キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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14:世界へ消えた絶剣

          ■■■

 

 

 

 ぼくは病院で衝撃的な現実を知った後、家に帰ってすぐに《SA:O》へダイブしていた。いつもなら家に帰って、食事をして、風呂に入って、寝る準備も整えてからダイブするようにしているけれど、今日に限ってはその全てを吹っ飛ばしてダイブした。目的はただ一つ、ユウキを探すため。

 

 《SA:O》に降り立って、大宿屋の一室で目を覚ましてすぐに、ぼくは異変に気が付いた。異変を起こしていたのはフレンドリスト。キリト、シノン、アスナといった仲間達がずらりと並んでいるその中から、消えている名前があった。それこそユウキであり、どんなによく見てもユウキの名前を見つけ出す事は出来なかった。

 

 それだけじゃない。ギルドメンバーの一覧を呼び出して中身を見ても、そこからユウキの名前だけが綺麗に消えていた。ジュン、ノリ、シウネー、テッチ、タルケン、そしてカイムと、スリーピング・ナイツの皆の名前が並んでいるけれども、リーダーであるはずのユウキの名前が消えていて、リーダー権限はぼくに移行させられていた。

 

 この異変を教えてくれたのは施恩(しうん)/シウネーだった。病み上がりであるためぼく達よりも暇な時間の多いスリーピング・ナイツの皆はぼく達よりも早い時間にログインしている傾向にあるけれども、そのおかげでいち早くこの異変に気が付く事が出来たのだろう。

 

 そしてそのスリーピング・ナイツの皆が大宿屋に集まっている事も確認したぼくは、部屋を出て一階のラウンジへ向かった。夜、深夜に比べて人の数は少なく、見晴らしがいい。

 

 そのおかげで、ぼくはすぐにスリーピング・ナイツの皆を見つけ出して、そこへ向かう事が出来た。合流したときには、スリーピング・ナイツの皆は戸惑いや焦りを隠せない様子だった。その中の一人であるジュンが、最初にぼくに声をかけてきた人物だった。

 

 

「カイム、どうなってるんだ? ユウキに何があったって言うんだ」

 

「ユウキ、スリーピング・ナイツから脱退してる。おまけにアタシ達のフレンドリストからも消えちゃってるよ」

 

 

 順応性の高さが目立つノリでさえ、戸惑いと焦りを隠せていない。急にユウキの名前がギルドからもフレンドリストからも消えていれば、焦って当然だろう。テッチとタルケンも同じような様子だ。

 

 だが、ぼくに事情を教えてくれたシウネーだけは焦っているよりも、強い不安を抱いているような顔をしてぼくを見ていた。すかさずぼくはシウネーに話しかける。

 

 

「シウネー……」

 

「カイム……ユウキの名前が……彼女に何があったというのですか。ユウキがここまでの事をするなんて、余程の事があったとしか思えません」

 

 

 シウネーの言った事は、全員が思っている事だろう。当然事情を聴かなければ気が済まないと思っているはずだ。

 

 だが、あの事実をここで話してしまうのはどう考えても拙い。あの話はあの病院の中だけに抑え込んでおかなければならないものだ。他の人達に聞かれるような事があれば、SNSなんかを通じて瞬く間に広がっていってしまう。

 

 そしてそれをマスコミが掴んで拡散させようとする。いくら《マハルバル》への報復攻撃報道に躍起になって正気を失っているマスコミも、この話を掴もうものならば大きく報道してしまうだろう。

 

 そうなったら終わりだ。そのきっかけをここで作ってしまうわけにはいかない。

 

 

「詳しい話はキリトの家で話すよ。そこでしか話せない。とにかくそこに行こう」

 

 

 ひとまず伝えると、皆とりあえず納得して頷いてくれた。キリトの家は他のプレイヤー達の知らない秘密基地みたいなところだ。こういった身内だけにしか出来ない話をするのにも向いている。

 

