キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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21:月夜の黒猫 ―黒猫との決着―

 

 

 信じられなかった。目の前にいるのは、《月夜の黒猫団》で一緒になり、そして自分のせいで喪われてしまった人。守りたかったのに、そうしてあげられなかった大切な人。マキという妹を持つ姉。その名前は、サチ。

 

 そのサチの特徴の全てが、目の前の少女のものと合致していた。そんな光景をキリトは呑み込む事が出来ない。頭が全部痺れたようになってしまっていて、思考を回す事も出来なければ、ありのままを受け入れる事も出来ない。何もかもが信じられなかった。

 

 

「サチ……? サチって、マキリの……?」

 

 

 シノンがいつの間にか横に並んでいた。死んだはずのサチを目にしたために、驚愕しきっている。仲間達も同じだ。死んだはずの少女、サチがここにいるという、常軌を逸したどころではない現象と光景に、心を奪われている。

 

 

《な、なんなのだ、これは……どういう事、なのだ……?》

 

 

 リランの《声》が届けられる。動揺しきっているようだ。そこにティアとプレミアも加わる。

 

 

「あなたは、ど、どうして……」

 

「どうなっている、の……?」

 

 

 キリトとシノン、その仲間達を注目を集めるサチは、キリトの方に向き直り、小さく頷いた。

 

 私だよ、キリト――言葉なく彼女はそう言っていた。そしてサチは身体ごと振り向く。一緒に居た時とは比べものにならない程大きく、歪んだ姿になってしまった最愛の妹に。

 

 

「――マキ」

 

 

 澄んだ声でサチは呼んだ。恐れも怒りも何もない、愛おしい家族に向けられた声色だった。その声に、マキリは反応を示した。

 

 

《え、え? え、ええ?》

 

 

 マキリは攻撃をやめていた。キリト達同様にサチに目を奪われて、硬直してしまっている。目の前の光景が信じられないのだ。

 

 

《お、おねえ、ちゃ、ん……?》

 

 

 動揺した《声》でマキリは尋ねる。妹からの問いかけに、サチはまた頷きを返した。

 

 

「そうだよ。私だよ、マキ」

 

《おねえちゃ……お、ねえ、ねえちゃ、おねえちゃ……》

 

 

 やがてマキリは戦場を掴むのを除いて、全ての腕で頭を抑え付けた。そのまま崩れ出したように苦しみ始める。完全に混乱しているのだ。

 

 

《あ゛ああ゛ああ゛ああ゛あ》

 

 

 マキリの目的とは、この世界の住人達全部の生命を使って、サチを生き返らせるというものだった。この世界の生命全てを吸い尽くした時、サチが生き返る予定だったのだろう。

 

 だが、まだ生命全てを吸い尽くしたわけでもないのに、サチがいる。生き返らせた憶えもないのに、生き返ってきている。何故こんな事が起きているのか、どうなっているのかわからなくなっているのだ。

 

 それはキリト達も同じだが、マキリの場合はもっとひどい事になっている。

 

 

「サチ、本当に君なのか。本当に君はサチなのか」

 

 

 キリトはもう一度同じ事を繰り返した。同じ返答を二度聞かないと、今の状況は飲み込めそうにない。それだけ目の前の状況というものは現実感の欠片もない有様だった。その問いかけに、果たしてサチは答えなかった。

 

 サチはキリトの方をちらと見て微笑んだかと思うと、目を閉じる。瞬く間にその身体が白い光に包み込まれていき、シルエットとなり、光の球体となる。それはいつか見た、リランやユピテル、ユイやストレアが姿を一時的に消失させた時のものとそっくりだった。

 

 光の球体となったサチはふわりと蛍のように飛ぶと、そのままマキリの身体に飛び込んだ。一瞬のうちにサチがマキリへ消えた光景に、キリトが手を伸ばそうとしたそこで、異変は起きた。

 

 

《う、う、うあ゛あ゛あ、あああ゛ああああ゛ああ゛ッ》

 

 

