キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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 2019年3月最後の更新。


07:交差する少女達の意思

          □□□

 

 

 キリトは今、フィールドに赴いていた。場所は探索を始めてからほとんど経過していないオルトラム城砦。その入り口から少し進んだところが現在地だった。

 

 どこを見ても崩れた石壁があるが、迷路のように複雑な形になっているわけでもない。この地を訪れてきた冒険者達を呑み込んで途方に暮らせさせる迷路からは既に抜け出せていて、次のエリアへ進む事ができていたのだった。

 

 

「プレミアちゃん、そんな事を言ってたんだ……」

 

「あぁ。どうやらプレミアは俺達が思っている以上に成長してるらしい。俺達が違う世界の住人である事……こんなのはリラン達くらいしかわからないだろうって思ってたんだけどな」

 

 

 話しかけてきた声にキリトはそう答えていた。

 

 キリトには今二人の仲間が同行している。一人は使い魔であるが故に同行が当たり前である白き狼竜リラン。もう一人は金色の髪の毛をショートボブくらいにして、腹部と首もと、肩を大きく露出しているデザインの白と蒼の軽装を纏った青色の瞳の少女。

 

 SAOからの仲間であり、アルゴに並んでいるのではないかと思えるくらいの情報通であるフィリアだった。

 

 

 キリトは家を出て《はじまりの街》へ赴いた際に、リランとフィリアに合流した。リランはキリトに合流しようと初めから考えていたそうで、フィリアはオルトラム城砦にこれから向かおうとしているところだったと言った。

 

 その時キリトもオルトラム城砦に向かおうとしていたから、丁度良かった。一緒に探索しないかと言ってみたところ、フィリアはそれを承諾。キリト、リラン、フィリアの三人パーティを組んでオルトラム城砦に向かう事になったのだった。

 

 このフィリアの加入がキリトに大きく味方した。トレジャーハンターを自称するだけの探索上手、宝物探し上手のフィリアはオルトラム城砦の最初の迷路の踏破に成功しており、キリトが頼む前にキリトとリランの二人を無事に出口、次のエリアへ導いてくれた。

 

 コンソールルームを探した時は座標をもらえていたから迷わずに進めたが、普通の攻略の時にまで使えるものではなかったので、また迷路で迷う事になると思っていたキリトの予想は、大幅に裏切られる事になった。迷路を正しく進んで出口へ導いてくれるアリアドネの糸はフィリアだったのだ。

 

 

 迷路を踏破できた時はフィリアが誇ってみせたが、キリトは薄い反応しか返せなかった。あれだけ迷っていた迷路が踏破できたというのに、喜べなかった。アルゴに匹敵するほどの情報通であるが故、もしくはそうであるからこそ情報通なのか、様々な事柄に敏感なフィリアはすぐにキリトの異変に気が付き、声をかけてきた。「一体何があったの?」と。

 

 なんでもない――本当はそう答えたいところだったが、フィリアの表情はキリトを強く心配しているものであったため、誤魔化すのは難しそうだった。

 

 キリトはフィリアの問いかけに答え――フィリアとリランの二人と合流するまでに起きた事を、すべて話したのだった。それがフィリアとリランを、この二人以外を驚かせるものであるというのは、話す前からわかりきっている事だった。

 

 キリトの予想通りの反応である強い驚きをフィリアは見せ、やがて悲しそうな表情を顔に浮かべたのだった。

 

 

「それでプレミアちゃんは今、自分の力を怖がってたりするの」

 

「よくわからない。ただ、かなり混乱しているのは確かだった」

 

《当然であろう。誰かを守るために使おうと思っていた自分の力が、実は世界を崩壊に導く厄災の力であったなど……到底受け入れられるものではあるまい》

 

 

 狼の輪郭をしていても、リランの表情は悲しげなものであるとわかった。二人と合流する前に聞かされた話は、ずっとキリトの頭の中でリフレインを続けていた。

 

 

 イリスとの話を終えた後、家の中にプレミアが戻ってきた。リランやユイ達と一緒だったはずのプレミアが誰とも一緒じゃないまま入ってきたものだから、キリト達はそこで驚く事になったが、次にプレミアに言われた事は驚きのあまり言葉を失うようなものだった。

 

 プレミアはキリトに尋ねた。

 

 

 あなた達はどこから来た人達なのか。

 

 自分の中の力は世界を滅ぼす厄災なのか。

 

 

 あまり唐突だったものだから、キリトは絶句してプレミアを見ているしかなかったが、なんとか言葉を取り戻して尋ね返した。

 

