キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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20:黒キ影ノ終焉

           □□□

 

 

 

 レインが隠し持っていた切り札、シンシアなる名前を付けられし《光鯨龍リル》。それが放った超大規模粒子ビームブレスは瞬く間に《深淵の闇神》を呑み込み、その全てを《HPバー》諸共消し去った。

 

 あまりの規模なせいで空間そのものが水白色一色に染め上げられ、キリト達は目を覆ったが、光が収まった時には《深淵の闇神》の姿は無く、うるさいと感じるくらいに浮遊していた粒子も消え去っていた。

 

 まるで夜光虫の群れが去った後のような、光も何もない夜の海のような空間こそが、今キリト達のいる場所の様子だった。何もかもが終わってしまった後のような静寂を感じていると、キリトは手元に動いたものがある事に気付いた。

 

 

 皮製に似た質感をするグローブで覆われた手元にあるのは、銀色と白水色の光球二つ。ハンニバルが捕らえたという二人の少女のデータと思わしきもの。

 

 

 そうだ、これは――キリトがそう思ったその時に、二つのうち銀色の光球がキリトの手元を突然飛び立ち、ある場所へ向かって行き、やがて停止する。そこは、さらわれてしまった実の妹を取り返すべく、大きな鯨龍を駆って戦い、勝利を手にした赤き髪の少女、レインの手元。

 

 

 突然飛来してきたそれに驚きながら、レインが両手で包み込むようにすると、二つの光球は突如として爆発したかのように光を放ち始め、やがて空間そのものをそれらの色に染め上げようとしているくらいになる。

 

 目の前がリランの放つ白化熱のように真っ白となり、思わずキリトも目を(つむ)るが、あまりに光が強いせいで、瞼を閉じても光はほんの少ししか防げない。一体何事か――心の中で叫びたくなったその時に、爆発の時と同様に光が急速に止み、キリトは手元にずしりとした重みが来たのを感じ取った。

 

 

 今度こそ何だと思いながら目を開けてみたところで、キリトは自分の腕に抱かれている存在を認める。

 

 白水色の短めの髪の毛を、人間ならば耳元の前の位置で結び、頭からリランが人狼形態となった時のそれよりかは小さめの、毛に包まれたシャープな形の三角耳を生やし、多少の露出度のある戦闘服に身を包み、髪の毛と同じ色をした猫のそれそのものと言っていい尻尾を生やしたケットシーの少女。

 

 

 現実に居る時とはかなり異なった容姿ではあるけれども、自分ならば一目で見抜く事が出来る、自分が一生守り続けていくと誓った、愛する人である詩乃/シノンだ。魔王に囚われていた姫のように姿を現してきたシノンにキリトは驚き、その閉ざされた瞼をしっかりと見つめながら、揺すりと声をかける。

 

 

「シノン……シノンッ!!」

 

 

 怒鳴り付けるように声をかけても、少女の瞳は開かれない。咄嗟にキリトの頭の中に、SAOの中でシノンが《マハルバル》――《壊り逃げ男》に捕まっていたところを助けた時の事がフラッシュバックされる。

 

 

「シノン、シノン、詩乃ッ!!」

 

 

 あの時はシノンの頭の中に自分がダイブするという荒業を行使した事によって、詩乃を助ける事が出来たけれども、今もそんな事を必要とするような状況となっているのだろうか。

 

 もしくはハンニバルによって、何らかの精神操作などをされてしまって、目を覚まさなくなってしまったのだろうか。

 

 もう詩乃は目を覚まさない、死んでしまったのと同じなのではないのだろうか。

 

 自分は詩乃も守る事が出来なかったのではないか。

 

 

 次から次へと心の中に不安が押し寄せ、それをキリトが声にして吐き出していたその時だった。

 

 キリトに揺さぶられている事によるのとは違う動きでシノンの睫毛(まつげ)が震えた。それを見逃さなかったキリトの注目を浴びるなり、両目がゆっくりと開かれ、水色の瞳がその姿を現した。

 

 光の爆発を目にした時のように、キリトは硬直したように動きを止め、少女の瞳を見ている事しか出来ない。名前を呼ぶ事も出来なければ、声を出す事も出来ない。ただただ少女を見ている事しか出来ないのだ。

