キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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 明かされる真実の数々。

 


15:わたしのねがいとひみつ

 

 

 

 

        □□□

 

 

 祈りなさい。それがあなたの役目。

 

 祈りなさい。あなたの使命は祈る事。

 

 祈りに行きましょう。そのために歩きましょう。

 

 さぁ、祈るのです――。

 

 

 頭の中に木霊する声に導かれるようにして、《プレミア》と名付けられた彼女は草原を歩いていた。

 

 場所は森から離れた草原地帯に差し掛かり、日は既に暮れて夜になっている。足元がよく見えず、歩くのは危ない。だが、彼女は止まらなかった。歩みを止めようとも思わなかった。

 

 《声》は彼女に囁く。祈りに行きなさい。早く祈りに行きなさい。彼女はその声にただただ頷き、足を進めていた。

 

 《声》が聞こえ始めた時には家の中だったが、もう家から離れた草原地帯にまで来れた。このまま足を進み続ければ、祈りの場所に辿り着く。自分自身に課せられた役目を果たせる場所に行けるのだ。だから歩かなければならない。

 

 わたしは歩かなければならない。歩いて、歩いて、祈りに行かなければならない。祈らなければならない。

 

 

 さぁ、祈るのです――はい、祈ります。

 

 さぁ、歩くのです――はい、歩きます。

 

 

 彼女は《声》に声無く返事し、歩き続けていた。いや、彼女は歩いてはいない。彼女の身体は既に《声》に制御を任せていて、彼女自身は何もしていなかった。彼女が何をしようとも、彼女の身体は《声》が教える向かうべき場所へ動いていってくれていた。

 

 頭の中はぼんやりとしている。まるで尋常ではない濃霧が立ち込めているかのようだ。真っ白い霧が頭の中にかかり、何も考えられない。目に見えるものは認識するのが精いっぱいで、憶えたりする事は出来ない。濃霧がどこまでも頭の邪魔をしている。だが、それでも彼女は歩みを止めない。足を動かすのをやめず、歩き続ける。

 

 《声》に逆らってはならない。この《声》の導きに背いてはならない。その思いが濃霧に包まれた彼女の頭の中で唯一導き出された答えだった。好都合な事に、《声》は頭の中に起こる疑問を包み隠してくれていた。

 

 ここまで来たは良いけれども、どれくらい歩けばいいのかはわからない。

 

 どのくらい歩けば、祈りの場所へ辿り着くというのだろうか。

 

 あと何日歩けば、祈りの場所に行けるのだろう。

 

 そもそも、祈りの場所とはどこの事なのか――いつものプレミアならば抱ける疑問は、濃霧が隠してくれている。おかげで何も考えずに歩き続けていられた。

 

 この濃霧と《声》がなかったならば、ここまで来る事さえ出来なかっただろう。《声》が身体を動かしてくれなければ、ここまで来れなかっただろう。《声》の導きは行くべき場所へ連れていってくれている。彼女はこれ以上ない安堵の気持ちを胸に、ただ《声》に動かされ続けた。

 

 だが、《声》に身体を任せて自分は何もしないというのは退屈だった。そこで彼女は《声》に身体を任せたまま、これまでの出来事を思い出す事にした。頭の中の濃霧は不思議な事に、それは可能としてくれた。真っ白な霧の中に思い出が蘇る。

 

 元々彼女には何もなかった。名前も何もなく、気付いた時既に世界はあり、その中に彼女は居た。この水色と白色のゆったりとした服を着て、世界に生きていた。

 

 どうしてこんなところに――彼女が疑問を抱くより先に、彼女は自信のやるべき事を見つけ出した。世界にいる冒険者達に声をかけ、とある場所へ連れて行ってもらう。連れて行ってもらえたら、一枚のコインを差し上げる。そして元居た街へ帰る。また冒険者達を見つけたら連れて行ってもらい――というのを繰り返す。

 

 名前さえもわからない彼女はそれだけを理解し、ただただ実行した。昼も夜も関係なく、やるべき事を実行し続けた。

 

 そんな日々を続けてどれくらい経った頃だろうか。彼女はとある冒険者達に出会った。黒いコートを着た男性と緑の軽装と青のマフラーを身に着けた女性、そして白い毛並みの狼竜の三人からなる冒険者達。草原で迷っていた彼女を三人は街まで連れ帰ってくれた。街に辿り着くと、彼女はお礼に持っている一枚のコインを差し上げた。

 

