キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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 アイングラウンド編第三章、最終話。

 イリスの意外な人間関係と出身が判明。




20:織り成すは紫と黒

 

 

          □□□

 

 

 

「やったぁ! やっと作ってもらえたよ!」

 

 

 目の前の少女はそう言って、とても喜んでいた。

 

 菖蒲(アヤメ)のような色合いの長髪で、赤いリボンを付けている。服装は髪の毛とはまた違う紫色の軽装で、少し大きいと思える明るい赤色の瞳が特徴的だ。

 

 少女の特徴はこの世界に来る前からもずっと見ている。この世界に来れば多少なりとも変化が出るのではないかと思っていたけれども、この世界に来ても尚、この少女の見た目はほとんど変わらなかった。

 

 だが、それを確認できた時には多少安堵できた事は、この少女には未だに悟られていない。

 

 その少女が小さな少年のように喜ぶ様を見ながら――カイムは頬杖を付いた。

 

 

「嬉しそうだね、ユウキ」

 

「勿論だよ! だってようやく目的の飲み物が飲めるんだもん。だって、《ハニービードリンク》だよ? 名前から既に美味しそうな感じがするもん!」

 

「確かに、そんな気がしないでもないね。でも、これ飲むためにクエストをやる羽目になるなんてね」

 

 

 ユウキは「そうだねー」と言って店の方に向き直る。

 

 

 今日はいつもの時間よりも少し早くログインした。その事はユウキにも事前に言っていた――というよりもユウキが早くログインしたいと言って、それに合わせただけの――ため、二人揃っていつもより早くこの世界に降り立った。

 

 《はじまりの街》の大宿屋を後にした後すぐにクエストボードに向かって、ユウキの要望でモンスターとの戦闘を行う狩猟クエストを受注。二人でフィールドへ赴き、モンスターとの戦闘を楽しんだ。

 

 クエストクリア後、喉の渇きを覚えた二人はこのカフェに来て、飲み物を注文した。しかし、そこでまた一つ出来事があった。ユウキが注文したのは《ハニービードリンク》というモノだったのだが、その名をユウキが口にした途端、カフェの店員の頭上にクエストマークが出現。完全に予想外のクエストが始まったのだ。

 

 聞いてみると、《ハニービードリンク》に使う蜂蜜が切れてしまっていて、《ハニービードリンク》を提供できないが、もしこの蜂蜜を調達してくれたなら、その時は《ハニービードリンク》を無料で提供するという話がされた。

 

 既にクエストで散々戦った後だったものだから、カイムは全く乗り気ではなかったが、一方ユウキの元気さはログイン時と全く変わっておらず、発生したクエストを勝手に受注。《ハニービードリンク》のための蜂蜜を見つけ出すと宣言してしまった。

 

 そのままユウキはカイムの手を引いてフィールドに逆戻りし、蜂蜜の探索を始めた。全く乗り気ではなかったカイムは文句の一つも垂れたかったが、何故か言う気になれず、ユウキと一緒になって目的のアイテムの探索をした。

 

 

 探索開始から十五分程経った頃に目的のアイテムは見つかったが、その際カイムはへとへとになっていた。ユウキもまた同じくらい走り回っていたというのに、その元気さは全く変わっておらず、アイテムが見つかるなり、再びカイムの手を引いて《はじまりの街》へ戻り、目的地となっていたこのカフェへ戻ってきたのだった。

 

 疲れているカイムなどお構いなしのフィールドと街の行き来。女生徒は男性を振り回すものであるとは教わってきたけれども、ここまで振り回されると、流石に嫌みや皮肉の一つも言いたくなってくる。

 

 カイムは近くに置いてあるメニュー表を手に取り、広げて中身を見た。コーヒーからココア、現実のチェーン喫茶店でも見られるようなメニューがいくつも並んでいる。その中にはユウキがやたらと飲みたがっているハニービードリンクの姿もしっかりとあった。

 

 

「けどさユウキ。別にハニービードリンクじゃなくてもよかったんじゃない。こっちの抹茶クリームラテとかでも、あまり変わらなそうだけど」

 

「そんな事ないよ。というか蜂蜜と抹茶じゃ味わいが違うどころじゃないよ」

 