 

 そんなキリトの視線に気付いたのか、少女の水色の瞳は静かに動き、その中にキリトの姿を映し出す。そしてその桜色の唇に、(ほころ)びを生じさせた。

 

 

「……キ……リト……」

 

 

 その一言がキリトの硬直を取り払い、同時にキリトの心の中に熱いものを生じさせた。それはキリトの心から身体へ移り、胸へ、喉へ、顔へと昇っていき、目元に辿り着くなり大粒の涙として出てきそうだったが、キリトはぐっと(こら)えて、抱くシノン/詩乃にもう一度声をかける。

 

 

「詩乃……俺が、わかるのか……」

 

「えぇ……わかるわ……だって()()……あなただもの……」

 

 

 その時、キリト/和人は堪えていたものを抑えられなくなり、嗚咽(おえつ)(こぼ)しながら自らの額を詩乃の額に擦り付ける。

 

 

 SAOの時から何度もやっている、和人と詩乃だけが行う特有のスキンシップ。弱った詩乃にやるべき事ではないし、拒否されるかもしれないというのはわかっていても、和人はそれを止める事は出来なかった。

 

 だが、それを詩乃は受け入れ、微笑みながら自分の額を和人の額に擦り付け、その呼吸と温もりの全てを感じ合った。

 

 二人だけの互いの認識し合い。それが終わる頃には二人を乗せた白き狼龍は地に降り、キリトもシノンを抱えたままリランの項から降りた。直後、翅を閉じて地に降りた仲間達が寄り添ってくる。

 

 いち早く辿り着いた者から「シノン」「シノのん」「シノンさん」などの声が上がり、詩乃/シノンはそれに応えるように顔を動かしていたが、やがてある一人を目に入れた時に顔を動かすのを止めた。

 

 

 目線の先に居るのは詩乃をずっと診ていた元専属医師であり、転職後も詩乃との交流を止めずにいた女性、イリス。ポーカーフェイスのようで感情豊かな様子を見せるイリスの顔には今、大きな安堵と不安が混ざり合ったような表情が浮かべられている。

 

 その顔、赤茶色の瞳を見つめながら、シノンは声を紡いだ。

 

 

「イリス、先生……」

 

「詩乃……わたしがわかるのね……」

 

「わかります……はっきり……わかります……」

 

 

 その一言を聞くなり、イリスの顔にはっきりとした安堵の表情が浮かんだ。いくら医者を辞めているとはいえ、今でも詩乃はイリスの患者と言える。それが無事であったという事には、素直に安堵を感じるのだろう。

 

 

「七色、七色ッ!!」

 

 

 そう思ったその時に、別なところから大きな声が聞こえて来たのを、キリトは感じ取って振り向く。そこにあるのは銀色の長髪が特徴的な身体の小さな少女を赤い髪の毛の少女が抱えていて、必死に赤髪の少女が銀髪の少女の身体を揺さぶっているという光景。

 

 銀髪の少女――たった一人の妹であるセブンを取り返す事に成功した赤髪の少女レインは今、セブンを呼び覚ますべく、声をかけながら呼び続けていたのだ。

 

 

「レイン……」

 

 

 レインが何度呼びかけても、なかなかセブンはシノンのように応じてくれない。

 

 セブンはシノンと比べれば身体の至る所が未発達であり、脳もまたそうだ。そのような事が重なってしまって、セブンはシノンよりも深刻な状態に陥ってしまっているのではないのだろうか。

 

 出来る事ならばレインの傍まで行って、セブンを呼びかけてやりたいところだが、今は弱ったシノンを抱えているからそれは出来ない。そんなキリトの気持ちを把握したかのように、セブンの事実上の従者であるスメラギがそっとセブンの元へ寄り添い、レインと共に声掛けを始めた。

 

 

「七色……七色!」

 

「七色ッ! 七色ッ!!」

 

 

 スメラギとレインが呼びかけを始めた事によって全員の注目がセブンの元へ集まる。まるでセブンの暮らすアメリカの童話に出てくる、眠る姫を起こそうとする周りの者達のような状況が織り成されてから数秒後、セブンの顔がぴくりと動きを見せ、その喉から小さな声が漏れた。

