キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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09:闇を喰らう黒き狼 ―魔狼龍との戦い―

          ◇◇◇

 

 

 《使い魔》であるリランを進化させるアイテムを手に入れる事を目的に受けていた、ロキやオーディンが関わっているクエストを進めていく中で、俺達はついにクエストのボスモンスターであるフェンリルと出会った。しかし、フェンリルはイベントによってロキと融合して、魔狼龍ヴァナルガンドへと変化し、より強力な存在となって俺達の前に立ち塞がった。

 

 大きさも力強さも威圧感も、自らを遥かに超えている狼龍の登場に怯えたリランを立ち直らせ、俺はそのリランの背に乗り、ヴァナルガンドとの戦いを開始したが、戦況は最初から芳しくないとしか言いようがなかった。

 

 これまでのエリアボスなどとの戦いの時には、大きな岩や浮島といった、遮蔽物があるところが戦場になる事が多く、追い詰められた時や、今にもやられてしまいそうなくらいになってしまった時でも、遮蔽物などに隠れる事によって回復を図ったり、敵の様子を見る事だって出来た。

 

 しかし、俺達のいるヴァナルガンドとの戦場は黒紫色で構成された、遮蔽物も何もない異空間。身を隠せるような場所はどこにも存在せず、ただただ明るい黒紫色の空間が広がっているところで、俺達はヴァナルガンドとの戦いに挑んでいる。

 

 

「遮蔽物が何もないな。あのヴァナルガンドと正々堂々戦えって事か」

 

《キリト、先程はあぁ言ってくれたが、気を付けろ。あいつは我よりも強いモンスターだ……油断すれば我もお前も危うい》

 

「そんな事はよくわかってるよ。だけど、俺達には今回助っ人がいるから、その人も頼りにしようぜ」

 

 

 そう言って目を向けた先にいるのは、白金色と金色で構成された豪勢な鎧に身を包み、その手に猛々しい三叉槍を携えた白髪の老人。この戦闘でのみ戦闘NPCとしてパーティに加わってくれている、北欧神話の主神で、軍神であるオーディンだ。

 

 まだヴァナルガンドとの戦闘を開始して数分しか経過していないため、オーディンがどれほどの力を持っているNPCなのかは全くわかっていないが、これだけのクエストで、尚且つ北欧神話の軍神であるオーディンを元に設定がされているはずだから、きっとヴァナルガンドとの戦いに役立ってくれるはず。

 

 ヴァナルガンドの強さはきっと俺達以上なんだろうけれども、俺とリラン、シノンとオーディンの力があれば、ヴァナルガンドを倒す事も出来るはずだ。

 

 

「ロキめ、儂の手で討伐してくれるわ!!」

 

 

 白髪の軍神は咆哮しながら地を蹴り上げて、老人とは思えないような速度で魔狼龍の元へと向かい、両手で握り締めている神槍グングニルをヴァナルガンドへと突き出した。原典では狙ったものは絶対に貫くとされているグングニルの先端が、原典通りにヴァナルガンドの額に突き立てられようとしたその時に、ヴァナルガンドは大まかな形が人間のそれに似ている両前足で地を蹴り、後方へステップする事でグングニルの刃を逃れる。

 

 

「嘘、あんなに身軽に動けるの、アレ!?」

 

「デカいくせに早いのか……こいつは厄介だぞ」

 

 

 シノンが驚くのも無理はない。ヴァナルガンドは、俺達人間のプレイヤーからすればかなりの大きさと思えるようなリランの身体を上回る大きさを持っており、リランよりも鈍く動く事しか出来ないように見えるが、ヴァナルガンドの全身をよく見てみれば、リランよりも大きいその身体の構造が、かなりしなやかなそれで出来ているのがわかる。

 

 ヴァナルガンドはその身体の構造のおかげで、想像も出来ないような身軽さを発揮する事が出来るようになっているのだ。それにヴァナルガンドの背中と腰には巨大な翼が存在しているため、リランや俺達のように飛行する事も可能だろう。

 

 巨躯で身軽で、空中戦にも対応しているこのヴァナルガンドは、きっと俺達が相手にしてきたどのボスモンスターよりも強くて、エリアボスさえも凌駕するステータスを持つ、現状最強のモンスターだ。

 

 これまでのボス戦の常識が通用しないボスなど、どうやって攻略するべきか――リランの剛毛を右手で握り締めながら考えようとしたところで、ヴァナルガンドはそのしなやかな筋肉と鱗で構成された上半身を軽く持ち上げて、口から黒色の炎を吐き付けながら両手で前方を薙ぎ払い、叩きつけた。

 

