キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

229 / 564
08:現れし魔神狼

 

 ロキのいる牢獄を守る衛兵が用意した転移装置を使用し、転移の光が晴れた時に、俺達の目の前に広がったのは、よくあるファンタジー作品に出てくるような巨大な城の中の、王との謁見の間のようなところだった。

 

 周囲を見回してみれば、綺麗な白色の土壁に金色の装飾が施されていて、床には美しい赤色の絨毯が敷かれているのがわかり、壁際、出入り口の近くには、百人を超える兵達の姿。本当に、RPG作品でよくある王様との謁見の場所とも言えるようなところだ。

 

 そして前方に視線を向けてみれば、豪勢な玉座のような椅子が部屋の奥にあり、そこに腰を掛けて、こちらを見ている人物の姿が確認できた。白と金色を基調とした豪華な形の鎧にほぼ全身を包み込んでいるが、頭は唾の長い帽子を深く被るだけになっている、白色の長髪と、鎖骨付近に到達するくらいの長さの白い髭を生やした、威厳のある老人。

 

 玉座に座っているというのと、金色の鎧、老人のような風貌、そして左右に大勢の衛兵を集めている事から、俺はすぐさま、あの老人がオーディンであるという事に気付いた。

 

 

「あれがオーディンか」

 

「史実通りの老人の姿をしてるわね。若々しい青年で来るかと思ったんだけど」

 

 

 北欧神話の軍神かつ主神であるオーディンは、原典では白い髭を蓄えた老人の姿をしているが、後世に作られた作品の中に登場する際には、老人のような風貌の時もあれば、イケメンの青年だったり、馬に変形する召喚獣だったり、美少女だったりする事もあるなど、作品によって姿形が全く異なる事がほとんどだ。

 

 このALOでのオーディンはどのような姿なのかと、転移する寸前まで予想していたが、原典の姿をほぼ忠実に再現しているものだった。

 

 そしてその威厳ある老人の姿のオーディンは、俺達の姿を目にいれるなり、その口を開いた。

 

 

「お前達が兵の言っていた、ロキに(たぶら)かされなかった勇敢な妖精達か」

 

「そうだけど……あんたがオーディンなのか」

 

「如何にも、我が名はオーディン。勇敢な妖精達よ、よく来てくれた。だが、来てもらって早々、お前達には頼みたい事があるのだ」

 

 

 ロキと違って多くの言葉や台詞を設定されていないのか、オーディンは早速俺達への頼みごとを話し始める。オーディンによると、ロキはあそこに捕縛される寸前まで、オーディン達アース神族と戦争を起こして世界を滅ぼすために、同胞の巨人達の元を回って声をかけていたらしく、巨人達はロキを助けてアース神族と雌雄を決するべくして、あの牢獄を目指して大群で進んでいるという。

 

 確かに北欧神話のロキは、一応神でありながら巨人族であり、巨人族の方をアース神族よりも信頼していたから、巨人族と手を組んでいるという設定は何も間違ってないし、アース神族と戦争をしようとしているという目論みも間違っていない。

 

 これらの点から、このクエストが本当の北欧神話を元にしているというのがよくわかるのだが、問題は俺達だ。オーディンの口ぶりから察するに、俺達には向かって来ている巨人族を相手してほしいのだろうけれども、俺達はたったの四人であり、クィネラはナビゲートピクシーであって戦えないから、戦力は三人。三人で巨人の群れを相手にするなんていうのは無茶にもほどがある。

 

 俺と同じ事を考えたのだろう、リランが腕組みをしながら、玉座のオーディンに言う。

 

 

「まさか、我らにその巨人の大軍を倒してほしいというのではあるまいな?」

 

「そうではない。お前達には巨人族の軍団を率いているものだけを倒してほしいのだ。指揮しているものが死ねば、賢さのない巨人共の軍団は瓦解する。巨人の軍団の指揮者を倒し、軍を瓦解させたうえでロキを処刑するのが――」

 

「オーディン様――ッ!!!」

 

 

 俺達の考えた展開をオーディンが否定したその時、入口の方から大きな声と、鎧が揺れるような音、足音が部屋の中へと飛び込んできた。

 