 普通ならば冒険者達はそこで彼女の許を去るが、その三人の冒険者達は去らなかった。そればかりか、冒険者達の仲間が続々と集まってきて、彼女を取り囲んだ。彼女はただただその者達の声を聴き続けたが、やがて冒険者の一人が彼女に声を掛けた。

 

 

「あなたの名前はプレミア。プレミアちゃんが、あなたの名前だよ」

 

 

 冒険者達は彼女を差し置いて納得し、彼女を《プレミア》と呼ぶようになった。本来ならば彼女に何も与えないはずの冒険者達は、名も無き存在であった彼女にプレミアという名前を与えたのだ。わたしの名前はプレミア。わたしはプレミアという名前。

 

 彼女がそう認識してからだ。その冒険者達が次々と彼女に自らの名前を教え、一緒にいてくれるようになったのは。

 

 

「……!」

 

 

 その時プレミアの身体がプレミア自身に返された。頭の中の霧が晴れていき、思い出がもっと蘇る。黒いコートの冒険者はキリトといった。そして彼の仲間達はシノン、アスナ、リラン等と言って、プレミアの傍に居てくれるようになった。最初こそは何も思う事がなかったが、彼らと過ごす時間が積み重ねられていく毎に、プレミアの中で生まれていくものがあった。

 

 楽しいという気持ち、悲しいという気持ち、怒りたいという気持ち、美味しいものを食べて嬉しい気持ち――ありとあらゆるもの。これまで彼女が知らなかった事の全て。キリト達はからっぽだったプレミアに、色々なものを絶えず注ぎ込んでくれた。

 

 そんな日々を続けていくうちにプレミアはキリト達に注ぎ込まれる事を自ら望むようになった。もっと沢山の事をわたしに教えてほしい。わたしの中を、わたしのからっぽを満たしてほしい。

 

 そう思うプレミアにはわかった事があった。キリト達はからっぽのわたしを満たしてくれる。キリト達といれば、わたしはからっぽで無くなり、もっと沢山の物を得られる。自分だけでは手に入れられないモノを、得られる。

 

 だからわたしは、キリト達と、キリトと――。

 

 

「……ぁ」

 

 

 プレミアの頭の中の濃霧は元に戻った。見えていた光景が真っ白に染まる。《声》が響く。

 

 さぁ、祈りましょう。

 

 さぁ、歩きましょう。

 

 プレミアは思い出した。そうだ。歩いて、祈りに行かなければ。その他の事はどうでもいい。思い出の事などどうでもいい。歩かなければ。祈りに行かなければ――彼女が思うと、彼女の身体は再び夜の草原を歩き出した。祈りの場所を求めて、歩き出してくれた。

 

 

「やっと見つけた! プレミア!」

 

 

 直後、プレミアを呼び止める声があった。《声》ではない。男性の声だ。それも聞き覚えがあるどころでは済まされないくらいによく聞いた声色。その声のせいか、身体はプレミアに返還されて立ち止まる。プレミアは声のした方へ向き直った。

 

 

「探したぞ、プレミア。どこ行くんだよ」

 

 

 そこに居たのは男性だった。黒い髪の毛を短髪にしていて、黒色の瞳。身体は黒いコートに包まれ、背中には二本の鞘が背負われている。それを見た途端、濃霧はまた弱くなり、思い出の一部が姿を見せた。あの男性の名前はキリト。そしてキリトは、自分にプレミアという名前が与えられるきっかけを作ってくれた冒険者だ。

 

 

「キリト」

 

 

 黒き冒険者は周囲をきょろきょろと見回してから、彼女に向き直った。

 

 

「どこか行きたいところがあったのか。言ってくれれば、俺が連れて行ってやったのに」

 

 

 プレミアはまた思い出す。キリトと出会った後、キリトとその仲間達は自分と一緒に居てくれて――キリトに至っては、自分を危険から守ってくれるようになったのだ。そこまで彼女が思い出したところで、彼女の身体は導きの《声》に返還され、口が動かされた。

 

 

「……連れて行ってくれるのですか。では、わたしを……祈りの場所に……連れて行ってください」

 

 

 キリトの顔に驚きの表情が浮かぶ。何か驚かすような事を言っただろうか――その疑問の後に、プレミアの濃霧に揺らぎが生じた。

 

 

「わたしは祈らなければならない。だから祈りの場所へ行かなければならない」

 

「ま、待ってくれプレミア。なんで君が祈る必要があるんだ。祈る理由はなんなんだ」

 

 

 祈る理由は何か――プレミアは繰り返していた。濃霧がまた揺らぎ、隠されていた疑問が姿を見せてきた。

 

 

 そういえば、どうして祈らなければならないのだろう。

 

 どうしてわたしは祈りを捧げなければならないのだろう。

 

 わたしの祈る理由は、なんだったのだろうか――?

