キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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 キリシノ。




14:償いのかたち

 

 

 

          □□□

 

 

 シノンの無事が確認された後に、ユイは現状についての説明をしてくれた。

 

 まずティアの状態であるが、現在のティアの状態とは本人が言っている通り、ティアの未来の姿、大人になったティアの姿であるという。そうなった理由はカーディナルシステムに原因があり、ティアの触れた光の球がそれだ。

 

 その光の球の名は特異点。他のゲームなどでよく聞くその単語を持つそれは《SA:O》においては、フィールドやNPC、クエストなどがこの《SA:O》に展開されるポイントの事だ。このポイントは転移をする時などにも出ており、この世界では全く珍しいものでもなんでもない。

 

 しかしそれは普段は表に出てくる事などなく、プレイヤーがその存在に気が付く事もない。ティアがそんなものに接してしまった理由としては、例外的にデータが展開された時のモノが出てきた事が原因だという。

 

 その例外とはアインクラッド創世である。アインクラッド創世の際に発生した特異点は崩壊モジュールが失われた後も稼働し続けており、それにティアが接してしまったのだ。

 

 そしてティアが未来の自分の姿になってしまったのは、特異点の超高速演算が原因である。特異点はデータ展開の為に超高速で演算が行われているのだが、その中にNPCであるティアが入り込んでしまったために、ずっと先にあるはずの意識が演算され、ティアに適応されてしまった。

 

 本来ならば特異点にティアが触れた時、ティアは意識さえも未来のティアのそれに飲み込まれてしまうはずだったが、ティアはとっさに逃げ出したおかげで、意識まで飲み込まれるような事はなかった。

 

 だが、ティアの言うように、特異点は今でもティアを狙い続けており、彼女の意識も塗りつぶそうとしている。未来のティアの意識にティアが塗りつぶされてしまえば、その時ほぼティアの死亡が確定するようなものだ。それを阻止するためには、特異点の存在するとされるフィールドへ向かい、特異点を破壊するしかない。

 

 更に特異点がプレイヤーが干渉できるところにあるというのは、運営としても放っておけない状態だ。もし運営がこの現象に気が付けば、特異点を消し去ろうとし、更に特異点に影響を受けたプレミアとティアを削除に取り掛かるかもしれない。

 

 運営よりも早く、この問題を片付けなければならないというのが、キリト達に課せられた目的となった。

 

 特異点が存在するとされるフィールドの名前は《エリオンウォード異相界》。新生アインクラッドの上空に確認できる天体のようなものであり、その最深部に特異点が存在していると思われる。

 

 ただし特異点発生の影響で、敵モンスターなどに干渉が起こっている。ノーザスロット氷雪地帯で見受けられた、形が崩れているような姿になっているモンスターこそが特異点の干渉を受けてしまっているそれだ。

 

 ノーザスロット氷雪地帯ですらあのような事が起きているのだから、元凶である特異点の近くに位置するエリオンウォード異相界ではほとんどのモンスターがそうなっているだろう。姿形は勿論の事、ステータスまでおかしくなっているモンスターもいるかもしれない。いずれにしてもエリオンウォード異相界は危険地帯であろう――というのがユイとストレアからの説明だった。

 

 途中で話がわからなくなる者もいたが、キリトは全体的に話を掴む事ができた。ティアの異変はエリオンウォード異相界の最深部にあるとされる特異点を破壊すれば終結する。ティアの異変を起こさせたのは特異点だが、ティアをそんな場所へいかせてしまったのも、人間が彼女を迫害したからだ。

 

 ティアを迫害した者たちと同じ人間である自分達がやるべき事は、ティアの異変を終結させる事。そのためにできる事がエリオンウォード異相界にあるのであれば、行くしかあるまい。そこがどんなに危険な場所であったとしてもだ。

 

 キリトがそう言うと、皆は頷きを返してくれた。皆は結局ティアを助けたいがためにここまでやってきたし、異形となったモンスターたちとも戦った。そうしてきた中で、ついにティアの異変を終結させられるところを見つけ出せたのだ、向かわないわけにはいかなかった。

 

 しかし、マキリとの戦いの後という事もあってか、皆が即座に動けるような状態ではなかったし、シノンも負傷から立ち直るのに一日は要するとユイとリランが診断を出した。まだ時間は残っているはず、一日休んでも問題ない――彼女らに言われたキリトはそれを受け入れ、休息の指示を出した。

