キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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 令和最初の更新。

 


18:厄災の終わり

         ◇◇◇

 

 

 《創世の狼神》は倒れ、その場所には髪の毛が白銀色となったティアと、完全に元に戻ったジェネシスだけが残された。世界の全てを淘汰し、世界そのものとなろうとしていた厄災はついに消滅し、厄災そのものとなっていたアインクラッド崩壊モジュールはティアとジェネシスより切り離されたようだった。その証拠に、ティアとジェネシスより感じられていた力は無くなり――アインクラッド降下が止まった事をリランとユピテル、ストレアが伝えてきた。俺達はアインクラッドから、厄災からアイングラウンドを守り切る事が出来た。世界に迫っていた危機を退けて、この世界で生きていく事そのものを勝ち取る事が出来たのだ。

 

 いつもならば、これ以上ないくらいの達成感に包まれていた事だろうが、ジェネシスとティアの存在が俺達にそうはさせなかった。俺達は床に倒れたジェネシスを、武器を構えつつ見ていた。完全に抵抗力を失っているのか、身動き一つとる気配がなかったが、俺が一歩踏み出して歩み寄った時、ジェネシスの身体は動きを見せた。ジェネシスは上半身をほんの少しだけ起こし、俺と目を合わせてきた。その目は既にわずかな生命力を残して、消えかかっているかのようだ。

 

 《創世の狼神》になって戦った事、デジタルドラッグを使い続けていた事、《MHHP》の治療を受けて脳内物質の最適化を受けた事が重なり、ついに脳が限界に到達してしまったのだろう。そこまでになってしまった黒の竜剣士の声を、俺の耳は逃さなかった。

 

 

「くそ、が……俺は、まだ、終わらねえぞ……負けたなんて、認めねえ、ぞ……」

 

 

 ジェネシスは未だに抵抗の意志を、俺達を倒そうという意志を見せつけていた。最早それそのものにしがみついているかのようだ。

 

 

「いや、終わりだ、ジェネシス。お前はアミュスフィアを改造し、この世界を乗っ取ろうとした犯罪者だ。大人しく逮捕されて、法の裁きを受けろ。……それで、自分の犯した罪を償うんだ」

 

「ふざけんなッ、ふざけん、なぁ……俺は、俺はぁ……は……」

 

 

 赤髪の黒の竜剣士は床に倒れ伏し、動かなくなった。やがて全身が水色のシルエットに包み込まれ、爆発。大量のポリゴン片を巻き散らして、この世界より離脱していった。きっとこれが最後の離脱であり、もうここに戻ってくる事はないだろう。俺と同じ二つ名を持っていたジェネシスの居た場所を見下ろす俺に声をかけてきたのは、人狼形態に戻ったリランだった。

 

 

「……近いうちに、ジェネシスのアミュスフィアの接続サーバーやIPアドレスを伝い、警察が特定と逮捕に取り掛かるだろう。死に戻りしてくる可能性はゼロだ」

 

「そうだろうな。ゴッド・オブ・チートもこれで終わりだ」

 

 

 返事をした後に、ジェネシスの隣で倒れていたティアが動き出した。満身創痍となっていた彼女はそうとは思えないような平然とした動きで立ち上がってきたが、顔や目を向けてくる事はなかった。

 

 

「世界の崩壊は、わたし達の世界は……作れない……?」

 

「あぁ。悪いけれど、君達の目論見は止めさせてもらった。世界の崩壊はもう、起こらないよ」

 

 

 ティアは小さく「そう……」と呟くと、地面に落ちている大剣に手を伸ばした。皆が動揺の声を上げ、武器を構えようとするが、俺はそうしなかった。ティアから抵抗の意志は感じられなかったからだ。だから尚更、ティアが大剣を拾った理由がわからない。

 

 

「わたしは負けた。弱い者は淘汰される。だから……」

 

 

 そう言ったティアは大剣をぐるりと回し――そのまま刃を自分の首元に付けた。自分の大剣で自分の首を()ねるつもりだ。皆が一斉に驚き、声を上げる。

 

