キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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14:少年の過去と、思いと

          □□□

 

 

「なら、あなたが私の居場所になってよ!! あなたが一生私を守ってよ!!!」

 

 

 シノンは目の前が一気に歪んだの感じた。一瞬目の中に雨が入ってきたせいだと思ったが、すぐさま雨ではなく涙によるものだというのを理解する。心の中に溜め込んでいた感情が溢れ出し、次々と言葉になってシノンの外へ放出される。

 

 

「何も知らないくせに、何も出来やしないくせに勝手な事言わないで! あなただって、あなただって、私の事を忌むべき存在だって思ってるくせに、本当はそんなふうに考えてるくせに! それとも何よ、そんな事思ってなくても、出来るの!?」

 

 

 シノンは拳を握った。あの男から奪った銃であの男の頭を撃ち抜き、血で塗れた手。顕微鏡で見てみれば、銃を撃った際に飛び散った火薬が入り込んでほくろになっているのがわかる、呪われた手。――人殺しの手。

 

 

「この、この、人殺しの手を、あなたは握れるの!? あなたは握ってくれるっていうの!?」

 

 

 叫んだ次の瞬間、頭の中で無数の罵詈雑言が鳴り響き始めた。「触るな人殺し」「忌み子」「触んなよ、血が付くだろうが」。そう言われて何かに触れたりするのを禁じられ、常に罵られ続けた思い出が頭の中で何度何度も鳴り響いた。

 

 そしてもう一度大きく「触んな人殺しの忌み子」という言葉が鳴ろうとした瞬間、頭の中に響いていた罵詈雑言はいきなり止まった。頭の中が完全な静寂に包み込まれる。手の方に妙な感覚があり、目を向けてみたところ、シノンはきょとんとしてしまった。

 

 

 キリトに向けて、キリトの胸を叩こうとした手が――人殺しの手がキリトの目の前で止まっている。

 

 キリトの手に掴まれて。

 

 

「え……」

 

 

 キリトはシノンの手をじっと眺めた後に、掴んでいないもう片方のシノンの手に自らの手を差し伸ばして掴んだ。

 

 それからシノンの目の前まで持って来ると、胸の前でシノンの手を合わせ、その上から自分の手を覆い被せた。雨に濡れて冷たかった手が、急に()()()()()

 

 

 シノンは言葉を出す事が出来なかった。誰にも握ってもらえなかった呪われた手を、キリトが今握っている。血が付くのも構わずに、自分の手で、忌み子の手を暖めている。

 

 これまでほとんど見る事のなかった光景に口をぱくぱくさせていると、キリトの口が開かれた。

 

 

「忘れたのか、シノン。君が夜中に目を覚まして、家の外に出てた時の話を。俺は君を守るって、必ず現実に帰してやるって約束したはずだ。たとえ君がどんな人物であっても関係なしに」

 

 

 そういえばそんな事を言われた。

 

 以前、シノンが悪夢で起きて、ログハウスを出ていた時。キリトが追いかけてきて、そんな事を言って居た。

 

 俺が君を守る、君を必ず現実世界に帰すと、約束してくれた。

 

 最初は馬鹿じゃないのと思ったけれど、時間が経つにつれ、キリトが本当にそれをやろうとしてくれている事がわかり、信じられるようになった約束。

 

 

「あんたは……まだそれを……でも、私は人殺し……」

 

 

 キリトは手に力を込めてシノンの手を握りながら、首を横に振る。

 

 

「君は今まで俺の事を信じてくれていた。俺のために色んな事をやってくれたし、戦闘の時だって俺と一緒に戦ってくれたし、俺が君を守るっていう言葉を信じてくれていた。なのに俺はそのお礼を、何一つしていなかった。何も君に返していなかった」

 

 

 キリトはシノンの手を離すと、いきなり自分の装備である黒いコートの留め具を外し、手に持って、シノンの身体に被せた。突然コートを羽負わされて、シノンは目を丸くするが、同時にシノンの身体に雨が染み込まなくなる。

 

 続けてキリトはシノンのコートの中に手を入れて、シノンの肩を素手で掴んだ。

 

 