 どうしてそんな事を聞くんだ。プレミアは答えた。

 

 前から薄々思っていたけれど、キリト達は自分達と違う気配を感じるし、自分のわからない言葉を平然と使っている。もしかしたら自分の世界とは違う世界から来ているのがキリト達なのではないか。そして自分の中にある《むがむちゅうのちから》は世界を滅ぼすための力であり、キリト達は前からそれを知っていたのではないか――彼女はそう尋ねてきた。

 

 その問いかけにキリトもシノンも、イリスすらも答えられなかった。プレミアはこの世界に生きているNPCの一人であるが、その中でもっとも成長しているといえるくらいの知能や知性を持ち合わせていた。だがそれはリラン達、ユイ達に匹敵するほどのものではないとばかり思っていた。

 

 しかし実際の彼女の成長は、キリト達が外部から来た存在であると認知できるくらいのものになっていた。他のNPC達ができないくらいの成長と進化が、プレミアの中に起きていた。

 

 その事がキリト達を驚愕させたが、プレミアはお構いなしにキリトに問い詰めた。真実はどうなっているのか。どうやっても逃がしてくれそうにないし、言い逃れできそうもなかった。

 

 キリト、シノン、イリスの三名は結局プレミアに真実を、現実世界から自分達が来ている事、プレミアの力は使い方次第で本当に世界を滅ぼしてしまう事、この世界が滅べば自分達とは会えなくなる事を、洗いざらい話した。プレミアはその話を集中して聞いていたが、終わり頃になるとひどく疲れた様子を見せてきた。

 

 いくらプレミアが成長、進化しているとはいえ、真実は難しすぎるものだったのだろうし、そもそも今日は昼頃になるまでにプレミアは色々な事を経験して疲労を募らせている。ひとまず横にならせ、ゆっくり休ませてやる必要があるだろう――イリスからの提案にキリトは乗り、二階の寝室をプレミアに貸してやる事にした。

 

 疲労困憊してしまったプレミアはシノンとイリスに連れられて二階の寝室へ向かっていったが、その前にイリスはキリトに「皆と一緒に探索に出掛けた方がいい。少しでも情報を集めよう」と言い渡した。

 

 確かにこうして足を止めている間にもカーディナルの厄災は進もうとするだろうし、そのための情報をどこかに出現させてくるだろう。今後の動向を掴むためにも、足踏みしている場合ではない。

 

 キリトは速やかに準備を済ませ、二人にプレミアを頼む事をすまなく思いながら、《はじまりの街》へ赴いたのだった。その経緯を二人に話してから、この話のリフレインは若干弱体化を見せた。

 

 もしかしたらフィリアにリフレインが伝染ってしまったのが理由ではないかとも思ったが、フィリアはそれが誤解であると知らしめるように答えた。

 

 

「プレミアちゃんはこの世界のクエストNPCの一人、なんだよね?」

 

《そうに違いはない。まぁグラウンドクエストを担当していたり、カーディナルに目を付けられていたり、どこの誰がデザインしたのか定かではなかったりするがな》

 

 

 リランの《声》に間違いはない。プレミアはこの世界に実装されているクエストNPCだ。色々と不審な点は多いけれども、NPCであるという事に変わりはないのだ。だがフィリアは何か思う事があるようだった。彼女がそうしているように疑問に思ったキリトは、フィリアに尋ねた。

 

 

「フィリア、何か気になる事が?」

 

 

 フィリアは頷き、腕組みをした。シノンはよくやる傾向にあるが、フィリアがやるのは珍しい方に入る。

 

 

「なんていうか、そこまでプレミアちゃんが他と違うとなると、プレミアちゃんって実は何か違うものなんじゃないかなって思えてきちゃって。この《SA:O》に実装されてるNPCのように見せかけておいて、実はNPCじゃないんじゃないかなって……なんかわたし、そんなふうに思えてきてるの」

 

 

 キリトは思わず驚いた。フィリアの言った疑問は、まさしくキリトも考えていた事だった。

 

 薄々ではあったものの、キリトはプレミアに成長具合から感じるものがあった。プレミアはこの《SA:O》のNPCの一人として作られている事は間違いないのだが、如何せん他のNPCと比べて異なる点が多すぎる。最近の成長速度やその濃度は勿論の事、人間性の獲得や現実世界に対する認知など、挙げれば中々にキリがない。

 

