キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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 フェイタルバレットにてサチが復活。KIBTどうしよう。


 それはともかく、ジェネシス&《使い魔》戦。





10:冥黒の狼竜 ―黒の竜剣士との戦い―

          ◇◇◇

 

 

 《ジュエルピーク湖沼群》最奥部 《ラ・ファスタル空中庭園》

 

 

 俺達が本来相手にするはずのボスはどのような存在だったのだろうか。どのくらいの強さで、どんな攻撃を繰り出してくる相手だったのだろうか。今、それを考えている時間は俺達にはなかった。

 

 

 俺達は本来のボスとは違うボスと戦う事となったのだ。

 

 

 俺達を尾行していた、《黒の竜剣士》であるジェネシスと、その《使い魔》であるアヌビス。プレミアに狙いを付けたジェネシスから彼女を守るために、俺達はそれぞれの武器を抜き払い、襲い掛かってきたジェネシスとアヌビスのコンビに立ちはだかっている。

 

 

「キリト、あいつはどう来そう?」

 

「何とも言えないよ。まさか進化までしてくれるだなんて、全然予想出来てなかった」

 

 

 隣で槍を構えるシノンに応答し、俺も両手の剣を握り締めて、臨戦態勢となる。

 

 ジェネシスとアヌビスと戦う事になった場合、俺達の力を結集させれば勝てると俺は踏んでいた。しかしそれは、ジェネシスの奇策によって脆くも崩れ去る事となった。ジェネシスはボスから手に入れたと思わしきアイテムを使い、アヌビスを次の形態へ進化させたのだ。

 

 

 進化した《使い魔》がどれ程の強さを手に入れるのかは、その《使い魔》によってまちまちだ。俺の《使い魔》であるリランはこれまで、進化する事によって圧倒的に強力な能力を得たりしていたものだが、恐らくあのアヌビスも同じだろう。

 

 アヌビスはそこら辺に居るモンスターやドラゴンと比べて明らかに強い存在だった。そのアヌビスがこうして進化したという事は、少なくともここにいたであろうボスモンスターよりも強くなったという事なのだろう。

 

 強さを手に入れてほしくなかった存在が、更なる強さを手に入れてしまったのだから、最悪という他ない。

 

 だが、ここで負ければあの乱暴者のジェネシスにプレミアが連れ去られてしまう。

 

 そうなったら確実にプレミアは終わりだ。それだけは何としてでも阻止しなくてはならない。

 

 皆同じ事を考えてくれていたのだろう、レイドボス戦の時と同様に陣形を組んで、それぞれの立ち位置を陣取った。普段はレイドボスを攻略、討伐する役割を与えられているであろうアヌビスと、攻略する側のジェネシスがレイドボスの立場に置かれ、歴戦のプレイヤーである俺達に取り囲まれていた。

 

 

 アヌビスが進化したとしても、ジェネシスとアヌビスのコンビだけで出せる火力などたかが知れているはずだし、数も差も大幅に開いている。普通に考えれば圧倒的にジェネシスの方が不利だ。

 

 そのはずだが、当の本人は全く混乱していない様子で地に足を付けている。状況に怯えるどころか、楽しもうとしているような気迫さえ感じられた。

 

 

 これだけの数のプレイヤーに囲まれながら、勝機を見出しているとでもいうのか。

 

 

「モブがどれほど集まろうが変わりはねぇ。勝つのはオレだッ!!」

 

 

 叫んだジェネシスは、ディアベル、エギル、ストレア、リズベット、ユピテルが作るタンクの布陣の中へ飛び込んだ。早いけれどもまだ目に留まる速度で、進化した魔剣を振るうと、ディアベルとリズベットの盾が受け止めた。がきんという鋭い金属音と共に火花が散り、三人の顔が一瞬赤く照らされる。

 

 

「この野郎ッ!!」

 

「隙だらけだよッ!!」

 

「受けてッ!!」

 

 ジェネシスの動きが盾持ちの二人によって止められた隙を狙って、エギルとストレアとユピテルが追撃を仕掛けた。ジェネシスは見越していたように咄嗟にバックステップ、三人の攻撃を回避する。

 

 

