キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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15:白装束の導き手と黒き魔剣

          □□□

 

 

 家から出たシノンは《はじまりの街》に赴いていた。

 

 家の周りには小さな村が存在していて、一応そこでも攻略の準備や用意をする事は出来る。だが、シノンはそこを利用する事は少ない。規模が《はじまりの街》に比べて遥かに小さく、何よりクエストボードが存在していないのだ。

 

 クエストをやるにはクエストボードを確認するのと、クエストNPCに話しかけてイベントを起こすというのがあるけれど、その中で手っ取り早いのがクエストボードを確認する事だ。

 

 気に召すクエストがあるかどうかを調べ、見つけ出すために、シノンは《はじまりの街》に赴いたのだ。

 

 

 家の近くにある村から転移する事で到着した《はじまりの街》の転移門広場。そこは既に沢山のプレイヤー達とNPC達で相変わらず賑わっていた。

 

 この《SA:O》はまだクローズドベータテストの段階だから、プレイヤーの絶対数は少ない方に入るのだが、それでも千人以上のプレイヤー達がログインしている。

 

 しかも今日は休日だから、普段よりも多くのプレイヤー達がこの世界にダイブし、街やフィールドを賑わせている。流石に正式サービスが開始してそれなりに時間が経過しているALOと比べたらそんなでもないが、人が多い事に変わりはない。

 

 そんな事を少しだけ考えながら、シノンは行き交うプレイヤー達の間を抜け、真っ直ぐ商店街エリアへ向かった。多くのクエストを管理している目当てのクエストボードは商店街エリアの一角、大宿屋の前に存在している。情報屋もそこに集まる傾向があるから、クエストを探すならば一番に向かうべき場所だ。

 

 

 転移門広場を抜けて商店街エリアに差し掛かると、人の数がどっと増えた。初めてログインした時に知った事だが、商店街エリアにはアイテムを揃える雑貨屋から、武器防具を管理する鍛冶屋、集会所としても個人の部屋としても使える大宿屋といった、攻略に必要なものや施設が勢ぞろいしている。そのため、必然的に人の行き交いや出入りはその他の区画と比べて多いのだ。……今となっては慣れた事ではあるけれども。

 

 さらに多くなった人の間を抜けていき、露天商たちの声を聞きながら、奥へ奥へと向かっていくと、目当てのクエストボードが見えてきた。そこには多くのプレイヤー達が集まっており、その誰もがクエストやイベントに関する話をしている。仲間の一人であるアルゴの姿はないけれども、彼女と同じ情報屋も多く集まってきているようだ。

 

 

 《SA:O》を稼働させているカーディナルシステムは、SAOやALOと同様に無数と言えるクエストを生成する力を持っている。そのため、どんなにクエストをこなし続けたところで、オールコンプリートになる事はないという話をユイから聞いた。

 

 あのクエストボードは無限のクエストを内包しているから、探すのも苦労しそうだけれども、きっと自分の探しているクエストはあるはずだ。それを何としてでも見つけ出さなければ。

 

 

「あってね……」

 

 

 意気込んだシノンは人の間を縫うように進み、クエストボードの前に辿り着いた。様々な張り紙がされている、木製の巨大な掲示板の一角を指でクリックするように叩くと、一枚のウインドウが展開された。クエストを管理しているウインドウだ。

 

 中身を確認してみれば、探索、狩猟、討伐、採取、納品といった様々なカテゴリのクエストが所狭しと並んでいる。全てを表示させた状態でフリックしてみても、最下部に辿り着く様子は一向にない。

 

 ゲームを始めたばかりの時でも百くらいのクエストがあったけれど、カーディナルはここ最近でもっと沢山のクエストを生成し、実装していたようだ。この中から探しているクエストを見つけ出すのは至難の業だろうが、検索機能があるため、そこまで困難ではないはず。

 

 

(これで……)

 

 

 シノンはホロキーボードを呼び出し、『報酬がブレスレット』と入力をする。検索をかけると、千を優に超える種類のクエストが出てきた。報酬がブレスレットだけでもこれだけあるのか。そう思いながら出てきたクエストを一つ一つ確認していくが、間もなく溜息を吐けた。

 

