キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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 種明かし。


 


14:器求む世界守る意志

          □□□

 

 

 

 

 病院で検査を受けた後、和人は無事に家に帰る事が出来る事が出来た。途中で詩乃の家に立ち寄って休んだというのがやはり効いたようで、帰路は和人の予想以上に軽いものとなっていた。

 

 自分の部屋のベッドへ駆け込み、アミュスフィアを使用する事なく眠りに就くと、ぐっすりと深い眠りの中に落ちる事が出来て、翌朝になってみれば調子は元に戻っていた。

 

 しかしそれでも直葉はかなり心配した様子を見せていて、ログインは控えた方がいいのではないかとも言ってきた。が、和人にはどうしても確認したい事があり、それを放っておく事は出来なかった。

 

 何かあったらすぐにログアウトするからと直葉と約束をして、和人は一晩使わなかったアミュスフィアを起動、《SA:O》へログインを果たしたのだった。

 

 

 若干の浮遊感に包まれた後に目を開ける。周囲に広がっていたのは木材が天井、壁、床を作っている内装だった。近くには同じく木材で作られている大き目のベッドが二つ。間違いなく、そこは和人/キリトが手に入れたログハウスの二階、寝室の中だった。

 

 居場所を確認したキリトはすぐに自分の両手に目をやった。指を一本一本動かし、動作を見る。指はまともに動いてくれた。続けて脚や胴体などを動かしてもみたが、やはり自分の思った通りに動いてくれていた。

 

 ちゃんと自分の身体が自分の言う事を聞いて動く――当たり前がちゃんと当たり前になっている事に、キリトは深い安堵を覚えた。続けてキリトはウインドウを呼び出し、アイテムの中から手鏡を呼び出して具現化させ、自分の顔を映し出した。

 

 SAOの時からずっとコンバートしてきているために、現実の自分自身とほとんど変わりのない顔が映る。目の色を確認してみたところ――ちゃんと黒色だった。

 

 

「大丈夫だったか……」

 

 

 再度安堵して、キリトは手鏡をストレージの中に戻した。前のログアウトの際、自分の目の色は血のような赤色に染まっていたと聞いた。もしかしたらアバターの目の色がその色で固定されてしまったのではないかとも思っていたが、どうやらそんな事にはならずに済んだらしい。

 

 そして自分の身体はやはり自分自身で動かせるものになっている。誰のものでもなくなっている。その事を改めて確認してから、キリトは部屋の出口へ向かった。ドアを開けたその時、下の階から複数の人の気配が感じられた。およそ五人くらいが一階にいるらしい。

 

 この世界でのキリトの家という事になっているのがここだが、一階は皆との集会所として使っているから、人がいてもおかしくはない。それにそもそもキリトが居ない間もユイ、ストレア、リランが生活に使っている。恐らく彼女達が人影の正体だろう。そう思いながら、キリトは階段を下り、一階に降りる。

 

 

「あ、パパ!!」

 

()()ッ!!」

 

 

 一階に足を踏み入れたその時、複数の声が一斉にキリトを呼んで来た。間もなくぞろぞろとキリトの目の前に声の主達が集結し、キリトを驚かせた。やってきたのはユイ、ストレア、プレミア、リランの四人であり、その誰もが心配そうな顔をしていた。

 

 

「や、やぁ皆。おはよう」

 

 

 ぎこちなく朝の挨拶をするキリトに、まっしぐらに詰め寄ったのはリランだった。リランはキリトの両肩に手を乗せ、軽く揺さぶりをかける。

 

 

「和人、無事か!? どこか悪くないか!? あれからどうだった!?」

 

「り、リラン……あっ!」

 

 

 いきなりの質問攻めにキリトは戸惑ったが、すぐさまハッとした。頭の中に昨日の出来事がフラッシュバックしてくる。

 

 昨日のジェネシスとの戦いの時、狼竜形態となっていたリランはジェネシスとアヌビスに追い詰められ、尻尾を切断されてしまった。あの戦いで誰よりも重傷を負ったのがリランだった。思い出したキリトはリランの手を振り払い、その肩に手を乗せ返した。

 

 

「リラン、お前こそ大丈夫だったか!? 昨日お前、ジェネシスに……!」

 

 

