キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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 ついに激突。




11:祈りの神殿

 

 

         □□□

 

 

 

「ぜぇ、はぁ、はぁ、ぜぇ……」

 

 

 予想外の事が起きてしまった。あまりに危険すぎる事態に陥ってしまった。

 

 《黒の竜剣士》の二人から逃げ延びたティアは、いつにもなく慌てていた。ティアは一人ではなく、ジェネシスというのが正式名称であるマスターと、マスターの仲間であるアヌビスと一緒だ。いつもの三人で揃えていると、ティアはこれ以上ないくらいの安堵を抱く事が出来る。自分のいるべき場所にいる、自分が唯一信じられる人達と一緒にいると思えて、心の底から安堵できた。

 

 だからこそ、マスターとアヌビスの傍は大好きだったのだが、今のティアの中に安堵は無かった。

 

 

「マスター、大丈夫ですか。顔色が非常に悪いです」

 

 

 ティアがそう声を掛けたマスターは、丁度座れるくらいの石の上に腰を掛けていた。力が入らないように深く座り込み、片手で頭を抱えながら肩で息をしている。マスターの燃え盛る炎のような髪の毛は今、汗で濡れて崩れていた。髪の毛が下りてきているマスターの容姿はティアも初めて見るものであるせいか、今が非常事態であるという事をまざまざと感じていた。

 

 

「くっそぉ……俺は……俺はぁ……」

 

 

 マスターの異変はあの《黒の竜剣士》との戦いの途中に起きた。自分を助けてくれる、守ってくれると言っておきながら最初から何もしなかった《黒の竜剣士》と、マスターは戦った。《黒の竜剣士》が自分達の計画を遂行させるのに必要なものを持っており、それがなければ自分達は先に進む事が出来なかったのだ。《黒の竜剣士》から計画のための物を奪還するために、自分もマスターも戦った。

 

 マスターはいつものように最強の剣士の状態となり、あの《黒の竜剣士》をも追い詰めたが、その時割り込んできたのだ。禍々しい笑い声を放つ、青いカーソルを持つ女が。マスターでさえ「近付くな」と警告していたあの女が、《黒の竜剣士》とマスターの戦いを妨害してきた。

 

 勿論マスターはその女を迎撃した。マスターが警告していたように、女の動きは凶悪極まりないものであったが、それでも最強であるマスターに敵うほどではなかった。マスターが最終的に優勢となり、もう少しで勝てそうというところで、マスターは異変を起こした。荒れ狂う嵐のような斬撃を放てなくなり、やがて身動きが取れなくなり、苦しむようになった。

 

 その異変はティアとアヌビスの二人でマスターをオルトラム城砦へ連れてきた今も尚続いており、マスターは苦しみ続けている。

 先程からかなりの汗が流れ出ていて、マスターの下はかなり湿っている。水を摂らないと危険な状態だ。ティアは懐から水筒を取り出し、マスターに差し出す。

 

 

「マスター、水を……」

 

 

 マスターは顔を上げるなり、キッとティアを睨みつけてきた。とても鋭い眼光――怒りや不満を抱いている眼だ。話しかけた際にマスターがこうなっていた場合、マスターは大概「うるせぇ!」と怒鳴ってティアを突き飛ばしたり、その手を弾いたりする。こうなっている時のマスターに話しかけたりするのは、わざわざ怒りに触れて、マスターの機嫌を大きく損ねる時だ。

 

 拙い、今話しかけるのは余計な事だった。そう思って次の瞬間を待ったティアを見るなり、マスターはゆっくりとその手を伸ばし――ティアの水筒を受け取った。

 

 

「……え?」

 

 

 ぽかんとするティアを無視し、マスターは水筒に口を付けて傾け、中身を口の中に運ぶ。ごくごくと音を立てて飲み進め、やがて大きく息を吐いた。そこから始まった呼吸はゆっくりとしたものであり、先程の苦しさがかなり減っているように見えた。

 

 

「……マスター」

 

 

 ティアが声をかけると、マスターはもう一度顔を向けてきた。その目に怒りの色は見受けられない。マスターは怒っているわけではなかったようだ。

 

 

「ティア……助かったぜ」

 

 

 ティアは思わず驚いた。マスターを助けるような事は出来るだけ多くやって来たつもりだ。その時マスターが礼を言ってくれる事は少なく、ティアにとってマスターに礼を言われる事は貴重な時だった。マスターはもう一度深呼吸をし、膝の上に肘を載せた。そこにティアはもう一度声をかける。

