キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

311 / 563
 シノンに忍び寄る気配。





06:自ら出てきたストーカー

          ◇◇◇

 

 

 

 異変の事は運営の一人であるセブンにレインを通じて報告された。

 

 セブンによると、プレイヤーがNPCを攻撃した際には必ずブルーカーソルになるように設定されており、これは絶対だという。

 

 しかし、このゲーム自体がまだ開発段階であるため、何らかの抜け目やバグが存在している可能性もあるらしい。プレミアを攻撃したにもかかわらず、ブルーカーソルにならなかったプレイヤー達もたまたまそれに当たってしまったのではないか――というのがセブンの話であった。

 

 一応セブンはこの情報を日本の運営チームに報告し、現在修正に当たらせているらしいが、完全に修正されるのにはそれなりに時間を要するだろう。それまでにプレミアに攻撃するプレイヤーがいないかどうか見張りを強化するべきだとも、セブンは言った。

 

 プレミアはこの世界で生きている生命であり、プレイヤーに殺されたりすれば二度と復活する事はない。そしてプレミアは様々な事を経験してきており、どんどん感情が豊かになっているようにも思えるし、俺達との親睦もより深めつつある。

 

 ここまで一緒に過ごしてきたプレミアを、俺達プレイヤー達の勝手な行いによって死なせるわけにはいかない。集まった俺達はログイン中は基本的に誰かがプレミアの事を見ていて、ログインできない場合はリラン、ユピテル、ユイ、ストレアの四人で保護を強化するという結論を出した。

 

 プレミアは絶対に死なせない。プレミアの命は何としても守る。それを心に刻み込み、俺達はプレミアとの日々を過ごすのだった。

 

 

 その話が起きてから二日後。

 

 

 俺はいつも通りログインし、《はじまりの街》に降り立っていた。午前中という事もあってか、街を行き交う人の数は《ALO》ほどではないけれどもそれなりに多く、皆それぞれ向かう場所の確認や情報交換を行っているのが見えた。

 

 このゲームに参加する事の出来たのは、チケットを得られた者だけだけれども、そうであっても人数はかなり多い方に入る。

 

 しかし今はまだクローズドベータテストの段階だから、正式サービスが開始された時には無数のプレイヤー達がこの世界へ入り込んできて、どこでも賑わいが起こる事だろう。今の《はじまりの街》の有り様は本来のものではあるまい。

 

 そしてその時までにプレミアの事を、この世界に生きるNPC達の事を守り続けなければ――思いながら歩き、商店街エリアに入り込む。リズベットとレインが営む鍛冶屋やその他のNPC達が経営する店の数々で構成されているそこは、冒険の必需品の揃っているため、転移門エリアや居住区エリアと比べると人の数が多かった。

 

 《ALO》でセブンのクラスタ達が作り出していた人だかりだとか、東京都の通勤通学時間帯ほどの混雑は出来ていないけれども、それでも他のプレイヤー達にぶつからないように進んでいく必要はあった。

 

 今はこの調子の商店街エリアも、正式サービス開始時にはすごい人だかりが出来るに違いない。ゲームが賑わっている事を喜ぶべきか、人が増えてしまった事を憂いに思うか。

 

 そんな事を思えるような光景になったこの場所の事を想像していると、大宿屋前の噴水の前に見慣れた人影があるのを見つけた。

 

 セミロングの黒髪で、もみ上げの辺りを白いリボンで結んでいる。緑色を基調とした露出度の高い軽装に身を包み、青いマフラーを巻いている少女。てっきり俺達が手に入れた家にいるとばかり思っていたシノンだった。

 

 何かを探しているのか、もしくは誰かを待っているのか、周りをきょろきょろと見回している。俺が見える場所にいるはずだが、俺に気付く様子はない。こちらが見えていないのだろう。

 

 行き交う人の間を抜けて近付いていくと、シノンは完全に明後日の方向へ向いてしまい、俺は眼中の外に追いやられてしまった。ここまでシノンが俺に気付かないのは珍しい。シノンが待ち合わせをするのは大体アスナやリズベット達といった女の子達とだけど、余程長い事待たされていているのだろうか。

