「ほんっとに、ごめんなさい、キリト君!」
俺達はアスナを家に招待し、要求通りアスナに料理を作らせたが、そこで驚くべき出来事に出くわした。アスナの料理スキル熟練度が既に最大値に到達し、カンストしていたのだ。
スキル熟練度は、スキルを使用する度にほんの少しずつ上昇していくようになっており、最大値に達させるには気が遠くなるほどの数のスキルの仕様と時間が必要になる。てっきりアスナの事だから戦闘以外のスキルなんか上げてないって思ってたけど、酔狂にも料理スキル熟練度を上昇させ続け、最大値に到達させていたとは。
俺ですら、片手剣スキルと索敵スキル、武器防御スキルの三つをカンスト、隠蔽スキルを700以上といった戦闘系のカスタマイズにしているのに、アスナは戦闘をこなしながらも料理なんて言う職人スキルに情熱を注ぎこんでいたのだ。馬鹿じゃないのかといいそうになってしまったけれど、何とか言葉を呑み込んで黙った。
そして、どうしてアスナがリランと一緒に居たお礼に料理を作るというのを選んだのか、わかった気がした。料理ならば俺もリランも、そしてシノンも味わう事が出来るから、よい選択だ。
やがてアスナをログハウスに招待し、キッチンに案内したところで、アスナは自分が作れる料理をウインドウに表示し、俺達に見せつけてきた。
料理スキル熟練度最大のアスナの作る料理は本当に色とりどりで、カレーやシチューなどの家庭的な料理から、タコスなどのメキシコ料理、ソーセージを使ったドイツ料理、様々な食材を用いて作る貴族風なフランス料理、高級料理店で目にするようなイタリア料理、果ては蕎麦や寿司や味噌汁などの和食まで、もう万能料理店を開いてもいいんじゃないかと思えるくらいに、メニューもレパートリーも豊富だった。
料理スキルを上げるとここまでできるのかと、シノンはアスナに瞠目しっぱなしだった。
俺とシノンとリランの三人は目を丸くしながらアスナの料理メニューを聞き、とりあえず和食を作ってみてくれと注文。承ったアスナは普段シノンが使っているキッチンを一時的に占拠し、非常に慣れた手つきで調理を開始した。
そしてそれから20分も経たないうちに、キッチンのテーブルに座った俺達の前に、見慣れた和食がアスナの手によって2つ運ばれてきた。
三種類の魚の刺身と山葵醤油、豆腐と葱と
この世界に閉じ込められてからは、黒パンやシチュー、カレーライスとかこんがり肉とか、そういった西洋のメニューしか食べてこなかったから、こういう完全なる和食の姿を見るのは1年ぶりだ。
……その横で、「何でそんなに目を輝かせてるのよ」と、SAOに入り込んでまだ間もないシノンが目を半開きにしていたが、それすらも気にならないくらいに、俺はこの和食の姿に感動していた。この感動はきっと、ずっと和食から遠ざけられていた者しかわからないものだ。
――いただきます。両手を合わせて唱えた後に端を取り、アスナの作ってくれた、SAO初の和食の内、刺身に醤油と山葵を付けて口に運ぶ。
山葵のつんとした香りと、魚の脂の味、そして醤油の香ばしい味が、舌と鼻を突き抜けた瞬間、あまりに懐かしい香りと味に思わず泣きそうになった。今まで洋食の味しか感知していなかった味覚センサーが、懐かしき和食の味を感知して震えているように感じた。
このゲームでは基本的に洋食だから、和食を作ろうとするのはとても難しいと聞いていた。いや、そう言っていたのはシノンなのだが、シノンによると、料理のための調味料は素材の配合によって作る事が出来るが、どうやっても洋食用の調味料にしかなってくれないものらしい。
だから醤油や山葵といった和食に使う調味料を作るのは無理ではないかと言っていたが、アスナはそれさえも再現してしまっている。
これが料理スキル熟練度カンストのプレイヤーだけが成せるものなのか、そう尋ねると、アスナは答えてくれた。なんでも、この醤油や山葵の味のする調味料は、調味料を作るべく様々な素材を配合し続けた結果、偶然生まれたものらしい。本人も醤油や山葵の味が恋しくなり、無我夢中で配合を続けた結果、生まれてくれた醤油と山葵の味にさぞかし感動したそうだ。
