キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

348 / 564
 アイングラウンド第四章の最終話。どうなる木綿季の運命。


19:紫想ふ黒、黒想ふ紫

           ■■■

 

 

 スリーピング・ナイツ全員とキリト達ほぼ全員で企画した、ユウキに思い出作りをしてあげる作戦は、大成功に終わった。ぼく達スリーピング・ナイツはクルドシージ砂漠のエリアボスを本当に一番乗りで撃破する事に成功し、システムからの祝福を受ける事になった。

 

 それからぼく達は真っ先に《はじまりの街》に帰還し、黒鉄宮に行き、記録碑を見た。そしてそこで大歓声を上げる事になった。『クルドシージ砂漠エリアボス、最初の撃破者ギルド:スリーピング・ナイツ』という文字と、スリーピング・ナイツ全員のプレイヤーネームが、実際にそこに刻まれていたのだ。

 

 ぼく達はクルドシージ砂漠のエリアボスに、なんだかおかしな攻撃力を持つプレイヤー達の妨害を乗り越えて勝利し、本当にこの《SA:O》にその名前を刻み込む事に成功した。

 

 その時には皆で泣きながら大喜びし、勝手に盛り上がってから、キリト達の元へ向かった。キリト達はぼく達がエリアボスに挑むための道を開いてくれていた。異常な攻撃力を持つプレイヤーの群れを相手にして戦ってくれたのだ。

 

 そして何より、キリトはぼくの親友――真っ先に報告したくて仕方がなかった。

 

 ぼく達がキリトの家に戻った時、そこで全員が集まっていた。ぼく達がエリアボスのところへ行った後、キリトの仲間があの場に結集して、プレイヤー達と戦ったんだそうだ。ぼくはその事にお礼を言うと同時に、エリアボスを倒して記念碑に名前を刻む事が出来た事を報告した。

 

 その次の瞬間、森の中の静かな家は大盛り上がりになり――盛大なパーティーが開かれる事になった。皆で食材探しに狩りに出かけ、思い切り戦って食材を集めたら、アスナ、リーファ、シノンといった料理スキルの高い人達が調理をしてくれて、沢山の色とりどりの料理が出された。

 

 そんな料理や即席の催し物なんかを皆で出し合い、ぼく達はその日の日中を全部パーティーに使う事になったのだった。

 

 そのパーティーに勿論参加していたユウキは、大喜びしていた。「大好きな皆と一緒に戦って、エリアボスを倒せて、その後美味しい料理を食べられて、パーティーが出来るなんて、今日は最高の一日だよ」。

 

 彼女はそう言って、これまで見てきたどの時よりも大騒ぎして、皆の開催してくれたパーティーを楽しんでいたのだった。間違いなく、彼女の心に巨大すぎる良い思い出を作る事に成功していた。

 

 ぼくもそのパーティーを楽しんでいたけれど、素直に楽しめていたかと言われるとそうでもない。ぼく達は確かにユウキに最高の思い出を作ってあげられたが、それはもうユウキにしてあげられる事が何もなくなった事、後はユウキがウイルスに食べられて死ぬのを見守るだけになってしまったという事だったからだ。

 

 ユウキが死ぬと聞かされたから、ぼく達はこの日を企画して、実行した。それが終わったという事は、もう後はユウキが死ぬだけ。そう思えて仕方がなく、パーティーをしている時も、正直気分が沈んで仕方がなかった。

 

 もうこれで、ユウキとの思い出は終わりだ。ぼくは結局、ユウキ/木綿季を喪う。ようやく想いを告白出来て――しかも相思相愛だったっていう事も理解できたというのに、木綿季は残り二ヵ月で死ぬ。おねえちゃんの時と同じ事が繰り返されるのだ。

 

 もういやだ。そう思っていたのに、また繰り返される。ぼくはまた、同じ事を繰り返す――。

 

 

 そんな思いが胸に存在したまま過ごす事になったパーティーの、スリーピング・ナイツのエリアボス攻略成功から丁度一週間が経過したある日、ぼくのスマートフォンに一通のメールが来ていた。

 

 

 勿論と言うべきか、横浜港北総合病院の治美先生。何度も経験して、既に慣れてしまったように感じる、スマートフォンの治美先生からのメール。そこには、病院に来てほしいという一言だけが添えてあった。

 

 詳しい事情は何も書かれてないうえに、プローブの中に木綿季もいない。ぼくは嫌な予感しか感じなかった。

 

 もしかしたら木綿季の体内のウイルスの侵喰が思いのほか早くて、木綿季の身体が二ヵ月も持たないのではないか。訣別の時が一気に近付いたのではないか。どんなに考えてもそんな事しか思いつかない。

 

 だけど、いずれにしても受け入れなければならない事だ。そして治美先生が呼んでいるからには、とにかく行かなければならない。ぼくは手早く支度をして、かつて入院していた病院へ向かった。

 

 病院のエントランスは騒いでいる様子がなかった。様々な患者が居て、それぞれにそれぞれの事情や用事があるようだ。木綿季のウイルスの存在はやはり、患者達や周りの一般人などには知られていないらしい。

 

 ぼくは安堵しながら、面会受付窓口に向かった。そこからいつものように看護師の導きを受けて、中央棟の最上階にエレベータで向かう。

 

