キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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 ある日に向けた特別編、開始。




※注意

 この特別編に合わせてストーリー進行は停止します。

 詳しくは活動報告の方をご覧ください。

 この特別編は、キリト・イン・ビーストテイマー フェアリィ・ダンスが終了した後の話になっております。

 が、今後の更新のネタバレは一切ございませんので、ご安心ください。


 それではどうぞ。


―フェアリィ・ダンス EX―
Ex1:もう一つ、心に巣食うモノ


 何もない空間に、詩乃はいた。

 

 壁も天井もなければ、空も地平線も白一色に染め上げられている何もない空間に、詩乃はただ一人佇んでいる。見上げても白、見下ろしても白、遠くを見ようとしても白以外の色の存在を確認する事が出来ない。

 

 いつの間にこんな白だけの世界へ来てしまったのだろうか、そのきっかけは何だったのだろうか。考えながら、詩乃はゆっくりと立ち上がって周囲を見回すが、やはりどこもかしこも白だけしか見えず、自分が立っている地面も白くて、地平線さえも白いものだから、どこまでが地面でどこからが空なのかさえもわからない。

 

 

「どこなのかしら、ここは……」

 

 

 どこまでも続く白の世界を、詩乃は周囲を見回しながら進む。普通、首や目を動かせば景色が変わるけれども、今自分のいる世界は空も地面も地平線も白いせいで、どこを見たところで何も変わらない。けれども、こんな世界はあり得ないから、きっとどこかに出口があるはず。

 

 どこにあるのかはわからないけれども、絶対に出口は存在しているはずなのだ。そう思いながら歩き続けたある時、詩乃は歩みを止めた。

 

 いつの間にか入り込んでしまっているこの白い世界に、白い以外の色をしているものが見える。目を凝らして見てみれば、それは人であるという事がわかり、すぐさまそれが複数である事もわかった。そしてその人の形をじっと見たところで、その人が誰であるかも理解できた。

 

 栗茶色の長髪の少女、こげ茶色の髪の少女、明るい茶髪をツインテールにしている背の低い少女、切りそろえた黒髪の少女。自分の友人である明日奈、里香、珪子、直葉だ。

 

 それだけじゃない。友人達の周りを見てみれば、SAOを共に戦い抜き、現在進行形でALOで遊んでいる仲間達の姿も確認出来る。どうやら皆揃って、この白い世界に来てしまっていたようだ。

 

 

「皆……!」

 

 

 皆に会えば、きっとここがどこなのかわかるはずだし、皆も自分と同じように出口を探しているはず。皆と協力すれば、この世界を抜け出せるはずだ――思いに駆られた詩乃は一気に走り出し、大好きな仲間の元へ急いだ。

 

 それなりに距離が離れているけれども、走ればすぐに辿り着ける距離だ。一分も経たないうちに皆の元へ行く事が出来るだろう。そう考えながら、詩乃は足を動かし続けたが、その中で異変に気付いた。

 

 先程からずっと走っているはずなのに、仲間達との距離は一向に縮まない。走って近付いている事は確かなのに、仲間達の元へ行く事が出来ないでいる。まるで動くランニングマシンの上を走っているかのようだ。

 

 この白い世界の床は自分の走っている方向と違う方向に動き続けているのだろうか。もしそうであってもなくても、このままでは自分は仲間達の元へ行く事が出来ない。

 

 

「皆、皆――!」

 

 

 ならば声を出して皆を気付かせればいい――咄嗟に思いつきを、詩乃は立ち止まって実行した。何も存在しない白い世界にその声は響き渡り、やがて木霊が聞こえなくなったそこで、仲間達はゆっくりと詩乃の方へ顔を向けてきた。

 

 よかった、ちゃんと声は届いたんだ――そう思おうとしたその瞬間、詩乃は言葉を失った。仲間達との距離はかなり離れており、顔や表情は薄らとしか確認する事が出来ないのだが、仲間達の全員が、冷たい瞳と冷酷な表情をしてこちらを見ているのだ。

 

 「なんだあいつは。こっちに来るな」。言葉無くそう伝えているかのような、暖かさのかけらも感じられない、無機質で冷たい目つき。普段の仲間達ならば絶対にする事のないであろうその目つきと表情で睨みつけられて、詩乃は戸惑いを覚える。