他にも、マヨネーズやウスターソースなど、和食にも洋食にも使える調味料を開発する事に成功し、これらを使った料理を再現する事も出来たそうだ。
そんな話を小耳にはさみながら和食を食べ進めていると、その横でシノンが、その調味料の作り方を教えてくれないかと依頼。アスナは快く承り、シノンに様々な調味料の作り方が書かれたメモのコピーを渡した。
これでまた和食が食べられるわよ、そうシノンに言われて、俺の心は躍った。が、それよりも驚きだったのは、あんなに堅苦しかったアスナがやんわりと接してくるようになったという事だ。
多分前までのアスナじゃ、こんなふうに料理を作ってくれる事もなかっただろうし、シノンの頼みも引き受けてくれなかっただろう。やはり、閃光のアスナはリランによって死に、元のアスナになったんだと、よくわかった。
そして、懐かしき和食を堪能し、完食したその時に、アスナは俺にいきなり頭を下げた。
「ほんっとに、ごめんなさい、キリト君!」
「い、いきなりどうしたんだよ」
「わたし、君とリランに戦ってほしいって思ってた時、完全に君とリランの気持ちを無視してた。自分の事ばかり、攻略の効率ばかり考えてて、あんなひどい事を言っちゃった……」
多分、リランと初めて会った時の事を言っているんだろう。まぁあの時のアスナは様々な柵に身体を縛り付けられ、追い詰められていたんだ。あんな事を言ってしまっても、無理はなかったのかもしれない。
「大丈夫さ。俺達だってせっかくの攻略のための力を振るわずにここまで来てしまった。俺達が攻略に参加していれば、きっともっと早く上の層まで行けていたはずだ。俺達は攻略をさぼってたようなものだ」
「そんな事ないよ。キリト君はリランに心がある事をしっかり理解したうえで、リランに無理させないようにしてた。私はそれを蔑にして、君達に戦え、戦えって……」
シノンがテーブルに肘をつく。
「まぁ確かにあの時のアスナの言動は褒められた物ではなかったわ。だけど、アスナがあぁなってた原因を作ったのは全部外部。あんたは周りの連中に操られていたようなものじゃないの」
アスナの目が丸くなり、俺とシノンに交互に向けられる。
「え、キリト君達もあの時の話を聞いてたの?」
思わず二人でびくりとしてしまった。そうだ、あの時は隠蔽スキルを使って、ひっそりこっそり盗み聞きをしていたから……アスナは俺達が聞いていた事を知らないんだった。
「ごめんアスナ。実はあの時のアスナとリランの会話、俺達も聞いてたんだ」
「ど、どうやって? あの時、周りを見ても誰もいなかったし、リラン以外の気配は感じなかったのに」
その時に、俺はアスナの欠点を見つけた。アスナは戦闘能力関連のスキルと料理スキルを上げていたけれど、その代わりに索敵スキルや隠蔽スキルを上げたりしていなかったんだ。結果、アスナはあの時の隠蔽スキルを使う俺達を見つける事は出来なかった。
「隠蔽スキルを使って隠れていたのよ。まさか本当に気付いていなかったなんて」
シノンが苦笑いすると、アスナの顔が少し赤くなった。
「ず、ずるいよ貴方達―!」
「だけど、君の本当の気持ちが聞けて良かったよ。どうして俺達の力を使おうとしていたのか、君がどういった経緯であんな行動に出がちだったのか……アスナもかなり辛い目に遭ってたんだな」
アスナはきょとんとした後に、俯いた。
「このゲームがデスゲームだって言われた事と、帰らなきゃ父さんと母さんの期待に応えられないって事、でも父さんと母さんのところには帰りたくないって事と……もう色々あって、わけがわからなくなってた。気が付けば、攻略に赴いたり、攻略の事以外考えられなくなってたりして、もうぐちゃぐちゃだったわ」
リランが俺の肩に飛び乗り、顔をアスナに向ける。
《言っただろう、もう親の期待に必要以上に答える必要はないと。お前の両親はお前に失望しているのではなく、自分の名声が無くなってしまう事に失望しているのだ。それこそ、自分の名声を上げる事が出来るならば、お前そっくりの
アスナは首を横に振った。
「そうじゃないの、そうじゃないのリラン。父さんは、そんなふうじゃないの」
思わず首を傾げる。父さんはそうじゃない?