 両手剣を装備している人型モンスターというものはこの世界にも存在しており、俺達はそれらと戦って攻略法を掴んできていた。ここに来る途中だって何回出くわしたかわかったものではないが、その都度身に着けた攻略法で撃破してきた。

 

 けれどジェネシスはモンスターではなくプレイヤーだ。当たり前のように意思を持ち、何のルーチンに縛られる事なく両手剣を振り回してくる。

 

 その点からすれば、ジェネシスは対処方法の掴めない、モンスターよりも厄介な存在だった。

 

 

 次の瞬間、進化を遂げたばかりのアヌビスが、ジェネシスを飛び越えて五人に飛び掛かった。主人と《使い魔》の《スイッチ》だ。粗暴なジェネシスからは考えられないようなやり方に、タンクの五人は驚きながらも一斉にガードを固めた。

 

 黒き狼龍の攻撃力は、現段階では高レベル帯にいるはずの五人の戦士が武器と盾で作る防壁を上回っていた。黒き狼龍に()ねられ、五人はそれぞれ後方に吹っ飛ばされていってしまった。

 

 

 そうそう瓦解する事の無いタンクの防壁。それを容易く打ち破るアヌビスに皆が驚いていた。アヌビスは進化する事で強くなったとは予想していたが、俺の予想なんてものを容易に上回る数値に、アヌビスのステータスは到達しているのかもしれない。

 

 だが、それに負けじと立ち向かうのが俺達だった。五人のタンクが吹き飛ばされるなり、アスナとプレミアとリーファの三人が駆けつけ、回復スキルを使用。四人を立ち直らせるなり、続けてリズベットとユピテルが同じく回復スキルを使って、全員のHPをある程度取り戻す。

 

 勿論アヌビスは隙だらけの七人に追撃を仕掛けた。だが、アヌビスが攻撃動作を繰り出すその瞬間、ユウキとカイム、クラインとフィリアの四人がそれぞれアヌビスの左右側面から接敵。

 

 間もなくユウキとカイムの二人が武器に光を宿らせ、アヌビスに斬撃をお見舞いする。

 

 

「これでも喰らえッ!!」

 

「このぉッ!!」

 

 

 ユウキは片手剣で水平に四角形を描くように斬り付け、カイムは左右上方向から下へ斬り抜け、止めに垂直に太刀を振り下ろす連続攻撃を放った。

 

 

 四連続攻撃片手剣ソードスキル《ホリゾンタル・スクエア》。

 

 三連続重攻撃刀ソードスキル《羅刹》。

 

 

 出力の異なる合計七回の連続斬撃がアヌビスに炸裂すると、アヌビスは若干体勢を崩してよろけた。隙を突いて今度は、クラインとフィリアが交替するようにソードスキルをアヌビスの右側面から放った。

 

 

「おとなしくしなさいッ!!」

 

「どうりゃあッ!!」

 

 

 フィリアは目にも止まらぬ速度で短剣を振るう剣舞を踊り、続けてクラインが青い光を纏う刀で突きを交えた連撃を繰り出す。

 

 

 八連続攻撃短剣ソードスキル《ファッド・エッジ》。

 

 五連続攻撃刀ソードスキル《東雲》。

 

 

 四人のソードスキルをほぼ一気に受けたアヌビスは軽い悲鳴を上げてよろめいた。

 

 クラインの放った《東雲》は防御力を貫通してダメージを与えるという効果がある。他の三人のもよく効いたのだろうが、クラインのが一番よくダメージを与えられたようだ。

 

 確かな手ごたえを感じた四人が引き下がろうとしたその時、アヌビスは急に体勢を立て直してその場に踏みとどまった。身体に赤黒いスパークが起こる。

 

 あまりに突然な行動に四人が一瞬気を取られた瞬間、アヌビスは遠吠えをした。耳を塞ぎたくなるような音が周囲に響き渡り、皆の動きが止まるや否、アヌビスの周囲で赤黒い電撃の爆発が起きた。赤黒い電撃を操るアヌビスの、放電爆破攻撃だ。

 

「うわああああッ!!」

 

 爆発はアヌビスを中心に拡散するように巻き起こり、咆吼に足を取られていたユウキとカイム、クラインとフィリアは下から突き上げられるように吹っ飛ばされて宙を舞う。四人が地に落ちて転がったその時、HPが黄色になっていた。

