キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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10:潰し合う黒 ―黒の竜剣士の戦い―

         □□□

 

 

 ある仮想世界の一室に、彼の者は居た。

 

 仮想であるが故に現実にあるものとは異なる白い壁、白い床で構成された部屋の中で、眼前に表示される窓の中に広がる光景を、彼の者は世界を見ていた。つい先ほどまでは何気ない風景が映し出されていた、顔よりも大きい四角形の中。

 

 その光景は、途中から彼の者を笑わせるものとなっていた。

 

 

 ――おや、おやおやおや……――

 

 

 窓の中で、二人の剣士が斬り合っていた。二人は彼の者が見てきている者達とは決定的に異なる力、進化の力を得て、戦っている。

 

 二人は彼の者が道を示してあげた者同士だが、互いにその存在を認知してはいない。同じ彼の者の導きにあっているとは知らないのだ。もしかしたら出会った時点でその事に気が付くのではないかとも思ったが、二人は戦い合う事を選んだようだ。

 

 それが彼の者に笑みを浮かばせた。彼の者は思わず呟く。

 

 

 ――進化を使う二人が出会ってしまったか……しかし互いを認め合わず、戦い始めるとは。まぁ、らしいと言えばらしいか……面白い展開だ――

 

 

 彼の者は窓の中を注視する。潰し合う二人の傍らに人影を認めた。黒い髪に、同じく黒いコートを着た二刀流の剣士。顔の線が細く、見方を誤ると女性と間違えてしまいそうな顔立ちだが、その瞳からは確かな強さと意志を抱いているのがわかる。彼の者がずっと観察し続けてきた英雄。

 

 窓の中で暴れ狂う二人の剣士と出会うより前から、最も信頼している剣士が、二人の近くにいる。

 

 

 ――やはり居るか。君ならば当然……実に良い展開だな――

 

 

 しかし黒き剣士は他二人に気圧(けお)されているように動こうとしない。あの二人に手を出すのはいくらなんでも危険であると周知しているのだ。察しの良い彼ならば当たり前に出せる結論であった。

 

 一人の剣士と二人の狂戦士を目に、彼の者は頬杖を付いて笑んだ。

 

 

 

 ――さて、わたしの愛おしい怪物達よ。どうするのか見せてもらおうじゃないか――

 

 

 

 

 

         □□□

 

 

 

 《黒の竜剣士》同士であるキリトとジェネシスの戦いに闖入者(ちんにゅうしゃ)が入り込んできて、戦いは大きく変わる事となってしまった。

 

 

「ブルーカーソルなんて丁度良すぎるぜ。この俺が直々にてめぇを潰してやるよ!!」

 

「あはははははッ! あたしの邪魔はさせない!! 誰にも邪魔させない!!」

 

 

 異常なまでの戦闘能力を獲得し、最早鬼を連想させるくらいにまでなっている《黒の竜剣士》ジェネシスは今、一人の少女との交戦を繰り広げている。

 

 少女は黒い服コート上の服に全身を包み込んでいるうえに、顔もフードと思わしきものを深々と被って隠している。頭も顔も見えないが、狂気的な笑いを吐き出して双剣を振るっていた。

 

 穏やかな風が流れていたはずの草原地帯の気流は二人を中心に禍々しいものへ変わり、満たす音も激しい金属音の連続に変わってしまっていた。

 

 

「な、なんなんだこれは……」

 

 

 先程までジェネシスと交戦していたキリトは、すっかり置いてけぼりにされてしまっていた。ジェネシスの攻撃を受けて減少していた《HPバー》を回復結晶で回復させたが、ジェネシスは向かってこない。この戦いを妨害してきた少女にすっかり心を奪われ、少女との戦いに集中してしまっていた。

 

 その少女に、キリトもまた目を奪われてしまっていた。よく見ると少女のフードは口より上を隠しているマスクのようにもなっていて、口元だけは確認できるようになっている。そこにある少女の口角は異様なまでに吊り上がっており、狂気的な笑い声が常にほぼ常に吐き出されていた。

 

 あまりの光景を見ているせいなのか、口の中に溢れる唾液を飲み込んでから、キリトは思わず呟いた。

 

 

