キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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長くなったので二分割。


23:歌姫と出来かけの歌姫

           □□□

 

 

 キリトはリランとシノンと共に、レインを連れてある場所へ向かった。そこは草原浮島ヴォーグリンデ。グランドクエストの最初のフィールドであり、最も過ごしやすい環境が整っているとしてピクニックなどにも利用される事の多い場所だ。

 

 暖かく心地よい風が一定の間隔で吹き、見上げた空には地上から切り出された大地が浮島となっていくつか浮かんでいる。グランドクエスト攻略時に駆け回り、巨鷲龍フレースヴェルグとも戦った空。

 

 その中を懐かしむように四人で飛んでいき、ある地点まで行ったところで着地した。近くには戦闘が必要になりそうなモンスターの姿は無い、穏やかな風を身体全体で感じる事が出来るような、遮蔽物のない草原の中心部。

 

 そこに辿り着いて翅を降ろすなり、キリトは周囲をきょろきょろと眺め始め、一言呟いた。

 

 

「んー、俺達の方が早かったみたいだな」

 

「そのようだ。この辺りにプレイヤーの気配はまだない」

 

 

 俗に人狼と呼ばれる姿となっているリランの応答を聞いたキリトは後ろを振り返る。その時、目の中に一人の少女の姿が映し出された。

 

 自分達と一緒にここまで飛んできた赤い髪の少女、レイン。自分達と同じSAO生還者であり、自分が二代目の団長を務めていた巨大ギルド、血盟騎士団に所属し、七番目に選ばれるくらいの実力を持っていたプレイヤーだ。

 

 そう言った理由もあってか、レインはいつも不思議なくらいに余裕そうにしており、その不思議なまでの余裕さこそがレインの特徴と言えるくらいだった。

 

 しかし、今のレインにはそのようなものはなく、明らかに緊張しているような表情を顔に浮かばせて、忙しなく周囲を見回している有様だ。

 

 まるで何かの本番を目前にした子供のようにも思える今のレインに、キリトはそっと声をかける。

 

 

「レイン、そう緊張するなよ。元々明かすつもりだったんだろう」

 

「そ、そうだけど……そうだけど……何だか心配で……」

 

「それに、ここを指定したのだってあんたでしょう。肝心なあんたがそんな調子じゃ、こっちまで心配になってくるわ」

 

 

 近くのシノンに言われたレインは、縮こまったように黙り込む。

 

 一度はセブンに話せそうになったけれど、途中で邪魔が入って言えなかった真実。セブンが知らず、レインだけが知っているであろうその話をする事を決めたのは、他でもないレイン本人だが、やはり緊張せずにはいられないのだろう。

 

 そんなレインを少し呆れたような目で見ていたのがリランであったが、やがてシノン同様頭から生える耳と、尻尾がぴんと逆立った。何かの気配を感じ取った証拠である《使い魔》の仕草を目にしたキリトは周囲を見回す。澄み渡る空の中に人影が二つ。

 

 人影は徐々に距離を詰めてきて、その姿をはっきりとしたものにする。一つ目は、青と金色、白を基調とした衣装に身を包んだ、長い銀髪が特徴的な小柄な少女。二つ目は青と白で構成された戦闘服を着こなした、水色の短髪と長身が特徴の青年。目当ての人物であるセブンと、その従者であって守り人であるスメラギだ。

 

 

「来たぜ」

 

「……!」

 

 

 やってきた二人の姿を目に入れたレインは驚き、その背をしゃんと伸ばす。待ち望んでいた時がついにやってきた。ついにセブンが真実を知る日が来たのだ――キリトがそう思いながらレインから目線を戻したその時には、セブンとスメラギは地に降りて、自分達の傍へと歩み寄って来ていた。

 

 

「……キリト君にリランちゃんに、シノンちゃんに……レイン」

 

 