 

 色々考えているうちに俺はシノンの視界から外れている隣まで辿り着いた。それでもシノンは気付かない。

 

 

「シノン」

 

「きゃああッ!?」

 

 

 まるで氷が触って来たかのような声を上げてシノンは驚いてみせた。あまりに大きな声だったものだから、俺も声を出して驚いてしまった。

 

 

「うわわっ! どうしたんだよ」

 

 

 シノンは数秒俺の事を見てから、胸を撫でおろすように溜息を吐いた。余程驚いたらしいのは確かだった。

 

 

「なんだ、あなたか……びっくりさせないでよ」

 

「いやいや、それはこっちの台詞だよ。急に悲鳴なんか上げて、どうかしたのか」

 

「えぇ? あぁ、いいえ、別に何でもないわ」

 

 

 シノンがそう言った時には何かしらの出来事があるというのは、これまで過ごしてきた中で散々実感している。今、シノンは待ち合わせをしていたのではないのは確かだ。それを隠すかのように、シノンは俺に問うてきた。

 

 

「あなたこそ何をしてたの。急に声をかけてきて」

 

「別にどうもしないよ。ただ、シノンを見つけたから声を掛けたんだ」

 

「そう。ならいいんだけど……」

 

 

 シノンは目線を下に向けた。やはり何かあるのは間違いない。けれど、ここで聞き出したところで話してくれはしないだろう。少なくとも場所を移す必要はある。

 

 話を聞くならば家に帰るのが一番いいけれども、俺は先程家からここに来たばかりだし、シノンもログアウトする場所を家にしているから、同じく家からここに来たのだろう。流石にもう一度家に帰るのは手間がかかる。

 

 

 そこで俺はふとログインした時の事を思い出した。このゲームにログインすると、ウインドウが複数表示されて、ゲームの最新情報などを閲覧する事が出来るのだが、今日は《はじまりの街》のカフェの広告が表示されていて、来店客数が一定数を上回ったという事で新しいケーキが加わったという紹介があった。

 

 シノンを連れていき、話をするならばそのカフェがいいだろう。最近はデートもあまりしていなかったから、尚更丁度いい。

 

 

「なぁ、今って時間あるか。よければケーキでもって思ったんだけど」

 

「ケーキ? もしかしてログインした時に表示されてたあそこで?」

 

「そうそう。広告が出てくるって事は余程人気だって事だろうし、新しいメニューも加わったって話だ。これから食べに行ってみないか」

 

 

 シノンは何かを思い出したような反応を示した。最近の事でも思い出したのだろうか。

 

 

「そういえば最近……デートとか……してなかったものね、私達」

 

「だろ。それにその店に新メニューが追加されたっていうなら興味あるし、出来れば君と一緒に楽しみたい」

 

「結局新メニューが目当てなのかしら」

 

「結局姫様とケーキの両方が目当てです」

 

 

 悪戯っぽく言うと、シノンはくすすと笑ってみせた。先程まで緊張していたようだが、今それは抜けてくれたらしい。

 

 

「はいはい。そういう事なら付き合うわよ、食いしん坊な……大切な人」

 

 

 周りのプレイヤーに聞こえないような小声で言ってくれた言葉を耳にした俺は笑みを返してやった。

 

 そこから、プレミアの事や家の事もあってなかなか出来なかったデートをスタート。俺はシノンを連れてカフェに向かった。

 

 その道中にもシノンは、「まだ午前中だから、あまり食べると昼ご飯が食べられないわよ」などといった何げない話をかけてきた。周りを見回したりだとか、何かを探しているような様子は一切見せない。

 

 俺が近くにいる事で安心してくれているのか、もしくは俺に気付かれないようにしているのか。すぐに聞く事が出来るけれども、今はその時ではないのは確かだし、シノンとの会話だって楽しみたい。

 

 俺は先程から気になっている事を放り出し、いつものデートの時と同じようにシノンと言葉を交わしていた。

 