 リランは一瞬きょとんとしたような顔をしたが、次の瞬間にキリトを驚かせる事となった。今にも泣き出してしまいそうな顔に、リランはなったのだ。その顔のまま、リランは呟くように言った。

 

 

「……自分があんな事になってたのに、わたしの心配をするなんて……あなたで間違いないね、和人……」

 

 

 一瞬だけ素に戻ったリランに思わずキリトは「え?」と言ってしまった。説明をするかのように、ストレアが声をかけてくる。

 

 

「リラン、あれからずっと和人……キリトの事を心配してたんだよ。キリトがおかしくなっちゃって、元に戻らなくなったかもって。アタシ達だってそう思ったんだよ。そう思って……」

 

「ずっとパパの事を、心配してたんですから……」

 

 

 ストレアの隣にいるユイもまた、今にも泣きそうな様子だった。病院で会ったシノン/詩乃は心配そうな様子だったから、悪い事をしてしまったなとは思っていた。

 

 だが、心配をかけさせていたのはここにいる全員だ。詩乃だけではなく、リランも、ストレアも、プレミアも、ユイも、皆揃って自分の事を心配していた。

 

 特にユイは父親が異常事態になったと聞いていても、その様子を今日まで見る事が出来なかったのだ、さぞかし辛い思いをしていたに違いない。

 

 キリトはそっとユイの華奢な身体を抱き寄せて、その頭をゆっくりと撫でた。

 

 

「ごめんなユイ。心配かけさせて、悪かったよ。リランも、ストレアも、プレミアも」

 

 

 そう言うと、周囲の娘達の顔に小さな笑みが浮かんだ。ひとまず安心する事が出来たという意思表示だった。

 

 

 しかしそれからまもなくして、娘達の一人であったプレミアがユイと同じようにキリトへ歩みより、その体重を預けてきた。

 

 

「プレミア?」

 

「キリト、本当に無事で良かった……キリトはわたしを守ってくれて……でも、様子がおかしくて……全然来てくれなかったのですから……」

 

 

 身体に顔を埋めてくるプレミアからの言葉に、キリトは若干の意外さを感じていた。ユイ、ストレア、リランの三人が心配してくれていたのはわかったが、その中に彼女達とは異なったAIであるプレミアも含まれていたのだ。

 

 最初は無機質な機械のようだったプレミアが、いつの間にか自分を心配してくれるようになっている。プレミアもそのような事ができるようになったと喜べる反面、余計な心配をかけさせたというすまなさも感じ、キリトは左手でプレミアの髪を撫でた。

 

 

「心配してくれてありがとう、プレミア。俺はもう大丈夫だよ」

 

 

 プレミアはうんうんと頷きながら、キリトに顔を擦り付けた。

 

 その直後だ。キリトの頭の中に、この娘達に聞きたかった事が蘇ってきた。そうだ、自分がここに来た理由は娘達に会うため、ログインした自分が大丈夫かどうか確認するため、そして――。

 

 その最後の目的を思い出そうとしたところで、部屋の中央付近から聞き覚えの声が届けられてきた。

 

 

「キリト君」

 

 

 思わず反応してそこを見る。テーブルのある部屋の中央付近から、歩いてくる人影があった。

 

 ユイのように黒い長髪、ストレアのような大きめの胸、リランのような赤茶色の瞳が特徴的な、白いコート状の装備を纏い、頭に黒いカチューシャをつけている女性。

 

 彼女達の開発者であり、自身の恩師であるイリスだった。その姿を目にいれるなり、キリトは軽く驚く。

 

 

「イリスさん、なんで?」

 

「朝にユイから非常用回線を使った連絡があったんだ。キリト君に尋常じゃない事が起こったから、《SA:O》にログインして会いに来てくれってね。ユイからのお願いと来たら断れないし、キリト君の事が心配だったから、来たんだよ。今日はたまたま仕事が休みだったのも丁度良かった」

 

 

 キリトは胸元のユイを見下ろした。ユイは顔をあげて、頷いてみせる。イリスの言っている事に間違いはないという主張だった。イリスはキリトの側まで来て、両手を自身の腰に添えた。

 

 

「さてさてさーて、キリト君。ユイ達からある程度話は聞いてるんだが、詳しくはまだ理解できてないんだ。昨日何が起きたか、できるだけ詳細に話してくれないかい」

 

