キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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君臨せし黒き影と極まりし(とき)

ついにアレが現れる。


15:君臨セシ黒キ影ト極マリシ刻

           ◇◇◇

 

 

 

 突如として現れたウインドウの中身を見て全員で驚いた後、俺達は建物の影から移動して広場へと戻った。

 

 その時には多くのプレイヤー達が騒ぎ立てており、どの者も口々にラスボスが倒されたとか、ラスボス撃破者の救出クエストとは何だだとか、俺達が見たウインドウの中に書いてある事を話し合っているのがわかった。

 

 どうやらこのウインドウは運営が緊急クエストの実施時などに使ってくるウインドウと同じものであり、このクエストも運営が直接俺達プレイヤーの全員に送って来たものであるらしく、その他のプレイヤー達も突然の緊急クエストの実施に戸惑っているようだ。

 

 けれども、セブンとシノンがハンニバルの手によって連れ去られた直後にこのクエストは来たものだから、あまりに怪しすぎるというか、キナ臭くて仕方が無く感じられる。このクエストが実施されたのは偶然ではないのではないか。これもまたハンニバルの策略によるものなのではないか。

 

 

「キー坊!!」

 

 

 混乱している皆の中で一人そう思っていると、広場の奥の方から声が聞こえてきた。振り向いてみれば、様々な種族のプレイヤー達の注目を浴びつつ、広場の向こうからこちらへ歩み寄ってくる人影が三つ。

 

 イリス程の長身を若草色の和風の衣装に包んでいる、大きな胸とダークグリーンの長髪が特徴的な女性と、金というよりも黄色に近しいウェーブヘアと小麦色の肌、ワンピースの水着のような衣装を纏う、猫のような耳と尻尾が特徴的な美少女。

 

 そして薄黄色の髪の毛に包まれた頭部から猫とも犬とも付かない獣の耳を生やし、多少の露出度のある戦闘服の上からポンチョを着て、頬にネズミの髭のような模様を付けている少女の三人。

 

 それぞれシルフ領の領主であり、カイムが(ねえ)と呼んでいるサクヤ、その茶飲み友達だというアリシャ・ルー、ALOに移ってからも引き続き情報屋として活躍中のアルゴだった。

 

 高い支持率と人気を得ている領主二人が出て来たものだから騒がずにはいられないのだろう、あちこちから「サクヤさんじゃないか」「アリシャさんもいる」「すげー」などと言った声が上がり始めたが、三人は何一つ気にする事なく俺達の元へと歩み寄って来て、そのまま立ち止まった。

 

 

「キー坊、お前達、ラスボスに勝ったのカ? いきなり緊急クエストが実施されたゾ」

 

「あぁ一応な。けれどそれどころじゃないんだよ。実は今――」

 

「あれ、シノンちゃんがいないネ。今日はログインしてないの」

 

 

 来て早々俺達の異変に気付いてくれたアリシャに、リーファが歩み寄って説明を始めようとしてくれたが、それが始まる前にカイムが喫茶店へ向かうべきと提案し、中断してしまった。

 

 確かにこれから話す内容は他のプレイヤー達にかなりの混乱を起こさせるものであろうものであり、領主二人が聞いている話に聞き耳を立てる者がいないという可能性もゼロではないし、聞かれたプレイヤー達のせいで余計な事が起こりかねない。

 

 把握した俺はカイムと同様に三人に呼びかけ、全員でエギルの経営する喫茶店へ向かい、中に誰もプレイヤーがいない事を確認してから入り込み、そこでリーファと一緒になって三人へ起きた事を話した。

 

 かなりの親しい仲であるリーファからの説明を聞くなり、三人は大きな声を上げて驚き、話が終わったタイミングでサクヤが口を開く。

 

 

「シノンとあのセブンが、連れ去られた!? どういう事なのだ、それは」

 

「プレイヤーがプレイヤーに連れ去られたって事なの? けど、何のために?」

 

