キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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20:月喰の黒猫 ―黒猫との戦い―

         □□□

 

 

 《黒の猫神》と化したマキリとの決戦が始まった。古代エジプト神話に登場する破壊神であり、疫病を司る死神であり、ラーを崇めない者達へ報復をする復讐神でもあるセクメトと同名の猫龍を《使い魔》としていたマキリは、本物のセクメトとなったようだった。

 

 世界の常識等を全てぶち壊し、あらゆる常軌を逸した彼女は、死したはずの姉を生き返らせ、そして姉を死に追いやった者達への報復を望んでいた。どれもこれもが無茶苦茶であり、理不尽極まりない。それでもマキリは姉の甦りと報復だけを胸に抱き、その巨体で襲い掛かってきていた。

 

 

《あ゛あああああああッ!!》

 

 

 マキリの時の声色が混ざった獣の声を上げて、腕を振り降ろしてくる。地面に当たれば地表が捲れ上がり、無数の(つぶて)があちらこちらに飛散する。もしここが現実だったなら、マキリの攻撃が数回放たれた程度でこの戦場は崩壊、自分達はどこに繋がっているか全く定かではない闇の中へ真っ逆さまだっただろう。

 

 しかしどんなにバグっていようが、ここはカーディナルシステムの下にある。どんなにマキリが腕を叩き付けてこようが、地面を砕こうが、崩れてしまう事はない。それはフィールドボスとの戦場となる、クルドシージ砂漠の管制塔の頂上と同じだった。足元の心配をする必要はないが、それ以上にマキリの攻撃への対応が難しかった。

 

 《黒の猫神》と呼ぶべきマキリの大きさは、狼竜形態リラン、《使い魔》形態ユピテルの身体など余裕で超えている。下半身はどうなっているのか確認できないので定かではないが、上半身は二十メートル付近はあり、腕も一本一本それくらいある。一番最初のフィールドボスであった《ヴァイス・ザ・コボルドロード》が可愛く見えるくらいに大きい。最早これまで《SA:O》で相手にしてきた、どのボスモンスターよりも巨大だった。

 

 

「こんなの、こんなのどうやって相手にしろっていうの!?」

 

「大きすぎて、どこを攻撃したらいいか全然わかんないよ!」

 

 

 フィリアとリーファが焦りながら大声を出す。これまでのボスモンスターは攻撃が効くと明確な大きさの持ち主だったから良かったが、目の前のマキリはそれらから逸脱している。どこを攻撃すれば効くか、どこが弱点なのか、見えてこない。

 

 

「そもそも、こいつは倒せるように出来てるのカ? 《HPバー》が見えないゾ」

 

「名前だってよくわかんないし……もしかして《HPバー》がないとか?」

 

 

 戦闘時には敵の情報を掴むのが得意なアルゴとシュピーゲルが目を細めてマキリを見ているが、重要なものが発見できないでいるようだった。彼女達の言っているように、目の前のマキリにはあるべきものが認められない。《HPバー》だ。この世界のモンスターにしろNPCにしろ、必ず設定されているはずの《HPバー》が、マキリの身体から見つからない。

 

 ボス戦ではないという事になっているのだろう、狼竜形態となっているリランの背に乗って飛行、マキリの注意を引きつつ接近しても、マキリの《HPバー》と思わしきものは認められなかった。マキリにはこの世界で最も無ければならないはずの《HPバー》がない――今のところそうだとしか思えなかった。

 

 

「どぉらあああッ!!」

 

「でええあああッ!!」

 

 

 クラインとディアベルの二名が、崖を掴んでいるマキリの左手の内一本に攻撃を仕掛ける。ソードスキルではなく、武器による通常攻撃だ。刀と片手剣という類こそ違えど同じ斬属性攻撃がマキリの左手を傷付ける。確かにダメージエフェクトが出るが、手応えがあるように見えない。《HPバー》もやはり出てこない。

 

