キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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明けましておめでとうございます。

どうか今年も本作をよろしくお願いいたします。


2018年、最初の最新話をどうぞ!


22:《魂》を内包する機械

           □□□

 

 

 ハンニバル討伐成功から一週間後

 

 休日を迎えてALOにログインしたキリトは、早速仲間達との集会所である喫茶店へと向かった。時刻は午前十時と、比較的朝方の時間帯であったが、スヴァルト・アールヴヘイムの空港とも言える空都ラインの広場は相も変わらず無数とも言えるプレイヤーで賑わっていた。

 

 まるで何かのイベント会場のようにも思えてくる広場、SAOでのいつかを思い起こさせるような光景の中を、人の間を縫うように進んでいくと、やがて目的地である喫茶店の前へと辿り着く事が出来た。

 

 

 ドアを開けてみれば、中でサラマンダー、ウンディーネ、ノーム、シルフ、インプ、レプラコーン、スプリガン、ケットシーと言った、プーカだけを除く全ての種族の妖精達二十人近くが既に集まっており、暇潰しをするかのように話し合ったりしている。

 

 共にこのスヴァルト・アールヴヘイムのグランドクエストを攻略しきり、ハンニバルとの戦いさえも乗り越えながらも、ギルドという扱いを持たない、キリトの無敵の仲間達だ。

 

 そんな仲間達の中でキリトの到着にいち早く気付き、大きな声を上げて手を振ったのは、キリトと同じSAO生還者であり、SAOの時と同様に鍛冶屋を続けているリズベットであった。

 

 

「キリト、おっそーい!」

 

「ごめんごめん。これでも急いだ方なんだぜ」

 

 

 不満を感じているのはリズベットだけではなく、ほぼ全員だ。

 

 一昨日、ユイとリランとイリスの協力を得て、自宅である結果を導き出す事に成功した和人/キリトは、仲間達に今日の午前九時四十五分を目途(めど)に喫茶店へ集合してくれというお願いして、自身もそれに合わせるように起床し、行動をした。

 

 ……にもかかわらず、妙に様々な要因が重なってしまって、和人/キリトのログインは十五分以上も遅れてしまい、結局お願いをした張本人だけが遅れて来る事になってしまったのだ。一緒に暮らしている直葉は既にログイン出来ていたというのに。

 

 たかが十五分されど十五分。どんなに言い方を変えても、仲間達を待たせてしまった事は変わらない。その事に対して仲間達に見えるように頭を下げながら、キリトは喫茶店の中を歩いて行き、やがてその場の全員を見る事が出来る位置に立った。

 

 

 それぞれ別な位置に座ったり立ったり、壁に寄り掛かったりしているなどの差がありはするけれども、やはりこの場にはあの時のメンバーが全員集まっている。

 

 流石に多忙であるのだろう、シルフ領、ケットシー領の領主を務めるサクヤとアリシャ・ルー、セブンの従者であるスメラギの姿は無かったが、そういったSAO生還者達ではない者達が居ない事はある意味では都合がよかった。

 

 

 その事をしっかりと確認し、尚且つその中にリラン、ユイ、ストレア、イリスの四人の姿もある事を認めるなり、キリトは皆に聞こえるような声で言った。

 

 

「もう一度言うけど、遅れてごめん。こうして皆に集まってもらったのは、皆に話しておきたい事があったからなんだ」

 

「それはわかるけれど、一体何を掴んだの、キリト」

 

 

 現実でも親友であるカイムからの問いを受けるなり、キリトは娘達とその母親と共に導き出した答えの内容を頭の中で思い出しつつ、アウトプットするように話し始めた。

 

 

 ハンニバルを倒して計画を阻止した後、キリト/和人は自宅で眠っていた一つの道具に日の目を当てた。

 

 一度は完全なる仮想世界を実現させる革命機と謳われて発売されたものの、人の意識を閉じ込め、最悪脳を電磁パルスで焼き切って殺す機能を持ち合わせていた事が判明し、悪魔の機械と称されて、政府の全機回収命令によって社会からその姿を消したフルダイブマシン。

 

 《ナーヴギア》という名前で呼ばれている、自分達がSAO事件に巻き込まれる切っ掛けとなり、自分達SAOプレイヤーを四千人近く殺害した機械。

 