「詳しい事は俺達にもわかりません。その出来事があった後に、このクエストが配信が始まったみたいで……」

 

「妙に辻褄が合っているような感じだな。スヴァルト・アールヴヘイムのラスボスの撃破者が連れ去られるイベントが起きて、他のプレイヤーが救出するクエストが起きるように(あらかじ)め設定されていたというのか」

 

 

 サクヤの呟きを聞いた俺はアルゴに向き直る。レアアイテムの手に入るクエストの出現条件、クエストの攻略方法、アイテムの入手方法などなど、普段から情報を集めまくっているアルゴならば、この状況を理解しているかもしれない。しかし、アルゴは困惑したような顔をして、俺の顔を見返してきた。

 

 

「おれっちに聞けば何かわかると思ったのかもしれないガ、それは違うゾ」

 

「お前でもわからないか」

 

「わからないナ。そもそもスヴァルト・アールヴヘイムのグランドクエストがどこまで用意されているモノかさえ、まだわかってないからナ。サクヤの姉御の言ってる通りなんじゃないカ」

 

 

 確かにサクヤの言うように、スヴァルト・アールヴヘイムのグランドクエストのラスボスである《闇の神》を撃破した場合、ある者が連れ去られ、他のプレイヤーで救出に向かうなんて言うイベントクエストが発動するようになっていたとしても不思議ではないだろう。

 

 だが、その連れ去られる役は本来NPCがやるものであり、プレイヤー――ましてやフルダイブしている――がその役をやらされるなんて言うのは前代未聞だし、一人だけそんな目に遭うクエストを運営が実装するとも思えない。

 

 そんな普通ではありえないクエストがこうして始まってしまっているのだから、シノンとセブンの身に起きている事はALOの運営がやった事ではない事が確定した。俺と同じようにそれを理解したであろうカイムが、サクヤに話しかける。

 

 

「違うよ姐。セブンとシノンさんは、テロリストに捕まったんだ」

 

「テロリスト!? 何を言っているカイム。ALOにサイバーテロを仕掛けてきたテロリストがいるとでも言うのか」

 

 

 カイムが頷くなり、二領主とアルゴは信じられないような顔をしたが、すぐさまユイが皆に聞こえるように話し始めた。

 

 ユイが調べたところ、今配信されているクエストはサクヤと俺が予想した形式のモノであり、グランドクエストのラスボスである《闇の神》を倒すと出現するもので、連れ去られたNPCを救出しにプレイヤー達を新ダンジョンへ向かわせ、裏ボスとも呼べるレイドボスを倒させるという内容なのだという。

 

 それにぶつける形でハルピュイアはシノンとセブンを連れ去り、実装された新ダンジョンの最深部へと向かっていったとユイは言って、話を終える。

 

 

「つまり、シノンとセブンはその新ダンジョンの最深部にいるって事か」

 

「それで間違いないです。ハルピュイアは今、ママとセブンさんを捕え、新ダンジョンの最深部でわたし達を待っています」

 

 

 しめたと、俺は思った。

 

 実装された新ダンジョンというものがどんなものなのかはわからないが、このクエストの実装を聞いたらどんなプレイヤーでもそこへ飛び込んでいくだろうし、その権限を持っているのがグランドクエスト達成者及びそのギルドメンバーだけというルールになっていても、セブン率いるシャムロック全員がそこへ向かえるはず。

 

 そして――シャムロック全員が羽飾りを通じてあの時の映像を見ていたはずだから、セブンの身に何が起きているかを把握できているはず。あんな事になったからには大混乱している事だろうけれども、セブンが連れ去られたと知ればすぐさま駆け付けようとするはずだ。

 

 俺達とシャムロック全員ならば新ダンジョンへ、シノンとセブンの救出へ向かえ、大軍勢でハンニバルの討伐が出来る。

 

 思い付いた事を頭の中でまとめ上げると、シャムロックの最精鋭である青年に、俺は声をかけた。

 

 