 

 キリトはイリスがいたと思われる部屋の中央へ行き、ダイニングテーブルとしても使っている切り株のテーブルに備え付けられた椅子に腰を掛けた。全員が同じように座ったのを確認してから、昨日の病院での検査の結果をありのまま話した。

 

 話の途中、ユイ、ストレア、リランは驚きの声を上げるなどしたが、イリスは険しい顔をしたまま何も言わず、キリトの話を聞き続けた。プレミアも黙って聞いていたが、顔を心配そうなものから変えるような事はなかった。

 

 そして話が終わったその時、イリスはようやくその口を開き、深い溜め息を吐いた。

 

 

「守らなきゃっていう衝動が来てからの意識の喪失……キリト君の意識がないにも関わらずアバターは動き続け、目は赤くなっていて、異常な攻撃力と敏捷性を発揮していた……か」

 

「シノンが言うからには、俺の意識がなくなってた時、そうだったって……」

 

「そしてキリト君はログアウトした時、アドレナリンとノルアドレナリンの異常な過剰分泌による身体的疲労になっていた。……医者は確かにそう言ったんだね」

 

「俺の脳を調べたら、それで間違いないって……俺がそうなったのは、俺がデジタルドラッグを使ったとしか思えないそうで……」

 

 

 イリスがもう一度溜め息を吐くなり、ユイが大きな声で言う。

 

 

「あり得ません! パパのアミュスフィアはわたし達が見てます!」

 

「キリトのアミュスフィアには、デジタルドラッグなんてないよ! アタシ達、この目でちゃんと見てるんだよ!?」

 

 

 ユイとストレアの抗議はもっともだった。

 

 キリトは彼是(かれこれ)何回もユイ、ストレア、リランにアミュスフィアのシステムや機能のスキャニングを依頼して、ウイルス感染や害悪プログラムが存在していないかどうかを見させている。

 

 もしアミュスフィアの中にデジタルドラッグのような不正プログラムがあるならば、即座に彼女達が見つけ出して削除にかかり、結果を教えてくれるのだ。

 

 だが、そのスキャニングの中で、これまで彼女達がアミュスフィア内で不正プログラムを発見した事はなく、いつもキリトのアミュスフィアは何にも侵されていない、健全なVR機器だと教えてくれる一方だった。

 

 嘘を吐かないで真実を伝えるのが特徴である彼女達だからこそ、キリトはその言葉を信じ、アミュスフィアを使ってきていた。その娘達の主張に、イリスは頷いてみせていた。

 

 

「うん、ユイ達がそう言ってるって事は、それで間違いない。ユイ達の開発者として保証できるよ」

 

「でも俺は、デジタルドラッグを使ってて間違いないって……」

 

 

 イリスはいつの間にか展開していたウインドウを、指先でつついていた。中身を見る事はできないが、キリトが言った事がすべてメモされているに違いなかった。そのメモウインドウを見つめてから数秒後、イリスは目線をキリトへ戻した。

 

 

「……キリト君の検査に当たった医師の言うとおりだ。キリト君の身体に起きた症状は、《クリムゾン・ハイ》の使用者のそれによく似ている」

 

「《クリムゾン・ハイ》?」

 

 

 コンバット・ハイ、クライマーズ・ハイに似ている気がしない事もない単語の登場にキリトは首を傾げた。すかさずイリスが説明を施す。

 

 《クリムゾン・ハイ》とは、匿名のユーザーが作り上げたデジタルドラッグの一種だ。巷で横行しているデジタルドラッグはノルアドレナリンを過剰分泌させ、心地よい幻覚や幻聴を意図的に引き起こす代物だが、この《クリムゾン・ハイ》はノルアドレナリンに加えて、アドレナリンの異常分泌も引き起こさせる作用を持っている。

 

 アドレナリンが過剰に分泌されると、人間は闘争能力を引き出されて攻撃的になり、人によっては狂暴な獣のようになる。この狂暴な状態を作り出すのが《クリムゾン・ハイ》であり、これによって使用者は通常では考えられないくらいの攻撃力や敏捷性や感覚を得て、普通では出来ない所業をやってのけれるようになるのだ。

 

 