 

 

「マスター、大丈夫、ですか」

 

「大丈夫に決まってんだろ。俺は世界最強の剣士だ。《エヴォルティヴ・ハイ》の使い手の、最強剣士。そうだろうが」

 

 

 ティアは気を取り直したように頷く。マスターが最強の剣士であるという事は何度も言われているし、その雄姿は何度も見てきているから、ティアはどんなに否定されても言い返せる。

 

 

「はい。マスターは最強の剣士です。誰にも負けません」

 

「そうだろ。だから、俺に何があっても構うんじゃねえ」

 

 

 マスターは命令をしてきていたが、ティアはそれを素直に呑み込む事が出来なくなっていた。あの時のマスターは本当に危ないところだった。

 

 もしマスターがあのままの状態だったならば、マスターは――。

 

 

「……ッ」

 

 

 その時の事を想像すると、身体の底から震えが来た。マスターが死ねばアヌビスも死ぬ。そして自分は取り残される。誰も信頼できない、歪んだ形になってしまってるこの世界に、放り出されてしまう。たった一人でこの世界に投げ出され、また迫害する者達の獲物にされてしまう。

 

 思考を進めると、身体の震えがもっと大きくなってきてしまったが、それを止めたのはマスターの声だった。

 

 

「ティア、お前は来るつもりか。これからも」

 

 

 ティアは少し首を傾げる。マスターは続けてくれた。

 

 

「このフィールドの最奥部が《祈りの神殿》だ。そこでお前ら双子の巫女は力を覚醒させて、アインクラッドを作る。その後お前はどうするつもりだ。アインクラッドを作った後も、俺と一緒に居ようと思ってんのか」

 

 

 ティアは瞬きを繰り返した。アインクラッドを想像した後はどうするのかというのを、ティアはとっくのとうに思い付いている。迫害する者、敵視する者、世界をここまで醜くした者達を世界ごと消し去った後は、マスターとアヌビスの三人でアインクラッドで暮らすのだ。誰にも邪魔されず、誰にも穢されない楽園で、三人で静かに、穏やかに過ごす。

 

 その瞬間をずっと夢見て、ここまでやってきたのがティアだったが、そう言えばマスターにその事を伝えてはいなかった。ついにその事を言う時が来た――ティアは胸の前で拳を握り、口を開けた。

 

 

「はい。世界を崩壊させてアインクラッドを作った後も、わたしはマスターとご一緒します。マスターと一緒に居ます」

 

「なんでだよ」

 

 

 ティアはもう一度首を傾げる。マスターは俯き加減になって、更に言葉を続ける。

 

 

「なんでお前はそこまで俺にこだわりやがるんだ。俺と一緒だと敵だらけだし、クソみてえな連中ばっかりが絡んできやがる。それなのになんで、お前は俺と一緒に居ようって思うんだよ。なんでそこまで俺に構うんだよ」

 

 

 珍しいマスターからの疑問。マスターが随分と気にしていると思われる事。その内容が簡単すぎて、ティアは拍子抜けしたような気になった。自分が敵だらけのマスターと一緒に居る理由など、一つしかない。

 

 

「マスター以外が全員クソだからです」

 

「は?」

 

 

 今度はマスターがきょとんとして、口をあんぐりと開けていた。

 

 

「この世界の人間達は、わたしをレアモブと言って殺そうとしてきます。他のNPC達は人間達を傷つけてはならないというルールに何の疑いもなく従い、殺されていきました。どの人間達も、わたしを殺す事を目的としているクソみたいな連中です。

 ですが、マスターは違います。マスターはわたしをクソみたいな連中のように殺そうとせず、わたしを生かしてくれましたし、わたしを守ってくれました。わたしに生きるための術を、戦う力を教えてくれました。おかげでわたしはクソみたいな連中を平然と殺せるようになりましたし、殺される事もなくなりました。きっとマスターがわたしを拾ってくださらなかったならば、もう既にわたしは死んでいたでしょう、他のNPCのように。

 弱い者として、強い者に淘汰されていた事でしょう」

 

 

 マスターのあんぐりは治らない。それでも全開きから半開きになってはいるが。

 

 

「それにマスターはわたしに、アヌビスという友達を与えてくださりました。一人ぼっちだったわたしに友達をくれて、一緒に居てくれるのがマスターです。わたしにとってマスターとアヌビスは世界の全てです。マスターとアヌビスが居てくだされば、わたしはもう何もいりません。わたしが心から信じられるのはマスターとアヌビス、ただ二人だけです。