「それってどういう事なんだ」
「父さんは、私にエリートじゃなくてもいいって言ってくれてるの。でも、それを無理矢理押さえつけてるのが母さんなの。母さん……ものすごくエリート思考で、何でもかんでも縛り付けて……時には父さんさえも……」
シノンの顔が曇る。
「という事は、あんたをあんなふうにして、あんたを混乱させる原因を作ったのはやはりあんたのおかあさんだったのね。話を聞く限りそんな事だろうとは思ってたけれど」
「でも、母さんもすごく辛い目に遭ったみたいなのよ。母さんは学者だけど、出身は農家で……親戚が集まる時とか、すごく蔑まれたり、馬鹿にされたりしたみたいなの」
アスナが母親の素性すら話し始めた事に思わず驚く。このアインクラッドでは家庭の事などを話したりするのはNGなのだが……多分アスナもずっと心の中に仕舞い込み続けて、話せる相手を探していたに違いない。ここは素性とか家庭の事を話すのはNGだという事はやめて、素直に聞こう。
「つまり、そういう連中を見返すために、君の母さんは君の事をエリートに?」
「多分そうだと思う。アスナがアスナのおかあさんみたいな有名人になれば、アスナを育てたアスナのおかあさんも再評価される。天才を生み出した天才として……もう蔑まれる事も、馬鹿にされる事もなくなる……そう考えてるんじゃないかしら」
アスナが「そうなのかもしれない」と答える。
やはり、アスナの母さんも閃光のアスナみたいに苦しんでいる人なんだ。蔑まれたり、馬鹿にされるのが嫌で、そういう連中を黙らせるためにアスナをエリートに育て上げようとしているんだ。アスナの権利や気持ちを完全に無視して。
《くだらぬ。アスナはアスナだ……母親の名声を上げるための道具ではないのだぞ》
「きっとそういう事も見えなくなってるんだろうな……それこそ、この世界を見れなくなっていたさっきまでのアスナみたいに」
「子が子なら、親も親ってところね」
アスナが顔を上げて、不安そうな表情を浮かべてリランに声をかける。
「ねぇリラン。この状況どうにかならないのかな……母さんが苦しんでいるところも見たくないけれど、このままエリートで進むのは、正直嫌」
《お前がエリートでいるのが嫌だと思っているのは身を持って理解しているよ。それに、お前はエリートであらねばならないとか言うのは、お前の母親の独り善がりだ。独り善がりは、いつか身を滅ぼしてしまうだろう》
ふと頭の中で思考を巡らせる。アスナの母さんの状態はきっと、閃光のアスナと同じような状態だ。蔑まれたくない、馬鹿にされたくないという一心で、アスナをエリートにする事に必死になりすぎて、周りを、娘の事を見る事が出来なくなってしまっている。あの嫌がりようを見るに、アスナはエリートでいる事を心底嫌がっているし、何よりこのままじゃアスナはまた心を擦り減らしてしまう。
それだけじゃない、アスナの母さんだって、そんな事を考えていたら、心を擦り減らしてしまう一方だ。どうにかしてやめさせてやらないと、いつか両者の持たない日が来る。
「どうにかアスナの母さんを止めないとだな。だけどどうするんだ。周りの意見も聞かないでアスナにそういう事を強いてるって事は、かなり頑固だって思えるぞ」
「確かに、母さんは頑固かも……そうそう人の話を聞いたりしないし……」
シノンが困ったような表情でリランに顔を向ける。
「アスナはリランの手でなんとかなった。ナーヴギアがあればこの世界に入り込んで、リランに会う事が出来るから、アスナの母さんをどうにかこの世界に入れ込んで、リランに会わせればうまくいきそうな気がするけれど」
「ナーヴギアはもう発売中止で、この世界に入り込む方法はないんだろう。それにリランがこんなふうな形をしている限りは、話を聞いてくれるのも難しいんじゃないか? アスナの母さんは、自分の名声向上のためのアスナをこの世界を通じて失ったわけだからさ」