 単にプレミアがキリト達に接し続けているからこその違いなのではないかとも思ったりしたが、先程のプレミアからの問いかけがそうではない事の決定打となった。プレミアはフィリアの言うとおり、NPCとは異なる存在なのかもしれない。

 

 自分と同じ事を思っていたトレジャーハンターにキリトは答える。

 

 

「フィリアもなのか、そう思ってたのは」

 

「やっぱりキリトもそう思ってた?」

 

「あぁ、プレミアを見ていると、どうもそう思えるんだよ。やっぱりプレミアには俺達の知らない何かがあるかもしれないな」

 

 

 そこでリランが複雑そうな顔になる。リランもプレミアと同じAIだが、NPCには分類されていない。SAOでも《SA:O》でも。

 

 

《クエストNPCのように見える、クエストNPCではないもの……それは何であろうか》

 

 

 珍しく難しい顔をしているリランを見上げて、フィリアが尋ねた。

 

 

「リランはプレミアちゃんから何か感じたりしてないの。ほら、前にユピテルの時に教えてくれた《アニマボックス》っていうやつみたいなの」

 

 

 リランは首を横に振り、顔を下げる。色合いこそ異なれど金髪である少女同士の視線が交差した。直後に《声》が送り届けられてきた。

 

 

《確かに我らのような《アニマボックス》搭載型AIは互いに信号を感知し合えるが、プレミアから《アニマボックス》信号を感知できた事はない。プレミアに《アニマボックス》は搭載されておらぬぞ》

 

 

 フィリアは「そっかぁ」と言って口をへの字にした。わからない問題に直面して悩んでいるようだ。実際ここまでプレミアが謎だらけだから、フィリアがそんな様子になるのも無理はないだろう。

 

 

「じゃあプレミアちゃんは謎だらけNPCって事だね、現状は。なんだか納得できないなぁ」

 

 

 プレミアの正体は結局なんなのか。その事をセブンやイリスに話して、突き止めてもらうのは大分後になりそうでもある。今彼女達はカーディナルの厄災を止めるためにどうするべきかで忙しいのだから。プレミア自身について調べるのは、ひとまずカーディナルの厄災を止めてからにした方がいいだろう。

 

 

「まぁ、プレミアに正体があるかどうかは、グラウンドクエストを阻止してから考えよう。今はプレミアに世界を滅ぼさせない事が先決だ。フィリア、探索の協力を頼んでもいいかな」

 

 

 フィリアは回り右してキリトに振り向き、頷いた。待ってましたと言わんばかりの勢いだ。

 

 

「この辺りのマッピングは上手くいってて、情報も沢山あるの。お宝探しと道案内は、このわたしにお任せ!」

 

 

 フィリアはもう一度誇らしげに言った。実際フィリアの探索能力は仲間達の中で最も優れているし、皆でフィールドのマップの同期をして拡張する際も、フィリアの持ってきたマップデータがほとんどを占めていたりする。このオルトラム城砦の迷路もフィリアの先導で抜けられた。道は彼女に任せていいだろう。

 

 

「わかった。頼りにしてるぜ」

 

「いいよ、頼りにして! ほら、先へ進もう!」

 

 

 キリトに言われて張り切ったように、フィリアは歩き始めた。その後を追ってキリトもリランも歩き始める。

 

 時刻は既に十五時を廻っており、オルトラム城砦の空は午後の真っ青になっていた。まだここは解放したばかりだから、夕暮れ時や夜に探索した事はない。だが、既に最初の時点で、全体的に複雑な地形にデザインされているのがわかる。

 

 如何にも古代都市、敵国軍に攻め込まれても大丈夫な事を想定したような迷路の如し城壁と通路と、本当の迷路。そういった構成の遺跡郡は現実にもあるが、そこは高所から見ると、美しく雄大な姿となる。このオルトラム城砦も高所、或いは空を駆けるリランの背中から見たらさぞや絶景であろう。

 

 そんなところがあるかどうかは疑問だが、探索を続けているうちに辿り着けるかもしれない。ましてや財宝眠っていそうな遺跡大好きのフィリアも一緒に居てくれているのだ、本当にそこまで導いてくれるかもしれない――キリトは期待に胸を馳せつつ、フィリアと並んで歩いた。

 

 

 それから十分程歩いた頃に、キリトは軽い異変に気が付いた。

 

 並んで歩くフィリアの様子がおかしい。

 

 具合が悪そうなどというものではないのだが、たまに自分の身体――主に胸の辺り――をちらちらと見たり、かと思えばこちらをちらと見てすぐに目を逸らしたりするなど、挙動不審と捉えられる行動を繰り返している。顔色も薄らと赤くなっているように見えた。