「てっきり君は知ってると思ってたけど、そうでもなかったみたいだね」

 

「そんなものがVRMMOで横行してるんですか」

 

「そうさ。と言っても、こんなものを使おうものならば、身体に大きな負担がかかってアミュスフィアが異常を検知、強制ログアウトがかかる。そして強制ログアウトさせられた使用者は、高確率でアドレナリンとノルアドレナリンの過剰分泌を起こしているんだよ。それこそ、昨日の君みたいにね」

 

 

 キリトに目を向けたまま、イリスは少し強くウインドウを指で叩いた。

 

 

「しかし、《クリムゾン・ハイ》は使用者の闘争能力を異常に高めるものでしかない。使用者が意識不明になっているにも関わらずログアウト処理がなされず、アバターは目を赤く光らせて、異常な攻撃力を発揮して暴れまわるなんて話は聞いた事がないし、ありえないよ。だから、キリト君のは《クリムゾン・ハイ》によるものでもなければ、そもそもデジタルドラッグによるものでもないと言える」

 

 

 やはり詩乃を、自分を今日まで診続けてくれたドクターであるためか、イリスからの診断は昨日の医師よりも信頼できた。しかし、それでもキリトの中にある、得体の知れないモノへの不安と恐怖は消えていかなかった。イリスは肝心な事を話してはいないのだ。

 

 

「じゃあ、俺のは一体なんなんですか。何かわかりませんか、愛莉先生」

 

「……」

 

 

 思わず愛莉という本名で呼んでしまったが、イリスは特に何も気にしていない様子で、ウインドウに目を戻していた。十数秒ほど黙りこくってから、イリスはあるところへ目を向けた。追ってみれば、そこにはリランは座っていた。

 

 

「リラン、私よりも君の方が思い当たるものがあるんじゃないか」

 

「え?」

 

 

 キリトは驚きながらリランに向き直る。ユイもストレアも、プレミアさえもリランに目を向け、驚いているような顔をしていた。

 

 そしてリランは、苦虫を噛み潰したような表情をしている。イリスの言った事はリランの図星だったらしい。

 

 

「リランお前、何かわかるのか」

 

 

 身体を向け直して尋ねても、リランは口を開けなかった。重い何かがリランの唇を塞いでしまっているかのようだった。余程リランは口を割りたくないのだろう。

 

 しかし、リランが何か知っているならば、ここで止まるわけにはいかない――キリトが意を決して再度尋ねようとしたその時だった。

 

 

「……あの戦いのお前を見た者は、つくづく言っていた。あの時のキリトは、アインクラッドで暴走した我のようだった、とな」

 

 

 リランの口から出た話は、シノンから既に聞いている。

 

 シノンはあの時の自分が、暴走したリランに似ていて仕方がないと言っていた。そしてそれを、キリトは否定できなかった。暴走した時のリランは、目を赤く光らせながら、異常な攻撃力を発揮していたのが最大の特徴であったのだから。

 

 その時のリランを思い出すと、背筋に寒気が走るが、我慢してキリトはリランに問うた。

 

 

「あの時のお前は確か、ホロウアバターっていう防衛機構を吸収してしまってて、そのホロウアバターの防衛本能に支配されて、あんなふうになったんだっけか」

 

「そうだ。あの時我の意思は存在していなかった。ただ《防衛機構》の本能のまま、世界を汚し、破壊しようとするものを殺す事だけに夢中になっていた。そして……それはこの世界でも生き続けている」

 

 

 キリトは思わず驚いたが、それはキリト一人だけだった。ユイもストレアも、イリスもすでに理解しているかのような素振(そぶ)りを見せている。プレミアは何が何だかわからないような様子だった。

 

 

「この世界で生きてるって、どういう意味だ」

 

「そのままの意味だ。あの時我をあぁしたものは、この世界でも生き続けているのだ」

 

 

 その一言にキリトはぞっとする。リランを暴走させたのはアインクラッドの防衛機構であるホロウアバターだ。しかしそれは既に取り除かれ、リランはあの時のようになる事はなくなった。ホロウアバターもアインクラッドと共に消滅した。

 

 そのはずなのに、あのホロウアバターがこの大地で生きているというのか。

 

 

「どういう事なんだよ。ホロウアバターが生きてるって……」

 

