこでは既に多くのプレイヤー達が集まっており、これからの攻略の事やクエストの情報交換といった、如何にもこのALOらしい会話があちこちで繰り広げられていたが、そのような会話を盛り上げているプレイヤー達の一角に、とある数人を見つける。

 

 金色の長髪に赤い瞳、白金色の狼の耳と尻尾を生やしているのが特徴的な、戦闘服に身を包んだ少女と、紫を基調とした鎧戦闘服を着こなし、顔に白い模様の入っている白紫色の髪で胸の大きな少女、その中の誰よりも背が低くて黒い長髪が特徴的な、白いワンピースに着た少女。クィネラの家族であるリラン、ストレア、ユイだった。

 

 俺が声をかけるよりも前に、三人は俺とクィネラを見つけて声をかけてきて、俺はそれに応じる形で三人に近付いた。同刻、普段から俺のナビゲートピクシーを担当していて、俺の娘であるユイが寄り添ってくる。

 

 

「おはようございます、パパ。今日も来てくれましたね」

 

「あぁ、おはようユイ。といっても、お前達とは朝食の時に挨拶したな」

 

「それでも今日直接会うのは、これが最初だね。おはようキリト」

 

「あぁ。ストレアもおはよう。リランもな」

 

「うむ……」

 

 

 三人の中で浮かない顔をしているリラン。その目線の先には、不思議そうな顔をしているクィネラの姿があった。どうかしたのかと聞こうとしたその前に、リランはその口を開く。

 

 

「その様子だと、本当にクィネラに起こされたようだな、キリト」

 

「うん、クィネラが起こしてくれたぜ。というか、ログインして来た時に出迎えてくれただけだけどな。それが?」

 

 

 リランによると、リラン達が入力経路を遮断して情報を整理する――人間の睡眠に近しい――行為をしていて、リランが一番早くそれを済ませた時に突然、「クィネラを任せたぞ」と一言だけ書いてあるメールがイリスから届けられたそうだ。

 

 そのメールはストレアとユイにも届けられていたそうで、ユイに至っては「クィネラにいろいろ教えてやれ」という文が付け加えられていたらしく、このメールが一体何の事を意味しているのか、三人はその時からよくわかっていなかったらしい。ちなみにそのメールの事は野暮だと思って、朝食の時には話さなかったそうだ。

 

 三人の事情を知った俺は、ひとまずクィネラにちょっと待つように指示を下し、三人を連れつつクィネラから軽く離れると、小さな声で事情を全て話した。それが終わった頃には、三人とも納得したような顔になり、やがてリランが相変わらず不思議そうな顔をしてこちらを見ているクィネラを見つめつつ、腕組みをする。

 

 

「なるほど、そういう事か……」

 

「あぁ。イリスさん曰く、クィネラの成長には俺達の協力が必要らしい」

 

「確かにクィネラの成長速度は我らと比べて遅く感じられる。個体差があるとはいえ、このままでは成長が促されないままであろう」

 

 

 クィネラがもっと成長してくれれば、その時クィネラは様々な物事を楽しんだりする事も出来れば、様々な事に役立とうとする意志を持つ事も出来るようになるだろう。実際、この三人が様々な物事に取り組めたり、楽しんだりできているのは、イリスが作ってある程度教育したからというのもあるが、俺達と出会って成長したからであると言っていい。

 

 

「だから三人とも、クィネラの傍に居てくれないか」

 

「いるも何も、クィネラもアタシ達の家族だから、どうってことないよ。アタシ達家族と皆の力で、イリスもびっくりするくらいにクィネラの事を成長させてあげようよ」

 

「わたしも同じ気持ちです。クィネラおねえさんはもっと成長して、もっと色んな事を楽しめるようになるべきです。そのためなら、わたしもお手伝します、パパ」

 

 

 三人の笑みを目にして、俺は胸の中が暖かくなった。三人の事だから、きっとクィネラの事は拒絶しないだろうとは思っていたけれども、やはりちゃんとそう言ってもらえると安堵できる。それに何より、この三人は自分達がそうであるために、クィネラにやるべき事をしっかりと理解してくれているのが嬉しい。

 

 

「よし、俺からもみんなに言うけれど、俺達が居ない間はクィネラを頼むぞ、三人とも」

 

 

 そう言うと三人は頷いてくれて、早速ユイとストレアがクィネラの元へ戻っていき、早速クィネラと楽しそうに話を始めた。あの二人にとってはクィネラは姉に当たる存在であるものの、年齢的には誰よりも年下なものだから、妹が出来たみたいで嬉しいのだろう。

 

 その会話の輪の中に加わろうと思って向かおうとしたその時、俺の事をリランが呼び止めてきた。振り返ってみれば、リランは少し険しい表情を顔に浮かべていた。

 