 フレンドリストを確認してみると、当然のようにキリト達はオフライン。まだ家の事などでオンラインになれないのだろう。普段のぼくもそうだ。しかし、キリトの家の所有者――ではないけれど事実上そういう事になっている――のリラン、ユイの名前はしっかりオンラインになっている。今キリトの家に入る事は可能だった。

 

 再度それを確認したぼくは、ユウキが抜けてしまったスリーピング・ナイツの皆を連れて大宿屋を出て転移門へ直行。そのままキリトの家のあるジュエルピーク湖沼群、キリトの家付近の村へ転移した。

 

 キリトの家は確かにプレイヤーの所有物だが、直接そこまで転移する事は出来ないようになっている。行くには付近の村に転移するしかないのだ。普段はあまり気にしていないけれども、今はそれがひどくもどかしく感じられた。

 

 ぼく達を出迎えた村は、相変わらず長閑(のどか)で牧歌的な雰囲気で、焦りと戸惑いを抱くぼく達とは正反対だった。もしこの村のような気持ちで今日ログイン出来たら、どれだけ良かっただろう――ぼくはそう思いながらその村を後にし、キリトの家のある方角へ向かう。

 

 キリトの家のあるジュエルピーク湖沼群最北部は、モンスターが居ない事が最大の特徴だ。なのでぼく達を阻む敵はおらず、駆け足で三分くらいでキリトの家、静かな森の近くに佇むログハウスに辿り着けた。

 

 ぼく達の集会所としての機能をいつの間にか持たされていたログハウスに入って早々、ぼく達は所有者に遭遇した。

 

 キリトの《使い魔》であるリラン、その妹であってキリトの娘であるユイ、更にその妹であるストレア、そしてぼく達が全員で守ると決めたプレミアだ。事情を知らないはずなのに、四人は何故かぼく達と同様に焦っているような様子を見せていた。

 

 四人はすぐにぼく達がやって来た事に気付き、そのうちリランがぼくへ声をかけてきた。

 

 

「カイム! それにスリーピング・ナイツの者達だな」

 

「リラン、急に押しかけてごめん。ここを使わせてもらえないかな。ちょっとどうしてもここを使う必要があって――」

 

「カイムさん!」

 

 

 事情を話すよりも前に、ぼくに割り込んできた声があった。聞き覚えこそあると言えばあるけれど、そこまで聞く頻度が高くない声だ。少し驚きながら向き直ってみたところで、声の正体を見つけ出せた。

 

 先端が白くなっている栗色の長髪を、丁度病院で一緒だった明日奈と同じような形にしている、白いパーカー服と琥珀色の瞳が特徴的な――現実世界のぼくと同じくらいの身長しかない男の子が、ストレアの隣からこちらへ歩いてきていた。病院でぼくと同じように話を聞いていた明日奈の息子であり、リランの弟でユイたちの兄であるというユピテルだった。

 

 ユピテルも確かにリラン達と同一の存在だから、ここにいても不思議じゃない。けれど、ユピテルは普段《はじまりの街》にしかいないし、そもそも明日奈/アスナの家で寝泊まりしているはずだ。

 

 

「カイム君」

 

 

 いるのはユピテルだけじゃなかった。丁度リランの隣に、もう一人女性が居た事に気が付いた。リラン、ユイ達に引き継がせたかのような特徴を持っている、ユイ達、リラン達を作り上げた製作者とされる女性――イリスだった。

 

 

「ユピテルにイリス先生。どうしてここに」

 

 

 先に返事をしたのはイリスの方だった。

 

 

「今日たまたま時間が取れたから、ログインしたんだよ。それで試しにここに来てみたら、深刻そうな顔した子供達がいるじゃないか。そしたら次は君達がやってきた。一体どうしたって言うんだい。深刻そうな顔してる割に、ユピテルは話してくれないんだ」

 

 

 イリスは腕組をする。キリト曰くイリスがよくやる仕草だった。

 

 

「……まぁでも、聞かなくても粗方わかるんだけどね。君もユピテルもその調子だしさ」

 