 表示されているクエストで手に入るとされるブレスレットは、店売りのものを少しだけ強くしたような特別性のないもので溢れかえっていたのだ。何か大きなイベントが関わっているようなものは見受けられず、特別なものが手に入る雰囲気のあるクエストはない。

 

 

「んんー……」

 

 

 思わず小さな声を出しながらフリックを繰り返す。本当に無数と思えるくらいのクエストが目に映り込んでくるけれども、どうにもしっくりくるものがない。こなしたところで、自分の求めるものが手に入るとは思えないものばかりだ。

 

 無数にクエストが生成されているのだから、その中にあってもおかしくはないはずなのに。シノンは目を凝らしながら速度を上げてフリックしたが、やはり良さそうなものは見つかってくれない。

 

 

「駄目……?」

 

 

 一旦フリックするのをやめて、手当たり次第にクエストの内容を見てみても、手に入るものは店売りがちょっと強くなった程度のものばかりだ。装備品としてはいいものなのかもしれないけれど、少なくとも自分の求めているモノではない。

 

 クエストのタイトルなども確認してみるが、SAOやALOで見たような、特別なイベントが伴った末にアイテムが手に入るようなものはないように思える。どれもハズレばかりだ。

 

 

「……」

 

 

 クエストを表示するウインドウに指先を乗せ、シノンは軽く思考を巡らせる。そういえばSAOの時にあったクエストボードでは、特別なクエストはあまり掲載されていない傾向にあった。イベントの発生があり、特別なアイテムが手に入るクエストは、その多くが街やフィールドのNPCから受けられる場合が多かった記憶がある。

 

 もしかしたら自分の探しているような――彼のためのアイテムが手に入るであろうクエストも、クエストNPCから受けられるものなのかもしれない。

 

 NPCのクエストは、話しかけて特定のワードを持ち掛けてみたり、ずっと話を聞き続けたりするなど、結構な手順を踏まなければ発生させられないようなものであり、中身もその時までわからないようになっている。

 

 見つけ出すのはクエストボードで検索を掛けるよりも困難だろうが、現状が現状だから致し方ない。それに、アルゴが情報屋や自身の情報網を通じて、自分の欲しているようなクエストの情報を持っている可能性もある。高いコルを支払う事にはなるだろうが、アルゴに訊いてみるのもまたいいだろう。出来る限りの手を尽くさねば。

 

 

(仕方ないか……)

 

 

 声を出さずに呟き、シノンはウインドウを閉じた。振り返ってみると、人の数は来た時よりも増えており、あちこちで喧騒が聞こえてくるような状態になっていた。クエストを探す事に夢中になっている間に、クエスト目当てのプレイヤーは勿論、情報屋達も集まってきていたのだろう。少々歩きづらくなってしまった。

 

 ぶつからないように人と人の間を抜けていき、商店街エリアの奥へと向かって歩き出す。クエストボード前の喧騒が徐々に遠ざかっていき、やがてほとんど聞こえなくなったその時。

 

 

「……あの!」

 

 

 はっきりした声が後方から聞こえてきた。道行く誰かを呼び止めようとしているような言葉だったが、シノンは特に気にせず歩き続ける。

 

 周りを見れば、たくさんのプレイヤーが行き交っているのが確認できた。きっとこの中の誰かの仲間や友人が、その人を見失う前に声を掛けたのだろう。VRMMOではよくある事だから、特に反応する必要などない。

 

 

「あの!」

 

 

 歩みを進めようとした数秒後、もう一度声がした。あちこちからする喧騒に遮られて、探している人を呼び止める事が出来なかったのだろう。

 

 出来れば呼ばれている人を特定して、呼ばれている事を教えてやりたいところだけれど、そんな事は出来そうにないのは明らかだ。

 

 

「待って、シノンさん!」

 

「え!?」

 

 

 次の瞬間に聞こえてきた声で、シノンは思わず立ち止まった。先程から聞こえてきている、人を呼び止めようとしている声が、自分の名前を呼んだ気がする。周りは相変わらず多くのプレイヤーの姿があり、喧騒が聞こえてくるが、明らかにそこから聞こえてきたものではなかった。

 

 

「お願い、待ってシノンさん!」

 