 そこには使用者には絶対にわからないようになっている隠された真の機能というものが存在しているのだ――そんな話をナーヴギアの開発元であったアーガスの元スタッフの一人とされるハンニバルにされてからというもの、和人はその真相が気になって仕方が無くなり、すぐさま突き止めなければ気が済まないというところまで膨張した。

 

 

 《ナーヴギア》はとても特殊な機構で作られている、国営の研究機関の技術力をもってしても尚、その完全な解析や解体に至る事は出来なかったという機械だ。けれども、それは外側からのアプローチだけを続けたからであり、プログラム的な内側からアプローチを仕掛ければ、何かを導き出す事が出来るようになっているはず。

 

 咄嗟に思い付いた和人は、真の機能の有無の解析を決行。SAOでの重要な情報を教えるという交換条件によって政府からの回収を逃れ、自室に安置されていた《ナーヴギア》を引っ張り出して自身のパソコンに繋ぎ合わせ、解析やハッキングを得意としているリランを中心とした三人の娘を《ナーヴギア》の中へ入らせ、その解析に当たらせた。

 

 

 彼女らが解析を進めている間、珍しく通話が出来たイリス/愛莉にこの事を話してみると、愛莉もまた同じように《ナーヴギア》の情報を探してみると言って、独自に調査を始めてくれた。

 

 ハンニバルと同じ元アーガスのスタッフであり、リラン、ユピテル、クィネラ、ユイ、ストレアと言った超高度AIを作り上げた張本人である愛莉。その愛莉本人と愛莉の開発した超高度AI達が解析を行っているのだから、きっと期待できる結果が出るはずだ。

 

 まるで実験を進める博士や研究者にでもなったかのような気分で待ってみて三日後。リラン、ユイ、ストレアの三人は強い疲労感と、何かを掴んだ達成感を同時に抱いたような様子で和人のパソコン、アミュスフィアの中へと戻ってきて、尚且つその夜に愛莉が連絡を寄越してきた。

 

 

「結果だけど……ハンニバルの言っていた事は、真実だ」

 

 

 その一声と共に、一同の方から驚きの声が上がる。この事を話した時に皆が返してくるであろうとキリトが予想したそれそのものだ。

 

 恐らく同じようにこの光景が来る事を予想していたのだろう、リランが挙手するように言う。

 

 

「ハンニバルが言ってた、《ナーヴギア》にある人の脳をスキャニングし、データ化する機構……あれはどうやら実在しているみたいなのだ。現に我とユイ、ストレアで確かめて来たからな」

 

「はい。皆さん信じられないかもしれませんが、皆さんがSAOに閉じ込められる切っ掛けとなった《ナーヴギア》には、ハンニバルの言っていた通り、使用者が気付かない間にその脳をスキャンし、データ化して取り込んでおく機能が存在しています」

 

 

 《ナーヴギア》に飛び込んで中身の解析を行った本人であるユイに一度注目が向けられると、それに続く形で一人の女性が口を開ける。《ナーヴギア》に潜りし三人の娘を作り上げ、尚且つ《ナーヴギア》とSAOを作ったアーガスの元スタッフである、イリスだ。

 

 

「そして、そのデータを格納しておく領域もしっかり存在している事も明らかになった。《ナーヴギア》の開発時に、なんだか変なブラックボックス的な保存領域があるなとは思っていたけれど、まさかそんな機能だったなんてね」

 

「イリス先生、わかるんですか」

 

 

 胸に水色の小型飛竜ピナを抱いたシリカの問いに頷いてから、イリスは一同の方を見回し始める。

 

 

「これでも私はアーガスのスタッフの一人だったし、茅場さんの元で色々やってたからね。人類の革命機になるだろうって言われてた《ナーヴギア》も、設計図やら基本データやらをいっぱい見てた。それをこっそり保存して取っておいてたんだけど……まさかこんなところで役立つとはね」

 

 

 さらっと言っているイリスだが、当時《ナーヴギア》の設計図や基本情報などはアーガスの機密情報であり、それを私的な目的のためとはいえ勝手に持ち帰っているのは、立派な機密漏洩(ろうえい)に繋がる行為だ。

 

 アーガスが解散し、《ナーヴギア》が基本的に全て廃棄された今となっては問題にならないが、もしアーガスが存命していたならば大騒ぎだっただろう。一応IT関連の企業に務めているクラインと、その他大勢の顔に冷や汗が浮かび上がったが、イリスは構わずに話を続けた。

 

 