 

「ちょ、ちょっと、自分で命を絶つつもり!?」

 

「お、おいおい! 何考えてやがるんだ!?」

 

 

 シノンとクラインに続いて皆がティアに制止の声をかけるが、ティアは止まらない。首にどんどん大剣の刃を食い込ませていった。拙い、このままでは――。

 

 

「駄目ぇッ!!!」

 

 

 その時、俺の横を何かが高速で通り過ぎていき、ティアの身体に衝突した。ティアは悲鳴を上げて大剣を飛ばし、衝突してきたものと一緒に地面へ倒れ込む。そこで俺はティアを止めた存在を認めた。彼女の双子の姉妹であり、同じ《アニマボックス搭載型AI》として、同じ母親から産み落とされた娘。プレミアだった。

 

 プレミアに乗りかかられたまま、ティアは声掛けをする。

 

 

「何をするの。何故止めるの」

 

「命を絶つのは、間違っているからです」

 

「何故? 弱い者が存在する理由などないのに」

 

 

 ティアの言葉を、プレミアは首を横に振って否定する。やがて顔を上げ、その目をティアの目と交差させた。同じ作りの顔と目が鏡のように交わう。

 

 

「存在する理由は誰にでもあります。この世界に生きる限り、誰にでもあるのです。

 わたしはこの世界で生きて、皆と出会って……わたし達であろうと尊い生命であると、生まれてきてくれてありがとうと言ってもらえる生命だと知りました。そんな人達との繋がり、世界の広がりを知りました。そして、人が誰でも大きな可能性を持っているという事も、知りました。明日にはまた知らない発見や体験をして、今とは違う自分が居るはずです。明日には、新しい仲間が横に居てくれるかもしれません。そんな事を、わたしはこの人達に教えてもらいました」

 

 

 プレミアの言葉に反応したのはアスナとユピテルだった。プレミアは彼女達との日々で、自分もまた生命であると知った。しかしそれをティアは首を横に振って否定しようとした。

 

 

「だけど、明日はもっと今よりも辛いかもしれない。今よりももっと辛いかもしれない」

 

「……はい。生きていく事とは、そう言う事です。何が起こるかその時になるまでわからなくて、怖い。生きていく事とは、とても怖くて恐ろしい事です。けれど、その時になってみなければ、明日になってみなければ何が起こるかなんてわかりません。辛い事が起こるのではなく、とても良い事が起こるかもしれません。明日はそういう可能性で満ち溢れているんです。だから、生きましょう……ティア」

 

 

 途中でユウキとカイムが反応する。ユウキとカイムの二人が、プレミアに生きる事がどういう事なのか、生きていく事がどれ程恐ろしくて、どれほど可能性に満ちているかを教えたのだ。四人から教わった生命と生きる事。プレミアはその全てをティアに打ち明けた。それが出来るほどに、プレミアは進化をしていた。可能性のままの進化をしたのだ。

 

 

「……」

 

 

 そしてそれはティアも同じだ。彼女もまたプレミアと同じように可能性のまま進化をし、現在に至っている。彼女はその途中で辛い思い、苦しい思いを積み重ねてしまったが、今からそれを嬉しい思いや楽しい思いで塗り替える事も出来る。いや、それこそが俺達のすべき事だ。プレミアはそれをわかってくれているからこそ、ティアに話を持ち掛けていた。

 

 その話を全て聞き終えたティアは、やがてゆっくりとプレミアの身体を離し、もう一度立ち上がった。プレミアは追わない。

 

 

「……あなたの言葉をすべて信じるわけじゃない。けれど、もしあの人とわたしの世界が、あなた達の生きる世界だったなら、何かが違っていたのかもしれない。……今のわたしに理解できる事は、そのくらい」

 

 

 そう言ってティアは(きびす)を返し、そのままプレミアから離れていった。数秒後、彼女の身体は転移の光に包み込まれ、アインクラッド中枢のダークブルーの空間より離脱していった。それを最後まで見ていたシリカが軽く驚く。