「あれが、《黒服のブルーカーソル》……」

 

 

 この世界に降り立った狂気の存在の話を、キリトは以前聞いた事があった。この世界ではNPCを傷つける、《使い魔》に虐待を行うなどすると、カーソルが青色に変色する《ブルーカーソル》になる。こうなると街の中に入れなくなり、フィールドに居るモンスターとNPCが一斉に襲ってくるようになるなどの最悪の状態となり、ゲームを続ける事自体が困難となる。

 

 なので誰もそこに手を出す者はおらず、なってしまった者は泣く泣くゲームから引退する方法を取るしかなかった。

 

 だが、ただ一人だけそうなっても尚、ゲームを続けている存在が居た。世界の全てから襲われる事を楽しむように二刀流の剣舞を踊り、向かってくる者達を鏖にし、そこから得た経験値と装備品で自己強化を際限なく繰り返し続けている女性プレイヤー。ある時突然現れ、全てを屠る黒き衣の女。

 

 情報屋でさえ名前を掴めていないその存在は、黒服を着ている事から、《黒服のブルーカーソル》と呼ばれていた。だがしかし、キリトはその話を聞いてから、一向にフィールドで《黒服のブルーカーソル》に遭遇した事が無かった。なのでもしかしたら《黒服のブルーカーソル》は誰かの間違った情報が元になっていて、実在していないのではないかとも思い始めていた頃だった。

 

 その思いこそが間違いだった。《黒服のブルーカーソル》は実在していて――ついにキリト達の目の前に姿を現した。その現れた《黒服のブルーカーソル》は、もう一人の《黒の竜剣士》であるジェネシスを偽者と呼び、斬りかかった。異常興奮状態となっているジェネシスは《黒服のブルーカーソル》を迎え撃ち、キリトをそっちのけて戦闘を開始した。

 

 

「おらおらおらおらッ!! オラオラァッ!!」

 

「あはははははははッ!! あはははははぁッ!!」

 

 

 ブルーカーソルとなり、世界の全てから狙われるが、その世界の全てを破壊し尽くす《黒服のブルーカーソル》の強さは、キリトの想像を優に超えていた。現にSAO、ALOで規格外の強さを持った存在達を倒してきた自分でも負けそうだったジェネシスの動きに付いていっている。デジタルドラッグ、もしくは他の何かと思われる力を使って異常強化されているジェネシスの斬撃の嵐に、《黒服のブルーカーソル》は追従して反撃を仕掛けていっている。

 

 二人ともソードスキルと思わしき技を放つ気配はない。全て自分自身の身体から繰り出せる攻撃だけで戦っている。

 

 

「どおぉらあああッ!!」

 

「だあぁああああッ!!」

 

 

 ジェネシスが縦斬りを放てば《黒服のブルーカーソル》が避け、地面が(ひしゃ)げる。フレーム単位の隙を見せたジェネシスに《黒服のブルーカーソル》はカウンターするように斬り払いを仕掛けるが、ジェネシスは全てをガード。嵐のような連撃を繰り出して《黒服のブルーカーソル》を飲み込まんとし、《黒服のブルーカーソル》もまた二本の剣から放たれる斬撃で嵐を作り、ジェネシスを飲み込もうとする。

 

 最早ジェネシスと《黒服のブルーカーソル》は人間ではない。獣だ。人に酷似した姿をした黒い獣が二匹、潰し合いをしている。《SA:O》という世界に存在するべきではない獣が、互いの存在を叩き潰さんとしている。キリトはそう思えて仕方がなかった。

 

 同時に疑問もあった。人間であるはずの彼――ジェネシスを獣に変えてしまっているのは、デジタルドラッグ等だ。魔の薬の力を使う事で、人間から獣へと姿を変えたジェネシスに、《黒服のブルーカーソル》は平然とついていっている。あんな動きは、それこそジェネシスと同じ魔の薬を使わなければ出来ないだろう。《黒服のブルーカーソル》はトランスプレイヤーだったというのか。

 

 

(いや)

 

 

 そうに違いない。

 

 そもそも《黒服のブルーカーソル》の戦闘能力は異常だし、何よりジェネシスと同様の異様な興奮状態に陥っている。あそこまでの興奮状態を起こせるのは、デジタルドラッグの他にない。