 サチに飛び込まれたと思われるマキリが、急に苦しそうな声を出し始めた。六本の腕の全てが動きを止めて硬直したかと思えば――頭上に一筋の光が横向きに走る。《マキリ》という名前が出て、一本だけの《HPバー》が出現した。

 

 それがないが故に、どうにもできなかったのがマキリ。そのマキリに、ついに《HPバー》が付与された。世界の法則がマキリに与えられたのだ。勿論どういう事なのか理解できなかったが、やがてユイが驚いて声を上げた。

 

 

「マキリにHPという概念が出ました! これは、サチさんのもの……!?」

 

「ユイ、マキリは、サチはどうなってるんだ!?」

 

 

 キリトの問いかけに、ユピテルが答えた。ひどく驚いた様子なのは変わらない。

 

 

「サチさんがマキリと同化しました。それでマキリに自分の《HPバー》を適応させて……マキリにHPを作ったようです」

 

「しかも今、マキリの防御力はゼロになっています! これもサチさんがマキリと同化する事で作り出したようです。今、マキリに攻撃が通じます!」

 

「マキリのHPはプレイヤーの時と同じです。しかも防御力がゼロ……ぼく達の力で、倒せます!」

 

 

 そうだろう――ユピテルの言い分に即座にそう思った。マキリのHPはこれまでのボスと違ってたったの一本で、しかも防御力がゼロになっている。最早皆で力を合わせるまでもなく、誰か一人の攻撃だけで容易く撃破する事ができるだろう。

 

 だが、もしマキリを倒した場合、マキリはどうなるのか。そしてマキリと同化したとされるサチはどうなってしまうというのか。すぐに終わる戦いの決着を付けた時、何が起きてしまうのか。

 

 それが強く引っかかり、キリトは行動をする事ができない。仲間達も同じだった。誰もが足を止めてしまっている。

 

 

《キリト……!!》

 

 

 不意に《声》が聞こえたキリトははっとする。出力の仕方は狼竜形態のリラン、《使い魔》形態のユピテルと同じ、頭の中に直接響いてくるようなものだ。聞き慣れた聞こえ方で飛んできた《声》は、サチの声色だった。彼女はマキリの中から話しかけてきていた。

 

 

「サチ!」

 

《キリト、お願い。マキを……マキを止めて。今ならマキを止められるよ!》

 

 

 懇願する声色だった。どうかマキリを止めてほしい。サチはマキリの中にいながら、そう訴えかけて来ていた。

 

 

「サチ、待ってくれ。今のマキに攻撃したら、君はどうなるんだ。それにマキも、どうなるんだよ!?」

 

《キリト……マキを、助けて……マキは、この世界を、キリト達が生きてる世界を壊しちゃうつもりなの。私なんかのために、キリト達を巻き込もうとしてるの。もう、どうにもならないの……》

 

 

 そうだ。マキリは今も尚世界の住人達の生命を吸い上げて、サチを生き返らせようとしている。サチが既に生き返っているが、吸い上げをやめる気配は見受けられていない。その証拠にマキリに向けてガラス片のような形の、この世界の住人達の生命が流れ続けている。このままではマキリによって世界の生命の全てが奪われてしまうのに変わりはなかった。

 

 それでもキリトは一歩を踏み出せない。きっとマキを倒せば、その時サチも一緒に消滅するようになっているに違いない。マキにサチのHPが適応されている――ユピテルがそう言っていたのだ。

 

 つまりそれは、マキとサチの生命が同化しているに他ならない。

 

 

「サチ、君は……」

 

 

 どうやったかは知らないが、奇跡によって生き返った。喪われたはずの命を再び掴み取って、ここにやってきた。もう会えないはずの妹であるマキと再び会う事が出来たばかりじゃないか。なのに、その命を喪おうとしている。これでは生き返ってきた意味がないじゃないか。

 

 

《……キリトにばっかりこんな事をさせて、苦しめて、本当にごめんなさい。だけど……お願いキリト……マキを止めて……マキを、終わらせてあげて……》

 

 

 サチの懇願の《声》は続いていた。その内容にキリトははっとする。

 