 しかし、ぼくが案内されたのは木綿季のいる無菌室ではなく――木綿季の身体から新型ウイルスが見つかった時から使われている、治美先生の診察室だった。木綿季のところへ行くのではないとわかったぼくは、胸の中の嫌な予感を強くしながら、診察室に入った。

 

 薬棚、診察用ベッド、テーブルといったセットが置かれている、診察室らしい部屋。テーブルにはシャウカステンとモニターとパソコンもある。そのテーブルの近くの椅子に治美先生が座っていて、隣に倉橋先生が立っていた。

 

 

「「海夢くん!」」

 

 

 二人ともぼくがやってくるなり声をかけてきたが……ぼくは思わず二人に驚いてしまった。治美先生も倉橋先生も、目元にかなり濃い隈が出来ているのだ。まるで何日も寝ていない、もしくは僅かな睡眠しか摂らないまま動き続けているかのようだった。

 

 治美先生に至っては元が綺麗な人である分、主張がすさまじい。ぼくはひとまずその事に触らず、治美先生と対面する椅子に腰を掛けた。

 

 

「……治美先生」

 

「ごめんなさいね、こんなに度々あなたを呼び出す事になってしまって。あなたには何度も往復させてしまっているわ」

 

 

 ぼくは「おや?」と思った。治美先生の声色が少し浮ついているように感じる。それに表情もなんだか柔らかいように思う。徹夜通しでハイになっている人のテンションに似ていなくもない。徹夜を続けたせいで治美先生もそうなっているのだろうか。

 

 ぼくの疑問をそっちのけて、治美先生は続ける。

 

 

「木綿季ちゃんから聞かせてもらったわ。海夢くん、この前は木綿季ちゃんのために頑張ったそうね。すごく難しい事をやり遂げたそうで……」

 

 

 ぼくは思わず俯いた。木綿季があの一日の事を話しているというのは予想できたが、改めてその話をされると、ぼくが木綿季のためにしてやれる事は無くなったのだと言われたような気になる。

 

 

「……はい。ぼくに出来そうな事を精一杯やったつもりです」

 

「木綿季ちゃん、何度もその話をしてくれたわ。嬉しかった、楽しかった、最高の思い出だったって、何度も言ってたわ。あんなに喜んだ木綿季ちゃんを見たのは初めてかもしれない」

 

「ぼくも同じです。木綿季、すごく喜んでました。木綿季を喜ばせられたから、頑張った甲斐があったと思いました……」

 

 

 ぼくは顔を上げる。治美先生の表情は変わっていなかった。いつもなら、ここで悲しそうな顔をするのが治美先生なのに、ぼくを出迎えた時から表情を変えていない。

 

 

「それで、今日ぼくを呼んだのは? 木綿季とも今朝から話が出来ていないんですけれど」

 

 

 二人ともはっととしたような顔をして「そうだった」「そうだったわ」と言った。しかしすぐに表情が元に戻り――ぼくは胸の内の疑問を話す。

 

 

「……言ってもらわなくてもわかります。木綿季の身体がもう持たないんでしょう。最初は二ヵ月だって言ったけれど、調べたらもっと早く死ぬ事がわかった。そうでしょう」

 

 

 「木綿季は助からない」。そう告げた人達にぼくはその言葉を返すように言った。こんなふうにぼくを呼んだのは、ひとまずぼくだけに真相を話そうと思ったから。そうに違いない。木綿季の身体から新型ウイルスが見つかった時には明日奈も一緒に居たが、彼女は後で来る事になって、真相を話される予定だろう。

 

 木綿季がもっと早く死ぬ事を告げるために、ぼくを呼んだであろう倉橋先生が、口を開く。

 

 

「海夢くん、落ち着いて聞いてください。木綿季くんの身体で発生した新型ウイルスの解析と調査が完了しました」

 

 

 ほら来た。やっぱりそうじゃないか。お医者さんがそう言う時は、最悪の事がわかった時だ。ぼくの予想はまた当たったのだ。

 

 そして木綿季の新型ウイルスは、ぼく達が思っているよりも早く木綿季の事を殺そうとしているのだ。倉橋先生から受け継ぐように、今度は治美先生が続ける。

 

 

「私の仲間というべきかしら、その人達を総動員して、木綿季ちゃんの体内の新型ウイルスの解析と調査を行ったの。そしたら思いの外早く完了して……ある事がわかったの」

 

 

 ついに来る。治美先生から直々に、木綿季への死刑宣告が下される。

 

 

「木綿季ちゃんの体内の新型ウイルス……それは新薬、元はあなたの体内に居たウイルスが突然変異を引き起こして誕生したもの。それはね、新薬のウイルスが先祖返りを起こしたものだったの」

 

 

 治美先生の言葉にぼくは顔を上げる。先祖返りとは、ある生き物にとって先祖に当たる存在の特徴などが発現してくる現象の事だ。

 

 

「先祖返り?」

 

「そう。新薬のウイルスは、免疫細胞を捕喰して壊す性質を持っていたHIVが変異して、他のHIVを捕喰して殺す性質を手に入れたものだった。そのウイルスは木綿季ちゃんの体内という環境に入れられ、全てのHIVを食べ終えた時に、食べ物がない極限環境に置かれたの。かつてのあなたの体内と同じような極限環境にね。そしたらそのウイルスはまた変異して、免疫細胞を食べ物とするかつてのHIVとしての性質に逆戻りしたのよ。木綿季ちゃんにエイズの症状が出ているのはそのためだったの」

