キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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やっちまった。最近の特撮みたいな一週を抜きやってしまった。

大変お待たせいたしました、今回の話をどうぞ。


18:《エグゼキュータ》

           □□□

 

 

 キリト達が今朝の出来事を話していたところ、飛び込んできた声。ニュースを見ている事は勿論、このALOをプレイして尚且つスヴァルトアールヴヘイムにいればかなりの頻度で聞く事が出来るその声色に、キリト達は即座に向き直る。

 

 青系統の色に統一した衣装に身を包み、小さな帽子を被った、銀色の長髪と赤桃色の瞳が特徴的な小柄な少女。ALOを活動拠点として大ギルドシャムロックを運営し、アイドルとしても活動して男女問わず凄まじい人気を獲得している七色・アルシャーピン/セブンの姿が、喫茶店の出入り口のすぐ前にあった。

 

 

「セブンじゃないか」

 

「あら、マスターかと思ったらキリト君じゃないの! っていうかイリスさんとよくわからない人もいる!」

 

 

 てけてけという音が聞こえそうな歩調でセブンは店の中へ入り、そのままキリトのすぐ傍までやってくる。セブンはこのALOで今最も熱狂的な人気を得ているから、名前こそはどこでも聞く事が出来るけれども、直接会って話をする機会はなかなか得られない。今こうして出会って話をするのも、前から随分と日が空いている。

 

 セブン自身もそう思っていたようで、久しぶりに友人に会ったかのような顔をしてキリトに声をかけた。しかしキリトは一度それに応じず、基本的に自分とイリスとしか話をした事がないセブンへ周りの仲間達の紹介。セブンに仲間達の存在を納得させたその時に、ようやく本題へ戻る。

 

 

「セブン、こうして会うのは久しぶりじゃないか」

 

「えぇ、こうやって会うのは久しぶりね。どれくらい日が空いてるかしら」

 

「結構空いてると思うぜ。それにしても今日は随分と早くログインしたんだな」

 

 

「えぇ。今日は皆に出迎えられる側のあたしが、皆の事を出迎えてあげようって思ってね。これもアイドルのやるべき事の一環ってものよ」

 

 

 他のプレイヤー達と比べて、セブンはログインする時間がかなり遅い傾向にあり、正午にログインしてくる事も珍しくなく、午後一時や二時のログインとなる事もある。現在時刻は午前の十時前であるため、セブンにしてはかなり早いログインだ。

 

 そのログインの目的に納得しているキリトを見たその時に、セブンは何かを思い出したような顔になった。

 

 

「そうだわキリト君。昨日の《Mスト》、ばっちり見させてもらったわよ」

 

「君も見てたのか。って事は、俺が色々喋くってるところを見られたわけか」

 

「勿論よ。キリト君、ナイスな演説だったと思うわ! まさか貴方があそこまでの演説が出来る人だなんて全然思ってなかったわよ。もう何かを開発した科学者並みよ」

 

 

 あの時は思っている事を全て打ち明けようと思って本当に必死になっていたものだから、当時の事はあまりよく覚えていないし、そもそも科学者だの国を代表する人だのの話し方や演説などと比べればなんて事もないものだったとキリトは思っていた。そのようなものでしかないはずの演説を本物の科学者であるセブンから褒められたというのは、素直に嬉しいと感じる。

 

 

「キリト君のおかげで、シャムロックの中の《ビーストテイマー》達の間にも変化が起きたはずよ。皆《使い魔》を大事にする事を最強への道だと思ってくれてるみたい」

 

「けど、何でもそうすればいいってものじゃないはずだぞ」

 

「そうね。けれども、やっぱりキリト君の言っていた事を、皆信じたいと思ってるのよ。それにキリト君は大事にしてた《使い魔》で、厳選至上主義のゼクシードを叩き潰してしまったわけだから、信頼性もあるってものよ」

 

 

 あの戦いの中継も見ていたのか――キリトはそう思う反面で思い出す。

 

 そうだ、セブンは今朝のニュースを、《壊り逃げ男》としてゼクシードが逮捕されたという話を知っているのだろうか。科学者という職業柄、ネットやニュースを正しく使っているはずだから、セブンは《壊り逃げ男》の存在自体はよく理解しているはずし、セブンの活動地であるアメリカでも《壊り逃げ男》の存在は知られていると聞いている。