 

 

「な、何? 皆、どうしたっていうの」

 

 

 思わず呟いたその時、仲間達は何も言わずに振り返り、そのまま歩き出した。その速度は走行を遥かに超えるものとなっており、瞬く間に仲間達は詩乃から離れていく。気付いた時には、もう仲間達は点にしか見えないくらいの遠くまで行っていた。

 

 

「嫌……待って、待ってよ!!」

 

 

 首を数回振ってから走り、皆の元へ向かおうとしたそこで、何かに(つまづ)いたかのような感覚に襲われて、詩乃はその場に転んだ。全身に鈍い痛みと衝撃が走り、息が上手く出来なくなったが、それに耐えつつ詩乃は足元を見るが、そこでか細い悲鳴を上げた。

 

 どこまでも続いていた白の世界が、自分の後方から黒に変色を始めている。いや、白の世界を黒が侵喰し始めていると言った方が正しいだろう。

 

 そしてその劇的な速度で広がる黒の世界の中から、無数の黒い腕が伸びて来ていて、そのうちの二つが詩乃の両足を掴んでいる。

 

 この腕に掴まれたせいで転んだというのがすぐにわかる光景だったが、詩乃は大して気にもせずに、もう一度か細い悲鳴を上げるだけだった。

 

 

「なに、なにこれ……」

 

 

 抑えつけられているものの、身動き自体は取れたため、詩乃は咄嗟に皆の方へ向き直るが、そこで絶句した。先程まで居た仲間達の姿はどこにもなく、そればかりか、もう黒の世界の侵喰は自分の真上を通り越している。この黒い世界から延びてきている黒い腕に掴まれている間に、皆はどこかへ消えてしまったのだ。

 

 

「み、みん、な」

 

 

 先程よりもか細い声を喉から漏らしたその時、詩乃の身体は地面に押し付けられた。黒の世界からの腕が一気にその本数を増やし、詩乃の両腕は勿論、ほぼ全身を地面に押さえつける。

 

 身を(よじ)ろうとしても、起き上がろうとしても、押さえつけてくる黒い腕の力に勝つ事は出来ず、じたばたする事さえ詩乃は出来ない。

 

 視界が黒一色に染まり、自分の身体を抑え付け、締め付けてくる黒い腕が出す音、異様なまでの速度で脈を打つ心臓の音だけが耳に届いてくるようになり、心の底から恐怖が湧いて出てきて、瞬く間に溢れ出す。

 

 完全に身動きを取る事が出来なくなった詩乃は、たまらず叫ぶ。

 

 

「いやっ、いやあぁっ、助けっ、助けてッ、助けてぇッ!!」

 

《助けて? 誰があなたなんかを助けるの》

 

 

 突然頭の中に響いてきた声に、詩乃はかっと目を開き、叫ぶのも動こうとするのもやめる。それから間もなくして、詩乃の目の前に黒い腕が何本も密集し始めた。それは見る見るうちに形を変えていき、やがてどす黒い一つの形となったが、その姿を見て詩乃は声にならない悲鳴を上げた。

 

 黒い腕が姿を変えた事によって現れたのは、他でもない、詩乃自身だったのだ。墨や闇のようにどす黒い色をしているけれども、しっかりと姿も顔もよくわかるそれは、じりじりと本物の詩乃との距離を近付けている。

 

 

《あなたなんか誰も助けない。みんなもそう。どうせみんなあなたを見捨ててしまうの。どうせあなたを置いてどこかに行ってしまうの。あなたは誰からも信頼されていないの。だからみんなはあんな顔をしてあなたを見ていたの》

 

 

 耳ではなく、頭の中に直接響いてくる自身の声。先程の仲間達の様子を説明するその内容に、詩乃は首を横に振ろうとするが、頭自体を抑えつけられているから出来ない。

 

 

「そんな事、ない。だって、みんなは、みんなは、私の事、ちゃんと……私だって……」

 

《信じてる? それは嘘。それはあなたの思い違い。本当は誰もあなたの事なんか信頼してないの。信じてないの。あなたは誰からも信頼されていないの。あなたは人殺しなのだから。他の人とは一緒に生きられないようになっているのだから》

 

 