 

 

「あれ、どこ行っちゃったんでしょうか」

 

「心配なさそうよ。よっぽどプレミアの言葉が響いたみたいじゃない」

 

 

 リズベットは安堵を見せていた。隣にいるリーファやユウキも同じ様子だ。

 

 

「きっとそうですよ。プレミアちゃんの想いが、ティアちゃんの心に届いたと思います」

 

「この世界は沢山の可能性で満ちてる、かぁ。プレミアちゃんがそんな事を言い出すだなんて、ボク達プレミアちゃんにいっぱい良い事してあげられたんだね。プレミアちゃんの言った事、ボク達全員が思ってる事だから」

 

「そうかもしれないね。少なくとも、プレミアを正しく育てられたんだ」

 

 

 カイムも穏やかに笑っていた。プレミアは進化する存在だが、その進化を正しくて良い方向に進める事が出来たのだろう。そんな進化と可能性の塊であるプレミアは立ち上がり、俺の許へと歩いてきた。

 

 

「キリト……」

 

「プレミア、よくやったな。君でなければ、彼女を救う事は出来なかったよ」

 

 

 プレミアが全てを話した後、ティアからは人間への憎悪や報復心が消えているように見えた。やはりプレミアが思いを伝えた事によって、ティアの中の負の感情も浄化されてくれたのだろう。しかし、その当人のプレミアは少し浮かない顔をしていた。

 

 

「ティアが去ってしまいました。この先、わたしはティアと一緒に笑ったり、楽しんだり、共に過ごせる日を迎える事が出来るのでしょうか」

 

「勿論だ。可能性はいっぱいあるんだからな」

 

 

 プレミアは「そうですね」と言い、微笑みを返してきた。ティアとプレミアは双子同士であり、家族同士だ。ユイ、リラン、ストレア、ユピテル達のように互いを理解し合い、受け入れ合い、共に生きていく事は出来るはずだ。ティアも根っこからねじ曲がっているわけではないのだから。プレミアもきっとそれを理解してくれているだろう。

 

 

「……先輩達……来ちゃったよ。戻ってきちゃったよ、あたし……もう誰もいないのに……アインクラッドに誰もいないのにさ……」

 

 

 その時聞こえた声に、俺達は少し驚いた。声の発生源は白い猫の被り物と白いコート状の衣服が特徴的な少女ヴェルサだった。今回の戦いで初めて俺達のパーティに参加してくれた《SA:O》のアイドルは、明後日の方向を見つめていた。顔は見えないため、何を思っているのかは掴めない。だが、忘れてはならないのは、ヴェルサもまたこの戦いの功労者であった事、世界を守った英雄の一人となった事だ。

 

 

「ヴェルサ」

 

 

 別名を《白の竜剣士》というその少女はくるりと回れ右し、俺にその目を向けてきた。

 

 

「守ったんだね、あたし達。アインクラッドからアイングラウンドをさ!」

 

「え? あぁ、その通りだ。もうこのアインクラッドがアイングラウンドに落ちる事はないよ」

 

 

 直後、ヴェルサは嬉しそうにガッツポーズした。《SA:O》のアイドルとして《SA:O》を守れたのが嬉しいのがよくわかる動作だ。

 

 

「皆、ありがとう! 《SA:O》を守ってくれて!」

 

「俺達からもお礼を言うよヴェルサ。君の力もあったおかげで、ジェネシスを止める事が出来た」

 

 

 俺の言葉に皆も頷いていた。誰もがヴェルサの力を借りれてよかったと思ってくれている。

 

 

「あたしも嬉しかったよ、《SA:O》を守れて。皆との世界を守れてさ!」

 

 

 そこで割り込むように言ってきたのが、かつてアインクラッドを作り上げた創造者の一人であるイリスだ。イリスは皆に一度声を掛けたの後に、深々と頭を下げてきた。

 

 