シノンが「そうよねぇ」と言って椅子に大きく寄りかかる。
だけど確実にアスナの母さんは止めないと駄目だ。アスナの話を聞く限りじゃ、アスナの母さんもいつか壊れてしまう日が来る。
《だが、お前はもうこの世界を偽り……まぁ偽りの世界ではあるかもしれないが、この世界を感じる事が出来るようにはなったはずだ》
アスナは頷き、リランの背中に手を当てる。
「本当にそのとおりだわ。今日22層を貴方と歩いたけれど、この世界ってここまで輝いているものだったのね。そして貴方はそんなに豊かな心を持つ存在だった」
アスナの顔がリランから俺に向け直された。
「そんなリランと一緒に、貴方はこの世界を生きていたのね、キリト君」
確かに俺もこのゲームが始まった時には、この世界なんかただのデータの塊でしかないと思っていたけれど、人の死に直面した事と、リランと出会って一緒に過ごした事で、この世界はもう一つの現実であり、この世界の住人達ーー俺達プレイヤーを含めたそれはこの世界でしっかりと生きている事を実感した。
「まぁアスナの言ってた事は真実だった。この世界は確かにゲームだし、周りのものだってただのデータの塊でしかないよ」
「でも、製作者は言っていたね、このゲームはゲームだけど遊びじゃないって」
「そうだ。だからここで死ねば現実でも死ぬことになるし、リランが死ねば、リランと同じ奴は現れない。痛みも感じないし傷を負ったりする事もないけど、疲れるし、こうやって料理を食べて味を感じる事も出来るんだ」
シノンが頷く。
「これはもう生きているのと同じだと言えるわね。同時に、この世界に存在するものを蔑ろにするような事をしてはいけないと感じ取る事が出来るはずよ」
アスナはリランの背を撫でつつ、この世界の存在を蔑ろにしていた事を思い出しているように、悲しそうな表情を浮かべる。
「私はずっと自分の事ばかり考えて攻略に打ち込んでいたわ。私が攻略の鬼だとか、閃光のアスナとかそういうふうに呼ばれてたのはきっと、独り善がりに狂っているように見えていたからなんでしょうね」
いや、アスナが攻略の鬼と呼ばれていたのは、アスナがまるで鬼教官の如く攻略を進めていたからで、閃光のアスナって呼ばれてたのは、アスナの剣捌きがあまりにも見事なものだったからであって、別に皮肉や侮蔑の意味はなかったはずだが。
だけど、自分の事ばかり考えて攻略を進めようとする閃光のアスナは先程リランの灼熱ビームを浴びて死んだから、もうどこにもいない。
「だけど、閃光のアスナは死んだ。アスナはこれからどうしたい?」
アスナの顔が夕焼けに染まる窓の外へ向けられた。
「やっぱりこの世界にいつまでもいるわけにはいかないから、攻略は続ける。だけど今までみたいな超ハイペースとかはやめるし、もっとこの世界を楽しみたいわ。わかってもらうのには時間がかかるかもしれないけど、血盟騎士団のみんなにも、この世界をもっと感じてもらいたいって思ってる」
アスナの目からはあの鋭い眼光は消え去り、代わりに穏やかで優しい光が蓄えられていた。声色もどこか柔らかく感じる。もう、アスナは攻略の鬼じゃなくなったんだ。
そんなアスナを見つめながら、シノンは苦笑いした。
「だけど、さっきまで攻略の鬼だったアスナが急に穏やかになって帰ってきたら、血盟騎士団の連中もビックリして混乱するでしょうね」
「いや、混乱していいんだよ。血盟騎士団は攻略組の中でも強力な存在だったけれど、代わりにどこかぎすぎすしてあまりいい雰囲気とは言えなかったんだ。アスナがこの雰囲気を持ち込んで行けば、血盟騎士団の連中もアスナみたいに明るくなるはずだ」
アスナが急に困ったような顔をして言い出す。
