キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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 あるキャラ、登場。

 


08:重なる者達

         □□□

 

 

 

 恐らくこれまで《SA:O》の中で過ごしてきた一日の中で最も濃かったと言える一日が終わり、次の日に進んだ深夜。

 

 時刻が午前十二時を過ぎていても、キリトはログアウトしなかった。場所はジュエルピーク湖沼群の最北部に位置する平原の森林地帯の近くにある一軒のログハウス――アイングラウンドから誕生したと思われるアインクラッドが舞台であったSAOに閉じ込められていた時も持っていた、《SA:O》でのキリトの家だった。その二階にある寝室の自分のベッドの上こそが、キリトの居場所だった。

 

 いつもは本当に寝落ちするために使っているベッドだが、キリトはそこに寝転がっておらず、上半身を起こしていた。

 

 

「……」

 

 

 見渡す限りの部屋の中は暗かった。灯りは窓から差し込んでくる月の光だけで、部屋に備え付けられている照明機能などは切られている。SAOの頃から見ている青白い光。それが薄らと照らす部屋の中、キリトの目線の先にあるのは壁だったが、そこを見ているわけではなかった。

 

 今日一日だけで随分と多くの事が起きて、わかった。カーディナルがこのアイングラウンドからアインクラッドを作る厄災を起こそうとしている事、その鍵を握っていたのがプレミアのクエストだという事、プレミアに双子の姉妹がいた事と、情報量は数えられるけれども、多い。更にプレミアの双子の姉妹はあのジェネシスと一緒にクエストをこなしていて、プレイヤー達に報復する事を決めていたという事までわかったものだから、混乱せずにはいられなかった。

 

 ソードアート・オリジン――ソードアート・オンラインによく似た名前を持っているという話を最初に聞いた時点で、キリトはそこでも何かが起こるのではないかと予想したりしていた。当時はただの杞憂であると思っていたが、それに反して予想は的中し、《SA:O》の開発スタッフや運営ですら想像していなかったであろう事情に巻き込まれる羽目になってしまった。それがカーディナルの厄災だ。

 

 しかも今回判明したそのカーディナルの厄災は、《SA:O》どころか、VR技術分野そのものの存続にかかわる問題かもしれないとまで来ている。何気なく進めていたクエストは、実はこの《SA:O》とVRそのものの生命線を握っているくらいのものであった。自分達がクエストを進めたせいで、世界とVRの危機が迫っているというのには、実感が中々湧いてこない。

 

 深夜の暗闇の中、キリトは右手をフリック操作してウインドウを呼び出した。いくつか操作を加えて、一枚の大きなウインドウを呼び出す。ホロキーボードで好きな事を基本的にいくらでも書き込む事の出来るメモウインドウだ。こういうふうに呼び出せるウインドウは常に一定以上の光を放っているため、暗闇の中でも操作が出来るようになっているし、文字も普通に読める。

 

 そのメモウインドウの中に記してあるのは、今日一日で起きた事、わかった事だ。カーディナルの厄災の事、プレミアのクエストの事、ジェネシスの事と、かなり多くの事が記してある。普段もよく使っているのがこのメモウインドウだが、今日は如何せん皆に伝えなければならない事が多くわかったので、普段より出番が多かった。

 

 キリトはスマートフォンやタブレットを操作する時のようにフリック操作し、メモを下の方まで一気に進めた。フリックされたウインドウに指をあてると、ぴたりとウインドウ内部の移動が止まり、キリトが見たかった部分が読めるようになった。今日という日の中で知った情報の中で最も大きかったのはカーディナルの厄災の事だったが、キリトにとってはそれよりも大きく感じられる事柄があった。

 

 その部分を書き留めた部分を読もうとしたその時に、キリトを呼ぶ声がした。

 

 

「キリト」

 

「!」

 

 

 ぴくんと反応を示し、声のした方へ目を向けた。このベッドは一人で使ってはいるもののダブルベッドであるので、二人で寝る事が出来るようになっている。そこに座るキリトの左隣の暗闇で動くものが見えた。

 

