キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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08:科学者達の思惑

           □□□

 

 

 《黒の龍剣士》キリトとシャムロック最精鋭、ALO最強の剣士の異名を持つスメラギのデュエル。その決着はキリトの勝利に終わった。

 

 スメラギとのデュエルが終わるなり、キリトとスメラギは《闇のユグドラシル》の広間まで転移する事となり、転移が完了した際にはキリトの隣には《使い魔》であるリランが人狼の姿となって並び、対するスメラギは床に座ったまま動けない状況となっていた。

 

 如何にも自分が負けたのが信じられないかのような、もしくはひどく悔しがっているような顔をしているスメラギを見下ろしていると、横に並んでいるリランがさぞかし文句のあるような様子で声をかけてきた。

 

 

「全く、無理をさせてくれるなキリト。お前はここまで《使い魔》使いの荒い《ビーストテイマー》だったのか」

 

「いやいや、しょうがないだろ。戦いに勝つにはあれくらいする必要があったんだ。まぁ、お前には悪い事をしてしまったのも確かだけれど……」

 

 

 苦笑いしながらキリトが言うが、リランはフンと言って目線を逸らしてしまう。やはりあれは拙かったのだろうかと思ったキリトが寄り添おうとしたその時に、膝を着いていたスメラギが声をかけてきた。

 

 

「キリト、俺は何故貴様に負けた? あの時俺が勝っていたはずだ」

 

 

 やはり、とキリトは思った。確かにあの時のスメラギからすれば、最高奥義である《テュールの隻腕》が炸裂して止めを刺せたとばかり思った事だろう。現実はそうではなかったのだけれども、それが信じられないのだ。

 

 あの時――スメラギの最後の一撃でリラン共々両断されそうになったあの時、キリトは咄嗟に身を逸らして、本当の間一髪で迫り来た蒼き光の刃を回避したのだ。

 

 そしてその後、両断されてしまったリランにしがみ付き続け、やがてリランが戦闘不能となった事によって発生した白き爆炎に包まれたが、リランの爆発には主である《ビーストテイマー》を巻き込んでしまうそれではなく、キリトには一切のダメージが及ばなかった。

 

 その事に驚きつつも、キリトは白き爆炎の煙幕に隠れ、最後の一撃として自分のオリジナルソードスキルを放ち、スメラギに止めを刺したのだった。その事をすべて説明すると、スメラギがどこか驚いたような顔になる。

 

 

「オリジナルソードスキルだと? 貴様がそんなものを持っているなんて言う情報は聞いた事が……」

 

「だろうな。俺もつい最近完成させたばかりの技だから。シャムロックの連中も知らないし、皆も知らないんだよ」

 

「知っているといえば我と……シノンだけだな」

 

 

 リランの言葉にこくりと頷き、キリトは再び背中の鞘から二本の剣を引き抜き、胸の前に持ってきて柄の先端同士を接続して両刃剣を作り上げる。直後に柄を強く持って折り曲げ、双方の刃の先端が後方を向くようにし、キリトは滅多に唱える事のない呪文を唱えた。

 

 三日月形となった両刃剣の刃の端から端にかけて光で構成された弦が伸びて結ばれる事によって、両刃剣が刃を持つ弓となると、スメラギの目が見開かれた。

 

 

「剣が……弓に……」

 

「まさかALOでこんな事が出来るとは思ってなかったけれど、これが俺のOSSに使う武器だ」

 

「一体どうやって……お前は弓までも使う事の出来るプレイヤーだったのか」

 

 

 そうではない。自分は今の今まで剣を振るって戦って来たし、弓矢なんてものは一回も使った事がない。なので、普通ならばこのようなソードスキルを使う事も出来ないけれども、ある方法を使えば使う事が出来るようになっていたのだ。

 

 その方法というのは他でもない、SAOの時から今この時まで弓矢で戦い続けている射手――愛する人であるシノン/朝田詩乃の記憶を使う事だ。

 

 SAOの時にほぼ事故という形で頭の中に取り込む事になってしまった詩乃の記憶には、あの事件の事や事件に遭う前の記憶、中高一貫校の時の記憶などといった実に様々なものがあるけれど、その中にはシノンという名の射手として弓矢で戦い続けてきた記憶(ノウハウ)も存在しているのだ。