 巨大で強靭な身体から繰り出される、広範囲かつ高威力な攻撃の連続は最前線にいるオーディンに襲い掛かったが、オーディンはヴァナルガンドの叩きつけ攻撃と吐き出される黒い焔の間を抜けるようにして回避。そのままヴァナルガンドの腹下に潜り込み、咄嗟に神槍でその腹を切り裂いてみせた。

 

 如何に巨大なモンスターと言えど、何かしらの攻撃を喰らえばHPが減少し、痛みによって攻撃を止めたりするようになっているから、予想外の一撃を入れられたヴァナルガンドもさぞかし驚いて、たまらず攻撃を止めるはずだ――そう頭の中で思い、ヴァナルガンドに向き直ったところで、俺は思わず驚く。

 

 

 予想外の一撃を受けたヴァナルガンドは、まるで何事もなかったかのようにオーディンを追って前足による攻撃を続けており、ブレスを吐き止める気配すらも見せない。攻撃された事もわかっていないかのように攻撃動作を続け、一動作を繰り出し終えたその直後にヴァナルガンドは飛び跳ね、攻撃を避けきったオーディンに向き直る形で着地する。

 

 その時のヴァナルガンドの《HPバー》に着目したところ、オーディンが与えたのは本当に少しのダメージと言ったところだった事が判明した。

 

 

「オーディンの攻撃、効いてるの!?」

 

「効いてはいるみたい。だけど、ヴァナルガンドの強さはオーディンのステータスを超えてるんだよ! わたし達がなにもしなかったら、オーディンはやられちゃう」

 

 

 驚くシノンに施されるクィネラからの解説を聞きながら、引き続きオーディンに向けて前足による叩き付けと薙ぎ払い攻撃を繰り出しているヴァナルガンドへ目を向ける。このクエストの原典である北欧神話の軍神オーディンは、ヴァナルガンド/フェンリルとヴィーグリーズで一騎打ちをし、苦戦の末にその牙に噛み砕かれて戦死してしまい、その仇討をオーディンの息子であるヴィーザルが果たすというふうになっている。

 

 そして俺達が相手にしているヴァナルガンドの強さがオーディンを上回っていて、尚且つオーディンの攻撃があまり効いていないという現状から考えるに、原典にあるこの設定が採用されている可能性がある。

 

 

 つまり、ヴァナルガンドとオーディンが戦ったところで、オーディンは勝てないのかもしれないのだ。しかしここは北欧神話の中そのものではなく、あくまで北欧神話をモチーフにしたゲームの中であり、オーディンとヴァナルガンドとの戦いには俺達も加わっているから、オーディンに原典通りの結末を迎えさせない事だって可能のはずなのだ。

 

 が、先程からヴァナルガンドと勇猛果敢に戦っているオーディンのステータスが、俺達に換算した時にどれくらいになるのかがわからないせいで、ヴァナルガンドの具体的な強さが読めてこない。……このクエスト自体が超高難度クエストである事から、現状最強であるという事はわかるのだが。

 

 しかし、いくらオーディンが攻撃してもダメージをあまり受けないという事に怯えて、ヴァナルガンドに攻撃しないなんていう選択肢は存在しないのだ。

 

 

《キリト、我らも行くしかないのか》

 

「当たり前だ。オーディンはあくまでNPC(すけっと)だからな。隙を見て行くぞッ!」

 

 

 号令を受けたリランは《わかった》と《声》で伝えてきて、地を轟音と共に蹴り上げてヴァナルガンドの元へと向かった。直後、オーディンは勢いよく振り下ろされてきたヴァナルガンドの左腕による攻撃を回避し、俺達とスイッチする形で後退。

 

 攻撃後に必ずしてしまうようになっているのであろう、ヴァナルガンドの一瞬の動作の停止を認めたリランはヴァナルガンドの元へ向かいつつ、勢いよくジャンプ。ほんの一瞬でヴァナルガンドの背丈を超える高さまで飛び上がったリランはそこで急降下し、全身の体重を乗せてヴァナルガンドの頭を踏みつけた。

 

 どぉんという大きな音が鳴り響き、腹の奥底まで響いてくるような衝撃を異形の狼龍に与えたリランは、狼の頭蓋骨のような外殻に包み込まれたその頭部を再度蹴り上げて宙返りし、異形の狼龍の傍から少し離れたところに着地する。

 

 リランの身体に振り回され、身体を翻されるような感覚に晒されながら、俺はヴァナルガンドのHPを確認しようと前方へ目を向けようとしたが、そこでリランは急に横方向へと連続でステップを開始して、俺の視界を揺さぶってきた。その中でヴァナルガンドへ何とか視線を合わせれば、ヴァナルガンドはその(あぎと)を開き、身体の奥底から燃え盛る黒き焔を吐き出して俺達のいたところを焼き尽くしていたのが見えた。