 

 そこでイリスが再び説明を始めた。

 

 ホロウアバターは確かに滅んでいるが、世界を守るための防衛機構そのものは生きている。それは元来カーディナルシステムそのものに搭載されているモノであり、ザ・シードを使っているゲームならば、世界を守るという使命のために必ず存在しているのだ。

 

 しかしこの防衛機構は本来肉体や器を持っておらず、器となるモノが無ければ動く事も、使命を果たす事も出来ないようになっている。だからこそSAOではホロウアバターという器が用意されて、防衛機構はちゃんと動けていた。

 

 ――というのがイリスから説明だった。

 

 

「ホロウアバターが、器?」

 

「そうだよ。防衛機構はその世界を守るために必要不可欠なものでね、カーディナルシステムに元から備わってるものだ。そしてそれは、バランスブレイカーって言えるくらいのものすごい力を持っている。このバランスブレイカーな防衛機構があるおかげで、カーディナルはいざとなった時に、世界を脅かす存在を除去する事が出来るんだ。

 けれど、防衛機構にはリランやユイ達みたいな身体はない。身体になる器がないと、防衛も何もできないんだ。そのために用意されたのがホロウアバターだったんだけれど、それを知らないでリランが吸収してしまっていた。だからあの時リランは防衛機構に呑み込まれて、暴走してしまったんだ」

 

「そしてこの防衛機構は、勿論この世界にも存在していて、何げなく利用されています。それが《使い魔》の特性です」

 

 

 イリスの説明を引き継いだのはユイだった。

 

 リランは超高性能AIだからそうではないけれども、この世界にいる《ビーストテイマー》の《使い魔》の一部には主人が危機に陥った時、覚醒したかのように強い力を得て、主人を脅かす敵を排除するようになるという特性が組み込まれている。そのおかげで、《使い魔》達は時に尋常じゃない力を発揮し、主人を守る事が出来る。

 

 この特性の正体こそがカーディナルの防衛機構だ。この特性とは、《使い魔》がカーディナルの防衛機構を呼び出し、自身を防衛機構の器に変えて支配させて、防衛機構の思うがまま力を振るうというものなのだ。

 

 カーディナルの防衛機構を利用する事でジェネシスの《使い魔》であるアヌビスが、ジェネシスが危機に陥った時に狂暴化するのはそのためであり、狂暴化した時のアヌビスの目が赤く光るのは、防衛機構の器になっている証拠である。

 

 そこまで話したところで、ユイは一旦話を区切った。そのタイミングで、キリトは口を開けるようになった。

 

 

「つ、《使い魔》にそんなシステムが組まれてたなんて……って事は、この世界では《使い魔》達こそが、アインクラッドでいうホロウアバターなのか」

 

「そうなります。本来防衛機構はそのような事に使用するべきではなく、ちゃんとした器を用意した方がよいのですが、《使い魔》を強くさせられるという事で、このゲームの開発は防衛機構の流用を考えたようです」

 

 

 ユイの説明が終わるなり、その開発者(ははおや)が呆れたように両掌を広げる。

 

 

「もっとも、このゲームの開発がカーディナルシステムに対して手を出せたのはその程度で、カーディナルシステムの根幹のブラックボックスは不動のようだ。まぁ茅場さんと私たちの最高傑作がカーディナルシステムなわけだから、解析できなくて当然だけどね」

 

 

 イリスから聞いた話によれば、このカーディナルシステムを作ったのは茅場晶彦と、アーガスのプログラマーの精鋭達だそうだ。そのプログラマーたちのチーフであり、茅場晶彦の右腕であったのがこのイリスだから、カーディナルも事実上イリスの手によって作られたものと言えるだろう。だからこそ彼女はこんなにもカーディナルシステムに詳しいし、その娘達も同じように詳しいのだ。

 

 

「それで、それと俺と何の関係があるんだ。カーディナルの防衛機構はあくまで、《使い魔》たちに流用されてるだけ。アヌビスの強さはカーディナルの防衛機構のおかげ。それと俺のあれの関係は?」

 

 

 その時、キリトは強い眼光を感じた。何か、鋭い目をしたものがこちらを見ている。SAO、ALOでも感じる事があった感覚だ。その根源はすぐに見つける事が出来た。

 