 

 《黒服のブルーカーソル》もジェネシス達同様にデジタルドラッグを使って尋常ではない戦闘力を手に入れ、フィールドに居るモンスター達も、NPC達も殺し尽くしていたのだ。笑うのをやめないのは、デジタルドラッグ使用の副作用によるものだろう。

 

 そしてブルーカーソルであろうとも経験値は入り続けるので、ログインする度に無数のモンスターと戦う事を強いられている彼女は、膨大どころではない経験値を得て、延々と強くなり続けた事だろう。ブルーカーソルの排除を最優先にする世界は皮肉にも、ブルーカーソルである彼女に膨大な力を与えてしまっていた。

 

 

「けれど、あいつはなんで……」

 

 

 《黒服のブルーカーソル》は、何故ここまでするというのか。そういえばジェネシスとの戦いを始める前、《黒服のブルーカーソル》はこう言っていた。

 

「黒の竜剣士を壊すのはあたしだ。盗らないで、誰にも渡さない」。自らの中に宿る執念を告白するように、彼女は確かに言っていた。

 

 《黒の竜剣士》は自分だ。つまり《黒服のブルーカーソル》は最初から自分を狙っていたという事なのだろうか。自分を狙いたいがために、ブルーカーソルとなって、強さを手に入れる事に固執したというのか。

 

 だとすればその目的は何だというのか。どうしてそこまでして自分を狙おうとするというのか。どうして、今この時まで襲ってこなかったというのか。

 

 どんなに思考を巡らせたところで、《黒服のブルーカーソル》の思いや目的は汲み取れそうにない。そのうえ話しかけても通じそうになかった。ただ、それぞれ別の獲物のある獣同士の戦いを見ているしかない。そこにキリトは入って行けそうになかった。この二匹の戦いに巻き込まれようものならば、それこそ八つ裂きにされて終わりだ。

 

 どちらかが倒れるまで待つべきか。それともこの二匹の事など放棄して、リランの背に乗って逃げるか。出来れば逃げたいところだったが、肝心なリランはアヌビスと戦闘中でそれどころじゃない。アヌビスは赤い目となって狂暴化を果たしており、リランも応戦で精いっぱいになっていた。

 

 そしてアヌビスがそうなっているにも関わらず、キリトに衝動は来ていなかった。以前のプレミアとシノンの祈りが届いてそうなっているのか、何が自分を守ってくれているのか。キリトにはそこまで思考する余裕はなかった。

 

 

「う、うぐゥッ!?」

 

「は、あぁ、ぐぅあッ!?」

 

 

 黒き獣同士の戦いに変化が起きた。ジェネシスと《黒服のブルーカーソル》は脱力したように(ひざまず)き、動かなくなった。二人揃って肩で息をしており、二人ともそれぞれの剣を杖のようにして身体を支えている。

 

 

「うごッ、あぐぉッ、ぐぅう……」

 

「あう゛……う゛ぐぅ……」

 

 

 そして二人とも右手で頭を抱えた。顔の見えるジェネシスの方は顔面蒼白となっていた。血の気が抜けてだくだくと汗が流れ、幽鬼のような顔になってしまっている。

 

 いや、人間の顔だ。ジェネシスは邪悪な獣から人間へ戻っていた。《黒服のブルーカーソル》も同じ状態であろう。二人は元の姿に戻ってくれていた。

 

 だが、何が起きたというのか。何故急にこうなったのか、何もかもわからない。この二人がどうして獣から人間へ戻れたのか。

 

 やがて奥で待っていたジェネシスの付き添いの少女がジェネシスに駆け寄り、肩を貸す。

 

 

「マスター、大丈夫ですか!?」

 

 

 ジェネシスは呻きを返すだけだった。直後にリランと戦闘中だったアヌビスが飛んできて、ジェネシスに寄り添うような立ち位置で身構える。

 

 激しい攻撃から解放されたリランがアヌビスに吼えるが、アヌビスは主人から離れようとしなかった。あれだけ敵を潰す事に夢中になっていた黒き狼竜は今、戦闘よりも主人の安全確保を優先している。

 

 

「ブルーカーソル……てめぇがここまで……くそが……俺は……こんな……!!」

 

