キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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Ex2:集まって話し合って

          □□□

 

 

「…………という事があった。以上が彼女の身に起きている異変だよ」

 

 

 スヴァルト・アールヴヘイム 空都ラインの宿屋の一室

 

 先程のクエストを終えた時、シノンに異変が起きた。その時には全員で何事かと驚く事になり、一同のほぼ全員がシノンの身を案じる事になってしまったのだが、一同がシノンに寄り添うよりも前に、シノンの主治医であるイリスが「今のシノンには診察が必要」という判断を下し、これ以上のクエストの続行は不可能という判断もまた下した。

 

 シノンの事が心配で仕方が無かった一同はそれに従う形でクエストを完了し、チームリーダーであるキリトも了解。イリスの指示に従って街へ帰還した。

 

 その直後にイリスはシノンを連れて宿屋へ向かって行き、キリトもシノンに寄り添おうとしたが、イリスがそれを拒否してしまった。

 

 明らかな隔離処理をされてしまった一同は不満を垂らしながら、イリスとシノンの行動を喫茶店で待つ事になったが、待ち始めてから三十分後付近でイリスから「宿屋へ来てほしい」という連絡があり、一同はそれに従って、空都ラインの宿屋の一室へ向かったのだった。

 

 

「シノン……まさかそんな事になってたなんて」

 

 

 宿屋の一室、椅子に座っているイリスから比較的近いところにいるフィリアがひどく不安気な顔をしながら呟くように言う。

 

 この一室に来た時、一同を待ち受けていたのはイリスだけだった。その時には当然のように、シノンはどこへ行ったのだという疑問を一同で次々とぶつけたが、そこでイリスはシノンの身に起きている事の全てを話してくれ、キリトはそれに衝撃を受ける事になった。

 

 いや、キリトだけではなく、イリスを除くその場の全員が、衝撃を受けたのだ。

 

 

 シノンは今朝、悪夢に飛び起きた。

 

 内容は、何もない空間にシノンだけがおり、その中でシノンは自分達を見つけるが、自分達はシノンの事を完全に突き放したような顔をしていたという。

 

 そしてシノンはそこへ向かおうとしても向かう事が出来ず、ついには自分に酷似した姿の魔物に捕まり、「お前は永遠に孤独なのだ」と言われるという、最悪極まりにないものだったという。

 

 その夢はそこで終わったそうなのだが、その後もシノンは夢の中に出てきた黒い魔物に心と耳に付き纏われ続けられ、「お前は永遠に一人」だとか「お前は誰からも信頼されていない」などの言葉を言い続けられるというフラッシュバックに苦しんでいたというのだ。

 

 そしてそのフラッシュバックを原因としたパニック症状こそが先程のシノンの異変であり、リランの力を使わなければ収まらなかったという事をイリスは突きとめ、それら全てを話したシノンにログアウトをするように指示。

 

 シノンはそれにしたがって誰よりも早くログアウトしたから、この場にはいないのだと、イリスは説明した。

 

 

「シノのんにそんな事が起きてたのに、なんでわたし達は全然気付かなかったの……?」

 

「シノンさんも、そんなに苦しい思いをしてたのに、なんであたし達に言ってくれなかったんでしょうか。言ってくれれば、すぐに相談に乗れたのに……」

 

 

 ひどく心配そうな顔をしたアスナとリーファが言う。実のところ、シノンの精神や心に異変が起きていたというのは、あの時シノンのパニックを見るまで自分もわからなかった。いつもならばシノンと出会った時点で判断できそうなのに、全く判断できなかったというのが、キリトは悔しくて仕方が無い。

 

 

「そもそも、何でシノンはそんなふうになってるんだ。オレはシノンと仲間だし、仲のいい友達だって思ってる。言っとくが、オレはシノンの夢の中に出てきたオレみたいな事は絶対にしないって自信があるぞ」

 

「ぼくもクラインと同じ気持ちだよ。シノンさんは……キリトのだけど、それでもぼくの大事な仲間だって思ってる。だけど……なんでシノンさんはそんな事に?」

 

 

 クラインとカイムが不満があるかのように言うと、部屋にいる全ての者達が同じような事を言い始める。やがて、その声を黙って聞いているだけだったキリトにシリカが声をかけた。

 

 