 

 

「……!」

 

 

 一撃であれだけのダメージだと――? 俺達は驚くしかなかった。

 

 四人の装備している防具は決して弱いものではない。強化を繰り返している事によって確かな防御力を発揮しているものだ。だからボスモンスターの攻撃を(しの)ぐ事も容易いのだが、アヌビスの攻撃力はそれらを持ってしても尚、尋常ではないダメージを与えてくるらしい。

 

 間違いなく、アヌビスの強さは俺の予想を遥かに超えた数値に到達している。

 

 

 しかもアヌビスの厄介さはこれで終わっていない。ジェネシスの《使い魔》であるという点が、アヌビスをより厄介な存在へ変えているのだ。

 

 この世界に生息するモンスターの全てにそれ専用のAIが搭載されている。だが、《ビーストテイマー》の使役する《使い魔》には通常のモンスターは勿論、ボスモンスターよりも賢いAIが搭載されるようになっている。主人の命令を聞き、主人を守り、主人を中心に立ち回る必要があるからだ。

 

 そのAIが生み出す動きは、どれも一般モンスターやボスモンスターとは全く異なる。読もうにも読めない動作を平然とやってのけてくるから、戦う際には厄介極まりない。

 

 アヌビスはその厄介な《使い魔》に該当しているから、総合的な強さはステータスの値以上だろう。しかも俺達はボスじゃないから、ボス戦時に掛かる制限を受けずに本来の力を思う存分に振るえると来た。

 

 本当に強いボスモンスターを、俺達は相手にしている。

 

 

「キー坊、アヌビスの強さはオレっちの持ってる情報以上だゾ! 勝てる見込みあるカ!?」

 

 

 さっきまでは結構余裕な様子でジェネシスに警告を促していたのがアルゴだったが、今は少し慌てたような様子で短剣を構えていた。さっきまでの余裕はどうしたと言いたくなったが、それどころではない。

 

 

 アルゴが言うまでもなく、アヌビスの強さは俺達を軽く捻れるくらいのものだ。このまま戦い続けたところで、アヌビスの勝利は確定していると言っても過言ではないだろう。俺達はアヌビスにやられ、ジェネシスにプレミアを奪われて、それで終わりだ。

 

 

 しかし――これは俺にも言える事だが――《使い魔》であるアヌビスにも弱点がないわけではない。《ビーストテイマー》であるジェネシスの存在だ。

 

 これまでもずっとそうだったが、《使い魔》は《ビーストテイマー》が戦闘不能になると行動不能になり、事実上戦闘不能となる。どんなに強い《使い魔》でもこれには逆らえず、《ビーストテイマー》がやられれば無力化されてしまうのだ。

 

 今の俺達ではアヌビスに勝てない。ならば《ビーストテイマー》であるジェネシスを狙い、倒して無力化するしかない。

 

 

 幸い俺にはリランという、アヌビス同様ボス戦の制限を受けずに狼竜の姿を取っていられる《使い魔》がいる。どこまで持つかわからないが、リランとタンクチームにアヌビスの足止めをさせ、遺された者達でジェネシスを仕留めるしかない。

 

 最早これ以外の作戦は思いつきそうになく、俺は咄嗟に皆に指示を下した。

 

 

「リランとタンクとアタッカーの皆、可能な限りアヌビスの足止めをするんだ! ジェネシスにアヌビスを近付けさせるな!!」

 

 

 俺の号令は戦場に木霊していった。聞き届けてくれたタンクチーム、少しのアタッカーチームはもう一度回復スキルを使ってHPを全回復させてから、アヌビスの許へ向かった。

 

 しかし体躯の差があるせいか、リランは皆を飛び越えて先にアヌビスに到達。爪や角だけでなく、全身を利用した攻撃をアヌビスに繰り出していった。リランが攻撃する度に轟音と震動が起こり、脚を掬われそうになったが、それを受けるアヌビスも平然としている事は出来ず、リランに応戦する事に集中し始めた。

 

 アヌビスがリランに攻撃し始めると、ディアベル、エギル、リズベット、ストレア、ユピテルのタンク五人、シリカ、フィリア、レインのアタッカー三人がアヌビスを四方八方から攻撃、動きを止めるように攻撃を繰り出していく。