「そもそも《ナーヴギア》というのは、人間の頭のほぼ全部を覆い、特殊な電気信号を送る事で意識をVR世界へ飛ばす機械だ。それは君達もよくわかっているだろう。けれど、そんな事を可能とするにはちょっとやそっとの強さの機能じゃ出来っこないし、そもそもそんな事をするためには、人の大脳というものを認識しなきゃいけない……意味わかるね」

 

「大脳の、スキャニング……」

 

 

 まるで大学や高校の協議の最中のような雰囲気が醸し出される喫茶店の中、生徒のようにアスナが呟くと、まさしく教師や講師のようにイリスが続けた。

 

 

「そう。《ナーヴギア》が人をVR世界に飛ばすには、人の大脳を認識し、尚且つその最深部にまで入り込んで電子信号を飛ばす必要がある。だから《ナーヴギア》には最初から備わっているのさ。その他の機械よりも遥かに強力なスキャニング能力がね」

 

 

 この機能そのものは一応アミュスフィアにも備わっているそうだが、それは《ナーヴギア》よりも遥かに微弱な物。だからこそ、自分達がALOで見ているモノはSAOの時よりもちゃちに見えるのだ――そうイリスが付け加えるなり、SAO生還者且つSAOのβテスターの一人でもあったディアベルが何かを思い出したように言った。

 

 

「そういえば、《ナーヴギア》の重さの三割はバッテリセルだって話だったな。もしかして、その出力はそこから来てたのか」

 

「そういう事。そして使用者の脳を焼き切る際の電子パルスもそこから来るようになってる。この電子パルス発生部とバッテリセルが大脳に電気信号を送るのと同時に、その使用者の脳を認識し、スキャンするようになってたんだよ、アレはね」

 

 

 自分達の頭を覆っていた《ナーヴギア》が、人知れず脳をスキャンしていた。その事実に戦慄を覚えたかのように一同の中で身震いする者が現れると、すかさずリランが引き継ぐように言い出した。

 

 

「キリトも含めた皆……皆はSAOで過ごしている間に、何か感付く事はなかったか。動きやすくなってきたり、武器を振る速度が速くなったり、現実感がどんどん大きくなっていったり、そんなのを感じたりする事はなかったか」

 

 

 ここからはキリトも初耳であり、皆に混ざる形でキリトも当時の事を思い出す。

 

 確かにSAO攻略が後半になっていくに連れ、どんどん身体が世界に馴染んでいくというか、動きやすさや武器の扱いやすさなどが良化していく感覚はあった。

 

 だが、それはただの馴染み、脳の慣れのようなもののはずだ。その事を言うよりも先に、我が子であるユイがその唇より言葉を紡ぐ。

 

 

「それこそが、皆さんの《ナーヴギア》が皆さんの脳のデータを蓄えた証拠です。例えるならば、皆さんが使っているスマートフォンやパソコンのキャッシュデータです」

 

 

 自分達が普段何気なく使っているパソコンやそのブラウザには、使用者の使い方をキャッシュデータとして一時的に保存する機能が備わっている。

 

 キャッシュデータは使用者が知らない間にどんどんパソコンやブラウザの内部へと備蓄されていき、容量を圧迫するなどの悪さを働く事もあるのだが、反面溜まったキャッシュデータを参照する事により、使用者がよく使う特定のサイトや動画などの読み込みの速度を上昇させたり、あるいはその個人に適した広告などを表示させたりするようになる。

 

 これと似たような機能が《ナーヴギア》にも備わっていて、特定の一個人が一台の《ナーヴギア》を使用し、《ナーヴギア》が長期間に渡って特定の一個人の脳をスキャニングし続ける事によって、その一個人の感情の動き、記憶、思考パターンなどをデータ化し、極秘領域に保存していく。

 

 それを蓄積し続ける事によって、《ナーヴギア》はその一個人専用機となり、VR世界での動きやすさ、快適さなどに繋げるようになっている。そういう機構があるからこそ、購入時に身体の検査、キャリブレーションなどを行ったりしたのだ――というのが、ユイからの説明であった。

 

 

「じゃあ、わたし達のあの世界での経験や成長を……《ナーヴギア》は覚えていたの……?」

 

 

 信じられないような顔をしたフィリアに、調査した本人のリランが深く頷く。が、すぐさま付け加えるようにしてリランはその口を開く。

 

 