 

 その中でアルゴ、シュピーゲルと言った情報屋達はエリオンウォード異相界の調査をしておくと言い、転移門へ向かって行ったのを、キリトは見ていた。明日は大きな戦いになるかもしれない――そんな気がしてならなかった。

 

 

 

         □□□

 

 

 

 翌日現実世界から仮想世界へ旅立ち、目を覚ますと、そこはログハウスの中だった。壁も床も木材で出来ており、薄っすらと木々の匂いがする。そんな一室のベッドの上が、目を覚ましたキリトの居場所であった。

 

 ユイから報告を受けてある程度作戦を練った後、キリトはいつものように寝室で寝落ちする形でログアウトした。その時既に眠りに就いていたシノンは先にログアウトしており、ユイとリランに見送られながらのログアウトとなった。

 

 彼女達曰くシノンの現実世界への影響はほとんどないから心配しなくていいという事なのだが、真実しか言わない彼女達に言われたとしてもキリトの心は静まらなかった。シノン/詩乃は今どうなっているのだろう、本当に大丈夫なのだろうかと思いもして、現実世界に帰ったら連絡しようかとも思ったが、詩乃はその際深い眠りに就いているという話をユイとリランから聞いていたので、実行に移せなかった。

 

 朝起きてからも、ずっと詩乃の事が気がかりだった。やはり電話をしてみようかと思ったが、まだ寝ているかもしれないとも思ってしまって、結局行動に移す事が出来ないまま、ログインしてきてしまった。

 

 

「……!」

 

 

 隣に気配を感じて、キリトは咄嗟にそこを見た。窓側にあるベッドはシノンが使っているモノであり、それはSAOの時は勿論、《SA:O》に世界が移っても変わっていない。そのベッドの上には今、一人の少女が腰を掛けて窓の外を見ていた。紛れもなく、シノンだった。

 

 

「……シノン」

 

 

 思わず自分で驚くほどにか細い声になってしまった。いつもの声が上手く出せなかった。しかしそれはきちんとシノンの耳に届いてくれたようで、彼女はゆっくりとこちらに顔を向けてきた。昨日あれだけの目に遭った後だというのに、とても血色の良く、落ち着いた表情がそこにあった。

 

 

「キリト……おはよ――」

 

 

 朝の挨拶を邪魔して、キリトはシノンの両肩に掴みかかっていた。本当にシノンなのか。どこも異常がないのか――確認したい事が今すぐ目の前にある。

 

 

「シノン――詩乃、大丈夫か? どこか悪くないか? 何かないか?」

 

 

 早口で聞きたい事を聞いてしまっているキリトの顔を数秒きょとんとした顔で見た後、シノンは静かな微笑みを浮かべて、その手をキリトの手に被せた。

 

 

「えぇ、どこも悪くない。どこも痛くないし、どこかが動かないみたいな事もない。いつもどおりよ」

 

「本当に? 現実の方はどうだ。現実にも影響は出なかったのか」

 

「うん。現実の方も何にもない。痛くないし……ものすごく電気が怖いとか、そういうのもない。ユイ達が一生懸命治してくれたおかげよ。だから、大丈夫」

 

 

 そう言われたキリトは心から安堵した。シノンの表情には全くの曇りもないし、何か後遺症が残っているようなものでもない。本当にシノンは大丈夫だ。ユイ達はあの時シノンに与えられた苦痛をすべて取り去ってくれたのだ。嬉しさが胸に込み上げてきて、キリトはたまらずシノンの身体を抱き締めた。何度も受け取ってきた温もりが全身へ流れ込んでくるようになる。

 

 

「よかった……本当によかった……もう本当に駄目じゃないかって、思ってた……」

 

 

 そう言ってみて、キリトは軽い失敗を感じた。これでは弱音を吐いているのと同じだ。シノンの前では決して吐かないでいようと思っていた弱音をつい、吐いてしまった。

 

 胸の内でそんな事を思っているキリトの背中に、シノンは手を回して抱き締め返してくれた。

 

 

「……心配かけてごめんなさい。私は本当に大丈夫だから。だから安心して、キリト」

 

 

 シノンから温もりと言葉と声を感じ、キリトはもう一度心から安堵した。シノンはちゃんとここにいる。ユイ達が決死の思いと行動力で治療してくれたおかげで、シノンは無事だ。もう一度それを確認したところで、キリトはシノンの身体を離した。