 つまりダメージが通っていないという事だった。まるで世界の常識が通じていないようだ。斬ればダメージを与える事が出来るという当たり前の常識が、マキリの場合にのみ覆ってしまっている。世界の常識が一人だけ適用されていない、『黒き猫の神のような何か』。それが今のマキリだった。

 

 

「ユイ、あいつはどうなってるの!? どうすればあいつを止められるの!?」

 

 

 シノンが近くにいるユイに問いかける。ユイは最後方でウインドウを複数展開し、ホロキーボードを叩いていた。マキリの状態を何とかして暴き出そうとしている。

 

 

「まだ、まだ解析に時間がかかっていて……けれど、今のマキリには少なくとも、攻撃が効かないようになっているみたいです」

 

 

 その報告に瞠目するしかなかった。今のマキリには攻撃が効かないようになっている。そんなモンスターは《SA:O》には確認されてこなかった。ALOに辛うじている程度だったが、それはちゃんと世界の設定や常識に基づいて存在しているものだった。しかしマキリの場合は違うだろう。世界の常識など全て壊し、完全無欠の例外として存在しているに違いない。

 

 

「攻撃が効かないようになってるって、そんなのどうやって倒せばいいの!?」

 

 

 混乱の声を上げたのはフィリアだ。続けてレインが声を上げる。

 

 

「わたしのALOの時の《使い魔》のシンシアもそんな力あったけど、そういうわけじゃないよね!? どうなってるっていうの!?」

 

 

 更に混乱の声は広がっていく。

 

 今のマキリは攻撃しても倒せない――つまり攻撃する事自体が間違っているという事になる。これまでのゲームでそういう事情に出くわした時、その場所とは違うところに何らかのギミックがあり、それを解く事でボスモンスターが弱体化、攻撃が通るようになるという仕掛けであるパターンが多かった。

 

 もしマキリにそれと同様の設定が存在しているならば、この戦闘事態を放棄して逃げ出し、マキリを弱体化させる方法を模索するという攻略をする事が出来るが、退路はとうに断たれている。更にマキリは今も尚この世界の住人、NPC達の生命力を吸い上げ、奪い続けている。

 

 NPC達全員の生命力が吸い尽くされた時、この世界は終わりを迎えるだろう。それを阻止するためにはこの場でマキリを討つ他ない。だが、その方法が全く見えてこないし、どんな行動をすればいいのかもわからないと来ている。

 

 

《とにかく今は出来る限りマキリの動きを止めるのに専念するぞ。何もしないよりはマシなはずだ》

 

 

 そう言って来たのがリランだった。彼女の言うように、何もしないでいるわけにはいかない。それにわかっている事もある。マキリに攻撃した際、ダメージを与える事は出来ないものの、衝撃を加える事は出来ているように見えた。

 

 現にクラインとディアベルが攻撃した際、マキリの動きは止まっていた。あれは攻撃された際に生じた衝撃によって、身動きが止められてしまっていたからに違いない。攻撃する事はダメージを与える事は出来なくとも、意味はあるのだ。

 

 キリトはリランの背に飛び乗って跨り、共にマキリに向き直った。目線の高さが上がっているが、見えているマキリの目の高さよりも低い。

 

 

「皆、とにかく攻撃してマキリの動きを封じてくれ! 今はそれくらいしかできない!」

 

 

 キリトに続いてアスナが呼びかける。その先にいるのはユイとユピテルだった。《使い魔》形態になって戦えるユピテルは今、いつもの少年の姿になってホロキーボードを叩いている。

 

 

「ユピテル、ユイちゃん、頑張って解析して! その間わたし達でマキリを食い止めておくから!」

 

 

 二人は頷き、引き続きホロキーボードを叩いた。ユイは元から非戦闘プレイヤーの扱いになっているから戦いに参加していない。一方でユピテルは戦えるが、高度な情報処理を得意としているために、ユイと共にマキリの解析を行う事にしたのだ。

 