「キリトさん。キリトさんって確か、シノンさんの記憶とかが全部わかるんですよね。ならキリトさん、あたし達に教えてくれませんか。どうしてシノンさんがあんなふうになっちゃってるのか……」

 

 

 問われたキリトは、そっと右手首に装着されている白金色の腕輪に目を向ける。切っ掛けこそは本当に偶然だったのだけれども、キリトの頭の中にはシノン/朝田詩乃の記憶のほとんどが同時に存在している。

 

 

 前はこの事に結構苦しんだりしたものだが、今は真実を知った詩乃が献身的に様々な事をしてくれたおかげで普通にしていられるし、いざとなった時は右手に嵌っている腕輪――詩乃がくれたお守り――を見る事で詩乃の記憶を思い出す事が出来る。

 

 そんなキリトからすれば、イリスから詩乃の診断結果を聞いて、詩乃がそうなってしまっている原因を割り出すのは容易だったし、話そうと思えば話せた。

 

 けれど、詩乃がそうなってしまっている原因の根本というのは決してキリトの口から話していいような事ではないし、本人だってそれを望んではいないのがすぐにわかる。

 

 だからこそ、キリトは原因がわかっても他の者達に話す事は出来なかった。

 

 

「……キリト君」

 

 

 シリカへの答えに迷っていたその時に聞こえてきた声に、キリトはハッと我に返って向き直った。

 

 そこにいたのは自分と同じくシノンの精神状態と過去を知り、その傍に寄り添い続けている女性。自分達にシノンの様子の事を教えた張本人であるイリスだった。

 

 

「イリスさん……」

 

 

 呟くように言うと、イリスは首を小さく横に振り、皆の方に向き直った。「私が話すから、君はひとまず黙っていなさい」という指示のような意思表示を見たキリトは、シリカの質問に答えずに皆へ向き直る。

 

 

「君達がシノンを仲間にしてくれているというのはよくわかった。だからこそ、私は君達にシノンの身に起きていた事を話したい。聞いてくれるか」

 

 

 シノン/詩乃の主治医の凛とした声が部屋の中に響くと、それまで少しがやがやとしていた一同は声を発するのをやめた。自分達はその話を聞く覚悟が出来ているという意思の表れである沈黙を見たイリスは、静かな口調で話し始める。

 

 

「シノン……あの()の過去について、大まかに話そう。ただし詳しい話は、本人が話したくなった時に聞くようにしてくれ。あの娘は……」

 

 

 それを皮切りに、イリスは詩乃の過去を話し始めたのだった。

 

 詩乃が周りの人を守るために拳銃で強盗を射殺したなどの真実こそは言わなかったが、詩乃が事件を原因にPTSDを患ってしまったがために自分の患者となっていた事、PTSDの発作に苦しんでいたのに身の回りの愚者達に罵られ、事件の犯人扱いされ、(いじ)められた事、手を取ってもらえなかった事、普通の女の子として暮らす事が出来なくなっていた事、友達も一人もいなかった事、ずっと孤独になっていた事、人の事を信じる事が出来なかった事、心を閉ざしてしまっていた事を全て、話した。

 

 それを既に本人の口から聞いていたキリトは、何も言わずにずっと聞き続けていたが、その最中に詩乃から貰ったお守りを見つつ、詩乃の記憶を思い出したりしていた。

 

 そして仲間達も、途中で悲痛な驚きの声を上げたりしていたものの、最後まで黙ってイリスの話を聞いていた。

 

 

「……わかっただろう。これが、あの時あの娘がパニックを起こした理由なんだ」

 

 

 その一言で、長さを感じさせないイリスの話は終わった。一室に集まっていた仲間達はほぼ全員が悲しげな顔となっており、同時にこの場にいないシノンの身を心配するような表情も混ざらせていた。その中の一人であり、シノンと仲の良い友人であるシリカが、今にも泣き出しそうな顔をしながら声を出した。

 

 

「シノンさん……そんな事になってたなんて……今まで、ずっと……」

 

「ずっとずっと、苦しい思いをして、辛い思いをしてたんだ……あの、シノンが……」

 

 

 シリカに続く形でフィリアが言うと、今度はリーファが言葉を紡ぎ出す。その顔は悲しさよりも強い怒りを抱いたものになっていた。

 

 