 セミロングくらいの長さで、もみ上げの辺りを白いリボンで結んでいるというのが特徴である黒髪をした、黒い瞳の少女がその正体だった。少女はキリトの事を不思議そうな目で見つめており、その頬は少し赤くなっているのが、暗闇の中でもわかった。

 

 

「シノン」

 

「どうしたのよ。寝ないの?」

 

「あぁ、ちょっと気になった事があってさ」

 

 

 シノンはゆっくりと身体を起こそうとするが、その前に掛け布団を鎖骨の下辺りまで持って来てから上半身を起き上がらせた。彼女は何も着ておらず、掛け布団の下は裸だった。それはキリトも同じだ。二人揃って何も着ていない状態でベッドの上にいる。

 

 シノンはゆっくりと身体を動かし、キリトの隣に寄り添うように座った。そのままぴたりと肌をくっ付けてきて、キリトは若干驚かされる。裸の肌同士が重ねられ、温もりが直接伝わってくる。

 

 

「もしかして、まだ足りない?」

 

「いやいや、そんな事は無いよ。俺の方は大丈夫だ。そう言う君は?」

 

 

 シノンは赤が少しずつ抜けていく顔に笑みを浮かべた。

 

 

「……満たしてくれてありがと。けど、ごめんなさい。私ばっかりあなたにさせちゃって……いつも頼むばっかりで……」

 

 

 笑みから申し訳なさそうな顔に変えてしまった恋人の身体を、キリトは左手で抱き寄せた。きょとんとするシノンに向けて、小さく首を横に振ってみせる。

 

 

「謝らなくていいよ。俺も君に満たされてるからさ。寧ろこれからも頼まれたいね」

 

 

 シノンは苦笑いにも似た微笑みを浮かべた。つい先程まで、キリトはシノンに頼まれた行為をこなしていた。実に様々な事があって濃かった一日の最後に加えられた出来事。互いの温もりを交換して、シノンの事を自分の温もりで満たしてやる行為。

 

 疲れ果てているはずなのに、それをシノンが頼んできた時には少し驚く事になったが、いざ頼まれると不思議と元気を取り戻せて、至る事が出来た。日付を超えてしまったのはそのためだ。

 

 

「あまり頼まないようにはしてるつもりなんだけど……その、やっぱり欲しくなる事があるっていうか……無性にお願いしたくなるっていうか……」

 

 

 そう言うシノンの頬は赤みを取り戻しつつあり、声は恥ずかしそうだった。シノンとこの行為をしているのはSAOの時からだが、その際のアプローチをするのはいつもシノンの方だ。キリトがシノンに頼んだ事はほとんどない。とは言え、いつも頼まれるキリトが、頼まれるのを嫌だと思った事は一度もない。

 

 どこか言い辛そうにしているシノンの耳元で、囁くようにキリトは言った。

 

 

「いいよ、それで。俺も頼まれると嬉しいし……君とするの、好きだし。だから気にしなくたっていいよ。君が頼んでくれたおかげで、俺も今日はすごく満足できた」

 

「……どう、いたしまして……」

 

 

 シノンは少し身体を縮こまらせた。面と向かって言われて恥ずかしい部分があるのだろう。いつも頼んでくるのはシノンの方なのに――キリトは苦笑いしたいところだったが、左手と身体の大部分から感じる彼女の温もりを感じる事の方を優先した。

 

 直後、シノンは顔を動かして、キリトの前方にあるウインドウに目を向けてきた。暗闇の中に長く居るためか、眩しそうに目を細めている。

 

 

「それで、疲れてるはずのあなたがなかなか寝ない理由はそこにあるのかしら」

 

「あぁ、今日一日でわかった事をメモしたんだ。寝ようと思っても気になっちゃってさ」

 

 

 気になる事があると中々眠れないのはSAOに居た時からキリトの中にあった。だからシノンもその事をよく知っているのだが、良く思ってくれているかと言われるとそうではない。「気になってても早く寝て頂戴」とSAOの時にはよく言われたものだ。

 

 今回もそう言われるかなと思いきや、シノンはメモを見つつ、深い溜息を吐いた。

 

 

「……そうね。今日は本当に色んな事があったわ。なんだか私も実感が湧かない」

 