 

 

 そう思う彼女の気持ちに反し、彼女の身体は導きの《声》に動かされる。祈りなさいと繰り返していた。

 

 

「それが、わたしのやるべき事だから……さぁキリト、わたしを祈りの場所へ連れていく、のです」

 

 

 キリトは答えなかった。どうして何も答えてくれないのだろう。プレミアがそう思っても、身体は返してもらえない。やがて、キリトはプレミアの瞳と自信の瞳を合わせた。プレミアの姿がキリトの瞳に映し出される。

 

 

「……プレミア。一つだけ答えてもらっていいか。祈りたいというのは、君の本心で言っているのか」

 

「……?」

 

「もしプレミアが祈れば、俺達はもう会えなくなるかもしれない。一緒に居られなくなるかもしれないんだ。女神とか巫女とか、そういうモノは関係ない。プレミア、君自身の気持ちを教えてほしいんだ。君の本心を、俺に話してほしい」

 

 

 濃霧が揺らいだ。激しく揺らいでいるせいで、隠されていた疑問は次々露見し、彼女の頭を埋め尽くしてきた。

 

 わたしが祈れば、キリト達に会えなくなる?

 

 わたしが祈れば、キリトと一緒に居られなくなる?

 

 キリトはわたしを満たしてくれるのに、足りないモノを与えてくれるというのに、わたしが祈ればキリトともう、会えなくなる?

 

 

「わたしの、気持ち……わたしの、本心……本、心……わたし、は、キリト、と」

 

 

 いつの間にか、導きの《声》から身体を返されていた。プレミアは辛うじて動いてくれる口を動かし、言葉を出していた。そして濃霧が薄くなってきた頭の中で考える。

 

 本心、やりたい事は、ずっとわからなかった事、ずっとどう答えればいいかわからなかった事。その形が今、プレミアには見えてきていた。

 

 ――祈る事が使命です。さぁ、祈るのです――しかしその途中で、濃霧は勢いを取り戻し、導きの《声》はプレミアを追い出そうとした。身体を奪われ、口が流暢に動く。

 

 

「……本心です。祈る事はわたしの役目。わたしのやりたい事、わたしの本心です」

 

 

 プレミアはびっくりした。そんなのはわたしの本心ではない。本心ではない事を言わないで。言わせないで。プレミアはいつの間にか、自分の身体を動かしてくれていた導きの《声》に抵抗心を抱き、抵抗した。

 

 

「祈る、事……それが、わたし、の……わたし、は……」

 

 

 あなたのやるべき事は祈る事。祈りなさい、祈りなさい、祈りなさい――導きの《声》は喋っていた。プレミアは首を横に振り、キリトに手を伸ばす。導きの《声》が邪魔をして、いつものようにすぐに伸びていってくれない。

 

 

「キリト、わたし……は、わたし……の、のぞ、み、は」

 

 

 いのりなさい、いのりなさい。

 

 イノリナサイ、イノリナサイ。どんどん《声》の抑揚が欠けていく。イノリナサイイノリナサイイノリナサイ。何度も何度も聞こえ、耳を塞ぎたくなる。

 

 その時に、プレミアは手が暖かくなったのを感じた。《声》の満ちる頭のまま目を向けると、キリトの手がプレミアの手を包んでくれていた。何度も感じた温もりが、手から、全身へ広がっていく。

 

 

「プレミア、君の本当の願いを叶えてあげるよ。だから、言ってくれ。君の望みを教えてくれ。君の願いは、祈る事じゃないはずだよ」

 

 

 イノリナサイイノリナサイイノリナ……プレミアの領域が広がっていき、《声》は弱くなり、霧払いが起こる。口はいつものように動かせていた。

 

 

「わたし、は、祈りたいんじゃない……祈りたくない……わたしは、キリト……キリトと……キリトと……ずぅっと……」

 

 

 頬を流れるものをプレミアは感じた。涙だ。涙がぼろぼろと零れて、地面に落ちていく。止めようとしても止まってくれそうにない。胸の内から、勢い良く突き上げるものを感じて、プレミアは俯いた。

 

 

「わたしは、わたしはキリトと、ずっと、ずっと……!」

 

 

 もう《声》も濃霧も居なくなっていた。胸の内から突き上げてきたものを受け止めたプレミアは顔を上げ、叫んだ。

 

 そうだ。わたしのやりたい事はただ一つ。

 

 

 わたしの思いは、わたしの願いは――!