 

 先程道案内は任せておいてと言われたばかりだというのに、その先導役が挙動不審では流石に不安を抱くしかない。キリトは先導役を買って出たトレジャーハンター少女に声掛けした。

 

 

「フィリア」

 

「うわああッ!?」

 

 

 急にフィリアが大声を上げたものだから、キリトも声を上げて驚いてしまった。フィリアも大分驚いてしまったようだ。リランも驚いている有様だった。

 

 

「お、驚かすなよ」

 

「そ、そっちこそ驚かさないでよ! びっくりしたじゃない」

 

 

 怒られてキリトは「えぇー」と言ってげんなりした。そっちが心配させるような様子を見せていたではないか。それで声を掛けられたら怒るのは、いくらなんでも理不尽じゃあないか。

 

 

「いやいやいや……急にどうしたんだよ。なんだか君、さっきから様子が変だぞ」

 

「うぇ!? え、えぇっと……」

 

 

 フィリアは少し焦っているようだった。顔により赤みがかかっているように見える。見えないだけで、やはり具合が悪いのだろうか。キリトは引き続き問うた。

 

 

「もしかして具合が悪いのか。そんなふうには見えないけど」

 

「そ、そんな事ないよ! どこも悪くない。どこも悪くないから!」

 

「じゃあ、なんでそんなに焦ってるんだよ。やっぱり変だぞ、君」

 

 

 問うてみて、キリトは自分の言い方がシノンの言い方のそれに近しかった事に気が付いた。シノンの記憶による影響はほぼ皆無になっているが、やはり細かな影響を受けてはいるらしい。いや、シノンと一緒に居て、その話し方や言い方を毎日聞いている影響だろう。勝手に脳内で納得するキリトを差し置き、フィリアは後ろ手を組んで、少しだけ顔を逸らした。

 

 

「……今更気付いたんだけど……このメンバー、わたしがキリトとリランと初めて会った時と、その後すぐに探索に出かけた時と同じなんだよね」

 

 

 小さな声で伝えるフィリアにキリトは反応を示す。そういえばそうだ。アインクラッド攻略中にリズベット武具店でフィリアと出会った後、自分達三人で探索に出かけた。今ここにいるメンバーは彼女の言う通り、その時の再現だった。

 

 

「そういえば、そうだったな。あの時も俺とフィリアとリランの三人だったっけ。それがどうかしたのか」

 

「……キリトは、その時の事をどれくらい憶えてるの」

 

 

 フィリアは言い辛そうに言ってきて、キリトの首を傾げさせた。色々な情報が交差する頭の中、キリトは思考して当時の記憶を呼び覚まそうとする。

 

 あの時はリズベットに素材の調達を頼まれたが、フィリアがその素材の在処(ありか)を知っているという話になって、一緒に行く事になった。

 

 だが、問題はその後で――。

 

 

「……!!」

 

 

 気付いて、キリトは噴き出しそうになった。同時に全てを悟った。フィリアがどうして挙動不審なのか。どうして顔を赤くしているのか。彼女が何を思い出してしまっているのか。全てがわかってしまった。もしかしたら自分の顔も赤くなってしまっているかもしれない。

 

 

「えっと……えぇっとだな……」

 

《我はよく憶えておるぞ。フィリアお前、あの時ボスモンスターに喰われたな。それでキリトがわざとボスモンスターに喰われてお前を助けに行き、一緒に出てきたのだ。お前はその時裸になっていたな》

 

 

 まさかの横やりを差し向けてきた狼竜に二人で向き直った。フィリアが大声を上げて怒り出し、キリトは思わず片手で顔を覆った。

 

 

「な、なんで言うのよ!? 思い出したくなかったのに~!」

 

「…………」

 

「キリト、思い出しちゃ駄目! 思い出さないでよ!!」

 

 

 フィリアはさぞ慌てた様子で呼びかけてきているが、キリトの思い出しを止められるものではなかった。キリトの頭の中に全てが(よみがえ)る。

 

 あの時、素材のある場所に居た恐竜型ボスモンスターにフィリアは喰われてしまった。体内に入れられたままではフィリアが死亡するとわかったので、キリトはわざとボスモンスターの捕食攻撃を受け、腹の中に飛び込んだ。そしてフィリアを捕まえて外に出た。

 