 だからわたしはアインクラッドを作った後も……マスターとご一緒します。どこまでも付いてきます、マスターに。どれだけ過酷であろうとも戦います、マスターと一緒に!」

 

 

 言い切ったところで、ティアは自分の言葉に熱が籠っていた事に気付いた。これもマスターとアヌビスと過ごすまで出来なかった事だ。本当にマスターには多くの事を教えてもらっているし、マスターに自分はどこまでも生かされている。

 

 

「だからわたしは、マスターのためにアインクラッドを作ります。アインクラッドを作り、マスターを迫害するクソみたいな連中を全滅させて、マスターをお守りいたします!」

 

 

 そこでようやく、ティアは胸の内から出る言葉を止める事が出来た。マスターは先程のティアのように瞬きを繰り返している。何が何だかわからなくなってしまっているようにも見える。もしかして変な事を言ってしまっただろうか。出すべきものを出してすっきりした胸の中に不安が生まれようとしたそこで、マスターは深々と溜息を吐いた。

 

 

「なんなんだよ、一体。お前は一体何なんだっての。そんな事平然と口にしやがって……俺の事を変に落ち着かせて、俺の事を信頼しやがってよ。お前が来てから調子が変だぜ」

 

「マスター?」

 

 

 やがてマスターは顔を上げる。いつにもなくすっきりとした、強気な笑みが浮かんでいた。

 

 

「それで、俺を守るだぁ? 眠てぇ事言ってんじゃねえぞ。俺は誰にも守られる必要なんかねえ。当然お前からもな。最強剣士なんだから、当たり前だろうが」

 

「あ……そうでした」

 

 

 熱に任せて適当な事を言ってしまった。今度こそマスターの怒りを買ってしまった。しかし、ティアの思いは次の瞬間に裏切られた。

 

 

「けどよ、気に入ったぜ。そこまで言うんなら付いて来させてやる。それで、お前を世界で二番目の最強剣士にしてやるよ」

 

 

 ティアは一気に表情を明るくした。胸の中が喜びで満ち溢れ、弾けそうになっていた。そのティアに、マスターは続ける。

 

 

「そのためにも、この後ちゃんと働きやがれ。お前の強さを俺に見せつけてみせろ。証明してみろ、クソみてえな連中を本当に根絶やしにできるってな」

 

 

 マスターの命令に、ティアは今度こそ頷いた。

 

 もうすぐだ。もうすぐ二人の巫女が揃い、クソみたいな人間どもが駆逐される。そしてマスターと自分とアヌビスの三人だけの楽園が創造される。待ちに待った世界は、もうすぐやってくる。元気と力を取り戻して歩き出したマスターに向け、いつにもなく喜びで高鳴る胸のまま、ティアもまた歩き出した。

 

 目指す場所は――《祈りの神殿》。

 

 

 

 

 

 

          □□□

 

 

 

「キリト、祈りの神殿に近付いています」

 

「あぁ。だけどまさか、君があんな事を言い出すなんてな。驚かされるよ、本当に」

 

 

 最新のフィールドであるオルトラム城砦の最奥部付近に、キリト達は来ていた。カーディナルシステムがそういうふうになるように仕向けたのかは定かではないが、オルトラム城砦の中心部にある古城は、プレミアのクエストの最終地点となる祈りの神殿という事になっていた。

 

 遥か昔に建造され、現在は文明が滅び去った後といった(おもむき)の遺跡は、双子の巫女がその力に覚醒する場所としてうってつけという事だったのだろう。現実世界の遺跡の中にも、要塞や城と、偉大なる神を祀るための神殿が一体化しているものは多々あるから違和感はない。ネット世界に手を伸ばし、現実世界の神話なども学習しているカーディナルらしいやり方だった。

 

 その神殿となる中央部付近にいるキリトの近くには、連れ人が二人いた。一人はこの場所で双子の巫女として覚醒する役目を強引に背負わされたプレミア。もう一人――というよりも一匹――はキリトの《使い魔》である狼竜リラン。

 

 この二人とのトリオが今のキリトのパーティであり、祈りの神殿の攻略チームだ。他の仲間達には家や街で待機してもらっている。そんなパーティを目にして、リランが《声》を送ってきた。

 

 