 周りの衛兵達と一緒に振り向いてみれば、酷く慌てて駆け付けて来たのであろう衛兵が、部屋の中央でオーディンに向かって跪いていた。身体にいくつかの傷を確認できる衛兵の登場に驚きながら、オーディンが大きな声で言う。

 

 

「何があった!?」

 

「た、たった今……先日から進撃を続けていた巨大な狼の怪物が、ロキのいる牢獄へ到達……牢獄を破壊してロキを助け、逃亡しました……ロキが、解き放たれてしまいました……!!」

 

 

 弱った声で紡がれた衛兵の言葉に、オーディンを含めた周りの衛兵達が一斉に驚きと同様の声を上げるが、俺は咄嗟にその巨大な狼の正体を思い浮かべた。北欧神話には沢山の神々や巨人が登場するが、それと同じくらいに多くの怪物や魔獣も登場しており、その中に、ロキの息子として生まれ、神々の捕縛を難なく破り、最終的にラグナロクを生き延びてみせる、フェンリルという巨狼がいる。

 

 恐らくロキを助けた巨大な狼とは、このロキの息子であるフェンリルだ。

 

 フェンリルもまた、オーディンやロキと同じくポピュラーな存在であり、北欧神話を題材にしている作品は勿論、全く関係していない作品にさえも出てくるくらいの人気者で、そのフェンリルの原点である北欧神話を題材にしているALOをプレイしていれば、いつの日かその名前を耳にする事になるだろうとは思っていたが、まさかここでフェンリルに出会うとは、思っていなかった。

 

 そして、北欧神話の主神であり、フェンリルと対決する事になるオーディンは、悔しそうに歯を食い縛りつつ、呟く。

 

 

「巨大な狼の怪物……おのれ、ロキの息子のフェンリルだな。して、奴はどこへ」

 

「フェンリルはロキを連れたまま、ヴィーグリーズに逃げました。恐らくそこで巨人の軍勢と合流し、攻め込んでくるつもりなのでしょう……」

 

 

 衛兵の報告に歯を食いしばるオーディンだったが、俺は嫌な予感を感じて仕方が無かった。このクエストのモデルである北欧神話では、ロキの息子であるフェンリルとオーディンは、ラグナロクという大戦の時に一騎打ちで戦うのだが、オーディンはそこでフェンリルに敗北し、死してしまう。そしてそのオーディンとフェンリルの決戦地が、ヴィーグリーズという場所だ。

 

 もし、このクエストの展開が本当に北欧神話通りとなっているのであれば、オーディンはフェンリルの討伐へ向かい、そのまま死する事になるだろう。そしてこういう展開になったからには、きっと……と予想しようとしたその時に、オーディンは立ち上がり、俺達に顔を向けてきた。

 

 

「皆の者、急な事になってしまったが、ついに決着の時が来たのだ。これまでの備えの全てをぶつけてロキ及び巨人の軍勢を討伐し、世界に平穏を取り戻す! ロキの軍への迎撃体制の準備、進軍への準備を至急、開始せよ!」

 

 

 部屋の中全体に響き渡るくらいの、オーディンの高らかな号令を聞いた周りの衛兵達は「はっ!」と言って一斉に出入り口の方へ向かって走っていった。流石北欧神話の主神であり軍神であるオーディンだ、号令の仕方などはまさに戦闘指揮官そのもので、まるでSAOの時に血盟騎士団のボスをやっていた時の俺、聖竜連合のボスだった時のディアベルのようだった。

 

 そのオーディンが周りの衛兵達の動きを見ている隙に、リランとシノンが話しかけてきた。

 

 

「何やら大事になってきたようだな」

 

「あぁ。オーディンとかロキとかが出て来てるだけあるよ。これ多分、グランドクエスト並みの壮大さだぜ」

 

「けど、北欧神話だと確か、オーディンはフェンリルに――」

 

 

 俺の知識の持ち主であるシノンが呟いた次の瞬間、衛兵達を全て送り出した軍神が、俺達の元へと顔を向け、大きな声を出した。

 