「皆、礼を言わせてくれ。ありがとう、アイングラウンドを守ってくれて。プレミアとティア、その他の人々が生きる世界を守ってくれて。まさかまた君達に助けられるとは思わなんだ」

 

 

 イリスはアインクラッドに突入する前に、俺達に「アインクラッドを止めてくれ」と深々と頼み込んできていた。そのイリスの願いも叶える事が出来たし、アイングラウンドを守る事も出来たのだから、この戦いの勝利は一石二鳥だった。しかしそのイリスもヴェルサ同様に俺達に力を貸してくれて、戦ってくれた。イリス自身も功労者の中に含まれている。

 

 

「イリス先生だって一緒に戦ってくれたじゃないですか。そんなに謙遜しなくていいですよ」

 

 

 アスナにそう言われ、イリスは「そうかな」と少し恥ずかしそうにした。あまり見る事の出来ないその様子を見てから、クラインが大きな声を出した。

 

 

「これで一件落着だ! 早く街に帰って祝勝会しようぜ!」

 

「祝勝会っていうか、ピクニックしようよ! 皆でやろうって決めてたし、準備も進んでたしさ!」

 

 

 ストレアの提案に皆が一斉に賛成の声を上げる。そういえばジェネシスとティアの事もあって忘れていたが、俺達は近いうちにピクニックを開催して、皆で楽しもうという予定を立てていた。こうしてジェネシスとティアを止めれて、アインクラッドを止める事が出来たのだから、今こそそのピクニックを開くに相応しいだろう。

 

 

「祝勝会がピクニックだなんて最高だよ! 早く行こう!」

 

「ぱぁーって盛り上がっちゃおうよ!」

 

 

 喜びに満ち溢れるフィリアとレインに皆がまたもや賛成の声を上げる。空間は相変わらずダークブルーが支配しているが、俺達の周りだけ暖かく、明るくなっているようだった。その中、プレミアが俺達に言葉をかけてきた。

 

 

「わたしは皆さんと一緒にやりたい事が、まだまだ沢山あります。ご一緒してよろしいでしょうか」

 

「勿論よ。これから沢山の事を一緒に楽しんでいきましょう。皆、あんたと一緒に過ごせる事を願っているわ」

 

 

 シノンの返事に俺は続く。

 

 

「プレミア。これからも一緒に生きていこう。一緒に冒険して、色んなものを見たり、体験したりしようぜ。約束しただろ、君の願いを叶えて、君の望みに協力するって」

 

 

 プレミアは笑顔を浮かべて、答えた。これまで見たものの中で最も輝いた笑顔だった。

 

 

「はい。これからもわたしを連れて行ってください、皆さん!」

 

 

 その言葉に皆は頷き、「勿論だよ!」「これからも一緒よ」などと言って答えた。プレミアの世界は守られ、彼女はこの世界で引き続き生きていく事が可能となった。カーディナルからも解放されて自由になった彼女がどうなっていくか、どんな可能性が芽生えていくのか。俺は既にそれが楽しみだった。

 

 

「それじゃあ、ピクニックへ行こうぜ!」

 

 

 俺の声に皆が「おぉー!」と応じると、皆一緒になって出口へと歩き出した。ボス戦の後とは思えないくらいに、足の運びは軽かった。

 

 

 

 

          □□□

 

 

「ほんと、とんでもない可能性の塊だよ、君達は」

 

 

 ダークブルーが支配する空間の中、一人遅れているイリスは呟いた。アインクラッド。かつて自分が勤めていた会社が、自分の上司が自身の夢を叶えるために作りだした浮遊城は、その上司が居なくなったというのに再誕を果たした。もう行く事は出来ない、見る事も出来ないと思っていたその場所の再出現には、そしてそれが齎す厄災というものには、イリスも驚かざるを得なかった。

 