 やって来るなり呟いたセブンに対し、レインはしっかりと目を向ける。だが、その口は閉ざされたままで、言葉を発する気配を見せない。レイン、しっかりしろ――キリトが言おうとしたのよりも先に、セブンの方が言葉を発した。

 

 

「その、いきなりだけど、今回は本当にありがとうね」

 

「え?」

 

「あたしは貴方達に助けられた。貴方達に助けられなかったら、あたしは今でも暴走したままだったと思うし、もっと酷い事になってたかもしれないから。だから、助けてくれた貴方達には本当に感謝してる」

 

 

 セブンからの突然の感謝の言葉にきょとんとしてしまうレイン。SAOという突然の出来事が日常茶飯事となっている世界を生き抜いて来たがために、様々な展開を読んで行動出来るであろうレインも、流石にセブンの行動は読めなかったらしい。

 

 そんなレインにセブンは更に歩み寄る。

 

 

「特にレイン、貴方には本当に感謝してる。貴方はあたしを二回も助けてくれた。囚われたあたしを一番に助けてくれた。てっきりスメラギ君が来てくれるんじゃないかって思ってたのにね」

 

 

 近くにいるスメラギの表情は変わらない。セブンを守る騎士のようにしてキリト達を見ているだけだ。だが、いつもと変わらないように見えるその表情には、ほんの少しだけ穏やかさが感じられた。

 

 セブンの言葉は続けられる。

 

 

「だからねレイン、あたしは本当に貴方に感謝してる。あたしを助けてくれて、本当にありがとう」

 

 

 確かに、もしあの時セブンを止める事が出来なかったならば、今頃セブンはもっとぼろぼろになっていただろうし、もしセブンがハンニバルに囚われたままだったのだとすれば、更に酷い事になっていただろう。

 

 それを全て阻止したのは結局レインだから、あの戦いの最大功績者はレインだと言える。そんな功労者にセブンは更に歩み寄り、すぐ目の前で立ち止まった。

 

 

「だからこそ、教えてほしいの。貴方はどうしてあたしを助けてくれたの。どうしてあたしを止めようとしてくれたの。その理由を、聞かせてほしい」

 

 

 もう一度静かに驚くレインを見つめ、キリトは周囲に気を配る。またハンニバルのような存在が邪魔しに来るのではないか。何かここらに潜んでいる者はいないか。

 

 感覚を最大にして探してみるが、感じられるのは風の音とその暖かさだけで、引っかかる者は特になかった。ここにいるのは本当に自分達だけ。

 

 今この場所には、レイン達を邪魔する者はいない。確認したキリトが向き直った時には、レインは深く俯いており、セブンもスメラギも不思議そうにレインを見ていた。だが、それから三秒程度経過したところで顔を上げ、大きく深呼吸をし、レインはその黄金色の瞳にセブンの姿を映し出し――唇を動かした。

 

 

「……わかった、言うね。と言っても、こんな事を突然言われても信じてもらえないかもだけど、わたしとセブン……いいえ、七色はわたしの妹なんだよ」

 

「えっ!?」

 

「なんだと!?」

 

 

 レインからの告白に、セブンもスメラギも周囲に響いていきそうなくらいの大きな声で驚く。今度は予想通りの展開だったのだろう、レインが苦笑いすると、セブンが少し混乱した様子で問う。

 

 

「い、いきなり何を言い出すのよ。あたしは一人っ子だよ? あたしに姉妹とか兄弟とかはいないよ」

 

「確かに貴方はそう思ってるかもしれない。けれど違うんだよ。わたし達は小さい頃、一緒にロシアに住んでたんだよ。それで、両親の離婚を原因に離れ離れになったんの」

 

「た、確かにセブン……七色は父子家庭だ。母親はいない」

 

 

 スメラギの呟きに頷いて、セブンはレインを見つめ続ける。レインもまた、言葉を紡ぐのを止めない。

 

 