 出来ればリランとストレアにもそうさせたいが、彼女らが抜けると戦闘力が不足して、マキリを止める事が出来無くなり、結果的に全員やられてしまう事になりかねない。ユピテルが抜けているので精一杯で、後はもう抜けさせられなかった。

 

 

「解析は今のところ順調に進んでいます。なるべく急ぎますから、そちらはお任せします!」

 

 

 ユピテルからの頼みに皆が頷き、一斉に黒の猫神となったマキリに身構える。次の瞬間、マキリの肩から生える腕の二本、その先端が白紫の炎を纏った。セクメトが得意としていた瘴気炎だ。あんな姿になっても、アレはあくまでセクメトという扱いになっているらしかった。

 

 

《あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッ!!!》

 

 

 その瘴気炎に包まれた二本の腕を、マキリは思い切り振り下ろしてきた。猛スピードで超重量物が激突した事により、轟音と衝撃が地面を走る。その直撃を受けた者はいなかったが、激突の直後に白紫の炎の大爆発が起きた。それもかなりの広範囲であり、振り降ろしを避けたはずの者達は(事ごと)く呑み込まれてしまった。

 

 まさかの二段攻撃という不意打ちを受けてしまった仲間達は大ダメージを受けて後方に吹っ飛ばされていった。しかもその身体は瘴気炎によって毒状態にさせられており、追加ダメージが容赦なく襲っている。

 

 ヒーラーであるアスナとプレミアも流石に焦ったようで、マキリにやられた仲間達に駆け寄ってアスナがHP回復スキルを、プレミアが状態異常回復スキルを発動、展開して治療した。

 

 皆の《HPバー》がひとまず安全圏内まで回復したそこで、すかさずマキリは叩き付け攻撃を繰り出してきた。やっている事は通常サイズのセクメトの時、まだ人間だったマキリの時よりも単純で複雑さも何もないが、如何せんその大きさと重さがとんでもない威力を産んでいる。

 

 単純であるからこそとてつもない攻撃力を持っているのが、マキリから繰り出される攻撃であった。

 

 

「させるかッ!!」

 

「たああッ!!」

 

 

 高速で迫り来るマキリの腕に向けてリランが突撃し、その場で高速回転薙ぎ払いを仕掛けた。彼女に続いてソードスキルを放ちたかったが、横方向の回転技というのもあってか、キリトはしがみ付いているしかなかった。

 

 更に同刻、リズベット、エギル、ティアの三人がそれぞれソードスキルを放ち、マキリの腕に浴びせた。四人の攻撃を受けたマキリの腕は弾かれたような動きで遠のきその姿勢が崩される。

 

 本来は違うスキルを使う必要があるが、攻撃に攻撃を浴びせて弾き返す、パリングだ。異常になっているマキリはそれさえも突き破って来る可能性があったが、どうにか防ぐ事が出来た。追撃をなんとかして防いだ事により、アスナとプレミアの回復は間に合い、仲間達は安全に立ち上がる事が出来ていた。

 

 だが、そうであってもマキリに有効打を与える事は出来ないでいる。結局は時間稼ぎ、ユイとユピテルの解析待ちだった。このままでは埒が明かないのと何も変わりがない。

 

 

「こんな奴、どうやって倒せばいいんだよ……」

 

「馬鹿妹も、ここまで来るとなんて言ったらいいかわからないね。ユウキ、間違ってもこういうのになっちゃ駄目だからね」

 

 

 ユウキの小言にカイムが更に小言を重ねると、ユウキが「えぇー!」と言って抗議する。

 

 

「ならないよ! っていうかカイムこそおねえさんから見たら馬鹿弟でしょ!?」

 

「馬鹿弟言うな! ぼくだってあんなのみたいな考え方は間違ってるってわかったんだよ!」

 

 

 ユウキとカイムはいつの間にやら痴話喧嘩を始めてしまった。そんな事をしている場合では断じてないはずなのだが、中々止めに入れなかった。いや、その様子がマキリとサチも繰り広げたものなのではないかという気になっている。