 

 ぼくはユピテルに向き直った。ユピテルは顔を上げて、琥珀色の瞳を向けてきた。

 

 

「……かあさんからユウキねえちゃんの話を聞かせてもらいました」

 

 

 ユピテルからの返事にぼくは思わず驚いてしまった。

 

 何でも、明日奈は病院を出た後に素早く自宅に帰ったそうだが、やはり家の事もあってすぐにログインという事は出来なかった。そこで二十四時間いつでもログインしているに等しいユピテルに連絡をし、木綿季の事情を話したそうだ。そして、ユウキを探し出す事も頼んだという。

 

 

「かあさんが冗談であんな話をするのはありえません。そしてカイムさんも聞いたというのであれば、真実であると解釈してよろしいですね。ユウキねえちゃんの事は……」

 

「……」

 

 

 ユピテルの目には不安が渦巻いているのがわかった。ユピテルもリランも、ユイもストレアもプレミアも、全員が同じような目をしている。そんな彼女達に見つめられていたその時、背後から声がした。ノリの声だった。

 

 

「カイム、なんなんだ。ユウキに何があったって言うんだよ」

 

 

 ここに来た理由は、皆にユウキ/木綿季の事情を話して、《SA:O》のどこかに消えた木綿季を探すのを手伝ってもらうためだ。そしてぼくは今、こうして目的地に辿り着く事が出来た。皆に、事情を話すしかない。

 

 

「……落ち着いて聞いて、皆」

 

 

 ログハウスの中に静寂が満ちたのを見計らって、ぼくは真実を話した。治美先生と倉橋先生から話された、とても信じる事の出来ない現実を、洗い(ざら)い話した。

 

 皆は最初の部分で既に大きな声で驚いたが、それからはずっと絶句して、ぼくの話を聞くだけになってしまっていた。スリーピング・ナイツの皆だけではなく、リラン達も。

 

 皆が黙っていてくれたおかげで、ぼくは自分でも驚くくらいに詰まらず話し終える事が出来た。

 

 

 ぼくの話が終わった頃に、声を出したのはシウネーだった。当然というべきか、信じられない出来事を目の当たりにしたような顔をしていた。

 

 

「そんな……そんな事って、そんな事が……」

 

「う、嘘でしょう……? 木綿季の身体でそんなものが、木綿季に今更そんな事が起きるなんて、悪い冗談にしか聞こえませんよ……」

 

 

 シウネーの後にタルケンが言う。そうだ、悪い冗談ならどれだけ良かっただろうか。しかし、これは冗談でも何でもない。三人で立派なお医者様から聞かされた真実と現実なのだ。

 

 木綿季と同じように、一度ウイルスに感染して死にかけたというユピテルの横で、プレミアが呟くように言う。

 

 

「ユピテルの次は、ユウキがウイルスに殺されようとしているのですか。ユウキが、死んでしまうのですか……?」

 

「ユピテルの時もすごく深刻だったって言うのに、木綿季はもっと深刻だなんて……しかも木綿季から未知のウイルスがばら撒かれる可能性があるって、そんなの……ひどいよ……」

 

 

 いつもほんわかしているストレアさえ、今にも泣き出してしまいそうな状態だ。その背中をリランが摩ってやっているが、リランの顔も悲しさと悔しさの混ざったような表情だった。

 

 

「……人間相手に感染する、空気中を漂う免疫破壊ウイルスなどとんでもない。ましてやそれが木綿季からばら撒かれるなど、冗談じゃない。だが、まだそうと決まったわけではないのだろう」

 

 

 そうだ。木綿季の身体に出現したウイルスが飛沫感染、空気感染するなんていうのはまだあくまで治美先生の想像に収まっている。だからぼくはリランに頷いてみせられたけれど、そのウイルスが木綿季の免疫細胞を破壊して、死に至らしめようとしているのは変わりない。

 

 ぼくの様子を見るなり、ジュンが悔しそうに言った。

 