「その要求を呑み込むよ、シノン。俺が君の居場所になる……俺が一生君の事を守る。このSAO内は勿論、現実世界に帰ってもだ。ずっと君の傍に居続けるし、ずっと君の事を守り続けるよ。君が殺人者だとか、そういう事は関係ない」

 

 

 シノンは何も言わずにキリトの言葉を聞き続けていた。やがてキリトは軽く下を向く。

 

 

「俺の命は君一人のものだ、シノン。君のために使うし、君の事を守り続ける。そして現実世界に無事に帰すし、現実世界に帰った後でも君を守り続ける……最後の一瞬まで一緒に居よう。だから、だから……」

 

 

 キリトはきょとんとしたままのシノンの身体を引き寄せ、そのまま力強く抱きしめた。雨で冷たくなっていた身体が、シノンの体温で暖かくなる。

 

 

「もう、自分には居場所が無いだとか、そんなふうに言わないでくれ」

 

 

 キリトの胸の中で、シノンはようやく正気に戻った。先程からキリトの言葉だけが、頭の中に響いていて、それ以外の声が聞こえてこない。そしてキリトは、血塗れだった自分の手を握ってくれて、こうして抱き締めている。いや、考えてみればSAO(ここ)に来る前、母に数回抱き締めてもらった事はあるが、何度抱き締められても氷のように冷たく感じた。

 

その時と同じように、キリトに抱き締められている……抱き締められるのは同じのはずなのに――キリトの胸は雨に濡れているにもかかわらず、とても暖かかった。

 

 

「あたたかい……」

 

 

 呟いた瞬間、シノンは心の中から熱い何かが溢れ出したのを感じた。そしてそれは心から腹の中へと落ち、胸へ、喉へ上がり、そのまま上がり続けて目の高さまで来たところで、大粒の涙となって溢れ出た。

 

 

「なんでよ……おかあさんも、みんな……氷みたいに、冷たかったのに、なんで、あんたは、()()()は、こんなに、こんなに……」

 

 

 シノンはキリトの胸にむしゃぶりつき、叫んだ。

 

 

「こんなに、暖かいのよぉ!!!」

 

 

 そのまま、シノンは大きな声を出して泣き出した。これまでほとんど感じる事のなかった暖かさに包み込まれたまま、まるで幼児の時のように、大きな声でガタガタ震えながら、泣き続けた。その途中で、キリトは囁くようにシノンに言った。

 

 

「カウンセラー達と同じような事を言うかもしれないけれど……話してくれてありがとうなシノン。今までずっと、頑張ったな」

 

 

 キリトは片手を背中から頭へ伸ばして、髪の毛を静かに、優しく撫で始めた。確かに今まで、カウンセラー達に「辛かったね、解るよ、大変だったね」とは言われてきたが……どのカウンセラーも同じ事を言うだけで、「頑張ったね」とは言ってくれなかった。それを、温もりを与えてくれているキリトが言い出して、しかも髪の毛を撫でてくれてるものだから、シノンの涙は余計に止まらなくなってしまった。

 

 シノンはこれ以上ないくらいに声を張り上げて、キリトの胸にむしゃぶりついたまま、泣き続けた。泣き声は雨音に負けないくらいに大きかったが、雨によってかき消され、そんな遠くまで響いてはいかなかった。

 

 

 シノンはしばらく泣き続けて、やがて雨が弱まると同時に泣き止んだ。リランはその場から離れず周りを見張り続け、キリトはずっとシノンの事を抱き締めて、動かずにいた。

 そして、キリトがシノンのびしょ濡れの髪の毛を撫でつつ、声をかけた。

 

 

「落ち着いたか」

 

 

 シノンは何も言わずに頷いたが、すぐさま口を開けて「もう少しこのままでいて」と伝えた。キリトは静かに「わかった」と言って動こうとしなかったが、シノンは続けて言った。

 

 

「ねぇキリト、あなたは何で、私を守ろうって思ったの。ずっと気になってたんだけど」

 

 

 その時、キリトの目つきが変わったのをシノンは感じた。その目つきはどこか、思い出したく無いような事を思い出したようなものに似ていた。

 直後に、それまで沈黙を貫いていたリランの《声》がキリトとシノンの頭の中に響く。

 