 

 

 何が由来となってしまったのかはわからないが、氷や冷気を司っているイメージのあるフェンリルは、原典では燃え盛る焔を鼻や口から吹き上げているとされている。そのフェンリルが進化する事で誕生したヴァナルガンドは原典の設定に基づき、炎を放つ事が出来るのだ。

 

 それに、ヴァナルガンドから放たれる炎は黒色をしている事から、ヴァナルガンドの炎ブレス攻撃は純粋な炎属性攻撃ではなく、闇属性と炎属性を混ぜ合わせた複属性攻撃なのだろう。リランは咄嗟にこの攻撃の到来を予知し、俺の命令を聞くまでもなくブレスの射線上から逃げ出したのだ。

 

 このような事が出来る《使い魔》は、やはり他の《使い魔》とは比べ物にならないくらいの知性を持つリランくらいだろう。

 

 

「リラン、ナイスな回避だったぜ」

 

《だが、我らはあいつに大きなダメージは与えられておらぬ。この戦い、いつまで続くかわからぬな》

 

 

 先程リランの攻撃を受けたヴァナルガンドのHPは確かに減っていた。ただ、その量はオーディンの時よりもなんとなく多いように感じられるくらいで、ヴァナルガンドのHPはまだまだ多く残されている。

 

 あまり長い事戦うとジリ貧になってしまうのがこのゲームのボス戦の傾向だから、長期戦に持ち込むのは得策とは言えないのだが、オーディンとリランの攻撃であれだけのダメージしか与えられていないならば、長期戦になってしまう事は確定している。

 

 もしかしたらヴァナルガンドは、現状の俺達では勝てないくらいの強さのボスであるのかもしれないし、このクエスト自体俺達が挑むには早すぎる難易度だったのかもしれない。けれど、ここまで来たからには粘れるところまで粘り切り、出来る事を全てぶつけるしかない。

 

 俺とリランと、シノンとオーディンの持てるすべての力をぶつけて、ヴァナルガンドを討つ――リランの剛毛を握り直したその時、ヴァナルガンドの頭に突然爆発が起きてHPが少しだけ減り、その顔が爆炎によって見えなくなる。

 

 驚きながら咄嗟に背後へ振り返ってみれば、矢を放った直後の姿勢をしているシノンの姿が確認する事が出来た。シノンが爆発する矢をヴァナルガンドへ射かけてくれたらしいが、すぐさま俺はある事に気付き、ヴァナルガンドへ向き直る。

 

 このALOのモンスターは、遠距離攻撃を仕掛けてきた者にターゲットを向ける傾向があり、これまでのエリアボス戦などでも、遠距離攻撃を専門としているシノンやシュピーゲルが長距離攻撃を仕掛けた際、ターゲットが向けられてしまうという事は多々あった。

 

 過去に戦ったボスモンスター達と同じ傾向をヴァナルガンドも持っているのだとすれば、あの危険な攻撃力を誇るヴァナルガンドの狙いがシノンへ向けられた事になる。だが、これまでのボス戦では、シノンやシュピーゲルと言った後衛達にターゲットが向いた際に、咄嗟に俺達前衛が攻撃を仕掛ける事でターゲットを逸らすという戦法を行っていたから、その戦法が同じようにヴァナルガンドにも通用するはず。

 

 そう思っていた矢先、ヴァナルガンドは爆炎を切り裂きながら勢いよく突進を開始し、真っ直ぐシノンの元へと向かった。やはりこれまでのボスと同じように、遠距離攻撃を仕掛けた者にターゲットを向けているのだ。

 

 

「リランッ!」

 

《任せよッ!》

 

 

 俺の号令を聞いたリランは咄嗟に走り出し、轟音と震動を叩き出しながら走るヴァナルガンドを追いかける。そしてシノンの元へ辿り着いたヴァナルガンドがその大口でシノンの身体に噛み付こうとした刹那に、リランはヴァナルガンドの横腹へボディタックル。

 

 大きな振動と衝撃が俺の全身に走ったのと同時に、ヴァナルガンドは小さく悲鳴を上げながら横方向へと軽く吹っ飛ばされ、シノンへの攻撃に失敗した。だが、ヴァナルガンドは吹っ飛ばされようとも咄嗟に空中で体勢を立て直し、俺達に向き直りながら軽やかに着地する。

 

 シノンのリランの攻撃によるものなのか、ヴァナルガンドのHPは一本目の真ん中くらいまで残量を減らしていたが、それでもまだ五本も《HPバー》を残している事に変わりはない。やはり、かなりの長期戦を強いられる事になりそうだ。

