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突如として来襲してきた
三人が向かった辿り着いたその時、先程まで戦い合っていたはずの二人は、道を塞ぐモンスター達を協力して倒しながら、崖の上側まで続いている道を登っている途中だった。三人の見ていない間に意気投合したらしい。あれだけ敵意を見せていたティアが、プレミアに心を許しているというのは驚きであったが、それよりも重要だったのは、ティアの顔だった。
ティアはこれまで仮面とフードで頭部を隠してきていたが、落下の衝撃によってそれは破損、隠されていた頭部が露見していた。髪色は白の薄い銀色で、一部を輪の形にした髪型をしている。
瞳もまた白銀色であり、顔つきは元のティア――プレミアと同じだが――を大人びさせたようなものであったが、とても美しく感じられるそれであった。更に本人とプレミアは気付いていないようだったが、その顔の形や体形の一部は、母親であるイリスに
恐らく自覚が出るのはもっと後であろうが、ティアは間違いなくイリスの産んだ子供の一人であり、リランから見れば末の妹の一人である。異変を起こしてしまってはいるものの、ティアは現在のノーザスロット氷雪地帯に
しかもプレミアのおかげなのか、ティアはこれまでのキリト達に見せていた敵意や怒気を放つ事はなくなっており、キリト達が一緒にいる事を素直に受け入れてくれた。プレミアに話してもらう前から、プレミアがティアの心に働きかけてくれたというのがわかった。事態はいずれにしても好転してくれたのだ。
把握したキリトは、未だに探索を続けている仲間達にメッセージで《はじまりの街》への撤収を呼びかけ、その場の全員を巻き込んで転移結晶を使用。異変に呑み込まれて危険地帯と化しているノーザスロット氷雪地帯から、安全な《はじまりの街》へと転移したのだった。
転移結晶は敵に見つかっていると使えないという欠点があったが、その際にそれが発動するような事はなく、普通に飛ぶ事が出来た。それはつまり、先程まで狙いを付けてきていたセクメトがいなくなっていたという事だ。
セクメトの後、ハトホルの後を追えなかったのは名残惜しかったが、事態が事態である。あれらの事を調べるのはもっと後でもいい。今はティアの事に専念すべきだ。キリトはそう思って、一旦セクメトとハトホル、そしてその主人達について考えるのを保留した。
仲間達が合流してくると、全員がティアに歩み寄り、「大丈夫だった?」「大事にならなくてよかった」などと声掛けした。こんなに沢山の人に心配されているとは思っていなかったのだろう、ティアはやや驚いている様子で、キリトとその仲間達を見ていた。
その後キリト達はやるべき事を確認するのは明日と決め、一旦解散する事になった。《はじまりの街》へ帰ってきた時、時刻は既に午後十時三十分を過ぎており、ティアの探索とダンジョン内の攻略、異様な姿となったモンスター達との戦闘によって、誰もが疲労困憊していたのだ。
そんな状態のままやるべき事を確認したところで、うまく呑み込めるはずがないというのは、《SA:O》の原型であるSAOを攻略していた頃に散々痛感していた。だからこそ、キリト達は早々にログアウトする事を決め、散らばった。
仲間達が次々と現実世界に戻っていき、キリトもその中に加わろうとした。しかし、ログアウトする寸前でその動作をやめる事になった。ようやく街の中へ連れ戻す事の出来たティアが、プレミアやユイ、リランと言った家族から離れ、街の中へ消えていこうとしたのだ。
プレミア、ユイ、ストレア、リラン、ユピテルという五人の家族がいる事はティアに教えておいてある。もう安心していいとも言ったが、それが上手く呑み込めなかったのだろうか。それともやはり突然家族の話をされたところで、受け入れられるものではないのか。
いずれにしても心配になり、キリトはログアウトを保留。ティアの後を追った。
すっかり夜の闇に包み込まれた《はじまりの街》だが、至るところにある街灯のおかげで一定の明るさは保たれていた。しかしそれでもティアは黒いローブを脱いではおらず、闇があれば溶け込むような風貌だった。そんな事もあってか、キリトはティアを中々見つけ出せず、街の中を廻る事になってしまった。