 

 恨めしそうに言いながら、ジェネシスは少女の肩を借りて立ち上がると、足に精一杯の力を込めてジャンプ、少女と共にアヌビスの背に飛び乗った。その後ジェネシスはキリトを見下ろし、絞り出すように言った。

 

 

「おい英雄(ヒーロー)……決着は《祈りの神殿》だ……そこでどっちが強いか白黒付ける……来なかったらそのモブを殺してやるぞ……!!」

 

 

 限界が近付いているかのような様子で言い残し、アヌビスは主人を乗せて空へ向かっていった。やがて二人を乗せた黒き狼竜が空に消えていくまで、キリトは茫然と見ているしかなかった。二匹の黒き獣が争う戦場であった草原地帯は、キリト達がピクニックの場所探しをしていた頃の平穏を取り戻していた。

 

 まるですべてが夢の出来事だったかのように感じられていたが、やがて聞こえてきた声でキリトは我に返った。ずっと後ろにいたプレミアがいつの間にか寄ってきていたのだ。

 

 

「キリト、大丈夫ですか!?」

 

「あぁ、なんとか。それよりも……」

 

 

 心配そうな顔のプレミアと一緒に、キリトは残された者を見た。自分と同じような黒いコートに身を包み、フードとマスクで顔さえ覆い隠している二刀流の女剣士。全く見覚えもなければ、狙う理由も掴めない少女。そこに声をかけるのはキリトでも難しかった。

 

 

「あの、貴方は……」

 

 

 意外にも《黒服のブルーカーソル》に声掛けをしたのはプレミアだった。しかしその身体は小刻みに震えている。目の前にいる《黒服のブルーカーソル》が恐ろしくてたまらないのだ。あんな常軌を逸した動きと戦いを繰り広げていた獣が彼女なのだから、無理もない。実際キリトも出さないようにしなければ、身体が震え出す始末だった。《黒服のブルーカーソル》が放つ狂気と恐怖は、それほど尋常ではないものだったのだ。

 

 プレミアの声に反応したように、《黒服のブルーカーソル》はゆっくりと起き上がろうとしてきた。頭が音なく動き、こちらに顔が向いてきた。

 

 出会った時から動きが激しすぎるのもあって、あまりよく確認できなかった《黒服のブルーカーソル》の顔は、フードと一体化しているマスクによって口より上が隠れていて、顎元と口元しか見えない。

 

 だが、その僅かに見える顔の肌は蒼白だった。やはりジェネシスと同様の異変に襲われ、全く同様の状態に陥っているのは確かだ。そしてその形は、しゅっと整ったものだった。口より上はわからないが、そこがよかったら美少女と言えるのかもしれない。

 

 その顔隠しの黒き少女に、キリトは一歩踏み出した。《黒服のブルーカーソル》は《黒の竜剣士》である自分をターゲットにしている。自分は彼女からすれば狙うべき獲物だ。

 

 だが、なぜそうなったというのだろう。自分の何が彼女にそんな事をさせているのか。彼女が獣になってまで自分を狙う理由は、何だというのか。キリトはそれを聞き出さずにはいられなかった。

 

 

「君は……一体何なんだ。《黒の竜剣士》を壊したいって、どういう事なんだ。君は、俺を狙っているのか」

 

 

 《黒服のブルーカーソル》は黙っていた。隠された顔でキリトを見ているだけだ。マスクは特殊仕様になっているようで、あちらからこちらは見えているようだ。しかしこちらから確認出来る事は何もない。

 

 いつまでも答えが返ってこない事に痺れを切らしたように、今度はリランが続けて《黒服のブルーカーソル》に問いかける。

 

 

《お前、何者なのだ。名前くらい名乗ったらどうなのだ》

 

 

 リランは今にも《黒服のブルーカーソル》に襲い掛かりそうな姿勢だった。実際あれだけの凶悪さを見せつけた上に、主人を狙っているとわかっているのだから、《黒服のブルーカーソル》を敵と見なして当然だ。

 

 しかし、リランの《声》を受けても尚、《黒服のブルーカーソル》は反応一つ返そうとしなかった。頑なに拒んているかのように。

 

 

「……!」

 