 結果二人は無事に助かり、ボスモンスターもリランの力で倒されたのだが……その時フィリアは装備を全て溶かされ、一糸纏わぬあられもない姿でキリトに抱き着いていた。その時のフィリアの身体とその感触は、SAOがクリアされ、シノンと様々な事をした後に至っている今でも鮮明に思い出せてしまう。おまけにどういうわけか、その時にはフィリアとシノンの身体は感触から温度まで全部違うという事までわかってしまった。

 

 勿論この事はシノンに一切喋ってなどいない。唯一シノンに話していない、絶対に話してはいけないと決意している話だ。

 

 出来れば忘却の彼方に飛ばしておきたかった思い出を蘇らせたあの時の当事者達に、キリトは愚痴るように言った。

 

 

「二人してなんで思い出させてくるんだよ……あの時の事……」

 

「だって、だってぇ……わたしも……憶えちゃってるんだもん……キリトだって、そうなんでしょ……?」

 

 

 もし、自分がシノンという伴侶を持っていなかったならば、或いはここで込み上げるもの、(たぎ)るものを感じたのかもしれない。それが一般男子として普通で自然な反応というモノだ。しかし、キリトの身体はそれらしきものを感じていなかった。単に恥ずかしい気持ちがあるだけで、身体の方は無反応と来ている。

 

 とりあえず俺は大丈夫のようだ――詳しい理由はさておき、結論を出したキリトはフィリアに言った。

 

 

「えっとだなフィリア、俺は平気だよ。そんなに気にしなくていい」

 

「は!? そんなに気にしなくていいってどういう事!? キリトはその――あの時の事を思い出して、何かないの」

 

「勿論あるよ! あの時はフィリアにすまない事をしたと思ってる。今でも悪いって思ってるよ。それだけだ!」

 

 

 思っている事を全て吐き出して、キリトは手を離した。フィリアはひどくきょとんとした様子でキリトの事を見ていた。顔は相変わらず赤いが。

 

 

「……本当に、それだけしか思ってないの」

 

「そうだよ。それ以外何も思っていない。

 まぁ強いて言えば、あの時フィリアの事を助けられて本当に良かったって思ってる事くらいかな。あの時フィリアを助けられなかったら、俺はまた目の前で大事な仲間を喪うところだったし、この《SA:O》にフィリアは居なかった事になっていた。あの時フィリアを助けられて、死なせずに済んで、本当に良かったよ」

 

 

 なんだ、案外思っている事は多いんじゃないか――自分で言ってみる事で、キリトは気持ちに気が付いた。それでもあまり多くの事は思っていない事もわかった。

 

 そしてフィリアはというと、もう一度後ろ手を組んで、キリトから顔を少し逸らしていた。

 

 

「……本当に……シノン一直線なんだなぁ……」

 

「え?」

 

 

 聞き返すキリトに、フィリアは首を横に振って答えた。

 

 

「……わたしも、あの時はあんな事になりはしたけれど、キリトに感謝してるよ。キリトがあの時飛び込んで来てくれなかったら、わたしは今頃死んでたから。今ここにいる事も出来なかったから……だから、恥ずかしいけど、あの時の事を思い出すのは嫌じゃないんだよ。その、キリトがわたしを助けてくれた恩人だって事も思い出せるから……」

 

 

 フィリアは逸らしていた顔をキリトの許へ戻し、微笑んだ。

 

 

「キリト、改めて言うね。ありがとう、あの時わたしを助けてくれて……」

 

 

 そう告げるフィリアの姿が、キリトにはいつもと違って見えた。

 

 いつもは探索やお宝探しに忙しくしていて、ALOの時には遺跡のような外観と内装になっているスプリガンの本拠地の領主館に丸一日入り浸っていたくらいの、筋金入りのトレジャーハンター――自分の知るフィリアはそんな少女だ。それなのに今のフィリアはそうではなく、本当に女の子らしく、可愛らしく感じられた。もしかしたら、自分以外の男子ならば、ここでフィリアに愛おしさや恋心を感じたりもしたのかもしれない。

 

 しかし残念ながら、シノンを愛して守っていくという誓いを立てているキリトの中に、その思いは生じていなかった。フィリアの裸身の感触を思い出しても身体が無反応な事も、それに関係していたのかもしれない。

 

 キリトは若干すまなく思いつつも、微笑みを返した。

 

 

「どういたしまして。ただ、あんな事はもうないから、安心していいぞ」

 

 

 フィリアはもう一度びっくりしたような顔をして、反論してきた。

 

 

