キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

274 / 564
色々な事情が判明。
そしてホロウ・リアリゼーションのあの()が登場。


03:あの娘に似ている、君

           □□□

 

 

 

 

「あぁー、今のはヤバかった……」

 

「えぇ、流石にあれは(まず)いでしょ……」

 

 

 どこまでも広がっていくように思える青空、青々とした草木で構成されている草原の一角に存在する湖畔で、キリトとシノンはぐったりとその身体を横たえて、息を整えるように呼吸を繰り返していた。

 

 

《あんなもの、我でも勝てるものか……》

 

「……そうだな。いくら俺とお前が人竜一体をしたとしても、あそこまでレベルが離れてちゃ、話にならないよ」

 

 

 高級絨毯のようにふかふかとしている草に寝転がりながら、頭の中に響いてきた《声》の主にキリトは向き直る。

 

 全高五メートルは軽く超えているであろう大きな身体を白金色の毛で包み込み、頭部に人間の頭髪に似た金色の(たてがみ)を、額から聖剣のような角を、そして背中から猛禽類のそれを思わせる形状の巨大な翼を生やしている狼の輪郭を持つ竜が、二人に寄り添うように座り込んで、同じように息を荒げていた。

 

 その名前を呼ぼうとする前に、隣で座っているシノンが声をかけてくる。

 

 

「けれど、まさかあんなものが出てくるなんてね。このゲーム、いきなり高難度過ぎるんじゃないの」

 

 

 途轍もなく広大な大地が広がっているとされている《SA:O》だが、まだクローズドベータテストが始まったばかりである段階であるのと、ゲームそのものを始めたばかりという事もあってか、現在転移門を利用する事で行く事の出来るフィールドは《リューストリア大草原》という場所のみであった。

 

 《はじまりの街》の大宿屋にて、かつて苦難をいくつも乗り越えた仲間達との合流を果たしたキリトはシノンとリランを連れてリューストリア大草原へ転移し、フィールドそのものの調査とアイテムの採取場所などを探しに出かけた。

 

 

 かつてデスゲーム攻略の最初のポイントとして利用され、多数の死者を出してしまった場所でもあるアインクラッド第一層のフィールドにやや似ている大草原。

 

 

 その風景を目にした時には、思わずキリトはアインクラッドでの当時をフラッシュバックさせそうになったが、このゲームのタイトルを思い出す事によってそれを打消し、この世界そのものの本質を取り戻した。

 

 

 この世界は《SAO》ではなく、《SAO》によく似た名前と風景を持っているだけのゲーム。自分達がこれまで以上に肩の力と気を抜いて遊ぶ事の出来るゲームだ。まだクローズドベータテストの段階ではあるけれども、いずれ世に出回る事となるただのゲームでしかない。

 

 

 それを心に刻み込み、近くにいたシノンとリランの二人を安心させたうえで、キリトはこのリューストリア大草原へと赴いた。

 

 懐かしさと新鮮さの両方を感じられる風景の中、吹き付けてくる暖かい風を浴びながら三人で歩き、時折モンスターと交戦し、時折草原に座ってみたりなど、《SAO》の時にやったような事を繰り返すと言う、極めて平穏であった探索を行っていたが、ある場所に差し掛かったタイミングで打ち切られる事となる。

 

 

『エピソードエネミー《Spectrum Treant》出現! 周辺の冒険者は安全な場所に避難するか、合流して討伐へ向かってください』

 

 

 突然、チームのリーダーとして扱いをシステムから受けているキリトの元に、警報と共にそのような事が書かれたウインドウが付き付けられた。同刻、リランが何かを察したように耳を動かし、視線を一点へと向ける。何事かとキリトもシノンも続いて目を向けたその時に、警報の原因は見つかった。

 

 

 自分達のいる位置から少し離れた場所に、巨大な影。全長七メートルはありそうな大きさで、伸びている枝が人間の腕、足、頭部を作っていて、丁度人間の頭部の位置に昆虫の目のようなものがいくつか出ている、紫色に染まった樹木だった。

 

 その姿自体にはキリトとシノンは勿論、リランだって驚くに値しない。人間のような姿をした樹木モンスター――俗に《トレント》と呼ばれるそれ――はこのゲームのようなファンタジー作品ではよく出てくるものであり、《SAO》の時、ALOの時にも何度も遭遇して戦闘を繰り広げたものだ。

 

 だからこそ、樹が人間の形を作って動いているなんていう光景自体には驚かなかったのだが、三人は別な部分で驚く事となった。

 