 

 だが、その時だった。《黒服のブルーカーソル》は電撃に打たれたような動作をして、急に動きを止めた。キリトが咄嗟に剣を抜こうとし、リランが飛び掛かろうとすると、《黒服のブルーカーソル》は膝を折り、地面に倒れた。その後、《HPバー》が急速に減少して空になり、消滅。《黒服のブルーカーソル》の身体は水色のシルエットとなる。

 

 

「お、おい待ってくれ!!」

 

 

 慌てたキリトが手を差し伸べた直後、少女の身体は爆散した。無数のポリゴン片を撒き散らし、跡形もなく消え果てしまった。戦闘不能とログアウトが同時に起こったようだ。

 

 

「……」

 

 

 キリトはまた茫然と立ち尽くし、空を見上げた。何も聞けずに終わってしまった。聞きたい事が山ほどあったというのに、その最初の名前を聞くという事さえも出来ないまま、《黒服のブルーカーソル》は消えていってしまった。空に彼女の破片が混ざっているかもしれないが、集めたところで何も起こらない。

 

 そうだ。砕け散った者の破片を集めても、何も起こらないのだ。いつだって――。

 

 

「キリト……」

 

 

 心配そうに声掛けしてきたプレミアに、キリトは応じる。声を返そうと思ったが、それより先にプレミアが続けてきた。

 

 

「あんなものまでが、この世界には存在するというのですか」

 

 

 キリトは目を一瞬見開く。この世界に生きるプレミア達にとって、ジェネシスも《黒服のブルーカーソル》も異様どころでは済まされない脅威だ。そんなものが存在しているという事が、信じられないのだろう。

 

 自分達はなんてものをこの世界に持ち込んでしまったというのか。この世界は今、人間達のせいであるべき姿を失い、(いびつ)な形になってしまっている。自分達の持ち込んだものが、世界の在り方を捻じ曲げてしまっていっている――そんな気がしてならず、キリトは答えられなかった。

 

 

 

 

         □□□

 

 

 ピクニックの場所探しどころではなくなったキリトは、家に皆を集めた。その際時刻は午前十一時に迫っていたためか、いつもの攻略メンバー――アインクラッドの修羅場を共に乗り越えた戦士達――が全員この世界にやってきていた。あそこで起きていた事を話すのに絶好の機会だ。キリトは集まった仲間達全員に、あの場で起きた事を全て話した。

 

 最初の時点でほぼ全員が驚きの声を上げ、あとはキリトの話に聞き入っていた。誰もが信じられないような様子であり、やがて悲しそうな様子を見せた。もし自分がこの話を聞く立場だったとしたら、仲間達と同じ反応をしただろう。

 

 そう胸で思うキリトの話が一旦終わると、挙手するようにシリカとリーファが声を出した。二人とも悔しそうでもあり、悲しそうでもあった。

 

 

「プレミアちゃんの双子の姉妹に、NPCを襲わせるだなんて……」

 

「ひどい……! なんでそんな事が出来るっていうの!?」

 

「あいつの事はまともじゃないって思ってたけど、本当にろくでもない奴だったのね。とんでもない事を仕出かしてくれたもんだわ!」

 

 

 最後にリズベットが怒りを表明した。だが、それはジェネシスだけに対してのものではない。ジェネシスがあのやり方を試して、実際に聖石を手に入れたという事は、遊び方の一つであると認められているという事。あんなやり方が攻略方法の一つとしてまかり通ってしまっているという事に怒っているのだ。キリトもその怒りがあるし、皆もそう思ってくれているようだった。

 

 続けてエギルが発言する。

 

 

「ジェネシスに言われるがままなのか、プレミアの双子の姉妹は。俺達プレイヤーをそこまで憎んでいるっていうのか」

 

「間違いない。だが、彼女をあんなふうにさせてしまったのは俺達プレイヤーだ。彼女に何も罪なんかない」

 

 

 キリトの答えにエギルは眉を寄せ、ストレアが悲しそうに呟く。

 

 

「元々は性格が設定されていないNPCだったもんね。もっとまともな人達に会って、もっと良い思いを出来ていれば、そんなふうに苦しい目に遭わなかったかもしれないのに……」

 

 