「スメラギ、シャムロックは今どうなってる。シャムロックもクラスタも、あの時の映像は見ているんだろう」

 

 

 スメラギは首を横に振り、口の中で苦みを感じているような顔をする。

 

 

「……いや、ハルピュイアが現れた時点で通信が遮断されていた。シャムロックもクラスタも、セブンの身に起きた事は何も知らないでいる」

 

「なんだって。これだけの事が起きたのに、連中は何も知らないのか!?」

 

 

 ディアベルの問いかけに更に苦渋な顔をするスメラギ。そういえばあの時シャムロックとセブンのクラスタは、セブンの衝撃的な真実を突然突きつけられたうえに、スメラギとクラインに一方的に話をされて、何が何だかわからないような状態となっていた。

 

 恐らく今、あまりの出来事の連続にシャムロックとセブンのクラスタの動きは麻痺してしまっていて、到底緊急クエストに向かえるような状態ではなくなっているのだろう。そこに付け加える形で、リランが言う。

 

 

「それに多分、普通にクエストを受けるだけじゃセブンとシノンのところには行けないようになっているはずだ。一般プレイヤーが新ダンジョンに向かっても、助け出せるのはクエストで設定された、どこぞの王国の姫みたいなNPCだ。そうだろう、ユイ」

 

「はい。恐らくハルピュイア……ハンニバルはクエストを受けていない状態で新ダンジョンへ向かう事で、自分のところへ辿り着けるようになっているルートを組んだと思われます。けれど新ダンジョンへは緊急クエストを受けていないといけないようになっていますから、一般のプレイヤー達ではハンニバルのところへ行く事は不可能だと推測されます」

 

「普通の方法じゃ行けないの? そんなのわたし達でも行けないって事じゃない!」

 

 

 アスナの驚きの声に反応するように、俺は顎もとに手を添える。

 

 こういった緊急的に実装されたダンジョンなどは、普通に行こうとしてもシステムの障壁に阻まれてしまい、クエストを受ける以外に入る方法がないように設定されている事が多い。今回もその類になっているならば、クエストを受注して障壁を超えるしか方法がないが、それではクエスト通りにしか進めず、シノンもセブンも助けられない。

 

 この異変を運営に報告するという方法もあるといえばあるだろう。だけどALO自体には何も異変は起きておらず、現状クラッキングやハッキングを受けているという放送さえも来ていない。それに事態が事態なうえに巻き込まれているのが俺達十数名だけだから、運営も悪戯(いたずら)だと思って相手にしてくれないだろう。

 

 ハンニバルはこの事を想定したうえで、あのような事をやったというのか。――いや、どこまでも用意周到に計算をして準備を進め、計画を練り上げるハンニバルの事だ、それくらいの事など容易に出来るに違いない。

 

 自分の計画を邪魔する存在を、そしてそれらの立場をしっかりと認識し、その対処方法を考え、俺達の考えと行動の先の先を読み……あいつは俺達プレイヤーではどう足掻いても辿り着けないところへ、二人を連れ去ったのだ。

 

 

「……!!」

 

 

 このまま指を咥えている事しか出来ないのか。悔しさに歯を食い縛って、この状況をただ見ている事しか、俺には許されていないというのか。何も出来ないでいる事を、ハンニバルに(わら)われている事しかないのか。

 

 いや、何かあるはずだ。あいつに対抗する手段が何か。けれど、それは何なのか。何がこの打開策に繋がりそうなのだろうか。歯をすり減らしそうな勢いで食い縛って頭の中をフル回転させようとしたその時、ふと耳元に声が聞こえてきた。

 

 

「ねぇ、キリト」

 

 

 振り返ってみれば、そこには灰銀色の髪の毛とオレンジ色の瞳が特徴的な、黒緑色の戦闘服に身を包んだスプリガンの少年。俺達の仲間であり、連れ去られたシノンと同じイリスの患者であるシュピーゲルが、俺に声をかけて来ていた。

 

 