 

 このシノンとしての詩乃の記憶がしっかりと存在している事に気付いたキリトは、右手に嵌っているシノンのお守りを見つめつつ頭の中を探し、その記憶と感覚を呼び出して自分の身体でトレースする事で――スキル熟練度の関係で威力は劣るが――弓矢を使う事が出来るようになった。

 

 剣を合体させて折り曲げて三日月形を作り、魔法で弦を作って端同士を繋ぎ合せて弓を構成し、同じく魔法で作り上げた矢を(つが)え、シノンの記憶を頭の中から呼び出して身体でトレースする事で放てるソードスキル。SAO攻略時から遠距離攻撃で前衛を支援し続けてくれた名射手であるシノンの記憶があるからこそ織り成せる、自分だけの技。

 

 遠距離攻撃型二刀流オリジナルソードスキル《結剣弓(けっけんきゅう)》。

 

 その事を話した時にシノンとリランの顔に浮かび上がった驚きの表情を、キリトは未だに忘れる事が出来ないでいる。そしてそのようなオリジナルソードスキルを実現してしまえるくらいの自由度を搭載しているのがこのALOであるという事を改めて実感し、キリトは歯を食い縛る敗れた戦士に歩み寄った。

 

 

「あぁ、ちょっとした理由で俺は弓も使える。それで剣で弓を作って放つんだ。本当にALOは自由度の高いゲームだよ」

 

「くそッ……俺はお前に先を越されていたというのか……!」

 

 

 スメラギはそう言っているけれども、先程のデュエルは本当にギリギリのモノだった。一瞬の判断ミスがあれば見る見るうちにスメラギと白き妖狐の一斉放火に晒され、瞬く間にやられてしまっていた事だろうし、長期戦となった場合も負けていたに違いない。戦っている最中にそれがわかったものだから、キリトは何度冷や汗を流したかわからないうえに、心臓が激しく脈打って仕方が無かった。

 

 この勝利は偶然に偶然を重ねて奇跡が起きた結果なのだろう。

 

 

「そうじゃないよ。俺の強さはあんたよりも下回ってる。基礎的な強さならあんたの方が遥かに上だよ。《使い魔》だって俺達が戦ってきたどの《使い魔》よりも、ボスモンスターよりも強かった。あんたはやっぱり、ALO最強の戦士だ」

 

「……その名で呼ぶのはやめろ。俺は貴様に敗北した。もうALO最強の戦士なんかじゃない。今ならばキリト、貴様こそがその名で呼ばれるに相応しいだろう」

 

「……そんな呼ばれ方で呼ばれるようになるのは保留しておくよ」

 

 

 そこでスメラギは立ち上がり、部屋の奥の方へと向き直った。闇のユグドラシルの中でも非常に広大である、如何にもボスと戦うためにあるような部屋の最奥部には、次の部屋への回廊へと続く、開かれた大きな扉が存在している。

 

 

「俺の足止めを乗り越えたのであれば、さっさと先に進め。今、貴様の仲間達が向かって行っているが、それよりも先にセブンとシャムロックの幹部達がラスボスへのエリアへと向かっている」

 

「なんだって? セブンも向かってるのか」

 

 

 自分の率いるギルドであるシャムロックの者達から女神とさえ呼ばれる事のあるセブンは、基本的にフィールドに出ていくような事はなく、攻略のほとんどをシャムロックの者達にやってもらっている。

 

 まるで巣の奥で指示や産卵を担い、働き蜂達に狩りや食料の調達を担わせるスズメバチの女王にも例えられるようなやり方をしているセブンが、普段働き蜂達だけが行く狩場に向かっているという話は、キリトも驚かざるを得なかった。

 

(……いや)

 

 よくよく考えてみれば、この闇のユグドラシルはこのスヴァルトエリアの最終ダンジョンに該当する場所であり、最深部にラスボスを抱えている場所だ。セブンの目的は誰よりも早く闇のユグドラシルの最深部へ到達しラスボスを撃破、自分がスヴァルトエリアの覇者となる事だから、普段戦わぬセブンも戦うのだろう。

 

 

「なるほどな、全ては計画の成就のためか」

 