 黒くて粘っこい液体をだらだらと垂らしながら、黒い詩乃はどんどん詩乃へ近付く。黒い詩乃の顔が近付き、顔にびちゃびちゃと黒い粘液が付着する度に、詩乃の心臓の音はどんどん大きくなる。もう、心臓が喉の辺りまでせり上がっているような錯覚さえ感じるくらいだった。

 

 

《だからあなたは一人で強くなろうとした。その事をよくわかっているから。自分が誰からも信頼されてない事を理解しているから。だからあなたはずっと一人でいる事、一人で強くなる事を選んだ》

 

「……ッ!!」

 

《そうよ。そうよ。あなたはよく理解しているの。自分が孤独だって事を。だからあなたは一人で強くなるしかないの。誰からも信頼されないのだから。誰からも愛されたりしないのだから。誰からも信じられたりしないのだから。人殺しなのだから。人殺しの忌み子なのだから。あなたは孤独でいるしかないの。あなたは孤独に愛されているの。そうよ》

 

 

 ばくばくという詩乃の心臓の音と共に黒い詩乃の顔は近付き続け、やがてその目が一気に赤くなり、詩乃の視線はそこへ奪われる。同刻、黒い詩乃の黒い粘液で包まれた手が、震える詩乃の顔をゆっくりと包み込んだ。

 

 

 

 

《あなたは、永久に、ひとりぼっち》

 

 

 

 

「――――――――――ッ!!!」

 

 

 あまりの声が響き渡り、耳元に入り込んできたものだから、詩乃はたまらず飛び起きた。

 

 目を開いた時に広がっていたのは、黒い闇と無数の黒い手に浸食されゆく何もない白い世界ではなくて、白さこそはあるものの、新しくて薄い板材を張り合わせて作られた壁と、真新しいフローリングで構成された部屋。その一角にある――一人で使うにはもったいないくらいの広さのある――パイプベッドの上に、詩乃は居た。

 

 ぐるりと見回してみれば、いつも自分が使っているテーブルとデスクがあり、少し奥の方にはそれなりに大掛かりで、使い慣れているキッチンが見えた。

 

 ベッドから比較的近いところにある、この部屋で唯一とも言える大きな窓は遮光カーテンで覆われているが、その隙間から朝日が差し込んできている。間違いなく、結構前に引っ越したマンションの自分の部屋だった。

 

 そして同時に、先程まで自分の事を拘束していた黒くてぐちょぐちょとした自分の姿、黒い腕の姿はどこにもない事がわかった。

 

 

「……」

 

 

 何が起きたのかよくわからないまま、詩乃は自分の身体を見た。最近買ったパジャマを着ているが、水に浸したかのように濡れていて非常に重く、地肌を濡れている感覚が包み込んでいて、身体の中の心臓がやけに激しく脈打っている。

 

 それらの事を全て踏まえる事で、詩乃は先程までの出来事が全て夢であった事を把握できた。

 

 

「……ッ」

 

 

 詩乃はがくりと頭を下げ、右手で支えた。

 

 なんてひどい夢だったのだろう。よくわからない白い世界に閉じ込められたうえに、皆を見つけても会いに行く事が出来なくて、最終的に世界が黒に染め上げられ、自分によく似た黒い怪物が襲い来て、散々悪罵をぶつけてくるなんて。

 

 

「……最悪」

 

 

 あの事件が起こって、PTSDというものを発症してから、様々な恐ろしい悪夢を何度も見てきた。しかしそれは過去の話であり、最近はそのような事は一切なくなった。和人に、ユイに、明日奈に、愛莉に、皆に会ってから、そのような夢を見る事はほとんどなくなった。

 

 もう悪夢を見る事も、それに疲れる事もなくなったのだ――そう思っていたというのに、忘れた頃になって出てくるなんて。

 

 

「何で、今になって……」

 

 

 詩乃はそのままぶんぶんと首を横に振った。

 

 考えては駄目だ。そうだ、あれは全部夢だったのだ。夢であり、VR世界の出来事でも、現実世界での出来事でも何でもない。あの黒い自分だって存在しないし、黒い腕も存在しないのだ。

 

 それに皆だって、私の事をちゃんと信じてくれている――

 

 

《信じてる? それは嘘。それはあなたの思い違い》

 

 