 

(わし)はこれよりヴィーグリーズに赴き、ロキとの決着を付ける。妖精達よ、どうか儂に続き、ロキと戦ってくれぬか。強き力を持つ者達はロキに誑かされない……お前達には、相当な力があると見ているのだ」

 

「そう来ると思ったけれど、本当にロキ達と戦うつもりなのか。ロキの軍勢は、かなりの数と勢力なんだろう。アース神族で勝てる相手なのかよ」

 

「勝てるとも。ロキの軍勢はあくまでロキが最高指揮だ。ロキが討たれれば瓦解し、戦況は一気にアース神族側へと傾く。ロキさえ倒せれば、いいのだ」

 

「そしてあんたはロキとフェンリルと戦うつもりでいて、その手伝いを私達にしろと頼んでいるというわけなのね」

 

「そういう事だ。妖精達よ、どうか手を貸してくれ。ロキを亡き者に出来た暁には、お前達に莫大な富と力を授けよう」

 

 

 恐らくこの先の展開は、このオーディンと共にロキとフェンリルへ挑み、討伐するというものだろう。そしてオーディンがこう言っているからには、その成功報酬こそが、リランの進化アイテムとなるはずだ。例えそうでなくても、簡単には手に入れる事の出来ない激レアアイテムが手に入るのだろうが、どうかリランの進化媒体であってもらいたい。

 

 

「いいだろう。その頼み、引き受けたぜ」

 

「やっとあのロキを討伐できるのね。やる気が出て来たわ」

 

「ありがとう、妖精達よ。では、ヴィーグリーズへ向かうぞ!」

 

 

 俺達に礼を言ったオーディンが突然腕を掲げると、俺達と自らの下に巨大な魔法陣が出現し、強い光を放ち始めた。罠に嵌められたかと錯覚するような出来事を目にしたシノンが驚きながら、ナビゲートピクシーの姿となっているクィネラに言う。

 

 

「ちょっと、これは何なのよクィネラ!?」

 

「転移魔法陣だよ! キリトにいさま達、これから別なところに転送されるよ!」

 

「という事は、次の行先はヴィーグリーズか……すぐに戦闘になりそうだな。皆、気を付けろよ!」

 

 

 全員に伝えた次の瞬間、俺達を転移門を潜った時と同じ青い球体上の光が包み込み、視界が青一色に染まって、その他のものが何も見えなくなった。転移門を使ったわけでもないのに、このような事になったからには、ボス戦以外にありえない。

 

 間違いなく、この転移が終わった時には、すぐにボス戦となるだろう――そんな事を考えながら青い光を見つめていると、数秒後に青い光が止み、転移が終了した。

 

 そのまま周囲を見回してみたところ、木も何もない、だだっ広い平原の真ん中のようなところにいる事がわかり、同時に空が異様な黒紫色に染まっているのも確認できた。俺と同じように武器を構えつつ周囲を見回しながら、リランが呟く。

 

 

「ここは一体……どこだ」

 

「こここそが、ヴィーグリーズだ。ここに飛べたという事は、本当にこの近くにロキがいるという事なのだな」

 

 

 俺達を転移させた張本人であるオーディンは、俺達に言葉を伝えた直後にある方向に顔を向けて、何かに気付いたような声を出した。誘われるように視線を向けてみれば、少し遠くから何かが走ってくるのが見えたが、それは瞬く間に俺達の元へと近付いてきて、見つけた五秒後くらいに俺達の近くに到達し、その姿をはっきりと見せつけた。

 

 狼竜形態の時のリランよりも一回り大きい巨体を持ち、発達した筋肉で構成された身体を黒と白の毛に包み込み、龍のそれを思わせる大きな黒い角を耳の上に生やした狼。そしてその狼の背中には、赤とオレンジ色のローブ状の服を着込み、つばの広い帽子を深くかぶった青年の姿。間違いなく、先程牢獄の中で見たロキだった。

 

 

「こいつは、ロキ……!!」

 

「現れたな、ロキよ」

 

 