 

 サチとマキリ。互いに互いを家族同士として愛し合っていた姉妹。彼女達がSAOという悲劇の極限環境に囚われるまで、どうしていたのかは定かではない。だが、SAOで彼女達を見た時は、とても暖かく、微笑ましく感じられた。きっとマキリもサチも、いつも仲良くしつつ、時には喧嘩しながら、一緒に生きてきたに違いない。

 

 そんな片割れのマキリを止めねばならないが、どうすればいいのかまるでわからない。当然だ。マキリに付与されている状態以前に、自分達はマキリがどんな少女だったのか、どういった日常を過ごしてきた人物なのか、何も知らない。だからこそ、目の前にいるマキリをどうすればいいのか、全くわからないのだ。

 

 マキリ、お前はどうして来たんだ。お前はどういう娘なんだ――キリトは、目の前のマキリにそう尋ねたかった。

 

 しかしマキリはもう耳を持たない。きっと何も理解していないだろう。ただ姉と一緒に居たい、姉と会いたいという純粋な思いが変じた妄念だけで動いている。

 

 そのマキリの動きを修正できるものとはなんだろう。マキリの中の思いを上書きして、そのまま正しい方向へ動かす事の出来るものとはなんだろうか。何も見えてこない。周りに渦巻いている闇の中にいるように、最早見えるものもなかった。

 

 出来る事と言えば、《HPバー》の存在しないマキリを攻撃し、その行動を止め続ける事だけだった。現に皆もマキリにソードスキルや各々の武器による攻撃を仕掛けている。だが、誰の攻撃も効いている気配がない。意味のない事を繰り返しているだけに見えた。

 

 

《があああああああッ!!》

 

 

 そしてマキリは仲間達に向かって腕を振り下ろし、叩き付ける。マキリの手を中心に白紫の炎の爆発が巻き起こり、地面ごと仲間達を吹っ飛ばした、

 

 

「――!」

 

 

 それがキリトには報復に見えた。マキリは報復に燃えていた。どす黒い報復の炎を胸に抱き、それが生み出す負のエネルギーを糧にして、襲い掛かってきていた。黒の炎は未だにマキリの胸の中で燃え続けている。姉と、先輩達を死に追いやったものを殺すために、マキリは動き続けている。それは恰も、既に忘れ去られた旧世代の蒸気機関のようだった。

 

 そんなマキリの凶刃は、何故か仲間達を襲っている。マキリが報復をしたい相手は自分一人だけであり、他の皆は一切無関係である。なのにマキリは他の皆を襲って、傷つけている。そしてあろう事か、全く無関係のNPC達の生命を吸い尽くし、この世界の住人達を絶滅させようとしている。

 

 マキリのやっている事は報復とは無関係だった。それがキリトに、確かな怒りを宿らせた。

 

 

「――マキッ!!」

 

 

 キリトはリランの背中からジャンプして、マキリに飛び掛かった。リランが驚きの《声》を送ってきた時既にキリトはマキリに接敵し、振り降ろされている腕に向かって双剣を振るった。

 

 エリュシデータとダークリパルサー、SAOの英雄、《黒の竜剣士キリト》の象徴ともいえる二本。マキリにとっては忌まわしいものであろう二本の剣が、肉を裂く音を立ててマキリの腕を抉った。手応えは悪い。確かに斬りつけたはずなのに、ダメージを与えているような感覚がない。

 

 全く倒せる気のしなかったジェネシスとの戦いの時ですら、斬った時には手応えがあったというのに、マキリにはそれが何もない。まるで何もないところ、もしくは実体のないものを無暗に斬りつけているかのようだった。

 

 マキリはここにいるが、ここにいない。本当にここにマキリがいるのかどうかさえもぐらつくような感覚に囚われそうになるのを防いだのは、マキリからの反撃だった。マキリは猫と人間のそれが混ざった口をかっと開け、白紫の炎を迸らせてきた。マキリ自身の持っていた反応速度も影響しているのか、キリトが回避行動をとるよりも前に炎はキリトの全身を焼いた。