 リーファ/直葉曰く、「静かすぎてあまり恋人同士に見えない」やり取りを交わしながら歩く事三分ほど。俺達は目的地のカフェに辿り着いた。ベランダ席がいくつも設けられているそこは、既に店内もベランダもかなりの人で賑わっており、各々ケーキや飲み物を楽しんでいた。

 

 その中にはカップルもちらほらと見受けられ、シノンは少し小声で言う。

 

 

「やっぱりカップルが多いわね」

 

「これだけいるなら、特に気にしなくて良さそうだ。座ろう」

 

 

 シノンに呼びかけて、俺はベランダの外側にある席に座った。間もなくシノンが目の前の席に座ったのを見てから、メニューを呼び出す。

 

 ログイン時の広告通りにケーキやスイーツがいくつか追加されており、それらの名の横に堂々と『New!』と書かれていた。画像の時点でも、既に美味しそうに思えるものばかりが並んでいる。

 

 

「どれも美味しそうだな。目移りするよ、これは」

 

「本当ね。これはどれにしようか迷うわ。キリトはどうする」

 

「俺は……そうだなぁ」

 

 

 表示されているケーキはどれも本当に美味しそうで、どれかを選べと言われたらすごく迷う。ここにユイとリランが居てくれたならば、四人で別々のものを頼んで、シェアして食べるという方法もあったのだろうが、そうはいかないのが今だ。

 

 しかし、分け合って食べるという事はシノンともできるから、シノンと分け合えそうなものを選ぶのがいいかもしれない。そう思うと、ふとメニューの中に表示されている新作のチョコレートケーキが目についた。

 

 

「このブラックチョコレートケーキっていうのにしようかな」

 

「えっ。あなた、それ頼むの」

 

「え? シノンは何を頼むつもりなんだ」

 

 

 シノンは俺が表示させているウインドウのある場所を指差した。そこは俺が頼もうとしていたものであるブラックチョコレートケーキの隣にある、ホワイトチョコレートケーキだった。

 

 俺が注文するものを言った時、シノンは軽く驚いていたが、自分と同じようなものを俺が頼んだかららしい。シノンは少し怪しむような顔をして、俺の事を見ていた。

 

 

「あなた……もしかして私の食べ物の好みまで?」

 

「いやいやいや、それはない。流石にそこまでは影響受けてないよ」

 

 

 俺の頭の中にはシノン/詩乃の記憶も存在しているけれど、それが影響しているのは今のところほんの少し。食べ物の好みなどは俺自身のままだ。現にブラックチョコレートケーキ、ビターチョコレートなども、詩乃と出会う前から好んで食べていた。

 

 別にシノンの記憶の影響を受けているわけではない――そう説明したところ、シノンは少し安心したように笑んでみせた。

 

 

「そういえば、あなたはこういうのが好きだったわね」

 

「そうそう。ブラックコーヒーにビターチョコレート。《黒の竜剣士》は黒いものが大好きなんです。ご存知の通りでしょう」

 

「勿論存じているわ。さぁ、決まったなら頼みましょうか」

 

 

 俺の冗談に軽く笑ってくれてから、シノンは注文ボタンをクリックした。目に見えない信号が店内に向かって飛んでいった。

 

 十数秒後、店内から二種類のチョコレートケーキを持った女性従業員(ウェイトレス)がやってきて、「お待たせしました」と一言。

 

 黒い方を俺に、白い方をシノンの(もと)へ置いて、「ごゆっくりどうぞ」と言って礼をし、店内へ戻っていった。

 

 俺は早速眼前のチョコレートケーキに目をやった。白い皿の上に乗っかっているそれは、確かにブラックチョコレートケーキの名前を体現するように黒いケーキだった。

 

 スポンジはチョコレートをたっぷり混ぜ込んでいるように黒く、間にはチョコレートクッキーが混ぜ込まれているやや灰色がかったクリームが挟まれている。上部にはごってりと黒いクリームが塗りたくられており、甘みよりも苦みなどを感じそうなものだった。

 

 

「……思ったより黒いぞこれは」

 