 

 

 明かされた木綿季のウイルスの正体。ぼくは釘付けになってその話を聞いていたが、そのぼくに今度は倉橋先生が話しかけてくる。

 

 

「海夢くん、新薬が出る前のエイズの治療方法が何だったか、覚えていますか」

 

 

 エイズ本来の治療方法の知識はうんざりするほど得ている。エイズになってしまった患者に、HIVへの完全耐性を持つ人間の骨髄液を移植するのだ。それによって免疫細胞をHIVが食べられないものに変える事で、HIVを死滅させる。こうする事で、エイズになっていた患者はエイズでなくなる。

 

 しかし、それをするにはまず、エイズになっている患者の白血球の型であるHLA型が、骨髄液提供者のHLA型が一致している必要があり、その確率は数万分の一と、とんでもなく低い。競馬などのギャンブルで億単位の額が出る確率とどっこいどっこいだ。

 

 おねえちゃんもこのやり方で治療されるかもしれなかったが、結局条件が合わなくて出来なかった。おねえちゃんのHLA型は、ぼくとぼくの両親と、誰とも一致しなかったのだ。ぼくはアジア人で初めて確認されたっていう、HIVへの完全耐性を持った骨髄を持っていたけれど、おねえちゃんに使う事は出来なかった。

 

 

「……それがどうしたんですか」

 

「木綿季くんの身体から採取したウイルスを、骨髄バンクに提供されているHIV完全耐性型の骨髄液と合わせてみたところ、ウイルスの死滅が確認できました」

 

 

 ぼくは目を見開く。それはつまり、木綿季の身体のウイルスは不滅のウイルスではなかったという事になる。

 

 

「そうです。木綿季くんの体内にいるウイルスは、元々木綿季くんが感染していたHIVと全く同じものと言えるのです。ですから、木綿季くんの治療は可能なのです」

 

 

 ぼくは床が抜けるような思いをした。ぼくの予想は、外れていた。木綿季は死なないという事か。

 

 

「って事はまさか、従来通り新薬で叩ける!?」

 

 

 倉橋先生は首を横に振った。そのまま悔しそうな声で言う。

 

 

「いえ……新薬から先祖返りしたウイルスという事もあったせいで、新薬のウイルスでは倒す事が出来ないのです。新薬以外の方法を使わなければなりません」

 

 

 身体が一気に重くなったように落胆した。新薬が効かないのであれば、やらなければならないのは骨髄移植だ。しかしそれを成し遂げるには、木綿季とHLA型が一致していて、尚且つHIVに完全耐性を持っている骨髄を持つドナーを見つけなければならない。

 

 そんなものが見つかる確率など、スリーピング・ナイツとキリト達全員が一斉に宝くじの一等賞に当たって大金を手にするよりも低いだろう。結局成す(すべ)なしじゃないか。

 

 結局木綿季を助ける手段などなかった。木綿季は結局助からないという真実を突き付けられただけだった。

 

 

「じゃあ、もう……」

 

「……えぇ、私達もウイルスの性質がわかって、対処方法がわかって一瞬喜んだけれど、あなたのように落胆したわ。木綿季ちゃんが死ぬ前に、木綿季ちゃんとHLA型の一致するドナーを見つけなきゃいけないなんて、とても無理だって思った」

 

 

 その時、俯くぼくの視界に、治美先生の動きが見えた。しかし顔を上げる気にはならない。

 

 

「けれどね……海夢くん。あなたの家は確か神社で、縁結びの神様をお祭りしているって話だったわよね?」

 

 

 ぼくは思わず顔を上げる。どうしてそこでぼくの家の話を出す。神社に祀られている神様の話など関係ないはずだ。

 

 

「……それが、なんですか」

 

「私達、ちょっと思ったのよ。その縁結びの神様は、海夢くんと木綿季ちゃんを、とても奇妙な縁で結んでいるってね」

 

 

 増々治美先生の言い分がわからなくなる。この人は何が言いたいのだ。首を傾げるぼくを目にしながら、治美先生は静かに言う。

 

 

「ある人のHLA型と他人のHLA型が一致している確率は、その人と親子関係の人で二十五パーセント前後。完全に他人ならば数万分の一といった確率よ。木綿季ちゃんはもう家族もいないから、数万分の一の中から、一人だけHLA型が一致していて、HIVに完全耐性を持っている骨髄の人を見つけなきゃいけなかった。そのはずだったのよ。

 私……見つけたの。あなたと澪夢さんがこの病院に入院した時、あなたから採取した骨髄液を。それで……もう一度調べた」

 

 

 そこまで言われて、ぼくは目をぐうと見開いた。新薬を産んだぼくの骨髄液。沢山の人を助けたくせにおねえちゃんを助けられなかった、役立たず。

 

 それを今、治美先生は話している。それにまつわる大事な話をしている。

 

 

「……まさか」

 

 

 治美先生と、倉橋先生は同時に頷いた。口を開いたのは、治美先生だった。

 

 

 

「そうよ、(しら)(みね)(かい)()くん。あなたのHLA型と、紺野木綿季ちゃんのHLA型は一致しているわ。木綿季ちゃんにとっての何万分の一は、あなただったのよ」

 

 

 