 

 《Spectrum Treant(スペクトラルトレント)》という名を冠する樹木人の頭の上には、その名前と四本の《HPバー》が上部に表示されているのだが、名前の横に表示されているレベルの数値には、九十六とあった。

 

 

 つい先程までは最初期値であるレベル一であったキリト達は、周辺の敵と軽く戦う事で経験値を重ね、レベルアップ。数字を三まで上げる事に成功していたが、目の前にいるスペクトラルトレントのレベルは三十倍以上。

 

 このゲームを始めたばかりのプレイヤーが向かうべきフィールドにいるべきではないレベルの魔獣。それが何食わぬ顔でフィールドに立っているという光景に愕然としていたその時、レベル九十六の魔獣の目はキリトを捉え、どすどすと音を立てて向かって来始めた。

 

 

 いくら自分達が《SAO》と《ALO》で幾多の困難を乗り越えてきているとしても、レベルがまだ三で武器も防具も最初期段階から抜け出せていない現状では、到底立ち向かえるような相手じゃない。一撃でもらえば拠点戻し(リスポーン)確実だ。

 

 レベル九十六の魔獣にヘイトを向けられたキリトは二人に号令、全速力で走った。途中で丁度自分達と同じくらいのレベルに設定されている猪型、植物型、蜂型モンスターに見つかったりもしたが、お構いなしでとにかく逃げた。

 

 リランに至っては逃亡の最中で、いつの間にかその姿を《使い魔》形態へ変化させていたが、追ってくる樹木人に立ち向かう事無く、キリトとシノンと共にとにかく走るだけだった。

 

 そんな逃走劇の末にキリト、シノン、リランの三人は現時点の場所である《スティアシール湖畔》という名を持つエリアへ到着。初見殺しの魔獣の目から逃れる事に成功したのだった。

 

 

 だが、キリトにそのようなクエストの経験がないわけではない。この《SA:O》の元となった《SAO》でもフィールドで突然クエストが発生するなんて事は日常茶飯事的にあったし、その前のMMORPGでもよくある例だ。

 

 恐らく先程のクエストもそれと同じようなモノなのだろうが、それにしてはレベルが余りに高すぎると言えるだろう。設定ミスなのか、それとも意図的に入れたものなのか。もし後者が真実ならばゲーム開始者への悪意や悪ふざけが見え透いている。

 

 

「多分、さっきのはフィールドで勝手に発生するクエストなんだろうな。けど、まさかあんなものを(しょ)(ぱな)から用意してくるなんて、全然予想してなかったよ」

 

《全く、デスゲームではないとはいえ、悪趣味が過ぎるぞ》

 

 

 シノンに答えた後に、頭の中に響いた《声》の主にキリトはもう一度向き直る。

 

 この《アイングラウンド》の元となった《浮遊城アインクラッド》。そこを舞台としたゲームである《ソードアート・オンライン》の中で出会って以降、ずっと共に戦い続け、苦難を乗り越え、支え合ってきた《使い魔》。

 

 アインクラッド攻略完了後は家族として一緒に暮らしている、ただ一匹の狼竜。名をリランというそれをキリトは眺めたが、その毛並みに特に目が行った。丁度傾いてきている太陽の光を全身に浴びる事で、リランの白金色の毛は虹色に煌めいている。

 

 寝転がっている草の上のふかふか度もいい具合だが、あの白い毛皮はもっとふかふかで、それこそ高級毛布や何かと錯覚しそうなくらいに心地が良く、寄りかかればすぐさま眠りに就けるくらいだ。現にアインクラッドに居た時には、リランの毛並みに寄りかかって寝た事も多かった。

 

 走り回って疲れている今こそ、その毛並みに寄りかかりたいところだけれども、当の本人も同じように疲れているのが現状だ。ただでさえ疲れているのに自分達まで寄りかかるような事になれば、余計に疲れてしまいかねない。

 

 そういう事もあってか、キリトは草の上で我慢する事にした。だが、同時にその姿に安堵も感じた。

 

 

「ほんとだよ。それにしてもリラン、お前の()()はちゃんと顕在(けんざい)してるみたいだな」

 

《そうだ。そしてお前も()()が復活しているのだろう》

 

 

 「あぁ」と言い返してキリトは笑む。

 

 この《SA:O》は《SAO》の開発者である茅場晶彦が同じく開発したフリーソフトウェア《ザ・シード》を利用して作られており、《ALO》で使っていたアバターデータ――厳密に言えば《SAO》の時から使っている――をコンバートしてログインする事が可能となっていた。