「それに、酷過ぎます! シノンさんは事件に巻き込まれたってだけで、何にも悪い事なんかしてないじゃないですか。なのにシノンさんの周りの人達はシノンさんをもっともっと傷付けて、犯人呼ばわりして、シノンさんがどんな思いをしてるのか知らないで……最ッ低……!!」

 

「そうだよ。あの時のあの娘は、誰かに支えてもらう必要があるくらいに、心を傷だらけにしていたんだ。けれども、あの娘の周りの連中は、傷付いたあの娘の心を弄ぶ事を選びやがったのさ」

 

 

 イリスが付け加えたそこで、キリトは頭の中で詩乃が苛められている時の光景を思い出す。手を伸ばそうとすれば叩き、背中を突き飛ばし、面白がっているかのように悪罵をぶつける子供達と、それを仕方が無いと言い張って傍観を続ける大人達。寄って集って終わりなき暴力と蔑んだ目をぶつけ続ける、人によく似た形をした屑共。

 

 思い出すだけで腹が立ち、その首を斬り飛ばしてやりたくなる最低な連中だ――キリトはそう思わざるを得ない。そんなキリトと同じような事を思ったのだろう、この中で最も年齢が高いエギルが、腕組みをしつつ言う。

 

 

「事件に巻き込まれたシノンがどんな思いをしてるかなんて、少し考えればわかりそうなもんじゃねえかよ。ってのに、何でそんな事が出来たっていうんだ」

 

「エギルさん、貴方は賢い人だし、皆もそうだ。

 けれど、あの時あの娘を取り囲んでいたのはそんな事が出来るくらいの賢ささえも持ち合わせてないような連中だったんだよ。

 そんな連中が、あの娘の傷付いた心の傷を無理矢理広げ、血が流れてても掻き(むし)り、塩を塗りたくる事に一生懸命になってくれたおかげで、あの娘の心はもっとズタボロになったんだ。連中はあの娘を異常者と罵ったらしいが、連中こそが自覚のない異常者だよ」

 

 

 明らかな怒りを感じられる口調でイリスが言うと、周りの者達からは「そんな」や「酷過ぎる」と言った声が上がった。その言葉を遮るようにして、イリスは更に言う。

 

 

「そしてあの娘はPTSDを患っているがために、精神科に通ったりもしたんだ。けど、あの娘のPTSDっていうのは他の患者とは一線を臥したものでね、そこら辺の医者で治せるようなものじゃなかったんだ。

 小学校は勿論、中学でも苛められ続け、精神科の医者の治療は効果を為さない。そして容赦なく来るパニック症状や幻視、悪夢などの発作。そんな日が、五年も続いたおかげで、あの娘は完全に心を閉ざし、親を含めたすべての他人を信じる事ができなくなったんだ」

 

 

 あの時の詩乃は、本当は身の回りの人々に支えられ、適切な治療を受けなければならなかった。けれども、身の回りの者達は何も考えていないような、愚者ばかりであったがために、その心の傷を悪化させられ、最終的に深刻なまでに心を閉ざすようになってしまったのだ。

 

 詩乃の心に傷を負わせたのはあの事件そのものだけれども、もっと大きな原因となっているのは、あの時傷付いた詩乃を痛めつけた周りの屑共だ。

 

 改めてその事を把握したキリトは、胸の中に針が刺さるような痛みと、燃えるような怒りが込み上げてくるのを感じた。

 

 

「……その五年目でようやく私の元に来れて、SAOに巻き込まれて、理解者である君達と出会う事が出来たってところだ。SAOというデスゲームに巻き込まれたのは不幸だったが、あの娘にとっては幸運な出来事だったと言えるだろう」

 

 

 SAOは人を殺すゲームであり、呪われたゲームであると一般世間には言われたし、実際にそれに閉じ込められた自分達もそんなふうに考えていた。だが、シノンの場合はこのSAOに閉じ込められなければ、自分達に会う事も出来ずに、心に傷を負ったままになっていたのだ。

 

 一般世間からすれば不幸以外の何ものでもないけれども、シノンの場合はその真逆であるというのを、周囲の仲間達は沈黙を持って理解していたようだった。その数秒後に、ユウキが沈黙を破って発言する。

 

 

「ボクも……ボクもシノンの気持ちがわかるよ。あまり大きな声で言えないけど、ボクも同じように苛められたりしたこともあったから……だから、シノンがすごく辛い思いをしてたっていうのもよくわかるし、人を信じられなくなってたっていうのも、すごくよくわかるんだ」