 ぼくは数秒間立ち尽くした。一瞬何を言われたのかわからなくなりそうだった。けれど、徐々に言われた事がわかり――思わず反芻(はんすう)する。

 

 

「ぼくと木綿季の、HLA型が同じ……?」

 

「それだけじゃありません。海夢くんから採取した骨髄の中では、木綿季くんの体内のウイルスは生きられない事がわかりました。木綿季くんに海夢くんの骨髄を移植すれば、新型ウイルスの駆逐は十分に期待できます」

 

「じ、じゃ、じゃあ、じゃあ!」

 

 

 ぼくが木綿季へ骨髄移植を行えば、今度こそ木綿季を助けられる。木綿季をおねえちゃんのように喪わずに済むのだ。ぼくは喜びでどうにかなりそうだった。落とされたと思ったら上げられていたのだから。

 

 そんなふうにぼくが喜ぶ目の前で――治美先生の顔が険しいものとなる。

 

 

「……海夢くんの骨髄を木綿季ちゃんに移植すれば、木綿季ちゃんは確実に助かる。けれど、それはとても危険な賭けになるかもしれない」

 

「え?」

 

「骨髄提供をする事になるドナーになるにはね、骨髄バンクで定められた条件をすべて満たしている必要があるの。安全面から考えてね。年齢は二十歳以上、輸血経験なし、血液疾患なし、体重が四十五キロを超えているなど……特に体重はすごく大事よ」

 

 

 治美先生の挙げた条件にぼくは愕然とする。それはどれも、ぼくは満たせていない。

 

 ぼくはチビであるせいで体重も四十キロくらいしかないし、輸血経験はあるし、さらに年齢も二十歳に到達していない。骨髄提供をしている骨髄バンクの出した条件から、ぼくは外れてしまっていた。

 

 

「そんな……」

 

「えぇ、本来ならあなたは骨髄提供は出来ない。条件を満たせていないうえに体重が軽いから、危険すぎるわ。けれど……もうこれしかないのよ、木綿季ちゃんを助けるには」

 

 

 ぼくはきょとんとして治美先生を見る。ぼくに何かを問うているように見える瞳だった。

 

 

「海夢くん、あなたは自分の命を(なげう)ってでも、木綿季ちゃんを助けようという気があるの。骨髄提供者の条件を満たさないあなたが木綿季ちゃんに骨髄提供するというのは、これ以上ないくらいの危険な行為になるわ。骨髄バンクの決まりを守らない治療をしたという事で、病院としても大問題になる。あなたの身に何が起こるかも、何もわからない。あなたのご両親から了解を得られるとも思えない。

 ……それでもあなたは、木綿季ちゃんに骨髄提供しようと思うの」

 

 

 治美先生も、倉橋先生も真剣な眼差しでぼくを見ていた。二人とも決意を固めている。木綿季を助けるために、骨髄バンクの大切な決まり事に逆らう治療をする覚悟を決めているのだ。

 

 骨髄バンクの条件に満たない人間をドナーにして、骨髄提供を行ったなんて事になれば、この病院がとんでもない騒ぎになるのは間違いない。責任者は甚大な責任を取らされる事になるだろうし、この二人だって無事でいられるかわからない。それでも――この二人はやる気で居て、ぼくの返答を待っている。こんなお医者さんは日本全国を探しても、そうそういないだろう。

 

 

 ぼくは骨髄バンクに登録できない、ドナーになれない。

 

 けれど、ぼくの骨髄を木綿季に移植すれば、木綿季は確実に助かる。HLA型も一致しているうえに、HIVに感染してもエイズにならない超人の骨髄が身体に流れるようになるのだから。木綿季はようやく病気の悪夢から解放される。

 

 しかし、もしこれが敢行される事があれば、この病院は大問題になるだろうし、ぼくの命だってどうなるかわかったものではない。そんな事になろうものならば、おかあさんとおとうさんがどんな反応をするか目に見えている。沢山のリスクが、木綿季の治療には存在する。

 

 

「……」

 

 

 けれど、ぼくはそれらのリスクを言われる前から、既に言いたい事があった。

 

 

 ――リスクもデメリットも、どうでもいいよ。

 

 

 木綿季を助ける方法はもう、これしかない。骨髄提供者になれないはずのぼくが木綿季に骨髄移植をするしか、方法がない。他の方法を模索していれば、その間に木綿季は死ぬ。リスクを冒してでもぼくが助けなきゃ、木綿季は助からないのだ。

 

 

 脳裏に映像が浮かぶ。木綿季/ユウキと遊んだ日々、一緒に過ごした日々、からかわれた日々。血の繋がりなんか一切ないのに、本当の妹のように愛おしい木綿季。そんな木綿季の生命を助けるには、ぼくの生命を幾分か分け与えるしかない。

 

 

 それに対する答えなど、とっくに決まっている。

 

 

 おかあさんが反対しようが、おとうさんが反対しようが――おねえちゃんが反対しようが、もうそんな意見なんかどうでもいい。

 

 

 気付いた時、ぼくは声を発していた。

 

 

 

「ぼくは、木綿季を助けたいです。大切な家族を喪うなんて、もういやだから」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

          □□□

 

 

 

「木綿季」

 

 