 

 驚いたレインとスメラギが声を止めると、セブンはその瞼をゆっくりと開き、その赤紫色の瞳を覗かせる。そのまま目の前にいるレインの姿を映し出すなり、セブンはその小さな口を静かに動かした。

 

 

「……貴方は……レイン……?」

 

「……七色ッ」

 

 

 まるでまだ夢の中にいるかのような、とろんとしたような顔をしているセブンの事を、レインはところ構わずきつく抱きしめる。良かった、無事で本当に良かった。口に出さずともそう言っている事がわかるように、目元から涙をこぼしながら、レインはセブンを抱き締めた。

 

 普段ならばセブンに何をするかといったような顔をして睨みつけるスメラギも、目を覚ましたセブンを抱き締めるレインを穏やかな表情で見つめているだけであり、怒りや警戒心など微塵も抱いていない様子だ。

 

 大事な妹を守る事に成功して妹にもう一度会う事が出来た達成感と歓喜を感じている姉、そして従者の姿を目にしたキリトも周りの者達も、安堵の溜息を吐く。

 

 

「……どうやら、どちらも無事であったようだな」

 

 

 先程まで《戦神龍ガグンラーズ》という名を持つ狼龍の姿となって戦っていたリランは、いつの間にか人狼の姿となってキリトの傍に寄り添い、レインを見つめていた。やはり自身もユピテル、ユイ、ストレア、クィネラといった多くの弟と妹を持つ娘であるからなのだろう、レインを眺めるその目は共感を得ているようなものだ。

 

 リランだけではなく、この戦いの結果の全てを踏まえて、キリトは一言つぶやく。

 

 

「あぁ……本当に良かったよ。本当に、良かったよ……」

 

 

 その声が丁度この場にいる全員の耳に届いたその時だった。まるで深海のような闇の広がる空間の一角から、呻き声にも似たような声が聞こえてきて、全員でハッとする。

 

 発生源へ向き直ってみれば、そこには仮面で顔を隠し、白と金色と紫の戦闘衣に身を包んだ、金髪が特徴的と言える男がうつ伏せになって倒れているのが認められた。

 

 

 SAOの時から自分達プレイヤーの命を弄び、自らを世界の管理者と称して様々な人体実験、国全体を巻き込むような事件を巻き起こし続け、そして自分達SAO生還者とその協力者とぶつかり、敗北を喫した全ての元凶である男。

 

 ハンニバルという名を名乗っているそれは今、あまりのダメージを受けてしまったがためにその場から身動きが取れない、麻痺状態に等しい状態となっていた。

 

 

 その有様を目に入れると、キリトは両手で抱いているシノンの身体を近くに居たアスナに預け、歩み寄った。ブーツの足音を立てながら、地に伏せるハンニバルとの距離が縮まっていくと、やがてハンニバルはその顔を上げる。

 

 顔は相変わらず仮面で隠されているせいで詳細はわからないが、キリトは特に気に留めなかった。

 

 

「ハンニバル、これでお前の計画も終わりだ。お前は過去最大の犯罪者……大人しく逮捕されて法の裁きを受けろ。過去最大級の罰がお前に下される」

 

 

 自分でも驚く程に凛としている声が出たが、キリトは構わずにハンニバルを見下ろし続ける。あの《深淵の闇神》をアバター化させて、尚且つ倒されたせいなのか、ハンニバルの頭上に表示されている《HPバー》は赤色で、残り数ミリ程度になっていた。

 

 

「……私は逮捕などされない。私は身体を捨てている。身体を捨てた存在を、どう取り締まる? どう逮捕するというのだ? そもそも、今の私には全ての法律は適用されない」

 

 

 言われてみればそうだ。ハンニバルの言っている事が正しいのであれば、今のハンニバルは身体を持たず、このネット世界に意識を移植している異質な存在であり、現在の法律が通用する相手なのかと言われたら怪しいところだ。

 

 そんなところまで用意周到に考えていたのかと、呆れながらも感心したそこで、キリトは右肩に重みを感じた。細くて白い手。その根元に居るのは、ストレアのような豊満さを持った長身を白いコート状の戦闘服に包んだ、ユイのような黒い髪の毛と赤茶色の瞳が特徴である女性。