「あってたまるもんですか! キリトもリランも、この事はわたし達の秘密だからね!? 絶対に他の人に話したりしたら駄目だからね!?」

 

 

 キリトは溜息を吐いた。それはリランの溜息とも重なった。珍しく《ビーストテイマー》と《使い魔》の間で意見が重なったようだ。

 

 

《嘘は吐かない我でも、話せるものか。アレは》

 

「拷問されても言えないよ。シノンに殺されるっての……」

 

 

 シノンの精神衛生の関係でも、話す事は出来ない。何とも複雑な思いを抱くような不幸な体験をしてしまったものだ――キリトがそう思ったその時だった。

 

 

「よぉ、やっと見つけたぜ。《黒の竜剣士》さんよぉ」

 

 

 不意に呼ばれた気がして、キリトはその方を見た。前方に複数の人影が確認出来て、キリトは二人に声掛けして城壁の陰に隠れてもらった。リランに人狼形態になってもらうと、キリトは壁の側面から前方を覗き見た。

 

 燃えるような赤い髪の毛の男の姿、黒い髪の少女の姿がひとまず認められた。

 

 

「あれは……ジェネシスと、プレミアの双子……?」

 

 

 

 

          □□□

 

 

 

「いたいた。やっと見つけたぜ、《黒の竜剣士》」

 

 

 オルトラム城砦という名のフィールドをマスターとアヌビスと彼女の三人で探索している途中。

 

 そこら辺を闊歩しているモンスター達を全て片付けて一息吐こうとしたところに、乱入者が現れた。言わばガラの悪い目つきをした――それでもマスターより弱そう――な四人の男だ。如何にもこちらに文句があるような様子でずかずかと歩いてきたので、ティアはそいつらを睨みつけた。その時マスターもそいつらを睨みつけていた。

 

 

「なんだてめぇら。何の用だよ」

 

 

 マスターの問いかけに一人が答える。全員が既に武器を抜いていた。

 

 

「お前に借りを返そうと思ってな!」

 

「流石にあれくらい好き放題されて黙ってられるほど、オレ達は人間できてねえんだよ」

 

 

 マスターは「あ?」と首を少し傾げる。覚えがないようだ。無論ティアにも覚えがないが――連中の頭上を見てティアは警戒した。オレンジ色の『カーソル』が出ている。

 

 以前マスターは「頭の上のカーソルっていうのがオレンジ色をしていたら、そいつらは糞野郎だから遠慮なく叩き潰していい」と教えてくれた。それに該当する者達が来てしまったようだ。

 

 

「オレ達の攻略の邪魔しておいて、このゲームを続けられると思ってんのかよ。オレ達が必死になって戦ってたモンスターを横取りしてレアアイテムかすめ取って、そのうえオレ達を殺してアイテム根こそぎ奪い取りやがったお前が!」

 

 

 連中の顔は赤くなっていた。かなり怒っている。自分とマスターが出会う前に、こいつらはマスターに突っかかった事があるようだ。

 

 

「あぁ、あの時連中かよ。俺に手も足も出なくて、奪われるだけだったあいつらか! んで、今更俺のところに戻ってきてなんだよ? 俺を倒すつもりか?」

 

 

 マスターがいつもどおりの姿勢を見せると、男達は笑った。……嫌な笑みだ。

 

 

「相変わらずムカつきやがるなお前は。どうせゲームの中だけなんだろ、そんなでけえ態度取れるのはよ。そうだろ、お坊ちゃん?」

 

 

 マスターは「ん?」という小さな声を喉から出していた。ティアは聞き洩らさなかったが、男達は聞こえなかったらしい。

 

 

「ゲームの中でしかいきがれねえ。ゲームの中でしかそんなふうになれねえんだろ、お前。でかいコミュニティを敵に回したりできるのも、ゲームの中だからだろぉ!? 現実でいきがれるような奴じゃないんだろぉ!?」

 

 

 男達は明確にマスターを挑発していた。ティアは自分の手が震えているのがわかった。背中の大剣を抜きたくて仕方がない。ソードスキルを力いっぱい放ち、かち割ってやりたい。その思いは男達の笑いを聞く事でティアの中で膨張したが――やがてマスターは鼻を鳴らした。

 

 

「……人の事言えんのかよ。てめぇら」

 

 

 男達は「あ?」と言って笑うのをやめた。

 

 