 サチはもう知っているのだ。マキが終われなくなってしまっているという事を。本当は終わっていないといけないのに、姉の事、キリトの事に固執するせいで終わる事が出来ないという事に。だからこそ彼女は、これ程までに懇願してきている。

 

 その直後だ。キリトの目の前に大きな影が割り込んできた。それは他ならぬ《使い魔》であるリランだった。

 

 

「リラン……!」

 

《やらせてくれ、キリト。お前はこれ以上十字架を背負う必要はない。お前がマキリに止めを刺せば、今度こそお前がサチとマキリを殺した事になる。お前にこれ以上の苦しみを背負わせるのは、《使い魔》として、MHHPとして見過ごせぬ》

 

 

 だから我が代わりにマキとサチに止めを刺そう――リランはそう言っているようだったし、サチ同様に懇願してきていた。今のマキを倒す事は、サチを殺す事に繋がる。

 

 一度はSAOに奪われたサチの生命を、もう一度奪い、壊す事になる。守ろうと誓っていたのに、守れなかったサチの生命を奪う。どこまでも矛盾して、どこまでも理不尽で不条理だ。

 

 しかし、そうでもしなければ、マキはこの世界の全ての生命を吸い尽くす。今は届いていないが、プレミアとティアの生命も奪われるだろう。そしてユイは、ストレアは、リランは、ユピテルは大切な家族を喪う。

 

 そんな事は誰も望んでいない。ここにいる誰も――きっと、サチも。

 

 それにサチはマキを終わらせる事を、キリトに直接頼み込んできていた。誰でもよくなく、自分ただ一人を指名して、懇願してきている。もしここで自分がサチの頼みを放棄して、他の誰かにやらせたならば――それはサチの頼みを放棄、信じてくれているサチを裏切る事になるだろう。

 

 そしてその他の誰かが、結局サチとマキを殺した十字架を背負う事になる。《月夜の黒猫団》の誰とも関係のない誰かが。

 

 《月夜の黒猫団》を本当に終わらせるべき者は誰だ。終わらせなくてはならないのは誰だ。その問いに、キリトはすぐに答えを導き出した。

 

 ――俺しかいない。《月夜の黒猫団》の最後の加入員であり、マキを報復に走らせて、こんな厄災を引き起こさせた元凶である俺しかいない。ここで産まれる十字架は、俺が背負わなくてはならないもの。

 

 俺だけが背負う事の許された代物だ――キリトは一歩を踏み出し続け、やがてリランの前に出ていた。

 

 

「リラン。そう言ってくれてありがとう。だけど、これはお前にはさせられないよ」

 

 

 振り返ると、リランはびっくりしていた。他の頼れる仲間達も同じだ。

 

 

《本気か!? 今のマキリを倒す事は――》

 

「――マキを終わらせる事だ。俺、何度も言ったよな。《月夜の黒猫団》を壊滅させて、マキをあんなふうにしたのは俺なんだって。マキが今、こんなふうになってしまってるのも俺のせいだって」

 

 

 何度も吐いた弱音を、キリトはもう一度口にする。仲間達の間に戸惑いの声が広がっていくが、キリトは気にしなかった。

 

 

「そうだよ。結局俺のせいなんだ。だから、出来ればもっと別な形でマキに、サチに償いたかったよ。けれど、もうこれしか残ってない。俺がいつまでもうじうじしてたせいで、結局こんな事になった。これしか償う方法がないんだ。もう、マキを終わらせるしか、償えないんだ」

 

「キリトッ……」

 

「キリト君……」

 

 

 呼びかけてきたのはシノンとアスナだった。今にも泣き出してしまいそうな顔で、引き留めようとしてくれている。だが、そういうわけにはいかない。

 

 

「だから、俺がやるよ。俺に償いをさせてくれ」

 

 

 誰の返事も応答も聞かないまま、キリトはマキに振り返った。黒き猫神となったマキは、依然として苦しんでいるままだ。どうすればいいかもわからず、誰に報復すればいいかもわからず、どこにも行けないまま苦しみに続けている。その様子はこれ以上ないくらいに、哀れだった。

 

 

「……!」

 

 