「血盟騎士団の雰囲気をよくする努力はするわ。だけど、わたしこれでも不安な事が結構あるの。ねぇキリト君、あんな事を言った上に、我儘を言うようで本当に悪いんだけど……」
その時、俺は先程のリランの話を思い出した。なるほど、これがノーリランデー設立のお願いか。アスナの不安を取り除くべく、俺からリランが離れて一時的にアスナの傍にいる。
確かに今、アスナの心の中は大きく変化した事で新たな不安を産み出しただろう。そこでアスナの心を大きく変化させたリランを傍につけて、セラピーをさせる。
「リランを貸してほしいんだろう? 話はリランから聞いてるから、アスナが欲しくなった時に言うといいよ。一日くらいリランを貸してやる」
「え、リラン、キリト君に話してたの?」
リランは頷いて見せる。
《あぁ。お前が我に寄りかかって眠っている最中に、キリトとシノンに話しておいたし、キリトにもすでに許可を取っておいたのだ。もし我が必要なったら、その時は我はお前の傍へ行こう》
アスナはうんと頷いた後に、俺の方へ目を向け直す。
「でもキリト君はどうするの。リランのいない間は、キリト君の戦力は大幅に下がっちゃうわけだけど……」
アスナにノーリランデーの事を話そうとしたその時、シノンが割り込むように言った。
「リランがあんたのところに行った時は、キリトも攻略を休む事にしたのよ。名付けてノーリランデーってね。リランがいない間はキリトも休暇。キリトはこう見えて無理しながら攻略をしてたからね。休ませてあげなきゃいけないのよ。アスナもキリトにしっかり休んでもらいたいって思ってるなら、週1感覚でノーリランデーをやってあげなさい」
アスナは軽く驚いたような顔をした後に、俺に言う。
「そういえばキリト君はギルドに所属しないでここまでやってきたんだもんね。キリト君の活躍の話はよく小耳にはさんでいたけれど、キリト君はちゃんと休んだりしてたの。休まないで攻略を続けてると、眩暈みたいな症状が出る時があるんだけど」
思わずぎくと言ってしまった。リランとシノンと出会ってからはそんな事なくなったけれど、完全なソロで攻略やレベル上げに望んでいた時は、眩暈のような症状をよく起こしていた。――あれって休まなかったまたは休みが足りなかったから起きた事だったのか。
図星を突かれた俺を見て、シノンが軽く溜息を吐く。
「キリト……あんたその様子だとほとんど休まないで攻略に望んでたでしょ」
「あはは……全く持ってその通りでして……」
シノンは少し怒ったような顔をした。
「キリト、ノーリランデーの時は本気で休みなさい。あんただって周りの人達の希望なんだから、戦闘中に眩暈を起こしてぶっ倒れるなんて事は絶対に避けなさい。というか戦闘中にそんな事になったら死んじゃうでしょうが」
頭の中に、眩暈を起こして動けなくなった隙を突かれて敵にやられる瞬間が容易に想像される。確かにそんな死に方は絶対に嫌だ。
「……わかったよ。休むさ、しっかり休むさ」
シノンは俺から顔を逸らし、小さく口を動かす。
「その約束しっかり守りなさいよ。……っしょに……てあげるから……」
最後の部分がよく聞きとれなくて、首を傾げながら聞き返した。
「え、なに?」
「しっかり休みなさいって言ったのよ。あんたはただでさえ休み不足なんだから」
そう言って、シノンはぷいとそっぽを向いた。明らかに違ったような気がするけれど、聞いても話してくれなさそうだから、まぁいいや。
「しかしまぁ、このゲームの製作者はそんな大層な事を言ったのね。『これはゲームであって、遊びではない』なんて……」
アスナがきょとんとした様子でシノンの方へ顔を向ける。
「あれ、シノンも聞いたでしょう。はじまりの街で、開発者が自らこのゲームの事を伝えた時に……」