 リランとオーディンが言うと、息を荒くしている巨大な狼の背中から、ロキはするりと降りてきて、目元の見えない顔を俺達へ向け、ふふんと笑った。牢獄で見たあの時と同じような、異様な余裕を感じさせる笑い方だ。

 

 

「妖精の皆さん、また会ったねぇ」

 

「ロキ……よく脱獄出来たもんだな」

 

「あぁ、君達の力は必要なかったよ。俺の息子のフェンリルが、こうして助けてくれたんだ。というか、今回はオーディンも一緒かぁ」

 

 

 その姿を見た時からそうではないかと思っていたが、やはりこの巨狼はロキの息子であるフェンリルであるらしい。ALOでのフェンリルはどのようなモンスターなのかと、名前を聞いた時から想像していたけれど、こうして目の前に現れたフェンリルは、概ね俺のイメージでのフェンリルと似ていて、あの牢獄を破壊する事など容易い事だったのだと簡単に思えるくらいに、力強さを感じさせる姿をしていた。

 

 元は神話構想の中から生まれ、今は作品によって様々な姿になる狼の怪物に注目する俺達の隣で、因縁の相手を目の前にしたオーディンが力強く言った。

 

 

「ロキ、もう逃がさぬぞ。ここで亡き者にしてくれるわ」

 

「やれやれ、出会って早々それなの。けど、オレには世界をリセットするっていう計画があるからさ、ここで亡き者にされるわけにはいかないんだよねぇ」

 

 

 如何にも悪役らしい事を言ったロキだが、その言葉に俺は首を傾げる。ロキの目的はオーディンの言っていたとおり、世界を滅ぼす事のようだが、具体的なその理由などが読めない。

 

 

「世界をリセットだと? 何のためにそんな事をするんだよ。新たな世界の王にでもなる気か」

 

「まさかぁ、そうじゃないよ。ただ単に、神のいなくなった世界がどうなのかを見てみたいだけなんだよ。本当にただの学術的興味さ」

 

「学術的興味? あんたみたいな決められた言葉しか喋れないAIに、学術的興味なんかあるわけないでしょ」

 

 

 腕組みをしながら得意気に言うシノン。

 

 確かに俺達の目の前にいるあのロキと、近くにいるこのオーディンは、感情を持っているかのように喋っているけれども、制作者達が決めたシナリオ通りの感情を抱いて、決められた言葉を喋っているだけで、自ら考えて喋る事も出来なければ、本物の感情を持っているわけでもない。

 

 何か行動を起こしても、それはあらかじめ設定された事、決められた事であり、自らの意志で感情を抱く事も出来なければ、命令された以外の事も出来ない、感情も処理能力も、リランよりも何もかもがずっと劣っているAI達だ。

 

 恐らく、リランに少しでも自信を付けてもらいたくて言ったのだろうが、リランは何も気にすることなく、ロキを睨んでいるだけだった。そして言われた張本人であるロキは、ある程度首を傾げた後に、俺達へと向き直った。

 

 

「とにかくさ、オレには今言った重要な役目があるんだよ。だから、オレの邪魔をしようとしてる君達の方が、亡き者になるんだよ」

 

「戯言を。お前が儂らに勝つ事などありえぬ。どれほどの巨人の群れを率いようと、だ」

 

「やれやれ、相変わらず変な自信だけは妙にあるんだね、オーディンって。けど、本当にあんたの言う通りになるのかな」

 

 

 オーディンが「何?」と小さく言うと、ロキは息子である巨狼へ向き直る。次の瞬間、ロキの身体が紫色の光に包み込まれていき、徐々にその形が光球へと変わっていく。ロキの突然変化と、光になっていくその姿を目にしたオーディンが、驚きの声を上げる。

 

 

「ロキ!? 何をするつもりだ」

 

「オレの計画を邪魔しようとしてる君達を、オレは生かしちゃおけないんだよ。だから、ちょっとフェンリルの身体を借りるんだ」

 

 

 その言葉を最後に、ロキの身体は紫色の大きな光球へ変わる。間もなくして、光球となったロキは高速で周囲を飛び回り、俺達の注意を誘った後に、実の息子であるフェンリルの身体へ飛び込んだ。紫色の光球は瞬時にフェンリルの身体に取り込まれて消え、フェンリルは息を荒くしていた事も忘れたかのように、ぴたりと動かなくなる。