「本当だよな。まさか俺達が何気なくやっていたクエストがあんなものだったなんてな。それで、まさかプレミアが……」

 

 

 今回判明したカーディナルの厄災に深く関わっていたのがプレミアだった。カーディナルシステムというこの世界を動かしている絶対神が厄災を起こすための器としているのがプレミアであり、プレミアは自分の意思と関係なく厄災を引き起こされるかもしれなくなっている。今日一日でプレミアの心や精神にどれだけの負荷がかけられたのか、想像するに容易い。

 

 現に彼女はキリトがフィリアとリランの両名と組んで探索に出かけた後から午後十時頃に起こされるまで、ずっとこの部屋のベッドで眠っていたというのだ。十時頃にキリト達が家に入った時にはいなかったが、それはリランとユイとストレアが一旦起こして、この付近にある村の宿屋に行かせたからだそうだ。

 

 しかしプレミアはずっと寝ぼけているような様子で歩いていたらしく、宿屋のベッドに辿り着くなり、また深く眠ってしまったというのを、同じく家を空けているリランからのメッセージで知った。やはり今日はプレミアにとって辛い一日だったのだ。

 

 

「あの()、かなり混乱してたみたい。自分はどうすればいいんだろうって、どうしたらいいんだろうって……言ってた」

 

 

 そう告げるシノンの表情は悲しげだった。そこからその時のプレミアの様子を想像するのは簡単だった。プレミアはずっと自分の中にある力、《むがむちゅうのちから》と命名した力がキリト達を守り、助けるものであると信じていた。

 

 だが、本当はプレミアの中に備わる力は、世界を破滅に導くためのモノ。カーディナルという神に理不尽に付けられた力だった。その真実を明らかにされてしまった彼女がどんな思いをするかなど想像するまでもない。プレミアの頭の中がどうなっているのかまではわからないが、散らかってしまっているのは確かだろう。自分のやるべき事を見失っていても何ら不思議ではない。

 

 そしてキリトもまた、プレミアが起きた時にかける言葉を見つけられなかった。

 

 

「……プレミアは、どう思ってるんだろうな。自分の力の事とか、俺達の事とか……」

 

「明日――今日か。あの娘と会ったら話してみるけれど……なんとかして助けてあげたいわね。あの娘の心は本物だもの」

 

 

 それはキリトも思っている事だ。プレミアには本物の心がある。だからこそプレミアは自分達と仲良くするのだし、キリトのために力を使おうとも思ってくれていたのだ。その心が苦しめられているのであれば、助けてやらないわけにはいかない。

 

 

(……けれど)

 

 

 プレミアはともかく、双子の姉妹の方はどうなのだろうか。オルトラム城砦探索時に遭遇した際、彼女はジェネシスと行動を共にしていたが、怒れるプレイヤー達からジェネシスを守ろうとしていたし、「マスターを傷つけさせない」と力強く宣言もしていた。

 

 そんな事を口にして、実際に行動に移せる彼女にはプレミアと同様に本物の心が備わっており、本物の感情が宿っているのは確かだ。そして、彼女の中にはジェネシスに対する特別な思いのようなものが存在している。恐らく彼女はジェネシスの事を大切な人のように思っているのだ。あの時の行動はそれ故のものだろう。

 

 だからこそ、キリトは余計に分からなくなった。ジェネシスを大切な人と思っているプレミアの双子の姉妹について、どう考えるべきか。ジェネシスは野蛮な考えの持ち主なので、出来れば引き剥がして保護したいところだが、それを彼女が受け入れてくれるのか。その時彼女の心がどうなるか。今のキリトにとって、その疑問の存在感はカーディナルの厄災よりも大きかった。

 

 

 もしかしたら彼女にとってのジェネシスとは、俺にとってのシノンみたいなものなのではないのだろうか。だとすれば、本当に、どうするべきなのだろう――。

 

 

 考え込もうとしたその時に、キリトは身体の左側に重さを感じた。くっ付いているのは裸のシノンだが、それが急に重くなったように思える。それだけじゃなく、温かさも増していた。

 