「本当ね。それって木炭とか入ってるんじゃないの」

 

「いや、それはないとは思うけれど……」

 

 

 対するシノンのケーキはというと、白い生クリームが上部とスポンジの間にたっぷり入っており、中にホワイトチョコレートと思わしきものが含まれているのが見える。スポンジはショートケーキのそれに近しい黄色であり、苺を抜いてホワイトチョコレートを入れたものといえばわかるようなものだった。

 

 非常に質素に見えるけれども、不思議と美味しそうと感じるケーキ。それはまるでシノン自身が持っている魅力のようだった。

 

 そのシノンのケーキが当たりならば、俺のケーキはハズレかもしれない。だが、頼んだ以上は食べるべきだし、何より食べてみなければ味は理解できないのだ。

 

 

「よし、食べようか」

 

 

 そう言って俺はフォークを手に取り、黒いケーキを口に運んだ。そしてもう一度驚く事になった。

 

 一見苦そうに見えるブラックチョコレートケーキだが、スポンジからは見た目に反するチョコレートの甘い香りと味がしたのだ。挟まれているクリームもほどよく甘く、含まれているチョコレートクッキーの食感が楽しい。

 

 コーヒーの香りや味がするかと思いきや、そのようなものは感じない。純粋なチョコレートだけで作られているケーキだ。

 

 

「あれ、美味いぞ」

 

「えっ、本当に?」

 

「あぁ、見た目からは考えられないけど、すごく美味い。これはイケるぞ」

 

 

 シノンは(いぶか)しむように俺のケーキを見つめた。きっと俺の言っている事も半信半疑に聞いているのだろう。

 

 

「そうなの。だったら……」

 

「うん。食べてみるといいよ」

 

 

 そう答えてシノンの許にケーキを差し出してやったところ、シノンは怪しむように俺のケーキを少しだけフォークで削り、口元に運んだ。数秒後、俺がケーキを口にした時と同じように、その意外性に驚くような反応を示した。

 

 

「あれ、本当だわ。すごくチョコレートの味がして……美味しい」

 

「だろう。意外に美味いんだよこれが」

 

「完全に見た目に騙されてたわ……中々面白いメニューを追加してくるものね、この店は」

 

 

 ケーキを近くに戻したその時、シノンは自身のケーキを見て、残念そうな顔をした。

 

 

「それならそっちにした方がよかったかもしれないわ。こっちはすごく無難な味しかしない」

 

「そうなのか。俺からは美味しそうに見えるんだけど」

 

「そうでもないわよ。なんなら食べてみる?」

 

「お言葉に甘えて」

 

 

 答えるように、シノンは俺の許へ白いケーキの乗った皿を差し出してきた。既にシノンが食しているケーキを少しフォークで削って、口に運んでみたところ、すぐに味が分かった。

 

 シノンの頼んだケーキはホワイトチョコレートケーキだったけれども、ホワイトチョコレートよりも生クリームの主張が激しかった。

 

 口に入れた時点でホワイトチョコレートの香りと味がしたけれど、すぐに生クリームが押し寄せてきて、ホワイトチョコレートの存在感を消し去る。スポンジは見た目通りショートケーキのそれのような食感と味わいだが、やはり生クリームの主張が塗り潰す。

 

 生クリームが好きな人ならばたまらないくらいの美味しさを感じられるのだろうが、ホワイトチョコレートケーキだと思って食べると、裏切りを受けたようなショックを感じるほかない。

 

 

「……なるほど、こっちはこうか」

 

「そうでしょう。なんというか、無難っていうか」

 

「無難……じゃあないな。というかこれは、ホワイトチョコレートケーキじゃないぞ」

 

「そうかもね。けれど、私は別に嫌いじゃないわ」

 

 

 確かにシノンは生クリームが嫌いな()じゃないから、このケーキを食べるのもそんなに苦痛ではないだろう。

 

 しかし、そのケーキは明らかにホワイトチョコレートケーキという名前に反している。きっと近々のアップデートで名前が差し替えられる事だろう。MMOなどならばよくある事だ。