 直後、キリトは視線を感じて、そこに向き直った。サチから離れていた猫龍であるハトホルが視線を向けてきている。ネコ科の動物特有の、何を考えているかわからない表情だった。

 

 その時だ、ハトホルはそっと目を閉じると、全身を白い光に包み込ませ、やがて小さな光の球に姿を変えた。白い光球は静かに飛んでキリトへ近付くと――その左手に収まってきた。

 

 キリトが驚いた直後、光の球は弾けて、新たな姿を見せてきた。先端が三つに分かれているトライデントで、豪勢な装飾が見受けられる。それは恐らく、魔剣、聖剣の槍版というべきものだろう。もしかしたら、槍使いであるサチがSAOのどこかで手に入れる事が出来ていたかもしれない物。

 

 それがキリトの左手に、ダークリパルサーの代わりの剣として収まっていた。

 

 槍は妹を止めようとしている姉の思いが形になったように思えた。或いはサチの心を見続けたハトホルの思いなのか。

 

「これ以上ないくらいの全力で、マキを止めろ。それがサチの願いだ」。左手の槍はそう伝えてきている気がして、キリトは歯を食い縛った。全力が必要ならば、もっと必要だ。

 

 それだけの力を持っている《使い魔》に、キリトはかっと向き直り、叫ぶ。

 

 

「リラン、あの時みたいに、俺に力を貸してくれ!!」

 

 

 その願いに《使い魔》であるリランはひどく驚いたようだった。SAOでの最終決戦、全ての生存者達の運命を賭けた戦いの最後に起きた奇跡は、未だに再現出来ていない。だが、今のマキを止めるというサチの願いを成就させるには、あの奇跡が必要だ。

 

 そんな《ビーストテイマー》の願いを、《使い魔》は聞き入れたように身構えた。

 

 

《……わかった。我を使え、主人(キリト)ッ!!》

 

 

 そう言ってリランは咢を開き、一発の火炎弾を放った。ほぼ同刻、リランの身体が光となって火炎弾に吸い込まれ、火炎弾は白化熱の弾丸となって猛進。キリトの右手に着弾した。一瞬辺りが昼間になったと錯覚するような白い光の爆発が起こり、闇のようなマキの身体さえ白く染まる。

 

 光が収まった時、キリトの右手には一本の剣が収まっていた。それはエリュシデータと同じ形をしていたが、その黒き刀身には白き狼の龍の似姿が文様として刻み込まれている。

 

 かつてSAOの最終決戦で、創造者を倒すためだけに具現した剣。白と黒が均一に混ざり合った魔聖剣が、再び具現化した。

 

 人と竜が一体となって君臨する、真なる人竜一体を成し遂げたキリトは、終わらせるべき少女に向き直る。

 

 少女は苦しんでいた。分不相応な巨体に放り込まれて、どうすればいいかもわからなくなっている。それを終わらせるための武器が、この両手に収まっている。

 

 今すぐやるべき事、やらなければならない事。それは――。

 

 

「……うぉあああああああああああッ!!!」

 

 

 キリトは地を蹴り、マキリに飛び掛かった。思い切り高く飛び、マキリの顔面に接敵する。次の瞬間、右手の狼剣と左手の聖槍に眩い光が宿った。

 

 

「マキッ!!!」

 

 

 苦しみに悶える少女に向けて、キリトは最も使いこなし、最も頼ってきた二刀流剣技を放った。

 

 

 スターバースト・ストリーム。十六連続攻撃二刀流剣技。

 

 

 《使い魔》と想い人の思いと願いを乗せた狼剣と聖槍による剣舞を、キリトは踊る。一撃を斬りつける度に、脳裏にマキとの僅かな思い出と声がフラッシュバックしてきた。

 

 

『おねえちゃん、だいじょぶだよ。おねえちゃんはあたしが守るって、そう言ってるじゃん』

 

『そんな事ないよ。あたしがこの中で一番強いんだから、あたしがおねえちゃん達も先輩達も守るんだ』

 

『あたしがおねえちゃんを守らなきゃいけないんだって! 大切な事なので二度言いました!』

 

 