こんな時間に、ティアはどこへ消えてしまったのだろうか。そういった事を考えながら、ある人物を求めて街の中を探し回る。それはいつぞやのサチを探した時と同じだったという事に、キリトは気付かなかった。
「――ティア、やっと見つけたよ。どうしたんだい、こんな場所に座り込んでさ」
水路の近くに差し掛かった時、声が聞こえた。水路の上に掛かる橋の下からだ。あそこにティアが居るのだろうか。足音を立てず、気配を消すようにしてキリトは歩き、橋の下が見えつつも、橋の下からは見えない、近くの建物の陰に隠れた。
身を乗り出して確認すると、橋の下に二つの人影が見えた。どちらも座っている。
片方は探していたティア。その隣に座っているのは――彼女の母親であるイリスだった。どうやらティアを探していたのは自分だけではなかったらしい。いやそもそも、ティアと一緒に戻ってきた際、一番喜んでいたのはイリスだった。きっとティアと話をしたくて仕方がなかったのだろう。
イリスから信頼されている自分が出て行っても問題はなさそうだが、ティアとイリスにとってはようやく実現した親子二人だけの時間だ。水を差すような真似はやめよう。キリトはその場で二人の様子を見続ける事にした。
「……一人になれたと思ったのだけれど、追われていたなんて。気配は全然なかった」
「あぁそうさ。追いかけさせてもらったよ。君と同じで隠蔽スキルが高いんだ、私はね」
すすっと笑いながらイリスは応答している。胸の内では喜んでいるのだろうが、あくまでそれを表面上に出したりしないつもりらしい。そんなイリスに向けて、ティアが問うた。
「さっき、あなたがわたしの母親であるという話を聞かされた。プレミアもそんな事を言ってる。それは本当なの」
「そうだよ、私が君の母親だよ。君とプレミアを産んだのはこの私さ。リラン、ユピテル、ユイ、ストレア。あの子達を産んだのもこの私、イリスだよ」
「……」
ティアは疑いの視線をイリスに送っていた。何もかもが突然言われた事、告げられた事なのだから、信じられなくて当然だ。そうされるのがわかっていたように、イリスはふふんと苦笑いした。
「まぁ、信じられなくて当然だろうね。けれど、これは紛れもない真実だから、安心してくれないか。君には家族がいるんだよ。私とあの子達っていう家族がね。それだけはどうか信じておくれ」
ティアは答えないが、視線をイリスから逸らさなかった。半信半疑の部分まで進んでくれたらしい。直後に今度はイリスがティアへ問い返す。
「さてとティア。私はずっと君と話がしたかった。君の話を聞かせてくれないか。君に何があって、こんな事が起きたんだい。世界を滅ぼす厄災が終息した後、君はどうしていたんだい。こればかりは黙られても困る……答えておくれ」
その問いかけはキリトも知りたい事だった。ティアを追いかけたのは、この話をしたかったからに等しい。問われたティアはというと、キリトの想像に反して口を開けた。
「……あの後、わたしはずっと可能性を追い求めていた。プレミアの言っていた可能性というモノを。わたしにはあの娘みたいな居場所はない。あの娘のような居場所を求める事は出来なかった」
「それは、君が人というモノを良く思っていなかったからかい」
ティアは頷く。確かにティアは今まで人間達に散々迫害され、命を狙われてきた。今はその心配はなくなったとは思うが、それでもその時に負った傷の深さは安易に予想できる。ティアは続けた。
「そう。だからわたしは自分の居場所……可能性を追い求めた。でも、いくら
「あの時だって?」
「彷徨い歩く中で、小さくてとても眩しい光を見つけた。何なのかわからなかったから、見つめる事しかできなかったけれど、その光は広がり出して、わたしを呑み込んだ。その瞬間に、次々と意識が流れ込む感覚に襲われた。その意識は……どんなに可能性を探し求めたところで、結局可能性を何一つ掴む事が出来なかった、未来の自分の意識だった」
キリトは完全に聞き入っていた。イリスも同じような状態だった。自分の子供に起きた現象が信じられないのかもしれない。だが、すぐにそれを呑み込めたように、イリスはティアに言った。
「そんなものが君を襲ったなんて……さぞかし怖かったろう」
ティアは頷いた。少しいじっぱりかと思っていたが、そうでもなかったらしい。