「!」

 

 

 もう一度呼ばれて、シノンは咄嗟に振り返った。数メートルほど離れたところに、こちらを見ている人影が一つ。白を基調としている軽装を纏ってスカートを履き、その上から真っ白な丈の短いローブを被って、顔の上半分を完全に覆い隠している。体型とスカートときめ細かい肌から、比較的遠めでも女性であるとわかった。

 

 しかし、その女性の事を勿論シノンは知らない。完全に初対面のはずなのに、向こうはこちらに面識があるようだ。若干の警戒心を抱いて睨みつけると、女性はゆっくりと歩み寄ってきた。こちらから睨まれているのがわかるはずだが、特に気にしている様子はない。そもそも女性はフードを深く被って顔を隠しているから、こっちの顔が見えているかも怪しい。

 

 女性はシノンの目の前まで来ると、静かにその口を開いた。

 

 

「……シノンさん」

 

「……!」

 

 

 シノンは思わず警戒し、気付かれない程度に身構えた。女性の容姿をくまなく見ても、やはり見覚えはない。自分の知らないプレイヤーであるが、一方で女性は自分の名前を口にしている。

 

 

「……貴方、誰? 少なくとも貴方は私の知らない人ね」

 

「うん。貴方は私を知らないと思う。でも、私は貴方を知ってるの」

 

 

 シノンは眉を寄せた。以前、街でもフィールドでも、自分の事を付け回すプレイヤーがいる事を感じていた。キリトと協力して誘い出してみたところ、それは仲間であるシュピーゲルであったとわかり、それからストーキングされるような事はなくなったが、また似たような事を始めたプレイヤーが現れたとでもいうのか。警戒するシノンを見つめて、女性は口元だけで苦笑いした。

 

 

「そんな反応されて……当然だよね。私、いきなり出てきて、こんな事言ってるんだから。怪しまれて当然だよね」

 

「えぇ、十分に怪しむに値するわ。それで、貴方は結局なんなわけ。私に何の要件があって近付いてきたの」

 

 

 女性は何かを思い出したような仕草を取った。それから何かを躊躇うような動作を見せてから、もう一度その口を開けた。

 

 

「シノンさん、今、クエストを探してるんだよね。それで、見つからなくて困ってるんだよね……大切な人のために必要なクエストを」

 

「え!?」

 

 

 思わず大きな声を上げて驚いてしまった。周りのプレイヤー達の視界が集まってきたが、シノンは女性から目を離せなかった。シノンが《はじまりの街》に来てクエストボードに向かっていたのは、彼――キリトのためのクエストを探し出すためだ。

 

 苦しんでいるキリトのために必要なクエストを求めてここに来ているが、その事はキリトにさえも話していない。リランにもユイにも、アスナにだって話していないのだ。

 

 

 誰にも話していないはずの事情を、どうしてこの女性は知っている――?

 

 

「ちょっと待ってよ。貴方、なんでそんな事を知ってるの。まさか、どこかで盗み聞きしてたっていうの」

 

「そうじゃない。ただ、貴方みたいな人は何度も見てきたの。大切な人のための物を求めて、クエストを探してる人ってすごく独特だから……そんな人を何人もこの街で見てきたから、わかるの」

 

 

 女性の声は少し弱くなったが、シノンは怪しむのをやめられなかった。女性の言っている事は怪しむに値しすぎている。こう言っているという事は、この女性は情報屋なのだろうか。

 

 

「貴方、情報屋? 仲間の情報網を通じて私の事を把握してるっていうの」

 

「そうじゃないよ。ただ、貴方みたいな感じの人がわかるっていうだけで……」

 

 

 女性の声は増々弱くなったが、シノンは眉を寄せ続ける。

 

 

「それで、貴方の目的は何。私の動向を理解して、何のつもり」

 

 

 女性はシノンに一歩踏み出してから、ウインドウを開いて軽く操作をした。間を置かず、シノンの眼前に一枚のウインドウが出現する。

 

 メッセージウインドウ――というよりも、メモのようなものが記されたテキストウインドウだった。中身を見てみる。書いてあるのは『白金の腕輪』というクエストを《はじまりの街》の商店街エリアにいる、神官のような服装をした男性NPCから受ける事が出来るというメモだった。