 

《我も気になっていたところだ。そろそろ、話してもいい頃なのではないか、キリト》

 

 

 キリトは軽く下を向いた。シノンを守ろうと考えていたのにはちゃんとした理由があったけれど、どれもリランやシノンに話す事なくここまで来た。だが、今シノンが自分の事を詳しく話してくれて、自分の事を良くわからせてくれた。これに何も返さないわけにはいかないし、このまま引き下がってしまったら、ずっと話せないかもしれないような気を感じていた。

 

 

「……実のところ、俺も君と同じなんだ、シノン」

 

「あなたが、私と同じ?」

 

「そうだよ。俺も……俺も、人を殺してしまった事があるんだ」

 

 

 キリトの口から放たれた言葉に、シノンとリランは目を見開いた。二人の驚きの注目をその身に受けながら、キリトは続ける。

 

 

「その事について詳しく話すつもりでいるけれど、この雨の中でいいかな。正直なところ君やリラン以外には聞かれたくないんだ」

 

 

 シノンは何も言わずに頷き、リランもまた同じように頷いて相槌をうつ。

 

 

《いいだろう。誰にも聞かれたくないならば、我らだけがいるここで話すがいい。我らは雨など気にせぬ》

 

「私も同じよ。話してみて、キリト」

 

 

 キリトは頷き、リランに目を向けた。

 

 

「これはな……リランと出会う前の事なんだ」

 

 

 

          ◇◇◇

 

 

 

 俺は、前に一度だけギルドに所属していた事があるんだ。その名前は《月夜の黒猫団》。五人で経営されている小規模ギルドで、現実世界で仲のいい部活のメンバー同士で結成したものだったらしい。そのギルドに俺は一度助けられた事があって、その恩返しのために所属する事になったんだよ。

 

 だけど、その時の俺のレベルは既に60代に入り込んでいて、他のみんなのレベルは30くらいだった。60代の奴が来たなんて思われたくなくて、俺は自分のレベルを偽ってみんなに教えたんだ。結果、みんなは俺のレベルが自分達と同じくらいだって勘違いして、俺の事を慕い始めたんだ。

 

 

 《月夜の黒猫団》はまるで部活動か何かのように柔らかくて、温かい場所だったよ。みんな仲が良かったし、完全な部外者である俺にも良くしてくれた。そのおかげなのかな、俺は月夜の黒猫団がすごく居心地よく感じて、出来ればこのまま攻略組まで持っていきたいと思ったんだ。そうすれば、攻略組のギスギスした雰囲気を変えて、更に生存率を上げられるって思った。俺は彼らに付き合って、全員のレベル上げに協力したよ。

 

 

 だけど、その中に一人だけ、戦う事に怯えていた人がいたんだ。名前はサチ。紺色の髪の毛が特徴的な、少し臆病な女の子だった。

 

 その人は本格的なレベル上げを兼ねたダンジョン探索に出掛ける前の夜に、俺に言ってきた。「戦うのが怖い、死ぬのが怖い、二人でどこかに逃げよう」って。

 

 その時、サチを儚いと思ったのかはわからない。でも、俺は急にサチの事を守りたいって思うようになったんだ。それから俺は何があっても、サチの事を守るって決めて、その事をサチに話したんだ。

 

 そしたらサチは泣くのをやめて、笑ってくれた。「キリトと一緒なら怖くない」って言ってくれて、戦う事を恐れなくなってくれたんだ。俺が守ってくれるから安心だって言ってね。俺も何があってもサチを守りたいって再度思って、ダンジョン探索に臨む事にした。

 

 

 その次の日、《月夜の黒猫団》のリーダー、ケイタって言うんだけど、そいつが資金がたまったので《月夜の黒猫団》のアジトとなる家を買おうって言い出した。俺達は大賛成して、ケイタを住宅街に送り出した後に、宝箱を探してダンジョンに潜り込んだ。

 

 そしたら、俺を除く全員がダンジョン内で死んだ。宝箱を開けると結晶無効エリアになる部屋の罠に引っ掛かって、出てきた無数のモンスターに袋叩きにされてな。

 

 