 イリスが鋭い目をしながら、こちらを見ていたのだ。

 

 

「……ここからはあくまで仮定なんだけどさ。既に言っている通り、この世界のカーディナルシステムは、かつてSAOで使われていたものを完全流用したものだ。防衛機構もSAOの時から使われているモノなんだよ」

 

「……それが?」

 

「もしもこの世界で稼働するカーディナルの防衛機構が、当時の器の事を覚えていて、その器を今でも探してるんだとしたら? そしてその器の因子を持っていたモノを発見した場合、それを最優先の器にするようになっているのだとしたら?」

 

 

 思わずキリトは「は」と言ってしまった。イリスは時に突拍子もなく、難解な事を言い出す事がある。今もそれであるとしか思えないし、その意味を理解する事も出来なかった。

 

 

「因子? 因子って何の事ですか」

 

「簡単に言えばホロウアバターの欠片みたいなものかな。ホロウアバターを構成していたデータの欠片が存在していて、それが多く蓄積しているモノを防衛機構は器と勘違いし、取り憑くようになっている……私はそう考えてるんだよ」

 

「何が言いたい?」

 

 

 リランの問いかけを受けても応えず、イリスはキリトに言った。

 

 

「SAOの時に防衛機構の器になっていたホロウアバターの欠片がキリト君の中に蓄積している。それによって防衛機構はキリト君を器に選び、キリト君はプレイヤーでありながら、カーディナルの防衛機構の器になっていた」

 

 

 イリスの言葉が部屋中に届くなり、その場の全員が戸惑いの声を上げた。キリトは椅子に縫い付けられてしまったかのように身動きが取れなくなり、声を出す事さえもできなくなった。俺がカーディナルの防衛機構の器――? 胸の中に疑問を抱いたキリトの傍らで、ストレアが挙手するように言う。

 

 

「ど、どういう事なの、それ!? キリトが防衛機構の器って!?」

 

「キリト君が経験した症状と、その後のキリト君の強さと様子。それは全部カーディナルの防衛機構が器を手に入れて動き出した時のものによく似ている。少なくとも私はキリト君が器になったとしか思えないよ」

 

 

 イリスは冷静さを崩さなかった。そのイリスに反抗するように、リランが立ち上がる。

 

 

「そんな事がありえるか! キリトはプレイヤーであって《使い魔》ではない。それにホロウアバターの欠片とやらが実在しているのであれば、蓄積しているのはかつての防衛機構の器だった我のはずだ。何故我ではなくキリトがそうなる!?」

 

 

 気付いた時、リランの言葉をキリトは肯定していた。

 

 かつてホロウアバターを取り込み、防衛機構の器になっていたのはリランだ。今はそれが取り除かれてはいるものの、もし欠片が残留しているのだとしたら、やはりリランに沢山残されているはず。

 

 それなのに、どうして自分にその欠片が多く残留しているというのか――胸の内から溢れ出そうなキリトの疑問に答えるかのように、イリスはリランに言った。

 

 

「リラン。君はホロウアバターをまだ取り込んでいた時にも、自分の能力をプレイヤー達に使ってたよね」

 

「……使っていたとも。あの時は苦しむプレイヤーが沢山いたからな。我らの使命はプレイヤー達の精神や心を治療する事……忘れたとは言わせぬぞ」

 

「そうだね。じゃあ君が力を使うたびに、君の中にあるホロウアバターのデータの欠片がプレイヤー達の中に流れ込んでいたのだとしたら、どうだね」

 

 

 リランは驚きのあまり言葉を失う。ユイもストレアも、黙り込んだままイリスを見ているだけだった。娘達の注目を浴びながら、開発者は話をする。

 

 

「当時のリランのデータは混沌(カオス)そのものだった。あらゆるデータが細かく裁断されて混ざり合い、リランの中に存在していたんだ。勿論それにはホロウアバターのデータも含まれている。そんな君がプレイヤーに対して力を使おうものならば、対象者のナーヴギア、アバターデータに君の中のデータの欠片が流れ込んだとしても不思議ではないよ」

 

 

 イリスは鋭い目つきでリランを見つめた。赤い瞳と赤茶色の瞳が交差する。

 

 