 

 

「ぐあああッ!」

 

 

 痛覚抑制機構(ペインアブソーバ)のおかげで痛みや熱さはひどくないものの、それに近しい不快感が全身を襲う。先輩を、愛する姉を殺されたマキリの怒りが炎となっているのだ。そこにセクメトの持っていた毒が重なり、あらゆるものを破壊し、殺す厄災の力となっている。

 

 マキリの炎は全てを焼き、全てを溶かし尽くす猛毒だ。今のマキリこそがセクメトであり、最早最高神ラーでさえも止められない厄災であろう。そんなものが元はあんなに明るくて優しく、可愛げな少女であったというのが信じられない。

 

 

「キリトッ……!」

 

 

 炎に焼かれて倒れたキリトに駆け寄ってきたのはプレミアだった。近くにはマキリの放ったものの残りである白紫の炎が燃えているのに、構わずに走ってきた。プレミアとティアはこの世界の住人であるため、痛覚抑制機構やフィルターを持っていない。現にまだマキリと同化する前のセクメトの毒炎の近くに行った時には、炎から出る毒ガスに瞬く間に侵されてしまった。

 

 

「う゛、ごほっ、こほっ」

 

 

 その時と同じように、プレミアは苦しそうに咳込み始めた。《HPバー》の横に猛毒状態を示すアイコンが出てしまっている。それは自分もそうだが、彼女の苦しさは自分の感じているそれとは比にならない。

 

 

「プレミア……!」

 

「キリト、だいじょぶ、ですッ……!」

 

 

 プレミアは蒼褪めた顔のまま、細剣を持つ手を上に掲げる。彼女を中心にして地面に緑の光の魔法陣が展開されて、同じく緑の光が沸き上がる。その中にいたキリトと、プレミアの身体が一瞬だけ光に包み込まれると、猛毒状態が消えて、更に《HPバー》も回復し始めた。

 

 プレミアとアスナの持つ回復スキルの最上位のものだ。リキャスト時間が非常に長いうえに、発動させるためのポイントのコストが重いために連発する事の出来ないそれを、プレミアは惜しみなく使っていた。

 

 

「プレミア、ありがとう……」

 

 

 とりあえず礼を言うと、プレミアは何か拙いものを見ているような顔になった。

 

 

「キリト……生命が……世界から生命が消えていっています」

 

「えっ!?」

 

 

 続けてマキリの攻撃を抑えていたティアが駆け寄ってくる。その表情はプレミアのそれとほとんど変わりがない。双子であるからではなく、お互いに同じ事を思える状況だったからだ。

 

 

「マキリがどんどん世界中の生命を吸い込んでいるみたい。このままじゃ、皆マキリに吸い尽くされてしまう……」

 

 

 二人と一緒にマキリに目を向ける。黒き神マキリが上を仰ぐと、その身体に向けて白と水色のガラス片が流れ込んでいった。マキリはそれを禍々しい笑い声を出しながら吸っている。ガラス片はこの世界の住人達の生命そのものであり、その量は徐々に増えていっている。

 

 マキリという死神に、何の罪もない住人達は生命を一方的に奪われて行っていた死神とは生命を刈り取る事にもちゃんとした意味と目的を持っているが故に、無暗に生命を奪ったりなどしない。殺戮や死のイメージが付き纏っているが、そこまで好き勝手に生命を刈り取ったりはしないのだ。

 

 しかしマキリはそうではない。自分の身勝手な目的ただ一つの為に、世界に生きるすべての生命を吸い尽くそうとしている。ありとあらゆるものを無差別に刈り取り、吸って吸って吸いまくろうとしている。その様子は、叶わないはずの願いを叶える事が出来る事に歓喜しているようだ。

 

 マキリは最早、世界そのものに死を与える死神だった。そこまで大規模化した死神など、どこの神話にも存在しない。世界中のありとあらゆる神話を元ネタにして構築されている《SA:O》にのみ存在する、規格外の死神だ。