 

 しかしその直後、シノンの表情に曇りが生じた。彼女の目は心配そうなものとなっていく。

 

 

「それに、私だって心配してたわ。あなたの事を」

 

「え?」

 

「キリト、大丈夫? その……マキリはあなたの……サチって人の……」

 

 

 図星を突かれたような気になって、キリトは俯いた。そうだ、昨日シノンとユイに言われたけれども、マキリがあんなふうになってシノンを襲った原因を作ったのは自分だ。その事を話したところ、仲間達全員が「キリトのせいじゃない」「キリトが悪いわけじゃない」と言ってくれたが、それがキリトの腑に落ちる事は未だにない。

 

 こんな気持ちになったのは初めてだ。どうすればいいかわからなくて、今まで引きずり続けている。

 

 

「……そうだよ。マキリを狂わせたのは俺だ。もっと言えばマキリに君を襲わせたのも、俺なんだ」

 

「そんな事はないわよ。何も全部キリトが悪いわけじゃない。元はと言えばSAOが悪いのであって、キリトのせいじゃないわ」

 

 

 悪いのはSAOであり、キリトのせいじゃない。それにもし《月夜の黒猫団》の人達があの時生き残っていたとしても、その後まで生き続けていられたかはわからない。それは昨日ディアベルに言われたし、他の仲間達も口々にそう言ってくれた。

 

 確かにあのSAOで人格が豹変するような人間は大勢いた。あそこ自体が極限環境下だったからだ。そんな世界で懸命に生きていたのが《月夜の黒猫団》だった。あの時自分が間違いを犯さなかったら、彼らは生きていたかもしれないし、マキリだって狂わなかった。

 

 けれど、今更《月夜の黒猫団》の事で悩んだところでどうしようもない事だ。もう《月夜の黒猫団》の者達に会う事は出来ないし、マキリは罪を犯した者となった。マキリのやった事は許される事ではない。だからお前は悩まなくていいのだ――リランはキリトの様子を察したのか、優し気にそう言ってくれた。

 

 そのとおりだ。今《月夜の黒猫団》の者達について悩んだところで何も変わりはしない。彼らを死なせたという罪が自分にあるからこそ、自分は悩まずに生き続け、あの時守れなかったサチのようにならないべく、シノンを守り続けていくしかない。それが自分にできる贖罪であると思っていた。マキリが現れるまで。

 

 《月夜の黒猫団》の皆を死なせた罪を償うべき人こそがマキリだった。しかしそのマキリは完全に狂っていて、話が通じる相手ではなくなっていた。そのマキリからシノンを守るために、自分は剣でマキリを斬った。贖罪の相手であるマキリを、この手で。

 

 結果として、マキリと交流できる手段をすべて失った。接する事も出来ないし、話をする事も出来ない。贖罪をしたくても、話が通じない。どこまでもどん詰まり。

 

 解けるかもしれなかったのに、自分から解く事の出来ないパズルにしてしまった。どうすればいいのか、全くわからない。考えても考えても、答えに辿り着けない。

 

 

「……シノン。俺はどうすればよかったんだ。マキリに、マキにどうすればよかったんだ。あぁする以外に、何をすればよかったんだ。俺はマキに、どう償えばいいんだ」

 

 

 尋ねたところで、シノンに答えが出せるわけがない。困らせるだけだ。それはわかっていた。だが、キリトは尋ねずにはいられなかった。

 

 俺はどうすればよかったんだ。俺はマキリに何をすればよかったんだ。答えてくれ――そう問われたシノンは困り果てているかと思いきや、凛とした表情でキリトを見つめていた。

 

 やがて、その口が静かに開かれる。

 

 

「あなたは、ちゃんと償えてるわ」

 

「え?」

 

 

 首を傾げるキリトの身体にもう一度手を伸ばすと、シノンは一気にキリトを抱きすくめてきた。肩口に顔が当てられ、再び全身が暖かくなる。

 

 

「あなたは《月夜の黒猫団》の人達を、サチを忘れなかった。あなたは本当のあの人達を憶えてる。でも、マキリは自分に都合の良いように《月夜の黒猫団》の人達の事を変えてる。辛い事から逃げ出して、自分にとって良いように憶えてる事を変えて。あなたみたいに現実を見ていなかったわ」