 無邪気で、優しくて、そして本当の強さを持っていた少女が、マキだった。彼女の傍に居るだけで、暖かい気持ちになれる。死の世界にいるにも関わらず、穏やかに笑う事が出来た。

 

 そのマキが変じてしまったモノへ、キリトは乱舞する。

 

 既に斬撃は十回目に及んでいた。またマキの言葉がフラッシュバックする。

 

 

『キリトも、あたしの事はマキって呼んで。そんなこんなで呼ばれ慣れちゃってるから』

 

 

 十一撃目。

 

 

『特におねえちゃんは昔っから怖がりで、弱気で、ほっとけなくて。ずっとあんな感じだから、いつも家族のあたしが何とかしてあげようって思っちゃって。お節介な事もやりまくってると思う。けれどあたしの事を大事にしてくれて、可愛がってくれて……自慢の妹だって言ってくれたんだ』

 

 

 十二撃目。マキの生命は既に半分を切って、オレンジに変色している。

 

 

『だからあたし、最後までおねえちゃんを守り抜くんだ。このデスゲームからおねえちゃんを、先輩達を出してあげるために戦うんだ! そのためなら、いくらでもあたしは強くなる。強くて立派になって、おねえちゃんも先輩達もデスゲームから脱出させる!』

 

 

 十三撃目。気付いた時、マキとの思い出が腕に、狼剣と聖槍に乗っていた。思い出も何もかも失ったマキに、思い出が還っていく。

 

 

『だからキリト、あたしと一緒におねえちゃんを守ってほしい。おねえちゃんと、先輩達と一緒にログアウトするまで、戦ってほしい』

 

 

 十四撃。

 十五撃。

 

 

「……ああああああああああああああッ!!!」

 

 

 渾身の叫びと思いを載せて、キリトは最後の一撃を放った。白水色の光を纏って輝く狼剣と聖槍による左上段斬りを、マキの頭部に叩き込んだ。とてつもない衝撃を受けたマキは上半身をぐらりと言わせて後退する。

 

 

《あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッ!!》

 

 

 しかしそれでも、マキの生命は尽きていなかった。赤く変色したゲージが、後二発分入れれば空になるくらい残っている。セクメトと化しているのが幸運だったのか、終わらせる事が出来なかった。

 

 

「マキッ!!」

 

 

 キリトはもう一度叫んで空中で身を(ひるがえ)すと、力を込めた左腕で聖槍を投擲(とうてき)した。流星のような真っ直ぐな軌道を描いて、聖槍はマキの額に突き立てられる。

 

 それでも尚、マキは倒れない。生命は終わらない。

 

 

「リラン――――――ッ!!!」

 

 

 もう一度渾身の力を込めて腹の底から叫び、右手の狼剣を突き上げる。漆黒の刀身に宿る白き狼龍の文様が刹那で動き出して、光となって剣から飛び出した。光は一瞬のうちに大きな狼龍に変わり、落下するキリトを空中で受け止めて背に乗せた。

 

 狼龍リランは主人を乗せるや否やぎゅんと上空へ飛び上がり、マキを見下ろせる位置でホバリングする。間もなくして、リランの口が炎に包み込まれ、その全身より高熱が発生して、大気が渦を巻いてリランに収束する。

 

 純白の翼の先端が赤橙色に染まり、ごうごうと音が聞こえるようになったタイミングで、キリトは静かに呟いた。

 

 

「終わりにするよ……マキ」

 

 

 頭を振り下ろしたリラン、その身体の奥より、凝縮されていた熱と炎が光線状になって放たれた。

 

 

 《イラハ・シャラーラ》。《女神の炎》に、マキは呑み込まれる。

 

 

 四肢が焼かれ、消し飛び、断末魔すらも焼き切って、生命を焼き払った。それは憎悪と報復心の穢れに染まり切ってしまった身体が、清められているようにも見えた。

 

 結局どこまでも身勝手な償いが成就したその時、マキの身体が白く光り、やがて光の大爆発した。身動きも出来ないまま、キリトはその中へ呑み込まれた。

 

 

 

 

          □□□

 

 

 