 

 その機能を使用する事で、ある程度のデータや数値をリセットされはしたものの、《SAO》、《ALO》のアバターで《SA:O》の大地へと降り立つ事が出来たのだが、その際には《ALO》で使っていた《使い魔》の情報などもコンバートされたらしく、キリトの持っていた《使い魔》の情報がリランに適応。

 

 リランは《ALO》の時と同様、人狼形態と狼竜形態を持つ《使い魔》として《SA:O》に具現した。

 

 そして《SA:O》に初めてログインしたその時、キリトは気付いたのだ。《SAO》の時にだけ存在していた、《HPバー》、《SPバー》の下部に位置する青いゲージ――名称がわからなかったが故に当時は《人竜一体ゲージ》と呼ばれていたそれ――が、もう一度現れている事に。

 

 その事実が、キリトにとって一番驚くべき出来事であったし、嬉しいものでもあった。

 

 

「お前と俺の関係、また元に戻ったって事なのかな」

 

《システム的に見ればそうなのかもしれないが、何も逆戻りはしておらぬよ》

 

 

 《SAO》、《ALO》と渡り、《狼竜》というコンセプトを維持しながらも姿を変えてきたリランの《SA:O》での姿。それは今、《SAO》で初めてキリトと出会った時の形態、《Rerun(リラン)_The()_SwordDragon(ソードドラゴン)》という形態に酷似している。

 

 だが、当時はドラゴンの翼という言葉から連想される形状であった翼が天使の羽のような羽毛となっている、既に金色の鬣がその頭部に現れているなどの差異があるため、完全に当時の状況に戻っているとは言い難い。

 

 あの時のように《人竜一体ゲージ》を手に入れ、如何にも狼竜らしい外観にリランが戻っているが、その発言は的を得ていた。

 

 

「そうだな。俺達は前に進み続けているんだ。このゲームだって、新しく発売されるゲームのベータテストなんだしな。俺達は別に戻って来たわけじゃ……ない」

 

 

 言葉に間を作りつつ言い終えたキリトは、隣に座っている少女に向き直った。

 

 黄緑色と青色を基調としている露出度が比較的高めのデザインの戦闘服を纏って、青いマフラーを首に巻いているという衣装こそは違うが、ショートよりも長めの黒髪で、もみあげの辺りを白いリボンで結んでいるという特徴的な髪形は現実世界、《SAO》の時とほとんど同じだ。

 

 

 《SAO》の時にひょんな事で出会い、それ以降からキリトが心より愛し、守りたいと思うようになって、共に一生を過ごしていく事を誓った、唯一無二の人。現実世界では朝田(あさだ)詩乃(しの)、VRMMOなどでは《シノン》という少女。そのほぼ全身が、キリトの瞳の中に映されている。

 

 いくら同じく愛する人からと言っても、突然視線を向けられた事には不思議を感じたのだろう、シノンは首を傾げてキリトを見つめた。

 

 

「キリト、どうかしたの」

 

「……」

 

 

 自分のとはまた違う黒色の、美しさと可愛さの両方を兼ね揃えたシノンの瞳に自身の姿を映しても、キリトはそこに目を向けてはいなかった。

 

 

 《《《SAO》の管理者》を名乗る悪人の手によって悪魔のゲームに強制的にログインさせられたその時、シノンには特別なものが与えられた。

 

 

 片手剣、細剣、短剣、大剣、曲刀、槍、片手棍等といった近接攻撃のみが可能である武器だけが存在していた世界で、リランのブレスに並ぶ遠距離攻撃を可能とする武器、弓矢を使用可能にするユニークスキル、《射撃》。

 

 

 常に後衛に立ち回り、タイミングを見計らって弦を引き、矢を放って攻撃するという画期的かつ未発見なもの。そのようなものの扱い方など、片手剣と二刀流しか使ってこなかったキリトは勿論、情報屋でさえも該当する情報を持っていなかった。

 

 《SAO》の中で誰も使った事のない武器と、スキルの群れ。使い方を聞く事さえも出来ないそれを突拍子もなく与えられたにもかかわらず、シノンは見事に使いこなし、後衛側から離れた敵を鋭く射抜き、撃破する戦い方で、当時攻略組と呼ばれていたキリト達を後方から支えた。

 