 

 

「まだこれだけあるなんて……いつになったら終わるんだ、この戦い……!」

 

 

 思わず歯を食い縛りながら言ったその時、俺達の助っ人となってくれているオーディンがヴァナルガンドの死角から接近し、グングニルによる一刺しをその右足にお見舞いした。今度はきちんと攻撃の通用するところに当てる事が出来たのか、ヴァナルガンドはまた悲鳴を上げつつ、そのHPをさっきの攻撃の時よりも多く減らす。

 

 どうやらヴァナルガンドにも、攻撃がよく効く部分と効かない部分が存在しており、これまで俺達は攻撃が効かない部分を攻撃してしまっていたようだ――その事に気付いた直後、ヴァナルガンドはその場で身体をぐるんと高速で一回転させ、その長い尾で周囲を薙ぎ払う回転斬りに等しい攻撃を繰り出してきた。

 

 ヴァナルガンドから少しだけ距離を取っていた俺とリラン、シノンは咄嗟にバックステップする事でその攻撃を回避できたが、至近距離にいたオーディンはその攻撃を回避する事は出来ず、まともに受ける事になった。

 

 攻撃に晒されたオーディンは一応防御姿勢を取っていたようだが、その防御は尾の直撃で容易く砕かれ、オーディンは後方へ一気に吹っ飛ばされていった。大きさの割に身軽なヴァナルガンドから繰り出される攻撃がどれほどの威力なのかわかっていなかったが、それは軍神オーディンの作り出す防御をも容易く打ち砕くくらいである事がわかり、腹の底から震えが来た。そしてヴァナルガンドの尻尾という巨大なバットで打たれたオーディンは、ボールのように地を転がる。

 

 その光景を見たクィネラは、ヴァナルガンドの攻撃後の動作の様子を目にしつつ咄嗟に言う。

 

 

「ヴァナルガンドの攻撃に気を付けて! どんな攻撃でも大ダメージを受けちゃうよ!」

 

 

 そうだろうとは思った。そもそもこのクエスト自体、俺達がこれまで挑んできたどれよりも高難度なそれになっているのだから、このクエストの大ボスであるヴァナルガンドの攻撃は非常に強力で当たり前なのだ。

 

 それに俺達は今、ボス戦に差し掛かった際に回復魔法や特殊補助魔法で支援してくれるアスナやリーファ、カイムを欠いているから、ダメージを受けた際にはアイテムに頼って回復するしかない状態だ。その回復アイテムも数に限りがあるから、戦闘中に浪費するような事になればすぐに底尽き、クエスト失敗へ向かう事になる。

 

 攻撃が飛んできた時には回避に徹し、ダメージを極力受けないように立ち回り、相手が隙を見せた時に強力な攻撃を叩きこむ、一撃離脱戦法がヴァナルガンドには有効なのだろうが、これもかなり集中力を使う戦法だから、長期戦になれば集中力が切れて追い込まれる。

 

 何か決定的なものはないのだろうか。何か、ヴァナルガンドに大ダメージを与える決定的な攻撃手段は、俺達には残されていないのだろうか――考えようとしたその時に、クィネラの叫び声が耳元へと響いてきた。

 

 

「闇属性ブレスが来るよ! 三、二、一……ゼロッ!」

 

 

 クィネラのカウントダウンが終了したその時、ヴァナルガンドはしっかりと両手と両足を付けて下を向き、黒色の火炎を地に向けて放射し始める。その三秒後くらいだろうか、周囲を燃やし尽くそうと広がる黒き焔を吐き出していたヴァナルガンドの口内が黒い閃光を放ち始め、やがて吐き出される黒き焔が黒いレーザー光線のようなそれに変化。

 

 ヴァナルガンドは上半身を(もた)げ、黒き焔が変化したビームブレスを照射を開始し、驚く俺達とその周囲を薙ぎ払って来た。

 

 

「うわわわッ!!?」

 

《キリト、しっかり掴ま――ぐぉッ!!?》

 

 

 ヴァナルガンドの口内から迸る、大気を焼き斬りながら飛んでくる黒きレーザービームの到来に、俺達は咄嗟に回避をしたけれども、黒きレーザービームに薙ぎ払われたところで黒色の大爆発が発生し、その立ち上がる黒い火柱にリランと俺は巻き込まれてしまった。

 