「ユウキは甘いものが飲みたかったんでしょう。それならコーヒー系にガムシロップをいくつか入れれば、十分に甘いものが出来上がるよ。何もクエストを挟む必要のあるドリンクにこだわらなくたってよかったじゃないか」

 

 

 こういう事を言うと、ユウキはいつも子供のように抗議してくる。今回もまさしくそのとおりで、むすーっとしながらの抗議をぶつけてきていた。

 

 

「それじゃあ全然美味しくないよ! ボクは甘くて美味しい飲み物が飲みたいの! どうしても飲みたかったんだよ!」

 

「……」

 

 

 怒るユウキのその顔を、カイムはじっと眺めた。

 

 ユウキの瞳は他の女の子達と比べて少し大きく、いつもくりくりとしているのが特徴的だ。表情はいつだって喜怒哀楽に富み、どんな感情を抱いているのかを明確に伝えてくる。本人からすれば些細かもしれない変化も、非常にはっきりとわかる。

 

 

 どんな事もくっきりと現わして伝えてくる、隠し事の出来ない顔と、それが作り出すいくつもの表情。

 

 一応は仮想世界の作りものだが、現実世界のものと色合い以外変化があまり無いように見える――とても可愛らしいそれは、カイムのお気に入りだった。

 

 こんなふうに可愛いものだから、怒ろうとしても上手く怒れなかったり、ついつい怒るのをやめてしまう。

 

 

 どうするべきかと考えているが、ユウキの顔を見ているとそれさえも忘れてしまいそうだ。

 

 そんな事を考えるカイムを、ユウキは目を細めて睨む。

 

 

「ちょっとカイム。ボクの話聞いてる?」

 

「聞いてるよ。耳にすごくびんびんと響いてきてる」

 

「ボク、そんなに大きな声出してないケド」

 

「ユウキの声は人一倍よく耳に通ってくるの。だから大きな声を出さないでね」

 

「むうううう~」

 

 

 ユウキはすたりと椅子から立ち上がった。見下ろされたカイムがきょとんとすると、ユウキはその両手でカイムの顔を瞬時に掴み上げ、むぎゅむぎゅといじくり始めた。

 

 思いもしていないのに顔が笑顔になったり、怒り顔になったり、悲しみ顔になったりする。いずれの表情も無理矢理作り上げられた歪なものだ。

 

 

「むっ、むぐぅっ、うぐぐぐぐぅ!?」

 

「カァーイム、さっきから女の子に向かって失礼な事言ってる」

 

 

 眼前にユウキの不機嫌そうな顔が見える。だが、目の近くまで掴まれてしまっているせいで、見えたり見えなくなったりするが繰り返されていた。

 

 

「いぁいゃ、いふもとおなひ事ひかいってないれしょが」

 

「いつも以上に失礼な事言ってます。なのでいつもより多めに顔をぐにぐにさせてます」

 

「むごっ、むぐぉぉ、もごごごごッ」

 

 

 これもそうだ。ユウキはカイムの言葉で不機嫌になったり、カイムが何か言った時には決まってカイムの顔に掴み掛り、悪戯するようにいじくり回すのだ。

 

 一応仮想世界でだけにしかやられておらず、仮想世界でも痛覚抑制機構が働いているおかげで痛みを感じた事はないが、それでもこんな事をされているのを周囲に見られる苦痛ときたら。

 

 

 カイムにとってはどんなソードスキルよりも激甚なダメージを入れてくる、ユウキの体術スキルだった。

 

 

 

「あッはははははは! 思ってた以上に仲が良いじゃないか」

 

 

 

 ユウキの必殺体術が途中で止まった。どこからともなく声がした気がする。あまり聞く事はないけれども、それなりに聞いた事のある女性の声だ。目の前を見ると、ユウキが真横を向いてきょとんとしていた。

 

 その目線の先に何かがあるという事だけはわかり、カイムもユウキの視線の先に顔を向けたが、ユウキの手は器用にカイムの動きについてきた。

 

 自分達と同じようにカフェタイムに入っているプレイヤー達の中で、こちらに向かってくるプレイヤーが一人。

 

 