「お父さんに引き取られた七色はアメリカに行って、母親に引き取られたわたしは日本に行ったんだ。それで、貴方の口癖はプリヴィエート、ダスヴィダーニャ、でしょう」

 

「そ、そうだけど」

 

「この挨拶はロシア語。まだロシアに居た時に、わたしが七色に教えた言葉なんだよ」

 

 

 そうだ。前に詩乃とのデートの時に秋葉原でレイン/虹架(にじか)の路上ライブを聞いた時、最後に虹架はダスヴィダーニャと言ったのを覚えている。

 

 その時はどこかで聞き覚えがある程度にしか思っていなかったが、その後で気付いたのだ、セブンの口癖と同じ物であるという事実に。

 

 その事を言うなり、レインは軽く俯く。

 

 

「と言っても、(おぼ)えてないよね。七色はまだ小さかったから……」

 

「……」

 

 

 セブンもまた俯いて口を閉ざす。まるで何かを必死に思い出そうとしているかのようなその様子に、周りにいるキリト達も口を開く事が出来なくなるが、数秒後にその沈黙を破ったのは意外にもスメラギであった。

 

 

「セブン、本当なのか……?」

 

「……!!!」

 

 

 喉から小さな声を漏らした直後、セブンはかっと顔を上げる。記憶という名の本棚の中に眠るたった一冊の本をようやく見つけ出して、その内容を思い出したような表情がはっきりとそこに浮かび上がっていた。

 

 

「う、ううん。憶えてる……憶えてるよ! あたしにはこの言葉を教えてくれた人がいたんだ。けれどその人はお父さんでもお母さんでもなくて、誰なのか結局わからないでいたんだけど……あたしにはお姉ちゃんが居た……お姉ちゃんから教わったんだよ、その言葉は!」

 

「……!」

 

 

 セブンはそっとレインに向けて手を伸ばす。まるで氷像に触ろうとしているかのように、恐る恐る指先をレインへ近付けていく。

 

 

「おねえ……ちゃん……貴方が、お姉ちゃん、なの」

 

 

 ずっと明かしたかった真実。ずっと呼ばれたかった呼び方で呼ばれたその時、きょとんとし続けているレインの瞳から一粒の涙が頬を伝って落ちる。それを皮切りにしたかのように次から次へと涙が流れ出し、レインの表情は泣き顔となり、やがて笑みが混ぜられた。

 

 

「そうだよ……そうだよ、わたしがお姉ちゃんだよ、七色!」

 

 

 レイン/虹架がそっと両腕を開くと、セブンの目元からも大粒の涙が溢れ出し、そのままセブンは地面を蹴った。

 

 

「お姉ちゃん……お姉ちゃんッ!!!」

 

「七色ッ!!!」

 

 

 飛び込んできた妹の身体をレインは受け止めると、妹を止めた時のように胸の中に顔を埋めさせ、両腕で小さな身体を抱き締める。すぐさま両者共に力が抜けたようにその場に腰を下ろし、地面にしっかり座って抱き合うようになった。

 

 

「やっと、やっと会えたね……七色……」

 

「お姉ちゃん……お姉ちゃんっ」

 

「わたしの名前、枳殻(からたち)虹架(にじか)っていうんだよ……そして貴方は……」

 

「七色・アルシャーピン、だよ……うぅッ……お姉ちゃんッ!!」

 

 

 胸の中で泣き出した妹の帽子が外れる事も気にせずに、レイン/虹架はそっと妹の銀色の髪の中に顔を埋める。

 

 

「今までずっと、黙っててごめんね……わたしが馬鹿だったよ。もっと早く貴方に打ち明けていれば……」

 

「ううん……あたしの方こそごめんなさい。ずっと気付かなくて、ずっと思い出せなくて……けれど、お姉ちゃんだったんだね、あたしを止めてくれたのは、助けてくれたのは……全部……!!」

 