 

 その『白金の腕輪』という単語に、シノンは思わず反応を示す。『白金の腕輪』というのは、きっとこのクエストをクリアした後に手に入るアイテムの事を示しているのだろう。

 

 そしてシノンが求めているのは、キリトに与えられるブレスレット系の、特殊性の高いアイテムだ。まさしくシノンの探しているクエストだった。

 

 

「これ……これって!?」

 

「シノンさん、探してたのはブレスレットが手に入るクエストでしょ。でも、街のクエストボードにあるのじゃ、特別なものは手に入りにくいの。だから、このクエストの事を教えてあげようと思って、声を掛けたの」

 

 

 シノンはウインドウから女性の方へ顔を向けなおす。

 

 

「貴方……見てたの。私がブレスレット系のアイテムが手に入るクエストばかり探してたの」

 

「うん。あの時のシノンさん、他の誰よりも真剣だったから、つい目に留まっちゃって。あんまり真剣にクエストを探してるから、教えてあげたいって思って」

 

 

 女性に言われ、シノンはきょとんとした。あの時自分は何げない様子でクエストを探しているつもりだったが、その他のプレイヤーから見れば、かなり真剣そうな様子であったらしい。目立たないつもりでやっていたが、目立ってしまっていた事に気付くと、身体のうちから若干の恥ずかしさが込み上げてきた。

 

 

「……このクエスト、本物でしょうね。本当に受けられるんでしょうね」

 

「それは保証できるよ。大切な人のためのものが手に入るはずだから……貴方にやってほしい」

 

 

 そう言う女性の顔は見えないが、声色は真剣なものだった。少なくとも嘘を吐いているようには感じられない。まだ疑う余地が十分にあるが、信じてみても良さそうだ。そう思い、シノンは軽く溜息を吐いた。

 

 

「それならやってみるけど……随分と親切ね。貴方って言い、ヴェルサって言い、最近は慈善プレイでも流行っているのかしら?」

 

「ヴェルサ……!?」

 

 

 突然見せた、女性の驚いたような様子にシノンは首を傾げる。ヴェルサは《白の竜剣士》の名を冠し、《SA:O》のアイドルとまで言われているような有名プレイヤーだ。沢山のプレイヤーを見てきていると女性は言っているから、ヴェルサの事も知っていて当然だろう。

 

 だが、女性の反応は明らかにヴェルサの何かを知っているような反応だ。

 

 

「何、その反応。知ってるでしょヴェルサ」

 

「……!」

 

 

 女性は拳を握った手をぎゅうとその胸に押し付けた。フードを深く被っているうえに俯いているから、全く表情が分からないが、何か苦い思いをしているように見える。ヴェルサの名前を口にした途端にこうなったから、この女性はヴェルサと何かあるのだろうか。

 

 しかしそれを口にしようとはせず、シノンはある事を思い出し、女性に問うた。

 

 

「そういえば名前を聞いてなかったわね。貴方の名前は? 私の名前を知ってるからには、貴方の名前も知っておきたいのだけれど。それに、クエストで本当にいいものが手に入ったらお礼をしないといけないから、連絡先も知っておかないと……」

 

 

 次の瞬間、女性は一際身体をびくりと言わせた。何か聞かれたくない事を聞かれて、酷く驚いたような反応であった。いよいよ不振に思えてきて、シノンは目を細める。

 

 

「……貴方、さっきから何なの。名前、教えられないわけじゃ――」

 

 

 シノンが尋ねた途中で、女性はいきなり回れ右をして走り出した。あまりに突然な事にシノンは勿論、周りにいるプレイヤー達までも驚いて女性の方を見ていた。

 

 

「ちょっ、ちょっと待ちなさい!」

 

 

 咄嗟に後を追おうとしたその時、既に女性は商店街の人混みの中に消えてしまっていた。シノンは思わず立ち止まり、茫然と人混みの間を見つめた。

 

 今のは一体何だったのだろうか。自分の名前を一方的に知っていて、いつの間にか自分の事を見ていて、そしてクエストが受けられる場所を教えてきた女性。敵ではないというのはわかるけれども、味方や仲間であるとも言い難い、奇妙な言動をしたプレイヤー。