 

 SAOの時からの協力者であり、SAOを作ったアーガスで茅場晶彦の右腕として活躍し、リラン、ユピテル、クィネラ、ユイ、ストレアといった超高度AIを開発した張本人であり、アーガス解体後は名高い精神科医としてシノン/詩乃の専属医師をやっていた芹澤(せりざわ)愛莉(あいり)/イリス。

 

 

「イリスさん」

 

 

 キリトの呼びかけにも答えず、その手に刀というよりも長剣に近しい剣を持ちながら、イリスはキリトよりも前に出て、やがてハンニバルのすぐ目の前で歩みを止めた。すぐ下には、倒れ伏すハンニバルの姿だけがあった。

 

 

「……ハンニバルとかいうの。あなたはわたしの同僚だと言ったわね。あなたはわたしと同じアーガス出身で、茅場さんの部下として働いていた一人……」

 

「そうだとも。私は君の事を良く知っている。君はアーガスの中でも、SAO開発の中でも中枢部に居た人間だったからな」

 

「そうでしょうね。そしてあなたは人知れずわたし達の研究データを(あさ)り、あの茅場さんでさえ解けなかったMHHPやMHCPのブラックボックスを解き、SAOの世界の管理者となってしまった……それだけじゃなく、茅場さんと同じように肉体を捨てる方法どころか、死んだプレイヤー達のデータなんてものまで手に入れてしまうなんて」

 

 

 イリスは剣を刃を下向きに構える。まるで地面に剣を突き刺そうとしているかのような姿勢だが、その刃先にあるのは地面ではなく、ハンニバルの頭部だ。

 

 

「例え同じゲームを作った同僚であったとしても、わたしはあなたを許しておく事は出来ない」

 

 

 その一声の直後、イリスの剣はハンニバルの頭部に突き立てられた。初老のようでそうではないハスキーボイスによる悲鳴が上げられ、キリトと仲間達も驚きの声を上げる。

 

 

「イリスさん!?」

 

「キリト君。こいつはもう人間じゃない。人間によく似た姿をした、ネットの世界で生きる得体の知れない化け物よ。こいつに法律だの裁きだのが通用しないならば、ここで消すしかないわ。こいつの命は《HPバー》と連動しているみたいだからね。そう、SAO(あのとき)みたいに」

 

「ハンニバルを、殺せるのか……!?」

 

 

 茅場晶彦の話を聞いてから、もしそういった存在が敵として出てきた場合、どのようにして戦えばいいのか、どのようにして対処すればいいのか全く想像も付かなかった。

 

 その仕組みはかなり簡潔に出来ていたという事実にキリトが驚いていると、ハンニバルから声が上がる。

 

 

「私を殺すというのか!? 私を君が殺すというのか!? 君が私を殺せば、君が犯罪者だ。君が人殺しになるんだぞ! それにぼ――私のいなくなった世界がどうなるのか、君は考えているのか!?」

 

「人殺し? 何を言っているのよ。あなたはとっくの昔に死んでいるじゃない。それにあなたに対して現在の法が適用されないなら、あなたを消したところでわたしは罪に問われないわ。

 それに世界は大丈夫よ。あなたが管理しなくたって、あなたに管理されなくたって、ちゃんとやっていけるようになっているのだから」

 

 

 普段は茅場晶彦のような喋り方をしているイリスは今、普通の女性の喋り方をしている。その意味は、イリスが心の底から思っている事を言っているという事。それらを紡ぐ声には明確な怒りが感じられた。

 

 

「それに、あなたはわたしのブラックボックスを開き、あの子達さえも危険に晒し、傷付け……ユピテルを一度殺した。わたしは何よりもそれが許せないわ」

 

「……ヒィ……!!」

 

「だからこそ……わたしはあなたに手を下す。同じ人の下で習い、同じ人の下で働いた人間として」

 

 

 そう言ってからイリスはぎゅっと剣をハンニバルの頭から引き抜き、再度空中で固定する。しっかりと柄を握り直し、狙いを完全に固定したところで、イリスは再度大きな声を出した。

 

 