 

「なんで、なんでだよ。なんで今更こんな事になったんだ! 皆、スリーピング・ナイツの皆は病気が治って、解散しなくてよくなったっていうのに、もう少しで木綿季の退院祝いが出来るって思ってたのに!!」

 

 

 ぼくは小さくジュンの名前を呼んだ。ここに集まっているぼく達のギルド、スリーピング・ナイツは元々、木綿季のおねえさんである藍子(あいこ)さんがリーダーを務める、全員が病人であるギルドだった。

 

 最初はそれなりの人数が居たそうなのだけれど、構成員が全員病人という事もあってか、その数は徐々に減っていき、やがて藍子さんが亡くなった。

 

 その直後、木綿季がリーダーを引き継ぐことになったのだが、その時既に残された構成員達の時間は木綿季も含めて僅かになっていて、解散を余儀なくされていたという。

 

 しかし、丁度《新薬》が開発されて、木綿季に投与された頃辺りに、残された構成員達全員の容態まで良化。全員が窮地を超えて生き延びる事が出来、そしてぼくが新たなメンバーとして加わる事で、解散の予定はなかったことになった。

 

 それからは無事に退院できた者が出る度にVRMMOの中で退院祝いと称したパーティーを開いて、その病気の完治と退院を祝っていき、ついに残すは木綿季だけになっていた。

 

 《SA:O》に参加できるようになってからは、《SA:O》で退院祝いをする事になるだろうという事で、皆木綿季の退院祝いパーティーの開催日が来ることをうずうずしながら待っていた。

 

 なのに伝えられてきたのは木綿季の退院の決定ではなく、木綿季の容態の最悪化と未知なるウイルスによる生物学的危害(バイオハザード)の危険性。待っていたモノと真逆の最悪が、皆のところへやって来たのだ。皆の反応はごく自然なもの――なのだろう。

 

 

「そんなの、木綿季にだって耐えられる事じゃないだろう……いくら木綿季でも無理だ……」

 

「って事は、木綿季がこうして姿を消したうえに、アタシ達のフレンドリストから自分を消したのは、もう自棄になったからなのか。何もかも嫌になって……それで……」

 

 

 テッチに引き続き尋ねてきたノリに、ぼくは頷くしかない。病院で木綿季の話を聞いた時、彼女はもう自棄になっていた。掴んだと思った希望が一気に絶望へ変わったのだから、いくら木綿季でも耐えられるわけがない。皆が俯く中、一人だけ上を見ているイリスが溜息交じりに言った。

 

 

「……私はSAOの時からユウキの事を見ているけれど、あの娘はすごく明るくて元気な娘だったと思うよ。そんなあの娘が自棄になったっていうんなら、事はかなり深刻だ。あの娘の事は私が診る必要はないと思ってたんだけど……それだけの状態になってるなら、診ないわけにはいかないね」

 

 

 イリスはそのままぼくの方を見てきた。いや、正確にはぼく達スリーピング・ナイツの事を見ている。そして彼女は、「早く木綿季/ユウキをここに連れ帰って来い」と遠回しに言っているようだ。

 

 それはぼくも今すぐ取り掛かりたい事だし、出来れば早く飛び出してユウキの事を探しに行きたいとも思っている。治美先生からも「木綿季ちゃんを連れ戻してきて」と頼まれているから、尚更だ。

 

 けれど、《SA:O》はALOのように翅を生やして飛ぶ事は出来ないから、足でユウキを探しに行かなければならない。何よりユウキがここにいる全員のフレンドリストから自分の名前を消してしまったから、ユウキの所在地なんてわかりはしない。せめてフレンドリストが残っていれば、探し出す事は出来たかもしれないのに。

 

 その時、ぼくは閃くものがあった。そういえば、前にユピテルが居なくなった時、リラン達が互いの存在を認知する事が出来るから、探し出せると言っていた。もしかしたらリラン達ならば、ユウキの事も見つけ出せるのではないだろうか。

 

 