 

 そして二口目に行こうと思ったその時、俺は用件を思い出した。ここにはシノンとデートをするために来ているけれども、同時にシノンに訊きたい事があったのだ。

 

 周りのプレイヤー達は各々の話に夢中になっており、こちらに聞く耳を立てている様子もない。聞き出すならば今がチャンスだろう。

 

 

「それでシノン。さっきはどうしたんだ」

 

「え?」

 

「ほら、俺に話しかけられた時、すごくびっくりしてたじゃないか。何か気になる事でもあったのか」

 

 

 シノンは一瞬きょとんとした。しかしすぐにその表情を曇らせていく。

 

 

「あの時は、何でもないって……」

 

「君がそう言う時って、高確率で何かあった時だぞ。俺に話せる事なら、話してみてくれないか」

 

 

 シノンは俺の目をじっと見つめていた。当たりの喧騒がよく聞こえてくるようになった頃に、シノンは大きな溜息を吐いた。

 

 

「……やっぱりあなたに隠し事なんて出来るわけないわね。でもいいわ。私も出来ればあなたに話そうって思ってたところだし」

 

「それで、何があったんだ」

 

 

 シノンは軽く周囲を見た。俺が見かけた時に見せていた緊張感のある様子が再現される。

 

 

「もしかしたらその……気のせいかもしれないけれど」

 

「うん」

 

「ストーキング、みたいな事をされてるような気がするのよ」

 

「なんだって!?」

 

 

 思わず大きな声を上げて立ち上がってしまった。声はベランダ中に届いてしまったらしく、周囲の注目を集めたのが我に返った時にわかった。

 

 注目を集めて焦るシノンに思わず「ごめん」と言って謝り、座って咳払いをすると、周囲の注目は散っていった。

 

 タイミングを見計らって、小さめの声でシノンに話しかける。

 

 

「……ストーキングって、本当なのか。部屋のセキュリティとかは大丈夫なんだよな。あそこはSAO生還者(サバイバー)達のマンションだし」

 

「ううん、現実(リアル)の事じゃないの。このゲームでの事」

 

 

 その一言に安堵する。現実世界での問題でないならば、ひとまずは安心だ。

 

 

「なんていうか、街やフィールドで誰かに付けられてるような気がしたりするの。それも結構な頻度で」

 

「それって、俺達と一緒にいる時もか」

 

「えぇ。あなたやアスナ達と一緒にいる時も。あなたは何か感じなかった? 誰かに見られているような気がするとか」

 

 

 このゲームにログインしている時、俺はシノン、ユイ、リランと一緒に過ごしている時間が多い方だし、攻略に出る時もリラン――《使い魔》なので当たり前だが――とシノンとパーティを組んでいる。シノンが誰かに付けられているという事は、俺達もまたそれに付けられていたという事だ。

 

 攻略のためにフィールドに出ていた時の事をふと思い出したところ、思い当たる節があった。確かにシノンの言う通り、シノンと行動を共にしている時、どこからともなく視線や気配を感じたような気がする事はあった。

 

 その時はリランの様子もおかしかった。突然後ろを振り返って吼えたり唸ったり、「そこにいるのは誰だ!?」と呼び掛けたりもして、俺やシノンを驚かせる事もあった。

 

 けれどその都度何かを見つけられたりはしなかったから、気のせいだと思ってたし、リランにも同じように気のせいだと言っていたけれど、あれは気のせいではなかった。

 

 シノンは何かに付けられており、その時は俺達も一緒に付けられていたのだ。

 

 

「言われてみれば……そんな気はしてたかもしれない。特に君と一緒にいる時、誰かに見られているような、付けられているような感じが」

 

「やっぱり、気のせいじゃなかったのね……」

 

 

 シノンの顔に若干の不安が浮かび上がる。以前ALOでシノンはPoH(プー)に捕まり、酷い目に合わされた。きっとその時の事を思い出しているのだろう。俺も一瞬そんな気がしたが、すぐにそれは違うとも思った。

 