 そもそもそのダンジョンは、《月夜の黒猫団》が行くにはレベルの高い場所だったんだ。でも、彼らは手練れである俺がいるからどんな事になっても大丈夫だなんて言って、無理矢理入り込んでしまったんだ。それに俺自身も、レベルの高さから思い上がって、何が起きてもなんとかなるって思っていたんだ。だから、彼らが少しレベルの高いダンジョンに挑んでも大丈夫だ思ったんだ。

 

 結果、彼らは死に、サチもモンスターに叩き斬られて死んだ。俺は何とか生きようと思って、その場にいたモンスターを全滅させてダンジョンを脱出したんだ。

 

 守ろうと思ったサチは俺の目の前で死んだ。いや、そもそも俺がレベルを偽っていなかったら、彼らは俺を加える事なく、通りすぎていったかもしれなかった。俺がレベルを偽ったりしたから、無駄な死人が出て、守ろうと思っていたものも失った。

 

 

 だけど、俺は死ぬ間際のサチが何かを言っていたのを見ていた。せめてその言葉だけ聞きたい、守れなかったサチにもう一度逢いたいなんて思って、クリスマスのイベントで手に入る蘇生アイテムを求めて、レベル上げを死に物狂いでやった。

 

 でも蘇生アイテムはプレイヤーが死んでから10秒間しか効果を持たないものだった。サチ達が死んでからは、既に半年も経過していた。結果、俺はサチを生き返らせる事も出来なかった。

 だけどその時なんだ、リランと出会ったのは――。

 

 俺はひとまず話をやめた。目の前では、目を見開いているシノンとリランの姿があって、二人ともさぞかし驚いているような感じだった。そりゃそうだ、目の前にいる人が、ギルドを1つ壊滅させたことがあるなんて話をすれば驚くに決まってる。

 もう喋りかけて来ないかもしれない――そう思ったその時に、シノンが口を開いた。

 

 

「だから、あなたは私やみんなを守ろうとするの。月夜の黒猫団の時みたいなことを繰り返したくなくて……?」

 

「そうだよ。彼女達を死なせてしまったっていう罪悪感を癒したくて、せめてあんな光景を繰り返したくないって思って、俺はみんなを守ろうと戦ってたんだ。はっきり言ってしまえば、俺の独り善がりさ」

 

 

 シノンは軽く声を出して黙り込んだ。が、すぐさま口を開いて、再度言葉をかける。

 

 

「それで、残ったリーダー、ケイタって人はどうしたの。仲間を失って、その後は?」

 

 

 思わずぎょっとしてしまう。サチの死も、周りのみんなの死も、俺を苦しめるのには十分なのに、ケイタに関しては必要以上のものと言える。一番、思い出したくない事だ。

 

 だけど、シノンは自らの手で人を殺してしまった事を俺に話してくれて、最後まで話し続けてくれた。俺もまた、最後まで話してやらなきゃ駄目だろう。このまま黙っているわけにはいかないのだから。

 

 

「ケイタは……サチ達が死んで、俺一人だけになった時にアインクラッドの外周付近で会ったんだ。周りの皆が居なくなってる事に戸惑ってたけど、全員死んだ事を伝えたら、何もかも失ったような眼になったよ。そしたら、何をしてきたと思う」

 

「何をしてきたの」

 

「ケイタはブチギレて俺に襲い掛かって来たんだ。このビーター野郎とか、人殺しとかほざいてな。それで、俺の事を外周部へ……アインクラッドの外へ落っことそうとしてきたんだよ。押し込んで、俺の身体を外周部へ投げるつもりだったんだろうな。そりゃそうだよ、だって信頼してた仲間が全員死んで、しかも新しく入ってきた奴がまさかのビーターで、レベルを隠してダンジョンに入り込んでたなんて言われれば、誰だって我を忘れて怒るさ」

 

《だがお前は生きているぞ》

 

 

 俺は頷き、全てを話した。

 

 

「取っ組み合いになって、ケイタに首を掴まれて、そのまま外周部に落とされそうになったその時……すごい形相と力で襲い掛かってくるケイタが恐ろしくなって……俺は思わず力を込めて身体を回したんだ。多分、ケイタからの拘束を解こうとしたんだと思うよ。そしたら……俺を掴んでいたケイタの身体が柵を乗り越えてさ……俺の身体を離して……そのまま……」