「なんだよ、シュピーゲル」

 

「さっき、ハルピュイアが何か渡して来てなかった? 潰されそうになりながら見てたんだ、あいつがキリトに何か渡すところ」

 

 

 灰銀色の弓使いの問いかけで俺はハッとする。そうだ、あの時ハルピュイアは俺に何かを渡して来ていた。重力に潰されそうになって意識がはっきりしていなかったけれど、手渡しに等しい形でアイテムストレージの中に何かを突っ込まれた事は確かだ。

 

 記憶を頼りにして俺はウインドウを開き、無数のアイテムで埋め尽くされているストレージの中を閲覧する。その数秒後に、俺はアイテムの項目の中に一つだけ存在する、世界観をぶち壊す違和感を放つ《Unknown Card》という名前を見つけ、すかさずクリックする。

 

 アイテムを使う時のいつものエフェクトがすぐ目の前で発生し、手を伸ばしてそれを受け取ると、北欧神話をモデルにした世界には相応しくない、一枚のシルバーカードが姿を現した。同刻、皆が物珍しそうに視線を飛ばしてきて、そのうちのリーファが言葉を発した。

 

 

「おにいちゃん、それ何?」

 

「あの時ハルピュイアがくれたんだ。ユイ、これが何なのかわかるか」

 

 

 小さな妖精となって近くを浮遊するユイにカードを差し伸べると、ユイは一瞬だけ目を丸くしてから、そのカードに小さな手で触れた。光の筋がカードに走り、ユイの手へと伸びていく。

 

 

「これはアクセスカード……ある場所に一定の人数を転送するシステムを呼び起こす物です。行先は……新ダンジョン、《エーリューズニル》の最深部の座標に固定されています!」

 

「って事は、これを使えばシノンとセブンのところに行けるんだね」

 

 

 イリスが言うなり、皆の方で声が上がる。それに付け加える形でユイが皆の事を見回しつつ、はっきりとした声で言った。

 

 

「同時転送可能人数は二十人……今この場にいる全員で、向かう事が可能です」

 

 

 その言葉を受けて、皆で息を呑む。ハンニバルへの道は閉ざされていたわけではなく、寧ろあいつ自らがその道を用意していた。しかもご丁寧な事に、俺達全員が向かって行けるようにもしている。

 

 あまりにあからさま過ぎるものだから、罠ではないかとも思ってしまうし、実際そうなのかもしれない。けれども、シノンとセブンを助けに行けるルートはこれしかないし、罠である事を恐れて向かわないという手は使えない。

 

 もう、罠であろうと行くしかないのだ。その事を踏まえた上で、俺はこの場に集まってくれている皆に向き直るが、そこで驚く事となる。皆の顔は既に、このシルバーカードが転送してくれる場所へ向かう気満々、魔王を倒しに向かう勇者の一向のような表情を浮かべていたのだ。

 

 きっと不安もあるのだろうけれども、そんな事を気にしている場合ではない事を、皆は理解してくれている。それに鼓舞されるようにして、俺は皆に呼びかけた。

 

 

「皆、今集まっている全員で《エーリューズニル》の最深部に向かうぞ。あいつはそこで待ち構えていて……シノンもセブンもそこで捕まってる。もしかしたらこのカード自体罠かもしれないけど、それでも行かなきゃだ」

 

「当たり前だよ。シノンとセブンが捕まってて、行けるのがボク達だけなら、もう行くしかないよ。それに、ついに《壊り逃げ男》事件の黒幕に出会えたんだ。これを逃さない手はないよ!」

 

「そうだぜ。俺達はついにあの事件の黒幕のところへ辿り着いたんだ。囚われたシノンさんとセブンを皆の手で取り戻して、あの事件の黒幕に勝とうぜ!」

 

 

 そう力強く言ったユウキとディアベルだが、他の皆も同じような事を言いたそうな顔を引き続きしており、あの戦いを経験したわけでもないサクヤ、アリシャ、シュピーゲル、イリス、アルゴ、スメラギまでも、如何にも最後の戦いへ挑む事への覚悟を決めているような表情だった。