「うん……貴方はたった一人の妹なのだもの。貴方があんなふうに苦しんでるのなんて、姉のわたしには、出来なかったんだよ……大切な妹を、守りたかったの。だから、わたしは……」

 

「お姉ちゃん……お姉ちゃあんッ!!」

 

 

 次の瞬間、姉にきつく抱きしめられたまま、七色は大きな声を出して泣き始めた。その光景はキリト達が七色とぶつかり合い、そしてその実験と無茶をやめさせた時の光景そのものであった。もう一度見る事になったそれを見ながら、シノンがキリトに言う。

 

 

「よかったわね、レインもセブンも……」

 

「あぁ。これでようやく一件落着ってところだな。二人はやっぱり姉妹、分かり合えないわけがないよ」

 

「そうだ。同じ親の元に生まれた者達は、極例を除けば分かり合えるものだ。だが、それがわかっていたとしても、こうなってくれたのは嬉しいものだな」

 

 

 まるで感慨に(ふけ)っているかのような笑みを浮かべるリラン。規格こそ違えど、四人もの妹弟を持っている事に変わりはないのだから、姉妹同士が幸福になる様には、同じ妹弟を持つ者として嬉しさを感じざるを得ないのだろう。

 

 そんな事さえ出来てしまうのだから、やはりリラン達には別な呼び方が必要なのではないだろうか――考えながらリランを横目に見つつ、もう一度抱き合う姉妹に目を戻した頃、七色は泣くのをやめて、すっかり虹架に身体を預けていた。

 

 

「お姉ちゃんの胸の中、あの時と同じ……すごく暖かい……」

 

「そう言う七色もすごく暖かいよ」

 

 

 とても幸せそうな声色で言い合う二人に、キリトは心の中で気付く。

 

 自分もシノン/詩乃と抱き締め合ったりした時にはこれ以上ないくらいの温もりと安心感を覚える。きっとそれは互いに心が通じ合っているからこそのものだろう。

 

 心と心が本当に通じ合い、繋がる事によって生まれるもの。それこそが自分と詩乃、虹架と七色が感じている温もりなのだろう。

 

 もし、それを応用して大規模にする事が出来たならば、その時に出来上がるものこそが、ハンニバルの計画したようなモノではない、真の《クラウド・ブレイン》と言えよう。

 

 そしてその最初期段階を生み出せた二人ならば、きっとこれからも仲の良い姉妹としてやっていける――キリトはそう感じて仕方が無かった。

 

 

「まさかレインが、セブンの姉であったとは……」

 

 

 そう言って近くへ寄って来たのが、七色の右腕として現実でもALOでも力を振るってきた従者、スメラギであった。武術の達人のような荘厳な雰囲気を放つその顔には今、心の底から驚いた後のような表情が浮かんでいる。

 

 

「驚いたか、スメラギ」

 

「どうやってこれを驚かずに認識しろというんだ」

 

「だな。これ、何なら公表してみるか」

 

「それは本人達の決める事だ。俺達がどうこうやっていい事じゃないのは、お前もよくわかっているだろう」

 

 

 すん、とキリトは笑う。確かにレインがセブンの姉だったなんていう話が出たら、ここ数日はその話題で持ちきりになるくらいの規模のニュースになりそうだし、検索エンジンも来客者を狙うブロガー達のブログで溢れかえる事であろう。

 

 だが、それら全てはレインとセブンの二人が決めるべき事であり、自分達が公表したりする事を決めたり、勝手に話したりして良い事でもないし、もしかしたらただの一般人でしかないレイン/虹架に、そして七色本人にマスコミが押し寄せるなんて言う事になりかねない。

 

 彼女達に自分達がするべき最善の事は、この話を他人に話さないでいる事だ――キリトが胸の中でしっかり思ったその時に、ついに虹架の胸から七色が離れた。すると、すかさず虹架がその口を開いて言葉を紡ぐ。

 

 

「あのね七色。聞いてほしい事があるの」

 