 

 

 前にアスナとカイムから聞いたのだが、ユウキは持っている病気を原因に苛めに遭っていた事があるのだという。それを物語るかのように、発言をするユウキの瞳はどこか揺れており、話の終わり頃にカイムがその手をそっと握っていた。

 

 そのユウキの話が終わった直後に、それまでほとんど話を聞く一方になっていて、ほとんど言葉を発する事が無かった、自分達ともシノンともSAOの時からの攻略仲間であるディアベルがその口を開いた。

 

 

「イリス先生の話のおかげで、シノンさんの身に何があったのかはよくわかったよ。けれど、俺達はシノンさんの仲間をやめるつもりなんかない。シノンさんは俺達と一緒に死線を潜り抜けて、あのデスゲームを終わらせたんだからな。シノンさんがどんな事情を抱えていようと、俺達はシノンさんの仲間だ」

 

「ディアベルさんと同じ意見です。あたし達はシノンさんの友達ですし、かけがえのない仲間です。けど、それなのになんでシノンがそんな事を考えてるんでしょうか。シノンさんはあたし達と同じ学校に通ってますから、もうシノンさんを苛める人はいないはずです」

 

 

 ディアベルに続く形で言ったシリカの言葉を聞き、周りの者達は何かを考えているかのような仕草を取ったが、それについてもキリトは理由が既に分かっていた。その話をしようとしたその時、再びイリスがキリトに口止めをして、自ら口を割った。

 

 

「……君達というかけがえのない仲間のおかげで、あの娘の心は開かれたし、キリト君やユイと言った大切な人達が出来たおかげで、あの娘の心はとても豊かになった。特にアスナやリズやシリカ、君達があの娘の友達になってくれたおかげで、あの娘は普通の女の子として生きていけるようになったんだ。

 けれど、あの娘はまだそれを腑に落とす事が出来てないんだ」

 

「腑に落せてない? それってどういう事なんですか、イリス先生」

 

 

 リーファの問いを受け、イリスはそっと人差し指を自らの額に添えた。

 

 

「……あの娘が患っているPTSDというものだが、その根元にあるのは恐怖心だ。あの娘の場合は、あの娘を巻き込んだ事件の凶器のせいで酷い目に遭ったから、その凶器に強い恐怖心を抱いている。その恐怖心がパニックだとかの発作を引き起こすんだ。

 だが、あの娘はその凶器だけじゃなく、周りの人間達にも五年に渡って苦しめられ続けた。そのせいで、あの娘には事件の凶器への恐怖心と、他人と孤独への恐怖心が根付いているんだ。身の回りの糞共のおかげで、あの娘は再三ひどい目に遭わされ、裏切られ続けたんだからね」

 

 

 イリスは椅子に寄りかかり、そのまま深い溜息を吐いた。

 

 

「そして、そいつらが付けたあの娘の心の傷はまだ治ってない。その傷があの娘の中の恐怖心を煽り、さっきの発作を起こさせ、あの娘の君達を信頼しようという心を、君達がかけがえのない仲間だっていう意識を妨げているんだ。あの娘のトラウマは他人に裏切られる事、孤独にされる事、孤独そのものも含まれているんだよ」

 

 

 イリスの話を聞く事に夢中になったのか、その内容に茫然としてしまったのか、言葉を失った仲間達に紛れながら、キリトはシノン/詩乃の記憶を呼び起こす。

 

 詩乃はあの事件を経験してから、一人で生きていくために強くなろうとしていたし、SAOに巻き込まれたばかりの時もそんな事を何回も言っていた。

 

 しかし、自分達と出会って――自分と愛し合うようになって――から、詩乃はそんな事は一切口にしなくなって、考える事自体しなくなったし、逆に孤独や一人にされる事を極度に恐れるようになった。

 

 そんな事もあったからこそ、キリトは詩乃の傍にずっといよう、愛し続けようと思っているのだが、イリスの話ではっきりとわかった。

 

 やはり詩乃の中では孤独や他人からの裏切りや虐げも、忌むべきトラウマとなって根強く残っている。

 

 

「って事はシノンちゃんは、わたし達と会う前までみたいに、わたし達に裏切られたり、一人ぼっちにさせられるんじゃないかって恐れてるの……?」

 