 

 この場にいるのはALOで組める最大パーティである四十九人の半分以下の二十人。たったそれだけの数で相手にする事になるのは強さが全く未知数であるとされている、《壊り逃げ男》事件の黒幕であるハンニバルという名の、本物の魔王。だのに、誰もそれを恐れるような事はしておらず、寧ろ果敢に挑もうとしている。そんな皆に最早何かを問いかけるのは愚行と言えるだろう。

 

 SAOで血盟騎士団の団長をやっていた頃、ボス戦へ向かおうとしている前の頼もしき団員達を見た時のような心強さを感じ、俺は宣言するように言った。

 

 

「よし皆、ひとまず準備をしよう! これから向かうのはどんなものが待ち受けているかわからない場所だし、どんな敵が出てくるかもわからない。どんな事が起きても大丈夫な準備をして、またここへ戻って来よう!」

 

 

 「おぉっ!」という唱和が喫茶店の中にびりびりと響くと、決意を抱いた皆はそれぞれ必要なアイテムを求めて街の中へ向かって行った。俺もリランと一緒にその中の一人となって街に出て、リランと話し合いをしながらアイテムショップで闇のユグドラシルの攻略、《白の女神龍》との戦いで消耗した回復アイテムなどを買い揃え、更に喫茶店に隣接されているリズベットの工房に向かい、丁度戻って来ていたリズベットに武器のメンテナンスを依頼。

 

 一生懸命に武器のメンテナンスを行うリズベットを見ながら、シノンとセブンの安否を心配しつつもハンニバルとの戦闘時の作戦なども練り、メンテナンスの完了した武器をリズベットから受け取ると、本当にSAOで正念場を迎えようとしていた時のような気分になりながら、喫茶店へ戻った。

 

 その時には三人くらいしか集まっていなかったが、分単位で続々と仲間達が戻ってきて、十分後には二十人全員が結集した。準備を整え、最後の戦場へ向かおうとしている俺達はまさに、王道のRPGにある魔王の元へと向かおうとしている勇者の少数の一向だ。

 

 そんなふうに見えるくらいに準備が整ったのを見て、俺はカードを起動するようにユイに指示をした。俺達よりも背丈が小さいせいでただでさえ小さいのに、小さな妖精の姿となっているせいでより小さくなっている手がカードに触れると、無数の光がカードからユイへと登り、ユイを発生源として放射状の青い閃光が辺りを包み込み始めた。

 

 「《エーリューズニル》の最深部に転送されます」という声と共に俺達は光に呑み込まれ、不意に上へ引っ張られる。間もなくして、その場にいる全員がデータの奔流となって喫茶店を、空都ラインを抜けていき、どこか知らない場所へと飛んで行った。

 

 

 

 

           ◇◇◇

 

 

 意識の空白が起きたのは一瞬だけであり、目を開けたその時俺達の居場所は喫茶店の中ではなくなっていた。空が紫色に染まっており、地平線にかけて黒へグラデーションしていっていて、周囲を魚ともモンスターとも思えないような形をした、実体を持たない半透明の何かが泳ぎ回っているという、なんとも異様且つ広大な空間。

 

 その中にぽつりと俺達は居る。周囲を見回しても何かがあるわけでもなく、皆が何が起きたのかわからないような顔をして周りを見渡していた。もしかして本当にハンニバルの仕掛けた罠にかかってしまったのだろうか――あまりに何もないものだから、心配になってしまった俺はユイに話しかける。

 

 

「ユイ、ここは」

 

「ここが新ダンジョン、《エーリューズニル》の最深部です。マップデータの形状から考えるに、どうやらここでスヴァルト・アールヴヘイムのラスボスと戦うようになっているみたいです」

 

 