 

 あんなプレイヤーを見るのは初めてだ。きっとキリト達の知り合いでもないだろう。

 

 フレンド登録は出来なかったから、位置を特定する事も出来ない。何より名前も聞けずに立ち去られてしまったのが一番大きい。これでは名前を情報屋に教えて、探してもらう事も出来ない。

 

 何もかもを謎にしたまま、女性は去って行ってしまった。

 

 

「……何なの、一体……?」

 

 

 シノンは手元のウインドウを見つめた。女性がくれたクエストの情報が、変わらずに映し出されていた。

 

 

 

 

 

 

           □□□

 

 

 

 

「キリト、物が出来上がったわよ」

 

 

 商店街エリアの一角、《新生リズベット武具店》の近くのベンチ。呼び声を受けて、キリトは立ち上がった。隣にはリランとプレミアの二名の姿もある。

 

 イリス達と昨日起きた事の情報交換をした後、キリトはリランに尋ねた。昨日に戦いでリランはジェネシスに尻尾を切断される重傷を負ったが、その後のリランはどうなったのか、切断された尻尾はどうしたのか。

 

 リランの答えによると、あの時ジェネシスに切断されてから、リランが狼竜形態となった時の尻尾はアヌビスのそれのような、途中で切り落とされたようなものになってしまった。人狼形態の時は狼の尻尾があるが、狼竜形態になると途中で落とされたものになってしまい、元に戻る気配はないという。

 

 そして切断された尻尾の先端部分だが、ジェネシスの手に渡る前にリズベットによって回収された。その時、リランの尻尾は武器を作るための素材になる事が判明し、リズベットは武器にするかどうかをリランに尋ねた。

 

 リランは特に困ったりする事なく、落とされた尻尾の先端を武器にするよう指示。リズベットは少し心苦しそうな様子で承諾し、切断された尻尾を武具店の工房へ運び込み、加工を開始したのだ。

 

 

 それらの経緯を話したリランは、キリトにリズベット武具店へ行こうと提案した。

 

 ところどころ呑み込めない点もありはしたものの、事が進んでしまっているからにはどうしようもない。キリトはリランに言われるまま、リズベット武具店へ赴いたのだった。

 

 出発時にはキリトを心配するプレミアもついてくる事になったが、キリトはプレミアがいる事には何も悪く思わず、プレミアの好きにさせていた。

 

 

 《はじまりの街》の商店街エリアの一角。リズベット武具店にやって来た時、リズベットはまだリランの尻尾を加工している最中だった。

 

 キリトがやって来た際、リズベットはかなり心配そうな様子で話しかけてきたが、キリトはひとまず大丈夫だと言って、進行状況を尋ねた。リズベットは「もう少しで出来上がるから待ってて」と言って工房に戻り、キリト達は武具店の前にあるベンチに腰を掛けていた。

 

 それから数分後、リズベットの呼び声に誘われたキリトは二人を連れて、リズベットの許へ向かった。店のカウンターの前にリズベットの姿があり、その顔は若干の疲れを感じさせるものになっていた。中断と再開を挟んではいるものの、ずっと加工に当たっていたのだから、疲れて当然だ。

 

 

「リズ、お疲れ。物は出来上がったんだな」

 

「えぇ勿論。けど、とんでもないものが出来上がったと思うわ」

 

 

 リズベットの言葉にプレミアが首を傾げる。キリトも同じ気持ちだ。

 

 

「とんでもないもの、ですか?」

 

「えぇ。プレミアは知らないと思うけど……あんたならよく知ってるわ、キリト」

 

「俺がよく知ってる?」

 

 

 リズベットはカウンターの上に乗っている物に手を伸ばした。それは白い布に包み込まれた剣だった。大きさは今使っている片手剣と同じくらいしかない。

 

 

「あれ。片手剣なのか、それ。俺はてっきり両手剣になるんじゃないかと」

 

「あたしも同じ事を考えてたんだけど、片手剣にしか加工出来なかった」

 

 