 

 

 以前、シノンにはアインクラッドの外へ行ってしまうとどうなるかを話した。アインクラッドの外に身を投げてしまうと、そのまま虚空へと落ちて、死亡するようになっている事が、このゲームが始まって間もない頃に発覚している。アインクラッドの外周から身を躍らせた場合、高所落下という死因をはじまりの街にある生命の碑に書かれ、名前に横線を引かれるようになっているのだ。

 

 ケイタがその後どうなったのかを悟ったように、シノンは目を見開いた。

 

 

「じゃあ、そのケイタって人は……!」

 

「あぁ……俺が本当に殺しちゃったんだよ」

 

 

 俺を落とそうとしたのに、まさか自分が落ちるなんて思ってもみなかっただろう。落ちて行った時のケイタの何が何だかわからないような顔は今でもよく覚えている。多分、ケイタはアインクラッドの外周に落ちているのが自分である事に最後まで気が付かず、無数の破片となって散っていたのだろう。

 

 しかも恐ろしいと思ったのは、ケイタが俺のせいで落ちて行ったにもかかわらず、俺のアイコンはグリーンのままだったという事だ。どうやら転落死は、プレイヤーの手で意図的に引き起こされても、事故扱いとなってしまうようになっているらしい。リランやシノンと出会ってから、ずっと心の奥底に封印してきたつもりだったが、話を始めた瞬間から、頭の中が月夜の黒猫団が壊滅した瞬間や、ケイタを振り落して殺した時の映像のフラッシュバックでいっぱいになってきた。

 

 

「あれから君みたいに月夜の黒猫団の皆が死んだ瞬間、ケイタを落とした時の瞬間が、何度も夢に出てきてさ。でもよかったんだよ、5人ものプレイヤーを殺した俺には、丁度いい罰だったんだ。ここら辺は、君と同じだね、シノン」

 

 

 シノンは唇を震わせながら、小さく言った。

 

 

「じゃあ……あなたはどうやってその記憶を乗り越えたっていうの。私と接してる時は、そんなふうじゃなかったじゃない」

 

 

 俺はシノンが着ているコートに目を向ける。だけど、見ているのはシノンでもコートでもない。

 

 

「サチが、俺にメッセージを残しててくれたんだよ。もし自分達が死んだとしても、それは俺のせいじゃないってね。そのおかげで、俺は立ち直れたし、もうあんな事を繰り返さないって意気込みで戦いに臨む事が出来るようになった。だけど……そもそもサチだって、俺が止めておけばあんな事にはならなかったし、それに、ケイタの場合は……」

 

 

 続きを言おうとした次の瞬間、リランの《声》が頭に響いた。

 

 

《事故だ》

 

「え?」

 

 

 シノンと二人で声の発生源に目を向ける。全身ずぶ濡れで、普段ふかふかの毛がべったりと甲殻や肌に貼り付いてしまっている

 

 

《ケイタはお前を突き落すつもりで襲い掛かった。確かに激情に駆られてはいただろう。だが、だからと言ってお前を突き落とそうとしていい言い訳にはならない。その結果、お前に抵抗されて落ちて行ったのだ。事故死と考えるのが妥当だろう。もう少し冷静に考える事が出来れば、死ななかったかもしれぬな》

 

「そ、そんな……」

 

《お前だって悪気があってやったわけではあるまい。もし、ケイタに少しでもすまないと思う気持ちがあるならば、ここで立ち止まらず、この城を終わらせるために踏み出す事を選ぶべきだ。そして、彼らの分も生きるよう考えるべきだ。ケイタの死だのサチの死だの、月夜の黒猫団の亡霊に付き纏われているように生きる事を、お前を立ち直らせたサチが望んでいると思うか?》

 

「そうじゃないと思う……」

 

 

 リランはそっと微笑んだ。

 

 