「そういう事だ。実際あの娘はまだ、君達と一緒に居る時間よりも、他者に虐げられた時間の方が長い。そのせいで、あの娘は――」

 

 

 レインの問いにイリスが答えたその時、突然出口に向かって走り出した者が現れ、即座にイリスが「待ちなさい」と呼び止める。

 

 いきなりな行動を起こして皆の注目を浴びる事になったのは、本当にそれまで口を動かす事のなかったリズベットだった。

 

 

「リズ、どこへ行くつもりだい」

 

「決まってんでしょ。シノンのところよ。シノンの――いいえ、詩乃の住んでるマンションの詩乃の部屋に行くのよ!」

 

「行ってどうするつもりなんだ」

 

「行って……あの娘にもう一度伝える! あたし達はあんたの友達だって、あたしはあんたの親友だって! あたしだけじゃない、アスナにシリカにリーファにフィリアにレイン、あんた達も一緒に行くわよ、あの娘のところ!」

 

 

 あまりに突然すぎるリズベットの声掛け。それに混乱しないなんて言う事は出来ず、呼びかけられた友人達は困惑の声を上げ、アスナがリズベットを宥めるように言う。

 

 

「ちょ、ちょっとリズ、どうしたの」

 

「どうしたって、あんた達こそなんでそんなに冷静なのよ!? あの娘があんなふうになってるっていうのに、あの娘があんなに苦しんでるのに!」

 

「り、リズさん落ち着いてください! 今はあたし達で喧嘩してる場合じゃないはずです!」

 

 

 アスナに加わってシリカが宥めると、リズベットは少し悔しそうにしながら俯いた。重い沈黙が部屋の中を覆い、誰もが言葉を発せなかったが、その沈黙はすぐにキリトによって破られる事になった。

 

 

「……リズ」

 

「……あたしはね、あの娘と友達になった時の事、今でもはっきり思い出せるのよ。あの娘、あたしとアスナと友達になった時、すごい泣いてた。それでわかっちゃったのよ、この娘はずっと辛い思いをして来たんだって、苦しい思いをしてきてたんだって。だからあたし、何があったとしても、何十年経とうとも詩乃の友達で居ようって決めてるのよ。ずっと親友で居ようって、思ってるのよ」

 

 

 そこでリズベットはかっと顔を上げた。その表情は心配と後悔と怒りが混ざり合っているかのような複雑なものとなっていた。

 

 

「なのに何よ。あたし達はこんなに詩乃の事を信頼してるし、友達だって思ってるのに、あの娘は未だに人の事を信じれないで苦しんでる? あたし達はあんなに長い間詩乃と一緒に居たのに、あの娘の心を癒す事が出来てなくて、あたし達はそれにずっと気付かないでいたっていうの? それが原因であの娘はあの時あんな事になった?」

 

 

 すかさずリズベットは首を横に振り、力を込めつつ言い放つ。

 

 

「そんなの、あたし達があの娘を苦しめてるのと一緒じゃないの! そんなの……許しておけるわけがない。あの娘を……放っておけるわけがないでしょうが!」

 

 

 リズベットの力強い言葉が部屋の中いっぱいに響き渡ると、それを皮切りにして再び沈黙が起こる。誰もが中々言葉を発せなかったそこで、椅子の背もたれに寄りかかり、大きな深呼吸をしたイリスが言葉を発する。

 

 

「……シノンは本当にいい友達を持ったと思うよ。リズ、君の思いもとてもよくわかったし、君がシノンの最高の友達の一人だって言うのも、すごくよくわかった」

 

 

 シノンの友人である少女達の注目を浴びながら、イリスはしゃんと背筋を伸ばし、その者達に視線を送り始めた。

 

 

「けれどねリズ。君達がそうあの娘に伝えているにもかかわらず、あの娘があんなふうになってしまっているという事は、まだ足りないって事なんだ。君達にはしっかりとした思いがあるのに、その思いが詩乃の心に届いてないんだよ」

 

「あたし達の思いが、詩乃の心に届いてない……」

 

「そうだ。もし君達の思いを詩乃の心に届ける事が出来たならば、詩乃の心にある詩乃を虐げた者達が付けた傷を癒す事が出来るだろうし、詩乃も心の底から君達の事を信頼し、いい友達であると思えるようになるだろう。あの娘の心にある事件の傷を癒すのは困難極まりないが、虐げによって付いた傷ならば、君達の手で治す事が出来るよ」