 キリトの娘のユイのような艶のある黒髪で、黒いリボンを付けている。ドクターのそれのような白いコート状の服を纏っていて、ストレアのような大き目の胸が目線を誘う、赤茶色の瞳をした背の高い女性。

 

 

 キリトの恋人であるシノンの治療に当たっていたとされ、現在は自分達の仲間の一人であるイリスだった。

 

 

「「イリス先生」」

 

 

 カイムと同時に言っても、ユウキはカイムの顔から手を離さなかった。イリスはくすくすと笑いながら歩み寄ってきて、やがてすぐ傍まできたところで立ち止まった。

 

 

「ユウキにカイム君、元気そうじゃないか」

 

「イリス先生がボク達のところに来るなんて。どうかしたんですか」

 

「どうかしたって?」

 

「だってイリス先生ってボク達のところには来ないじゃないですか。なのにボク達のところに来たから、どうしたのかなって」

 

 

 イリスはすんと笑み、カイムを見下ろした。

 

 

「君達の騒いでる声が聞こえたもんだから、つい誘われてきたんだよ。そしたら随分と面白い事になってると来たじゃないか」

 

 

 そう言われて、カイムはようやくユウキによって無理矢理させられている変顔を見られている事に気付き、身体の底から熱さを帯びる恥ずかしさが出てきたのを感じ取った。ユウキの力は抜けている。隙有りと言わんばかりに手を掴み返すと、意外と簡単に引き剥がす事が出来た。

 

 顔が元に戻ったのを確認するように手で顔を触ると、イリスは小さく笑った。

 

 

「おやおや、戻しちゃうのかい。なかなか面白い顔だなって思ってたんだけど」

 

「……面白がらないでください。今のは見せたくないものだったんですからね」

 

「それはそれは。失敬失敬」

 

 

 イリスは続けて「ちょっとここに座っていいかな」と尋ねてきた。カイムは首を横に振りたかったが、それより先にユウキが快く「どうぞ」と言ってしまった。イリスは「ありがとう」と答えて座ってしまい、その時既にカイムは何も言えなかった。

 

 

「君達はクエスト帰りかな」

 

「はい。丁度クエストを終わらせて帰ってきたところなんです。ここの美味しそうな飲み物の素材を調達するっていうクエストで、もうすぐクエストクリアの報酬が出てくるはずなんですけれど」

 

「そっか。VRMMOだと調理とかにはあまり時間を割かないようになってるんだけど、ものによっては現実世界で調理するのと同じくらい時間がかかるものもあるからね。それでも飲み物なら、すぐに終わりそうなもんだけど」

 

 

 あまり見た事が無かったが、ユウキはイリスとかなり打ち解けているように喋っている。ユウキがSAOに居た時の話は、疑似体験できるのではないかと思えるくらいにかなり事細かく聞かされたが、その中でイリスが目立つような事はあまりなかった。だからユウキとイリスはそこまで打ち解けていないではないかと思っていたが、どうもそうでもなかったらしい。

 

 

「ところでユウキ。君は確かメディキュボイドを使ってるって話だったね」

 

「はい。今もメディキュボイドを使ってここに来てるんです。使ってない時間は寝てる時以外ないかもです」

 

「その年月も三年以上なんだってね。私も実物を使ってSAOに行ってたんだけど……三年以上も被験者をダイブさせたままにできるとはね。流石私の先輩が作ったものなだけあるよ。うんうん」

 

 

 そう言うイリスにユウキは「先輩?」と言って首を傾げたが、カイムは既にその事を知っていたし、自分達はこのメディキュボイドに妙な縁があるとも思った。

 

 

 ユウキをこうしてこの世界にログインさせており、尚且つその身体をずっと守っているのがメディキュボイドという医療器具だ。

 

 器具というよりも大規模装置というべき風貌のそれは、患者をVR空間にダイブさせる事で身体機能の全てを事実上麻痺させ、病気の進行を遅らせたり、治療時に発生する苦痛を無効化させたりする事が出来るという、優れた機能を持っている。

 

 このイリスの話によれば、イリスとキリトの恋人であるシノンをSAOにダイブさせていたものでもあったという。()()()()()()()()()()()()によればこれから徐々に普及していくとされている、その機械についての知識を、カイムはユウキと出会った頃から蓄えていた。