 

 

 

「キリトとずっと一緒に居たいッ!!!」

 

 

 

 声はプレミアの予想に反して周囲に木霊していった。その際、プレミアは胸の内で何かが弾けたのを感じた。今ので何かが外れてしまった、何かが解放されたようだったが、気にしなかった。その時プレミアは、キリトの胸の中に飛び込んでいたのだ。暖かくて心地よいキリトの胸の中で、プレミアは叫んだ。

 

 

「キリトッ、わたしは生きたい。キリトと一緒に居たい!!」

 

 

 胸の中で燻っていたものを、プレミアは全て吐き出していた。

 

 祈る事なんてどうでもいい。

 

 わたしはキリトと一緒に居たい。

 

 キリトと一緒に居られなくなるなんて、嫌だ。その思いは――キリトに伝わってくれた。キリトは優しい手つきで、プレミアの頭をそっと撫でてくれていた。

 

 

「……わかった。君の願いを叶えよう。ずっと一緒に、居よう」

 

 

 その声を聞き届けた瞬間、プレミアはまた胸から突き上げるものを認めたが、それはすぐに口と目元から出てきた。

 

 

「キリト、キリトぉぉぉぉぉ……うわあああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁッ!!!」

 

 

 プレミアは泣いた。見えない何かで縛られていた身体の全てを開放し、その底から声を出して泣き続けた。その声に合わせるようにして、プレミアの中に溜まっていたものがようやく姿を見せてくれるようになった――という気がしたが、プレミアは疑問も思う事も振り捨てて、泣き続けていた。

 

 そんなふうに泣き続けてどれくらい経った頃だろうか。泣きたい欲求が消えていき、プレミアはキリトの胸の中から離れる事が出来た。もう少しいたい気持ちもあったけれども、キリトの胸の中が自分一人だけ独占できるものではない事がわかっている。だからこそプレミアは、キリトの胸の中から離れた。

 

 プレミアが離れると、キリトはすっきりした顔でその場に座り、プレミアも同じようにその隣に座った。彼は空を見上げて、プレミアに声をかけてきた。

 

 

「プレミア、上を見上げてごらん」

 

「上ですか?」

 

 

 プレミアは同じように空を見上げる。日が沈んだダークブルーの夜空で、月と星が主役を張っている。月は金色に、星々は銀色に輝いて、空を彩っている。いつも見ているはずなのに、それがとても美しく感じられ、プレミアは少し驚きを抱いた。

 

 

「空が、星で埋め尽くされていて、綺麗です」

 

「そうだろう。俺もたまにこうして星を眺める事があるんだ。夜空の星は君の言う通り、綺麗で……この世界がどうであれ、こうして星を見て感動できたり、綺麗だと思えたりする気持ちは本物だ」

 

「本物……」

 

「うん。プレミアとこうやって過ごしている時間だって、貴重な一瞬だよ」

 

 

 キリトの言葉にいつにもなく頷けた。前から思っているつもりだったけれど、キリトと過ごす時間はとても貴重な一瞬だ。そしてこの貴重な一瞬を、これからずっと続けていきたい。空っぽだったプレミアの胸で、そんな思いが存在を主張していた。

 

 

「わたしもそう思います。キリトと過ごす時間はとても貴重な一瞬。わたしはこれからもこの貴重な一瞬を得られますか。キリトはわたしと、これからもずっと一緒にいてくれるのでしょうか」

 

「勿論だよ。またこうして星を一緒に眺める事も、一緒に料理を食べたりするのも、いくらでも付き合うよ」

 

 

 キリトに言われると、胸の中の嬉しさが大きくなった。自分の願いは叶えられる。キリトとずっとに一緒に居たい、キリトからもっと沢山のものを分け与えてもらいたい。

 

 その願いをキリトは聞き届けてくれた。きっとこれからも、この願いは叶えられ続け、キリトとずっと一緒にいて、様々な事を体験して、様々なものを与えてもらえる日々が続いていくのだろう。

 

 嬉しさでいっぱいになりそうになっているプレミアの胸の中には、安堵の気持ちも生まれていた。

 

 

「ありがとう、キリト」

 

 

 しかし、この願いを叶えるうえで、忘れてはならない事がある。それこそが、自分のやらなければならない事。プレミアはそれをはっきり胸の内に浮かび上がらせ、キリトに話した。