 

 

「やっぱり駄目ダ、キー坊! 《HPバー》が無いんじゃ、どんなに攻撃しても無駄にされちまウ!」

 

 

 あらゆるモンスターを見てはその解析を行ってきたアルゴでさえ、お手上げと言わんばかりに声を上げている。他の皆もほとんど同じ様子だ。その中のフィリアが叫ぶ。

 

 

「このまま攻撃し続けたところで、全然(らち)が明かないよ! どうすればいいの!?」

 

 

 そんな事は分かり切っている。きっとこのまま攻撃し続けたとしても、展開は先に進まないだろう。そして対処策は存在しないと思われる。所謂詰みが起きてしまっていた。いや、ユイとユピテルの解析があるため、詰みではないのだろうが、最早それに近しい状況だろう。

 

 

「ユイッ!!」

 

「ユピテルッ!!」

 

 

 思わず叫ぶと、シノンとアスナの声と重なった。キリトとシノンの娘であるユイ、アスナの息子であるユピテルは今ホロキーボードを叩く事に精一杯になっていて、答えを返して来ない。額には玉の汗が浮かんでいるのが見える。解析にはまだまだ時間がかかっているようだ。

 

 彼女らの事だから、きっとマキリの対処策を見つけ出してくれるのだろうが、果たしてそんな時間がこの世界に残されているのだろうか。マキリはこうしている間にも、この世界の住人達の生命を吸い取って行っている。もしかしたらマキリの解析が完了する時とは、住人達の生命が吸い尽くされた時なのかもしれない。そんな気さえもして来ていた。

 

 いや、もしかしたらそれこそが、マキリを動かすハンニバルの狙いなのかもしれない。ハンニバルは須郷やPoH、ジェネシスやマキリといった、誰の言う事も聞かなそうな凶悪な人物達を操れているくらいに人心把握に優れている。しかも自分達の強さを客観的に見て判断し、まともにぶつかっても勝てない結論を出し、それに対する作戦を送り出してきた。

 

 そんなハンニバルが自分達がどうやって困難を乗り越えようとするか、攻略の糸口を見つけ出そうとするかを予測していないわけがない。恐らくハンニバルはあらゆる可能性を模索して、それの対処方法を更に模索し、潰していったのだろう。

 

 そして辿り着いた結論が、完全に不死のモンスターをマキリの身体とし、動かさせる。そのマキリへの解析へ挑むMHHP、MHCP達への対処方法として構造の複雑化とタイムリミットを設定。解析が終わる頃にはタイムアップしているようにしたのだ。どうやっても自分達が詰むように、残酷で残忍なやり方で、周到に執拗に対策しまくったのだろう。

 

 そう言えばSAOで須郷が好き勝手やっていた時も、かなり用意周到な部分が見受けられた。あの驕り高ぶった須郷の事だから、ハンニバルの意見は聞かずに自分達への対策をしていたのだろう。

 

 その須郷よりも、ハンニバルは用心深く周到に準備し、作戦に臨んでいて当たり前だ。それはSAOで階層ボスを倒すためにあらゆる情報を集め、作戦を組み立て、不測の事態にも対応できるようにと準備していた自分達となんら変わらない。

 

 自分達に攻略されまいと、自分達の行動、やり方を執念深く観察して予測し、適切以上の障害を作り上げる。きっとマキリを駆り出した作戦とは、元SAO攻略組攻略戦線みたいなものだっただろう。そのハンニバルによる攻略作戦に、まんまと嵌ってしまった。

 

 出口を完全に塞がれた迷宮に閉じ込められ、今まさに天井が圧し潰そうと迫ってきている。迷宮を脱したミノタウロスを導いたとされるアリアドネの糸はない。あったけれども切られてしまって無意味になっている。

 

 

「マキリ……マキ……!」

 

 