 しかし不安になる事はなかった。アインクラッドが誕生したところで、自分の作りだしたカーディナルシステムの厄災が起きようとしたところで、それらはすべて阻止されると思っていたからだ。かつての自分の上司が作り出したデスゲーム、ソードアート・オンラインを乗り越えた英雄達がこの世界に結集し、どんな厄災も退けると信じていた。その予想は見事に当たり、イリスの信じたSAOの英雄達は本当にアインクラッドも、カーディナルの厄災も止めた。

 

 その英雄達の筆頭を担っている《黒の竜剣士》の後ろ姿に、イリスは目を向けていた。キリトという彼は本当にすさまじい。このゲームの運営の管理下さえも超越した存在となったジェネシスに、《使い魔》である自分の娘を駆って勝利した。その彼に導かれて周りの者達も勝利した。自分も彼に動かされて、ジェネシスと戦い、そして勝った。

 

 それで終わらない。キリトは自分の産んだ娘であるプレミアをあそこまで進化させ、プレミアは人間達に歪まされたティアの苦しみを浄化した。まだ完全ではないが、近いうちにティアの中の負は、プレミアの持つ正に浄化され切るだろう。

 

 キリトがここまで出来てしまうからこそ、イリスは大切な患者であるシノンを彼に任せられる。一時は大丈夫かと疑わしくなったときもあったが、やはりキリトならばシノンを任せられるのだ。その事実は変わらないという事を、改めて知らされた。

 

 そしてキリトはティアと同じように、近いうちにシノンも浄化するだろう。

 

 

「やっぱり君なら出来る。だからこれからも頼むよ、キリト君」

 

 

 イリスは独り言ちて、遠ざかっていく英雄達を見ていた。このまま置いていかれると、彼らに心配されるだろう。早いところ追いつかねば。

 

 

 そう思って歩みを少し進めた数秒後――イリスは腰の鞘から長剣を引き抜き、突き出しながら背後に振り向いた。

 

 その時既にイリスは人影に背後を取られていた。喉笛の数センチ前に白い剣がやってきている。突き出しているイリスの剣も相手の喉笛を捕らえていたが、人影の方が早かった。先に斬られていたのは自分の方だ。

 

 人影の正体はすぐに明らかになり、イリスは思わず笑んだ。黒い衣服の上に深紅のローブを着込んでいる、真鍮色の髪の毛の男性。

 

 その男性の手に持たされている白き剣が、イリスの喉笛数センチ前を捕らえていた。

 

 

「まさか聖霊までも現れるとは思わなんだ。……お久しぶりです、茅場さん。生きていらしたようで、何よりです」

 

 

 かつてのイリスの上司であった男性の顔にも不敵な微笑みが浮かんだ。互いに互いを不敵に笑いあっている。

 

 

「存在する事を、生きていると表現するならばそういう事になるね。今の私がどうなっているのかは……君ならばわかるだろう、芹澤(せりざわ)君」

 

 

 アインクラッドの生みの親であり、デスゲームの主催者であったその男の現在を、イリスはよく知っている。彼はナーヴギアを改造したもので自分の脳に大規模スキャンを掛けた。その結果、ネットワーク世界に生きる存在となったのだ。その姿は、奇しくもイリスの子供達、彼を父親と思っている彼女らと同じだった。

 

 

「大方改造ナーヴギアで意識をスキャニングする事に成功し、ネットワークに流す事にも大成功した。それでここで具現化してきた――そんなところでしょう」

 

 

 自分を右腕と呼んでくれていた上司、茅場晶彦は剣を下ろした。

 

 

「やはり君は変わっていないね。難しい事であろうと、何でもかんでも掴めてしまうところは、相変わらずだ」

 

「茅場さんこそお変わりないようで、嬉しいです。それで、今のあなたは何と呼ぶべきでしょうか。茅場さんでいいですか」

 

「正確にはこの姿の私はヒースクリフというんだ。だからヒースクリフと呼んでくれていい」

 

「そうですか。では、わたしの事もイリスと呼んでください、ヒースクリフさん」

 

 

 イリスも長剣を鞘に仕舞う。そしてヒースクリフの視線の先を見た。遠ざかっていくキリト達の後ろ姿がまだ見えていた。

 