 PoHはあの時ハンニバルの命令でシノンを襲っていた。しかし今のPoHは主であるハンニバルを失って消息不明になっている。どこにいるかはわからないが、主を失った今もシノンを付け狙っているという可能性はあまり考えられないだろう。

 

 

「それでも、PoH達って事はなさそうだな。あいつらはもういないし、あいつらなら今頃何かしらの手を出して来てるはずだ。けれどシノン、そういった事は?」

 

「ないわ。付けられてるような感じがしてただけ。特に何かされたりとかはしてない」

 

「それならいいけれど、そうなるとそいつは何だ。何のためにシノンを?」

 

「それがわからなくて……気味が悪いっていうか。あなたなら、何かわからないかしら」

 

 

 思わず「んー」と声を出した。シノンを付けながらも手を下さないのであれば、やはりPoH達である可能性は低い。だとするならば――。

 

 

「単純に君に好意を寄せている人物、とか」

 

 

 シノンの顔に、如何にも疑問そうな表情が浮かび上がった。予想通りの顔だ。

 

 

「……私、あなたとこうして付き合ってるのに?」

 

「意外と俺の事を彼氏だと理解してない奴かもしれない。男女同士だけど友達でしかないなんてプレイヤーは沢山いるしな」

 

「けれど、私達の場合は……」

 

 

 そうだ。俺とシノンは《SAO》、《ALO》、そしてこの《SA:O》と一緒に生きてきて、生涯一緒にいる事を誓い合った仲だ。けれど、この事情を知っているのなんか俺達と俺達の仲間達くらいだけで、完全な外部のプレイヤーはわかるはずがない。

 

 だからこそ、シノンを恋人無しのプレイヤーだと勝手に思い込み、付け狙っている奴がいるのかもしれない。現に俺達は恋人同士らしい事をするのは誰もいないところだけで、フィールドや街中といった人前ではやってこなかったのだから。

 

 

「俺達の関係をわかってない奴が付け狙ってるかもしれないな。何もしてこないとはいえ、そいつが君をストーキングしてるんなら、俺は君の恋人として許せないよ」

 

「キリト……」

 

 

 俺が言った事が意外だったのか、シノンの頬が若干桜色に染まったのが見えた。思わずそれに可愛げを感じたけれど、すぐに引っ込めて尋ねる。

 

 

「シノン、今はどうだ。こっちを見ている奴がいるとか、そういうのはわからないか」

 

「あなたこそ、どう。なんか様子の変なプレイヤーとか見つからない?」

 

 

 俺は咄嗟にシノンの周囲に目をやる。周囲にいるプレイヤー達は俺達がここに来た時と同様にカフェタイムを満喫している様子で、俺達の事など気にも留めていないようだ。

 

 ここにシノンのストーカーはいない――そう思ったその時だった。

 

 

 いる。

 

 

 シノンの背後から十数メートル離れた席に、こちらをじっと見ているプレイヤーがいる。身体的特徴は人混みのせいでよくわからないが、確かにこちらを見ているのだ。

 

 

「……いた?」

 

「あぁ。シノンの後ろから、じっとこっちを見てる奴がいる。混んでるせいでよく見えないけど、確かにここにいる」

 

「!」

 

 

 シノンが振り返ろうとしたその時、俺はその身体をぎゅっと抑えつけ、前を向かせた。急な事に驚いたシノンが小さく悲鳴を上げたが、俺は構わずシノンに言った。

 

 

「振り向いたら駄目だ。気付かれて逃げられる。このままで居てくれ」

 

「え、えぇ。けれど、どうするの。そいつを見つけたんでしょ」

 

 

 一番手っ取り早いのは俺があれを捕まえる事だが、向こうだって馬鹿ではない。きっとこちらの様子を伺っていて、いつでも逃げられる準備をしているはずだ。俺が行動を起こした時点で逃げられるだろう。

 

 ここは一つ、何かしらの作戦で(おび)き出すような事をしなければならないかもしれない。

 

 シノンの身体から手を離し、席に座りなおす。

 

 