 そう思おうとしたその時、不意に頭の中に《声》が響いた。リランが狼竜形態になっている時に飛ばしてくる《声》と同じように、とても透き通っている声。

 

 そしてその声色は、先程夢の中に出てきていた黒くて粘々(ねばねば)とした自分から発せられていたそれと酷似していた。

 

 

「……ッ!?」

 

 

 驚きながら、詩乃は周囲を見た。そこは先程から変わっていない自分の部屋であり、自分だけがいる。どこを見まわしても、自分以外の人間はいない。何もかもが、寝る前の時のままだ。

 

 

《あなたはよく理解しているの。自分が孤独だって事を》

 

 

 安堵しようとしたその時に、また《声》が響く。もう一度周囲を見回そうとしたその隙を突くかのように、また頭の中に《声》が響いた。

 

 

《だからあなたは一人で強くなるしかないの。誰からも信頼されないのだから》

 

 

 《声》の主である黒い自分は夢の中から出てきていた。自分が夢から覚めると同時に自分の頭の中に入り込み、安堵した隙を突いて動き出したのだ。まるで頭の中にあの黒い世界が湧いて、脳をゆっくりと侵して行っているかのように、《声》は続く。

 

 その《声》に逆らうかのように、詩乃はその場で耳を塞いだが、《声》は止まらない。

 

 

《誰からも愛されたりしないのだから。誰からも信じられたりしないのだから》

 

 

 うるさい。

 

 

《あなたは誰からも信頼されていないの。あなたは人殺しなのだから。他の人とは一緒に生きられないようになっているのだから》

 

 

 うるさい、消えろ。

 

 

《あなたは孤独でいるしかないの》

 

 

 うるさい、うるさい。消えろ、消えろ。

 

 

《あなたなんか誰も助けない、どうせみんなあなたを見捨ててしまうの、どうせあなたを置いてどこかに行ってしまうの、あなたは誰からも信頼されていないの、だからみんなはあんな顔をしてあなたを見ていたの、あなたは孤独に愛されているの、本当は誰もあなたの事なんか信頼してないの、信じてないの、あなたは誰からも信頼されていないの、あなたは人殺しなのだから、他の人とは一緒に生きられないようになっているのだから》

 

 

 うるさい、うるさい、うるさい、うるさい、うるさい、うるさい、うるさい、うるさい、うるさい、うるさい、うるさい、消えろ、消えろ、消えろ、消えろ、消えろ、消えろ。

 

 

「消えろ、消えろ、きえろ、きえろ――――――――――――ッ!!!」

 

 

「――のん、ののん、シノのん、シノのんッ!!!」

 

 

 頭の中に響き渡る《声》を突き破るようにして聞こえてきた、酷く聞き慣れた声に詩乃はハッとした。声の発信源を辿るように周りを見てみたところ、いつの間にか周囲の風景は現実の自分の部屋から、どこかの迷宮の中へと変わり果てている。

 

 その迷宮の内装も非常によく見た事のあるパターンのそれであった事から、詩乃は自分のいる場所が現実世界からVR世界であるALOへ、自分も詩乃からシノンへと変わっている事に気付く。

 

 

「シノン、攻撃が来るぞッ! 避けろッ!!」

 

 

 ログインに気付いたのも束の間、もう一度聞き慣れた声が耳元に届いてきて、シノンはもう一度ハッとしたが、同時にとあることに気付いて驚きの声を上げる事になった。

 

 目の前に牛のそれを禍々しくしたような形状の頭部を持ち、巨大な戦鎚を両手で持った、筋肉隆々の悪魔のようなモンスターが現れていて、得物である戦鎚で目の前を薙ぎ払おうとしているかのような姿勢を取っている。力を溜めて渾身の一撃を放とうとしている予備動作だ。

 

 

「……あ」

 

 

 どうして目の前にこのようなモンスターが居て、このような事になっているのか。その過程を思い出そうとするよりも前に、シノンは咄嗟にバックステップをして攻撃を避けようとしたが、牛頭の悪魔はそれを上回る速度で戦鎚による薙ぎ払いを放ち、シノンの華奢な身体に戦鎚の先端部が突き刺さった。

 

 

「かはッ……」

 

 