 目を向けてみたところ、シノンはキリトに身体を預けたまま眠りに就いていたのが見えた。くぅくぅという、健やかで穏やかな寝息が聞こえてくる。仲間達の間で、基本的に自分だけが見れる寝顔と、自分だけが聞ける寝息。それは彼女が自分を誰よりも信じてくれているからこそみせてくれる、無防備で可愛らしい様相だった。

 

 思えば今日、シノンもあっちに行ってこっちに行ってと大忙しだった。それで最後に自分との行為を重ねたのだから、眠気も限界に来ていたに違いない。

 

 それまで難しい表情になってこわばっていたであろう顔にほころびが生じ、キリトは微笑んだ。身体で彼女の裸身を支え、髪の毛を左手でそっと撫でると、彼女の唇の間から「んん……」という小さな声が漏れ出た。

 

 

 その声を聴いたのが引き金になったのか、急に強い眠気が来て、瞼が重さを一気に増した。意識がゆっくりと遠のき始める。眠りの時が来たようだ。

 

 シノンとの行為のために《倫理コード》がオフになっているけれども、ログアウトすると自動的にオンに戻るようになっているので、気にしないでいい。家の鍵はかかったままだから、外から誰も入って来れない。服を着ないまま眠ってログアウトしても問題ない。

 

 だが、当然リラン達を外の村や街に締め出したままなので、明日――今日の日中のログインは早い時間にしなければ。キリトはウインドウを閉じたが、その時にシノンの鎖骨より下を覆っていた掛け布団がすとんと落ち、シノンの裸の上半身が(あらわ)になってしまった。

 

 

「うぉ……!」

 

 

 キリトは少しびっくりしてしまった。眠気が一気に醒める。誰も見ていない事はわかるが、それでもこうなると誰にも見られていないかと思ってしまう。キリトはシノンの身体を抱き締めて隠すようにすると、辺りをきょろきょろと見回した。わかっている事だけど、誰にも見られてなどいない。

 

 キリトは改めて安堵すると、そのままシノンと一緒にベッドへ倒れ、掛け布団を被った。暗闇の目の前の中に、これ以上ないくらいに無防備な身体をして、愛おしい寝顔を見せてくれているシノンの姿がはっきりとある。

 

 

「……」

 

 

 シノンがこうして無防備になっているのは、安心しているからだ。守ってくれる自分が傍にちゃんと居てくれている事を知っているからこそ、こうして無防備な姿を曝け出している。そして自分は、シノンの姿が無防備であればあるほど守りたいという意欲に駆られる。そう思っている自分自身と、日中に見たプレミアの双子の姉妹の姿がどこか重なっているように思えた。

 

 

 彼女と俺は、同じ事を思っているのだろうか。だとすれば、守るべきものを持つ彼女をどうしてやればいいのだろう――。

 

 

 そう思うと、どこかに行きかけていた眠気が再来して、目を閉じた。シノンが一緒にいるためか、瞬く間にキリトは夢の世界へ連れ込まれた。

 

 

 

 

 

          □□□

 

 

 

 マスターが休息に入り、アヌビスも同じく眠りに就いた後。ティアは一人フィールドで赴いていた。場所は日中にマスターとアヌビスの三人で探索したオルトラム城砦。マスター曰く第二エリアだという《マリーヴァ枯燥区》という地名のところだ。

 

 至るところが城壁に囲まれているそこは、迷路のように入り組んでいる場所もあるのだが、そこに迷い込んでもティアは迷う事はなかった。ティアはどこへ進めば次のところへ向かう事が出来るのか、何故か察知する事が出来た。

 

 随分と迷う事になると思っていたであろうマスターは、ティアの道案内ですんなりと迷路を突破できると、珍しく喜んでティアを褒めてくれた。自分が頑張れば、強くなれば、道を示せれば、マスターは喜んでくれる。この世界の人間達に迫害されるばかりであった自分でも、マスターを喜ばせてあげられる。

 

 そして自分が双子の巫女の力に目覚め、この大地を滅ぼした後にアインクラッドを作り上げられれば、これ以上ないくらいにマスターを喜ばせる事が出来る。自分とマスターとアヌビスの三人で暮らす静かな世界の実現。その瞬間を少しでも早くしようと思ったからこそ、ティアはオルトラム城砦へ向かってきていたのだった。

 