 呼ばれたような気がして、木綿季は目を開けた。しかしすぐに眩しく感じて目を閉じる。光が直接当たっているところにいるようだ。徐々に目が慣れてきたのを見計らい、今度こそ目を開けると、そこは真っ白な空間だった。

 

 

「あれ……」

 

 

 その時、木綿季は立っていた。寝ていたのではなく、立ち上がっていた。地平線の彼方まで白一緒に染まっている空間の中に、木綿季はぽつんと立っていた。

 

 

「ん……?」

 

 

 ここはどこだろう。ボクはどうしてここにいるんだろう。当然ながらそんな疑問を抱いて、木綿季は周囲を見回した。地平線の向こう側まで白一色に染まっているものだから、どこを見ても風景が変わってくれない。意識もぼんやりしているように感じた。

 

 

「なんだ、ここ……?」

 

「木綿季」

 

 

 背後から唐突に呼び声がしたものだから、木綿季は飛ぶように驚き、意識をはっきりさせた。ALO、《SA:O》でのAGIの発揮のように素早く振り返ったところで、木綿季はきょとんとした。

 

 すぐ近くに人がいた。女性だった。さらさらと流れる長い黒髪と、頭の上にある大きな赤いリボン、白いワンピースを着ているのが印象的だ。その女性は後ろ手を組み、朗らかな表情で木綿季を見つめていた。

 

 

「あ、れ……」

 

 

 女性をじっと見つめ返す事十数秒。木綿季は女性に見覚えがある事に気が付いた。咄嗟に頭の中の記憶を探す。辿り着いた記憶は――海夢と一緒に写真を見ている時だ。

 

 海夢が最も大切にしている写真だと言って見せてくれた写真。それには一人の女性が映し出されていた。その写真の中の女性と、目の前の女性の姿はほぼ同じだった。顔つきから体型、髪型まですべて一緒だ。

 

 そしてその女性は――。

 

 

「もしかして、海夢の……おねえさん……?」

 

 

 女性は微笑みを返した。否定しているようには見えない。女性は間違いなく、海夢の姉であったという、白嶺澪夢その人だった。

 

 海夢は澪夢が亡くなっていても、まだ居ると主張していた。その言葉を素直に信じる事した木綿季は、澪夢の事を『おねえさん』と呼んでいた。だが、その『おねえさん』が目の前にいるというのは、いくら木綿季でも信じられない状況だった。

 

 

「おねえさんが、なんで……?」

 

 

 おねえさんは首を軽く横に振る。今気にしたってしょうがないよ――そう言っているようだった。

 

 

「木綿季、ありがとうね」

 

 

 唐突に礼を言われた木綿季は首を傾げる。何か礼を言われるような事をしただろうか。自分がおねえさんを知ったのは、おねえさんが亡くなった後なのに。

 

 

「え?」

 

「見てたわよ、木綿季がカイに寄り添ってるところ」

 

 

 『カイ』とは海夢の事だ。生前おねえさんが海夢の事を『カイ』と呼んでいたのは、海夢から結構な回数聞いた話だった。

 

 

「見、見てたって……言うと……?」

 

「わたしが居なくなって、塞ぎ込んでるカイを元気付けてるところとか、カイをからかってるところとかね。カイ、木綿季に本気で怒ってる事もあったっけ」

 

 

 木綿季は思わず自分の行動を顧みる。海夢との楽しい思い出が沢山あった。海夢と一緒の、楽しい時間。その中には勿論、海夢をからかったり、本気で怒らせたりしたところもあった。時にはおねえさんが聞いたら怒りそうな事も言ったりした。

 

 ……全部おねえさんが見てないという事を知って、やっていたのだから。

 

 

「え、え、ええ!?」

 

 

 木綿季は思わず慌てる。まさか海夢のおねえさんに全部見られていたなんて。

 

 次に来るのは説教だろうか。海夢が本気で怒るとそれなりに怖い。その姉がおねえさんなのだから、もっと怖いに決まっている。

 

 

「木綿季、もう一回言うね。ありがとう、カイを元気にしてくれて」

 

 

 木綿季はきょとんとした。おねえさんは怒っていなかった。

 

 

「カイ、わたしが死んでからずっと悲しんで、塞ぎ込んでて……目も当てられないような感じだったから。だけど、そんなカイを木綿季は元気にしてくれたから。あの子を助けてくれたから……」

 

 

 おねえさんはどこか悲しそうな顔をしていた。その表情を見ていると、木綿季もどこか済まない気持ちになってきて、木綿季は俯いた。

 

 思えばおねえさんが大切に思っていた海夢に色々と酷い事をしたものだ。

 

 

「そんな事ないです。ボク、海夢の事毎日ぶん回して、海夢にいっぱい迷惑かけて、いっぱい怒らせたりしてましたから。海夢を元気にできたというよりも、やっぱり迷惑かけてて……」

 

「木綿季」

 

 

 木綿季は顔を上げる。おねえさんは少しだけ首を傾げていた。

 

 

「木綿季は、カイの事はどう思ってる?」

 

 

 そう言われて、木綿季はもう一度頭の中を巡らせた。

 

 からかり甲斐のある海夢は、色々してくれた人もである。木綿季の身体を冒していたウイルスを取り除いて、エイズで無くしてくれた。身体を元に戻させてくれて、受け入れてくれた。しかも家族になってくれて、居場所を、帰る家をくれた。

 