「リラン、ユウキを探せないかな。ほら、この前ユピテルを探そうとした時みたいに」

 

 

 リランは頷いてくれなかった。首を横に振り、残念そうな顔を見せる。

 

 

「あの時はユピテルの《アニマボックス》信号があったから探せたのだ。ユウキは純粋な人間、《アニマボックス》などない。探知するのは無理だ」

 

 

 思わず肩を落とす。それでは本当に何の手掛かりもなしにユウキを探さなければならないのか。《SA:O》という途方もないくらいに広い世界を、たったこれだけの人数で探すしかないのか。そんな事をして、ユウキを見つけ出せるのはいつの話になるだろう。

 

 

「……ユウキ!」

 

 

 どこまでも沈んでいきそうな気になりそうになったその時、プレミアが声を出した。ウインドウを開き、何かを見つけ出したような顔をしている。きょとんとしているイリスが声を掛けようとしたそこで、プレミアはぼくに向き直ってきた。

 

 

「カイム、ユウキの居場所がわかりました」

 

「えっ!?」

 

 

 ぼく達は一斉にプレミアの許へ飛びつき、展開されているウインドウを確認した。それはぼく達の使っているフレンドリストと同じもので、ぼく達の名前がずらりと並んでいた。その中にあった。《Yuuki》の名前が。

 

 ぼく達のところからは消えてしまったはずのその名前が、プレミアの開くフレンドリストには登録されたままになっている。

 

 

「本当だ……なんで消えずに残ってるんだ」

 

「この前、キリトからこの『ふれんどりすと』というものの使い方を教えてもらったんです。それで、わたした皆の名前を登録しました。でも、わたしは皆の事を登録する事が出来ても、皆はわたしの事を登録できないのです」

 

 

 その言葉に真っ先に反応を示したのがイリスだった。イリスはウインドウを展開し、フリックとソートを繰り返して、重大な事に気付いたように言った。

 

 

「あぁそうか! プレミアはNPCだから、フレンド登録できないようになってるんだった」

 

 

 この《SA:O》では、プレイヤーのフレンド登録をする事は出来ても、NPCをフレンド登録する事は出来ない。理由はまだ調整中であり、正式サービスが開始された時に解禁する予定なんだそうだ。だからぼく達はプレミアをフレンドリストを使って見つける事が出来なかった。今はリランとユイの近くに居てと頼む事で、居場所が固定されているからいいのだけれど。

 

 

「しかし、まさか君がフレンドリストを使えるとはね。他のNPC達は使えないっていうのに……」

 

 

 少し驚いている様子のイリスを差し置き、ユイが声を上げる。

 

 

「場所は……えっ、ジュエルピーク湖沼群最北部!? この近くなのですか!?」

 

 

 その言葉に皆で驚き、プレミアのウインドウの中身に再度驚く。ユウキの居場所は確かに、ジュエルピーク湖沼群の最北部、ここを指し示しているのだ。まさかの灯台下暗しだ。

 

 そして好都合でもある。ここら辺はモンスターが居ないから、皆で探せばすぐにユウキを見つける事が出来るはずだ。

 

 

「そうとわかれば話は早いよ。皆でここら辺を探そう! それでユウキを見つけ出すんだ!」

 

 

 いち早くジュンが声を上げ、スリーピング・ナイツの皆が頷く。ここには十人以上いるから、ここら辺が広くても、すぐにユウキを見つける事が出来るはずだ。今すぐにユウキの許へ駆けつけねば――そう思ったその時、ぼく達を止める声があった。

 

 またイリスだった。

 

 

「待つんだ、君達」

 

「イリス先生!?」

 

 

 皆が苛立ったようにイリスを睨みつける。しかしイリスは一切怯む事なく、ぼくに視線を向けてきた。

 

 

「……カイム君。君がユウキのところへ行くんだ。皆は行くべきじゃないよ」

 

「ちょっと待ってください。何を言うんですか!?」

 

 