 親しかった頃の名で呼ぶと、マキリがぴくりと反応を示した。残された右目が見る見るうちに怒気に染まっていき、咢から怒りの咆吼が放たれる。その名で呼ぶなと訴えているのだ。最早マキリにとってのマキという愛称は逆鱗と化していた。

 

 

《う゛ぅ、あ゛あ゛、あ゛あ゛あ゛あ゛ア゛ア゛ッ!!!》

 

 

 直後、マキリの腕四本が一斉に動き出し、天へ伸びた。間もなくしてマキリの頭上に白紫の炎が燃え上がり、どんどん巨大化していき、やがて白紫の巨大な球体へ進化を遂げる。炎を一か所に集めて凝縮させているのだ。それをマキリは四本の腕と手で持ち上げている姿勢になっていた。

 

 

「ちょ、おいおいおいおい、タンマ、タンマだって!」

 

 

 次に何が起こるのかわかったようにクラインが焦る。球体の大きさは今自分達の居る戦場よりも大きい。もしあれが迫ってくるような事があれば、逃げ場はない。勿論マキリはそれをわかったうえでこちらに降らせてくるつもりだろう。

 

 

「み、皆、防御態勢に入れ!」

 

「防御!? あんなの防げるわけありませんよぉ!!」

 

「あ、アタシ達タンクでも無理だって!!」

 

 

 そう言ってみたが、即座にシリカとストレアに反論された。恐らくあの巨大火球はリランやセクメトの放つブレスと同じで、地面や壁に着弾すると爆発するようになっているのだろう。あれだけ巨大な火球が爆発すれば、それこそ防御したところで、この戦場諸共跡形もなく消し飛ぶのがオチだ。

 

 マキリは戦場ごとこちらを吹っ飛ばして邪魔者を完全に排除する、止めの一撃を決行しようとしている。あれが放たれればバッドエンドだ。どうにかして耐え切るか、あるいは阻止するかをしなければならないが、やはり何も対処策が見つからない。

 

 いよいよ本当に詰みだ。この戦いはマキリ、ハンニバルの勝利となり、この世界は滅びの時を迎える。散々ここまで足掻き続けてきたというのに、全てが消し炭になる。ここで全ての異変が終わるかと思いきや、実際は世界が終わるのだ。ここは、終わりの場所だった。全ての、終わりの場所。

 

 間もなく、その引き金が引かれる。全てが終わる。

 

 

 

 ――駄目ッ!! マキッ!!――

 

 

 

 どこからともなく声が聞こえたのと同時に、マキリの上半身の至るところで爆発が起きた。白い光の爆発だった。

 

 

《う゛ぐあああ゛あ゛あ゛あ゛ッ!?》

 

 

 完全に予想外だったのだろう、白紫の炎を溜めていたマキリは悲鳴を上げつつ姿勢を崩した。頭上で作られていた火球の形は融解し、激しい風に煽られたようにして消えていった。一体何が起きたのかわからず、キリトは呆然としていた。何かが助けに入ってきたのは確かのようだが、何に助けられたというのか。

 

 

「――!」

 

 

 直後、マキリの前に影が躍り出てきた。人影ではなく、モンスターの影だった。金と青の装飾に彩られた服のような白い鎧に身を包み、頭には白色に輝くエネルギーの輪を浮かべていて、背中からも同質の白いエネルギーの翼を生やして浮かんでいる。鎧と甲殻の間に覗く黒毛が目を引く、猫の龍。

 

 

「ハトホル!!」

 

 

 思わず大声でその名を呼んだ。古代エジプト神話にて、セクメトとは正反対で生命を司る猫の神であるハトホルと同じ名を冠する龍の登場は、既に経験していた。

 

 セクメトがマキリの指示を受けて自分達を襲った時、このハトホルもまた現れる傾向があった。その際は決まって助けに入るようにして、セクメトを攻撃してくれた。今もまたセクメトを攻撃して、助けに入ってくれたようだ。キリトは少なくともそう思えた。

 

 

