キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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 二分割その二。

 少しだけ明らかになる《MHHP》とユピテル。

 どうなるアイングラウンド編第二章第五話。





05:二人揃って失敗作

「その、明確な目的っていうのは?」

 

 

 リランは素の自分であるマーテルを隠さずに頷き、話を続けた。

 

 

 ある程度勉強と学習を重ねたマーテルは、こっそり自分の部屋を抜け出してネットワークへ泳ぎ、アーガスの社内カメラを覗き見したりした。

 

 その時だ。偶然カメラの近くに居合わせた、アーガスで働いてた女性社員達が「ユピテル君には癒された」「ユピテル君は最高傑作」という話をしているのを頻繁に聞いた。

 

 他のカメラへ移って話を盗み聞きしてみても、女性社員達は何かとユピテルを褒めたり、ユピテルをすごいと言ったりしており、誰もが口々にユピテルの話をしていたのだ。男性社員の話にはマーテルの話が出てくる事が多かったが、女性社員の場合はとにかくユピテルの話でもちきり。

 

 まるでユピテルはアーガスのアイドルのようだった。そんなユピテルにマーテルは興味を示さないはずがなかったが、同時に違和感を覚える事にもなった。

 

 マーテルとユピテルは姉弟関係であると言われていたのに、マーテルは弟のところへ会いに行かせてもらえた事が無かったのだ。

 

 ネットへ行けば姉弟の情報はすぐに手に入れられたし、それを見れば姉と弟はすぐ近くに居合うというのがわかる。実の弟がすぐ傍に居るというのに、自分は弟と顔を合わせた事が無い。学習担当の社員や、父親である茅場(かやば)晶彦(あきひこ)も会わせてくれない。それが当時のマーテルの一番の疑問だったし、強い好奇心を抱かせる事柄だった。

 

 女性社員を(とりこ)にするユピテルはどんなふうなんだろう。自分の弟はどんな人なのだろう。気になったマーテルは育て上げたクラッキング能力を以ってユピテルのところへ行こうとした。だが、ユピテルのところへ繋がる通路はどんなにクラッキングを仕掛けても開ける事が出来なかった。

 

 これまで様々なサイトやネットワークの、どんなに強いセキュリティも破ってきたのに、ユピテルに繋がっているところのセキュリティの鍵だけは途轍もなく入り組んだ特殊構造のようになっていて、どうやっても開けられない。

 

 マーテルは何度も何度も学習しながら繰り返したが、やはり上手くいかず、結局ユピテルのいる場所へ行かせてもらえなかった。そんなふうにマーテルがユピテルに興味を持っている事がわかったのだろう、ある時晶彦(アキヒコ)が一枚の写真を見せてくれた。

 

 映っていたのは海のように青い瞳をしている、線が細くて女の子みたいな顔立ちの、白銀色の髪の毛が特徴的な男の子。晶彦はそれこそがユピテルである、マーテルの弟であると言った。

 

 写真を渡されたマーテルは当然のように晶彦に尋ねた。どうしてわたしはユピテルのところに行っちゃ駄目なの。晶彦は「今作っているゲームが始まれば会えるから」と教えてくれたが、具体的な理由は何も教えてはくれなかった。

 

 その後もマーテルは社内カメラへの入り込みを続けたが、ある時からユピテルに関する不穏な話を頻りに耳にするようになった。男性社員も女性社員も居て、話している。

 

 内容は「またユピテルが崩壊した」「ユピテルがまた壊れた」「ユピテルのどこを間違えた」と、ユピテルの話ではあるものの、明るいものとは程遠いそれだった。女性社員達の話を聞いても「ユピテル君がまた崩壊するなんて」とか「私達がユピテル君を壊したの?」などといった明るくないものばかりになっていた。

 

 そしてその中に出てきた一つの言葉が、マーテルの中にずっと残っていた。

 

 

「結局ユピテルは致命的な欠陥を抱えた失敗作だった――」

 

 

 その後だ。マーテルとユピテルを削除するという話が出てきたけれども、開発担当の愛莉(あいり)とディレクターの晶彦によって、結局削除されずにアインクラッドの中に封印される事になったのは。

 

 かなり長きに渡る話を終えたマーテルは椅子に深々と座り込み、場は森の中のように静まり返っていた。その中で、アスナはマーテルの言った事が杭のようになって、心の奥深くに刺さるのを感じていた。

 

 

 結局ユピテルは、致命的な欠陥を抱えた失敗作。

 

 自分の子供は失敗作だった。

 

 

 そんな事実を突き付けられたような気がして、アスナはすぐに否定したい気持ちを抑えられなくなり、沈黙を破った。

 