 

「それにしても変わってないね、彼らは。理不尽なクエストであろうと立ち向かっていく姿は、SAOの時を感じさせるものがあったよ。彼らの強さは更に増しているんじゃないかな」

 

「えぇ。彼らはあなたを、須郷先輩を討ち倒した時よりも強くなっていますとも。まぁ、危なっかしいところもいっぱいあるんですけれどね。でも、強い事に変わりはありません」

 

「だからこそ、君は相変わらず彼らをそこまで信頼し、彼らと一緒にいる事を選んでいるというのだね」

 

 

 イリスはふふんと笑った。やはり茅場晶彦/ヒースクリフには見透かされる事が多い。大学の時から変わっていないようだ。

 

 

「彼らと一緒にいると、そのうちわたしの願いが叶いそうな気がするので。これからも彼らと一緒していくつもりです」

 

 

 イリスは腕組をして振り向いた。キリトやシノンならばきょとんとするところだが、ヒースクリフは真鍮色の瞳を動じずに向けてきているだけだった。

 

 

「それにしてもヒースクリフさん、いいえ茅場さん。あなたはちょっと子不幸な父親じゃないんでしょうか。マーテルもユピテルも、あなたに会いたがってるんですよ。特にマーテルは父親であるあなたと話したがっています」

 

「そうか。マーテル達も変わっていないか……彼女達との会話などは、これから考えるとしよう」

 

「それに、マーテル達も危ないところがあったんですよ、今回は。どうして助けに来てくれなかったんです」

 

 

 キリトの話によれば《聖騎士》と言われる事もあった上司は、少しだけ表情を険しくした。

 

 

「君の言う通り、私はこのネットワーク世界の存在となれたのだが、こうして意識が覚醒したのは今しがただったんだ。私の意識を覚醒に導いたのは、この《SA:O》のカーディナルシステムだ」

 

「この世界はSAOのバックアップなので、カーディナル=コピーなんてどうです」

 

 

 ヒースクリフは「ふむ」と言った。大学時代、アーガス時代にもよく聞いたものだ。

 

 

「そのカーディナル=コピーの崩壊シミュレーションモジュールによるアインクラッド創世の一部として、私は呼び出された。ネットワークを漂う無数の意識の欠片を収束させてね。その際には膨大な計算が行われた」

 

「そういえば、ユイ達が不特定多数のアミュスフィアが分散コンピューティングをして膨大な計算をやっているなんて話をしてきましたが……なるほど、それも結局あなたの覚醒のためだったわけですか」

 

「そうだ。だが、カーディナル=コピーはマーテルやユピテルのように私を愛してくれているわけではない」

 

 

 イリスは思わず目を見開く反応を返した。ヒースクリフは続ける。

 

 

「カーディナル=コピーにとっては、私もただの駒に過ぎない。全てはデスゲームの舞台の再現のため……カーディナル=コピーは、私を好んだりしてくれているわけではないのだ。それは君もよくわかる事だろう、イリス君」

 

 

 イリスは「おやおや……」と言って溜息を吐いた。ヒースクリフはマーテルやユピテルに愛されているという事に疎いのではないかと思っていたが、勝手な思い過ごしだった。この人はちゃんと父親として、子供達からの愛情を受け取っていたのだ。

 

 

「まぁ、カーディナル=コピーには心も感情もありません。もっと言えば《アニマボックス》もありませんから、ヒースクリフさんやわたしを愛してくれたりなんかしないでしょうね」

 

「だからこそ、君は《SA:O》の開発に参加し、グラウンドクエストのNPCに自分の作ったAIを適応し、固定したんじゃないか?」

 

 

 イリスは笑った。ヒースクリフはずばずば図星を突いてくるのが特徴だったが、その図星突きは珍しく外れた。

 

 