「そういう事だ。あの娘の計画が成就すれば、あの娘は今後の人類の未来の貢献者となる……お前達がどうこう言えるほどの大きさのそれではないのだ」

 

 

 スメラギは振り向き、その紫色の瞳でキリトを見つめる。所有する太刀の切っ先のように鋭く、強く、そしてある種の優しさや温もりに似た光が瞬いているのが見え、キリトもリランも息を呑む。

 

 

「行ったところでお前達の敗北は決まっている。このスヴァルトエリアの勝者はセブンだ」

 

 

 確かにシャムロックの精鋭である幹部達がセブンと共に向かっているのであれば、ラスボスとの戦いで勝利を掴むのは比較的容易だろうし、その者達も向かっている皆も自分とリランを欠いた戦力低下状態で挑んでいるようなものだから、どちらが競争に勝つかなど簡単に予想が付く。

 

 だが、それでも自分達もここまで突き進んできて、場合によってはシャムロックと戦う覚悟も決めているのだ。既にシャムロックに追い抜かれてしまっているとか、ラスボス戦を開始されてしまっているとか、最早どうでもいい。最後のその場面まで、突き進むだけだ。

 

 心の中にずっとあった気持ちを再確認したキリトは、スメラギに向かって首を横に振って見せた。

 

 

「悪いけれど、そんな事を言われて諦める俺じゃない。俺は、俺達は最後まで突き進むだけだ。ラスボスも倒すし、報酬も受け取る。なんてったって、俺は廃人ゲーマーだからな」

 

「そういう事だ。この先にセブンがいるならば……我らのような廃人ゲーマーに出会って宣戦布告をしてしまった事を後悔させてやるだけだ」

 

 

 志同じくしているリランも、主であるキリトがデュエルに勝利した事でHPを全快させている。流石に疲労は残っているのかもしれないが、それでもラスボスと十分に戦えるくらいのスタミナは残っているだろうし、自分だってこの後のラスボスに余裕で挑めるくらいの体力を維持しているのだ。

 

 それをしっかりと認識したキリトはリランに声をかけ、もう一度スメラギに言った。

 

 

「スメラギ、あんたとのデュエルは本当に心躍るものだったよ。この攻略戦が終わったらまた手合せしてくれ。リラン、行くぞ」

 

 

 共に何度も危機を乗り越えてきた相棒の返事を聞いたキリトは、がらんどうの大部屋の最奥部、次への回廊への入り口に向かって一気に走った。

 

 スメラギとのデュエル前にはああ言ってくれた皆であったとしても、この闇のユグドラシルに住まうモンスター達には苦戦を強いられているはず、早く皆の元へ辿り着かねば――そう思っていたためなのか、その足取りはこの部屋に来るまでのそれよりも遥かに早いものだった。

 

 

 

 

 

           □□□

 

 

 

 スヴァルトエリアの最終エリアであり、事実上のラストダンジョンである闇のユグドラシル。その中で最も広いであろう部屋の中に一人佇み、スメラギは溜息を吐いた。

 

 ALOで最も強いプレイヤーと謳われるユージーンに勝利し、ALO最強という称号を勝ち取ったものの、結局それはずっと続くものではなかった。このALOでの強さの流行は絶えず変化するものであるし、それまで最強と呼ばれていたものが最強ではなくなり、また別なものが最強となるという事は日常茶飯事だ。

 

 そんな変化や変貌の波に呑み込まれないように力を付けてきたつもりではあったけれど、ついにそんな自分も敗れる時を迎えた。そして自分の敗北によって、シャムロックはALOで最も強いギルドではなくなり、その名目はキリトとその仲間達が手に入れる事となっただろう。

 

 あのキリトがそれを公表するかどうかは知らないけれども、例えキリトが公表しなくとも、今後はキリトがALO最強のプレイヤーで、最強の《ビーストテイマー》として名を馳せていく事になるはずだ。

 

 だが、それはこの戦いが終わった後の話であり、自分達シャムロックとキリト達の戦いは終わってなどいないし、セブンの計画だって(つい)えたわけではない。たとえどのような事があろうともセブンは勝利し、計画を成就させるはずだ。この計画が成就さえすれば……。

 

 

「……!」

 

 