「なぁに。まだ何かあったの、お姉ちゃん」

 

「うん。実はね、わたし、貴方と同じアイドルを目指してるのが夢なの。それで、路上ライブとかで歌ったりしてるんだ」

 

 

 突然飛び出してきた初耳な話にキリトも隣の三人と一緒に軽く驚く。虹架は今、秋葉原の有名メイド喫茶店でアルバイトをしていて、それの一環として路上ライブをやっているという事までしか知らなかった。

 

 キリト達と同じ部分で驚いたのだろう、七色が目を軽く見開きながら問う。

 

 

「お姉ちゃんも、アイドルになろうとしてるの……!?」

 

「うん。まぁ一緒にするなって言われたらその通りだけど、そのおかげでわかるんだよ、貴方があの時どれだけ苦しんでたかとかが……」

 

 

 そこでキリトは頭の中を一筋の光が走ったような感覚を覚えた。

 

 レイン/虹架はずっとアイドルを夢見て、そのための道を進み続けている。まだ辿り着けているわけではないけれども、その道中にいるからこそ、その世界の()いも甘いもよく理解しており、アイドルとして活躍する者達の嬉しさと幸せ、苦しみと痛みも実感しているのだ。

 

 そして七色/セブン。当時七色は科学者と同時にアイドルとしても活動をしており、世間から大量の注目を浴びていた。その結果、大勢の人間の期待を一人背負って、身を粉にしてまで活躍する事を選んで、ふらふらになるまで活動し続けていた。

 

 だからこそ、マスコミなどの世間の話題の的になって、プライベートの事まで餌食にされて苦しまされている七色/セブンの現状に我慢ならなくなり、虹架はレインとしてVR世界へログインし、セブンの元へ向かったのだ。

 

 期待する大人という名の無数のモンスターを一人で相手取って戦い続けている妹を助けたい、守りたいという姉ならば抱いて当然の意志に駆られて。

 

 

 いや、あそこまで妹思いの虹架なのだから、もしかしたら――その次の事を考えるよりも先に、虹架がその口を開いた。

 

 

「確かにアイドルとしてやっていくのは、成功するのは簡単じゃないってわかるよ。けれどわたし、コンサート会場で歌って、多くの人に熱狂してもらいたいんだ。それがわたしの夢だから……それにね、出来たら貴方と一緒に歌いたいんだ」

 

「あたしと……?」

 

「うん。アイドルになって成功したら、貴方のところに直接会いに行く。それで貴方と一緒にコンサート会場で歌って、両方のファンを動員して熱狂させたい。というか、いつか貴方と一緒に歌い続ける日々が欲しいっていうのが、一番の夢だよ」

 

 

 あまりに思った通りな事だったために、キリトは声を出して驚きそうになったが、直後に納得する。

 

 やはり虹架の一番の願いは、妹と同じ場所に立ち、同じように歌い続ける日々を過ごせるようになる事。アイドルになることそのものが困難だというのに、既に大物アイドルとして活躍している七色と肩を並べるのは、困難どころの話ではない。

 

 しかし、それでも尚、七色と共に歌う日々を手に入れたいという願いを捨てられないからこそ、虹架は七色を追いかけ、時に七色を助け出すために戦い、七色と同じアイドルになろうとして路上ライブを行って歌ったりしているのだ。

 

 たった一つの夢を叶え、離れ離れであった妹との日々を手に入れるために。

 

 

「だから、これからは自分の時間を目一杯使うんだ。歌の練習も勉強も沢山して、オーディションも沢山受ける。最初は失敗ばかりだろうけれど、いつか貴方と肩を並べて歌いたいって夢だけは変えられそうにないの。

 だからね七色、どれくらいの時間がかかるかわからないけれど、それまで待っててくれる?」

 

 

 虹架の言葉を最後まで聞くなり、七色は口を閉ざす。大物アイドルと肩を並べられるくらいのアイドルとなって、共に歌い続ける。普通の人間ならば、呆れたような顔をしてまず無理だと言い張って否定するであろう夢。