 

 今朝の事についてセブンはどう思っているのか。気になったキリトはセブンに問うた。

 

 

「そうだセブン。そのゼクシードがその後どうなったのか、わかるか」

 

「えぇ、知っているわよ。まさかあのゼクシードが《壊り逃げ男》……《エグゼキュータ》だったとはね」

 

「《エグゼキュータ》?」

 

 

 エグゼキュータ。英語で実行者、執行者などを意味する単語を突然口にしたセブンに一同が首を傾げると、ユイとイリスが即座に説明を始めた。

 

 今や日本を震撼させるほどにもなっているサイバーテロリスト、《壊り逃げ男》の存在はアメリカやロシアなどの海外にも広く知れ渡っているが、名前は違っている。《壊り逃げ男》は日本では破壊活動をして上手く逃げる男という事で、《壊り逃げ男》という名前で呼ばれているけれども、海外では政治家や警察やマスコミといった国家権力とそれに近しい者達を断罪するかの如く攻撃するその姿から、処刑執行者という意味を込めて《エグゼキュータ》と呼ばれているのだ。

 

 確かに《壊り逃げ男》が狙っているところは警察、政治家、マスコミと言った国家権力に近しいところであり、テロの内容は悪事や不正を働いていた者達のそれをこれ見よがしと言わんばかりに暴露するという事。これが原因でその職を追われたり、逮捕されたりした者も多いから、見方を変えれば処刑執行や断罪のように見えるだろう。

 

 それに納得したかのように、リランが顎に手を添えながら呟く。

 

 

「断罪の《エグゼキュータ》という事か。《壊り逃げ男》よりは聞こえがいいな」

 

「けれど……あたしは正直この話は本当じゃないって思ってるわ。キリト君はどう思ってるのかしら」

 

 

 セブンはアイドルという職業柄、無数とも言える一般人を相手にしているのだから、考え方もまた一般人のそれなのではないかと思っていたキリトだが、その考えはセブンの発した言葉で覆される。アイドルであっても本職は科学者であり、一般人とはかけ離れたそれとなっているという事が、自分達と同じ考えを持っているというその主張でキリトは認識した。

 

 

「俺も全く同じ意見だ。ゼクシードは《壊り逃げ男》のダミーとして逮捕されたんだよ。本物はまだ別なところにいて、このニュースを見てるんだ」

 

「あら、キリト君も同意見なのね。という事はイリスさんや他の人達も同じ考えかしらね?」

 

 

 アイドル少女の声掛けに、周りの仲間達も同じように頷く。何も考えずにテレビやネットを利用している者達ならば、もしかしたら逮捕された茂村を本物の《壊り逃げ男》であると思っている者もいるのだろうけれども、少なくともこの場にはそのような考えの者はいなかった。

 

 それをふんふんと言いながら理解したセブンは、空いているイリスの隣の椅子に座る。

 

 

「やっぱり、今回逮捕された《エグゼキュータ》は偽物だって思った方がいいのね。それにしても《エグゼキュータ》は随分とすごい存在になったものよ。今や世界全体が注目しているサイバーテロリストだもの。一体どんな思想を持ってあんな事をしているんだか」

 

 

 やはり、とキリトは思った。いくらネットを使って様々な情報を仕入れて処理しているセブンでも、《エグゼキュータ》という名前で《壊り逃げ男》の事は知っていても、その大本であるハンニバルの事は何も知らないのだ。

 

 ハンニバルが《壊り逃げ男》を産出(プロデュース)した張本人であり、《壊り逃げ男》はハンニバルがいくらでも作り出す事の出来る存在で、いくら潰したところで無意味であり、大本であるハンニバルを叩かない限りはいつまでもテロリズムが続く。――その他の一般人と同じように、この事実をセブンは認知していない。

 

 セブンの呟きにも等しい言葉を聞いた事で、その事を十分に理解する事が出来たのだろう、科学者としては先輩であるイリスが問うた。

 

 

「ところでセブン。この《エグゼキュータ》……《壊り逃げ男》は不正を行っていた政治家や警察、マスコミや芸能人などを狙ってテロを起こしているようなのだが……君は《壊り逃げ男》のテロの標的にされないっていう自信はあるのかい」