 

 

「……キリト、わたしの願いはそれだけはありません」

 

「え?」

 

 

 キリトは少しきょとんとして、プレミアに顔を合わせてきた。

 

 

「わたしはこの気持ちを、この世界の美しさを、この世界で感じられる楽しさを、喜びを……ティアにも教えてあげたいです。ティアだけじゃありません。願わくばジェネシスにも、この気持ちを教えてあげたい。世界はこんなにも綺麗だという事を、人と繋がりを持つ事はこんなにも嬉しくて、楽しくて、温かい事なのだと、教えてあげたいです。あの人達が壊そうとしている世界がどれだけのものなのかを、教えてあげたい」

 

 

 ティアもジェネシスも、きっとこの世界の事をよく知れていないでいるのだ。この世界にやって来た人間達は世界を汚す厄災であり、世界は厄災に穢されて歪んだ――そう思っているからこそ、あの二人は世界を壊そうとしている。

 

 あの二人にこの世界の本当の有り様を、人間がどういうモノなのかをしっかり教えられれば、世界を壊すのをやめてくれるだろうし、辛い気持ちでいるのもやめられるだろう。プレミアはその気持ちを何一つ隠す事なく、キリトに話した。

 

 プレミアの話が終わると、キリトはすぐに穏やかな表情を顔に浮かべてくれた。

 

 

「そうだな。ティアもジェネシスも辛い思いをし続けてきたせいで、あんなふうになってしまった。あの二人は今も苦しんでいるはずだ」

 

「はい。ですから、わたしはティアとジェネシスに教えてあげたいです。世界は壊さなくていいって、教えてあげたいです」

 

 

 しかし、自分一人だけで出来るとは思えていない。あんなふうになってしまった二人を自分だけで止める事は不可能だ。ではどうすればよいのか――その答えをキリトは導き出してくれた。プレミアの望んだものでもあった。

 

 

「そのためにも、あの二人のところに行かないとだな。あの二人を止めて、世界をよく見せてやらないと」

 

「はい。それに、あの二人とはぶつかる事になると思います。けれど、ぶつからなきゃ伝わらない事があるというのを、ユウキは教えてくれました。わたしはあの二人にぶつかりたいです。キリト、協力していただけますか」

 

 

 キリトは深々と頷いた。最初からその気だったようだ。キリトの答えがどうなるかなどの不安は必要なかった。

 

 

「勿論。俺だけじゃない、皆がそう思ってるよ。ティアとジェネシスを……辛い思いをして苦しんでいる二人を、俺達で必ず止めよう」

 

 

 プレミアは頷きを返した。あの二人に会いに行った時、何が起こるかは予想できない。けれどもキリト達が一緒にいてくれるならば、ティアとジェネシスに世界を教えてあげる事も出来るはずだ。あの二人の苦しみを取り除いてあげる事も、出来るはずなのだ。

 

 そのために自分も頑張らなければ。プレミアは身体に力が入るのを感じた。

 

 直後、後方から音がして、プレミアは振り返った。キリトも同じように振り返って、後方を見る。空と同じダークブルーに染まる草原地帯、自分達から少し離れたところに、四つの人影。ユイ、ストレア、リラン、ユピテル――イリスの《こども達》だという人達が、こちらに向けて走ってきていた。

 

 

「ユイにストレアに、リランにユピテルだな。どうしたんだろう」

 

「急いでるみたいですが……」

 

 

 勿論プレミアに心当たりなどない。彼女達はどうして急いでいるのだろう。そう思う二人の許に、四人はすぐさま駆けつけてきた。そこで誰もが驚いたような顔をしていたのだから、プレミアは余計に疑問を抱く事になった。

 

 

「どうしたんだよ四人とも。何かあったのか」

 

 

 尋ねるキリトにリランは振り向く。驚きの顔はそのままだ。

 

 

「何かあっただと? どうしたもこうしたもない!」

 

「これは、これはどういう事なのでしょうか。どういう事になっているのでしょうか?」

 

 

 中々慌てない方のユイすらも慌てている様子だ。そしてその目線は確かにプレミアに向けられている。四人全員が驚きの眼差しでプレミアを見ていた。

 

 

「あの、どうかしたのですか。何があったのでしょうか」

 

 

 ついに問いかけたプレミアに答えたのは、ストレアだった。

 

 

「そんな、どうしてわからなかったんだろ。アタシ達、ずっと近くに居たっていうのに」

 