「怖かった。だからわたしは逃げた。未来の自分から、逃げて、逃げて……気が付いた時、この姿になって倒れていた。この姿は、未来のわたしのもの。わたしの身体は、未来のわたしに塗り潰された」
思わず声を上げてしまいそうなくらい、キリトは驚いてしまった。しかし傍で聞いているイリスは冷静だった。
「そういう仕組みだったのか。だけど君、意識はどうだったんだ。身体は未来の自分とやらに塗り潰されたんだろう」
「咄嗟に逃げ出したおかげで、意識まで塗り潰される事はなかった。でも、未来のわたしは今のわたしを追いかけてきている。今でも頻繁に未来の意識が流れ込んできて……今のわたしの意識を塗り潰すために。未来のわたしは追ってきている」
ティアは仮面とフードで顔と頭を隠していたが、それは未来の自分を認めたくないという意志によるものだった。そういう事なのだろう。納得するキリトと同じように頷いてから、イリスは再度口を開けた。
「それで、フィールドを歩き回っていた理由ってのは、その未来の自分を閉ざすためか。どこに行けば未来の自分を閉ざせるか、目星はついているんだろう」
「わたしを包み込んだ光の核……厄災の力で作り出したアインクラッドから見える、大きな球体の中にそれはある」
そういえばノーザスロット氷雪地帯の高台に差し掛かった際、浮遊する大地に混ざって、不気味な青紫色に光る天体のようなものが遠くに確認できた。しかもそこには、浮かぶ大地を伝って行けば到達できる地形になっているのもわかった。あんなものはアインクラッドになかったはずだと思っていたが、ようやく謎が解けた。
「そこに行って……わたしは望まない未来を覆す。そのために、わたしは……」
言いかけたティアを、イリスの溜息が止めた。それは溜息と言うよりも深呼吸だった。
「なるほど、相分かった。私達はそこに向かうべきって事なんだね」
ティアは驚いたような顔をしてイリスに向き直った。
「どうして。向かうべきなのはわたしであって、あなた達では――」
「プレミアからも、キリト君達からも聞いたはずだよ。私達が君を探したのは、苦しんでいる君を助けたかったからだ。その苦しみを解いてやれる手段があるならば、私達はそこへ向かっていき、君を救ってやりたい。そこがどこであろうと、どんなに険しいところであろうとね」
「……本気で言っているの?」
イリスはティアと顔を合わせた。そのまま手を伸ばし――頬にそっと掌を添えた。ティアはきょとんとして、イリスに釘付けになった。
「勿論。皆そのつもりだし、君の家族も、この私もそのつもりさ。君の力になりたくて、君を探し出したんだ。もう独りぼっちの時間は終わりだよ」
「もう、独りぼっちじゃない……」
「そうさ。だからもう安心していいんだよ、ティア」
イリスは優しく微笑むと、そっとティアの身体を抱き寄せ、顔を胸へ押し付けさせた。キリトにも、シノンにもよくやってくれている抱擁であった。
「……今までずっと守ってあげられなくて、ごめんなさい。けれど、もう大丈夫よ。あなたは独りぼっちなんかじゃない。わたし達がそんな事はさせないわ。今も未来も、あなたは独りぼっちになんかならない。だからもう、大丈夫よ。
ずっと一人で頑張って来て……偉かったわね、ティア……」
素の口調に戻って、イリスは娘に囁きかけた。ティアはじっと動かないでいたが、やがて手を少しぎこちなく動かし、イリスの背中に回した。抱擁される事を受け入れた事を意味していた。
ティアはかつてジェネシスと一緒にいたが、イリスのような事をされていたとは思えない。呑み込むのには時間がかかるだろうが、自分達と一緒に居れば、いや、自分達がしっかりと一緒に居てやれば、きっとティアも人間を信じるようになり、居場所がある事を呑み込めるはずだ。心の底から安らげる場所があると、わかってくれるようになるはずだ。
ティアが人間を信じれないようにしてしまったのは、結局自分達人間。彼女の心を癒してやらねばならないのもまた人間だ。明日からは彼女のために戦い、彼女の活きたがっている場所へ行く事になる。
彼女を今の状態にさせたという謎の天体がどうなっているのか、そもそもあの天体が何なのか、情報が不足しているけれども、それはいつもの事だ。明日その場所に向かい、情報を集めつつ、ティアの望みを叶えてやらねば。自分達がこれからやるべき事はそれだ。