 

 

 直後に、イリスはもう一度背もたれに寄りかかり、鋭い目つきになる。少女達が背を伸ばして聞き始めたのを確認してから、イリスは改めるように言った。

 

 

「……ただし、これはあなた達の問題よ。あなた達が本気で詩乃の事を心配していて、詩乃の友達や親友だって思ってるんなら、あなた達で詩乃の心にそれを届ける方法を考え、実行なさい。あの娘の心の中に巣くう、あの娘を虐げた連中の幻影に勝ってみせなさい。今回わたしは何も手を貸さないわ。あなた達で、しっかり考えるのよ」

 

 

 いつものイリスとは違う口調と凛とした声に、真相を知る者達はごくりと息を呑む。芹澤愛莉という女性本来の喋り方であり、この喋り方をしているという事は、イリス/愛莉が心の底から伝えているという事。心の底から、少女達に全てを任せると言っている。

 

 その事は喋り方の意味を知らない者達にも伝わったようで、イリスからの言葉を聞いた者達――主に詩乃の友人である少女達――はじっと動かないでいたが、やがて最初の行動を起こしたリズベットが、声を出した。

 

 

「……いいわよ。やってやろうじゃないの。あたし達の手で、詩乃の心を治してやるんだから! あの娘がもう孤独じゃないって事を伝えてやるんだからッ!!」

 

 

 リズベットの決意を表す言葉は、宿屋全体に響いたのではないかと思えるくらいに大きなもので、部屋の中が若干ぶるぶると揺れた。その声の直後に、詩乃の友人達である少女達と、仲間達が一斉に声を上げ始め、「やってやる!」や「もうやるしかない」などの言葉が部屋の中に次々と起こる。

 

 あの詩乃を思ってくれている人がこんなにもいて、あの詩乃にこんなに沢山の友人達が出来ていて、その友人達がこれほどまでに詩乃の心を癒す事に躍起になってくれている。

 

 詩乃を虐げた連中と真逆の人々が、こうして詩乃の周りに集まっている――あの時の惨状を詩乃の記憶を通して知っているキリトは、心の底から嬉しさが込み上げて仕方が無かった。

 

 しかし、それから間もなくして、詩乃と同じくイリスの専属患者となっているシュピーゲルが困ったような顔をし、皆に聞こえるように言った。

 

 

「……って意気込んだのはいいけれど、どうしたらいいんだろう。僕達に何が出来るのかな」

 

「ただ伝えるだけじゃ伝わらないんだよな。しかも相手はあのシノンだから……こりゃそこら辺の高難度クエストをクリアするより難しそうだな」

 

 

 シュピーゲルに続いたクラインの言葉によって、仲間達のほぼ全員が困り顔となっていき、言葉もそれに準じたものとなっていく。

 

 一応キリトも頭の中でシノン/詩乃の心に響き渡らせる方法を模索していき、いくつか見つけ出す事に成功するが、すぐさま駄目だと思い直す。

 

 確かに詩乃を喜ばせる方法も、詩乃の心に直接訴えかける方法も存在はしている。けれども、それはあくまで詩乃が愛してくれていて、尚且つ詩乃を愛している自分だからこそ効果を成すものであり、他の者がやったところで何の効果も成さないだろう。

 

 そして今の詩乃の心に癒しを与えられるのは、詩乃の他人と孤独へのトラウマを打ち払えるのは、自分ではなく周りにいる仲間達だけだ。

 

 これは困った。彼らはどうすれば詩乃の心に思いを届けられるのか――深々と考え込もうとしたその時に、突然声が耳の中に飛び込んできたものだから、キリトは飛ぶように驚いた。

 

 慌てて目線を超えの発生源に向けてみれば、そこにいたのは先端が紫色になっている赤い長髪と、白と黒と赤を基調とした衣装、金色の瞳が特徴的な少女。多少のいざこざこそはあったものの、今はリアルとVR共にシノンの友達の一人となっているレインだった。

 

 

「どうした、レイン」

 

「ねぇキリト君。わたし、ずっと気になった事があるの。聞いていいかな」

 

「いいけど、なんだよ。答えられる範囲で答えるぜ」

 

「シノンちゃんの――」

 

 

 そのレインの質問は、詩乃に思いを届ける方法に悩む周りの仲間達に、確かな衝撃を与えた。

 

 

 

 


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