 そしてその背中には、居た。全体的に見覚えのある、下半身がスカート状になっている軽装に身を包み、白い大きなポンチョをすっぽりと被って顔を隠している、女性プレイヤーが。ハトホルの主である《ビーストテイマー》が、居た。

 

 

「君は……」

 

「あの時の……!」

 

 

 そう言ったのはシノンとほぼ同時だった。

 

 ある時突然シノンにクエストを提案し、そのクエストに乱入してきたセクメトを、ハトホルを操って退けてくれた謎の女性プレイヤー。前に見たその姿と、ハトホルの背にいるそれの姿は一致していた。またしてもハトホルと共に、助けに来てくれた。

 

 

「な、何!? あれは!?」

 

「あの人はあの時の……わたし達を助けてくれた……」

 

 

 事情を知らないティアが混乱し、一方で事情を知るプレミアは驚いたままハトホルの背の人物を見ている。ハトホルとその主人に、その場にいる誰もが目を奪われていた。勿論それはマキリも含まれていた。

 

 

《う゛ぅ゛う゛う゛ッ、う゛う゛あああああああああッ!!》

 

 

 間もなくして、マキリが腕を振り回して攻撃を始める。邪魔者が増えた事に怒り狂っているようだった。(ある)いは自分達同様混乱しているのか。いずれにしてもマキリは出鱈目に腕を振り回し、ハトホルを叩こうとした。

 

 だが、リランとは違ってはばたく必要のない翼で飛んでいるハトホルは、重力を無視した動きでマキリの腕を回避していく。信じがたい事に、その背中にいる主人もその動きについていっている。それは彼女がこの世の者ではないように思わせる光景だった。

 

 マキリはうるさく飛び回る羽虫を落そうとしているかのように、もしくは駄々をこねているように腕をぶんぶんと振り回して来ていた。こちらまで巻き込まれてしまいそうだったが、ハトホルが空中にいてくれているおかげで、攻撃は地面にまで飛んでこなかった。

 

 リランでは出来ないような動きで、ハトホルはマキリの腕を避け続けたが、あるタイミングでマキリが口を開き、火炎弾を放った。咄嗟の判断とも取れる攻撃を予想できなかったのだろう、ハトホルは白紫の炎の爆発に呑み込まれる。

 

 仲間達の間で「あぁっ」という悲鳴が上がり、やがてハトホルが空中の爆炎から墜落してきたが、しかしハトホルは空中で受け身を取って、軽い身のこなしで地面に着地した。

 

 

「――あうッ!」

 

 

 だが、その背の主人はそうではなかった。ハトホルから手を離してしまったために放り出され、地面に激突した。その様子はハトホルの主人との出会いの時の再現だった。同じように放り出されてきたハトホルの主人に、同じようにキリトは駆け寄る。

 

 

「……え」

 

 

 その途中で、足が重くなった。まるで見えない(おもり)が付いたように重くなって、やがて止まった。目の前で信じられない光景が繰り広げられていた。

 

 

 意外と強い衝撃を受けたわけでもなかったハトホルの主人は、すくりと立ち上がった。その頭を覆っていたポンチョは外れており、隠されていたものが姿を見せてくれていた。

 

 女性の髪は、青みがかった黒髪を切り揃えたショートヘアだった。プレミアとも違う髪型だが、決して忘れた事のない形。その後姿を見ただけで、キリトは言葉を完全に失った。

 

 呆然とするキリトに気が付いたのだろう、女性は自ら振り返り、その顔を見せてきた。

 

 

 確かな意志の光が弱々しくも蓄えられている、優しさに満ちた青水色の瞳。そのすぐ傍には泣き黒子がある。いずれも忘れてはいけない、忘れる事の出来なかったもの。

 

 

 どんなに手を伸ばしても、掴む事の出来なかったもの。それが、目の前にいた。

 

 その名前を、キリトはか細い声でどうにか口にする事が出来た。

 

 

 

「…………サチ…………?」

 

 

 

 


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