やはりティアを追ってここまで来てよかった。直に話を聞けないのは少し残念だが、ティアはようやく母親と、家族と会う事が出来たし、こうして話をする事も出来た。ここは彼女の母親であるイリスに任せるべきだろう。イリスの事だから、ティアから聞いた話を自分達に共有するつもりでもあるはずだ。
ここは俺の出ていく場面ではない――胸中でそう思ったキリトは、来た道へ振り返り、ティアとイリスの二人から遠ざかった。
アイングラウンドの中でもっとも広大な街である《はじまりの街》は夜になっても明るい。四方八方にある建物と街灯の灯りのおかげだ。流石に現実の東京などの都会と比べると暗い方だが、現に《はじまりの街》の中心街付近では夜空の星が見えなくなるくらいの灯りで満たされる。
だからこそ夜に歩き回る事も出来るし、何よりゲームの中なので、犯罪に巻き込まれたりする事もないのだ。
(そういえば……)
自分の家のあるジュエルピーク湖沼群などではやったものだが、《はじまりの街》でシノンとデートした事はなかったかもしれない。彼女がこうした街中よりも、大自然の中を好んでいるというのもあったのだが、それ以前に《はじまりの街》でデートするという発想自体がなかったかもしれない。
今はティアの事もあって無理だが、異変が片付いたら、《はじまりの街》でデートしてみるのもいいかもしれない。頭の片隅でそんな事を考えながら、キリトは夜の帳が落ちた街の中を歩き続けていた。
「……!」
ティアとイリスの話を聞いてから三分程度街を歩いたところで、キリトは足を止めた。
……背後に何かいる。はっきりとした気配が背後から感じられている。何かにストーキングされているかのようだ。
先程から背後に気配自体は薄々感じていたのだが、今になってそれは大きく変化した。まるで見つからないように追いかけ回していたが、途中で見つかる事を目的に変えたかのようだ。
「おい、誰だ。俺をさっきから追いかけてきているのは。気配は掴めてるぞ」
低い声で威嚇するように言い放つと、街の闇の中へ消えていった。勘違いなどではない。確かに背後方向から気配がし続けている。街の中にモンスターが出現する事はないので、いるのはNPCかプレイヤーのどちらかだ。
そして特定のプレイヤーを尾行するNPCの話は聞いた事がないので、これはプレイヤーであろう。その目的も気になるが、まずは姿を見るのが一番だ。気配のする方へ向き、キリトは目を凝らした。
直後、暗闇から足音が聞こえてきた。徐々に気配が強くなっていき――やがて人影がキリトの眼前に姿を現した。
「……え」
その正体に思わずきょとんとしてしまった。暗闇から現れてきたのは白づくめのプレイヤーだった。
デフォルメされた猫の顔がデザインされた猫耳つきの帽子で、側面から延びる垂で顔を隠を覆っている。更に身体の側面を露出させたデザインの、白いコート状の戦闘服を身に纏っている少女。
善行プレイをしてプレイヤー達を助けているうえに、可憐な見た目をしている事で人気を呼び、今やアイングラウンドのアイドルとも呼ばれている。ジェネシスとの最終決戦の時にも手を貸してくれたその少女こそが、気配の正体だった。
「君は……ヴェルサじゃないか」
ヴェルサと呼ばれた少女は何の反応も返さない。キリトは思わず周りを見た。ヴェルサはその人気ぶりが故に、いつも多くのプレイヤーの群れに囲まれている。しかし今の彼女の周囲には誰もいない。彼女は一人でここに来ているようだ。
「なんだ、ヴェルサだったのか」
確認したキリトは安堵した。追いかけてきているプレイヤーは、アインクラッドの時にもみられたレッドプレイヤーのような凶悪な奴ではないかとも思って、いつでも戦闘態勢になれるようにしていた。だが、それは杞憂で終わってくれた。
「今日はもう遅い時間だけど、こんな時間まで他プレイヤーの攻略を手伝ってたのか? 精が出るな」
「……」
「えっと、この前はありがとうな。君が協力してくれたおかげで、俺達はジェネシスを止める事が出来たんだ。本当、あの時の事には感謝してるよ」
「……」
キリトが喋っても、ヴェルサは何も答えようとしない。そのやり取りにキリトは既視感があった。そういえば最初にヴェルサと出会った時も、こんなちぐはぐな会話をしたかもしれない。ヴェルサに話しかけても、何も返してくれないのだ。
一緒にアインクラッドの衝突を止めるという事までやったから、仲は深められたと思っていたが、それは思い違いだったのだろうか。