 

 その基本的な部分を頭の中から引っ張り出し、カイムは独り言のように言った。

 

 

「メディキュボイドの開発者は神代(こうじろ)凛子(りんこ)博士。茅場晶彦が組み立てたVR技術を基礎設計にして開発し、発明した。その神代博士は東都(とうと)工業大学重村(しげむら)研究室ってところの出身であり……そこは茅場晶彦と……」

 

 

 カイムはイリスと目を合わせた。何かを待っているような目つきをイリスはしていた。

 

 

「……貴方が居たところですよね、イリス先生」

 

 

 イリスはすんと鼻で笑み、ユウキは少し驚いた様子でイリスに向き直った。

 

 

「よく知ってるじゃないか、カイム君。メディキュボイドの知識だけかと思ったら、まさか神代博士とその出身校まで知ってたなんて」

 

 

 ユウキとメディキュボイドの事について知ってから、カイムはちょくちょくメディキュボイドの事をネットで調べた。

 

 そのネットが導き出した答えには、メディキュボイドを開発したのが神代凛子博士という人である事、その人が東都工業大学重村研究室というところの出身であると書かれていたのだ。

 

 カイムはその事をイリスに話し、更に続けた。

 

 

「神代博士のいた東都工業大学重村研究室のページで見つけたんですよ。イリス先生が茅場晶彦達と写ってる写真を」

 

「なるほど、あの時撮った集合写真を見つけたのか。あれを見ちゃうと、誰が居たのか一発でわかっちゃうね」

 

「イリス先生、本当なんですか。イリス先生が茅場晶彦やメディキュボイドを作った博士と同じところ出身って……」

 

 

 驚きを隠せないでいるユウキの視線を浴びながら、イリスはテーブルに両肘を載せた。

 

 

「そうさ。彼是(かれこれ)結構前の話だけど、私は東都工業大学電気電子工学科にいた。そこで重村教授……私は先生って呼んでるけど、が顧問をしてる重村研究室ってところに在籍して、研究とかさせてもらってたんだ。

 

 そこには当時既にアーガスの開発部長をやってた茅場さんと、付き添ってる神代凛子博士もいて、彼らは私の先輩だった。私はその時既に茅場さんと同じようにアーガスに在籍してて、チーフプログラマやってたんだけど、そんな私にも神代……()()()()は良くしてくれて……その凛子先輩が医療用VR機器を作ったって聞いた時は、本当に嬉しかったよ。

 それが私の勤めた病院に配備された時も、すごく感動したっけなぁ」

 

 

 ユウキは目を点にして話を聞いている。カイムもそうなりそうだったが、どうにか堪えて目を一定に保ち続けていた。

 

 

 キリト/和人と本人の話から僅かに聞いたのだが、イリスはキリトのところにいるリラン、アスナのところにいるユピテル、そしてユイとストレアを作った張本人であり、アーガスに勤めていた時はチーフプログラマだったという。

 

 しかし、まさかそのチーフプログラマという役職に、大学生の時から就いていたというのは全く予想できなかった。

 

 東都工業大学電気電子工学科重村研究室は教授を含めた異端児、変人技術者の集まりみたいな評判を聞いた事があったが、その話は本当であったようだ。そしてそんな場所に居たためなのか、この天才AI開発者はメディキュボイドの開発者である神代博士を名前で呼んでいる。

 

 その変人技術者の集まりから出てきたイリスに、ユウキはか細く声をかけた。

 

 

「メディキュボイドを作った博士と仲良くしてたって……イリス先生、どれだけ顔が広いんですか」

 

「私もいつの間にか広がってた自分の顔にびっくりしてるよ。んで、その凛子先輩の作ったメディキュボイドを利用している君とも出会ったんだから、本当に凛子先輩と言い、茅場さんと言い、妙な縁を私に結んだものだよ」

 

「神代博士とは、連絡したりしてるんですか」

 

 

 カイムの問いかけを受けたイリスは、表情をこわばらせた。やがてその顔は寂しそうなものへ変わっていく。

 

 