 噴き上がる黒き炎の柱によって上空へ強くかち上げられ、右手をリランの剛毛から離した俺は瞬く間に地面に衝突し、オーディンの時のように地を数回転がった後に止まる。全身に鈍い痛みに似た感覚が走り、鼻に流れ込んでくる焦げ臭い炎の臭いのせいで上手く息が出来ず、身動きを上手くとる事が出来なかったが、ALOの中であるという事が幸いし、それは数秒程度続いたところで消えてくれた。

 

 

 少し重くなった上半身を起こしたそこでは、赤色に変色して残量を数ミリ程度にした俺の《HPバー》、全身を赤色のダメージエフェクトに包み込んで地に横たわるリランの姿を確認出来、腹の底から震えが来る。

 

 しかも先程の攻撃に当たったのは俺とリランだけではなかったようで、シノンも俺達の近くにうつ伏せになっていた。その《HPバー》は俺と同じように残り数ミリ程度の残量で赤く変色しており、シノンの上をクィネラが混乱したように飛び回っている。

 

 クィネラはナビゲートピクシーであるが故に攻撃を受けずに済んでいるようだが、あくまで俺達のナビゲートをする事しか出来ないから、ヴァナルガンドにダメージを与える事は出来ない。パーティにはいるが、あくまで俺達のナビゲートをしているだけで戦力になってはいないクィネラは、シノンから俺のところへ戻ってきて、声をかけてきた。

 

 

「キリトにいさまっ……!」

 

「くそっ……一撃でこの有様かよ。やっぱり俺達で挑むには早すぎたのか」

 

「そうみたい。あのヴァナルガンドっていうの、キリトにいさま達よりも何倍も強いの。あのオーディンさえも超えてしまってて……キリトにいさま、ここは撤退した方がいいかもしれない。今のキリトにいさま達じゃヴァナルガンドは……」

 

 

 そう簡単に倒せる相手ではないだろうとは思っていたが、まさかここまでヴァナルガンドの強さが俺達を凌駕しているとは予想できなかった。確かにヴァナルガンドの攻撃やその動作などは、よく観察して覚えれば癖が掴めるようなもので、これまでのボスモンスターと同じように対処が可能だ。

 

 しかしそのステータスは、これまで相手にしてきたボスのどれよりも高い数値になっているから、セオリー通りに戦うなんていう事は出来ないし、一発喰らっただけでこの有様と来ている。あのヴァナルガンドを相手に互角に戦うには、俺達も種族熟練度やスキルなどを上げておく必要があったのだろう。

 

 北欧神話に登場するフェンリルをアレンジした姿を持つ魔狼龍ヴァナルガンドの登場するこのクエストに挑むには、やはり俺達では早すぎたのだろうか。

 

 けれどもし、この超高難度クエストの報酬アイテムが唯一リランを進化させる触媒だった場合、俺達はここで詰む事になってしまい、ヴァナルガンドに勝つためにスキル上げなどをする事になる。

 

 普段ならばそれでもよかっただろうし、寧ろそれが普通のやり方というものなのだが、俺は皆に攻略を任せ、リランの進化触媒を探している状態だから、そのような事をしている暇など無い。

 

 

 本当に俺達は、あの魔狼龍に勝てないのだろうか。魔狼龍にここで敗北し、魔狼龍に勝つための修練をする事になり、俺の代わりに攻略を進めてくれている皆に、もっと負担を強いる事になるのだろうか。

 

 そしてリランに、進化できない不安を、強く慣れない不安を抱かせ続けるのだろうか。

 

 

「倒せない? そんなわけ、あるか……」

 

「えっ?」

 

 

 クィネラが驚く中、俺は全身に力を込めて立ち上がり、懐に入れておいた回復アイテムを使ってHPを全回復させる。

 

 ヴァナルガンドは俺達が挑むには早すぎるモンスターだったかもしれない。だが、限界まで戦った場合どうなるかは、まだわかっていないのだ。ボス戦を諦めるのは使用アイテムが全部なくなり、出せる手段が何もなくなるまで戦い続けて勝てなかった場合であり、まだ俺達は出せる手段をいくつも残している。

 

 ここで諦めるわけにはいかない。本来ならば俺も加わらなければならない攻略とシャムロックとの競争を受け持ってくれている皆の為にも、俺の勝手に付き合ってくれているシノンの為にも、そして、俺のために不安になってくれて、精いっぱい俺の力になってくれようとしているリランの為にも……ここで立ち止まっているわけにはいかないのだ。

 

 

「クィネラ、シノンとリランを見ていてくれ。リランとシノンは俺がタゲを取っている間に回復して、なるべく早く戦線に復帰してくれ!」

 

「キリトにいさまっ!?」

 

 