「だが、その《ナーヴギア》が極秘領域に保存したスキャンデータ……感情パターン、思考パターン、記憶などの大脳部分の電気反応といった《特定の使用者そのもののデータ》は、短時間ログインとログアウトを繰り返すようなサイクルでは完成しない。データを完全なものするには、超長期間に渡る装着とログイン、スキャニングが不可欠だ」

 

 

 そこでキリトに疑問が生じる。

 

 SAOの開発者でありVR世界の創造者、メインディレクターであった茅場晶彦もまた、フルダイブシステムマシンを改造したもので大脳の超高出力スキャニングを行い、文字通りの電脳の存在と化した。

 

 しかし、聞いた話によればその機械が作動していたのはごく短時間であり、スキャニング時間はそこまで長いものではなかったという。であるにも関わらず、茅場晶彦は電脳化に成功している。

 

 その理由は一体何なのか。キリトはその茅場晶彦の娘と言ってもいい人狼の少女に問うた。

 

 

「待てよリラン。じゃあ茅場はどうなんだ。茅場は短時間のスキャニングで電脳になったって話じゃないのか」

 

「アキヒコが使っていたのは、《ナーヴギア》に備わっているスキャニングをごく短時間で行えるように改造したマシンだ。《ナーヴギア》はアレの何倍も時間を要したスキャニングを必要とする」

 

「じゃ、じゃあ、オレ達の《ナーヴギア》がオレ達そのもののデータを完成させるのにかける時間ってのは、どのくらいなんだよ」

 

 

 焦りを浮かべたクラインが言うなり、リランはくっと顔を下げた。その引継ぎと言わんばかりに、普段の天真爛漫さを極限まで薄くした表情のストレアが口を開ける。

 

 

「《ナーヴギア》が一個人の感情パターン、思考パターン、記憶などの大脳部分の電気反応を完全にデータ化するのにかける時間は……(およ)そ八千七百六十時間。つまり、一年だよ。あの世界で一年以上生きてたプレイヤーの《ナーヴギア》には、そのプレイヤーのスキャンデータが入ってたって事」

 

 

 その真実を聞くなり、キリトも皆と同様に言葉を失う。

 

 《ナーヴギア》は三百六十五日間休みなしで被り続ければ、その使用者の感情パターンや思考パターン、記憶の内容などといった大脳の最深部で起こる電気反応をデジタルコードに出来て、保存する習性を持つ。

 

 これはつまり、あのデスゲームを一年間生きた、もしくは最後までゲームオーバーにならずに生き抜いたプレイヤー全ての《ナーヴギア》に、その一個人そのものと言えるデータが保存されていたという事に他ならない。

 

 

 家庭用ゲーム機の革命機と呼ばれていたが、最終的に悪魔の機械と呼ばれるようになった《ナーヴギア》。その中にある、普通の方法ではアクセスできない記憶領域に、一個人そのものをデータ化させた、最早ペタバイトやエクサバイト辺りに到達しているであろう巨大なデータが眠っている――その事実を改めて確認するなり、キリトは背筋から二の腕にかけて強い悪寒が続々と駆け巡ったのを感じた。

 

 

 あの機械の中に、茅場晶彦と同じようになった自分のデータが入っている。自分だけではない、もし他の《ナーヴギア》所有者がいるとするならば、その中にもその所有者のデータが入っているのだ。

 

 

(……いや)

 

 

 それだけじゃない。もしあの世界で一年間生きてその後ゲームオーバーになってしまったプレイヤーがいたならば、その《ナーヴギア》の中に死んでしまったプレイヤーのデータが入っていた事になる。

 

 そのスキャンデータは――最早人間の魂そのものと言ってしまっても過言ではないし、スキャンデータがある場所は神の領域と考えてもいいだろう。

 

 そしてハンニバルは、そのプレイヤーの魂の眠る神聖なる秘匿領域に入り込む方法を見つけ、いくつか回収したみたいな話をしていた。

 

 その中に既にゲームオーバーとなってしまったプレイヤーがいたという事も言っていたから、やはりハンニバルは死者の魂を手に入れるという、神のみが許された行為に及んでいたのだ。

 

 あまりに現実離れした話をされたような気がして、一瞬意識が遠のきそうになったが、咄嗟に聞こえてきたリランの声によって、意識はこの場に再度固定された。同じような答えに辿り着いたのだろう、周りを見てみれば、喫茶店に集まるほぼ全員が顔面蒼白となっている。

 