 

 流石のアヌビスでも九人の一斉攻撃を受けて平気でいられないらしく、その動きはひどく緩慢なものに変わった。

 

 

 ひとまずアヌビスの攻撃が止んだのを見計らい、俺はジェネシスの許へ突進する。その時既に、残されたアタッカーであるシノンとアルゴ、ユウキとカイム、クラインとシュピーゲル、ヒーラーであるアスナ、リーファ、プレミアの皆もジェネシスへ一目散に向かっていた。

 

 ジェネシスは十人という多数のプレイヤーの接敵に晒されていた。だがどうした事か、ジェネシスは全く動じていないような様子を見せているばかりか、目を閉じてさえいた。

 

 

「そうだよなぁ。《使い魔》が強ぇときたら、《ビーストテイマー》を狙うよな。見え透いてんだよ!」

 

 

 かっとその目を開いたジェネシスはその手の大剣に光を宿らせ、回転斬りを繰り出してきた。

 

 

 広範囲攻撃両手剣ソードスキル《ブラスト》。

 

 

 唐突に繰り出されたソードスキルだったが、放たれる直前で俺は急ブレーキをかけてバックステップ。その範囲内から脱出してやり過ごした。

 

 皆の方を見てみても、俺と同じように避けられたようで、誰もダメージを受けていなかった。その様子を一旦見届けてから向き直ると、俺は思わずはっとした。

 

 ジェネシスは片手で頭を抑えるような姿勢を取っていたのだ。

 

 

「あれは……!!」

 

 

 シノンが咄嗟に反応を示す。以前にジェネシスとボスモンスターとの戦いを陰で見ていた時の事だ。

 

 あの時、追い込まれたジェネシスは突然、メニューを開いて閉じるという不可解な行動を取った。戦闘中にも関わらず、だ。

 

 その後は異様な光景の連続だった。ジェネシスは片手で頭を抑え込んだ直後に咆吼して、興奮したようになり、異常なまでの速度と攻撃力を発揮してボスモンスターに連撃を仕掛け、そのまま討伐へ持っていったのだ。

 

 その時と同じように、ジェネシスは片手で頭を押さえている。あれはまさか――。

 

 

「……ぬ、ぬぉぉぉぉぉぉぉぉあぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」

 

 

 次の瞬間、ジェネシスは身体を突然広げ、人間のものとは思えないような声で咆吼した。まるで封印していた何かを解放したかのようなその様子に、皆が驚く。

 

 

「入ってきた、入って来たぜぇ、最高の感覚がよぉぉぉ!!!」

 

 

 眼前に向き直ったその時、ジェネシスはあの時と同様の状態だった。口からは興奮のあまり涎が垂れ、寒くもないのに息が白い。これ以上ないくらいに戦闘に興奮して、攻撃する事に夢中になる、戦闘中毒(コンバット・ハイ)状態になっているのだ。

 

 あのボス戦の時、ジェネシスは発動原理からそもそもの存在理由まで、何もかもわからない何かを使ってこうなっていたが、それはボスモンスターが相手だからだと思っていた。まさか俺達に対してまで使ってくるだなんて。

 

 

「う、うわあああああッ!!」

 

 

 それから間もなくして、後方から多数の悲鳴が聞こえてきた。振り返ってみれば、アヌビスが遠吠えをしながら周囲に赤黒い電撃の竜巻を起こし、タンクチーム、アタッカーチーム、そしてリランを吹っ飛ばしていた。

 

 遠吠えと竜巻の発生を止めたアヌビスが姿勢を戻した時、アヌビスに明確な変化が起きていた。ただでさえ赤いその目は赤い光を放つ球体となり、唇は捲り上げられ、鋭く禍々しい牙が姿を見せていて、涎を巻き散らすのも構わなくなっている。

 

 

 あれもあの時と同じだ。アヌビスもジェネシスと呼応して、異様な状態に突入した。ジェネシスとアヌビスのコンビは、他のプレイヤーでは絶対に見る事の出来ない、あの――。

 

 

「ぐっ、うう!?」

 

 