 

 

「なんだ、何が起こるんだ!?」

 

「気を付けて、キリトにいさま!」

 

 

 耳に届けられたクィネラの注意勧告に頷く。俺はてっきり、このロキとフェンリルと戦う展開を予想していたけれども、ロキは自らを変化させてフェンリルの身体へ吸収された。モンスターが何かを吸収した時には、必ずと言っていいほど何かしらの変化が起き、《使い魔》がそれを行った場合には、進化が起きる。

 

 まさかこのフェンリルは、俺以外の《ビーストテイマー》の使役する《使い魔》のように、進化しようとしているのではないのか――そう思っていると、ロキを取り込んだ、もしくはロキに憑依されたフェンリルの身体は、ロキが変化させたものと同じ紫色の光に包み込まれ始め、それから三秒程度でフェンリルの全身が紫色の巨大な光球へ変わる。

 

 

「なんだ、何が起こるのだ!?」

 

「猛烈な邪気を感じる……気を付けろ、妖精達よ!」

 

 

 慌てたリランと、何かを察したオーディンの声が発せられた次の瞬間、紫色の巨大な光球は黒紫色の猛烈な閃光を放ち、辺りをその色へと染め上げた。あまりの強さの光に目を腕で覆いつつ閉じて耐え、光が止んだ数秒後に視線を戻したそこで、俺達は言葉を失う事になった。

 

 先程までロキの息子である巨狼がいた俺達の目の前には今、強靭な狼の下半身と少し痩せた人間のそれのような上半身、ドラゴンのように長い尻尾と狼の輪郭を持って、目の上から前方へ歪曲した一対の角、耳の上から後部へと伸びた長い角を、背中からは猛禽類のそれに似ている、腰からはドラゴンのそれによく似た黒くて巨大な翼を生やし、頭に狼の頭蓋骨のような外殻を、全身を漆黒の甲殻と鱗に身を包みつつも、ところどころに黒い毛を生やした、異形の狼龍の姿があった。

 

 そればかりか、つい先ほどまで平原の真ん中であった俺達の周囲は、いつの間にか黒紫色で構成された異空間のようなところへと変わっている。

 

 

「な、なんだこれ……なんなんだよ、これ!?」

 

「まさか、これがフェンリルだっていうの!?」

 

《流石はフェンリル、オレの息子なだけあるよ。オレの力との相性、ばっちりじゃん!》

 

 

 シノンと二人で驚いたその時に、頭の中にリランものではない《声》が届けられてきた。その声色がついさっきまで聞こえていたロキのそれに酷似しているのがわかった事で、目の前の悪魔の如き姿をした異形の狼龍の正体が、フェンリルと融合する事に成功したロキである事に気付く。

 

 

「ロキ、貴様、実の息子を……!!」

 

《どうだよオーディン、これがアース神族を滅ぼすオレの姿だよ。オレの事は今、ヴァナルガンドとでも言ってくれればいいかな》

 

 

 楽しそうなロキの声で語られたヴァナルガンドという言葉は、北欧神話の原典に登場する言葉の一つであり、破壊の杖という意味を持つ、ロキの息子であるフェンリルの別名だ。

 

 如何にも禍々しき存在の名前であると思えるようなそれが、フェンリルの別名である事を初めて知った時、俺は巨狼フェンリルに与えるには有り余るものではないかと思ったし、フェンリルという名前を冠した怪物達のイラストやグラフィックを目にして、これらがヴァナルガンドと名乗っていた場合はどうだったのかと想像しても、全くしっくりこなかった。

 

 そんな巨狼では持て余すような名前を、目の前にいる異形の狼龍は冠しているのだが、妙にしっくりくる。フェンリルという巨狼の姿では持て余す名前も、異形の狼龍という姿になったならば、持て余さない。そして異形の狼龍も元はフェンリルであるため、フェンリルの別名が付いていても的外れでない。

 