「何かがジャミングの役割を果たしていたのでしょうか。いやでも、ここまで完全に出来るものかな」

 

 

 ユピテルに言われても、プレミアは何の事なのか一切わからない。プレミアもキリトもそっちのけて、四人はそれぞれ思い思いの事を言っている。やがてキリトが四人全員に声を掛けた。

 

 

「だからどうしたっていうんだよ四人とも。何があったんだ」

 

 

 その質問に答えたのはユイだった。信じられないものを見て驚いているという顔は、崩れなかった。

 

 

「プレミアさんの中から信号があります。これはわたし達と同じ《アニマボックス》信号……プレミアさんはわたし達《MHCP》、《MHHP》と同じ《アニマボックス搭載型AI》です!」

 

 

 

 

 

          □□□

 

 

 

 

 

「どういう事なのか説明してもらおうではないか、イリス。プレミアから出ている《アニマボックス》信号……これはなんなのだ」

 

 

 仲間達全員――プレミアを含めた――が集まる家の一階。イリスの最初の娘であるリランが、母親であるイリスに問いかけた。イリスは部屋の中央付近にあるソファに腰を掛け、「あっちゃ~」と言わんばかりの顔をして頭を掻いている。

 

 プレミアを見つけ、その気持ちを確かめる事が出来たそのすぐ後、キリトとプレミアはやって来た四人と一緒に家へ戻った。六人が家に戻ってきて、プレミアが仲間達に勝手に居なくなった事を謝った後、リラン達による仲間達全員を集めてのイリスへの尋問が始まった。

 

 なんだか一方的に責めているみたいで気分が良くなかったが、リラン達の気持ちをキリトは優先した。あの時リラン達が口にした事実は、とても見過ごす事の出来る物ではなかったからだ。

 

 プレミアから、イリスの作ったAIにのみ搭載される《アニマボックス》の信号が出ている。彼女の子供達であるという証拠でもあるコアが、実はプレミアにも存在していた。即ちプレミアはイリスの子供の一人かもしれない――その真実を確かめずには居られなかったのだ。

 

 リランがその事を言うと、仲間達全員が驚きの声を上げ、イリスの返答を聞きたがった。自分達の接してきたプレミアが実はイリスの作った子供かもしれないというのだから、当然の結果だった。

 

 そんな皆の注目を集め、イリスはすんと笑ってみせた。

 

 

「……感じてるんだね、プレミアから《アニマボックス》の信号を。間違いじゃあないって言い切れるんだね?」

 

「……イリスが一番よくわかってる事じゃないかな、それって」

 

 

 いつもはほんわか自由奔放のストレアでさえ、険しい表情をしている。それだけ今回の事は詰め寄らねばならない事なのだ。自分がもしストレアの立場にいたならば、彼女と同じようにイリスに突っかかっていた事だろう。キリトはそう思えて、ストレアを止めたりする気にはならなかった。

 

 

「間違いありません、イリスさん。プレミアさんからは《アニマボックス》信号が検知出来ます。どうして今まで検知できなかったのかはわかりませんが、今のプレミアさんからは確かに《アニマボックス》信号があります。この説明をわたし達にしてください」

 

 

 妹同様険しい顔をしたユイに話しかけられると、イリスはすんと鼻を鳴らした。隣に座っていて、先程から首を傾げる一方になってしまっているプレミアをちらと見てから、その口を再度開けたのだった。

 

 

「ちゃんと知られてしまったからには仕方がない。種明かしをしようか。君達がプレミアという名前を付けて、愛情を注いでくれたこの娘は、私が直々に制作し、この《SA:O》に導入した《アニマボックス搭載型AI》だよ。この娘は私が産んだ子供の一人。ユイやリラン達の妹の一人と言えるよ」

 

 

 その言葉に皆が驚き、キリトもまた驚いてしまった。自分達が何気なく接してきたプレミアは、実はイリスが作った娘であるという事も驚きだが、プレミアがユイやリランの妹に当たるという事こそが最も驚くべき事柄だった。

 

 

「プレミアが我らの妹だと!? そうなのか!?」

 

「という事は、プレミアも《MHHP》、《MHCP》のような治療能力があるというのですか!?」

 

 

 長女リラン、長男ユピテルの驚きに母親イリスは首を横に振ってみせた。

 

 

「まぁ落ち着いて聞いておくれ。このゲームは元々SAOのサーバーを利用しつつ、ボトムアップ型AI達がどこまで成長できるか、どのようなものとなるかの具合や可能性を研究するために作られた。だからこそ私はこのゲームの制作陣に招集されたっていう話は、前にしたよね?