《このメンバーで行くという事は、事実上キリトとジェネシスの一騎討ちだ。それで良いのだな、キリト》

 

 

 これから祈りの神殿の最奥部で待ち構えるは、自分達同様にクエストを進めているものの、自分達が防ごうとしたカーディナルの厄災、アインクラッド創生を成し遂げようとしているジェネシスと、プレミアの双子の姉妹の二人だ。しかもジェネシスには《使い魔》である黒き狼竜アヌビスも同行しているから、事実上三人。

 

 この三人がオルトラム城砦のエリアボスと言え、今からキリト達はその者達に挑む事になる。

 

 

「構わないさ。だって、プレミアが望んでる事だったからな」

 

 

 本来ならば、もっと沢山の仲間達を連れて、ここに来るべきだ。この場所にいかなければならなくなった時、キリトはジェネシス討伐の作戦会議とメンバー編成を行おうとしたが、それはすぐにとある人物の提案で止められた。その人物が、キリトのとなり出歩いているプレミアだった。彼女は「ジェネシスのところにはキリトと自分とだけで行きたい」と主張し、皆を驚かせた。

 

 

「プレミア、もう一度聞くけれど、これで良かったんだよな」

 

 

 その主張をした少女プレミアは、護りの竜騎士(ドラゴンナイト)に頷いて見せた。最初は無機質な機械のような様子であった事を忘れさせるくらい、今のプレミアの顔には強い意志が宿っていた。

 

 

「はい。わたしは彼女と話がしたいのです。彼女の事を理解したいです。わたしと同じ役割を背負ってしまった彼女を。ジェネシスに保護されたあの人に……」

 

 

 祈りの神殿にいるのがジェネシスならば、双子の姉妹も一緒にいる。その姉妹がどのような事を考えているのか、自分達が本当にわかり合えないのかどうか、はっきりさせたい。わかり合えそうならばわかり合いたいし、彼女が今だに苦しんでいるならば、その苦しみを取り除いてあげたい。しかし皆が一緒だと彼女は警戒してしまって、余計に辛い思いをさせてしまうかもしれない。だから彼女の許には、自分とキリトとリランだけで向かいたい――それがあの時のプレミアの主張であった。

 

 その話を聞いたとき、キリトは勿論、シノンやアスナといった女の子達も止めに入った。デジタルドラッグを使って超常的な力を得ているジェネシスのところに少人数で向かうのは危険すぎる。やはり皆で行くべきだと皆で説得を試みた。

 

 だが、プレミアは決して意見を曲げず、取り止めようとしなかった。梃子で動かそうとしても無意味だろうと思えるくらい、プレミアの意志は固かった。皆は戸惑っている様子だったけれども、それはよくよく考えてみたところ、キリトにとっても都合がよかった。

 

 ジェネシスはデジタルドラッグという不正行為を使って世界最強の剣士になっている悪質プレイヤーであるうえ、この世界を終わらせる厄災を引き起こすためならば何でもする気でいる。この世界の存続のためにも、本当に決着をつけなければならなかった。

 

 しかも、ジェネシスの場合はただ倒すだけでは無意味だ。あれもプレイヤーなので、倒されればリスポーンし、結局プレミアを襲いに来て、カーディナルの厄災を引き起こす。本当の意味であれを止めるには、自分だけ、もしくは本当の少人数でジェネシスと戦う必要がある。そしてその時にできる作戦でのみ、ジェネシスを本当の意味で止める事ができる。

 

 その作戦を既に思い付いていたキリトは、その内容を仲間達に話した。キリトから作戦を説明してもらうなり、皆はそれに納得。心配はなくせないものの、キリト、リラン、プレミアの三名を祈りの神殿へ送り出してくれたのだった。

 

 このパーティのきっかけを作ったプレミアに対し、キリトは返事をする。

 

 

「そうだな。あの娘はかなり苦しい思いをしてきただろう。それがジェネシスの近くにいるせいで加速してしまってるなら、すぐにでもやめさせなきゃいけない」

 

「はい。きっとあの人も、今の状況を望んでいるわけではないと思います。あの人もキリト達の傍に行けば、気持ちを楽にさせる事ができると思います。わたしは、あの人にそうなってほしいです。自分が何をしたいとか、自分の気持ちというものは未だにわかりませんが、これだけはわかります」

 

 