 

 それに対しての返事を思い付いたのか、七色は顔に――笑みを浮かべた。

 

 

「勿論だよ! あたしもお姉ちゃんと一緒に歌いたい。一緒に歌って、沢山の人々を動員して、思いっきり熱狂させたい。アイドルになったお姉ちゃんと歌い続ける日々なんて素敵なもの、あたしだって欲しいよ!」

 

 

 妹からの返事に少し驚いた様子を見せる虹架。七色はいつぞやのマシンガントークのように言い始めた。

 

 

「アイドルになる事はすごく難しい事だし、辛いものだけれど、それでもお姉ちゃんなら自分の実力でそこまでいけるって信じてる。いざとなった時はあたしが手を伸ばす事も出来るとは思うけれど、そんなもの必要ないのがお姉ちゃんだって知ってる。

 だからお姉ちゃん、どうかその夢を諦めないで。あたしは待ってる。いつまでも待ってるから……だから、あたしに会いに来てね?」

 

 

 待ちに待った妹の満面の笑みと期待の言葉。その一言一句を耳の中にしっかりと入れると、虹架はもう一度目元に涙を浮かばせながら深く、深く頷いた。

 

 

「うん。約束するよ七色。必ず貴方のところに行って見せるから、わたし!」

 

「うん! 約束だよ……待ってるよ、お姉ちゃん!」

 

 

 約束し合った姉妹はもう一度互いの身体を抱き寄せ、その存在を刻み込むように抱き締め合った。ついに最初の幸福を手に入れた姉妹を目に、リランは腕組みをする。

 

 

「しかしまぁ、本物のアイドルになりたいというのは、これまた大きく出たものだな」

 

「そうね。アイドルになるなんてそんな簡単な事じゃないし、セブン並みを目指すなら、その道はものすごく険しいものかもしれないわね。けれど――」

 

 

 シノンの横目の視線を浴びて、キリトは頷く。

 

 本当にアイドルを目指す事になるからには、きっと虹架/レインは今まで以上に忙しいものとなり、今後ALOやその他のVRMMOなどにログインする頻度は少なくなるだろうし、一緒に遊ぶ事も中々できないものとなるだろう。

 

 けれど、自分達と同じくSAOで様々な困難を潜り抜けてきて、キリトが二代目団長を務めた血盟騎士団のナンバーセブンとされるまでの実力を身に着けたのがレインであり、虹架だ。

 

 どんなに絶望的な状況に追いやられても(あらが)い続け、最後の戦いにも参加して戦い抜き、SAO生還者なったと虹架ならば、そんな遠からずアイドルとして活躍する日々を手に入れる事が出来るだろう。

 

 一緒に遊べなくなるのは確かに寂しいが、共にあの世界を生き抜いた虹架が人生を賭けた夢を手に出来るならばそれでもいい。

 

 何より虹架ならば、必ず夢を手に出来るに違いない――キリトはそれを強く確信し、頷いた。

 

 

「レインならやり遂げられるよ、絶対に」

 

「えぇ、きっとレインなら出来るわ」

 

 

 シノンの返事を耳に入れてから、キリトはしゅっと表情を少しだけ険しくして、ある方向に目をやった。自分達と同じように、抱き合う姉妹をじっと眺めている、長身を青と白の戦闘服に包んだ、水色の短髪と紫色の瞳が特徴的なウンディーネの青年。

 

 スヴァルト・アールヴヘイムのグランドクエスト攻略が終わった今も従者である事をやめていないであろう、元最強《ビーストテイマー》に、キリトは声をかける。

 

 

「それで……スメラギ」

 

「なんだ」

 

「色々聞かせてもらったぞ。お前に関する事、全部な」

 

「何?」

 

 