「見つけたけれど、どうしたもんかな。こっちが何かすれば逃げる可能性が高い。なんというか、誘き出すような事が出来ればいいんだけど……」

 

「誘き出す……」

 

 

 モンスターが相手だったならば、ナイフを投げつけて誘き出す手段があったけれども、それは人間相手には通じない。その人間である、シノンのストーカーを誘き出すにはどのような方法を仕掛けるべきか。

 

 ふと思考を巡らせようとしたその時、シノンが思いついたように言ってきた。

 

 

「ねぇキリト、喧嘩してみない?」

 

「へ?」

 

 

 唐突な提案にきょとんとする俺に、シノンは言った。

 

 

 シノンに好意を持っている奴がストーカーならば、彼氏である俺を目障りに感じて、シノンから俺を遠ざけたがっているはず。

 

 そこでシノンと俺がここで喧嘩するふりをする。その後にシノンがここから離れれば、俺達が別れたと勘違いして、ストーカーはシノンに寄ってくるかもしれない。

 

 シノンにストーカーが寄ったところで、俺が咄嗟に捕まえる。というのが、シノンの作戦だった。

 

 

 確かにシノンに好意を持っているが故のストーカーならば、俺とシノンが別れる瞬間を狙っているに違いない。俺達がここで喧嘩をし、別れたような演技をしたならば、真実と思い込んでやってくる可能性は十分にある。

 

 

「なるほど、その作戦はいけるな」

 

「でしょう。だから演技して、キリト。なるべく盛大に私と喧嘩する演技をお願い」

 

 

 何かを演じるのは、実のところあまり得意ではないし、シノンと喧嘩するなどもうしたくない。しかし、シノンのストーカーを誘き出すにはこれしかないから、やるしかないだろう。

 

 咄嗟に脚本を頭の中で書き出し、頷く。

 

 

「わかった。君も盛大なのを頼むぞ」

 

「わかってるわ。それじゃあいくわよ……」

 

「「せーのッ」」

 

 

 二人で息を合わせた直後、シノンがばんとテーブルを叩いて立ち上がった。如何にも怒っているような表情がその顔に浮かぶ。

 

 

「あんたはなんでそう浮気ばっかりするのよ!? 周りに女の子ぞろぞろ連れまわしてでれでれして! 私っていう女がちゃんといるのに!!」

 

 

 応じるようにテーブルを叩いて立ち上がり、怒鳴り返す。

 

 

「お前こそそうだろうが! 周りにイケメンぞろぞろ連れまわしてプレゼントもらいまくってるじゃないか!!」

 

「あんたの方がよっぽど数が多いじゃない! あれを浮気って言わないでなんて言うのよ!?」

 

 

 急に大声を上げた俺達に周りのプレイヤー達は視線を向け始め、「なんだなんだ」と声を漏らし始める。いい具合に周りの混乱を誘えているようだ。きっとシノンのストーカーも反応を示してる頃だろう。

 

 

「それにあんたは《使い魔》まで雌じゃないの! どれだけ周りに女が欲しいのよ!?」

 

「お前だってなぁ――」

 

 

 そう、次の台詞を言いかけたその時だった。ずっと俺が目を向けていた席のプレイヤーが立ち上がったのだ。

 

 やはり行動を起こしたか――思いながら次の台詞を言いかけたところで、プレイヤーは次の行動に出た。

 

 

 そのまま一目散に俺達の許へ駆けつけてきたのだ。

 

 

「ど、どうしちゃったの二人とも!? そ、そんな事を言い合う仲じゃなかったよね!?」

 

 

 酷く慌てた様子で言ってきたそいつは、男だった。

 

 全体的に長身で、長い銀髪を一本結びにしていて、緑を基調とした戦闘服の上から黒緑のポンチョを羽織っているという、どこかで見たような風貌だ。

 

 その男は今、シノンのストーカーがいるはずの席から一目散に、自ら俺達のところへやってきた。

 

 隠れてこそこそしているはずのストーカーを目にした俺とシノンは完全にフリーズし、

 

 

「「自分から出てきた……」」

 

 

 と、呟いた。

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。