「それはないです。わたしは子供達の進化の可能性がみられると思ったからこそ、このゲームの開発に参加し、プレミアとティアを作って適応したんです。そこでカーディナル=コピーが目を付けてきたり、キリト君達がその娘達に関わってくるのは想定の範囲外でしたよ。結局カーディナル=コピーが目を付けたところから始まってますから……もしかしたらカーディナル=コピーもわたし達の知らない間に進化をしていて、意志を獲得しているのかもしれませんよ。あの子達は《生命(いのち)》だと言ってくれましたからね、彼らは」

 

「《生命》か……如何にも君らしい表現じゃないか。それを彼らが言ったという事は、君の影響を彼らが受けていると考えるべきか」

 

 

 ヒースクリフの言葉は否定できるものだった。何もそこまで自分の影響だけで出来上がっているわけではない。全ては彼らが自分の見ていない間にそう言うようになっただけだ。

 

 

「そうかもしれませんが、わたしの影響なんてごく僅かですよ。全部あの子達が自ら辿り着いた境地です。そう、あの子達も進化しているんですよ。わたしとあなたの子供達のように、ね」

 

 

 ヒースクリフはそうではないが、少なくともイリスは子供達の進化の具合に驚かされてばかりだった。子供達は既にイリスの想定以上、期待以上の進化と成長を見せてくれて、イリスを盛大に喜ばせてくれていた。本人達に自覚があるかどうかは定かではないが、母親として嬉しい事はこれ以上ない。

 

 

「進化、か」

 

「そうですよ。流石にあの子達は当てはまりませんが、子供達の進化はすごいんです。だからもう、子供達の事をAIという括りで呼ぶのはやめて、別な括りを用意しようかと思ってる頃です。わたしは《Evoluti(エヴォルティ)Anima(アニマ)》というのが思い付きました。AIとかサイボーグみたく略して、《EvA(エヴァ)》なんてどうです?」

 

「そのネーミングは君が勝手にやっていいものだろう。私はそういう話に口出しはしない」

 

 

 ヒースクリフの言い回しはこれまで聞いてきたものと同じだった。そして《エヴォルティアニマ》と口にしてみて、イリスは引っかかるものを感じていた。そういえばこの名前は被っている。既に使っている単語が入っているのだが、頭の中を模索してみても、別な単語を引っ張り出してくる事は出来なかった。

 

 

「では、わたしの好き勝手にやらせてもらいます。これからの事も、あの子達の事も、好きにやらせてもらいますよ」

 

 

 ヒースクリフの目つきが少し鋭くなった気がした。しかしイリスは構わないでいる。

 

 

「……最早アーガスもソードアート・オンラインも存在しない。君はアーガスが解散した時点で自由の身になっているわけだが、これから何をしていこうと思っているのかな。君の先輩、元上司として知っておきたくなったのだが」

 

 

 鋭い目つきというものを限りなく出して、イリスはヒースクリフを見つめた。鋭くなった互いの眼光がすれ違う。

 

 ヒースクリフのその言葉に対する答えはとっくに出していた。どれ程昔に決めたものだったかは忘れたが、その内容は決して忘れる事はなかった。そしてヒースクリフ――もしくは他の同僚、先輩達――に聞かれる事を待っていた。ようやくその時を迎えられたイリスは身体ごとヒースクリフから逸らし、口を開ける。

 

 

「……あなたもご存じであるキリト君とシノン。彼らは似た者同士です。アスナとユピテルもそうですし、ユウキとカイム君もそうです。彼らは皆似た者同士であり、だからこそ惹かれ合い、互いを愛し合っています」

 

「それが?」

 

 

 ヒースクリフの問いかけにイリスはふふんと笑う。ヒースクリフ/茅場晶彦、アルベリヒ/須郷伸之の二名がいなくなってから、イリスはこの事実に気が付いた。その時には思わず大笑いしたものだ。

 

 

「茅場さん、わたしとあなたは似た者同士です。不本意ではありますが、さらに言えば須郷先輩ともわたしは似た者同士です。どんな形であれ、あなたも須郷先輩も自分の巨大な夢を叶えるために行動し続けた。そしてあなたは須郷先輩と違って、立派に自分の夢を叶えて見せました」