 

「ユピテルが失敗作……!? そんな事ないわよ! だってあの子は……!!」

 

 

 感情(たかぶ)るアスナと裏腹に、マーテルは冷たい苦笑を浮かべていた。

 

 

「失敗作なのはユピテルだけじゃない。わたしもそう。わたし達は二人揃って失敗作だったんだ。成功作はユイとストレア達、《MHCP》。ううん、わたし達の反省を生かして作られたのが、《MHCP》なの。《MHHP》はそもそも失敗だったから、《MHCP》が作られた。本来ならわたし達は削除されてたんだよ」

 

「リラン……いや、マーテル……お前は……」

 

 

 驚きと悲しみを混ぜ合わせたような顔をしているキリトに、マーテルは向き直ってから苦笑いする。

 

 

「いいんだよ。失敗作と言っても人を癒す力はそのままだし、崩壊の先にこんなに強い力も手に入れる事が出来たから。そして何より、キリトや皆と出会えたんだもん。

 でも……いいのはわたしだけ。ユピテルは明確な目的のために作られただろうし、そのためにちゃんと育てられたのに、結局その力を行かせないまま、失敗作として封印されちゃった。そんな扱いをされたユピテルが封印の中で崩壊するのは、きっとわたしよりも早かったかもしれない」

 

「そんな……そんな事って……」

 

 

 アスナは顔の近くに熱いものがこみ上げてくるのを感じていた。もう少し上がれば目元に来てしまって、涙として出てくるだろう。

 

 胸の中に強い感情が生まれる。それは我が子が元々は失敗作だったという事実とその経緯を突き付けられた事への悲しみだったが、同時に強い怒りもあった。

 

 ユピテルは優しい子だ。誰かを思ったりする事が出来るし、誰かのために尽くす事が出来る。きっとそれはユピテルが元からそういう風に作られていたのと、そういう風になるように育てたからなのだろう。けれども、それでもユピテルが人を思えるような優しい子であるという事に変わりはない。

 

 だが、そんなふうにユピテルを作っておきながら、開発者達はユピテルを失敗作扱いし、削除しようとした。あんなに優しくて無垢な子の全てを無駄とみなして消そうとした。それが許せなかった。

 

 

「だからねアスナ。ユピテルの記憶を取り戻すのは……わたしはあまりお勧めできないよ。きっと辛い思い出が沢山出てきてしまうと思うから……」

 

 

 静かなマーテルの声が耳に入ると、アスナは頭の中に一冊の本がある事に気付いた。

 

 それはユピテルとの思い出でいっぱいになっているアルバムだ。これまでユピテルと一緒に過ごしてきた思い出が沢山詰まったものであり、アスナという少女の中にだけ存在している、何度も読み返す事の出来る本。

 

 

 その本を今、アスナは開く事が出来なかった。アルバムを作った本人であるユピテルは、かつて明確な目的と計画の元に作られたが、結局失敗作とされて捨てられた子。

 

 そして致命的な欠陥を抱えており、それが何なのかさえもわからない有様になっている。

 

 ユピテルの中には自分の知らない存在が眠っているのだ。その目を覚まさせる事が幸か不幸か判断がつかない。

 

 もしユピテルの記憶を取り戻した瞬間、ユピテルが壊れてしまったら。そんなのは絶対に嫌だ。けれどもこのままでは、ユピテルは思い出せない記憶に苦しまされる事になる。

 

 

 ユピテルの母親は、ユピテルを愛する我が子としているのは他でもない、わたしだ。けれども、わたしはユピテルをどこへ進ませればいいんだろう。ユピテルをどこへ導いたらいいのだろう。

 

 

 どんなに思考を巡らせても答えは出てこない。両親の期待に応えようと思って積み重ねてきた努力や知識も功を成そうとしない。その気持ちを汲み取ったのか、リズベットが小さく声をかけてきたが、アスナは首を横に振った。

 

 

「ごめん……わたし今……どうしたらいいかわからなくなってる……」

 

「……どうするかの判断はアスナに任せるよ。今のあの子の母親は、あなたなのだから」

 

 

 普段聞きなれないマーテルの声による言葉。その内容はきちんと聞き取れた。なのにどこからともなく聞こえてくる声があった。

 

 ――あの失敗作(ユピテル)の母親はアスナ(おまえ)だ。

 

 その言葉は杭のように、アスナの胸に刺さった。

 

 

 

 

 

 

 

          □□□

 

 

 

 アスナの家での会議にも似た話し合いを終えた後、キリトはシノンとユイと一緒になって宿屋へ戻った。

 