 リランとユイとストレアの三人にナーヴギアの解析を行わせたその時に、通話してきたイリスから、キリトはスメラギに関する話を聞いた。

 

 スメラギの本名が住良木(すめらぎ)陽太(ようた)という、量子脳力学者であり、キリト達とは腐れ縁みたいな関係である、菊岡誠二郎の依頼を受けていたという事。レインがセブンの情報を手に入れる事が出来ていたのは結局スメラギと菊岡がグルであったためである事など、全て。

 

 その事を話してやると、リランとシノンは驚きの声を上げたが、スメラギは見透かしていたかのように冷静を保ち続けていた。

 

 

「なるほど、あの人は全部お前に話したのか」

 

「あぁ。お前の事は色々とな。けれど安心したよ。お前がちゃんとセブンを慕ってるって事がわかって。ちゃんとセブンと力を合わせて研究を進めてるってわかってな」

 

「そうか。ならば、これ以上俺の事を詳しく言う必要はないな」

 

「いや、あるぞ。お前はこれからどうするつもりなんだ。《クラウド・ブレイン》計画はハンニバルのものだったし、失敗した上にハンニバルも死んだ。計画が白紙になった今、お前はどうするつもりだ」

 

 

 スメラギはキリトから視線を逸らし、もう一度姉妹――正確には七色/セブンの方――へと向き直り、表情を変えないまま口を開いた。

 

 

「俺は今まで通り、セブンの実験と科学の研究に携わっていくだけだ。だが、《クラウド・ブレイン》が無くなった今となっては、俺達はまた次の研究コンセプトを決めねばなるまい」

 

「という事は、セブンを支える立場で居続けるわけか」

 

「そういう事だ。だが、次はセブンに無理をさせないものにする必要があるな」

 

 

 デュエルの時には武術の達人のような表情を、セブンの傍に居る時には姫を守る騎士のような表情を浮かべ、それらの雰囲気を全身から放つのがスメラギだ。

 

 今のスメラギの表情はどちらかといえば後者の方に、穏やかさや優しさ、安堵が混ざっているようなものとなっている。

 

 

 この青年もまた、ハンニバルの計画に踊らされるセブンを見ているしかない立場を憂いでいて、セブンが身を粉にしていく必要が無くなった今に安心しているのだ。そして、七色に無理をさせない研究をさせる事が出来る事に、喜びを感じている。顔に浮かんでいるが、言葉を無くとも語っていた。

 

 セブンもこれからアイドルとして、科学者として活動していくのだろうけれど、その傍には支えてくれるものとなったシャムロック、クラスタ、そしてスメラギがいる。きっとこれまでのように身を粉にする事無く、生きていく事が出来るはずだ。

 

 

「そうだな。もうあの娘に無茶はさせちゃいけないぜ」

 

「珍しくお前の言う通りだ。ところでキリト、俺もお前に聞きたい事がある」

 

 

 スメラギは突然こちらに向き直り、キリト、シノン、リランの三人を眼中に入れる。何事かと思って三人で向き直ると、スメラギは問うてきた。

 

 

「キリト、お前は……お前達はイリスとどんな関係なんだ」

 

「え?」

 

「お前達はイリスとどんな関係なんだ。それが聞きたい」

 

 

 (やぶ)から棒な問いかけに三人で首を傾げる。

 

 イリス/芹澤(せりざわ)愛莉(あいり)と自分達との関係。それがもっとも濃いのはリランとシノンだ。

 

 まずリランは、愛莉がアーガスに居た時に作り上げたAI、《MHHP》の一番目であり、事実上愛莉の娘と言っていい存在。

 

 そしてシノン/詩乃はアーガス解散後に精神科医となった愛莉の専属患者であり、長期間に渡る診察や治療を受けてきている身だが、その仲睦まじさは医師と患者の関係を超えているようにも思えるくらいだ。

 

 そんな愛莉が、詩乃をVR、現実問わず守るように頼んでいるのがキリトであり、SAOの時からこれまで、キリトはそのための様々な助言やアドバイス、発破や激励などを愛莉から受けていた。