 俺はリランに掴まるために鞘に戻しておいたもう片方の剣を引き抜き、二刀流になったところで一気に怨敵ヴァナルガンドへと走り出す。その時、ヴァナルガンドはオーディンにターゲットにして前足の叩きつけ攻撃を繰り出しており、接近してくる俺に咄嗟の対処をするのは難しい状態にあった。

 

 今ならば、ヴァナルガンドに斬撃を撃ち込む事が出来るはず――その予感は見事に的中し、俺はヴァナルガンドの右後ろ脚に接近する事に成功。黒い鱗に包み込まれている大きな龍の足を、俺は両手に握る光を纏う剣でXを描くように切り裂く。二刀流重攻撃ソードスキル《シグナス・オンストロート》が炸裂すると、ヴァナルガンドは軽い悲鳴を上げて動きを止め、尚且つHPを結構な量減らしたのが見えた。

 

 しかし、そこは裏ボス級のステータスを持つヴァナルガンド、すぐさま軽やかなステップで方向転換しターゲットを変更。俺に狙いを定めたそこで上半身を持ち上げて、両手を叩き付ける攻撃に出てきたが、俺はすぐさま後方へステップし、その全てを回避する。確かにヴァナルガンドは強いし、一撃でも喰らえば酷いダメージを受ける事になる。

 

 だが、それでもこれまでのボス達と同じように作られているのは確かで、場所を見極めて攻撃をすればしっかりとダメージを与える事が出来、攻撃もその動きをよく見れば回避できるようになっているのだ。それに俺達には今、オーディンという助っ人もいるのだから、彼の力を借りていけば、上手く戦えるはず。

 

 ヴァナルガンドの方が強くても、NPCとしてパーティに加わり、戦闘してくれているのだ。オーディンだって最後まで戦い抜いてくれるはず――。

 

 

「ぐおおおおぉぉぉッ!!?」

 

 

 頭の中で考えたその時、前足叩きつけの攻撃を終えたヴァナルガンドは、それにつなげるような形で急な高速一回転をし、尻尾で周囲を薙ぎ払う攻撃を繰り出してきた。まるで巨大な長剣による回転斬りのようなそれは、ヴァナルガンドから離れていた俺には当たらなかったものの、俺よりも近くにいたオーディンは先程同様に直撃を受ける。

 

 魔狼龍の尾を受けたオーディンは後方へ吹っ飛ばされ、その手から神槍グングニルが外れて飛び、ある程度宙を舞った後に地に突き立った。そしてその持ち主は、数回地面を転がって止まったところで倒れ込み、動かなくなる。HPが、あと残りわずかになっていたのだ。

 

 

「オーディン!?」

 

 

 思わず声を張り上げたその時、オーディンに向き直ったヴァナルガンドが強く咆哮し、そのまま勢いよく突進。救い上げるような形でオーディンの身体に噛み付き、完全に銜えたところで二足歩行状態となって、上を向いた。

 

 

「ロキ、貴様ぁぁ……!!」

 

《オーディン、あんたには感謝してるよ。神々の仲間に入れてもらったおかげで、オレは面白いモノを沢山見る事が出来たからね。けど、その中でよくわかった事があるんだ》

 

「何がだ……!?」

 

《あんたら神々が全員、世界を食い荒らす害虫だったって事だよ。あんたはその害虫筆頭の老いぼれだ。……とっとと消えな》

 

 

 合成音声が若干混ざったロキの《声》の直後に、ヴァナルガンドの口内に黒い閃光が走り始める。その先の展開が容易に想像出来たそこで、オーディンは俺達の方に顔を向けて、大きな声を出した。

 

 

「妖精達よ、こいつの始末を託す。この化け物を討伐し、世界に、光をッ……!!!」

 

「お、オーディン!?」

 

 

 次の瞬間にヴァナルガンドはその咢を開き、口内から黒い極太レーザー光線を迸らせた。放たれた黒い閃光に呑み込まれた軍神はその中に消え、やがてその姿だけではなく、パーティメンバーの中の名前も消滅させる。

 

 原典通りに、ヴァナルガンド(フェンリル)にオーディンが負けた瞬間を目にした俺達は言葉を失い、俺はその場を動く事が出来なくなった。俺達だけでは力が足りなくても、オーディンの力を加算すればなんとかヴァナルガンドとも渡り合えるのではないかと思っていたのに、オーディンがヴァナルガンドにやられてしまうなんて。

 

 オーディンを失った俺達で、このヴァナルガンドを仕留める事など出来るというのだろうか――その場で立ち尽くしながら頭の中で唱えたその時に、ヴァナルガンドはゆっくりとその顔を俺へと向け直してきた。直後、頭の中に青年のそれに似た《声》が届けられる。

 

 