 このゲームは私以外のAI研究者達、VRMMO産業研究者達が学術的興味とAI技術の発展を夢見て作り上げていった代物なんだが、その思いは私にもあったんだ」

 

 

 割と聞いた事のあるイリスの独白に、キリトはいつの間にか聞き入っていた。最早部屋の中にいる全員がそうなっている。その最中で、イリスは四人の子供達に視線を向けた。

 

 

「ユイにストレア、リランにユピテル。君達《アニマボックス搭載型AI》は零の状態から百になるまで私達に作り込まれてから、アインクラッド等の世界に行った。君達には人間の心や精神を癒す使命があるから、中身は百になっていないといけなかったんだよ。

 では、最初から百まで作り込まれた君達とは逆に、何も作り込まれていない零の状態のまま世界に入れられた《アニマボックス搭載型AI》は、百になった時どんなものとなるのだろう、どんな子に成長してくれるんだろうっていうのが気になってね。《アニマボックス搭載型AI》がどれ程の成長と進化を見せるのか。その進化の可能性というのを見てみたくてね。

 そして《アニマボックス搭載型》と《アニマボックス非搭載型》だと成長力や性格形成にどれだけ差が出るのかっていうのも気になっちゃって。他の制作陣に何も言わずに二人作り込んで、実装してやったのさ。《MHHP》、《MHCP》同様の《アニマボックス搭載型AI》をね。それが君達がプレミアと呼んでいるこの娘と、ジェネシスの傍に居るティアっていう娘だ」

 

 

 そこでキリトは気付いた事があった。プレミアとティアの容姿を初めて見た時、どこかで見た覚えがあるような気がしていた。その理由とは、プレミアとティアの外観の一部に、イリスの外観の一部が遺伝されていたからだったのだ。

 

 現によく見てみると、イリスの髪の毛の一部とプレミアの髪の毛の一部の形、目元の辺りがよく似ていた。そこまで理解したところで、キリトはイリスに尋ねた。

 

 

「プレミアとティアの姿は固定されていて変更できないって話でしたけど、それもイリスさんがやったんですよね。あらかじめイリスさんが、作り込んでたんでしょう」

 

「ビンゴ。ちょっと意地悪だったかもしれないけど、こっそり作った《アニマボックス搭載型AI》の二人はグラウンドクエストを進めるためのNPCの立場と、容姿変更不可能に固定させてもらった。グラウンドクエストのNPCなら、非常に沢山のプレイヤーと接する事になる。零のままの《アニマボックス》が、プレイヤー達の影響でどのような百になるのかよくわかると思ったし、グラウンドクエストのNPCならば、どこにいるのか、どんな具合なのか把握しやすくて、色々都合良い。だからそこに入れたってわけさ」

 

 

 その事でセブンは随分と困っている様子だった。この話は後々セブンにも聞かせてやらねばならない話だろう。願わくば、《SA:O》の運営に直々に話したい気持ちもあった。

 

 

「私が作った《アニマボックス搭載型AI》の二人。それは君達も知っている通り双子でね。開発時は泣き黒子のある方が《ゼロ》、無い方が《ゼロツー》というコードネームだった。ゼロとゼロツーはグラウンドクエストのNPCとしての役割だけは入れ込んで、後は本当に全てをゼロにして、成長と進化の具合を見ていこうと思っていたんだけど……まさかここで君達が《ゼロ》を保護して、プレミアっていう新しい名前を与えてくれるとはね。おかげで《アニマボックス搭載型AI》の進化具合、成長具合をしっかりと観察する事が出来たよ。

 ちなみに《ゼロ》と《ゼロツー》にもMHHPに搭載されている能力、フルダイブ機器に信号を流して脳内物質の流れを最適化するっていう能力がこっそり付与されてたんだけど、無いと同じみたいだったね」

 

 

 そこでまた謎が解けた気がした。プレミアとティアは他のNPC達と比べて成長力と学習性が高く、まさに進化するように成長していった。今では人間性を得るにまで至っている。彼女達が他のNPC達を置き去りにして進化できていたのは、彼女達が《アニマボックス》を搭載された存在だったからだ。

 

 

「プレミアちゃんは最初と比べて本当に可愛くなりましたし、本当に色んな事を学んでいきましたけれど……それが《アニマボックス》のおかげだったなんて」

 

 