 

「……奴はそのスキャンデータを手に入れたなどと言っていたが、我ら以上にハッキングやクラッキングに秀でた野心家のあいつの事だ、大方それは成功していたのだろう。あいつは《ナーヴギア》から引き上げ(サルベージ)して悪用する根端だったはずだ」

 

「つまり、ハンニバルをあの時殺しておいて正解だったって事。それに、そんな人間の脳そのもののスキャンデータなんてものはその道に何年も生きて、専門知識を得た人間くらいにしか解き明かしも復元も出来ないだろうから、ハンニバルの部下でも無理だ。

 プレイヤー達のスキャンデータはハンニバルに悪用される前に助けられたと考えるべきだね」

 

 

 まるで周りを安心させようとしているかのような素振(そぶ)りをするイリス。

 

 確かにリランとユピテル、ユイとストレアの()()が居たにも関わらず、彼女達がハンニバルの消滅時に何も感じていなかったという事は、茅場晶彦、死者の魂達と同じ存在となっていたハンニバルは完全に消滅、死したという事に違わない。

 

 そんなハンニバルをあの時殺せていなかったら――僅かに考えただけで震えが止まらなくなりそうだったので、キリトは途中で思考を中断した。直後に、ユウキが震えた声で呟くように言う。

 

 

「それで、その《ナーヴギア》はどうなったんだっけ。その……死んじゃったプレイヤーのデータが入った《ナーヴギア》は」

 

「政府の手で回収されて、その後は全部問答無用でスクラップにしたみたいだよ。解析や分解を試みた人達も研究機関には居たみたいだけど、イリス先生の言うブラックボックスは誰にも開けなくて、結局スクラップにしちゃったんだって」

 

 

 ユウキの隣に並ぶカイムの言った話は、ハンニバルによってSAOに巻き込まれた際にリーファから聞いた話だ。

 

 SAO事件発生後、政府は家電量販店に販売されていた《ナーヴギア》を全て回収し、SAO内でゲームオーバーとなって死した者の《ナーヴギア》もまた完全に回収したうえで製造も停止。文字通りの絶版となったのだ。

 

 そのため、もう《ナーヴギア》を手に入れる方法など存在していないに等しく、死者のデータを内包した《ナーヴギア》もスクラップにされてしまったから、どうにもならない。ハンニバルが死した者達のデータを手に入れていたのも、恐らく自己満足に等しい目的に使うためであり、生き返らせるためではなかったはずだ。

 

 

 SAOで犠牲となってしまった四千人近くのプレイヤー達は、どうやっても助からなかったのだ――同じ事を思ったのだろう、シノンが悲しげな声で言った。

 

 

「……(むご)い話ね。死んだと思ったらスキャンデータが生きてて、でもそれの存在に誰も気付けなくて、結局スクラップにされて消えちゃったなんて……」

 

「確かに、《ナーヴギア》は革命機だったナ。けど、それが判明するのはあまりに遅すぎたし、解析出来たのもオレっち達だケ。こんなの、政府に話したところで信じてもらえる話じゃないシ……今更話したところで《ナーヴギア》が全部スクラップじゃどうしようもないナ」

 

 

 いつにもなく静かなアルゴの言葉を最後に、喫茶店の中に重い沈黙の(とばり)が降りた。

 

 もし、死んだプレイヤー達がデータとして《ナーヴギア》の中に存在していて、そのスキャンデータを解析、復元する事に成功したならば、茅場晶彦と同じような存在となってしまいはするものの、生き返らせる事も出来たのかもしれない。

 

 けれど、そんな事が出来る技術の開発に何年かかるかわかったものじゃないし、成功する可能性がゼロではないという証拠だってないうえに、そもそもキリト/和人の元にあるのが事実上現存する最後の《ナーヴギア》と言ってもいい代物であり、これ以外の《ナーヴギア》は基本的に存在していない。

 

 

(……)

 

 

 静かに回転するキリトの頭の中に、一つの人影が姿を現す。ぼんやりとしていたその姿は秒単位で形と輪郭をはっきりとしたものへと変えていく。

 

 白と青を基調したスカート付き戦闘服を身に纏い、戦闘の時には槍を使っていた、薄らと青みがかった黒色のショートヘアが特徴的な少女。

 

 

 SAO攻略時に出会い、初めて心の底から守ってやりたいと思えたけれど、結局守れずに死んでしまった、気弱な女の子。

 