《ならば前を向けキリト。月夜の黒猫団は「思い出」だ。過去に思いを馳せるだけでは、未来に生きていく事が出来なくなる。彼らの死の元を辿れば、この世界そのものに要因があるのだ。この城が終わらない限り、サチのような犠牲者が出続けるであろう。お前は、サチ達のような犠牲者を出したくないのだろう? ならば、過去に囚われず、今を生きるべきだ。今、お前の目の前には何がある? そしてそれをどう思っている》

 

 

 俺はリランから目の前にあるものに目を移した。そこにあったのは、びしょ濡れになっているシノンの顔だった。俺の元にいきなり降って来て、俺の言葉を信じてくれて、俺に心を開いてくれたたった一人の女の子だ。そして今は、俺がこの世界で最も守りたいものだ。

 

 

《お前は今さっき答えを出して、シノンに言ったはずだ。それを実行する事だけを考え、実行して行けるように努力するのだ。我も、全力で手助けする。

 何ならもう一度言ってやろうか? お前が今やるべきだと思っている事は――》

 

 

 それよりも前に、呟いた。

 

 

「シノンと一緒に居て、シノンを守る事。この世界でも、現実に帰っても、ずっと。

 そしてこの城を脱出し、現実世界に帰ろうとしている皆を、なるべく死なせず、守り通す事だ」

 

 

 リランはフッと笑ってみせた。

 

 

《わかっているではないか》

 

 

 俺は頷き、そっと目を閉じた。心の奥底で、月夜の黒猫団の皆の姿が見えた。

 俺のやった事は許されないし、もう彼らに償う事も出来ない。だからせめて、もう彼らのような犠牲が出る事を防ぐべく生き、過ちを繰り返さないと誓う。もう絶対に、繰り返したりしない。

 

 そう思うと、彼らがどこか微笑んだような気がした。

 

 

「キリト」

 

 

 月夜の黒猫団の姿が一つの呼び声に寄って消え去り、俺は目を開けた。

 目の中に再びシノンの姿が映し出される。

 

 

「キリトも色々な目に遭って……辛い思いをして来たのね。でもあなたは辛い目に遭ったりすると、全部抱え込んでしまう。誰にも言わず、誰にも気付かれないようにしてしまう。

 あなたは私にとても重要な約束をしてくれたけれど、一緒に私からも、約束してほしい事があるわ。もう、全部一人で抱え込もうとするのは止めて。あなたが私の傍にいるって事は、私があなたの傍にいるのと一緒なんだから……苦しくなったら、私に言ってほしい。私も一緒に、向き合うから」

 

 

 急に手が暖かくなった。さっきまで、俺がシノンの手に被せていた手を、今度はシノンが覆っていた。

 

 

「あなたが私に、居場所が無いわけじゃないって言ってくれたのと同じように、あなたにも、居場所が無いわけじゃないわ。あなたはもう、ソロプレイヤーじゃないんだから。

 この世界でも、現実世界でも……ずっと。あなたが傍にいてくれるなら、私もあなたの傍にいるんだから。……だからもう、自分ではどうしようもなくなるまで、物事を抱えるのはやめて」

 

 

 こんなにずぶ濡れになっているにもかかわらず、シノンの手はとても暖かく感じられた。そしてその温もりは、俺の手を通じて全身に広がり、心の中にまで伝わってきた。

 

 俺はシノンにの傍にいると言って、それを誓った。だけどそれは、同時にシノンが俺の傍にいてくれるという意味でもあったんだ。そんな簡単な事にすら、気付けなかったらしい。

 

 

「……俺はかつて、サチを守るためにこの命を使うとおうとした。だけど、だからと言って君がサチの代わりである事は絶対にないし、そんなふうにも思わない。今、俺の命は君のものだ。君のために使うし、君を守り続ける。君が倒れそうになった時は君を支えて、最後の一瞬まで一緒に居る……この世界でも、現実世界に帰っても」

 

 

 俺はシノンの目を見つめた。

 

 

「でもそれと同時に……君は俺の傍にいてくれるか? 俺と一緒に、いてくれるか。俺が折れそうになった時に、支えてくれる……かな」

 

 

 シノンはこれまでにないくらいににっこりと笑った。

 

 

「……うん」

 

 




原作との相違点

1:事故扱いとはいえ、キリトがケイタを外周部へ振り落としている。

2:キリト×シノン。繰り返す、キリト×シノン。

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