 思いかけたその時に、スメラギは咄嗟に考えを止める。……後ろに何かがいる。モンスターの気配ではない、プレイヤーの気配だ。しかも味方のそれではなく、敵に該当するもの。シャムロックのメンバーではないプレイヤーが、このがらんどうの部屋にやって来て、自分の背後にいる。

 

 しかし、妙だ。キリト達の仲間ならば全員がこの奥に進んでいるから来るわけがないし、その他のプレイヤー達も闇のユグドラシルには到達出来ていないはずだ。この気配の持ち主は一体誰だ――振り返ろうとしたその時、耳元に声が届けられてきた。

 

 

「その様子だと、キリト君とのデュエルに負けてしまったみたいだね。スメラギさん」

 

「……」

 

 

 はっきりとした女性の声だった。しかも頻度こそは少ないものの、聞いた事のある声色。それに誘われるようにして振り向いてみたところで、スメラギは表情に出さないようにつつ驚く。

 

 コート状の白い戦闘服で身を包み、背中に刀とも片手剣ともつかないような形状の長剣を担いだ、黒くて艶のある長髪と赤茶色の瞳が特徴的な、闇妖精族インプである事を示すカーソルが頭上に表示されている女性。他の男ならば真っ先にその豊満な胸元に注目するだろうけれども、スメラギは一切目を向けたり気にしたりする事無く、女性の顔へ目を向けた。

 

 

「……()()は」

 

「やぁ。こうして面と向かって話す事になるのは初めてだね、スメラギさん」

 

 

 闇妖精族のそれとは思えないような服装のせいで、一目でインプとはわからなそうな女性はにこやかに笑む。昨日セブンと共にキリト達のいる喫茶店へ赴いた時、キリト達の中に混ざる形で話を聞いていた、キリトの仲間の女性プレイヤー。

 

 セブンによれば名を《イリス》というその女性だが、その素性を聞いた時には本気で驚く事になったのをスメラギは今でもはっきり思い出せる。自分達のような職に就いている者ならば誰もが知っている存在が現実世界の身体である女性、イリス。

 

 その事を引き合いに出さないようにして、スメラギは声をかける。

 

 

「……キリトの仲間の一人だな。随分と遅れた到着じゃないのか」

 

「仕方が無いだろう。私は仕事の合間でやっているんだから。今日だって貴重な休日なんだよ」

 

「貴重な休日をゲームに溶かすのか。随分と物好きなものだ」

 

「いやいや、私は遊びでゲームをしているつもりなんかないよ。そう、君達と……いや、貴方達と同じようにね、住良木(すめらぎ)博士」

 

「……!!」

 

 

 突如としてイリスより飛び出した言葉を耳にし、スメラギは思わず顔に驚きを出してしまう。その様子を見たイリスはすんと笑み、静かに近付いてきながらその唇を開いた。

 

 

住良木(すめらぎ)陽太(ようた)。現実では七色・アルシャーピン博士の右腕として活躍している量子脳力学者。その道じゃかなりの有名人で、その優れた能力を買われて渡米したんだってね」

 

「……全て知っているというのか」

 

「勿論。そして貴方は私の事も既に知っているんだろう。というか、知らない方がおかしいか」

 

 

 からかうように言ってくる女性の赤茶色の瞳と自身の紫色の瞳を合わせる。

 

 このイリスというプレイヤーの現実世界での名前は、自分達のような科学者ならば誰でも知っているそれであり、寧ろ知らない方が変だと言われるくらいだ。その名をついに、スメラギは口にする。

 

 

芹澤(せりざわ)愛莉(あいり)博士。元アーガスの社員の一人であり、あのSAOではチーフプログラマを務め……茅場晶彦の右腕とさえ言われた天才的AI研究者で、心理学者でもある。一説によれば茅場晶彦を育てた研究室で同じように育てられたとも言われている」

 

「ほほぅ、そんな事までも知っているのかい。特に私が元アーガス社員だって事は結構な機密情報のはずなんだがね」

 

「この辺りの話は俺達のような科学者ならば、誰もが知っている情報だ。それだけ貴方は有名人のはずなのだが……当の本人にその自覚がないとはな」

 

 

 スメラギの言葉が面白かったのか、くふふと笑うイリス。

 