 ほぼ全身に重いものが勢いよく衝突してきたかのような衝撃を受けた刹那に、シノンの身体はバットで打たれたボールのように跳ね飛ばされ、宙を舞った。何が起きたのかよくわからないまま、吹っ飛ばされたシノンは地面へ激突し、数回転がった後に止まる。

 

 痛覚抑制機能(ペインアブソーバ)が存在するおかげで、車の衝突にも匹敵する攻撃を受けたとしても、多少の不快感を感じる程度で済むようになっているけれども、それでも今の衝撃はかなりの強さのものであったらしく、シノンは転がって止まった先の地面に這いつくばったまま、身動きを取る事が出来ない。

 

 

「ぐ……ぅ」

 

 

 普段ならばすぐさま立ち上がろうという気を起こして実際に立ち上がるのだけれども、今のシノンの頭の中は、どうしてこのような事になっているのか、いつの間に自分はALOにログインしたのだろうかという疑問が占拠してしまっており、立ち上がろうという気を起こすのを妨げていた。

 

 一体どうしてこんな事になっているというのだろう。

 自分はいつの間にあんなボスモンスターに挑む事になっていたのだろう。

 今自分がいるところはどこなのだろう。

 

 疑問という名の水が頭の中に湧き上がってきて、瞬く間に一杯になってしまう。その中で必死に立ち上がらなければという気を起こして、シノンは立ち上がろうとしたが、そこで身体が異様に軽くなった感覚を感じた。

 

 腕に力を込めて上半身を起こしてみれば、そこには白と青を基調とした服に身を包み、その手に細剣を携えた水色の長髪の少女の姿があり、とても心配そうな顔をしてこちらを見ているのがわかった。

 

 自分の親友の一人であり、このALOでも一緒に遊んでいるアスナだった。

 

 

「シノのん、大丈夫!? かなり強い攻撃を受けちゃったみたいだね」

 

 

 アスナはこのALOでは回復術を得意としている種族、ウンディーネを選択している。その事を思い出す事で、つい今まで重かった身体が軽くなった理由がアスナの回復術である事を、シノンは確認する。

 

 

「アスナ、ありがとう……」

 

 

 強い衝撃を受けた事により覚束無くなっている口元を動かして、シノンはアスナに礼を言ったが、直後に爆発音にも似た轟音と獣の悲鳴や咆哮を思わせる声が聞こえてきた。

 

 誘われるようにして目を向けてみれば、黒いコート状戦闘服に身を包んだ黒髪の双剣士を中心に様々な外観をした戦士達と、一匹の巨大な狼龍が牛頭の悪魔を取り囲んでおり、テンポよく攻撃を仕掛けているのが見えた。その戦士達とは他でもない、自分の頼れる仲間達であり、その中にいる黒の双剣士は自分の愛する一人であるキリトだった。

 

 牛頭の悪魔は迫りくる仲間達を必死になって薙ぎ払おうとするが、仲間達は牛頭の悪魔から繰り出される攻撃の全てを的確に回避し、攻撃後の隙を突いて強力な攻撃を仕掛けていく。 

 

 その中に混ざる形で牛頭の悪魔よりも大きな身体を持つ狼龍が飛び切り重い攻撃であろう突進やパンチなどを牛頭の悪魔にお見舞いする。

 

 そして仲間達の攻撃が終わり、最後にキリトがソードスキルを放ったそこで、牛頭の悪魔に表示されていた《HPバー》はついにその全ての残量を失い、断末魔を上げながら全身を水色がかった白いシルエットに変え、すぐさま無数のガラス片のようになって爆発四散し、消滅した。

 

 

 牛頭の悪魔の姿が完全に消え去ったその光景に茫然としていると、数秒もおかずに《Congratulations!!》という、ボスモンスターの討伐を祝する文字が空中に出現し、鳴り響いたファンファーレによってシノンはハッと正気に戻り、周囲を見回す。

 

 その時には、牛頭の悪魔を倒すべく奮闘していた仲間達が戻って来ているのがわかり、その中の数人とアスナが話しているのも見えた。

 

 その内容は「これでクエストは完了だね」とか「意外と手ごわいモンスターだったな」といった、今のボス戦の感想のようなものだったが、仲間達はその話をそそくさと終わらせ、自分の元へとやってきた。

 