 

「勿論よ。このあたし、セブンちゃんはこれでもその辺りの事はしっかりやってるつもりでね。まぁパパラッチに写真を撮られた事がないというのは嘘になるけど、スキャンダルらしいスキャンダルを起こしてないから、安心してほしいわ」

 

 

 《壊り逃げ男》が狙っているのは国民に多大な迷惑や不正を行っていながらそれを隠していた者達の情報を暴露する事であり、善良な一般市民やまともな考えを持った政治家などを狙う事はない。それにセブンがそこまでの事をするような娘ではないという事も、これまで接してきている中でわかっている。

 

 セブンが《壊り逃げ男》の標的となる事はこれからもないだろう。そうキリトが心の中で呟いたそこで、セブンは何かを思い出したかのような仕草をして、キリトに向き直る。

 

 

「あっ、そうだわキリト君。実はあたし、キリト君にお願いがあったのよ」

 

「え? 俺に何のお願いがあるんだ」

 

「キリト君、貴方のプレイヤースキルは本当に素晴らしいし、貴方の考え方もまた他のプレイヤー達より群を抜いてるし、《使い魔》の扱い方も本当に上手よ。

 だからキリト君……もう一度お願いするわ。シャムロックに入団して、一緒に戦って頂戴」

 

 

 セブンからの要求を受けて、キリトは周りの仲間とほぼ同時に驚く。自分達はギルドを組んだりせずに、セブン率いる大ギルドのシャムロックと攻略合戦を繰り広げている。それはセブンも大いに承知しており、キリト達を強力なライバル勢力だと認識して、自分のギルドであるシャムロックのメンバーに躍起になるように仕向けているのだ。

 

 そのキリト達と敵対しているはずの大軍団のボスが、ほぼ敵対している勢力の筆頭に協力を求めてきているというのが、今の構図。即ち、ヘッドハンティングだ。

 

 

「俺が、シャムロックに?」

 

「えぇそうよ。キリト君はもう無敵のプレイヤーと言ってもいいような人だし、そんなキリト君が居ればシャムロックももっと強力になって、このスヴァルトエリアを一気にクリアできると思うのよ。

 勿論ただで付き合ってもらうつもりはないわよ。シャムロックの入団の時には面接試験も全部すっ飛ばしてほぼ無条件にするし、キリト君にはスメラギ君と同じ立ち位置になってもらうし、スヴァルトエリアのラスボスを倒した時にはラストアタックボーナスも、その他の報酬も全部独り占めしていいわ。それにそれに、キリト君が――」

 

 

 まるでマシンガントークをするかのように次々と、キリトがシャムロックに入団した時の話を進めていくセブンの横で、キリトはじっと考えていた。

 

 確かにシャムロック程の大ギルドに入団する事が出来れば、かつての血盟騎士団の時のように攻略をスムーズに進めて、スヴァルトエリアのクリアを瞬く間に現実に出来るだろう。

 

 だがこのALOに来てからというもの、もう血盟騎士団の時のようなギルドに所属する事無く、共に苦難を乗り越えた仲間達と自由にゲームを楽しんでいく事を、キリトは仲間達と決めていて、それを変える事も一切考えていない。

 

 シャムロックに入団してほしいと団長のセブンから直々に頼み込まれているというのは途轍(とてつ)もなく魅力的な状況であるけれど、皆と決めている事だから、呑み込むわけにはいかない。心に決めたキリトは、夢中で話を続けるセブンに割り込んだ。

 

 

「ごめんセブン、その要求は呑み込めないよ」

 

「えぇっ!? なんでよ? これだけいい条件揃えてるのに? まだ何か欲しいの」

 

「そういうわけじゃない。このゲームを始めた時から、俺はずっと皆と一緒に自由にプレイするって決めてたんだよ。そしてそれはこれからもずっと続けていくつもりなんだ。だから、俺はシャムロックに入団する事は出来ない。勿論、俺の仲間達も同じ気持ちだよ」

 

 

 まさかここまでの条件を立てている要求を断る人間がいるとは――セブンは目の前の出来事が信じられないような顔をしてキリトの事を見ていたが、そこで空かさずイリスが加わった。