 ストレアだけではなく、ユイもリランもユピテルも、悲しそうな顔をしていた。同じAI同士思うところがあるのだろう。そして保護してやりたかった、仲良くしてやりたかったというのは、以前イリスも言っていた事だし、自分も思っていた事だ。こんな状況になって、尚更そう思うのだろう。その後、ユウキの隣にいるカイムがキリトに尋ねる。

 

 

「ジェネシスがキリトを襲ったって事は、あいつは《オレンジカーソル》になってるんだよね。《ブルーカーソル》は避けてるくせに、《オレンジカーソル》になるのはいいんだ」

 

「《ブルーカーソル》のペナルティは、ゲームが続けられなくなるくらいだからな。それを避けてるって事は、あいつはこのクエストを完了させるつもりでいるって事だろう。この先、プレミアを狙ってくる可能性は高い」

 

 

 キリトの発言につぎ足すように、フィリアが声を出す。目の前にクエストの内容の書かれたウインドウを出現させていた。

 

 

「クエストログの次、『二人の女神を祈りの神殿へ』って書かれてる。ジェネシス、本気でプレミアちゃんを奪いに来るよね」

 

「そうはさせない。ジェネシスがどう思っていようが、この世界の滅亡を招くようなクエストを完了させてたまるか。俺達の手で、ジェネシスもクエストも止めよう」

 

 

 フィリアに応じるディアベルに頷く。そうだ。ここまでクエストを進めてしまったのは自分達のチームだ。それが進めてはならないものだったとわかった今、横入りしてまでクエストを完了させようとしているジェネシスの事など許してはおけない。

 

 それに、ジェネシスの傍に居るプレミアの双子の姉妹の事も、止めなくてはならない。彼女に人間達への報復を全うさせて、十字架を背負わせるわけにはいかないのだ。皆でかつてのアインクラッドの大ギルドの騎士の意見に賛同すると、キリトの許に寄ってくる者が二人いた。アルゴとシュピーゲル。情報通の二人だった。

 

 

「キー坊、プレミアのクエストとジェネシスの話も大事だガ……お前、会ったんだナ」

 

「《黒服のブルーカーソル》に……襲われたんだね」

 

 

 その言葉の登場に、皆の雰囲気が張り詰める。キリトはジェネシスとプレミアのクエストを話した後、《黒服のブルーカーソル》の乱入に遭った事、《黒服のブルーカーソル》の戦いを見たという事を話した。しかし、彼女がその後どうなったのかはまだ話していない。頷くキリトに、アルゴは低い声で答える。

 

 

「お手柄ダ。それで、何がわかったんダ。ちょっとの事でもいいから教えてくレ」

 

「情報屋の間でも、《黒服のブルーカーソル》はわかってないんだ。何があったの」

 

 

 アルゴ、シュピーゲルの問いかけにキリトは応じる。出来れば答えたくなったが、答えるしかあるまい。

 

 

「《黒服のブルーカーソル》は、トランスプレイヤーだ。それで彼女は俺を、《黒の竜剣士》を壊す事を目的にして、戦っている」

 

 

 部屋の中に一斉にざわめきが起こる。《黒服のブルーカーソル》が実はデジタルドラッグを使っていたというのも大きいだろうが、何よりキリトを狙っているというのがほとんどであろう。そこで驚きながらキリトに寄ってきたのが、シノンだった。

 

 

「どういう事なの。《黒服のブルーカーソル》があなたを狙ってるって、《黒服のブルーカーソル》の目的があなたって、どういう事」

 

「俺にもよくわからない。だが、あれは確かにそう言ってたんだ。《黒の竜剣士》は壊す、その邪魔はさせない……そんな事を口走って、ジェネシスと戦っていた」

 

 

 あの時、《黒服のブルーカーソル》はジェネシスを攻撃したのは、獲物を横取りしようとする存在を許せなかったからだ。今でも信じられないが、そう思うしかない。同じように《黒服のブルーカーソル》の話が信じられないのだろう、アスナが不安そうに声掛けしてきた。

 

 

「キリト君、何か心当たりはない? 《黒服のブルーカーソル》からそんなふうに思われる事とか、《黒服のブルーカーソル》だと思える人の事、憶えてたりしない?」

 