 戸惑うシウネーと皆の様子は同じだった。ぼくもまた、同じような状態だ。そんなぼく達に補足するようにイリスは続ける。

 

 

「ユウキはきっと今いっぱいいっぱいだ。何をすればいいのか、何を考えればいいのかわからなくなってしまってる。今のあの娘にはまず、あの娘と一番近しい人が近付いて言葉をかけてあげる必要があるよ。この中であの娘との距離が近しい人なんて、カイム君しかいない。そうだろう」

 

 

 スリーピング・ナイツの皆の視線がぼくに集まる。スリーピング・ナイツの皆はぼくが入る前からユウキと一緒に居たから、ユウキとの距離は近しいはずだ。しかし、そんな皆でも、自分達よりぼくの方がユウキと近しいと思っている。

 

 それはユウキがぼくの家族になると言ったからだろうか。

 

 ぼくの家の神社の巫女になると言ったからだろうか。

 

 

「今はまず、ぐちゃぐちゃになってるだろうユウキの頭の中と気持ちを整理してあげて、落ち着かせてあげないといけない。それが出来るのは君だよ、カイム君」

 

「……ぼくが、ですか」

 

「そうだよ。まずは君がユウキのところへ行って、ユウキを落ち着かせる。その後ここへ連れ帰ってきて、スリーピング・ナイツの皆と合流させるんだ。そして最後に私がユウキを診る。精神のお医者様の私がね」

 

 

 そう言われて、スリーピング・ナイツの皆はぼくを凝視する。

 

 今ユウキのところへ向かうべきなのはぼく一人だけ。根拠はないけれども、ぼく一人だけが向かうべき。正直無茶苦茶だと思う。でも、何故だかぼくは納得する事が出来たし、一人でユウキを探さなければならないという状況になってもいいような、そんな気を感じた。

 

 いや、出来る事ならばユウキと二人だけにしてもらいたい。よく、キリトとシノンがやっているように。

 

 

「カイム……」

 

 

 皆がぼくを呼びかける。ここまで思いが固まっているならば、もう伝えるしかない。

 

 

「皆、ここはぼくに任せてくれないかな。ユウキの事は、ひとまずぼくに任せてもらいたいんだ」

 

 

 勿論と言わんばかりに皆はぼくを心配そうに見つめた。やがてノリが声をかけて来る。

 

 

「本当に一人で大丈夫なのか。やっぱりアタシ達も行こうか。アタシ達だってユウキとの付き合い長いわけだしさ」

 

 

 確かに皆もユウキとの付き合いは長いから、皆に任せてしまってもいいのかもしれない。それでも、ぼくは今やるべき事を皆に任せようという気にはなれなかった。

 

 

「ううん、大丈夫だよ。繰り返すけれど、ユウキの事はぼくに任せてほしい。これでも、何度もユウキに振り回されても捕まえて来れたからさ。今回もちゃんとユウキを捕まえてくる」

 

 

 皆は表情を変えなかった。納得がいかないというような感じだ。そう思って当然だろう。イリスの提案も、それを呑み込んでいるぼくも、正直無茶苦茶が過ぎているのだから。しかしそれを皆が口にする事は無く、十数秒黙ってから、やがてジュンが言った。

 

 

「……わかった。カイム、ユウキの事は任せたよ」

 

「無事にユウキと一緒に帰ってきてくれ」

 

 

 ジュンに続いてテッチが言い、ノリもタルケンも「頼む」「お願いします」と言い、そしてシウネーも頭を下げて「どうかお願いします」と頼んできた。皆、ぼくの言った事を納得してくれたようだ。イリス達もスリーピング・ナイツの皆と同じように、ぼくにユウキを任せてくれたようだった。

 

 

「皆、ちょっとだけ待ってて。ユウキを今すぐ連れて来るから!」

 

 

 ぼくは皆に宣言すると、ドアを開けて外に出た。

 