 ALOスタッフは良く考えて、あんなモンスターを想像したものだ――そう思った束の間、ヴァナルガンドと名乗った異形の狼龍の上部に、ボスモンスターである事を証明する《HPバー》が五本出現し、そのすぐ上に《Vanargand》という単語が続けて出現。それを見た俺達は、一斉に武器を構える。

 

 

「ヴァナルガンド……これがこのクエストのボスか!」

 

「ロキめ、もうただでは済まさんぞ。妖精達よ、共にこのヴァナルガンドを討つぞ!!」

 

 

 オーディンはそう言いつつ、手元に三つ叉の大槍(トライデント)を構える。金色の柄と、複雑な紋様が刻まれている白金の三つ叉刀身、そして持ち主がオーディンという点から、俺達はオーディンの持つ槍が北欧神話で最も有名と言える武器、《神槍グングニル》である事を把握し、更にオーディンがNPCとして俺達のパーティメンバーに加入している事に気付く。

 

 このALOには、全てを管理しているカーディナルシステムが持つクエスト自動作成プログラムによって、様々な種類のクエストが絶え間なく作り出され続けているのだが、その中にはNPCが一時的にパーティメンバーとなって、一緒に攻略や戦闘に臨んでくれる事のあるクエストも存在する。どうやら俺達が今受注しているクエストもそれの一つだったようで、オーディンが一時的にパーティメンバーになってくれるようになっていたようだ。

 

 これまでは平面の世界でしか見る事の出来なかった、グングニルを持つオーディンの姿を、本物の立体で見る事が出来、しかも一時的なパーティメンバーになってくれるという感動的な光景を目にしたあまり、俺はオーディンを注視する事に夢中になってしまったが、すぐさまかけられてきた声によって我に返り、声の発生源であるリランに向き直った。

 

 

「キリト、我はどうするのだ。我は、どうすれば……!?」

 

 

 いつもならば意志と力強さ、余裕を感じさせてくれるリランの紅い瞳は今、小刻みに揺れて、眉毛は八の字になっている。《使い魔》としての機能なのか、それとも本来持っている力なのか、リランは敵対するモンスターの姿を見るだけで、そのモンスターの強さを感覚的に把握する事が出来る。

 

 あのヴァナルガンドが自分よりも遥かに強いモンスターである事をその機能によって把握したが故に、リランはヴァナルガンドが自分で勝てる相手なのか判断できず、戸惑っているのだ。しかもリランは今、いつもの自信も強さも失い、不安を抱き続けている状態だから、尚更その戸惑いに拍車がかかっているのだろう。

 

 

 確かに、俺達がやっているクエストは超高難度クエストであり、たった今相手にする事になったヴァナルガンドもこれまでのモンスターとは比較にならないくらいの威圧感や気配を放っているため、エリアボスを攻略するよりも厳しい戦いとなるのが目に見えるし、本当に俺達の実力で勝てる相手、クリアできるクエストなのかだって未知数だ。もしかしたら、このクエストは俺達が挑むには早いクエストであったのかもしれない。

 

 けれど、俺達は皆に攻略を任せてここまで来たし、目の前にヴァナルガンドが居て、俺達のパーティーメンバーの中にオーディンが加わっているという事は、このヴァナルガンドとの戦いに挑み、勝利するしか選択肢が存在しないという事だ。

 

 このヴァナルガンドを倒した後に何が手に入るのかもわからないし、それがリランを進化させてくれるアイテムなのかもわからない。わからない事で溢れかえっているけれども、ここまで来てしまったからには、もう後戻りをするわけにはいかないのだ。

 

 

「リラン……怖いかもしれないし、不安かもしれないけど、ドラゴンになってくれ。あいつを討つには、お前の力が必要なんだ」

 

「だが、あいつは我よりも強いモンスターだ。我で勝てる相手なのかと言われたら……」

 

「乗り越える必要のあるものは、いずれにしても乗り越えなければいけないし、恐れる事無く挑む事自体に意味がある。……お前、いつもそんな事を俺達に教えてくれたじゃないか。お前が乗り越えるべき壁に立ち向かえないで、どうするんだ」

 

「……」

 