「許しなら、地獄で鬼に乞いなさい」

 

 

 娘であるリランが本当に許せない相手に向かって放つ言葉を言い放つなり、イリスは再度ハンニバルの頭に剣を突き立てた。

 

 

「ぐぉあギャアアアアアアアアッ!!!」

 

 

 無数の錆びついた歯車を回した際の音にも感じられる、甲高いのかそうではないのかわからないような、これまでのハンニバルのそれなのかさえもわからなくなりそうな悲鳴が空間に木霊するなり、ハンニバルの頭上に表示されていた《HPバー》は残量を全て失い、消滅する。直後、ハンニバルの身体が徐々に白い光に変わっていき始めた。

 

 ついに全ての元凶であるハンニバルが消滅すると思われたそこで、ハンニバルはかっと顔を上げ、仮面の中の目でキリトを捉えた。

 

 

「――諸君は私という管理者を殺害した。私という管理者によって、世界は良い方向に生まれ変わろうとしていたというのに、諸君の手によってこの世界の未来は永遠に閉ざされた。

 諸君は自らを救世主と(かた)り、この世界から管理者を殺し、未来をも滅ぼした……旧支配者達の言う悪鬼そのものだぁッ!!」

 

 

 その言葉――正確には声――を聞いたキリトは違和感を覚える。だが、それをキリトが気にするよりも先に、ハンニバルは最期の言葉を紡いだ。

 

 

「管理者を喪い、暴走を開始した現実世界、ネット世界の全て……その中で管理者を失った事を後悔しながら、生きるといい。それが諸君に宛てた、私から最後のプレゼントだ!」

 

 

 まるでこちらを嘲笑しているかのように言いながら、ハンニバルはその身体を白い光に変えていき、やがてその全てを光に変えたところで形を失い、溶解するように消滅して行った。

 

 

 あのSAOの世界でプレイヤー達を監視し、時にプレイヤーの命を奪うような事件を起こし、現実世界にまで手を伸ばして国を混乱させ、社会構造そのものを変えようとさえしていた、盗撮の独裁者(ビッグブラザー)とも言える悪魔の最期。

 

 そのあまりの呆気なさに気を取られていると、悪魔に止めを刺した元同僚が剣を軽く払い、鞘に戻した。

 

 

「……キリト君、ごめんなさいね。最後までわたし達の事で迷惑をかけて。元アーガスのスタッフとして、ハンニバルの同僚として、本当に申し訳なく思うわ」

 

「……」

 

「けれど、協力してくれてありがとうね。あなたの、あなた達のおかげで、わたしはあの世界に、あの世界に置いてきてしまったものに決着を付ける事が出来た。わたしがこうする事が出来たのは、全部あなた達のおかげよ」

 

 

 淡々としたイリスの言葉のすぐ後に、クラインが周囲をきょろきょろとしてから、声を出した。

 

 

「これで、終わったのか。ハンニバルの野郎は、本当に消えたのか」

 

「ハンニバルのデータの残滓(ざんし)と思わしきものは残っていません。間違いなく、ハンニバルは完全に消滅しました」

 

 

 データの動きに敏感なユイの声によって告げられた、悪鬼の最期が真実であるという情報。それを受け取っても尚、その場にいる者達は誰も喜びの声を上げず、寧ろあまりに長大な作業や役目を終えた後のように、疲れ果てたようにその場に座り込んだ。

 

 

「ついにやったんだ。俺達は、ハンニバルに勝ったんだ……」

 

「ハンニバルがあんな化け物だったなんて……一体何だったっていうのよ……」

 

 

 疲れ切ったディアベルとリズベットが武器を地面に落とす。他の者達もやはり同じような事になっており、しばらくその場から動けない事は確かだった。

 

 

「けれど、これで終わったんだね……SAO事件の黒幕に、わたし達は勝ったんだ……」

 

「これでユピテル達を脅かすのもいなくなったって事だね。良かった……」

 

 

 疲労感に襲われながらも達成感に浸っているようなフィリアとアスナ。顔こそは嬉しそうなものに見えるけれども、《白の女神龍》と《深淵の闇神》の二連続大ボス戦を潜り抜けたせいで、身動きを取る事は出来ないようだ。