 話によればこの芹澤愛莉という人物はかなりの変り者、異端者的な存在とされており、科学者達の間でも変人のような扱いを受けていたという。その時には芹澤愛莉という科学者の、その天才的な技術力に嫉妬した者達が出鱈目を言っているのではないかと思ったものだが、どうやら科学者達の言っていた事の方が真実だったようだ。

 

 

「まぁなんだ。君が私の事を知っていたおかげで、私は自己紹介をする手間を省く事が出来た。その点には感謝するよ、スメラギ君」

 

「まさか貴方のような人がこのALOで、しかもキリト達の仲間としてログインしているとはな。一体何の目的のためにそんな事をしているというのだ」

 

「……それを私に聞く前に、君の事情というものを話すべきなんじゃないのかい、スメラギ君」

 

「なんだと?」

 

 

 驚いているスメラギにある程度近寄ってから、イリスはそっと腕組みをする。まるで国家の機密情報を知り尽くしているかのような雰囲気を漂わせているその姿に、スメラギは目が離せなくなった。

 

 

「スメラギ君。君はアメリカに居ながら、日本の総務省のスパイをやっている。そうだろう」

 

「……何を言い出すのかと思いきや、意味がわからないな。というか、何を根拠にそんな事を言い出す」

 

「根拠? そんなものは単純だ。私は君の依頼主の傍に居るんだ。それでその依頼主さんから直接その話を聞き出したのさ」

 

 

 その一言に思わず驚き、スメラギは咄嗟にイリスの目を見る。そこには予想通りの反応を見た時の科学者のような表情が浮かんでいた。

 

 

「レインという娘がいただろう? あの娘は随分とセブンやシャムロックの動向を掴んでいたけれども、それは君の依頼主である菊岡さんが彼女に情報提供をしていたからだ。けれども、菊岡さんと言えど総務省の役員の一人でしかないから、ALOの運営にプレイヤーのデータを寄越せなんて言ったところで実現しえない。そんなの越権行為だからね」

 

「……」

 

「ならば何故菊岡さんがセブンやシャムロックの情報を得てレインに与える事が出来ていたのか。それは現実とVRで常にセブンの近くにいる君が、菊岡さんに派遣されたスパイだったから。君はこのスヴァルトエリアの攻略を開始した時から菊岡さんとグルだった。そうだろう、スメラギ君」

 

 

 スメラギは何も言わないでいたが、イリスの言葉は全て的を得ていたそれであった。

 

 スメラギはもともと日本に滞在して研究をしていたし、そのまま日本で科学者として生きていこうとも考えていた。しかし、日本では自分の思い描く研究の出来る環境は整っておらず、どこを巡ったところでそれが変わる事が無く、歯がゆい思いをさせられ続けていた。

 

 そんな時に、アメリカで研究を進めている天才科学者である七色博士からのオファーが来て、尚且つ自分の研究を進められる環境が整っている事を知る事になった。日本よりも良い環境があり、そこでならば思う存分に研究を進める事が出来る。

 

 全くデメリットの存在しない場所であるという事を知ったスメラギは特に断る事もなく渡米し、そのまま七色博士が主催する研究室の一員となり、やがて七色博士の右腕助手として研究を進める事となったのだ。

 

 しかし、そんなある時だ。日本の総務省に務めているという菊岡誠二郎という人物が連絡を寄越してきて、ALOで活動している時のセブン/七色の情報を教えてほしいと依頼をしてきた。

 

 勿論スメラギはその時の菊岡を怪しんだが、菊岡はそれに対する報酬としてかなりの額の報酬金を提示してきて、更にその情報は総務省という国家機密にかかわるところで扱われるから他に漏れる事もないと言われた。そして何より、実際に菊岡が総務省の人間であるという証拠も提示してもらった。

 

 それにスメラギ自身も、人類の未来の発展に貢献する気で研究を進めるセブンという人物がどのようなそれなのか、正直気になっている部分も多かった。

 

 それらの事から、菊岡が信用に足りる人物であると思い、スメラギは菊岡の依頼を呑み込み、セブンの観察と菊岡への情報提供を続けたのだった。

 

 