 その仲間達の中に紛れるようにしていた黒の双剣士――自分が誰よりも愛している人――キリトが、誰よりも先にやってきて、姿勢を落として寄り添って来る。

 

 

「シノン、さっき攻撃を受けたみたいだったけど、大丈夫だったか」

 

「……あ」

 

 

 キリトの言葉を、その声を耳の中に入れたその時に、シノンの頭の中に溢れていた疑問という名の水は一気に干上がり、その疑問が求めていた答えが思い出された。

 

 悪夢に飛び起きて、そのフラッシュバックに苦しんだ朝を乗り越えた詩乃/シノンはいつもどおりALOにログインして、仲間達と合流してクエストを受けた。その時には、自分の事をずっと見てくれていた精神科医であり、ALOで一緒に遊んでいる芹澤愛莉/イリスもまた、珍しく加わっていた。

 

 そしてそのクエストだが、それなりに強いボスモンスターを相手にする内容だったが、自分達ならば大丈夫だろうというキリトの考えに賛成して挑み、ボスモンスターである牛頭の悪魔を相手にしていたのだった。

 

 しかし、この牛頭の悪魔は結構な強さを持っているそれであり、自分達全員で戦ってもかなりの苦戦を強いられる事になり、自分もかなり必死になって矢を放っていたのだ。

 

 ――その最中だ、あの悪夢の事を不意に思い出してしまう、フラッシュバックというものに襲われてしまったのは。

 

 しかも、そのタイミングが牛頭の悪魔の攻撃が迫って来ている時だったものだから、回避も出来ずに受ける羽目になったのだ。

 

 

「……」

 

「シノン? 大丈夫か」

 

「えぇ、大丈夫よ……」

 

 

 キリトの問いかけに答えると、その隣に桃色の髪の毛と紅い戦闘服が特徴的な少女が並んだ。アスナと同じように自分の親友である、リズベット。

 

 

「そんなふうには見えないわよ。さっきのだって、いつものシノンなら喰らいそうにない攻撃だったじゃないの。それをまともに喰らうなんて、何かなきゃ起きないわよ」

 

 

 そこでリズベットは手袋を外し、素手になったところで掌をシノンの額に当てた。恐らく熱があるかどうかを確認しようとしているのだろうが、このALOでのプレイヤーはあくまでアバターであるから、熱が出るなんて事はない。

 

 全く持って無意味な行為なのだが、文句も言わずにシノンはリズベットの言葉を聞いた。

 

 

「もしかしてあんた、リアルで具合が悪いのに無理してログインしてるとか? なんだか朝からボーっとしてるような感じだったしさ」

 

 

 リズベットからの言葉に、シノンはかっと目を見開くと同時に、現実世界の自分の身体を思い出す。確かに悪夢で飛び起きたりはしたけれども、どこかが悪いとか、具合が悪いとかそう言うわけではない。大丈夫よ、私はダイブし続けられる――そう言おうとするのを邪魔するかのように、リズベットやアスナと同じく友人の一人であるリーファが言った。

 

 

「えぇっ、それって危ないですよ! ダイブしてる間はリアルの事は何もわからないから、悪化してもわからないですし」

 

「もし具合が悪いのにログインしてたんなら、ログアウトした方がいいんじゃない。リアルの身体に何かあったら大変だよ」

 

 

 続けて聞こえて来た友人のフィリアの声に続くように、周りから「シノンさん、大丈夫ですか」「ログアウトして休んだ方がいいな」などの声が上がり始めると、シノンは頭の中に皆の考えが伝わって来たかのような錯覚を覚えた。

 

 皆は自分をログアウトするように言っている。この場から退くように、この世界から一旦抜けるように言っている。自分の身体の事を心配してくれている――そのはずなのに、シノンの心に嬉しさは湧かず、真反対の感情である恐怖にも似た感情が湧いた。

 

 

(……!!)