 

 キリトは首を横に振るしかなかった。あの時から今この時まで、頭の中に探りを入れてみたが、《黒服のブルーカーソル》に該当するような人物を発見する事は出来なかった。名前を聞いたりすれば思い出せるかもしれなかったが、生憎それさえもわからなかったから、尚更駄目だ。

 

 

「……全然。あんな人は見た事も聞いた事もない。名前も理由も、何も聞き出せなかった」

 

「キリト君を狙ってそこまでするだなんて……その人はどうしちゃったって言うんだろう」

 

 

 アスナの言う通り、キリトは《黒服のブルーカーソル》が気になって仕方がなかった。注意していないと、《黒服のブルーカーソル》の事で頭がいっぱいになってしまいそうなくらいだ。彼女は本当に何者だったというのだろう。付け狙われるような事をしてしまったのはいつの事だっただろうか。

 

 考え出そうとしたそこで、アルゴがうんうんと頷いて声をかけてきた。

 

 

「なるほどナ。名前と動機が聞けなかったのが惜しかったガ……ジェネシスもそいつもトランスプレイヤーだったっていうのは良い情報だシ、それならあの強さにも納得ダ。オレっち達が知った時点で、あいつらはまともなプレイヤーじゃなかったんダ」

 

「《黒服のブルーカーソル》、ジェネシスと戦ってる最中に苦しみ出して、そのままログアウトしたんだよね。それでジェネシスも同じように……何が起こってそうなったの。二人ともいきなり強くなって、苦しみだすとか、わけがわからないっていうか」

 

 

 不安そうなユウキに続いたのは、クラインだった。珍しく難しそうな顔をしている。

 

 

「トランスプレイヤーって事は、デジタルドラッグを使ってるって事だろ。ちょっと調べてみたんだが、デジタルドラッグを使うと、使った奴に尋常じゃない負荷がかかるらしいぜ。常習性もさる事ながら、過剰に使いすぎるとものすごく危険だって話だ。

 もしかしてジェネシスと《黒服のブルーカーソル》が苦しそうにしてたのは、デジタルドラッグの使い過ぎの症状が出てきたからじゃねえのか」

 

 

 クラインの疑問に応じたのは、それらの専門家と言えるユイとユピテルの二人だった。まず最初にユイが話し始める。

 

 

「デジタルドラッグによるノルアドレナリンとアドレナリンの過剰分泌は、確かに身体に様々な異常を可能性を起こす可能性があります。フルダイブ中だと、アミュスフィアによって、痛覚は機能しませんけれども、心理的症状は表に出てきます」

 

「脳内が異常な状態となっているので、突然苦しみ出すような事も不思議ではありません。しかしそういったプレイヤーは普通、アミュスフィアのセーフティ機能によって、強制的ログアウト処理がなされるはずなのですが……ジェネシスと《黒服のブルーカーソル》は、《黒服のブルーカーソル》だけがログアウトしたんですよね」

 

 

 ユピテルの問いかけにキリトは頷く。あの時《黒服のブルーカーソル》は限界が来たように倒れてログアウトを果たしたが、ジェネシスのその後はわからない。それに《黒服のブルーカーソル》も、本当に限界を迎えたようにして倒れ伏した。普通ならばあぁなる前に強制ログアウトするはずなのに。

 

 その疑問に答えたのはレインだった。

 

 

「それなら、強制ログアウト機能のないナーヴギアを使っちゃってるとか? わたし達みたいにナーヴギアを持ってたとか」

 

「その可能性は低いな。SAO事件の後、政府によってナーヴギアの回収は続いている。今やどこにもナーヴギアを持っている者などおらぬ。それこそお前達のように特別な事情でもない限りはな。あいつらの使っているものも、結局アミュスフィアであろう」

 

 

 人狼形態に戻っているリランが言うなり、レインは「そっかぁ」と返す。そこでキリトは考えた。

 

 では、アミュスフィアを使っているとして、どうやって強制ログアウトを退けているというのか。アミュスフィアの機構は茅場晶彦――リランとユピテルの父親――がナーヴギア、カーディナルシステムと共に作り出した完璧なものであり、一般人どころか研究者でさえ手出しの出来ないブラックボックス。そしてナーヴギアがそうであるように、アミュスフィアもまた、カーディナルと二つで一つだ。