 

「なんだ、リラン」

 

「キリト……その、その後はどうなっているのだ。何か思い出せた事などは、ないのか」

 

 

 リランの言葉を聞いて、俺はすっとリランのすぐ目の前まで行く。先週の日曜日の夜、イリス/愛莉からリランが俺に何かしらの影響を及ぼしている可能性があるという話を聞いてから、俺は家に帰って早速ALOにログインし、リランにこの事を聞いた。

 

 結果、イリスの憶測は当たっていた。吐き出させるのに少し手間取ったものの、リランは俺と出会ったその時からシノンと結婚した頃辺りまで、俺が寝静まった時を狙って俺に力を使っていたらしい。だからこそ、俺はサチを生き返らせる事が出来ないと知った翌日にも、皆と一緒にボスに挑む事も出来たし、そこまで《月夜の黒猫団》の皆の記憶を思い出して苦しむ事もなくなったのだ。

 

 

 そのような大切な事を隠していた事を、リランも悪く思っていたようで、全てを話してくれた後に頭を下げて謝って来た。その時には、リランがずっと重大な事を隠していた事に腹が立たなかったと言えば嘘になるけれども、リランが俺の異常をしっかりと確認して、人知れず治療し続けてくれていたという事がわかった嬉しさもあってか、リランを怒る気にはならず、これからは重要な事を隠さずに話してほしいと頼んで、リランを完全に許す事にした。

 

 しかし、リランが本当の事を話してくれても尚、俺は《月夜の黒猫団》の皆の中に紛れている少女の事は、未だに思い出せずにいる。やはり何度思い出そうとしても、その少女の名前や詳しい情報を、思い出せないのだ。

 

 

「いや、あれから何も思い出せてないんだ」

 

「だが、正直我は気になっているぞ。その少女は本当にサチの妹なのか?」

 

「あぁ、その事だけは間違いないんだ。けれど、それ以外の事が何もわからなくて……」

 

「誰かに聞こうにも、《月夜の黒猫団》の者達と出会っているのはお前だけだからな……我もシノンも、《月夜の黒猫団》の一件の後にお前と出会ったから、何もわからぬ」

 

 

 一度リランの力をもう一度使えば、この情報の事について思い出せるのでは無いかと思ったけれども、そもそもリランやユピテルの持つ力は、人の精神の状態を安定化させたり、治療したりするものであり、過去の記憶を引っ張り出したりするものではない。それにそもそも、《月夜の黒猫団》の事を忘れそうになっていたのはリランの力の作用だったから、更に思い出せなくなってしまうだろう。

 

 

「確かにな……思い出せる時が来るとは思うんだけど、いつになるかな」

 

「出来れば早く思い出してもらいたいところだ。お前しか、その者の事は知らないのだからな」

 

「だけど、今はその事よりも攻略だ。俺達がやらなきゃいけないのは、目の前の事に取り組む事なんだからな」

 

「わかっておる。……なぁキリト」

 

 

 急に改まったかのような仕草と言動を見せるリラン。あまりにいきなりな事だから、思わず軽く驚いてしまった。

 

 

「どうしたんだよ」

 

「……今日のグランドクエストの攻略が終わったら、いや、一段落着いたら話があるのだ。聞いてもらえるか」

 

「それって、今話せない事なのか」

 

「……うむ」

 

 

 普段はかなり強気で、俺の《使い魔》でありながら俺の指示を無視するような場面を見せる事もあれば、素直に俺の指示に従う時もあるリランは今、耳をほんの少しだけ寝せて、何かを思い詰めているような顔をしている。このような顔をする時はSAOに居た頃にもあったが、そういう時には、リランが自身や俺に関わる重要な話を考えている事がほとんどだったため、恐らく今もそうなのだろう。

 

 それに最近、俺はシノン/詩乃とばかり話していて、リランとじっくり話したりする事はなかったから、丁度いい。

 

 

「わかったよ。一段落着いたら聞かせてくれ。けれど、その事を戦闘中に考えるなよ。今日はフロスヒルデのエリアボス戦だからな」

 

「……わかった」

 

「今回の戦いも期待してるぜ、相棒」

 

「任せておけ」

 

 

 いつもならば、ボス戦を前に控えた俺の《使い魔》は、これからの戦いにわくわくしているかのような声で話すのだが、今はただ小さく呟くように言うだけだった。どうやら俺は、一段落着いた時の《使い魔》との話の際に、聞かなきゃいけない事があるようだ。

 

 どこまでも、今回は丁度いい事が続いている――ユイとストレア、クィネラの三人が楽しそうに話している光景を目にしながら、心の中で呟いた。

 


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