「……いいや。アーガスでSAO作ってた時とかはよく来社してくれて、顔も会せてくれれば、学生の時みたいに話をしてくれたりもしたし、私の作ったAI(こども)達を沢山褒めてくれたりしたけど……アーガスが解散した辺りから連絡がなくなってしまった。私もその後SAOに囚われたからね。尚更連絡が付かなくなっちゃったんだ」

 

 

 そう言うイリスの顔はこれまで見た事の無い、寂しそうな表情だった。

 

 凛子先輩と呼んでいるくらいだ、イリス――キリトから聞いた話では芹澤愛莉――にとって神代博士は非常に大きな存在だったのだろう。

 

 

 それこそ、自分にとっての――ユウキのような存在だったのかもしれない。

 

 

「出来ればまた会いたいし……何より、()()()をもう一度会わせてあげたいな。きっともう消えちゃったって思ってるだろうし。会えばきっと両方とも喜んでくれると思うんだけど」

 

「あの()?」

 

 

 イリスより出てきた言葉に反応すると、イリスは「おっと」と言って気が付いたような顔をした。すぐさま掌を軽く振る。否定のジェスチャーだった。

 

 

「いやいや、これはこっちの話だ、気にしなくていい。なんだかかなり長話をしてしまったね。悪かったよ」

 

 

 ユウキが首を横に振り、イリスに笑みかける。

 

 

「いいえ、すごく良いお話でした。イリス先生にも仲が良くて大切な人がいるってわかりましたし、その人がメディキュボイドの開発者だって事も知れちゃったんですから、良かったですよ」

 

「そうかな。まぁ、私にもかつて素敵な先輩のいる後輩だった時代があるんだ。そして今は、その先輩と同じくらい好きな子達がいる。時代は変わったよ、本当に」

 

 

 それはきっとキリトとシノンの事だろう。シノンはイリスがアーガス解散後に精神科医をやっていた時の重要な患者であり、キリトはそのパートナーだ。

 

 それにキリトは「イリスは前から俺達の事が好きだと言って慕ってくれている」と言っていたし、シノンも随分とイリスを慕っている。そして何より、自分とユウキを含んだキリトの仲間達も、皆イリスを同様に仲間だと思って慕っているのだ。

 

 神代博士を慕っていたイリスは今、沢山の仲間達に慕われている。本人に直接聞いたわけではないけれども、イリスは現状が嬉しいのだろう。

 

 

「んで、その私の先輩である凛子先輩が作ったのが、君の使っているメディキュボイドなんだからね。本人に言う機会はないだろうけれど、ちょっとくらいありがたく思いなよ、ユウキ」

 

「わかってます。ボクはイリス先生の先輩の神代博士に助けてもらったんです。だから、毎日ありがたく思って使わせてもらってま~す」

 

 

 少し悪戯っぽいようなユウキの声色にイリスはくすすと笑った。明らかにユウキがそんな事を思ってはいないというのは、これまで接してきた経験で容易に把握できた。……いや、意外と素直なユウキだから、少しくらいは思っているのだろうけれども。

 

 そんなふうな事を考えていると、店の奥からウェイターがやってきた。クエストを依頼してきたウェイターであった。その手にはストローの刺さった、美しい黄金色に輝く飲み物の入ったグラスが持たされている。

 

 

「お待たせいたしました。こちらが《ハニービードリンク》でございます」

 

 

 ウェイターがグラスをユウキの前に置くなり、ユウキは「待ってました!」と喜んで見せた。その様子を見たウェイターが去っていくのを見届けてから、三人でグラスに注目する。

 

 やはりハニービードリンク、蜂蜜をふんだんに使った飲料というだけあってか、蜂蜜そのものがグラスに注がれていると言っていいような雰囲気だった。色は蜂蜜と同じ金色だが、その強さと輝きは蜂蜜のものというより、透き通った純金のように感じられる。クエストをこなさないと飲めない代物だから、普通に頼めば飲めるものよりも見た目も品質も豪勢なのだろう。

 

 その黄金に輝く飲み物を興味深そうに注視して、イリスが呟く。

 

 

「随分とすごいものを頼んだんだね」

 

「これのためにクエストに出かけてたんです。ユウキがどうしても飲みたいって聞かなくて」

 