シノンが首を傾げる。
「え、聞いてないけれど……」
そうだ、アスナはシノンがメディキュボイドを使ってここに来た事を知らないんだった。だからシノンはこのゲームに関する知識は浅いし、このゲームで何が起きたかも熟知していない。
「実はシノンは最初からこの世界にいたわけじゃなくて、途中から入って来たっていうか、そんな感じなんだよ。だから周りのプレイヤーと比べてレベルも低いし、知識も浅い。だけど戦闘のセンスは思ったよりも高いみたいだから、攻略組に加えても問題ないと思うぜ」
アスナが「そうだったの!?」と驚くと、シノンは頷いた。
「本当はこういう事を話すのはマナー違反だけど、私達はアスナの話も聞いてしまったから、これでお相子よ。それに私、記憶が飛んじゃってるのよ」
「き、記憶が飛んでる……?」
「えぇ。この世界に来た時のせいのなのか……どうしてなのかよくわかっていないけれど、肝心な事を思い出せないでいるのよ。こっちとしては一刻も早く思い出してしまいたいところなんだけど」
アスナの顔が悲しげになる。
「そうだったんだ……そうとも知らずわたしは攻略攻略って……」
「だからそんなに自分を責めなくていいって。とにかくシノンのバトル関連のポテンシャルはかなり高めで、周りのプレイヤー達と比べても劣らないくらいだから、明日のボス戦に参加させようと思ってるんだよ。シノン自身も乗り気だしね」
アスナはシノンの方へ顔を向ける。
「本当に大丈夫なの? ボス戦は思ったより危険なものなのよ」
シノンがフッと笑う。
「危険を怖がっていたら、この城の突破なんて出来ないわ。明日のボス戦から逃げるつもりないから、よろしく」
「でも、シノンは初めてのボス戦だから、誰かにフォローしてもらいながら戦った方が……」
俺が二人の間に入るように言う。
「そこで俺とリランが入るんだよ。俺とリランでシノンをフォローしつつ戦うから、問題ないよ。アスナはアスナの事を考えて戦ってくれ」
アスナは小さく「え」と言った後に俯いて、やがて顔を上げた。
「そっか……そうなんだね。わかったわ。明日のボス戦はよろしくね」
そう言ってアスナは立ち上がり、窓の外の方へ再度顔を向けた。
「さてと、そろそろわたしは帰るとしますか。今度はわたしの家に来て頂戴ね、キリト君にシノンにリラン」
続いて俺とシノンも立ち上がる。
「わかったよ。今度向かうとする」
直後、アスナは俺に音無く歩み寄り、耳元で囁くように言った。
「……色々話してくれたのはリランだったけれど、今までずっとこの世界の事を呼びかけてくれててありがとう、キリト君」
思わず目を見開いたそのすぐ後、アスナは俺のところから離れた。驚きながら振り返ると、ログハウスの中にアスナの姿はもう、なかった。いつものメンバー構成に戻ったログハウスの中で、俺は小さく呟く。
「行っちゃったか……もう少し話がしたかったところなんだけど」
シノンが出口の方を見ながら、続けて呟く。
「でもよかったじゃないの。アスナが本来のアスナに戻れて。これでもうあんたに突っかかって来る事はなくなったと思うわ」
その時、俺はシノンの声色に違和感を感じた。シノンは感情の強い娘なのか、苛立ったり怒ったり、悲しんだり笑ったりすると声色が変わる。――今のシノンの声色は、苛立っている時のものによく似ていた。
「シノン、怒ってるのか?」
シノンは首を横に振った。
「別に怒ってないわよ。怒ってなんか、いないわよ。アスナに怒る要素なんか、どこにもないんだから……」
明らかに声は怒っていた。しかし聞いたところで何も答えそうにないので、俺はシノンに深入りするのを止めた。でも何で怒っていたんだろう、シノンは。
アスナとの和解、柔らかくなったアスナのせいで血盟騎士団の混乱。
そして次回、ボス戦及び急展開。