《さてと、老害も滅んだところだし……後は君達を同じように消すだけだね。君達は結局オレの敵になったんだからさ……さっさと消えてくれないかな》

 

 

 自らの息子と融合する事でヴァナルガンドとなったロキの《声》の後すぐに、ヴァナルガンドは勢いよく咆哮し、俺の元へと突進を開始する。その予備動作を見ていた俺は、咄嗟にヴァナルガンドの攻撃の射線上から抜け出そうとしたが、オーディンが倒された事で調子に乗っているのか、ヴァナルガンドの動きは先程よりも早くなっており、俺が回避し切るよりも前に到達してきた。

 

 

《させるかッ!!!》

 

 

 ヴァナルガンドの巨躯が俺の身体を撥ね上げようとしたその時、一瞬だけ俺の周囲が真っ暗になり、明るくなったのとほぼ同時にどぉんという轟音が耳に届いてきた。何が起こったのかわからないまま前方に視線を送ってみれば、迫ってきた魔狼龍の巨躯に突進をし返し、俺から遠ざけている白金色の狼龍の後姿。

 

 ヴァナルガンドの突進攻撃を喰らおうとしていた俺の背後から、リランがヴァナルガンドに突進攻撃をし返し、俺への被害を食い止めたのだ。

 

 ヴァナルガンドとリランという二匹の狼龍が繰り広げる攻防戦に唖然としていると、先程回復するよう指示を出しておいて来たシノンとクィネラが俺の元へとやってきた。そのうちのシノンに至ってはHPをしっかりと回復させたようで、残量を十分に戦えるくらいのそれにしている。

 

 

「キリトにいさま、大丈夫!?」

 

「あ、あぁ。俺は大丈夫だ」

 

「ねぇキリト、オーディンがやられたみたいだけど!?」

 

「あぁ、北欧神話の元ネタどおりになってしまったな。ここからは俺達だけで戦うしかないみたいだぜ」

 

 

 二人に余計な心配をかけないために冷静に振る舞ってみるが、戦況は極めて不利になってしまっている。俺達は元からヴァナルガンドの強さを圧倒されていて、オーディンを加えても尚苦戦するくらいだった。

 

 そして助っ人として加わってくれていたオーディンを失ってしまった今、俺達の戦力は大幅に減退し、ヴァナルガンドとまともに戦えないような状況に陥ってしまっているだろう。シノンとリランが戦線に戻って来てくれたけれども、オーディンが居なくなってしまった今、俺達はあのヴァナルガンドとどう戦うべきなのか――頭の中で作戦を考えようとしたその時に、クィネラが何かに気付いたような反応を示した。

 

 

「そういえばキリトにいさま、オーディンが何かを落としていかなかった?」

 

「え、オーディンが?」

 

「うん。わたしはオーディンが何かを落とすのを確認できたの。もしかしたら、それが使えるんじゃないかな」

 

 

 クィネラの言葉を聞いてから、俺は咄嗟にオーディンがやられた一部始終を思い出す。オーディンはやられる前、その手から得物であるグングニルを手放してしまい、そのままヴァナルガンドに噛まれてブレスを吐かれ、戦死した。

 

 もしかしたら、クィネラの言うオーディンの落とし物とは、あの時オーディンの手から外れた得物であるグングニルではないのだろうか。そう思いながら周囲を見回してみたところ、ヴァナルガンドと取っ組み合うリランから右方向に離れたところに、金色に光るものが見えた。その正体は金色に輝く柄と、複雑な紋様が表面に刻まれている白金の三つ叉の刀身が特徴的な大槍であり、刀身を下にして深々と地に突き刺さっている。

 

 間違いなく、オーディンの使っていた神槍グングニルだった。

 

 

「あれは……リラン、ほんの少しだけタゲを取っていてくれ!」

 

 

 リランに咄嗟に指示を下し、シノンとクィネラを連れて槍の元へ俺は向かう。刀身を地に深々と突き刺している槍は、まさしくオーディンの得物であったグングニル。狙ったものは絶対に貫くとされる神の槍であり、もしこのALOで実装された時にはレジェンダリーウェポンとなるだろうと口々に噂されていた神器。オーディンが消滅してしまった時、一緒に消えてしまったのではないかと思っていたけれど、この神槍は持ち主が消えてもこの場に残り続けていたようだ。

 

 主を失った神槍の柄を掴んで、地から引き抜いたその時に出たウインドウに、俺は目を向ける。《神槍グングニル》。《魔剣グラム》や《神剣エクスキャリバー》などと同じレジェンダリーウェポンにカテゴライズされている武器であり、そのステータスは俺がこれまで手に入れてきたどの武器よりも優れているという、まるで今相手にしているヴァナルガンドのようなそれだ。