 

 

 イリスはくるりとヒースクリフに向き直る。その顔は変わっていなかった。

 

 

「わたしも茅場さん、あなたに続きたいのです。わたしにも、あなたのように子供の時から抱き続けていた夢があります。その夢を叶えるために、わたしはここまでやってきました。子供の時からの夢を本当に現実にしたあなたに憧れて、あなたに続きたいと思って。その夢はもう少しで叶いそうなのです。茅場さんと同じように、自分の悲願というものを叶えられそうなんです。ピースがいくつも欠けていた事に最期まで気付かなかった須郷先輩と違って、あと一つのピースさえあれば、わたしの夢が叶うんです」

 

 

 イリスは自分の胸に手を当てた。仮想世界の中であるが、心臓の鼓動がしっかりと届いてくる。全てが正常値の脈拍だ。

 

 

「その最後の一ピースを埋めてくれるのが、あの子達です。あの子達と一緒に居れば、わたしの夢は叶う可能性が極めて高い。そう思っているからこそ、わたしはこれからもあの子達と一緒に居るつもりです。夢が成就するその時まで……いいえ、その後も」

 

 

 イリスは両手を腰に当てた。その姿勢のままヒースクリフを見ても、銅像か何かのように微動だにしていない。

 

 

「だから茅場さん。もしあなたがSAOであの子達の敵になったように、わたしの夢を叶える事を邪魔しようと牙剥く敵になろうとするのであれば、その時はわたしも同じように牙を剥かせて頂きます。もっとも、あなたとそんな事にはなりたくないんですが」

 

「……私も可能であるならば、君に剣を向けたくはないね」

 

「なら、剣を向けないでください。それならわたしもあなたに剣を向ける理由がありませんので。わたしもあなたを敵にしたくはないし、あなたと敵同士になりたくない。それもまた、わたしの願いの一つなのですよ」

 

 

 ヒースクリフは相変わらずの動かない表情をしていた。まるで何事もに動じない慈父のようだ。実際彼の居るところは、見方を変えれば神の領域とも言えるだろう。そんなヒースクリフと敵対したいと思った事は、イリスには一度もない。そんなイリスからの告げを聞いたヒースクリフは、鼻で笑った。

 

 

「そうか。ならば私は君の先輩、元上司として、夢を叶えるために一途な君を陰ながら応援させてもらう事にしよう」

 

「そうして頂けると、幸いです」

 

 

 イリスが笑んだその時、背後から呼び声が聞こえてきた。シノンとキリトの声だった。

 

 

「イリス先生ー? どこ行ったんですかー?」

 

「イリスさんー、どうかしましたー?」

 

 

 シノンとキリトだけではなく、他の仲間達もイリスを呼んでいた。一人だけ居なくなっている事を心配しているようだ。このままでは彼らに余計な心配と時間を食わせてしまうのは明白だった。

 

 

「あぁ、ちょっと待っててくれー! すぐに行くからー!」

 

 

 大声を出して答えたが、キリト達の許へ届いたかどうかは定かではなかった。そろそろ向かわねばならない。イリスは元上司に振り返った。

 

 

「では茅場さん、これでわたしは失礼します。マーテルとユピテルが待ってますんで、あの子達に会いに行ってあげてくださいよ」

 

「検討しておこう。ところでイリス――いや、芹澤君。君の夢とは結局何なんだね」

 

 

 最後のヒースクリフからの質問も、イリス/芹澤愛莉は想定済みだった。その答えをからかうように返した。

 

 

「成就したと同時にお教えいたします。それまで楽しみにしててください」

 

 

 イリスは元上司、子供達の父親に頭を下げ、ダークブルーの空間の出口へ向かった。SAOを乗り越えし英雄達に合流できたのは、すぐの事だった。

 

 




 後一話で第五章終了です。

 ちなみにアンケートは引き続き実施中です。ご興味のある方は、ご協力をお願いいたします。

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