 自分と同じ容姿を持っているからなのか、それとも自分の唯一無二の家族と言える存在であるからなのか、プレミアの中からあの娘に対する強い思いを感じられた。プレミアは本気であの娘と向き合いたいと思っている。だからこそここにいる。キリトはそう思えて仕方がない。

 

 それに、プレミアの言っている事はキリトも思っている事だった。あの娘は人間に虐げられ、酷い思いをさせられ続け、苦しめられ続けてきた。人間が彼女を穢した事で、彼女は必要のない報復心に取り憑かれ、報復を果たさんとしてしまっている。彼女をそんな凶行に走らせたのは自分達人間だ。

 

 だからこそ、同じ人間である自分達が彼女を止めなくてはならないし、彼女の中に蓄積してしまった穢れを浄化してやらなくてはならない。

 

 祈りの神殿で待っているのはいくつものチャンスだ。カーディナルの厄災を防ぐチャンス、ジェネシスと決着をつけるチャンス、そして彼女を助けるチャンス。 

 

 それらすべてを現実にするために、ここまでやってきた。後はすべてのチャンスを掴んで現実にするだけだ――そう考えると、身体の中に覇気と力が満ちるのを感じた。

 

 

「わかった。あの娘を助けにいこう!」

 

 

 キリトが号令すると、プレミアもリランも頷き、三人揃っての進撃が始まった。目指すは祈りの神殿、ただそこだけ。

 

 

 石造りの城壁郡を抜けると、神殿内部に入り込めた。至るところにぼんやりと照明の灯っているそこには、モンスター一匹確認する事ができなかった。重要な役割のある神殿なのに、そこを守る警備兵は無しという、とんでもないザル警備。おまけに侵入者撃退用のトラップまでない。現実だったら泥棒や強盗にどうぞお入りください、お盗みくださいと言っているようなものだ。

 

 カーディナルシステムによる介入が働いて、モンスターがすべて撤去されてしまったのかもしれない。このクエストが終われば、スケルトン系、騎士系のモンスター辺りが闊歩するようになるだろうか。

 

 いずれにしても警備員と巡回兵のいない神殿は不自然極まりなく、一層不気味に感じられたが、邪魔物がいない分、足を早くして進む事ができた。

 

 広大で薄暗いが、迷宮ほど入り組んでいるわけでもない構造の神殿内を進んでいくと、光の差す場所を見つけた。外の光が束になって落ちてきているそこは、大きな階段だった。上に続いて延びている。マップウインドウを開いてみれば、階段の先が目的地になっていた。

 

 ついに決戦の場に辿り着く事ができた。この先が正念場。ここを超えさえすれば、あとはどうにでもできる。キリトはプレミアとリランに声かけし、三人で意を固めたのを把握した後に、階段を登り始めた。

 

 一段一段上がっていくごとに光が強くなってきて、風が吹いてくるようになった。外に繋がっているらしい。最奥部はどうなっているというのだろうか。ある種の疑問と興味を胸の片隅に抱きながら、キリトは階段を上がっていった。

 

 階段を上りきった先に広がっていたのは、青く澄み渡る空だった。階段の下と違ってそこには天井がなく、空間が解放されていた。それどころか壁すらもなく、外の風景が直接見えるようになっている。

 

 周囲を見渡す限り広がるはオルトラム城砦の風景と、どこまでも流れていく穏やかな風。見上げれば青と白のコントラストが織り成す空。そこは露天の展望台であった。

 

 だが、三人はその場所を展望台だとは思わなかった。壁も天井もない開放的な祈りの間の奥に、三つの形。数時間前に森の中のインスタンスマップで見たモノと同じ形をしているそれは、決戦の相手だ。

 

 

「よぉ、英雄キリト。言われたとおり来てくれたっつーわけか」

 

 

 血のような赤髪をオールバックにして、黒い戦闘服で身を包んでいる長身の青年。キリト同様に《黒の竜剣士》と呼ばれている剣士、ジェネシス。その背後には《使い魔》である黒き毛並みと鎧のような甲殻、四枚の翼と鋭利な狼の輪郭が特徴的な龍、《アヌビス》が構えている。そしてジェネシスの手に持たれているのは、アヌビスの尾であったと思わしき大魔剣。黒い刀身と、ヒエログリフを思わせる金色の紋様が特徴的だ。

 

 エジプト神話に登場する冥界の守護神と同名で、それらしき容姿を持つ狼竜アヌビスを従え、その身体の一部を利用した剣で武装しているジェネシスは、本当にエジプト神話に出てくる武神のようだ。超常の力を手にしているという特徴もまた、彼の者の神話の戦士感を増長させている。