「……貴方の言う通りだ。俺は確かに菊岡さんから依頼を受け、シャムロックやセブンの情報を渡していた。だが、俺自身が持つセブンへの忠誠は嘘ではない」

 

「というと?」

 

「俺は確かに当初、セブンの事は研究チームの一員だと、観察対象だと思って接していた。だが、あの娘の研究やその発展への情熱を見ているうちに、心の底から応援したくなったんだ。あの娘は本当に自信の研究が人類の未来に貢献する事を信じて行動し続けている……この計画もあの娘の情熱が織り成したものなのだ」

 

 

 自分の思惑を全て話した後に、スメラギはイリスの目を見つめ直す。

 

 情報によればイリス/芹澤はアーガスの解散を機会に科学者から身を引き、日本のどこかで精神科医をやっていたそうなのだが、今のイリスの顔はまさしく精神科医やカウンセラーのそれのようだった。

 

 イリス/芹澤愛莉は茅場晶彦の右腕と言われるくらいの科学者であり、その技術力を存分に生かせばセブン/七色以上のものを次々と作り上げ、歴史や世界に名を轟かせる功労者として認められるはずだ。

 

 なのに、科学者の道から手を引いて精神科医なんていうものをやっていて、尚且つ科学と何も関係のない総務省などというところにいる。その思惑が全くと言っていいほど理解できないスメラギは、イリスに問うた。

 

 

「そんなあの娘と貴方は同業者のはずだ。貴方は本来こちら側の人間……何故貴方はあの菊岡さんのところにいる。貴方ほどの科学者ならば、その技術力で人類の未来の発展に貢献できるはずだ。何故、俺達のように研究を進めないのだ。何故、七色博士のいる俺達の元へやってこようとしない」

 

 

 鋭い目つきで問われても、イリスは全く動じないうえに何の言葉も発さない。これだけ自分の事を話してやったのに、この人は何も話さないつもりでいるというのか。苛立ちにも似た感情を胸にしたスメラギがもう一度問おうとしたその時、イリスは咄嗟に下を向き、そのまま言葉を紡ぎ始めた。

 

 

「なるほどね。君達の科学への情熱や熱意というものは本物だったという事か。まさかそこまでとは思ってみなかったよ。君もセブンも、私が想像していたよりも遥かに立派な科学者……同じ科学者の先輩としては嬉しい限りだ」

 

「……」

 

「それで、私が何故菊岡さんのところにいるのかっていうと、そこに私にぴったりな仕事があったからだよ。君は私が科学者でなくなったと思ってたみたいだけど、それは違う。私は菊岡さんのところで科学者をやり続けているんだ。そう、君達の知る情報のとおり、AI研究開発者としてね」

 

 

 思わず「何?」と聞くと、イリスはもう一度ふふんと笑って、周囲を軽く歩き始める。

 

 

「あの人が私に研究と開発をさせてくれてるから、そしてそれが私の一番やりたい事だったから、私は菊岡さんのところに居るわけだ。だから安心してくれスメラギ君。私は科学者でなくなったわけではないんだよ。

 まぁ、今やってる研究が人類の未来の発展に貢献しているかどうかなんてわからないし、そもそもそんな目的のためにやってるつもりもないんだけれどね」

 

 

 そこでスメラギは目を見開く。人類の未来の発展のために研究していないとはどういう事なのか。科学は人類の未来の発展のためにあり、科学の発展こそが人類の発展であるはずだ。

 

 科学を発展させて人類の未来を創っていく事こそが、自分達科学者の全てが胸に抱く目的。その科学者であるはずのイリスから発せられた言葉が信じられず、スメラギが問おうとしたその時に、イリスはくるりと振り返って来た。

 

 

「……如何にも、私の言葉が信じられないみたいな顔をしているね。何か変な事言ったかい、私」

 

「……人類の未来や科学の発展のためではないならば、貴方は何のために研究をやっているんだ」

 

 

 安直な質問を受けたようにイリスは笑い、再度俯いた。そのまま顔を上げないで、イリスはスメラギに歩み寄り始める。

 

 

「確かに私の技術があれば、人類の未来の発展に貢献するようなものが出来るだろうし、そもそも私の技術力自体が人類の未来に貢献できるものだろうね。私が君達と手を組み、色々と力を振るってやれば、それはそれは人類の未来を明るく出来るものが出来上がる事だろう。だけどね、スメラギ君」