 確かにこの場所の雰囲気と言い、広さと言い、《白の女神龍》と戦った《闇のユグドラシル》の最深部に似通っているのがわかる。ユイの言う通り、こここそがグランドクエストの終着点であり、プレイヤー達が最後のボスと戦う事となる円形闘技場なのだろう。

 

 そして――シノンとセブンを捕らえたハンニバルが、俺達に来るように示した場所。計算高いハンニバルの事だから、自分の用意した空間に俺達を飛ばしたならば、ユイがマップデータを参照できないなんて事になるだろうけれども、それがちゃんと出来ているという事は、ここがまだALOの中であり、ハンニバルの罠の中ではないという事だ。

 

 この深淵なる闇の中のどこかに、シノンとセブンを捕らえてハンニバルは存在しているはず。一体どこにいるのか――そう思って皆と一緒に周囲を見回したその時に、不意に耳元に聞こえてくる声があった。

 

 

「よぉ、《黒の剣士》様、いや……《黒の竜剣士》様よぉ」

 

 

 あまりに背筋の凍るような、聞き覚えのある声に俺はぞっとし、その方向に振り返ったところで声を失う。黒い革のポンチョを見に纏って顔の上半分を隠し、ベルトで縛りつけられたズボンを穿いている、奇妙さ、不気味さ、美しさ、狂気さが混ざり合った雰囲気を放つ長身の男が、比較的俺達から離れたところで、深い闇の中に紛れるような形になりながらこちらを見ていた。

 

 忘れもしない。アインクラッドの攻略の中期に突然現れ、アインクラッドに囚われたそれら以外のプレイヤー全員を恐怖のどん底に陥れた殺人ギルド、《笑う棺桶》の長。その毒牙で何人もの一般プレイヤーの命を奪い、最終的に世界の防衛機構によって暴走したリランの炎と剣で切り裂かれて死んだとばかり思われていた、PoH(プー)

 

 

 SAOがクリアされて以降、シノン以外見た事が無かったその姿を目にして言葉を失ったのは俺だけではなく、PoHと《笑う棺桶》の事を知る全員だった。しかし意外な事に、俺はすぐさま言葉を取り戻す事が出来て、再び現れた殺人者に言葉をかけられた。

 

 

「PoH……お前なのか」

 

「おいおい、オマエまで平和ボケしてやがんのかよ。オレの事を忘れるなんて、ありえねぇだろよぉ。あの時オマエのPrincessに手を出してやったっていうのによ」

 

 

 日本語の中に流暢な英語の混ざった口調。自分がマルチリンガルである事の証明。間違いなく、俺の目の前にいるのはあのPoHだ。忌まわしき殺人者、連続殺人鬼。俺達の知らない間に生きてて、ハンニバルの手下になっていた、PoHなのだ。それをしっかり確認するなり、同じくPoHを憎む者同士であるアスナがキッとPoHを睨みつけて、その口を開いた。

 

 

「あんた、やっぱり生きていたのね……あんな事になってまで」

 

「ん? あぁ《閃光》か。っていうか全員揃ってやがるな。オマエら全員仲良く……あ?」

 

 

 その時突然PoHの口が止まった。言葉の途中で停止したものだから、完全に口が半開きになっている。何かを衝撃的なものを目にして驚いているようにも見えるけれど、目元が見えないせいでどこに視線を向けているのかさえわからない。

 

 一体何事かと俺達全員で思った直後、殺人者は急に笑い出した。

 

 

「マジかッ、マジかよ! 本当にやってんのかよ! こいつはすげぇぜ! ホントあんたには敵わねえよ、BOSS……!」

 

 

 これまでほとんど聞いた事のない男の笑い声が、空虚で深淵なる闇の中へ木霊していく。何がそんなに可笑しくて笑ってしまっているのか。俺達のどこに笑える要素があるというのか。いや、元よりこの男はまともな奴じゃなく、狂った思考の持ち主だから、その理由を求める事自体が間違っているのだろう。

 

 しかし、やはりこのような事になったからには気になって仕方が無かったのか、俺の隣にいるイリスが初対面の殺人者に言葉をかけた。

 