 更に、シノンの弓矢のプレイヤースキルは日を追う(ごと)に鋭さを増していき、最終的には当時キリトが二代目団長、アスナが副団長を務めていた大ギルド、《血盟騎士団》でNo.5と呼ばれるくらいにまでなった。

 

 その《血盟騎士団》の五番目に強いと言われるシノンの《射撃スキル》には、キリトも大いに助けられたものだし、()()()()()()も頭の中に深々と刻まれている。

 

 

 そして世界を渡り、《ALO》に行った後でもシノンは弓矢で戦い続けていたのだが、《SA:O》に来た時に状況は一変。シノンの背中に存在するものが姿形を変えていたのだ。

 

 

 これまで弓と矢筒が担がれていたシノンの背中。この大地に降り立ったその時、そこにあったのは、一本の槍だった。

 

 

 これに関する話をシノン本人から聞いてみれば、この《SA:O》には《射撃》は存在していなかったらしく、どうやっても弓矢を引き継げそうになかったので、仕方なく使いやすそうな槍を選択したのだという。

 

 

 キリトが《SAO》、《ALO》で使って来た《二刀流》は元々、《SAO》でのユニークスキルという使い手の限られるものであったが、《SA:O》では一般スキル化を施されたうえで実装されていたらしく、現に《ALO》で《二刀流》を使いこなしていたレインも《SA:O》で合流した時には同じように《二刀流》を装備していた。

 

 しかし、《二刀流》は実装されても《射撃》は実装されなかった。結果として槍を両手に握り、槍特有のソードスキルを放って敵を蹴散らすシノンの姿を、キリトはすぐ傍で見る事となったのだ。

 

 

 これまで遠距離戦オンリーで戦ってきたシノンが、演舞をするように槍を振り回し、中距離と近距離を陣取って戦う姿。キリトにとってとても新鮮に感じられるものであったが、その姿と戦い方、何より槍とシノンそのものが、キリトの頭の中で一人の人物をフラッシュバックさせる原因を作った。

 

 

 紺色がかった黒髪で、前髪を切りそろえたようにしているショートヘアで、華奢(きゃしゃ)な身体を青いラインが所々に入った水色の軽装で包み、顔には泣き黒子(ぼくろ)がある。全体的に弱々しい雰囲気で、心優しさがにじみ出ている目つきをしている少女。

 

 

 シノンと同じく《SAO》の中で出会い、その(はかな)さが故にキリトが最後まで守りたいと思ったものの、それが叶えられずに終わってしまった人。守りたかったのに守れなかった、あの世界の心残り。

 

 その女の子の名を、キリトは心で呼ぶ。

 

 

(……サチ)

 

 

 アインクラッドに閉じ込められていた時、《月夜の黒猫団》というギルドに所属していたサチは背負う槍を得物にし、今まさにシノンが居る立ち位置で戦っていた。

 

 だが、サチはモンスター相手にはかなり怯えており、モンスターを目の前にして動けなくなる事だってあるくらいだった。あまりに弱々しくて危なげなものだから、キリトや他のギルド仲間が助けに入る事も多かったものだ。

 

 

 そんなサチとシノンとでは、容姿、性格、言葉遣い、戦い方、雰囲気、過ごした時間といった何もかもが異なっているし、性格や戦い方、過ごしたに至っては真逆極まりないくらいだ。何よりシノンとは心の底から愛し合っているし、シノンがこれまで抱えてきた苦しみも痛みも全て理解している。

 

 

 この両者に共通している事は、槍を使って戦っている事と、キリトが心の底から守ってやりたいと思っている人物である事、そして時に(もろ)く儚げな面を見せる事があるという事だけ。

 

 

 だのに、槍を使って戦うシノンの姿を見る(たび)、槍を担いだシノンが横にいるだけで、キリトの頭の中にはサチの姿がフラッシュバックされ、シノンとサチの姿が重なって見える錯覚さえある有様だ。

 

 

 サチとシノンは違う。

 サチは今、この世のどこにも居ない。

 

 俺の守るべき人は、愛する人はシノンだけだ。

 これからシノンの傍に居て守り、愛して、共に生きていくのだ。

 

 そのはずなのに。

 そう決めたはずなのに。なのに。

 

 

 これまでシノン/詩乃と日々を重ねる事で確実にしてきたものが今、キリトの中で地震に見舞われたように揺らぎを起こしている。

 

 それだけではない。もしかしたらシノンもサチと同じように死ぬのではないのだろうか。結局自分はシノン/詩乃を守る事も出来ないまま、また同じ結末を迎え――。

 

 