「リラン。君は沢山のプレイヤーに力を使ったけれど、その中で最も回数が多かったのは誰だい。君は誰に一番多く力を使った?」

 

 

 リランと同じようにキリトもぎょっとした。リランはアインクラッドで沢山のプレイヤー達にその力を使ってきたが、その中でずば抜けて回数の多いプレイヤーはいる。そのプレイヤーの容姿、名前を一瞬のうちに思い出し、キリトは口にしていた。

 

 

「……シノン」

 

 

 リランはシノンが発作を起こすたびに力を使い、鎮静化させてきた。その回数はその他のプレイヤーと比べて遥かに多い。そしてイリスの話が本当なのだとすれば――キリトが次に言い出す前に、イリスが遮ってきた。

 

 

「キリト君。君はシノンと最終的に何をしてどうなった?」

 

「俺はシノンと……頭の中を繋げて……記憶を共有して……意識を取り戻させて……」

 

 

 そこまで言ったところでキリトは思いついた。感付いたかのように、イリスが静かに言った。

 

 

「君はその時にシノンの中に蓄積したホロウアバターのデータの欠片を取り込んだ。結果として君が最もホロウアバターに近しい存在となり、カーディナルの防衛機構は君を器に最適な存在と認識し、君を動かすようになった。それが昨日の君の異変の正体……と、私は考えたよ」

 

 

 キリトは俯き、ごくりと息を呑んだ。俺は気付かない間にかつてのカーディナルシステムの防衛機構の器の欠片を取り込んでいて、昨日カーディナルの意志に支配されていた――信じたくはなかったが、イリスの言葉を否定する事も出来なかった。やがて戸惑っていたユイが開発者に言葉を掛ける。

 

 

「じゃ、じゃあパパの身体に起きていたものはなんですか。パパはイリスさんの言う《クリムゾン・ハイ》に酷似した症状を起こしていたのは、なんなんですか」

 

「それは多分カーディナルシステムによるものだろう。普通のプレイヤーでは防衛機構の器を全うするには不十分だ。防衛機構の発動に充分耐えられるようにするために、キリト君の脳内物質の分泌をデジタルドラッグ使用時のそれに近くしたのかもしれない。キリト君の意識がその時になかったのは、キリト君の意識や感情が防衛機構の使命の発動に邪魔で、封印を施したからだろう。現にリランも防衛機構に呑まれた時は、意識がなかったみたいだしね」

 

 

 まるで他人事のように言うイリスに、ユイもストレアも、リランさえも明らかに怒りを見せていた。しかしプレミアだけはそうではなく、少しだけ戸惑っているような様子でイリスに声を発した。

 

 

「……正直、イリスが何を言っているのか、よくわかりません。けれど、このままではキリトは危険なんですよね。どうにかする方法はないのでしょうか」

 

 

 プレミアの気にしていた事は、キリトも思っていた事だ。カーディナルの防衛機構に器にされ、呑み込まれると、ノルアドレナリンとアドレナリンが異常分泌する状態となり、身体に強い負荷がかかり、最終的に命を削られる。防衛機構に呑み込まれるのは、生命の危機と同じなのだ。

 

 キリトの代わりに尋ねてきたプレミアを見るなり、イリスは頬杖をついた。

 

 

「確かにカーディナルの防衛機構に呑み込まれた時のキリト君は危険な状態となる。きっとカーディナルはキリト君を器とみなし、これからも防衛機構の発動をけしかけてくる事だろう。けれどね、これはチャンスでもあるよ」

 

「チャンス……?」

 

「カーディナルの防衛機構の器になった時、キリト君のステータスは他のプレイヤー達とは比べ物にならないくらいの数値になる。もしこの状態をキリト君が使いこなせるようにあれば、どんな凶悪な奴が来たところで、太刀打ちできるようになるよ。どうだね、キリト君」

 

 

 キリトはかっと顔を上げた。確かにイリスの言う通りだ。あの時自分は意識を失っていたけれども、異様な力を発揮しているジェネシスと、同じ防衛機構の力を得たアヌビスを押し返したと聞いている。

 

 もしこの力を使いこなせるようになれば、今後の攻略でどんな敵が来ても平然と倒せるようになるだろうし、もう一度ジェネシスと戦う事になっても、容易く叩き伏せられるようになるだろう。圧倒的なステータスが手に入るのだから、イリスの言っている事は一理ある。