 切り落とされたリランの尻尾は大剣のような形状をしていた。加工すれば両手剣となるとばかり思われていたそれから生まれたとされる片手剣を、リズベットは持ち上げた。STRが少し足りていないのだろう、重そうに少しよろける。

 

 いつか見たような光景に軽くキリトが首を傾げていると、リズベットは体勢を立て直し、布に包まれた剣を差し出した。

 

 

「布を取ってみて、キリト。とんでもない代物よ」

 

 

 そう言われたキリトはごくりと息を呑み、リズベットから剣を両手で受け取った。かなり重い。今使っている二本の剣のうちのどれよりも重さがある。このゲームでは重い剣ほど強いステータスを持っている傾向があるから、この剣は相当強いらしい。

 

 この剣は一体――そう思いながらキリトは布を取り払ったが、見えてきた表面に驚いた。剣は鞘に収まっているのだが、鞘も刀身も黒いのだ。その黒さには明らかな見覚えがある。この剣は見た事のあるものだ。キリトは布を一気に取り払った。

 

 そうして現れたのは、刀身と柄が一体化していて柄の周辺が半球状になっている、特徴的なシルエットを持つ黒銀の剣。それを鞘から抜き放つなり、キリトはその名を口にした。

 

 

「エリュシデータ!!」

 

 

 その姿を見るなり、リランも「なんと!」と声を上げた。

 

 エリュシデータ。探求者の意味を持つ黒銀の魔剣。まだアインクラッドに閉じ込められていた頃、五十層を守るボスを倒した際に手に入ったもの。ある時までずっとキリトの背中に収まっていた剣だ。その姿を認めるなり、キリトは歓喜に震えた。

 

 

「まさか、この世界にもあるなんて……!」

 

「あたしも出来上がったそれを見てびっくりしたわよ。けど、《SA:O》はSAOのサーバーを流用して作られてるから、それがあっても不思議じゃないでしょ」

 

「あぁ。だけどまさか、リランの尻尾からこれが出来るなんて……」

 

 

 キリトはエリュシデータの刀身をクリックし、一枚のウインドウを表示させる。装備品の詳細(プロパティ)ウインドウだ。そこには今持っている片手剣のどれよりも高いステータスが映し出されているが、キリトは最下部の説明欄に目を向けた。

 

 

『《刃狼竜ウプウアウト》の尾から生まれし黒銀の神剣。その刃はあらゆるものを断ち切る』という説明書きがされている。ふと《刃狼竜ウプウアウト》という名前に目が言ったが、その時隣から声がしてきた。

 

 

「《刃狼竜(じんろうりゅう)ウプウアウト》。本来はその尻尾を斬れば手に入るものみたいね」

 

 

 いつの間にかリズベットがキリトのウインドウを横から覗き見していた。しかしキリトは特に気にしない。

 

 

「《刃狼竜ウプウアウト》……多分リランの種族名だな」

 

 

 ウプウアウトというのは、エジプト神話に登場する白き狼の姿を持つ軍神の名だ。狼の姿をしているという事でアヌビスと同一視される事も多いが、役割は完全に異なっている。

 

 そのウプウアウトの名を冠しているのが、リランの狼竜形態の本来の姿である白き狼竜だ。《刃狼竜ウプウアウト》というくらいだから、相当後に出てくるモンスターであろうし、その尻尾から作れるこのエリュシデータも現段階ではオーバースペックだろう。

 

 こんな代物が手に入ったのは、素直に喜ばしい。

 

 

「ウプウアウトの尻尾……リランの尻尾……」

 

 

 しかしキリトは肩を落とした。この剣はリランの尻尾にあるべきものだ。これが手元にあるという事は、リランを守れなかったという事。《使い魔》を守れなかったという《ビーストテイマー》にあるまじき事をした俺が、この剣を使っていいのか――俯いたキリトに、リランが声をかけた。

 

 

「キリト、どうした」

 

「リラン、これはお前が使うべきじゃないか」

 

 

 リランもリズベットも驚いた。すかさずリズベットがキリトに言う。

 

 

「何言ってんのよキリト!? これはあんたのお気に入りでしょ!?」

 

「そうだけど、これはリランの尻尾だったものだろ。俺が使っていいものじゃない。リランが使ってこそ……」

 

 