「クエストの報酬なのか。なら、これはきっと美味しいぞぉ」

 

 

 そう言ってイリスはユウキに目を向ける。同じように視線を向けると、ユウキがキラキラした目でグラスを見ていた。この時を待っていたと言わんばかりの顔だ。

 

 

「それじゃあ、頂きます――と見せかけて!」

 

 

 ユウキは言いかけるなり、グラスを手に持ち――そのままカイムの目の前にグラスを置いた。

 

 

「はいカイム、どうぞ!」

 

「え?」

 

 

 思わずカイムはきょとんとした。流石にユウキの行動は読めなかったのだろう、イリスもぽかんとしている。ハニービードリンクを飲みたがっていたのがユウキだ。だからこうしてクエストをやったわけなのに、そのハニービードリンクを差し出されてきた。

 

 他でもないユウキの手によって。

 

 

「どうぞって……え、なんでぼくに?」

 

 

 疑問符で脳内が溢れ返りそうになっているカイムの、その手にユウキが手を重ねた。顔には穏やかな笑みが浮かんでいる。

 

 

「カイムは今日、早くログインしてボクに付き合ってくれたじゃない。それで、へとへとなってもボクに付き合い続けてくれて、このクエストだってクリアしてくれた」

 

 

 ユウキは満面の笑みを顔に浮かべた。

 

 

「だから、これはそのお礼だよ。今日はありがとう、カイム」

 

 

 そうだ。ユウキはいつだって予想も予測も出来ない。いきなり突拍子もない事を言い出してカイムを困らせてくる。だけど、時にはこうやって突拍子もなくカイムを喜ばせようしてくる事もある。

 

 

 困らせてくるかと思いきや喜ばせようとしてくる――そんな事が多々あるからこそ、カイムはユウキを怒れない。

 

 

 今だって、クエストを連続で受注させられて振り回された挙句顔をつねられていたから、怒り気持ちがあったはずなのに、ユウキの満面の笑顔を見た途端にどこかへ消え去ってしまった。

 

 

「……それで君はこれにこだわってたのか」

 

「そういう事。ほら、早く飲んで飲んで!」

 

 

 さらに笑顔を向けてくるユウキ。あまりに可愛らしいその顔を見ていると、胸の中がくすぐったくて仕方が無くなりそうだった。

 

 二人きりならばそれでもいいかもしれないけれど、ここにはイリスもいるから、流石にそうなっては拙いだろう。カイムはユウキに言われるまま、グラスに刺さっているストローを口に運び、吸った。

 

 

 次の瞬間、カイムはかっと目を見開いた。

 

 

 純金のように輝くハニービードリンクだが、口の中に入ってきた時点で非常に強い甘さを感じさせてきた。しかもそれはただ甘いだけなのではなく、しっかりとした蜂蜜の風味をしっかりと与えて来てくれる。更にその蜂蜜の風味は、現実世界で食べたどの蜂蜜よりも濃厚かつ豊かだ。

 

 

 これまでALO、《SA:O》と世界を渡り歩いてきたが、その中で飲んだ飲み物のどれよりも美味しいと感じられた。思わず夢中になって、カイムはストローを吸い続け、ごくごくと音を立ててハニービードリンクを飲んだ。

 

 グラスの中身が半分よりちょっと多いくらいにまで減ったところで、カイムはようやくその口をストローから離せた。

 

 同刻、ユウキが声をかけてくる。

 

 

「どうかな、カイム」

 

「……とても甘くて、すごく美味しいよ、これ」

 

「本当に?」

 

「うん。疲れも吹っ飛んじゃったような気がする。君と一緒にクエストをやってよかったよ」

 

 

 カイムは次の言葉を言い辛かった。しかし、その言い辛さはすぐに消えていき、言葉を出す事は出来た。

 

 

「その、ぼくのためにありがとう、ユウキ」

 

 

 ユウキはきょとんとしたような顔をした。だが、それはすぐにもう一度満面の笑みに変わり、その頬は桜色に染まった。

 

 

「どういたしまして、カイム!」

 

 

 そう言ったユウキに向けて、カイムは頷いて見せた。その後すぐにまたハニービードリンクを飲み進め、半分くらいにまで飲んだところでストローから口を離した。

 