「てめぇらだってそうなんじゃねえか。こんなゲームの中でしかいきがれねえんだろうよ。てめぇらの現実(リアル)なんて、誰が作ったのかわからねえようなルールに、皆がやってるからとか言って乗っかって、ルールに流されるだけ流されたんだろ。そしたらどん底に着いちまったんだ」

 

 

 ティアは男達そっちのけでマスターの話を聞き入っていた。男達も襲ってくる気配がない。

 

 

「ムカつくよなあ? 皆が信じてるルールの先がどん底に繋がってたんだからよ。しかもルールの中にどん底から這い上がる方法は書かれてねえ。何もわからなくてムカつくよなぁ? けどそんな中でどん底から這い上がる奴はいる。どん底から上がっていく奴が。

 どん底から出て行った奴はいい思いをするんだ。地位も名誉も金も手に入れてやがってな。そういう奴がいる事がムカついてたまらねえから、這い上がった奴を叩いてムカつきの解消してんだろ。名前をしっかり『匿名』にして、誰なのかわからなくしてな。誰なのかわからなくなりゃ、なんだってやり放題、叩き放題だもんなぁ?」

 

 

 マスターの声はどんどん上ずって行っていた。気のせいか、男達の顔が赤くなっていっている。手元もつい先ほどの自分のように震えていた。

 

 

「このゲームもプライバシーがしっかり守られてるから匿名でなんでもできる。でけえ態度も顔も匿名だからできる。惨めな現実を忘れていくらでもイキれる。ここでイキったところで何も変わんねえけど全てがムカつくからイキるしかねぇ! そうなんだろ? ルールに従って落ちぶれた敗者さん達よぉ」

 

 

 マスターはとどめと言わんばかりに目をかっと開き、言った。

 

 

「でっけぇブーメラン、頭にぶっ刺さってんぞ。顔が(あけ)えのは血のせいか?」

 

 

 次の瞬間、男達は一斉に武器を構え直し、獣の咆哮を上げてマスターに飛び掛かった。怒りが頂点に達してしまったらしい。ついにこの時がやって来た――待ちわびた時を迎えたティアは大剣を引き抜き、マスターの目の前に身を躍らせた。瞬間的に防御態勢を作ると、すぐさま男達の武器がティアの大剣に衝突して金属音と火花が散った。紙一重の防御だった。

 

 

「この人は、わたしが傷付けさせないッ!!」

 

「!? ティア、お前ッ……!」

 

 

 何故かマスターは驚いていた。男達が襲い掛かってきたのに驚いているわけではないようだが、その理由をティアは掴めなかった。

 

 しかしティアが男達の鼻息を浴びたのを目にしたところで、マスターは気を取り直したような仕草をして、大剣を引き抜き――笑った。

 

 

「……事実を言われて発狂かよ。小物っぷりを披露しまくってて笑えるわ」

 

「マスター、こいつらを……!!」

 

「あぁそうだぜティア。こいつらはくだらねえルールに従った糞野郎どもだ。ルールに従うばかりの弱い奴は強い奴に淘汰されるって事を、教え込んでやるぞ!!」

 

 

 ティアが力を緩めてバックステップすると、男達は体勢を崩して前のめりになった。そこにマスターの大剣が横薙ぎ一閃し、男達は後方へ吹っ飛ばされる。

 

 更にマスターの背後に待機していた黒き狼竜アヌビスが男達に向けて自慢の電撃弾を口内より発射。美しく飛翔する深紅の雷弾は男達を飲み込んで大爆発、電気の混ざった土煙が舞い上がった。

 

 マスターと呼吸を合わせ、ティアはその中に飛び込んだ。

 

 大切な人であるマスターを、守るために。

 

 

 

 

 

 

         □□□

 

 

 

 キリトが家を出て探索に向かって行った後、シノンはイリスと一緒にプレミアを寝室へ運んだ。今日の午前中から昼頃までの短時間に起きた事は、プレミアに肉体的にも精神的にも相当な負荷をかけた。そこに自分達が世界に関する事を話してしまったものだから、ついに限界が来てしまい、プレミアは疲労で具合を悪くしてしまった。

 

 AIなのにこんな事があるなんて――そう思いつつ、プレミアはキリトの使っているベッドにプレミアを寝かせ、布団を掛けてやった。……キリトの使っているベッドはキリトの匂いがして温かく、すんなりと眠りに落ちる事が出来るというのを、シノンはSAOの時から知っている。プレミアにも効くだろうと思ったので、プレミアはキリトのベッドで横になっていた。

 

 

「プレミア、大丈夫?」

 

 