 

 

「あぁ、来てやったさ。これで二人の巫女が揃ったな、ジェネシス」

 

「そうだなぁ。来なかったらお前の取り巻きをぶっ殺してそいつを奪うだけだったが、利口な判断が出来るんじゃねえか」

 

 

 ジェネシスの煽りはいつもどおりだ。何か異変らしい事を起こしている様子はない。完全な状態でここに臨む事が出来ている。だからこその煽りなのだろう。

 

 

「それで、お前はやる気なのか。本当にこの世界を壊すつもりでいるのか」

 

「あぁ、そうだぜ。俺は世界をぶっ壊して、お前を超える英雄(ヒーロー)になる。けれどお前もそうだろ。俺を止めてもう一度英雄キリトになる。そういうつもりだろ」

 

「そんなつもりはない。だけど、お前を止めるつもりだっていうのは合ってるよ。これ以上お前に好き勝手をさせるわけにはいかない」

 

 

 ジェネシスは「ははっ」と言って嘲笑してくる。こちらを挑発しているのか、それともこちらが知らないうちに挑発してしまっているのか。多少気になりはしたが、キリトは即座にジェネシスを注視する。ジェネシスは大剣を軽く振り回し、戦闘態勢を作った。

 

 

「おい、お前は手出しするな。こいつは俺が直々に仕留めてやるんだからよ」

 

 

 ジェネシスの命令を受け、その隣にいる少女は後ろに下がる。彼女はキリト達が来た時点で臨戦態勢となっていた。恐らくジェネシスと一緒に戦うつもりだったのだろうが、そのジェネシスに止められたために、後方へ下がっていった。その少女と双子の関係にあるプレミアに、キリトも声掛けする。

 

 

「プレミア、下がっているんだ。ジェネシスは俺達が止める。あの娘と話を付けるのはそれからだ」

 

 

 プレミアは不安そうな表情をしていたが、やがてキリトの指示に頷き、後ろに下がっていってくれた。目の前の少女に話しかけても、今は通じない事はわかっているようだ。あの少女にプレミアの気持ちを伝えるためにも、まずはジェネシスを止めなくては。

 

 直後、ジェネシスは「へっ」と笑い、勢い良くジャンプした。キリトが驚きながら双剣を引き抜いたその時に、ジェネシスはアヌビスの背中へ着地し、(またが)った。自分達で言う《人竜一体》を成し遂げた主人を迎えたアヌビスは、強く咆吼する。

 

 

「さぁ、始めようぜ。世界の命運を賭けたバトルっていうのをよぉ!!」

 

 

 ジェネシスが言うや否や、アヌビスはその四枚の翼を思い切り羽ばたかせつつ床を蹴り上げ、空へ舞い上がった。キリト達と上下の距離を開かせると、アヌビスは一度上を向いて息を吸い、その後一気に振り下げて、口内より電撃ブレス弾を放ってきた。それも一度ではなく、五発ほど連続でだ。

 

 冥界で生じるものを彷彿とさせる赤黒く禍々しい電撃弾は隕石のように降り注ぎ、地表に激突するなり炸裂し、電撃の爆発を引き起こした。雨ざらしの祭壇の間が電撃の嵐に包み込まれるが、それが直接キリトとリランを襲う事は無かった。奇跡的に当たらなかったのか、それとも威嚇射撃だったが故に最初から外れていたのか。どちらにしても次は当ててくるつもりなのがジェネシスとアヌビスのコンビだろう。

 

 キリトは土煙が晴れるなり、リランを見た。彼の者達がいる空に向かう翼は、こちらにもある。あちらに出来てこちらに出来ない事は沢山あるが、空へ行くというのは出来ない事じゃない。キリトはつい先程のジェネシス同様地面を蹴り上げてジャンプし、リランの背中に着地して跨り、その剛毛を掴んだ。

 

 

「リラン、行くぞッ!!」

 

《今度こそ奴を止めるぞ、キリト!!》

 

 

 リランは《声》を発するなり、地面を蹴り上げつつ翼を羽ばたかせ、空へ舞い上がった。エリアボスが撤去されているためなのか、オルトラム城砦の空は既に自由飛行制限が解除されていたようだった。

 

 

 




 次回、キリトVSジェネシス。




――原作との相違点――

・祈りの神殿が露天。原作では完全室内。

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