 

 

 黒い水のような形状の恐怖は、瞬きをするよりも早くシノンの心の中と頭の中いっぱいに広がり、溢れ出し、やがて形状を変えて複数の人間の、大まかな形を作り出す。その人間のような形はもっとはっきりとしたものとなっていき、とうとう目の前にいる仲間達にそっくりの形になったが、その仲間達の顔を見てシノンはぞっとする。

 

 仲間達の顔は、あの時の夢に出てきた仲間達と同じ顔をしていたのだ。暖かさのかけらも感じられない、無機質で冷たい目つきで、こちらを見ている。目の前にいる仲間達はそんな顔をしていないし、寧ろ自分の事を心配してくれているような顔をしているけれども、頭の中に広がる光景が目の前の光景を塗り潰そうとしている。

 

 その光景に、仲間達から冷たい目で睨まれている光景に司会を支配されそうになったそこで、頭の中に《声》が響き渡る。

 

 

《どうせみんなあなたを見捨ててしまうの。どうせあなたを置いてどこかに行ってしまうの。あなたは誰からも信頼されていないの。あなたは、永久に、ひとりぼっち》

 

「――ッ!!」

 

 

 同刻、額に当たっていた暖かい感覚が消えたのがわかった。手を当ててくれていたリズベットがその手を離したのだが、その瞬間からシノンは全身が抑えようがないくらいに震えはじめたのを感じた。

 

 

「ひとまず、シノンの事は休ませた方がいいかもしれないわね。んで、ちょっと具合が悪かったらログアウト――」

 

「いや……やあああッ!!!」

 

 

 普段なら絶対にあげないような声を上げて、シノンは離れていくリズベットの手を思い切り握り締めた。痛みを与えてるくらいに強く握り締めるものだから、リズベットと他の者達の驚く声が聞こえてきたが、シノンはそれを気にする事さえ出来なかった。

 

 

「し、シノンッ!?」

 

「いや、嫌、いや、いやぁぁ、お願い、おねがい、置いて行かないで、行かないで、いかないで、お願い、おねがい、おねがい」

 

 

 心の中から無尽蔵に言葉と思いが溢れ出し、止め処なく口から吐き出されてしまうが、シノンはそれを止める事が出来ない。幼い子供に戻ってしまったかのように、リズベットの手を強く握り締めて、何度も首を横に振りながら訴える。

 

 

 お願い、置いて行かないで。

 私から離れて行かないで。

 一人にしないで。

 私を一人にしないで――――。

 

 

「おねが――――」

 

 

 次の言葉を訴えようとしたその時、全身に電撃が走ったかのような感覚がシノンを襲い、言葉を紡ぐのが止められた。それとほとんど同じタイミングで、頭の中いっぱいに広がっていた仲間達の視線と光景が消え去り、心の中を満たしていた恐怖が一瞬にして消滅する。

 

 身体の震えが取り除かれ、頭と心に静寂が取り戻され、何も言わないでいられるようになったそこで、シノンは項の辺りに暖かさがある事を感じ取る。間もなくして、囁くような声が聞こえてきた。

 

 

「……気分はどうだ、シノン」

 

 

 そう言って横方向から姿を現したのは白金色の狼耳を頭から生やした、金色の長髪と赤い瞳が特徴的な少女。自分の家族であり、先程は狼龍の姿となってモンスターと戦っていたリランだった。

 

 

「リラ、ン……」

 

「もう何回お前に使ったかわからないが、力を使わせてもらった」

 

 

 リランはMHHPという、人間の精神を治療する力を持つAIだ。そのリランの話を聞く事と、額に当たっている暖かい感覚で、リランがその掌を項に当ててきて、鎮静効果のある力を使ってくれたのを、シノンは把握出来た。

 

 直後にリランの反対側から、黒い髪の毛と赤茶色の瞳が特徴的な女性が、しゃがんで目の高さを合わせつつ、声をかけてきた。

 

 

「……シノン」

 

「愛莉、先生……」

 

 

 思わず本名で呼ぶと、愛莉/イリスはその両手をそっと伸ばして、身体を包み込んできた。何度も経験しているけれど、一向に飽きる事のない温もりが溢れる、柔らかい胸の中に入るなり、シノンは無我夢中で抱きつき、背中に手を回した。

 

 

「……今の君には診察と治療が必要だ。一旦みんなから離れて、街に戻ろう」

 

 

 イリスの胸の中で、シノンは何も言わずに頷いた。それから少ししてから、イリスの街に戻るとか、シノンには診察が必要などの声がし、ひとまず皆と一緒になって街の宿屋へ戻る事になった。

 

 

 

 




シノンの心に何やら暗がりが。その正体は次回判明。

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