 

 しかし、その中でキリトは身体を動かして、ある者の傍へと寄り添う。やがて足を止めた際に、目の前にあったのは親友であるアスナに抱かれている、ハンニバルに連れ去られていたシノンの姿。

 

 

「……シノン」

 

「キリト……」

 

 

 ハンニバルに囚われていたことそのものがかなりの負担となっていたのだろう、酷く疲れ果てたような顔をしながら、シノンは問うてきた。

 

 

「キリト……終わったの……」

 

「あぁ。ハンニバルはもういなくなった。もう、大丈夫だ」

 

「ついに終わったのね……ハンニバルのと戦いが……」

 

 

 そこでようやく、キリトは実感を得る。

 

 ハンニバルが居なくなった事により、まだどこかで活動を続けているであろう《マハルバル》も、ハンニバルの部下として動いていたPoHも、指示をしてくれる相手が居なくなった事で動けなくなる事だろう。

 

 SAOの最後で偶然知ったハンニバルとの長きにわたる戦い。それは自分達SAO生還者達の勝利で終わったのだ。――その事を噛みしめていると、ハンニバルの元同僚であったイリスが傍へ寄ってきて、そのまま声をかけてきた。

 

 

「シノン、君はひとまずこのままログアウトしなさい。それでキリト君、君はシノンをかかりつけの病院へ。詩乃の脳とかに何か異常がないか、検査してもらうんだ」

 

「わかってます。この後すぐに向かいます」

 

 

 返事を聞くなり、イリスはすっと顔を別なところへ向け、声を出す。その先に居るのは、同じくハンニバルに囚われていたセブンを抱えるレインと、寄り添うスメラギだ。

 

 

「セブンも同じだ。アメリカの方はどうかわからないけど、とりあえずセブンを大きな病院へ連れて行くんだ。出来るね、スメラギ君」

 

「わかっている。現実でのセブンの事は任せておいてくれ」

 

 

 スメラギの返事を聞いたイリスはどこか安心したような表情を浮かべた。そしてそのセブンはというと、自分を抱き上げているレインの事をきょとんとした様子で見ており、レインもまたセブンをじっと見ていた。

 

 

「七色……大丈夫、なんだね……よかった、本当に……」

 

「……レイン、また貴方が助けてくれたの……? なんで? なんでそこまであたしの事を助けようとしてくれるの……?」

 

 

 そうだ。レインはあの時セブンの疑問に答えようとしたけれども、ハンニバルによって邪魔されてしまい、結局何も真実を話す事が出来なかった。今こそレインが真実を話す時だ――そう思って二人に注目すると、スメラギがよりセブンの近くへ寄り添い、小さく声をかけた。

 

 

「セブン、色々あって混乱しているかもしれないが、今はとりあえずログアウトするんだ。そしたら俺も追ってログアウトして、ひとまず病院へ行くぞ」

 

「……そうした方が、いいの」

 

「そうしてくれないか」

 

 

 スメラギに頼み込まれたセブンは瞬きを数回した後に、再度レインの元へと顔を戻した。

 

 

「……ねぇレイン、多分……あたしはちゃちゃっと戻って来れると思う。だから……あたしが戻ってきたら、その時もう一度会ってくれないかな。貴方にしっかりお礼が言いたいし……貴方に聞きたい事があるの……」

 

「うん、いいよ。わたしは……そうだね、ヴォーグリンデの草原で待ってるから、会いに来て」

 

 

 軽い口約束に思えるような会話を交わし、頷いたセブンは弱った手でウインドウを呼び出し、ログアウトコマンドを実行した。丁度その頃にはシノンもまたログアウトコマンドを実行しており、両者同刻にその身体を鮮やかなブルーの光に包み込まれていった。

 

 光の発生が終わって両者の世界からの離脱を確認した頃、キリトは共に戦ってくれた仲間達に向き直り、頭の芯に強い疲労感を感じながらも、言葉を発した。

 

 

「皆、帰ろう。俺達は、ハンニバルに勝った」

 

 

 

 

 




ハンニバル、ついに消滅。

後二回くらいでフェアリィ・ダンス編は完結です。
どうか最後までお付き合いください。

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