 

(……サチ)

 

 

 その()――サチと出会った時には既にデスゲーム開始から一年以上経過していた。そして、《ナーヴギア》がプレイヤーの大脳のスキャンを完了するのに要する時間は一年。

 

 もし今、サチが使っていたとされる《ナーヴギア》を手に入れる事に成功し、リラン達に解析と調査をさせる事が出来たならば。

 

 

 その時にはサチのスキャンデータを取り出して、茅場晶彦のような形で生き返らせる、記憶の復元(メモリー・デフラグ)だって…………………………

 

 

「キリト……キリトってば」

 

 

 咄嗟に耳に飛んできた声でキリトは我に返る。発生源に顔を向けてみれば、そこにあったのは()守らなければならない人、愛する少女であるシノンが居て、その顔に心配そうな表情を浮かべていた。

 

 そのシノンの顔を見つつ、現実世界の顔の事も思い出す事で、キリトの意識はしっかりと現在に固定され、今自分が置かれている状況が確認できるようになる。

 

 

「大丈夫、キリト」

 

「あ、あぁ。ちょっとぼんやりしただけだよ。とりあえず皆、結局俺達じゃどうにもならない事だったけれど、俺が言いたかった事は以上だ」

 

「それで、あのSAOの世界そのものを(もてあそ)んだハンニバルだが、あいつはあの時完全に消滅したという事で間違いない。残滓があれば我らがすぐに気付けるが、それさえもなかったのだからな。我らはハンニバルに勝てたのだ」

 

 

 自分達は黒幕に勝利した。もう自分達を(おびや)かす存在はどこにも居ない――それを自身も認識するようにリランが言うと、若干の安堵を含んだ空気が喫茶店の中に満ち、キリトもそれを感じた。

 

 そうだ。SAOでの死者達を救う事は出来ないけれど、その命を弄ぶ存在には勝てたし、それはもう完全に消滅した。もう、自分達がSAOに関連した事に苦しめられる事はなくなり、尚且つSAOの中に置いてきてしまったものとも決着が付けられたのだ。

 

 それに、SAOの生みの親であり、リランの父親である茅場晶彦が作った《ザ・シード》も次から次へと大企業から個人までダウンロードされ、ALO(ここ)と同じような安全なVRMMOがいくつも誕生してきている。

 

 一度は退廃の危機を迎えたVRMMOという存在は、自分達SAO生還者同様に生き延びたのだ。そしてこれからどんどん発展していく事だろう。その事に喜びを覚えてキリトが顔を上げる。

 

 

「そうだよ。俺達はハンニバルに勝った。SAOと決着をつけたんだ。だから皆、これから遊びまくろうぜ、このVRMMOの世界を!」

 

 

 クエスト攻略前の号令のようにキリトが言うと、皆の顔に笑みが浮かび、やがて「おおっ」という声が喫茶店の中に響き渡った。それから間もなくして、皆の間で「次のクエストはどうしよう」「次のアップデートでは何があるんだ」などのゲームを楽しむ者達の喧騒が起こり始める。

 

 もしかしたら今でもSAOの事への不安を引きずっている者がいるのではないかという不安は、ただの杞憂で終わった。それを認めたキリトが近くにある椅子に腰を掛けようとしたその時、再びシノンが声をかけてきた。

 

 

「ねぇキリト、ずっと気になってた事があるんだけど……」

 

「え?」

 

「あの時もそうだったけど、最近クィネラ、いなくない?」

 

 

 キリト達には三人のナビゲートピクシーが存在している。ユイ、ユピテル、クィネラの三人だ。

 

 ボス戦に入った時には必ずこの三人のナビゲートを受けてキリト達は戦うのだが、セブンと戦った時、ハンニバルと戦った時にはクィネラだけがおらず、ユイとユピテルの二人だけのナビゲートだった。その理由を事前に把握していたキリトは、「あぁ~」と言って話を始める。

 

 

 セブンとハンニバルと戦ったあの日の前日の事だ。

 

 いつもならばログインしたキリトを「おはようございます、こんにちは、こんばんは」のいずれかを言って必ず出迎えるのがユイとクィネラなのだが、その日にはユイしかいなかった。

 

 この異変にキリトもすぐに気が付き、ユイに尋ねてみたところ、クィネラは「自分もクエストをやってみたい」と訴えて、「暴れ馬を大人しくさせるクエストなら出来そうだし、報酬もいい食材だから」と言って勝手にクエストを受注し、フィールドに赴いて行ったと説明がなされた。