 空を見上げると闇が見えた。普段は煌々と輝く月が浮かんでいて、砂粒のように星々が輝いている夜空は今、黒一色だった。マスターと一緒に探索している日中、夕方に差し掛かった頃だったかに、夕焼けに染まる空に雲が張り出して来ていたのが確認できていた。あれ以降雲はもっと広がり、ここら一帯の空を覆い尽くしてしまったようだ。

 

 月が出ている時は光で見晴らしが良いのだが、今は驚くほど暗く、二十メートル先まで見えないくらいだった。

 

 しかしティアは何も感じない。自分に備わっている《スキル》には《隠密》と《暗視》があるからだ。《暗視》はマスターに教えてもらったものだが、これがあればどんな暗いところでも物の位置や道のりを把握して進む事が出来る。現に《暗視》のスキルを使っているティアには、闇の中にあるものが見え透いていた。

 

 マスターのいない間ではあるが、今のうちに自分の力を覚醒させる方法の手がかりを見つけておくのだ。またあの《黒の竜剣士》達に先を越されないように。今度こそ、自分達が勝利するために。

 

 ティアは改めて意を決し、城壁に囲まれた通路を進み始めた。

 

 

 間もなくして、モンスター達の複数と遭遇した。(アリ)蟷螂(カマキリ)蜘蛛(クモ)を混ぜ合わせたような姿をした虫型モンスター、大きな蝙蝠(コウモリ)のような姿をしたモンスターが四匹、徒党を組んでティアに襲い掛かってくる。縄張りに入られた事に怒っているようだが、ティアはそんな事をすまないと思う事は無い。敵が襲ってきたならば、倒すだけだ――ある例外を除いて。

 

 先に攻撃を仕掛けてきたのは大蝙蝠の二匹だった。バサバサと翼を羽ばたかせて突進を放ってくるが、ティアは大剣を抜き払いつつ側面へ跳ねて回避する。身体の大きさや厚さから考えるに、一撃、二撃程度で倒す事が出来るだろう。マスターより教えてもらった秘技、《ソードスキル》は使うに値しない敵だ。

 

 

「どけッ!!」

 

 

 大剣を抜き払ったティアは、二匹の大蝙蝠に斬りかかった。この二匹を倒してから、残る二匹の虫を倒す。すぐに終わる戦いだ――そう思いつつ横薙ぎを仕掛けた次の瞬間だった。

 

 

「え……?」

 

 

 ティアの攻撃は外れた。二匹の大蝙蝠は突然回れ右をし、ティアの攻撃を回避したのだ。大蝙蝠を両断するはずだった大剣は空を裂き、ティアは大剣の重さに引っ張られて姿勢を崩した。力を込めて過ぎてしまった。これでは隙だらけだ。虫と大蝙蝠に攻撃を許してしまった――自分の失敗を悔やんで、ティアは身を固めた。だが、いつまで経っても攻撃は飛んでこなかった。隙だらけなのに、攻撃が来ない。

 

 

「え?」

 

 

 ティアはモンスター達の居た場所に目を向けた。モンスター達はティアに背を向け、一目散に奥へ進んでいっていた。ここに獲物が居る事を忘れているか、もしくは何かに強力に惹かれるように、モンスター達は奥へ進んでいく。

 

 それだけではない。後方からいくつも気配と音がする。振り返ってみれば、モンスターの群れがこちらに向かってきているのが確認できた。数えるだけでも五十から八十くらいは超えているように見えた。

 

 いくらマスターに鍛えてもらったとはいえ、あれだけの数を相手にするのは得策とは言い難い。ティアは城壁に背を付けた。モンスターの群れは城壁に貼り付くティアを無視し、先程のモンスター達と同じところへ向かっていった。

 

 やはり何かがモンスター達を呼んでいる。この先にモンスター達を惹かせる何かがある。直感で思ったティアは、モンスター達の注意を引かないように進行した。

 

 

「あははははは、あははははははははッ!! いっぱい、いっぱい来たぁッ!!」

 

 

 しばらく進むと、闇の向こうから声がした。女の声だ。何か可笑しなものが沢山あるかのように笑っている。その声を耳に入れたティアは咄嗟に立ち止まり、すぐ近くの城壁に身を隠した。