 次の言葉を発しようとしたそこで、唇が塞がった。リランがその人差し指でキリトの唇を塞いでいた。それ以上喋らなくていいという意思表示だ。

 

 

「我の武器は両手剣だ。片手剣は使う気にならぬし、そもそもそれはお前が持ってこそ意味がある」

 

 

 リランはキリトから手を離すと、そのまま自身の胸へ動かした。

 

 

「キリト、我はお前を守るための武器だ。我はお前の力であり続けるのが使命だ。そしてその剣は我の身体の一部……お前の力となるためにある。だからお前に振るって欲しい」

 

 

 確かにリランの使命は前からそうだ。SAOの時も、ALOの時も、ずっとその使命のために使い魔として戦い続け、自分の力になってきてくれた。それは今もなお続いているというのに、キリトは若干の驚きを感じる。

 

 

「それに今、我らにはジェネシスに対抗出来る手段が必要だ。あるものは全て使う気でなければ、恐らく奴には勝てぬ。ジェネシスに打ち勝つためにも、お前はその剣で戦うべきだ」

 

「リラン……」

 

 

 キリトは手元の神剣に目を向ける。

 

 ジェネシスは完全にこちらに目を付けた。きっとこれからも襲ってくるだろうし、フィールドで交戦する事もあるかもしれない。その時のために今のうちから戦力を増しておく必要はあるだろうという事は、既にキリトも考えていた。

 

 

「それにキリト、お前にはそのエリュシデータでジェネシスに勝ってほしい」

 

「え?」

 

「あいつに切り落とされた尻尾から生まれた剣で、あいつは倒される。中々良いと思わないか?」

 

 

 そう言うリランは不敵に笑っていた。その様子を見る事で、キリトはリランの伝えたい事がわかった。あいつが切り落とした尻尾で、あいつをぎゃふんと言わせてやれ――リランはそう遠回しに言っている。そしてそれは、是非ともキリトがやってみたいと思っていた事でもあった。

 

 結局こんな事になった原因を作ったのはジェネシスだ。ここまでやられたからには、あいつをぎゃふんと言わせなければ気が済まない。キリトはリランに向き直り、頷いた。

 

 

「……わかったよ、リラン。お前の身体の一部から生まれた剣、使わせてもらうぜ」

 

 

 リランが頷いたのを見てから、キリトはエリュシデータを鞘に戻して背中に担いだ。かつての《黒の竜剣士》の姿が再現されるなり、リズベットがふふんと笑った。

 

 

「やっぱりキリトが装備すると様になるわねぇ。エリュシデータはあんたに使われるためにあるのかも」

 

「それは言い過ぎだって。でもすげぇ身体に馴染んでる。なんだか一段と強くなれた気がするよ」

 

「強くなる? あぁそうそう!」

 

 

 何かを思いついたような言動の直後、リズベットはリランの隣に並んだ。キリトはリランと一緒になってリズベットに目を向ける。

 

 

「強くなるで思い出したけれど、エリュシデータはリランの身体とリンクしてるみたいよ。リランが進化すれば、エリュシデータも一緒に進化して強くなるようになってるみたい。外観は変わらないみたいだけどね」

 

 

 そういえばジェネシスと戦った時、アヌビスが進化した際にジェネシスの武器も進化して強くなっていた。あれがリランにも適用されているのであれば、エリュシデータはまだまだ伸びしろがあるという事になる。勿論リランにもだ。

 

 

「エリュシデータが強くなれるのか……リランと一緒に……」

 

「そうよ。あいつをとっちめるためにも、頑張ってよねキリト」

 

 

 キリトはリズベットに頷き、リランとプレミアを交互に見つめた。

 

 ジェネシスは今後もプレミアを狙ってくるだろう。そして自分が《ビーストテイマー》として強くなかったせいで《使い魔》の強さが敵に後れを取り、重傷を負う事になった。

 

 

 こんな事を繰り返さないためにも、プレミアを守るためにも、ジェネシスに負けないくらいの《ビーストテイマー》にならなければ。

 

 

 キリトは胸の中で思いながら、守るべき二人を見つめていた。

 

 




 謎の女性の正体とは。

 そしてシノンのクエストとは。

 乞うご期待。

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