 いつか手に入れようとは思っているけれども、マイホームはまだ手に入れる事が出来ておらず、結局寝泊まり出来るのは宿屋しかない。

 

 アスナはユピテルが伸び伸びと暮らせる場所が欲しいという事で家を買ったそうだけれども、自分達も早めにユイに、リランとストレアと暮らせる家を与えてやらねば。

 

 そう思いながらいつもの部屋に戻ると、ユイはベッドへ向かっていき、寝転がった。続いてシノンもその横に寝転がり、キリトの寝転んで三人で川の字を作る。間もなくユイは穏やかな寝息を立てて眠り始めた。

 

 眠る順番はユイ、シノン、キリトの順番であり、キリトはいつも愛する娘と妻の寝顔を見ながら眠りの中に行く。

 

 今回も同じように二人の寝顔を堪能しようと思っていたが、妻であるシノンが一向に眠ろうとせず、眠るユイの頬を撫で続けていた。いつもと違うシノンに疑問に感じ、キリトは小さな声で問うた。

 

 

「シノン、寝ないのか」

 

「……うん」

 

「まだ何かやり残した事でも?」

 

 

 シノンは首を横に振った。穏やかな視線が眠っているユイへと向けられていた。

 

 

「ねぇキリト。ユイは私達の子供、よね」

 

「え? あぁうん。そうだよ。ユイは間違いなく俺達の娘だ」

 

「そうよね。でも私……なんにも知らないでいたんだわ、ユイの事……」

 

「え?」

 

 

 シノンはそっと手をユイの頬から髪の毛へと移し、優しげな手つきで撫で始める。

 

 

「これまで二年も一緒に暮らしてきたのに、私、ユイが本当はあんな風になってるなんて知らなかったし、想像もしてなかった。ユイはまだまだ、私達の知らない事でいっぱいなんだわ」

 

 

 確かに《SAO》の第二十二層で出会い、養子として受け入れてから、ユイとはずっと一緒に暮らしてきた。既に二年近くも経過しているのに、ユイの中に《アニマボックス》なるものが存在していて、それこそがユイの脳に該当するものであるというのは、今日初めて知る事になった。

 

 それなりの時間をおいたけれども、キリトは未だにユイの胸の中から出てきた白い箱の姿を鮮明に思い出せるし、あれこそがユイの本体が具現化した姿であるというのも、なんだか信じがたい。そう考えながら、キリトもユイの額を撫で始める。

 

 

「そうだな。ユイもリランも、まだまだ知らない事でいっぱいなんだろうな。きっと中には、本当にイリスさんしか知らないような事もあるんだろう」

 

「……だから、聞いたのよ。この子は私達の子供なのって」

 

 

 キリトがきょとんとして目を丸くする。シノンは少し不安そうな表情を顔に浮かべた。

 

 

「私、ユイの《アニマボックス》を見た時、ちょっとユイが怖くなったの。ユイは本当は何なんだろうって……私達の見ているユイは何なんだろうって……そんなふうに思っちゃって……」

 

「……シノン」

 

 

 ユイにはまだまだ謎な点が多い。本当はユイはどうなっているのか。そのユイはこれからどこへ進もうとしているのか。色んな物事の先を読む癖のあるキリトでも、ユイの今後については何も予想できない。その事を考えると、シノンの胸に抱かれているものがわかるような気がした。

 

 

「けれど、こうして一緒にいる事で、あなたに言われる事でわかったわ。この子は私達の可愛い子。《MHCP》であろうが、本体が《アニマボックス》であろうが何だろうが……ユイはユイで、私達の子供」

 

 

 徐々に晴れていくシノンの表情にキリトも微笑む。

 

 ユイについてはわからない事が多いけれど、それはこれから理解していけばいいだけの事。子を理解するのが親の務めというものだ。

 

 そしてユイは《MHCP》という存在だけれども、自分達の愛する子供である事に変わりはない。

 

 改めて理解したキリトは、シノンと同じようにユイの髪を撫でた。とてもさらさらとした指触りだった。

 

 

「そうだ。ユイはユイ、俺達の子供だ。これだけは間違いないって言えるよ。だから、ユイのためにも早く見つけないとな。アインクラッドの第二十二層の元になったあの地、あの家を……」

 

「見つかるかしら」

 

「見つかるとも。……見つけるとも。それでまた……皆で暮らそうな」

 

 

 シノンはすんと笑み、頷いた。同じように笑んでから、キリトはユイを見つめた。だがそのすぐ後だ。再びシノンがどこか不安そうな顔をした。

 

 

「キリト……アスナとユピテルの事だけど……」

 