 

 

「キリト君をシャムロックにヘドハンしようって魂胆だろうけれども、こればかりは無駄だとしか言いようがないよセブン。キリト君はこれでもかなり肝が据わってて、しっかりと決めた事は最後までやり遂げる主義の子なんだよ。だから、シャムロックにキリト君を加えようというのは諦めた方がいい」

 

「……本当に、本当に加わるつもりはないわけ、キリト君」

 

 

 返事の代わりにキリトは頷く。セブンは喉で「ぬぅぅ」という音を鳴らして沈黙したが、すぐさまそれを破って口を開いた。

 

 

「……そこまでなら仕方ないわ。けれどキリト君、あたし達シャムロックも本気になってるからね。キリト君達があたし達に加わらずにライバルで居続けるなら、いつの日か本気でキリト君達とぶつかるわよ。その時に、勝てるのかしらね」

 

「その時は俺達の力を結集させて迎え撃つだけだよ。それに俺達だって、君達に負けるつもりなんて毛頭ないからな。今は若干負けてるけれど、すぐに追いついてみせるよ」

 

「素晴らしい威勢だわ。やっぱりキリト君はそうでなくっちゃね。けれど、あたしだって負ける気は毛頭ないから。最後にはお互いに総力戦を繰り広げましょう」

 

 

 シャムロックは最早ALO一の大ギルドと言ってもいいような存在であり、SAOの時に例えるならば血盟騎士団、聖竜連合、風林火山、その他諸々のギルドが重なり合って構成されていた攻略組そのものと言っていい。かつて攻略組だった者達である自分達が、シャムロックという名の現在の攻略組に総力戦を挑む。普通に考えれば勝てる気配はほとんどなさそうだが、もしそうなったとしてもキリトは善戦できると思えていた。

 

 かつての攻略組の底力で現在の攻略組を追い越す――これほどゲーマーとして燃えるシチュエーションはないだろう。そんな心意気を胸に抱いたそこで、セブンは凛としていたその表情を柔らかいものに戻して、一息吐くように言った。

 

 

「……と言っても、これはあくまでこのゲームの中でのお話。もし現実でキリト君に出会えたなら、その時は今みたいなやり取りは一切無しよ。あたしはこれでも、あたしの研究室にキリト君がやって来る日を待ってるんだから」

 

「まぁそうだな。俺達のライバル関係はあくまでこのゲームの中だけの話だからな。現実世界にまでこの話を持ち出す気は俺にもないけど……その話、まだ続いてたのか」

 

「勿論よ。貴方が諦めるって言うまでこの話は続けていくつもりだから、忘れてもらっちゃ困るわよ」

 

 

 まだ皆に話していないけれども、キリト/和人は将来的にはヒースクリフ/茅場晶彦やセブン/七色、イリス/愛莉のような科学者――それもVRに関係した分野の――になりたいと思っており、現在独学で勉強を進めていたところだ。だからこそ、七色のいる研究室で共に研究を行うというのはかなり興味深いし、是非とも実現させてみたいとも思っている。

 

 しかし、その話を持ちかけられたのはかなり前だったから、七色はすでにその話を終わらせていたとばかり思っていたので、七色/セブンがその話を終わらせていなかったというのは素直に嬉しかった。

 

 

「俺も忘れるつもりはないし、諦めてなんかないよ。必ず君の研究室まで足を運べるくらいになってやるぜ」

 

「そうこなくっちゃね。どれくらい後の話になるかわからないけれども、あたしも待ってるんだから!」

 

 

 そう言って嬉しそうにするなり、セブンは「んんー!」と言いながら勢いよく伸びをして、大きな溜息を吐いた。

 

 

「さてと、マスターがいないんじゃ飲み物も何も飲めないわけだから、そそくさと行かせてもらうわね。早く皆を出迎えてあげないと」

 

「そんなに早く行く必要はないのではないか。もう少しゆっくりして行ってもいいはずだぞ」

 

 

 ここにいる者達の中で最も特徴的と言える外観をしている金髪狼耳少女リランが言うなり、銀髪少女セブンは首を横に振ってからすたっと立ち上がる。

 

 