 そして、運命が覆ってしまって自棄になった木綿季を連れ戻しに来てくれて――木綿季の事が大好きだと言ってくれて、最後にはとんでもないくらいの無茶な事をやってくれた。その話を聞いた時の心情を思い出すだけで、胸の中から海夢へ想いが溢れそうになる。

 

 その海夢に対しての想いを、木綿季は改めて口にした。

 

 

「……ボクは海夢の事、大好きです。海夢はボクのために真剣に色々やってくれて、ボクに帰る家をくれて、家族になってくれて、大好きだって言ってくれて……ボクがおねえさんの後を継いで巫女になるっていうのも、認めてくれたんです。

 それに海夢、ボクのために骨髄移植してくれたんですよ。海夢は本当は出来ないのに、ボクのために無茶してやってくれたんです。おかげでボク、本当に助かっちゃいました……だからボク、海夢の事大好きです。海夢と一緒に生きていけるの、すごく嬉しくて、幸せです……」

 

 

 おねえさんは「そっか」と言って笑んだ。これ以上ないくらいの満面の笑みだった。

 

 

「カイ、本当に良かった。木綿季っていう素敵な人に巡り会えたんだもの。これでもう、大丈夫ね」

 

 

 木綿季は頷きを返した。もう大丈夫だ。塞ぎ込んでいた海夢には自分がいる。そして自分には海夢が居る。もう、何も心配する事は無い。

 

 

「はい、多分大丈夫です。海夢の事はもう、大丈夫ですよ。ボクが居ますから! それで、ボクには海夢が居ますから!」

 

 

 思った事を全て伝えると、おねえさんはころころと笑った。その後に、穏やかな視線を木綿季に送る。少しの間黙って木綿季を見つめた後に、その唇を静かに動かした。

 

 

 

「それじゃあ……カイをよろしくね。わたしの大切な弟と一緒に……これからも生きてね。生きて……幸せになってね、()()

 

 

 

 その言葉に木綿季が少し驚いた直後、目の前が一気に真っ白に染まっていき、おねえさんの姿も見えなくなった。

 

 

「……おねえさん!!」

 

 

 咄嗟に木綿季は手を伸ばした。しかしその手先さえも瞬く間に白い光に呑み込まれていき、ついには木綿季の身体の全てが白い光の中に呑み込まれていった。

 

 

 

 

           □□□

 

 

 

「木綿季」

 

 

 もう一度呼ばれた気がして、木綿季は目を開けた。びっくりして上半身を起こすと、頭に衝撃が走った。

 

 ごすっという鈍い音がして、鈍痛が頭に走り、木綿季はもう一度寝転がって少し(うずくま)った。硬い何かにぶつかったようだ。

 

 頭をぶつけた部分を手で押さえながら今度こそ上半身を起こすと――そこは黒い空間の中だった。いくつか白いウインドウがあって、光を発し、木綿季を照らしてくれている。いつも使っているメディキュボイドの、どの世界にもログインしていない時に行く事になる、自分の部屋の中だった。

 

 

「あっれぇ……」

 

 

 木綿季は思わず首を傾げた。今何が起きた。自分は確かに頭をぶつけた気がしたが、ここに頭をぶつけるようなものはない。今自分は何に頭をぶつけた。そして誰かに呼ばれた気がしたが、それはいったい誰なのか。

 

 

「痛たたたた……」

 

 

 もう一度声がして、木綿季はそこを見たが、すぐさま驚く事になった。基本的に自分しかいないはずの部屋の中に、もう一人いる。それは木綿季と同じように頭の一部を抑えて蹲っていた。

 

 

「え!?」

 

 

 そのもう一人とは、少年だった。身長は自分と同じくらいしかなく、黒に極力近い茶色の長髪を一本結びにしている。黒いパーカーとジーンズを着た少年。その姿に木綿季ははっきりと見覚えがあり――思わず大声でその名を口にした。

 

 

「か、海夢!?」

 

 

 海夢と呼ばれたその少年はゆっくりと上半身を起こした。如何にも不機嫌そうな表情をして木綿季を睨みつけるように見る。

 

 

「木綿季……急に身体起こさないでよ。ぶつかったじゃないか」

 

 

 間違いなく海夢だった。切羽詰まった自分に、条件を満たしていないにもかかわらず骨髄を提供したという、今となっては大切な人。それがどうしてここにいるのか、そもそも何がどうなっているのかわからず、木綿季は混乱した。

 

 

「え、え、なんで海夢が居るの。というかボク……」

 

「木綿季、中々目を覚ましてくれなかったからびっくりしたよ。メディキュボイドによる意識の封鎖が解除されても、ぼくが呼びかけても全然起きなかったんだから」

 

「え、ええっと……」

 

 

 木綿季が困っているのが察せたのだろう、海夢は話をしてくれた。

 

 今から数えて四日前、海夢が木綿季に骨髄移植を行うという話がされた。まさかの海夢と自分のHLA型が一致していて、海夢のおかげでこのウイルスを除去する事が出来る。その時点で木綿季は驚きと喜びでいっぱいになっていたが、すぐにメディキュボイドの操作がされて、木綿季の意識をシャットアウトされた。

 

 そうして木綿季がメディキュボイドによる意識の封鎖がされている間に、手術が始まった。海夢の身体より骨髄液が引き抜かれ、木綿季の身体にも骨髄移植のための然るべき処置が施され――木綿季の身体に海夢の骨髄液が入れられた。臓器移植や癌の除去などといった大手術ではなかったために、手術は比較的短時間で終わった。