 

「君の事は異常者だと聞いてたけど……本当にその通りだったみたいだね、PoHとやら。一体何がそんなに可笑しいっていうんだい」

 

「あ? おいおい、独り言にマジで反応するんじゃねぇよ。っていうか、これでよしじゃねえか」

 

 

 皮ポンチョの男は目元を見せないまま顔を上げる。ようやく目線の先がわかったが、そこは紫色で、半透明の魚のようなものが群れを成して泳いでいる異様な空。それに向かって、PoHは叫んだ。

 

 

「来たぜBOSS。間違いなく奴らだ。あんたが欲しがってたのも、ちゃんと居てくれてるぜ」

 

 

 それまでと同じように、PoHの声は闇の中へと消えていくだけだった。空は相変わらず紫で、地平線にかけて黒くなっていっているだけで、何も変わらない。しかし、その時既に俺は感じていた。

 

 ――居る。俺達以外の見えない何かが居て、俺達の事を見ている。この男はその見えない何かに呼びかけているのだ。それだけは間違いない――そう思ったその時、PoHに対する答えと思わしき声が空間内に響き渡った。

 

 

「……来てくれる事を信じていた。あの世界を越えし者達よ」

 

 

 あの時ハルピュイアから発せられていたものと同質の、四十代後半のようにも思えるけれど、普通より高めの聖域。俗にハスキーボイスと言える声。その根源を探そうとするよりも先に、PoHの前方にPoHの着ているポンチョ――俺の着ているコートも含む――の色の真反対である白色の光球が出現し、それは一気に膨張していって、そのまま人の形を作っていった。

 

 そして光が弾けて、中から現れてきた者に、俺達は釘付けとなる。白と金色を基調としていて、ところどころ紫色のラインの入っている鎧とコートが合体したような衣装に身を包み、顔にハルピュイアのそれと同じ血管のような紫色の紋様の刻まれた仮面を付け、先端が白銀となっている、肩まで届くくらいの長さの金髪が特徴的な人間。

 

 

 一目で見ればハルピュイアのようだったが、肩幅の広さと厳格な雰囲気から、男性である事がわかった。突然現れた謎の男に、アインクラッドで謎の男とされる事も多かったPoHが近寄り、口角を上げる。

 

 

「ほら見ろよBOSS。ちゃんと全員揃ってるだろ。あ、よく見たら余計なのも混ざってるな」

 

「その辺りの事は特に問題ない。予想外の客が来てくれたとして、喜ぶ事にしよう」

 

 

 鎧コートを纏った仮面の男は俺達の事を睨みつけた。目が見えていなくとも見られているのがわかり、異様な空気が身体の中へと流れ込んでくるのを感じると、仮面の男が声を出した。

 

 

「ようこそ、あの世界の生還者達よ。こうして諸君らに直接出会う日を、あの世界のあの時からずっと楽しみにしていた」

 

 

 あの世界のあの時。それは俺達がまだソードアート・オンラインの中に居た時の事だろう。そしてその中で俺達が体験し、立ち向かい、抗う事になったいくつもの事件を全て知っていて、尚且つ俺達がSAO生還者である事も知っているという、この仮面の男。

 

 あの世界の終わり頃にその名前を知る事になった、全ての事件の黒幕。その名前が該当しているであろう目の前の仮面の男に向けて、俺は声を出した。

 

 

「お前が……お前こそが……」

 

「ふむ。そうだ」

 

 

 仮面の男は手を広げ、宣言するように言い放った。

 

 

「私こそが君達がハンニバルと呼ぶ者。そして現実世界、VR世界、ネット世界の管理者となる者だ」

 

 

 




キリトとPoH、再会。そして現れたハンニバル。

その目的とは何か。次回を乞うご期待。











――くだらないネタ――


ハンニバルのイメージCV:『極まりし(とき)』という言葉に関連する人。わかる人は一発でわかる。

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