 太陽が沈みかかり、空は黒青色と橙色が混ざったような色合いになっていた。ぼくが家に帰ってきてログインしたのは午後五時過ぎだったから、もう日が暮れる。まるで不吉な夜が始まろうとしているようにも思えた。

 

 

「……ッ」

 

 

 ぼくは索敵スキルを高出力で展開した。ぼくを中心に波紋のようなエフェクトが発生し、どこまでもフィールドを這って行った。

 

 これはモンスターやプレイヤーの気配を察知して、その位置を割り出すためのスキルだ。強い隠密スキルを使っているプレイヤーでなければ、容易に見つけ出す事が出来る。そしてユウキは隠密スキルなんて高めていないから、このスキルを使えば一発で見つけられた。

 

 

「……!」

 

 

 それは今でも変わりがなかったようだ。ぼくのいる位置から丁度北の方角に、一つだけ気配を探知する事が出来た。反応自体はかなり微弱だ。それなりに遠いところに居るのだろう。このフィールドはモンスターが生息していないから、プレイヤー達から見向きもされていないところだ。プレイヤーもモンスターもいないというのが、今日はこれ以上ないくらいに幸運だった。

 

 ぼくは勢いを付けて、索敵スキルが導き出した反応のある地点へ走り出した。

 

 

 ぼくはそんなにAGIを高めているわけじゃないから、走ってもそんなに早いわけじゃない。それでも、ぼくの中にある急ぎたい、ユウキのところへ行きたいという意思が働いてくれたのか、いつもより早く走っていけているような気がした。

 

 ログハウスがかなり小さく見えるようになるくらいのところまで走ると、目の前に大きな湖が見えてきた。しかも一つじゃない。三つだ。大きさのまちまちな三つの湖が、上から見れば三つ巴の形に見えそうな位置に点在している。

 

 索敵スキルが反応を示す場所は、丁度三つの湖の中央にある陸地だった。

 

 

「あ……!」

 

 

 湖にある程度近付いてきたその時、その場所に小さな人影が見えた。目を凝らしてみてみれば、人影は夕闇の中でも目立つような菖蒲色をしているのがわかった。あの色は間違いなく、ユウキだ。

 

 

(……ユウキ!)

 

 

 近付けば近付くほど、人影ははっきりとユウキの形そのものであるとわかった。菖蒲色の長髪に、紫色の軽装。そして腰に下げた片手直剣。あの特徴を持っているのは、ぼくが知る限りユウキしかいない。

 

 

「ユウキ!」

 

 

 声をかけても返事はなかった。よく見ると、人影はこちらに背を向けていた。それでもその後ろ姿はユウキであることに変わりはない。

 

 

「ユウキ!」

 

 

 もう一度呼んだその時には、ぼくとユウキの距離は十メートルくらいになっていた。それでも、ユウキは何一つ反応を示す事なく、ぼくに背を向けているだけだった。

 

 

「……やっと見つけた、ユウキ」

 

「……何しに来たの」

 

 

 ようやく返事が返ってきたが、その声はやはりいつものユウキの声じゃなかった。元気さなんか欠片もない。

 

 

「ユウキを連れ戻しに来たんだよ。皆のところにね」

 

「……なんで」

 

「なんでって、わからないかな。皆ユウキを心配してるんだよ」

 

「……そんなわけないよ。誰もボクの事を心配なんかするもんか。心配してるのは皆、自分の身体でしょ。ボクのウイルスに感染してないかどうか、心配してるだけでしょ」

 

 

 やはりというべきか、ユウキの口から出ているとは思えないような言葉だった。それはぼくの言葉なんか無視して続いた。

 

 

「カイムだって、ボクから早く逃げてよ。ボクは殺人ウイルスの苗床なんだ。歩く大量殺戮兵器なんだ。ボクの傍に居たら死んじゃうよ。殺されちゃうよ」

 

「それはまだ決まった事じゃない。あくまで仮定の段階だよ。ユウキはまだそんなものじゃない。ユウキの傍は安全だよ」

 

「……だから来たっていうの」

 

 