 

 戦う力を持たないクィネラがフィールドに行くのは危険すぎる。果たしてそのクエストは安全なクエストなのかと疑問に思って調べてみたところ、そのクエストは本当にクィネラのような戦う力を持たない者でも出来るお使いクエストのようなものであった事がわかり、キリトはひとまずそこで安心した。

 

 それから一日経った――セブンとハンニバルと戦った激戦の日――の朝、クィネラはそのクエストの報酬である食材を手にして戻ってきて、そのまま彼女達曰く休眠状態へ移行。結果として、あの日にクィネラが出る事はなかったのだ。

 

 

「寝てたんだ、あの娘」

 

「そ。クィネラはまだ小さいから、俺達が簡単にクリアできるクエストでもすごく疲れるんだ。今日もそんな感じでこの場にはいないんだ。まぁ、あの日はクィネラ無しでもなんとかなったからよかったけれどさ」

 

「そうね。けれどあの子達はやっぱりAIなのよね。私達と同じように心を持ってて、疲れもして、色んな事を楽しめる。なのに、AI……」

 

 

 確かにリランと言いユイと言いストレアと言い、この場にいるイリス製のAI達は一般企業で作られているそれとはかけ離れた存在であり、一緒に過ごしていると彼女達がAIである事を忘れてしまうくらいの高度さを持っている。そんな彼女達には最早AIではなく、何か新しい他の呼称を与えるべきではないかとキリトが考えたのは、一回や二回ではない。

 

 でも、だとしてどのような呼称が彼女達に合うのか。思考しようとしたその時に、シノンではない声が耳に届けられてきて、キリトはもう一度我に返る。

 

 目の前にいるのは、レプラコーン専用の戦闘服に身を包み、頭にメイドのそれを思わせるカチューシャを付けている、先端が紫がかっている赤い長髪と黄金色の瞳が特徴的な少女。

 

 ハンニバルから助け出されてから一度もALOにログインしていない、セブン/七色博士の実の姉であり、その事をずっと打ち明け損ねているレインだった。

 

 

「レイン」

 

「キリト君、その……セブンはログインしてきてる?」

 

 

 セブンとシノンをハンニバルから助け出した戦いの後、二人はすぐにログアウトしたが、その後キリトはスメラギに接触し、セブンに自身がログインした時には自分に連絡を寄越すよう依頼した。

 

 普段ならばそんな事を言われれば噛み付いてきそうな顔をするのがスメラギだが、その時にはすんなりとキリトの依頼を受け入れてくれ、セブンに言っておく事を約束してくれたのだった。

 

 しかし、それから一週間経った今も、セブンがALOに現れたという話はされず、キリトのところに連絡が来た事もない。本当の事を話してほしいと、セブンはログアウトする寸前にレインと約束をしていたが、その約束を果たしに現れる事は未だにないというのが現状だった。

 

 

「いや、この一週間あの娘はここに来てない。連絡も来てないんだ」

 

「……やっぱりあの娘は、ログイン停止とか、そういうのになったのかな。ALOを実験に使ったんだし……」

 

 

 不安気な顔をするレイン。セブンがキリト達に倒された後のスメラギとクラインの声掛けによって、シャムロックやクラスタ達はセブンを支えるファンであり続ける事を決め、活動方針を若干変えつつも動き続けている。

 

 そしてセブンはというと、あれだけの事をやりはしたものの、特定多数のプレイヤーやゲームの運営に直接危害を与えたわけではなかったがために、運営から厳重注意をされる程度で済み、アカウント停止処分だとかにはならなかった。

 

 だが、セブンはハンニバルに捕まるなんていう普通のプレイヤーでは体験しえない出来事を体験してしまった。その恐怖が残っているがために、中々ログインできなくなっているとしても不思議ではないだろう。

 

 

「その心配はないと思うぜ。後は本人の気と時間次第さ」

 

「けど……それでも……」

 

 

 きっとセブンは来てくれるよ――そう言い返そうとしたその時、キリトの目の前に一つのウインドウが出現した。メールを受け取った事を知らせるウインドウであるそれを、レインとの会話を途中で止めて確認してみる。

 

 差出人の名前を見たそこで、キリトは声を上げた。

 

 

「……来た!」

 




次回、ALO編ついに最終回。

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