 アスナが驚きながらも納得しているように言うなり、皆が頷く。プレミアは「可愛い」と言われた事に反応したのか、少し頬を赤くして俯いていた。そんな二人を見て笑みつつ、イリスは続ける。

 

 

「私も正直驚いたよ。《アニマボックス》があるとないとで、これだけの差が出るとは思わなんだ。プレミアは本当に可愛い娘に育ってくれた。それもこれも君達がプレミアを保護し、愛情を注いでくれたおかげさ。

 今まで黙っていた事を謝罪しよう。そして、礼を言うよ皆。プレミアを育ててくれて、愛してくれてありがとう」

 

 

 イリスは頭を下げた。何も知らされていなかったというのは少し引っかかるけれども、プレミアについて色々納得はいった。そして改めて、自分達は知らず知らずのうちにプレミアを愛し、プレミアに愛情を注ぎこんでいたとわかった。

 

 プレミアがここまで愛らしく、優しげな少女に育ったのは自分達の愛情がプレミアにちゃんと届いた証拠。それがキリトはとても嬉しく感じられた。

 

 

「だけど、まさかその途中でカーディナルが付け込んできて、彼女達を本当にゼロにしてしまうとは思わなんだ。そしてまさか、アインクラッド創世を成し遂げようとするだなんてさ。恐らくユイ達やリラン達がプレミアの《アニマボックス》信号を検知できなかったのは、彼女達に取り付くカーディナルのアインクラッド崩壊モジュールが強力過ぎるジャミングになっていたからだろう」

 

「それだけじゃありません。ティアは苦しんでいます……誰にも愛されなかったせいで、苦しんでいます」

 

 

 ようやく話の中心であるプレミアが口を開き、キリト達は注目する。イリスは頷き、顔を険しくしていく。

 

 

「そうだね。プレミアとティア……プレミアは人を愛するようになったのに対し、ティアは逆に人を憎悪するようになってしまった。まさに正と負の結果だ。これも一つの実証データとして受け止めるべきなんだろうが、私は負の結果を迎えてしまったティアをそのままにしておくつもりはないよ」

 

 

 ティアの負の感情でいっぱいになってる心を、正の感情で満たしてやりたい――それはキリトは勿論、皆が思っている事だった。だからこそ、自分達はティアを止めなければならないし、人間として、彼女の心を清めてやらねばならないのだ。皆の気持ちをわかっているように、イリスは見回した後に言葉の続きを出した。

 

 

「カーディナルがどうしてこんな動きをしているのかはわからないから調べるけれど、まずはティアを助けてあげない事には始まらない。

 ……キリト君、それから皆。あなた達はプレミアをここまで清らかな娘にする事が出来た。それはティアにもしてあげる事が出来るはずよ。あんなふうになって苦しむようになってしまったわたしの娘をどうか、救ってあげて。何から何まで頼み込むようでごめんなさい。けれど……どうかお願い」

 

 

 イリスはもう一度深々と頭を下げた。途中で口調が素になっているのを、キリトは聞き逃さなかった。

 

 彼女は自分の子供達をとても愛する女性であるという事を、長らく接してきた中でわかっている。その愛情は、勿論ティアにも向けられているものだ。イリスが素の口調になってまで頼んでいるという事は、本当にティアを救ってほしいと頼んでいるという証明であり、自分達と願いを共通させている証拠だった。

 

 それに対する返事は、キリトが出した。

 

 

「ティアを、プレミアの家族を助け出したい気持ちは俺達も同じです。だから、任せておいてください。

 俺達の手で、カーディナルもティアも、ジェネシスも止めるぞ!」

 

 

 改めて行った決意表明に、イリスとプレミアは笑みを、皆は「おぉー!」という掛け声を返した。

 

 それからキリト達は時間の都合で続々とログアウトして休息し、残されたイリスの子供達はイリスと一緒に情報収集のためにコンソールへ向かっていった。




――原作との相違点――

・プレミアとティアがアニマボックス搭載型AIである。



――おまけ――

リラン「まさかプレミアが我らの妹だったとは……」

ストレア「って事は、プレミアは五女なんだね~」

プレミア「リランお姉様、ユピテルお兄様、ユイお姉様、ストレアお姉様」

ユピテル「……なんだかプレミアにお兄様お姉様呼ばわれすると、違和感すごい」

ユイ「プレミアさん、これまでどおりの呼び方でお願いします」

プレミア「わかりました。リラン、ユピテル、ユイ、ストレア」


・プレミアは家族がわかっても姉、兄呼びはしない。

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