 プレミアは疲れたような声を出して、重そうに瞼を開けた。水色の瞳の中にシノンの姿が薄ら映っていた。

 

 

「シノン……イリスは……?」

 

 

 プレミアを運んだ後、イリスはすぐに一階へ降りて行った。「頭の疲労には甘いものが効くから、《はじまりの街》で買ってくる」と言っていたので、シノンの隣には勿論、家の中にも居ない。

 

 だが、そんなに時間が立たないうちに戻ってくるだろう。イリスはシノンの専属医師をやっていた頃――きっともっと前――から、行動の速い事が特徴の一つだったのだ。

 

 

「イリス先生はすぐに戻ってくるから、心配しないで大丈夫よ」

 

 

 プレミアは「そうですか」と返事をする代わりに溜息を吐いた。やはりかなり疲れてしまっているようだ。

 

 思えば午前中のそれなりに早いうちにオルトラム城砦で探索をし、更にその後家に戻って昼食会をし、その後今度はクルドシージ砂漠に行き、双子の姉妹が厄災を望んでいる事を知りと、今日という日はとてつもなく濃かった。疲れが来ても仕方がなかっただろう。自分達でさえ、付いていくのがやっとなくらいだったのだから。

 

 

「プレミア」

 

「シノン……」

 

 

 声を掛けたらプレミアと一緒になり、シノンはきょとんとした。声を続けないでみると、プレミアが続けてきた。

 

 

「わたしは……どうしたらいいのでしょうか……」

 

「え?」

 

 

 プレミアは布団から右手を引き抜き、天井に向けて伸ばした。掌を自分の方に向けている。

 

 

「わたしは……キリトが危なくなった時、キリトを助ける事が出来ました。わたしを守ってくれる、助けてくれるキリトやシノン達を守る力がわたしにあって、それが《むがむちゅうのちから》というのだとわかりました。わたしも守られる、助けられるばっかりじゃないってわかったので……キリトやシノン達のために力を使おうって思っていました。《むがむちゅうのちから》でキリトやシノン達を守って、助けるって、思っていました」

 

 

 シノンはプレミアの声を聞いている以外出来なかった。プレミアは続ける。

 

 

「……けれど、わたしの力は……わたしの中の《むがむちゅうのちから》は、この世界を破滅に導く厄災だとわかりました。だからもう、わたしは《むがむちゅうのちから》を使えません。

 わたしは、《むがむちゅうのちから》以外の力や方法がわかりません……わたしを守り、助けてくれるキリトやシノン達を守る事も、助ける事も出来なくなりました……」

 

 

 プレミアは腕をベッドに落とし、シノンに向き直った。瞳がやや潤んでいるように見えた。

 

 

「シノン、わたしは……どうしたらいいのですか……」

 

 

 気付いた時、シノンはプレミアの右手を握っていた。眠気を訴える人がそうであるように、プレミアの手はとても暖かかった。更に暖めてやるように両手で包み込み、シノンはプレミアに返事をした。

 

 

「プレミアは、どうしたい? 今、プレミアがしたい事は、気持ちは……なに?」

 

 

 そう尋ねるのがやっとだった。自分もかなり今日という一日に振り回され、頭がいっぱいになってしまっているようだ。そのせいで今プレミアにかけるべき言葉を間違えってしまったらしい。今のプレミアに答える余裕などないだろう。

 

 自分より更に疲れでいっぱいになっているのが彼女なのだから。だが、その予想に反して、プレミアは答えてきた。

 

 

「わた、しは……わたしの……気持ち……は……わたしの……やりたい事……は…………」

 

 

 プレミアの言葉は言い切る前に途切れた。シノンに手を包まれたまま、寝息を立て始めていた。

 

 

「……」

 

 

 シノンは何も言えず、ただプレミアの暖かいを手を握っていた。

 

 

 




――あとがき――

 読者の皆様、アンケートにお答えいただき、ありがとうございました。

 今回試験的にアンケートを設置してみましたが、その理由は、皆様がどのオリキャラを好んでいらっしゃるか、人気のあるキャラは誰なのかを知りたかったからです。アンケートの結果はこうなっておりました。

1位.リラン
2位.ユピテル
3位.イリス
4位.カイム

 この中で断トツに票が多かったのはリランでした。このアンケートの結果ですけれども、もしかしたら今後の更新の内容などに影響が出るかもしれません。今はまだ確定しておりませんが、この機会は無駄にはしません。

 アンケートに答えてくださった読者の皆様に、感謝申し上げます。

 本当に、本当にありがとうございました。

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