 

 SAOがクリアされた今はとなっては時折ログインして自分達と一緒に遊んでくれる、頼れる協力者であり、仲間。それが自分達にとっての芹澤愛莉/イリスだと三人で説明をすると、スメラギは(いぶか)しむような顔をした。

 

 

「……本当にそれだけか」

 

「それだけだぜ。なんだよ、あの人について何かあるのか」

 

「……あの人は俺達と同じ科学者だ。なのに、俺達のように研究しないし、俺達と一緒に研究をやろうと言う気さえも起こさない。人類のために科学を発展させる事は無駄だとさえ言ったんだ。それに何やら、おかしな事も言い出して……」

 

 

 確かにイリス/愛莉はあの茅場晶彦の右腕と称されたくらいの技術者であり、AIに関する開発技術も飛び抜けている。その技術があったからこそ、最大級クラスのゲーム会社であるアーガスにも所属出来て、SAOの開発に携われて、リランやユイなどを作り出す事が出来たのだ。

 

 けれども、その反面愛莉自身もかなり変わった人物であり、他の科学者や研究者達と群れて研究を進めたりする事も無ければ、自分の研究の成果を他人に公表する事もしない。しかも遺伝と称して自分の作ったAIに自分の身体の一部の特徴を与えたりする事もある有様だ。

 

 優れた技術力を持ってはいるけれど、特にそれを共有したり、公表したりしない。科学者ならばまず首を傾げるであろう発言ややり方を実行し続ける、(あたか)も孤高さまでも茅場晶彦から引き継いでしまっているかのような科学者。

 

 そのうえ、プライベートでは真面目に取り繕って変な発言をしては、からかってくる事さえあるような変人。それこそが芹澤愛莉という人物だ。

 

 

「イリスさんは元からそう言う人だよ。あの人は科学者として優れてるけど、変な部分もいっぱい持ってるような人だからな。お前達とは話が合わなくて当然だ」

 

「それに、イリスが真面目な顔をして変な事を言い出すのは、今に始まった事ではないぞ。実の娘である我も何度もからかわれているし、キリト達全員が被害者みたいなものだからな」

 

「そう、なのか」

 

 

 キリトとリランの発言に目を丸くするスメラギに、止めを刺すようにシノンが言う。

 

 

「イリス先生は自分の患者以外の真面目な人とか、特にからかうから」

 

 

 あんたなんか、イリスが恰好の得物だと思ってからかいそうな顔をした科学者だ――遠まわしにシノンに言われたスメラギは、小さな屈辱に晒されたかのような表情を顔に作っていき、やがて悔しそうに言った。

 

 

「……俺はからかわれただけ、というわけか。相変わらず俺達科学者でも理解しえない、変人だという事はわかった」

 

 

 それはキリトも思っている事だ。

 

 愛莉程同じ科学者でも理解しえないような考えを持っている科学者はそうそういない。そんな愛莉の考えを理解するのは、きっとあのデスゲームを作り上げた茅場晶彦の考えを理解するのと同じくらいに困難だろう。

 

 即ち、まともに考え込もうとするとど壺に嵌らされるのがオチだから、本気で考えない方がいい――というのがキリトが出した結論だった。

 

 

「そうだよ。あの人は変人だから、余計な詮索(せんさく)はしない方がいいぜ」

 

「……今度会う事があったら、そうする事にしよう」

 

 

 如何にも悔しそうな顔をしているスメラギに、三人とも笑いそうになるのを(こら)えていた。直後、それまで抱き合っていた姉妹が身体を離し、やがて妹の方が何かを思い付いたように言った。

 

 

「そうだわ、お姉ちゃん」

 

「え、どうしたの七色」

 

「お姉ちゃんの夢だけど……今夜だけ、特別に現実にしてみない?」

 

 

 

 


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