 

 その後、木綿季の身体で免疫細胞を食い散らかしていた新型ウイルスは瞬く間にその勢いを減衰させ、数を減らしていった。新薬や新型ウイルス発生時のような突然変異は起こる気配がなく、木綿季の身体を守る免疫細胞も修復されつつあるという結果が出た。

 

 そして今日、メディキュボイドの意識の封鎖も解除されたが、木綿季が一向に目を覚ましてくれないという事で、海夢がアミュスフィアを使ってこの部屋に入り、直接木綿季を起こすという行動に出たんだそうだ。

 

 

「そうだったんだ。ボクが寝てる間に、みんな終わったんだ……」

 

「そうだよ、みんな終わったんだ。手術も大成功だったし、新型ウイルスももうすぐ消えるってさ」

 

 

 木綿季は胸から込み上げるものを感じた。ついに終わった。生まれてから今まで続いていた病魔との戦いがついに終わり、自分の身体はようやく普通の人のそれに戻ってくれた。そのきっかけを作ってくれたのがここにいる海夢だ。海夢のおかげで、自分はまた生命を手にする事が出来た。

 

 そう思うと同時に、木綿季は気が付いた事があった。海夢は木綿季に骨髄移植を行ったが、それは骨髄バンクの決まりを破り、様々なリスクを冒した上で行われた事だった。そんな事をしてしまった海夢はどうなったというのか。

 

 

「そうだ、海夢、身体は大丈夫? 海夢は骨髄移植するとすごく危なかったって……」

 

 

 海夢は一瞬目を丸くした後に、深々と溜息を吐いた。何かあったのは間違いない。

 

 

「……木綿季にあげなきゃいけない骨髄液の量がぼくの命に関わるぎりぎりの量でさ。ぼくがチビで体重が少ないせいでね。それでもかろうじてなんとかなったけれど、起きたら怠いし熱はあるし、痛いしで。おかげでもう一週間くらいは入院が必要になるみたいだよ。アミュスフィアが普通に使えたのが救いだけどね」

 

「って事は……」

 

「うん。命には特に影響無し。それで、治美先生も倉橋先生も、特にお咎めは無しみたいだよ。事態は緊急だったし、相手が新型ウイルスだからね。四の五の言ってられる場合じゃなかったし……五歳の子供が骨髄提供したって話もあったからね。でもまぁ、体重が少ないぼくから骨髄を抜き取ったっていうのは、結構問題だったみたいだけど」

 

 

 木綿季は込み上げるものが強くなったのを感じた。

 

 骨髄提供の話を聞いた時、木綿季は不安になってもいた。もしかしたら海夢が自分の命を助けるために、その命を支払う事になるのではないか、自分が助かる引き換えに海夢が死ぬのではないか。

 

 次に目が覚めた時、海夢は死んでいるのではないか。それらは全て杞憂に終わっていた。自分のために必死になってくれた医師達にも何も起きていないのも、込み上げに拍車をかけていた。

 

 

「……海夢……ボクは……」

 

「……そうだよ。今度こそ木綿季は助かったんだ。まぁ、まだしばらくは無菌室から出ちゃ駄目だし、メディキュボイドを使う事になりはするだろうけど、後二週間もすればメディキュボイドもお終いだってさ」

 

 

 ついにここを出る時が来た。込み上げてきたものがついに目元に達し、大粒の涙になって出てきた。嗚咽を止める事が出来ず、木綿季は袖口で目を覆った。

 

 その直後だ。急に身体が暖かくなって、何かに包まれているような感覚が起こった。海夢がその小さな身体で、同じくらい小さな身体をしている木綿季を精一杯抱き締めてくれていた。

 

 その海夢の胸の中で、木綿季は嗚咽交じりに言葉を出した。

 

 

「夢を見てた……夢の中に、おねえさんが出てきたよ……」

 

「おねえちゃんが?」

 

「うん……おねえさん、ずっとボク達を見ててくれた……それでボクに……海夢の事お願いって……それで……ボクに生きてって言ってくれた……ボクの事、ユウって……ユウって呼んでくれた……」

 

 

 海夢からすれば信じられない話だろう。それにあれは自分の見た夢だ。おねえさんとの会話も夢の中で交わしたもの。しかし、木綿季はあれが夢だとは思えない。夢ではなく、現実の出来事のようにしか感じられなかった。

 

 木綿季の言葉が一旦切れると、海夢は返答するように言った。

 

 

「……おねえちゃんにそう言われたんなら、これから頑張って生きなきゃいけないよ。これから、ずっとね……」

 

 

 木綿季は海夢の胸の中で頷いた。そのまま言葉を続ける。

 

 

「海夢、やっとわかった事ある……生きる事はとっても怖いって……何が起きるか何にもわからなくて、未来がどうなってるか何もわからなくて……生きていく事は、すごく怖いんだって……」

 

 

 エイズになった事、海夢の新薬に助けられた事、その新薬が変異したウイルスに身体を喰われて死ぬかもしれない事、海夢に骨髄を移植してもらった事。その全てを、木綿季は予想できていなかった。今思えば、とても恐ろしい出来事の連続だった。

 

 