 

 

「あはははははははははははははははははッ!! あはははッ!!」

 

 

 隠れても女の笑い声は止まらなかった。臓腑を震わせるような声。普通ではないというのが一目でわかる不快な笑い。

 

 「フィールドに出てる時に糞うるせえ女の笑い声がした時は、絶対にそいつに近付くんじゃねえ」。ティアは身を固まらせながら、かつてのマスターの教えを思い出していた。前方で起きる真実を確認すべく、なるべくゆっくり音を立てないように身体を動かし、壁から少しだけ身を乗り出して、前方を確認した。

 

 闇の中に、赤橙の火花がいくつも散っている。金属同士がぶつかるような鋭い音が何度も何度も鳴り響き、静かなフィールドをうるさい世界へ変えている。だが、一番世界を不快に変えているのは――。

 

 

「あははははははははッ! 壊れろッ、壊れろッ!! どんどん壊れろッ!!!」

 

 

 他ならぬ女の声だった。大きくてどこまでも不快な声を発して、尚且つ金属音と火花を散らしている女の姿が、闇の中に見えた。全身を黒尽くめの戦闘服で覆い尽くし、顔さえも見えないが、けたたましく笑う事でこれ以上ないくらいの存在感を出している女。それが今、ティアの遥か前方でモンスターの群れに囲まれて、踊っていた。

 

 

 フィールドでうるさく笑い、モンスターと踊り狂う二刀流の女。

 

 それはこの世界で最悪の存在であり、何でだろうと狩り尽くす化け物であるとマスターは語っていた。女の頭の上のカーソルは、他の連中と違って青色をしているらしく、青いカーソルはモンスター達、この世界の住人達を引き寄せる魔力を持つとマスターは言っていた。その話に出てきた女と同じ青色のカーソルを持つ女に、モンスター達は誘われるように女の許へ次々と向かっていっていた。

 

 

「あはははははははははッ! 壊したげる、壊したげるッ!!」

 

 

 だが、女の魔力に引き寄せられたモンスター達は、この世界の住人達は、全身を八つ裂きにされて死ぬのだともマスターは言っていたが、その話もまた真実だった。

 

 楽しそうに踊る女に手を出そうとしたモンスター達は、女の両手に握られる剣に全身を切り裂かれ、バラバラになっていっていた。モンスター達は次から次へと女の許へ向かい、女に切り裂かれて死亡するという自殺行動に走っていた。その中で武器を持っていた者が死亡すると、その武器が女の手持ちの剣に切り替わり、女の舞は激しさを増していた。

 

 

「足りない、たりないッ!! 全然足りないよぉッ!! あははははははははははッ!!」

 

 

 女の舞に呑み込まれ、モンスター達の数もどんどん減ってきている。ここいらのモンスター達が消滅し切るのも時間の問題だろう。そうなれば残された自分に女は向かってくるに違いない。強くなれとマスターに言われているが、どう考えてもあの女に自分が勝つ事は不可能だ。

 

 

「……わたしは、死ねない……」

 

 

 マスターはティアに「絶対に死ぬな」といつも言っている。自分が死ねばアインクラッド創造が成し遂げられなくなるからだ。アインクラッド創造はマスターの最大の望みであり、夢だ。そしてアインクラッドは自分達の希望の世界。自分達を迫害する者達、あのような邪悪な存在から永遠に逃れられる最後の楽園だ。

 

 ここで邪悪な者達に殺されるわけにはいかない。アインクラッド創造を頓挫させるわけにはいかない。アインクラッド創造を何としてでも成し遂げてマスターの望みを叶え、あの邪悪共を消し去らなければ。

 

 

「いずれ、お前も消す……あいつら諸共……!」

 

 

 ティアはあの女の頭上のカーソルと同じ色の結晶を使い、その場を脱した。次に目を開けると、そこはマスターと暮らす家の中だった。

 




『ソードアート・オンライン アリシゼーション リコリス』発表&発売決定により、キリト・イン・ビーストテイマーのアリシゼーション編も決定。

 このアリシゼーション編で終章という事にする予定ですが、どうなるかは乞うご期待です。

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