 ジェネシスを目に入れようとした瞬間、頭の中に《突き上げてくるもの》があった。

 

 目の焦点が合わなくなり、四肢から力が抜けて、何かが意識を塗り潰そうとしてくるような感覚と《衝動》が全身に広がっていく。

 

 

「ぐっ、ああっ……!!」

 

 

 恐れていた事が起こった。あの時ジェネシスとアヌビスの狂暴化に合わせて起こった、俺の異変。

 

 俺の中にいる何かが、俺という殻を内側から食い破ろうとしているような感覚と《衝動》が襲い来ている。得体のしれない何かが俺の中で(うごめ)いている。

 

 ジェネシスとアヌビスと同様に思っていた、正体不明の衝動。未だに何なのかがわからないそれを抑え込もうとして、俺は右手の剣を滑落させ、そのまま右手で頭を抑え込んで地に膝をつく。そうでもしなければ《衝動》は抑え込めなかった。

 

 

「キリト!?」

 

 

 皆の声がした。

 

 それだけじゃない、色々な音がする。

 

 大きな何かがぶつかるような轟音、獣の咆吼のような声がしている。

 

 それなのに、俺の中で蠢く感覚と《衝動》は止まろうとしない。今度こそ俺の頭を食い破ろうと、塗り潰そうとして来ていた。

 

 

 お前は何だ?

 

 

 なんで俺の中にいる?

 

 

 お前は何をしようとしているんだ?

 

 

 

「キリトぉ!!!」

 

 

 蠢くもの、それが(もたら)す《衝動》に尋ねたのと同時に、一際大きな声が聞こえた。

 

 

 その時、俺は宙に浮かんでいた。確かに地面に膝を付けていたはずなのに、宙を舞っている。

 

 

 ――一体何が起きた。疑問を胸に目の前を見ると、一人の男の姿が見えた。血のように赤い髪の毛で、黒い装束に身を包んだ男。俺と同じように宙を舞い、両手剣を思い切り振りかぶっている。

 

 

「クソ雑魚のモブが」

 

 

 男は一言言うなり、両手剣を振り下ろしてきた。男の刃に抉られると、俺の身体は下方向へ急降下。目にも止まらぬ速度で地面に激突した。

 

 視界がモノクロに代わり、肺が潰されるような苦しみに似た不快感が襲ってきて、耳が耳鳴りで潰された。

 

 

「う、ぐぅ……」

 

 

 身体が一気に重くなって、身動きが取れなかった。視界に色が取り戻されると、目の前は赤く染まりつつあるのがわかった。視界の左上に表示されている三本のゲージのうち、最も上にあるものは残量があと僅かになって、視界と同じ赤になっていた。

 

 

 今のは一体、何だ。

 

 俺の身に何が起きた。

 

 

 いつもならばすぐに状況を把握できるというのに、塗り潰してくるような《衝動》が襲ってきているせいで頭の中を動かせない。

 

 ただ、俺は今誰の目から見ても、拙い状態であるというのはわかる。すぐに立ち上がらなければならない。

 

 だが、身体は一向に俺のいう事を聞こうとしなかった。頭の中は相変わらず塗り潰そうとしてくるような《衝動》が突き上げてきて止まらない。

 

 意識が徐々に薄れてきているような気がする。

 

 俺の身体が、俺のものではなくなりつつあるというのか。

 

 

「キリトッ!!」

 

 

 ふと声がして、顔を向ける。そこにいたのは青みがかった黒髪をセミロングに切りそろえた、水色のゆったりとした服装の小さな少女。

 

 

 俺が、俺達が守ろうとしているプレミアだった。

 

 

 彼女はさぞかし心配そうな表情で俺の事を見ている。何とかして大丈夫と答えたかったが、衝動が許してくれなかった。ひとまず俺の危機を察してくれたのだろう、プレミアは右手を上にあげた。

 

 直後に、プレミアを中心に緑色の光で構成された魔法陣が展開されて、俺の身体を柔らかい光が包んできた。

 

 

 範囲回復スキル《ヒーリングサークル》。

 

 

 頭の中も身体も上手く動かなくても、プレミアの使ったスキルはわかった。おかげで戦闘不能間際になっていた俺の《HPバー》は緑色になるくらいにまで回復する。しかしそれでも尚身体の重さと蠢く何かによる《衝動》は取れず、身動きが取れなかった。