 

「なんだ」

 

 

 そこでようやくイリスは顔を上げ、その赤茶色の瞳を向けてきたが、それを見た途端にスメラギは言葉を喉で詰まらせた。

 

 

「……自分から基本的に何も生み出そうとせず、自分と何にも関係のない芸能人やら有名人やら著名人やらが結婚しただとか離婚しただとか不祥事を起こしただとかの話があれば、本当に知らなきゃいけない情報をそっちのけで喜んで喰い付き、ニュースの有名人やら芸能人やらの名前を検索キーワードランキングを一位にさせ、他人や有名人の粗探しを血眼(ちまなこ)になってやって、個人を暴き尽くす事を趣味にして時間を空費し続ける。

 

 挙句、未来を創造していくはずの子供を産んでもまともに育てられない、しっかりと愛情を注ぐ事も出来ない、その命を奪う事さえ平然と出来てしまうような大人達が大半を成す今の人類というものに、わたし達が汗水たらして貢献してやるほどの価値なんてあるのかしらね」

 

 

 言葉の一つ一つがはっきりとわかる喋り方でイリスは淡々と言い続け、その間にじりじりと顔の距離を縮めてきて、やがて吐息が顔にかかって来るくらいのところまで近付いてきた。だというのに、スメラギは全くと言っていいほど身動きを取る事が出来ず、ただイリスの言葉を聞く事だけが出来た。

 

 

「寧ろ今の人類というものには、わたしの技術や()()()なんかよりも、もっと与えてやるべきものがあると思うのだけれど……どう思うかしら、住良木君」

 

 

 イリスの言葉ははっきりと聞こえているし、全て聞き取れている。そのはずなのに、何一つその意味を理解する事が出来ない。

 

 このイリスという女性は何を考えているのか。

 何を言っているのか。

 何の話を自分にしているというのか。

 

 複雑な話は理解できるようにしてきたつもりだが、目の前にいるイリス/芹澤愛莉の話の真意を理解する事は、全くできない。まるで自分達の住んでいる世界とは違うところに存在する世界の話をされているかのようだ。

 

 頭の中が痺れたようになったままイリスの瞳をじっと見つめ続け、ある程度経ったところでそれは離れていき始める。やがて視界の外に行ってたところで、スメラギは自由を取り戻し、部屋の奥へと進んでいく女性に振り返る。

 

 

「……さてと、そろそろ行かないとね。セブンに挑んでいるキリト君達が心配だ。君との話はこれくらいにさせてもらおう。久しぶりに科学者らしく話が出来て良かった」

 

「待ってくれ。最後に聞かせてくれ。貴方はキリト達の近くにいるが、何故キリト達の味方なんだ。キリト達が貴方の作ったSAOの生還者だからか? キリトが英雄だからか? 何故貴方は……キリトに協力しているんだ」

 

 

 慌てたような質問をするスメラギの声が届いたのか、イリスは足を止めた。答えが返って来たのは二秒ほど経ったその時だった。

 

 

「……随分と変な事を、わたしに聞くのね。わたしがキリト君達……キリト君の傍に居る理由なんて、わざわざ言う必要もないものなのに」

 

「何?」

 

「だって――」

 

 イリスは振り返り、その口を小さく動かした。

 

 

「――は………が、愛するわ……の傍に居て、守り、時に導いてあげるのは、当然の事でしょう?」

 

 

 




――本作のオリジナル要素解説――


・《結剣弓(けっけんきゅう)

 本作のキリトが取得しているオリジナルソードスキル。二本の剣を合体させて三日月の形を作り、両端を魔法の弦で結び付ける事で弓を作り、更に魔法で作り上げた火矢を番えて放つ、遠距離攻撃スキル。

 放たれた矢は燃え盛る白き狼のような姿となって敵をホーミングして喰らい付き、最終的に大爆発を引き起こして敵に甚大な炎属性ダメージを与える。

 キリトは弓で戦った事はないし、弓の熟練度もないが、頭の中に存在するシノンの記憶を呼び覚まして、自分の身体でトレースする事で弓矢の使用を可能としている。

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