 

 やはりどうやってもアミュスフィアに改造できる余地など……。

 

 

「ん!?」

 

「キリト!?」

 

 

 思わず声を出してしまい、皆の注意を誘った。シノンが声掛けしてきたが、キリトは応じられなかった。

 

 アミュスフィアはブラックボックスをそのままに、ナーヴギアの脳への電磁パルス攻撃機能をオミットし、安全性をどこまでも引き上げたVR機器だ。その作成に茅場晶彦は関わっておらず――ナーヴギアにはなかったものが取り付けられてしまっている。茅場晶彦ならば真っ先に取り外すであろう機能。

 

 それをキリトは大声で叫んだ。

 

 

「安全機能を取り外せばいいんだ!!」

 

 その叫びに皆が驚き、一斉に注目を向けなおしてきた。しかしすぐさまユイがもう一度驚き、キリトに応えるように言う。

 

 

「そうです、ね! その手があります。アミュスフィアを改造して安全機能を取り外せば、いけます!」

 

「これだ、きっとこれなんだ!」

 

 

 キリトとユイが意気投合し、そのままストレアもリランも、ユピテルも続いてくる。だが、付いてこれているのはその者達だけで、他の仲間達は何が何だかと言わんばかりの顔をしていた。そのうち、リズベットが不満そうに声を出した。

 

 

「もしもーし。何を少人数で盛り上がっちゃってるわけ。何がわかったっていうのよ」

 

 

 キリトは皆に伝わるように、思いついてる事を話した。アミュスフィアはSAO事件を受けて開発されたフルダイブマシンである。かつてのナーヴギアのような惨劇を繰り返さないためにも、自動ログアウトを行う安全機能が取り付けられている。

 

 並大抵の技術では出来ないけれども、この安全機能そのものを改造でカットオフしてしまえば、脳が本当の限界を迎えるまで、デジタルドラッグを使い続ける事が出来るし、普通ならば即座に自動ログアウトが働くような場面に直面しても、そうならずに済む。

 

 ジェネシスがデジタルドラッグを使っているにも関わらず、強制ログアウトをせずにいたのはこのためだ――その話が終わると、皆の間に納得の声が起こった。仕組みがわかってもらえたようだ。その直後に、フィリアが疑問を抱いたような顔をした。

 

 

「アミュスフィアの改造って、確か一番やっちゃいけない事じゃなかったっけ。アミュスフィアを改造すると逮捕されるっていう話、前に聞いた事あるんだけど」

 

「そうだ。アミュスフィアの改造は重罪に当たり、逮捕案件になる。アミュスフィアを改造してナーヴギアみたいな機能を付けられたら、それこそ第二のSAO事件みたいなのが起きかねないからな」

 

「ジェネシスがアミュスフィアの改造をやってるなんて、とんでもない事じゃない。これ、運営か警察に知らせた方がいいんじゃないかな」

 

 

 リーファの提案にキリトは乗れなかった。ジェネシスがアミュスフィアの改造をしているというのはあくまで自分達の想像の域だし、もし通報して逮捕に繋げるならば、決定的な証拠というモノが必要になる。証拠が掴めていないのでは、運営も警察も動いてくれない。

 

 

「それならジェネシスがアミュスフィアを改造してるっていう証拠が必要になるけれど……そんなもの、どうやって掴めばいいのかしら」

 

 

 シノンの疑問に皆が考え込み始める。アミュスフィアの改造という後ろめたい事実を、ジェネシスが自ら吐き出すとは考えにくい。どうやったところで知らん顔をされるか、煽られるかのどちらかだろう。きっと拷問されようが吐き出さないに違いない。

 

 だが、ジェネシスは相当味を占めているはずだ。デジタルドラッグの力を借りて《黒の竜剣士》となり、世界最強の剣士として暴れまわる事に。世界最強の力そのものを振るう快感に、酔いしれているはずだ。

 

 

 一度味を占めてしまったが故に、後戻りできなくなっているという事のはず。

 

 

「……!」

 

 

 その時、キリトの頭の中に光が走った。

 

 

 


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