 

 塗り潰そうとしてくる《衝動》に抗いながら、俺は遠くを見た。

 

 

 そこで広がっていた光景にぞっとする。

 

 俺の大切な仲間達が、何人も傷だらけになって地面に横たわっているのだ。中には武器を構えて立ち上がっている者も見受けられたが、明らかにその数は少ない。

 

 その立ち上がる仲間達に、容赦なく襲い掛かっているモノがいた。

 

 黒き狼竜と、俺に剣を振り下ろしてきた男が、仲間達を次から次へと襲い掛かっている。とても興奮した様子で、だ。

 

 

「み、んな……」

 

 

 一瞬だけ思考が動きを取り戻し、状況が把握できた。

 

 そうだ。俺は、俺達はあの男と狼竜と戦っている途中だった。

 

 皆が追い詰められている。

 

 今すぐ助けに行かなければ。

 

 

 そう思おうとする俺の思考を、蠢くものが塗り潰そうとしてくる。これのせいで、俺は身動きを取る事も出来なければ、思考を巡らす事も出来ない。最低限の行動さえもとれないのだ。

 

 黒き狼竜の顔がこちらに向いた。真っ赤な光を放つ眼光を放つその目が、動けない俺と寄り添うプレミアを補足していた。口元からは凶悪な牙が覗いていて、興奮しきっているように涎が垂れている。あの牙に仲間達はやられたのだろう。

 

 そして今、それが俺とプレミアに向けられているのは一目瞭然だった。

 

 このままでは俺はともかく、プレミアがあの黒き狼竜の攻撃に晒される。

 

 華奢なこの娘があんなものの攻撃に晒されようものならば、一瞬にして終わりだ。

 

 

「プレ、みあ……」

 

 

 逃げてくれ――そう伝えようとした瞬間に、黒き狼竜は俺達に飛び掛かってきた。唇を捲り上げた黒き狼竜が数秒足らずでぐんぐんと近付いてきたその時、突然轟音と共に俺の視界から消えた。

 

 驚きながら視線を右方向にやってみると、白金色の毛並みを持つ狼竜が、黒き狼竜に覆いかぶさるように拘束していた。

 

 俺の《使い魔》であるリランだ。どうやら彼女はこの戦況の中で戦闘不能にならないでいたらしい。

 

 

《行かせるか、お前如きに……!!》

 

 

 塗り潰してくる《衝動》と一緒に《声》が頭の中に響いたが、直後に轟音が掻き消す。黒き狼竜がものすごい力でリランを押し返したのだ。

 

 リランを地面にひっくり返させると、そのまま黒き狼竜は右手を振りかぶり、思い切りリランの腹に叩きつけた。臓腑(ぞうふ)に届くような震動が地面に伝わり、リランは声にならない悲鳴を上げる。《HPバー》は急速にその残量を減らし、黄色へ変色を遂げていた。

 

 

「り、ラン……」

 

 

 錘が付いたように重い右手を、俺はリランへと伸ばす。このまま戦ったところでお前じゃ勝てない――そう言いたかったけれど、声がうまく出せなかった。その中、リランはもう一度振り下ろされてきた黒き狼竜の右手の一撃を転がって回避する。

 

 黒き狼竜の右手が地面を砕いた瞬間に体勢を立て直し、お返しと言わんばかりに殴り掛かった。

 

 リランは明らかに黒き狼竜は隙を突かれていた。だが、あろう事か黒き狼竜は目にも止まらぬ速さでリランへ向き直り、繰り出されてきた一撃を左手で防いでみせた。

 

 一体何が起こった――リランも思ったであろう事を思おうとしたその時、黒き狼竜は瞬時に咢を開き、リランの首根っこに喰らい付いていた。

 

 

「!!」

 

 

 首元に牙を立てられたリランが悲鳴を上げると、黒き狼竜はリランを黙らせると言わんばかりにその身体を振り回し、地面に何度も何度も叩き付けていった。

 

 地面にリランがぶつかる度にその《HPバー》は減っていき、残量は赤に染まるくらいになった。

 

 

「りら……や……めろ……」

 