 

 

 だが、キリトはそうなりたいとは思えなかった。カーディナルの防衛機構の器になるのは、プレイヤーでは本来あり得ない現象であり、そこで発生するステータスの急上昇も、不正なプログラムを使っているのと何ら変わりない。カーディナルの防衛機構を使いこなすのは、最悪のチートの常習者になるのと同じだ。

 

 

 そんな力なんかいらない。

 

 カーディナルの防衛機構の器なんて、いらない。

 

 

 キリトは首を横に振り、イリスに応じた。

 

 

「……嫌です。俺はそんなものを使いたくありません。チートを使うのと同じじゃないですか」

 

 

 イリスは一瞬驚いたような顔をしたが、すぐに納得したような表情になる。

 

 

「……そう言うと思った。君は誠実な子だからね、そんなチートに手を出さない事はわかってたよ。第一、使いこなせるかどうかもわからないからね」

 

 

 直後にイリスは顔の前で両手を組み、もう一度鋭い眼光をキリトに向けた。

 

 

「けれどキリト君。君がそう言っても、カーディナルが君を防衛機構の器に選んでしまっている可能性は依然高い。これまでの発現のパターンから考えるに、アヌビスが君の近くで狂暴化するのがトリガーになっているみたいだから、君は今後も防衛機構の器にされるだろうね。もしそれが嫌ならば、君は何らかの対抗手段を身に着けないといけないよ」

 

「だとして、俺はどうすれば」

 

「一度君は防衛機構に呑み込まれずに済んでいる。これも仮定の話だけれど、君が意志を強く持てば、カーディナルの防衛機構の塗り潰しに打ち勝てるようになるかもしれない。その方法については君自身が考えるんだ」

 

 

 キリトはイリスに反論できなかった。きっとイリスでもこの事態は想定出来ていなかったに違いない。どうすればいいかと聞かれたところで答えようがないのだろう。

 

 しかし、意志を強く持てるようになれば、或いはカーディナルに勝てるかもしれないというヒントはくれている。このヒントを基に、模索していくしかない。

 

 考えながら俯いていると、イリスは椅子から立ち上がって近寄ってきて、その手を頭に乗せてきた。

 

 

「この問題を解決し、防衛機構に呑み込まれなくなれば、君はチートを使わずに強い力を得られるだろう。君の大切なものを守れる力をね。出来れば私は君にもっと強くなってほしいし……君ならこの問題も乗り越えられるって信じてるよ」

 

 

 イリスはいつにもなく優しげな声で囁いた。頭に乗るその手より、母を思わせる温もりが伝わり、全身へ流れていく。

 

 イリスの言っていた事は全て仮定だけれども、きっと真実だろう。自分は今、防衛機構の器になっている。そして自分は防衛機構に呑み込まれる一方になっている。

 

 こうであってはいけない。何としてでも防衛機構に打ち勝てるようにならなければ――キリトはそう思いながら、顔を上げた。

 

 その時イリスは微笑んでいた。まるで息子を見ているかのように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

          □□□

 

 

「……キリト……そんな事になってたなんて……どうして……」

 

「……ううん、そうじゃない。こんな事を思ってる場合じゃない。私にもできる事はあるはず。ううん、私にできる事を見つけ出さないと」

 

「私がキリトの力に、なってあげないと……」

 

 




 ――補足――

 ・《クリムゾン・ハイ》

 コミック版ホロウリアリゼーションに登場したデジタルドラッグ。

 ノルアドレナリンの過剰分泌で興奮状態を作り上げたうえでアドレナリンを過剰分泌させて闘争本能を引き出し、戦闘能力を爆発的に引き上げる作用を持つ。


 ・カーディナルの防衛機構とホロウアバター

 VCRMMOの世界を管理するカーディナルシステムには、世界を防衛するための機構が存在しており、それはあらゆる敵を排除するくらいの力を持っている。しかしこの防衛機構は器が無ければ動かない代物であり、SAOの時はキリト達を苦しめたホロウアバターがその器となって世界を守っていた。

 ホロウアバターに取り込まれたリランがこれ以上ないくらいに強かったのは、防衛機構の力の強さが故である。

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