 ユウキは背を向けたまま、俯いた。

 

 

「……なんで来るんだよ。せっかく皆の名前をフレンドリストから消したのに。誰にも見つからないようにしたはずなのに。なんでボクのところにカイムは来たの」

 

「今言ったでしょ。ユウキを帰らせるためだって。それに、ユウキがそんなことしてくれたおかげで、皆心配しまくってるんだよ。ユウキはどこにいるんだって。ユウキはどうしてしまったんだって」

 

 

 ユウキは更に深々と俯いたようだった。背を向けているせいで顔も見えない。

 

 

「……嫌だ。帰りたくない。もう皆のところに居たくない。どうせ全部無駄になるんだから」

 

「無駄?」

 

「どうせボクは死ぬんだから。どうせボクは助からないんだから。だから、もう思い出も何もいらない。何も欲しくない。もう何も欲しくない」

 

 

 ユウキ/木綿季は決して諦める事の無い娘だった。だから木綿季はどんなにつらい日々を送る事になろうとも、ここまで生き延びて来れたと、倉橋先生も治美先生も言っていた。そんな木綿季から諦めの言葉が出てきているというのは、違和感しかなかった。まるで、無理に口にしているようだ。

 

 

「……木綿季は、諦めてるの。もう、諦めてるのか」

 

「諦める以外何があるんだよ!!? ボクに、ボクにどうしろって言うんだよこれ以上!!?」

 

 

 木綿季はいきなり叫んだ。あまりの声に思わず背筋がびくりという。

 

 

「もう、もうボクは何もできない。どんなに頑張ったところで、治療薬も何もないウイルスに食べられて死ぬんだ。それならもう、誰とも会いたくない。全部無駄になって終わるだけなんだから」

 

 

 木綿季は涙声になっていた。イリスの言っていた通り、これ以上ないくらい混乱しているのは間違いない。そしてぼくは、そんな木綿季にかけられる言葉を見つける事が出来なかった。

 

 

「だから……帰ってよ海夢。もうボクをほっといてよ」

 

 

 そこでようやく、ぼくは木綿季に返答する事が出来た。

 

 

「そういうわけにはいかないよ。スリーピング・ナイツの皆が、木綿季を待ってるんだ」

 

 

 すると、木綿季はぐるりとこちらに身体を向け――瞬時に抜剣して、刃先をぼくに向けてきた。散々泣いた後のような顔をしながらも、鋭い目でぼくを睨みつけていた。

 

 

「……ボクは帰らない。皆のところになんか行かない」

 

「木綿季……」

 

「そんなに帰らせたいなら、ボクの事を倒して引きずっていけばいいよ」

 

 

 ぼくは息を呑んだ。木綿季がぼくと戦うつもりでいるのは確からしい。そればかりか、デュエル申請さえしていない有様だ。このままぼくを彼女が斬れば、彼女はオレンジカーソルになる。そうなってでも、彼女はぼくと戦うつもりでいるのだ。ぼくが退かない限りは。

 

 けれど、ぼくだってここで退くわけにいかない。皆が待っているし、何より皆に木綿季を落ち着かせると言ってきた。ここで退いたら皆との約束を破る事になるし、また木綿季を見失う事になる。そんな事になってはならない、絶対に。

 

 

「……やる気?」

 

「やる気じゃないように見えるの」

 

 

 木綿季は剣を強い力で握り締めていた。完全にやる気だ。

 

 

「海夢こそ、ボクとやる気なの。一度もボクにデュエルで勝った事ないくせに」

 

 

 思わず歯の奥を噛んだ。そうだ。ぼくは度々木綿季相手にデュエルをしたものだが、全勝は木綿季で、ぼくは全敗だった。その木綿季と、ぼくはこれから戦う事になる。それでも、ぼくは退けない。

 

 

 退く気なんか、ない。

 

 

「……やる気だよ」

 

 

 ぼくは腰に携えた刀を引き抜いた。

 




 次回、ユウキ対カイム。

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