 

 やめろ、リランに手を出すな。

 

 リラン、お願いだ、逃げてくれ。

 

 

 何度も言おうとしているというのに、俺の喉は言葉を発する事が出来ず、俺の内側から湧き上がる《衝動》に塗り潰されつつあった。

 

 

 こんな事をしている場合じゃない。

 

 あの黒き狼竜を止めて、相棒を助けなければ――。

 

 

「うあぐっ!!」

 

 

 そう思った瞬間、《衝動》による塗り潰しは大きくなった。

 

 眼前の赤みが強くなり、目に見えるものすべてが赤く見えるようになる。鼓動が早くなり、心臓が口元にせり上がっていると感じるくらいに大きくなった。鼓動以外の音が聞こえにくくなっている。

 

 

 思考を回そうとしても、《衝動》が大きくなりすぎて回そうにも回ってくれない。意識をどんどん《衝動》が塗り潰そうとしてきている。

 

 

 このままでは拙い。

 

 なんとか抗わなければ。

 

 

「……!」

 

 

 薄くなっているような気がする意識の中で、俺は奇跡的にあるものを思い出せた。

 

 

 そうだ、こうなった時のために用意しているものが、俺にはある。

 

 それは愛する人が俺に贈ってくれたもので、こうなった時は真っ先にそれを見つめるように決めていた。

 

 それを見ればきっとこの衝動だって収まり、俺の身体は取り戻されるはず。

 

 これがこの《衝動》を抑える最後のチャンスだ。

 

 

 思いつつ、俺はそれのある右手首に目をやった。

 

 

「……あ」

 

 

 声が漏れたのさえ気付かなかった。

 

 

 そこには何もなかった。

 

 

 右手首に何もなかった。

 

 

 何もはまっていない右手だけが存在していた。

 

 

 嘘だ。

 

 

 確かにあるはずだ。

 

 

 そのはずなのに、何故ない。

 

 

 この《衝動》さえも抑え込んでくれるお守りが――。

 

 

 次の瞬間、もう一度地面が縦に揺れた。鼓動に混ざって重い音が聞こえ、俺は何とかそこに目をやる。

 

 リランが宙に打ち上げられていた。黒き狼竜の顔が近くにある事から、黒き狼竜がリランを思い切り地面に叩き付けて、打ち上げたのだ。

 

 世界がスローモーションになっているかのように遅く感じられ、リランの身体はゆっくりと空へ上がっていく。

 

 その尻尾の近くに、人影が認められた。大剣を構えた黒い装束の剣士だ。

 

 剣士はリランの尻尾を目の前にしてジャンプしており、思い切り大剣を振りかぶっていた。

 

 

「ぁ……」

 

 

 その時、鈍くなっているはずの俺の頭の中はフル回転し、次に映る光景を導き出していた。

 

 

「あ……!!」

 

 

 

 まさか。

 

 まさか、あいつがやろうとしている事は。

 

 

 やめろ。

 

 やめろ、やめろ。

 

 やめろ、やめろ、やめろ。

 

 

「やめろ――――――――――――ッ!!!」

 

 

 俺が叫んだ瞬間には、剣士はその刃を振り下ろしていた。宙を舞うリランの、先端が大剣のようになっている尻尾に鋭利な線が生じ――

 

 

 ――リランの身体から、離れた。

 

 

「――――――ッ」

 

 

 相棒の尻尾が両断される光景を見たその時、俺は叫んでいた。

 

 しかしその声は聞こえなかった。

 

 

 俺の視界が真っ赤に染め上げられて、全てが塗り潰された。

 

 

 

 俺を塗り潰した赤は、一瞬のうちに白へ変色を遂げた。

 

 

 

 白は俺の全てを包み込んだ。頭の中も、感覚も、身体も、何もかもを包み込んでいく中で、声がした。

 

 

 

 

 

 ――守らなくては――

 

 

 

 

 ――守らなきゃ――

 

 

 

 

 その声の主はわからなかった。

 

 

 白は包んだ。

 

 

 

 俺の存在自体を確定させているもの全てを、真っ白に染め上げた。

 

 

 

 

 

 

























 ――わかる人はわかる――

 ・キリト、ヤベーイ。

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