「キリト」

 

 

 耳元に届けられてきた声でキリトはハッと我に返る。その時、身体はシノンに抱き締められていて、顔元は肩口に埋められている形となっていた。キリトがシノンによくやってやっている事であり、シノンによくやってもらっている形だ。

 

 

「あなた今、辛い思いをしてるでしょ」

 

「え……」

 

「あなたの顔、すごく苦しそうだった。そうよね、あなたは私よりももっと前から《SAO》に閉じ込められて、酷い目に遭わされてきたんだもの。その時を思い出してしまって当然かもしれない。

 けれど、もう大丈夫よ。ここはデスゲームじゃないし、私達を苦しめてた元凶も死んだ。私達を(おびや)かすようなのは全部いなくなったのよ。それに、私もあなたの傍に居るから……だからもう、大丈夫よ」

 

「……」

 

 

 如何にも自分を安堵させようとしているような声色で言葉を紡ぐシノン。確かに今の自分の顔を見れば、SAOでの悲劇をいくつも思い出して、苦しんでいるように見えるのだろう。だが、その内容は当たっているようで外れていた。

 

 以前、シノン/詩乃とは約束をした。何も一人で抱え込まない。出来る限り詩乃に話すし、隠し事も基本的にしない。言いたい事は基本的に全部話してやる。前はそれをやらなかったせいで酷い事になったから、繰り返したくない。

 

 思い出したキリトはゆっくりとシノンの肩口から顔を離し、深呼吸をした。

 

 

「……そういうわけじゃないんだ。そうじゃ、ないんだ」

 

「え?」

 

 

 きょとんとするシノンと(かたわ)らのリランの視線を受けつつ、キリトは思っていた事を告げた。この世界に来てからのシノンの事、心配している事、そしてサチの事を、全て。

 

 

「私の戦い方が、あのサチって人に似てる……それがずっと気になってて……」

 

「あぁ。君はサチじゃないし、君をサチだと思った事だってない。けれど、どうしても槍で戦っている君を見ると、思い出してしまって……」

 

 

 シノンはどこか悲しそうで、申し訳なさそうな顔をした。如何にも自分に非があるような表情だ。

 

 

「……ごめんなさい。それなら武器を変えればよかったわね。今から変えましょうか」

 

「そんな事はないよ。シノンはそのままでいてほしい。君の戦い方、頼りになるんだ」

 

「けど、それだとあなたが……」

 

 

 確かに、今のシノンの戦い方と武器の姿はサチとそっくりだ。近くで戦うシノンを一目見れば、サチがどのような悲劇を辿ってしまったかも思い出せる。

 

 そのせいで、またあのような事が起きるのではないかと不安になってしまうし、その瞬間が容易に想像出来てしまい、身体に震えが来てしまう。

 

 だが、それだけではない。あの悲劇を二度と繰り返すものかと躍起になって、いつも以上の力を発揮してシノンを守るために戦いたいという欲が、その不安と震えと同じくらいの大きさで生まれてくる。

 

 シノンが槍を持って戦ってくれるおかげで、自分のやるべき事、果たすべき使命とその重要さを思い出す事が出来る――それを心の中に落としたキリトは、両手をシノンの肩に置いた。

 

 

「いいんだ。君があぁやって戦ってくれるおかげで、俺は君を守ろうと思える。俺のやるべき事を、思い出す事が出来るんだよ。サチの事は守れなかったけれど、君の事だけは一生かけて守る。だからこれからも、槍を使って戦ってほしい」

 

 

 あまりに唐突な頼み事。急に改まったような言い草。シノンは引き続ききょとんとした顔でキリトの事を見ていたが、やがてその表情を柔らかくして、微笑みに変えた。

 

 

「……そこまで言われたら仕方が無いわね。これからもこの武器で戦う事にするわ。そして、私を守ってくれるあなたを、私も守る。この武器はそのためにあるんだから」

 

「あぁ、そうしよう」

 

《ならば我もこれから、そのための力をお前に貸し続ける事にしようぞ》

 

 

 そうだ。俺の力はシノンのため、そして俺の《使い魔》の力もまたシノンのためにあるし、《使い魔》自身を守るためにある――事実を再確認させるように届いて来た頭の中の《声》の発生源に、キリトはシノンと一緒に向き直る。

 

 

「そうだぜリラン。お前の力も俺の力だし、俺の力もお前の力だ。これからもあの時と同じように互いを守り合って行こうぜ」

 

「えぇ、そうしましょう」

 