 まさかのユウキからのプレゼントだったけれども、ユウキ自身もこのハニービードリンクを見た時には目を輝かせていた。きっと本人にも飲みたい願望があるのだろう。――ここは一つ、半分こをしてあげたい。

 

 そう思ったカイムはハニービードリンクを差し出し人のユウキへと差し出した。

 

 

「ごちそうさま。後は君が飲んでよ、ユウキ」

 

「えっ。いやいや、ボクはいいよ。これはカイムのために作ってもらったんだから」

 

「そう言うけどユウキ、さっきから目をキラキラさせてるじゃないか。本当は飲みたいでしょう」

 

 

 そこでユウキは縮こまった。どうやら図星を突かれたらしい。ユウキはいつも少年のように元気だけれども、ちゃんとした女の子だ。女の子らしくファッションに気を使って楽しんだりする事もあれば、甘いものを好んで食べたり飲んだりもする。そのユウキからすれば、このハニービードリンクは飲みたくて仕方のないものであるはずだ。

 

 そのカイムの予測に応えるように、ユウキは縮こまりから復帰する。

 

 

「……ボクも飲みたい」

 

「そうでしょう。だから半分こしよう。ぼくはもう飲んだから、後は全部ユウキにあげる」

 

 

 そう言ってカイムはユウキの(もと)にハニービードリンクを返した。量は本当にちょうど半分くらいになっていて、綺麗に分け合えている。このドリンクの美味しさはかなりのものだ。出来る事ならばもう少し多くユウキに与えてやりたかったと、カイムは少し失敗したような気分になった。

 

 そしてユウキはというと、もう一度満面の笑みをその顔に浮かべて――

 

 

「ありがとう、カイム!」

 

 

 と言い、少しがっつくようにハニービードリンクに刺さるストローを吸い始めた。その時「ちゅ~」という声がユウキから聞こえてきたものだから、思わず吹き出しそうになった。だが、ユウキは飲むのに夢中になって、カイムの些細な事には気付かないようになっていた。

 

 そんな自分達の様子を隣から見ていたイリスが、朗らかに笑む。

 

 

「……仲良いじゃないか、二人とも」

 

「イリス先生と神代博士みたいに、ですか」

 

「ん~、私と凛子先輩くらいかと言われると微妙なところだが、少なくともそんじょそこらの人達よりも仲良いよ。それになんだろうね、君達の事を見ていると……」

 

 

 イリスは頬杖を付き、カイムとユウキを視線の中に入れた。

 

 

「キリト君とリーファを思い出すよ。そう、君達もまた仲の良い兄妹のようだ」

 

 

 その言葉にカイムは思わず反応していた。胸の中にあるものを突き止められたような気がして、身体の中が熱くなったような錯覚が生じる。しかしすぐにカイムは冷静になって考える。

 

 自分達の事情の中には、ユウキ/木綿季(ゆうき)も知らない事がある。もうすぐ話そうとは思っているけれども、それをイリスが知っている事などない。

 

 イリスが言った事は偶然言った事なのだろうけれども、それでも的を得られたような気を感じた。

 

 

「ぼく達が兄妹のよう、ですか」

 

「あぁ、そんな気がする。君が兄でユウキが妹のようだ。まぁ、あくまで例えなんだけどね」

 

 

 イリスは少しだけカイムに近付き、小さな声で言った。

 

 

 

「……そう見えるくらいに素敵な娘よ、ユウキは。大事してあげなさい、カイム君。彼女が病気であろうとどうであろうと、ね」

 

 

 

 カイムは目を見開いたが、その瞬間にユウキが大きな声を出した。グラスは空っぽになっていた。

 

 

「ぷはぁ! すっごく美味しい! こんなに美味しいものだったなんて!」

 

 

 カイムは瞬きを繰り返した。イリスとそれなりの音量で話をしたつもりだったが、ユウキの耳には届いていなかったらしい。ハニービードリンクの美味しさは感動を覚えるくらいだったけれども、ユウキからすればその感動は全ての音をシャットアウトさせてしまうくらいだったようだ。

 