 

「……それは」

 

「けれど、あなたはちゃんと《月夜の黒猫団》の人達を見ているわ。自分の都合の良いように憶えてる事を変えたりしないで、ありのままを受け入れてる。どんなに苦しくっても、絶対に逃げたりなんかしない。変えたりしてない。ちゃんとした形で《月夜の黒猫団》の人達の事を憶えられていて、受け入れられているあなたは、現実と向き合えてる。マキリはそれが出来てなかった。だからやってはいけない事もやった。そう、じゃないかしら」

 

 

 《月夜の黒猫団》の事、サチの事からは逃げられない。逃げてはならない。そう思ってきた――それこそが贖罪であると、シノンは言っているように感じられた。いや、実際そうなのだろう。

 

 続けて聞こえてきたシノンの声は、とても優しくて穏やかだった。

 

 

「あなたはちゃんと《月夜の黒猫団》の人達と、サチと向き合えてる。もし、どこかでマキリに会う事が出来たなら、それを教えてあげればいいと思う」

 

 

 そんな事が出来るのだろうか。そんな時が来るのだろうか――そういった疑問も湧いてきたが、強くはなかった。シノンの言っている事が、いつか現実になりそうな気がしたからだ。マキリにもう一度会う事が出来て、真実を話せる時が来る。その時に全てを打ち明けて、受け入れてもらえるまで伝え続ければいい――そんな気がして、心が軽くなっていく感じがした。

 

 

「だから、今は思い悩まなくたっていい。思い悩んでいる時点で、あなたはきっと、あの人達に償えてるはずだから……」

 

 

 そう言ってシノンは頭を撫でてくれていた。いつもシノンにやっている事を、シノンにやり返されている。それがキリトはたまらなく心地よく感じられた。シノンの匂いを感じながら深呼吸して、キリトはそっとシノンから離れた。

 

 

「……ごめん。うじうじ弱音言っちゃって。君に弱音は吐かないって決めてたのに」

 

「別に構わないわ。寧ろ私の方がいっつも弱音吐いてて、あなたにぶつけてばっかりだから、謝らなきゃいけないのは私の方よ……」

 

「いやいや、そんな事はないよ」

 

「え? なんで?」

 

「なんでって……」

 

 

 キリトはきょとんとしてしまった。シノンもきょとんとしてしまっている。自分が弱音を吐いて悪くて、シノンは弱音を吐いて良い。その違いは何だろう――自分の言いかけた事に首を傾げると、シノンは一瞬噴き出し、笑んだ。

 

 

「落ち着いたみたいね、そう言えるって事は」

 

 

 キリトはもう一度きょとんとした。いつの間にか重苦しかった心が軽くなっている。シノンの手玉に取られて、軽くさせられてしまったようだ。わかった途端、キリトも思わず笑んでいた。

 

 

「あぁ、なんだか気持ちが楽になった。ありがとう、シノン」

 

「これもあなたの妻の役目……なんてね。どういたしまして」

 

 

 そう言って笑うシノンをキリトは見つめる。そうだ、いくら悩んだところで、シノンを守らなければならないというやるべき事を放棄していい言い訳にはならない。今は自分のやるべき事は全うせねばならないのだ。

 

 いつかその時は来るはずだから、その時にマキリに全てぶつけよう――キリトは改めてそう思った。

 

 その最中だった。出入口の戸が思い切り開けられて、人が転がり込んできた。プレミアだった。

 

 

「キリトッ!」

 

 

 突然の来客に二人して驚き、ほぼ同時に声を掛けた。

 

 

「プレミア!?」

 

「どうしたのよ、そんなに慌てて」

 

 

 プレミアはひどく焦った様子で返答してきた。

 

 

「ティアの信号が、アインクラッドにある天体から返って来ています……ティアが一人でエリオンウォード異相界に向かいました!」

 

 

 その答えに二人でもう一度驚いてしまった。

 





 ――アンケート結果――

 アンケートを締め切りました。沢山の人に投票していただいたところ、結果はオーディナルスケール編が良いとなりました。そのため、アイングラウンド編の次はオーディナルスケール編を挟み、フェイタルバレット編へ進むという形となります。

 どのようなものになるかは、その時を楽しみにしていただけたらと思います。
 アンケートに協力していただいた皆様に、深く感謝いたします。

 本当に、本当にありがとうございました。

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