いやそもそも、ヴェルサは何故自分をここまで追いかけてきたのだろう。自分に何か用事があるからというのはわかるのだが、それにしたって回りくどい事をされている気がする。
「えぇっと、ヴェルサ。俺に何か用があるんじゃないのか。それで俺を追ってきたんだろ?」
その質問にさえ、ヴェルサは沈黙で答えた。――と思ったが、ようやく言葉が返ってきた。
「……キリト」
「え?」
「……お前はここでも、
その言葉に思わず目を見開いた。その時キリトは、ヴェルサの瞳が極めて強い感情の光を抱いたそれになっている事に気が付いた。しかもその感情はどういう事なのか――燃えるような怒気だった。
いずれにしても意味が掴めない。
「英雄じゃないって、大切な事って……待ってくれ。何の話をしてるんだ」
「……そうだ。お前はそうだ。大切な事は全部忘れてるんだ。全部忘れて、英雄を気取っているんだ」
いよいよキリトは息を呑んだ。先程からヴェルサが言うとは思えないような言葉ばかりが出されてくる。目の前にいるヴェルサは、本当に自分の知っているヴェルサなのだろうか。ヴェルサのアバターを勝手に使用している別人ではないか――そんな気さえした。
「ちょっと待ってくれよ。さっきから何の話をしてるんだ? まるでわからないっていうか……」
ヴェルサは見えない口を開ける。キリトの質問に答えたわけではない。
「忘れるな……あたしはお前を逃がしたりはしない。ようやくその時が来たんだ……やっとこの時が来たんだ。すぐだよ……すぐにお前との決着を、果たしてやるんだから……」
俺との決着を果たす――その言葉に強く引っ掛かり、キリトはヴェルサに問い返そうとしたが、そこでヴェルサは右手を操作しコマンドを実行した。瞬く間にヴェルサの身体が青白い光に包まれていく。これはログアウトの光だ。彼女はこの世界を脱しようとしている。
「お、おい! 待ってくれ!」
キリトが手を伸ばしたその時、既にヴェルサは現実世界へ帰還していた。そこでキリトは周囲が不気味なまでに森閑としていた事と、その割に灯りで満たされているという事に気が付いた。そんな場所に一人投げ出されたキリトは、ヴェルサのいた空間を見つけていた。
「俺との決着? 大切な事を忘れている?」
ほぼ無意識的に、ヴェルサからの言葉を繰り返していた。勿論その意味は何もわからない。忘れている大切な事、そしてヴェルサとの決着。何が何だかまるでわからない。まるで重要なパズルの小さな欠片だけを渡されて、そのままパズルをしろと言われたかのようだ。
「……一体何の事なんだよ……」
そう独り言ちで、キリトは上を見た。灯りに星が追いやられ、真っ黒な空が広がっていた。
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「アスナ、やっぱり変じゃないかな」
「僕も本当にそう思う。彼女がキリト以外にそんなふうに誘われるなんて」
「そうだよね。あの娘がシノのんに話っていうのも、なんだかおかしいよね」
胸に
それはアスナ、ユウキといったキリトの仲間達であるが、カイム、シュピーゲル、現実での親友も混ざっている。更に大切な《使い魔》であるリランと、その弟であるユピテルの姿もあった。
皆深刻な顔をしているので、気にならないわけがなく、キリトは歩み寄りつつ声を掛けた。
「どうしたんだ、皆」
全員がキリトに振り返ってきたが、そこでキリト若干驚かされた。誰もが「丁度いいところにキリトが来た」と言っているような顔だったからだ。
「キリト君、いいところに来てくれたよ!」
「いいところって、何かあったのか」
アスナが頷き、ユウキが引き継ぐ。
「これから皆でティアちゃんの事を迎えに行って、話を聞こうと思ってたんだけど、シノンが遅れるって言ったんだ」
シノンが既にログインしているというのは、家を出る前に確認している。やはりというべきか、彼女はティアの許へ行こうとしていたらしい。
「急用でも入ったんじゃないか? それこそイリスさんにでも呼ばれたとか」
「そうだよ。シノンは呼ばれたんだけど……イリス先生にじゃないんだ」
カイムから引き継いで、シュピーゲルが言った。
「なんでも、あのヴェルサに話があるって呼び出されたらしくてさ」
その一言に、思わずキリトは大きな声を上げた。
「なんだって!!?」
次回、激動。