「ゆっくりするのはシャムロックの本陣に戻ってからにするわよ。それに、あたしに会う事が出来たという体験はシャムロックの皆の士気を大きく上げられるから、やらないよりもやった方がめれっとづくしでぇ――――」

 

 

 科学者らしい言葉を次々紡ぎつつ立ち上がった直後、セブンに異変が起きた。言葉が突然呂律の回らないものとなり、ぐらりとその身体が揺れたのを皮切りに、足取りは生まればかりの仔馬のそれのような千鳥足となって、前後左右にぐらぐらと動くという完全な挙動不審となる。まるで立ちながら眩暈を起こしているかのような、もしくは強い立ちくらみに襲われているかのようなセブンのその仕草に、一同全員で驚きの声を上げる。

 

 

「セブンッ!?」

 

「あっ、あぁぁ、えっ、あぇっ……」

 

 

 全く安定しない足取りでセブンはその場で足踏みとふらつきを繰り返し、頭に右手を伸ばしたその時にふらりと後方へ、床目掛けて倒れ始めた。そこでようやくキリト達が驚いて席から立ち上がったが、それよりも先にセブンは石で出来た硬い床へ倒れていく。

 

 

「セブンッ!!!」

 

 

 周りの者達が駆け付けるよりも前にセブンが床に激突しようとしたその時、セブンの身体は頭が床に激突する寸前で止まった。突然の動きを繰り返すセブンに驚きつつ、キリトはセブンの方に向き直ったが、そこでもう一度驚きの声を小さく上げる。

 

 いつの間に現れて来たのか、倒れ掛かっていたセブンのすぐ傍に一人の少女が姿を現しており、セブンの身体を抱くようにして支えているのだ。先端が青紫色となっている真紅の長髪に、黒と赤を基調とした衣装に身を包んだ、橙色の瞳が特徴的な少女。

 

 かつてシャムロックに所属していたと言われ、スメラギからは嘘吐き呼ばわりされているけれども、現在はキリト達の仲間の一人となっている、レインだった。

 

 

「レイン……!?」

 

 

 一体どのようにして現れて来たのか、そもそもいつの間にこの喫茶店の中に入り込んでいたのか――それ疑問点をすべて無視して一同が驚いて視線を向ける中、レインはそっとセブンの身体を支え直す。その時の揺さぶりが功を為したのか、セブンは「うぅ」と(うめ)いた後に閉じられていた瞼を少しだけ開いた。

 

 

「あ……れ……」

 

「セブン、大丈夫?」

 

「え……」

 

 

 覚束無(おぼつかな)いような表情を浮かべながら、セブンはいつの間にか自分のすぐ傍に来ている少女の顔、その橙色の瞳の中に自らの顔を映し出しつつ、その口をゆっくりと開いた。

 

 

「貴方は確か……レイン……っていうか、あたし……」

 

「もうちょっとで倒れちゃうところだったんだよ。間に合ってよかったぁ……」

 

 

 安堵するレインの声を耳に入れたそこで、セブンは自分の身に起きた事を把握したかのように深い溜息を吐いた。ほぼ同時にキリト達がセブンの元へ駆け付けて寄り添い、キリトが口を開く。

 

 

「大丈夫か、セブン」

 

「キリト君……う、うん」

 

 

 このALOでは感情表現機能によって、プレイヤーが抱く感情がアバターの顔に反映されるようになっているが、辛そうに頷くセブンの顔はどこか青ざめて見える。アバターの本体、現実世界の身体に何かしらの不調が起きている証拠だった。

 

 

「セブン、今のは」

 

「だ、大丈夫よイリスさん。ちょっとふらっとしただけだから……」

 

「倒れるほどのふらつきはちょっとなんて言わないよ」

 

 

 今はAI研究者であっても、現在進行形で医師免許を持ち続けているイリスの目が光り、レインに抱かれて支えられているセブンの身体をくまなく見ていく。それが足の先まで到達したところで、イリスはすっと目線をセブンの顔元へ戻し、溜息交じりに言った。

 

 

「恐らくだが、過労による立ち眩み……自律神経失調症の前段階と言える状況だろう。十二歳の子供である君がこんな事になるのは、全くよくない傾向だ」

 

「だ、大丈夫よ。この程度、どうって事ないわ……」

 