「このクエストさえクリアできれば、お前の進化触媒が手に入るはずなんだ。ここで立ち向かえないようじゃ、お前はずっと弱いままで、俺の事を守れないままになるぞ」

 

 

 俺がシノン/詩乃を常に守ろうとしているのと同じように、リランもまた、俺の事を守ろうとしてくれていて、主人を守る《使い魔》である事を使命としていて、その果たし終わる事のない使命を果たし続けるために、リランは俺の《使い魔》として一緒に戦い続けているのだ。その事を思い出したかのように、リランがかっと顔を上げ、ハッとしたような表情をする。

 

 

「リラン、お前は俺の最高の《使い魔》、唯一無二の相棒で、俺はお前の主人だ。俺を守ってくれるつもりで、守れる力が欲しいなら、本気でほしいなら、ここで戦うしかないんだよ。だから……頼む」

 

「キリト……」

 

 

 直後、リランは俺から目を逸らして、自らの右隣に顔を向けた。同じように視線を向けてみたところ、そこにあったのはリランの肩に手を置いているシノンの姿。その手にはリズベットに作ってもらった、高火力を叩き出す弓も持たされている。

 

 

「確かに不安かもしれないわ。けれど、あんたはそれでもずっと戦い続けてきて、どんなモンスターにも打ち勝ってきた。それにあんたには私とキリト、クィネラだっているのだから、あんな奴に何か負けないわ」

 

「そうだよリランおねえさま。リランおねえさまはわたしの最強のおねえさまなんだから、あんなのになんか負けないよ。わたしも精一杯ナビゲートするから!」

 

 

 親しき友人と妹の一人に言われてから、リランはもう一度俺に向き直る。もし、リランが一人で戦うのだったならば無理があったかもしれないし、あの異形の狼龍に勝てる見込みもなかったかもしれない。けれどリランは、そうではない。

 

 

「リラン、お前は一人じゃない。お前には俺達がいるんだ。だから、大丈夫だ」

 

 

 思っていた事を全て打ち明けると、リランはもう一度下を向いたが、すぐに何かに気付いたように顔を上げた。そこには少しだけ自信の感じられる笑みが、浮かんでいる。

 

 

「……この前の戦いも、お前達と手を合わせたから勝てたのだったな。そしてお前達がそう言うのならば、今回もそれが現実となりそうだ」

 

 

 リランは一言そう言うと、俺達とヴァナルガンドの間まで歩みを進め、立ち止まる。次の瞬間、リランの全身がロキの時とはまた違う白金色の光に包み込まれ、その強さは周囲が真っ白に染め上げるくらいにまでになり、俺達の視界を塞いだ。

 

 その光が止んだその時、俺達と敵の間にいた少女は、全身を白金色の鎧のような甲殻と毛に包み込み、背中と腰から一対の翼を、狼の輪郭を持つ頭部に長い金色の鬣を、耳の上から紅い金属質の角を、額から大剣のような形状の角を生やした、狼龍に姿を変えていた。

 

 普段は狼耳と尻尾が特徴的な人狼少女の姿をしているリランの、俺の《使い魔》としての姿。

 

 

《ロキとやら、お前は神話の神の一体だと聞くが、我の主人と友人は神を超えた事のある酔狂な馬鹿者だ。お前が決して勝てぬという事を、お前が我より劣っている事を教え込んでやる!》

 

 

 初老の女性のような《声》でロキを罵ったリランの項に、俺は勢いよく飛び乗り、跨った。目線が一気に高い位置となり、リランの持つ獣と炎の臭い、生物特有の脈動が足の辺りから全身に向けて広がってくるようになる。

 

 人と竜が一体になって戦う、《人竜一体》を成し遂げた俺は、剣を抜きはらいつつ、リランの毛をしっかりと掴んだ。

 

 

「行くぞリラン! このクエストを、乗り越えるぞッ!!」

 

《神話の神よ! 我らのような馬鹿者に出会った事を後悔するがいい!!》

 

 

 リランの力強い咆吼が異空間に響き渡った直後に、魔狼龍ヴァナルガンドとの戦闘は開始された。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。