《そうするとしよう》

 

 

 あの時から時間は流れ、事態も場所も大幅に変化した。だが、自分達のやるべき事は何も変わっていないし、これからもずっと共にあり続けるという事も変化していない。

 

 変化した事もあるが、変化していない、寧ろ変化させてはいけない事もある。自分のやるべき事は、そのうちの変化させていけない事だ――それを再認識したキリトは深々と二人に頷いた。

 

 

「……それとね、キリト。私もあなたに言いたい事があったの」

 

「え、なんだ」

 

「ここっていうか、《SA:O》って《SAO》のサーバーのデータを丸々流用したものなのよね。それなら、あそこもあるんじゃないかしら……って」

 

 

 帰るべき場所を探しているような目つきで、前方を眺めるシノン。一緒になって目を向けてみる事で、キリトはシノンの言いたい事の全容を掴む事が出来た。

 

 目の前に広がっているは、少し小さめではあるけれども、湖。これに似た光景があったのは、まだ《SAO》に囚われていた頃。シノンと出会ってから住み始めた、アインクラッド二十二層のログハウス。《SAO》をクリアするまでずっと過ごしていた安住の地。

 

 

「不謹慎かもしれないけど、私、《SAO》のあそこにもう一度戻れたらなって思った事が何度もあったの。あのログハウスに帰って、あなたと私と、リランとユイの四人でもう一度過ごせたらって。呪われたゲームとか悪魔のゲームとか言われてたけれど、あの家はあの中にしかなかったから……」

 

 

 かつての場所を求めてどこか寂しげな表情で呟いたシノンの手に、キリトはそっと自分の手を置いた。

 

 話によれば、この《SA:O》は《SAO》のフィールドからモンスターまで全てのデータを流用していると言う事だ。ならば、アインクラッド二十二層に該当する場所も、あの家だってこのアイングラウンドのどこかに存在しているはず。

 

 まだクローズドベータテストの段階だからどこまで行けるのかわからないが、ベータテストだろうが正式サービスになろうが、このアイングラウンドの攻略を続けて行けば、いずれにしてもあの家に辿り着く事が出来るはずだ。

 

 そしてまた、シノンの望むように四人で暮らす事が出来るようになるだろう。

 

 

「大丈夫だよ。この世界のどこかにあそこはある。だから探し出そう。それでそこを俺達のこの世界での場所にして……また四人で暮らそう」

 

《そのためには、早いところ攻略を進めて行かなければならないな。あのレベル九十六のバケモノもいなくなったようだ、攻略を再開しようぞ》

 

 

 共に暮らしている家族――その中で最も巨大な容姿を持つ――である狼竜の《声》を聞いて、キリトはシノンと共に立ち上がった。そのままフィールドの奥地へと向かおうと歩み出そうとしたそこで、キリトは妙な感覚を抱いて立ち止まる。

 

 

 何かがこちらを見ている。プレイヤーでもモンスターでもない、何か別な存在がこちらをじっと視線を向けているような気がしてならない。これまでこのような事になった時には、次にろくな事が来なかったものだから、キリトは咄嗟に周囲を見回す。

 

 

「……!」

 

 

 どこだ、どこにいる――思いつつ丁度背後に振り向いた時に見えた木陰で、キリトは視線の主を認めた。

 

 藍色がかった髪の毛を切りそろえたショートにしていて、尚且つ頭の両側に翼をデフォルメしたような形状の金色の髪飾りを付けている。ユイ程の身長しかない小柄な身体を水色のゆったりとした服装に包んだ、右目元に泣き黒子のある、青水色の瞳の少女。

 

 

 そんな全く見覚えのない少女が樹の近くにぽつんと立ち、じっとこちらを見つめていた。やがてその存在に気付いたシノンとリランも、少しだけ驚いたような顔してキリトと少女を何度も見る。

 

 

「あれ、あの娘は……?」

 

《なんだ、こちらを見ているように思えるが》

 

 

 名も知れぬ少女はゆっくりと足を動かし、草を踏む音を立てながら距離を詰めてきた。何だ、何が起こったんだ。状況の把握が出来ずに目の前を見ているしか出来ない三人に少女は歩み寄り、やがてキリトの目の前で立ち止まる。

 

 

「君は……」

 

 

 言葉に答えるように小柄な少女はキリトを見上げ、上目使いのまま口を開いた。

 

 

「……道に迷ってしまいました」

 

 

 少女の言葉に、三人は揃って目を点にしてしまった。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。