「どうって事なければ、こうはならない。老骨の逆、幼骨に鞭打ち過ぎなんだよ、君は」

 

 

 セブンは現実世界では毎日研究室に閉じ籠って研究を進め、時には飛行機などを利用して世界各国を飛び回り、メディアに出演してインタビューを受けたりしているという事に加え、ALOではシャムロックの運営とファンの相手、更に歌唱やミニライブまでやっている。

 

 二十代三十代の大人でも倒れそうになるような多忙を極めた日々を、たった十二歳の子供のセブンがやってしまっているのだ、このような事になったとしても不思議ではないし、そもそもセブンのような子供がやっていいような事でもない。イリスが伝えたいであろう事が、キリトは即座に理解できた。

 

 

「セブン、君は無理しすぎてたんだよ。今日はもうログアウトして休んだ方がいいぜ」

 

「そうだよ。貴方は皆の希望の星みたいなものなんだから、そんな貴方がこんな事になってちゃ、ファンの皆もきっと悲しんじゃうよ」

 

 

 キリトに加えてレインに言われ、セブンは二人を覚束ない目で交互に見つめた。しばらくして、レインの助けを受けながらセブンはゆっくりと立ち上がり、深呼吸をした。

 

 

「……確かに、最近無理をしていたかもしれないわね。けれど、アイドルと科学者っていうのはそう言うものよ。研究とファンの為ならば身を削る……それでこそ科学者、アイドルって言えるものでしょ、芹澤博士」

 

 

 話を振られたイリスは、どこかぎこちなさそうな表情を浮かべて顎に手を添える。きっとAI研究をしている時のイリスも、休みも睡眠も削って研究に打ち込み続けていたに違いない。だからこそ、セブンにしっかり反論する事が難しいのだろう。

 

 

「確かにそうだけれど……でもだからってね、ぶっ倒れるまで研究を続けて病院送りになっちゃ、元の子もないってものだよ。それに、無理っていうのは私達くらいがやっていいものであって、君にはまだ早い。もうちょっと自分の身体ってものを(いた)わりなさい」

 

 

 先輩科学者からの忠告を受けたセブンは「むぅ」と頬を軽く膨らませ、納得できないような顔をした後に、もう一度深く溜息を吐いた。

 

 

「……そうね。今夜はライブがあるわけだし。予定変更。これからちょっと休む事にするわ」

 

 

 直後に、セブンは広報を向き直った。その目線の先に居たのは、いつの間にかこの喫茶店に姿を現してセブンの支えてくれた少女、レインだった。

 

 

「えと、レインだっけ。貴方が支えてくれたおかげで、痛い思いせずに済んだわ。ありがとうね」

 

「え? あっ……ご、ごめん。わたしったら、無我夢中になってて……」

 

「何でそこで謝るのよ。というか、謝らなきゃなのはあたしの方よ。急にこんな事になっちゃって、ごめんね」

 

「……」

 

 

 本人はちゃんと礼を言っているけれども、アイドルであるセブンに拙い事をしてしまったと思っているのか、レインは自分の行いを悔いるような顔をしてセブンの事を見ているだけだったが、キリトはそれに違和感を感じて仕方が無かった。

 

 先程倒れかけたセブンを支えて助けた時、レインはとても安心したかのような顔をしていた。それこそまるで、この場にいるAI少女達全員の姉であるリランが、ユイやストレアを助ける事に成功した時に浮かべるかのような、妹を慈しむ姉のような顔だ。

 

 そんな顔をしてセブンを助けたのに、今はそうではない。はっきり言って、レインの言動はちぐはぐだ。

 

 

「とにかく、あたしは今夜のライブに備えて一旦ログアウトさせてもらうわ。キリト君達も、夜になったらあたしの歌を聞きに来て頂戴ね」

 

「え。あ、あぁ。そうさせてもらうよ。セブンこそ、必要以上に無理をするなよ」

 

 

 「わかってるー!」と言ってから、セブンはいつもの別れの挨拶を皆にし、喫茶店を出て行った。一般人と言えば一般人と言える者達のいる空間に戻ったそこで、キリトはもう一度レインの事を見つめた。

 

 レインは喫茶店の出入り口の方に目線を向けたまま、何かを心配するような顔をしているだけだった。

 

 

 


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