「……うん」

 

「アスナ、大丈夫かしら……」

 

 

 シノンの口からアスナの話が出てくるだろうというのはキリトも予想できていたし、アスナの事はキリトも心配だった。

 

 ユピテルの真相を聞いてから、アスナはこれ以上ないくらいに不安そうで諸そうな雰囲気を出すようになっていたし、それはアスナの家を去る直前まで続いていた。

 

 愛していた我が子がユイと同じような仕組みになっていたうえに、アーガスで失敗作と言われていたという真実を突き付けられたのだから無理もないし、もしユイがそんなふうだったならば、きっと自分もアスナと同じようになるだろう。

 

 

「そうだな……俺も彼女の事は心配だし、ユピテルの事も心配だ」

 

「まさかユピテルがあんな扱いを受けていたなんて……それに、ユピテルの記憶も散々なものかもしれないのに、ユピテルが思い出そうとしてるなんて……ひどいものね……」

 

 

 悲しげな顔をしてユイを見つめるシノン。もしユピテルの母親が自分だったのだとしたら――そんな事を想像しているように見えた。そもそもユイが自分達の元へ来たのは偶然だったし、場合によっては自分達のところにユピテルがやってきていた可能性だってなかったわけではない。

 

 もしユイとユピテルが逆だったら、今頃自分はそれはもう戸惑っていた事だろう。その時の自分をキリトは容易に想像できた。……今のアスナの思いも。

 

 

「……致命的な欠陥、かぁ……ユピテルにそんなものがあったなんてな」

 

「アスナ、早くそれに気付ければいいんだけどね……私達も考えてみる必要あるかな」

 

 

 そう言われてもキリトは答えられない。ユピテルの事はこれまでよく見てきた方だとは思いたいが、未だにわかっていない部分が多いし、ユピテルの基本的な言動や性格さえも大雑把な部分しか捉えられていない。

 

 母思いで親切で、優しい少年。それがキリトの見てきたユピテルの像であり、それ以外はわからないと言っていい。

 

 もしかしたらユピテル自身も、アスナにしか見せていない部分があるのかもしれない。ユピテルに関して自分達はかなり知識不足と言えるだろう。

 

 考えをまとめたキリトはシノンへ伝える。

 

 

「ユピテルの事を理解しているのはアスナだけだ。ユピテルに関しては……アスナに任せるしかないと思う」

 

「そうよね……けれど、アスナは大丈夫かしら……」

 

 

 こんな時、リランとユピテルの開発者であるイリスがいてくれて、相談に乗ってくれたら。キリトは何度もそう思い、スマートフォンにコールを掛けてみたものだ。

 

 だが、一回たりともイリスのスマートフォンに通じた事が無く、相談してもらいたい時にしてもらえない。最後は結局たまたま《SA:O》にログインしてきたタイミングでその事を話す。そればかりだった。

 

 一応リラン、ユイ、ストレアの三人は緊急非常用回線のようなものをイリスから教えられており、本当にイリスの力が必要になった時にその回線を使うよう指示されていると本人達から聞いた。それにかけてみる事も考えたが、緊急時とは言い難い状況なので、それを使う気にはならなかった。

 

 結局イリスに指示を仰げるのは、イリスが次回ログインしてきた時のみだ。それがいつになるのかもわからないなんて、なんてひどい状況なのだろうか。

 

 

「アスナの事は、俺達で助けてやろう。多分、俺達が力になれる部分もあるはずだから」

 

「……そうしましょうか……」

 

 

 シノンが呟くように言った直後、どこかで溜め込まれていたかのような強い眠気が押し寄せてきた。うとうとが強くなり、瞼が(おもり)を付けられたように重くなり、意識が薄くなっていく。その中でシノンの声が聞こえてきて、キリトは必死で答える。

 

 

「ねぇ、キリト……話をユイに……戻すけれど……」

 

「うん……?」

 

「もし……ユイに妹か弟が出来るなら……どっちがいいかな……」

 

 

 シノンも明らかに眠そうにしており、今にも眠ってしまいそうな声色だった。互いにうとうとしながら、キリトはふと思いついた事を口にする。

 

 

「そうだなぁ……ユイにはもうストレアっていう妹がいるから……やっぱ弟の方が……」

 

「ユイの弟……男の子……なら……名前はどうしよっか……」

 

「そう……だなぁ……名前は……名前……は……」

 

 

 それを導き出したその時、キリトは眠りの中へ転がり落ちていた。 




 後半のイベントの元ネタ→ホロウ・リアリゼーションの添寝イベント。添寝のシノンさんはとんでもなく可愛い。

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