「だけど、生きていけるって素晴らしい事だって……生きてるだけで、素晴らしいんだって……それで、それで、ボクは生きなきゃいけないって……沢山の薬も機械も使って、周りの人に沢山迷惑かけてきたから……ボクは生きなきゃいけないって……」

 

 

 言葉がとめどなく出てくる。それを海夢は全て聞いてくれていた。力を込めて、震える木綿季の身体を抱き締めてくれていた。

 

 

「……そうだよ。全部終わったんだ。今度こそ全部終わったんだ。だから木綿季、どんなに怖くても、どんなに恐ろしくても、生きてよ。木綿季には生きて、生きて幸せにならなきゃいけない義務があるんだから……」

 

 

 そこで木綿季は海夢の胸から身体を離した。きょとんとしている海夢と顔を合わせて、首を傾げる。

 

 

「……海夢は、ボクを幸せにしてくれるの?」

 

 

 ふと思った疑問を口にすると、海夢はもっときょとんとした。その後、徐々に頬が紅くなっていき、やがてびっくりしたようにあたふたとし始めた。

 

 

「え、えっ、えぁぁっ、いや、えっと、ええっと……」

 

 

 木綿季は海夢を見つめるのをやめなかった。海夢はあたふたをちょっと続けてから、やがて落ち着いたように木綿季を見つめ返した。藍色の瞳の中に、木綿季の姿が映る。

 

 

「……しなきゃいけないね。だって、大切な骨髄をあげちゃったんだし。不幸には、させないつもり。っていうか、不幸にしちゃいけないね」

 

 

 その返事を聞くと、木綿季は胸の中が暖かくなったのを感じた。海夢はこう言っているけれども、きっと海夢と一緒ならば、幸せになれる。生きていくのは怖いけれど、海夢と一緒ならば生きていける。

 

 そう思えて仕方ない木綿季は、満面の笑みを海夢に返した。

 

 

 

「わかったよ。ボク、頑張って生きていくから、ボクの事……幸せにしてね、ボクにとっての英雄(ヒーロー)

 

 

 

 そのまま、木綿季は自分にとっての英雄の胸の中に、飛び込んだ。

 

 

 生命(いのち)を与えてくれた英雄の胸は、とても暖かった。その温かさをしばらく感じ続けてから、木綿季はそこから離れ、深呼吸。大きく声を出した。

 

 

「さぁてと! こうして病気が完治したんだから、皆に教えに行かなくちゃ! それにスリーピング・ナイツの皆とキリト達から、お祝いしてもらわないと! ボクだけずっと遅れたわけだし!」

 

「はぁ!? 木綿季、ちょっと待ちなって!」

 

 

 海夢は木綿季の右手を掴んだ。そのまましっかり握る。やろうと思っていた操作が出来なくなってしまい、木綿季はきょとんとする。

 

 

「一人だけで行かせないよ。ぼくが見てないと、何するかわからないのが木綿季だし」

 

 

 木綿季はもう一回きょとんとした。しかしすぐに胸が温かくなり、表情が微笑みに変わる。

 

 

「それじゃあ、一緒に来てくれる?」

 

「そうする」

 

 

 海夢は頷き、木綿季の右手を自由にしてくれた。木綿季が操作をすると、海夢も同じように操作をし、異界への扉を開く準備をする。そして準備が完了すると、二人同時に呪文を唱えた。

 

 

「「リンクスタート!」」

 

 

 

 

《キリト・イン・ビーストテイマー アイングラウンド 04 終わり》




――あとがき――


 ドーモ、皆=サマ。クジュラ・レイでございます。

 今回にてアイングラウンド編第四章が終了となりました。助かるかどうかわからなかったと思われた方も多かったようですが、木綿季は無事に助かりました。原作では死ぬしかなかった木綿季の運命も、この作品では変えられる事となりました。海夢の取った手段もかなり強引ではありましたが、木綿季のために致し方なく、といったところです。

 この章を書くに至った理由ですが、それはオリキャラの海夢と木綿季の掘り下げがしたかったからという単純なものです。オリキャラとして存在し、木綿季を助けたという海夢について、あまりに深堀りがなさすぎると思ったうえに、木綿季も掘り下げがないと思いまして、四章丸ごと使って描写する事にしました。ほとんど海夢が主人公になっていましたから、皆様の中にはつまらなく思った方もいらっしゃったかもしれません。

 そんな皆様に朗報です。次回からKIBTことキリト・イン・ビーストテイマーは第五章に突入しますが、主人公はキリトにちゃんと固定され、ヒロインはずっとシノンに固定されます。五章からアイングラウンド編終了まで、ずっとシノンがヒロインです。

 というか多分その後もずっとシノンがヒロインです。リランもちょくちょくスポットライト当たりますが、やはりシノンがずっとヒロインになるでしょう。これは約束できます。

 そしてそんな状態で進むわけですが、第五章では様々な真実が明らかになり、原作やゲームでもなかなか掘り下げのなかった人物についても、明らかになる事が多々あるでしょう。どうなるかは、これからのお楽しみという事で。

 何がともあれ、今回でアイングラウンド編第四章は終了となります。ここまで読んでくださった皆様に、感謝申し上げます。


 本当に、本当にありがとうございました。
























チュデルキンの命を支払い、クィネラの命を救います。
よろしいですか?

 はい   いいえ


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。