 

 もし俺が槍使いだったならば、入手した今この場でグングニルを装備し、ヴァナルガンドに大きなダメージを与えられるようになって一気に形勢逆転する事が出来たのだろうし、それがこのクエストの攻略方法なのだろうけれども、俺は槍を使って戦ってはいないし、尚且つ槍のスキルもほとんど上げていない。

 

 だから俺は、こうしてレジェンダリーウェポンを手に入れられているのに、これを装備する事は出来ない。その証拠に、ウインドウの中に存在している装備するボタンは黒塗りされており、クリックしても反応しないようになっている。

 

 

「レジェンダリーウェポン……こんなものが手に入っても、俺が装備できないんじゃ……」

 

《ぐあ、あああああああッ》

 

 

 呟いたその時、突然耳元に獣の悲鳴が届いてきて、近くにいる全員でそちらに視線を向けるが、そこで繰り広げられている光景に言葉を失った。ヴァナルガンドに戦いを挑み、ターゲットを取ってくれていたリランが、ヴァナルガンドに地に押さえつけられ、その首を噛まれてしまっていたのだ。

 

 

「「リランッ!!」」

 

「ねえさまッ!!」

 

 

 凶悪な鋭利さを誇るヴァナルガンドの牙が首に突き刺され、リランは苦悶の声を上げながら暴れてようとしているが、ヴァナルガンドの押さえつける力が強すぎているがために、その拘束攻撃から抜け出せないでいる。そして全回復していたであろうリランのHPは、赤色に変色するまでの残量になっており、今にも空になりそうになっていた。

 

 その光景を目にしたシノンが咄嗟に弓を構え、先程と同じようにヴァナルガンドの顔目掛けて矢を放ったが、矢の命中を受けてもヴァナルガンドは全く気にせず、リランへの拘束攻撃、首を噛み砕こうとするのを止めない。それでもシノンは矢を放つのを続け、そこに弓のソードスキルを織り交ぜるが、やはりヴァナルガンドのHPはあまり減らず、リランへの攻撃を止める気配は見せなかった。

 

 

「リラン――――ッ!!」

 

 

 このままでは、リランがやられてしまう。けれど、オーディンの遺したグングニルの名を冠する現状最強の伝説武器は、俺達では装備する事は出来ず、ヴァナルガンドに大きなダメージを与える事など出来ない。

 

 一体どうすればいいのか。このままリランがヴァナルガンドの牙に敗れて、リメインライトにされるのを、ただ黙って見ているしかないというのだろうか――。

 

 

(……!?)

 

 

 何かないか、何か方法はないかと思いながらもう一度、オーディンより託された神槍に表示されたウインドウに目を向けたその時、あるものが存在している事に気付いた。この神槍を手に入れたその時には、他の装備品を手に入れたのと同じようにウインドウが表示され、そこには装備するを意味する『Equip』、ウインドウを閉じるのを意味する『Close』といったボタンが配置されているのだが、その『Equip』と『Close』のボタンの間に、使うを意味する『Use』と書かれたボタンがある。

 

 この『Use』というボタンは本来、装備品のウインドウには出てこないものなのだが、プレイヤーが《ビーストテイマー》で《使い魔》を連れている場合にのみ出てくるようになっており、その装備品が《使い魔》に適応したアイテムならば、クリックして使用する事が出来る。そしてその《使い魔》に適応したアイテムというのは基本的に、《使い魔》の進化触媒であり……俺の手元にある神槍グングニルのウインドウの『Use』のボタンは黒塗りされておらず、クリック可能になっている。

 

 

(まさか)

 

 

 グングニルに『Use』が出ていて、尚且つクリックして使用する事が可能になっているという事柄が意味するのは、ただ一つだけ。俺がずっと待ち望んでいて、リランに迎えさせてやりたいと思っていた結果。その結果を招いてくれる可能性を、この槍が持っているのだとするならば、それを試さない人間などどこにも居ない。

 

 俺はグングニルに表示されている『Use』のボタンを何の躊躇いもなくクリックし、ウインドウを閉じると、グングニルを槍投げ選手のように構えた。その狙いの先にいるのはヴァナルガンドに首を噛み裂かれようとしているたった一人の相棒、唯一無二の《使い魔》。

 

 

「リラン、これだぁぁ――――――――――ッ!!!」

 

 

 叫びながら、俺は全身の力を込めてグングニルを投擲した。

 

 狙ったものは絶対に貫くという話が付く神の槍は大気を切り裂きながらまっすぐ飛び、やがて俺の狙い通りに、リランの身体に突き刺さった。

 


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