 そんなユウキにくすりと笑うなり、イリスが声をかける。

 

 

「ユウキ、クエストでさぞや汗をかいただろう。これから女の子達全員を連れて温泉に行こうと思ってるんだけど、君もどうかな」

 

「えぅ、温泉ですか!? それなら行きたいです!」

 

「ははっ、即答かい。それじゃあメンバーに君も加えよう」

 

 

 そう言えば以前、アスナとユウキとリランの三人が温泉を見つけたと言っていた。自分はまだ入りに行った事はないけれど、ユウキ曰くとてもいい湯加減の場所であるという。女の子達からすれば至高の場所に行くのだから、ユウキの喜び様もわかる。

 

 

「カイム君はどうするね。キリト君とユピテルも行く予定なんだけどさ」

 

「それなら行こうと思います。けれど混浴は駄目ですよ。他の女の子達に迷惑が掛かります」

 

「ほほぅ、君はキリト君と違ってそういう部分が出来てるんだね。けど、せっかくの温泉なのだから、温泉では肩の力を抜くんだよ」

 

 

 イリスに頷くと、ユウキが立ち上がって手を掴んできた。そのまま手を引っ張り上げてきて、カイムは無理矢理席から立ち上がる形になる。

 

 

「カイム、早く温泉行こうよ! 温泉行けば、もっと疲れも吹っ飛ばせるから!」

 

 

 ユウキは変わらない笑みを浮かべていた。これから行くであろう場所はユウキの好きな場所。ユウキにいい思いをさせてあげられて、喜ばせてあげられるところだ。

 

 また、ユウキを喜ばせてあげられる――そう思うと、カイムは自然と口角を上げられた。

 

 

「温泉に行くのはいいけど、浸かりすぎてのぼせちゃ駄目だよ」

 

 

 (ゆうき)は悪戯っぽく笑って返事をした。

 

 

 

 楽しい時間が、また始まった。

 

 

 

 

 

 

《キリト・イン・ビーストテイマー アイングラウンド 03 終わり》

 




――後書き――



 ドーモ、皆=サマ。クジュラ・レイでございます。

 今回にて、アイングラウンド編第三章が終了となります。読んでくださった皆様、お楽しみにいただけたでしょうか。

 第三章は閑話休題としていたのですけれども、話を膨らませていくうちにどんどんそれから離れていき、もう閑話休題では済まされないレベルの話となってしまいました。キリトがホロウアバター化したり、謎の女性キャラクターが出てきたり、ジェネシスとの激戦となったり、プレミアが新たな力を得たり。本当にカオス展開の連続となってしまったとは思います。


 そんな第三章がこれにて終了ですが、第四章からは第二章終了時の後書きに書いてあった通り、ユウキ&カイム編としまして、この二人にスポットライトを当てる事になります。

 カイムという特異な存在によって病気が治療されているのが今作KIBTのユウキですが、第四章はこのユウキを中心とした様々な事が起こり、尚且つキリトの親友であるカイムの事情にも沢山スポットライトが当たっていく予定です。

 そして原作のマザーズ・ロザリオ編を愛している方ならばなじみ深い、『彼ら』も登場させる予定でもあります。なので、原作のマザーズ・ロザリオ編が好きだという方が喜べる話になる事でしょう。


 ……が、第四章に入る前に、ちょっとアリシゼーション編のアニメ化と最新話にぶっつける形の番外編を三~五話くらい挟んでから、第四章開始という形にしようと思います。ちょっとそういう話を思いついてしまいまして、しかもこれがかなり重要な話になる事がわかりましてね。書かずにはいられないのです。

 その番外編のメインが誰になるのかは、この話を読んでみたら、ある程度分かるかもしれませんよ。


 何にせよ、第四章では、作品がキリト・イン・ビーストテイマーというタイトルではあるものの、キリト、シノン、リランだけの物語ではないというのが、よくわかる話になる事を予想しています。しかし、主人公がキリト、シノンとリランのダブルヒロインであるという事は変わりないので、そこは大丈夫です。

 なんだかんだありましたが、今回にてアイングラウンド編第三章は終了となります。ここまで読んでくださった皆様に深々と感謝申し上げます。


 本当に、本当にありがとうございました。


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