 光が収まった時、キリトの居場所は変わっていた。ダークブルーの儀式の間のようなところから、純白が地平線まで続いている空間に変わっていた。

 

 突然そんなところへ飛ばされたにも関わらず、意識はぼんやりはしておらず、寧ろ冴え渡っていた。

 

 その冴えは眼前に佇む二つの人影を認める事で、更に強くなった。人影の正体はサチとマキだった。マキは眠っていて、サチはそれを座った姿勢のまま、優しく抱いている。それは幼い妹を愛おしく思って抱いている姉の様子だった。

 

 その姉妹に向けて、キリトは駆け寄ろうとした。

 

 

「サチ、マキ!!」

 

 

 しかしキリトは二人の傍まで行く事が出来なかった。ある程度進んだところで見えない壁にぶつかり、先に進めなくなったのだ。壁は叩いても壊れないが、向こう側にいるサチとマキの姿をしっかり見せてくれている。どうやっても壊せない、ガラスの壁だった。

 

 

「サチ、サチ……!!」

 

 

 (すが)るような声で呼びかける以前に、サチはキリトを見ていた。とても穏やかで優しいが、儚くて、今にも壊れてしまいそうな表情だった。SAOで《月夜の黒猫団》に加わった時に見ていたサチの様子そのものだった。

 

 

「サチ……どうして、君は……」

 

 

 今聞くべき事ではないとわかっていても、聞かずにはいられなかった。サチは鈴のような声で答えてくれた。

 

 

「私にもよくわからないの。目が覚めたら、いつの間にかアインクラッドから出れてて。でも、身体はもう無くなってて……意識だけがあって……私だけ助かったって、言われて……」

 

 

 似たような話を聞いた事がある。茅場晶彦だ。リラン達の父親であり、全ての元凶である茅場は、自身の大脳に超高出力スキャニングを行う事で、自身を電脳の生命体へ変化させたと聞いた。

 

 そしてそれと似たような事が出来るとも聞いた。ナーヴギアを一年以上ずっと使い続けていた者ならば、そのナーヴギアのデータを引き上げ(サルベージ)する事によって、電脳の生命体にする事が出来ると。

 

 という事は、サチはこの引き上げを誰かの手で行われ、それによって電脳の生命となって生き返ったという事になる。

 

 

「って事は……やっぱり君はサチなんだな? 俺の知ってるサチ、なんだな……?」

 

 

 サチは深く頷いた。キリトの言葉を全く否定していない。

 

 

「うん……また会えたね、キリト。それで……ごめんね、内の事でずっと、苦しめてきて……」

 

 

 キリトはまたはっとする。そうだ、マキはどうなったのだろうか。自分が止めを刺したマキは、それに巻き込まれたサチはどうなったのだ。

 

 

「サチ、マキはどうなったんだ。君は……」

 

 

 サチは俯いた。キリトが小さく喉を鳴らすと、その口を開く。

 

 

「マキはナーヴギアを使って、キリト達と戦ってた。HPが無くなったから、これからナーヴギアに脳を焼き切られて死んじゃう。私もそう。私のHPもマキと一緒になくなっちゃったから……あと少しでマキと一緒に、消えちゃう」

 

 

 キリトはがくりと膝を付いた。辿り着いた結末は、サチもマキも死なせる事だった。最もやるべきではない形で、マキもサチも終わらせてしまった。涙が溢れ出てきて、視界がぐにゃりと歪む。

 

 

「ごめん……ごめん……俺は、結局……君を死なせて……君の大切な妹を傷付けて、苦しめて、狂わせて……救えなくて……こんな事でしか終わらせられなくて……償いなんか出来なくて……俺は……俺は……」

 

 

 SAOを終わらせた英雄。六千人を救い出した、不可能を可能にするキリト。そんな肩書が頭にちらついた。

 

 どれも的外れだ。

 俺は英雄なもんか。

 不可能を可能にする事など出来たものか。

 俺の出来た事は、サチとマキを死なせた事だ。

 

 償わなければならない罪を、最悪の形で終わらせただけだ。

 

 

「俺は英雄なんかじゃない。SAOに勝った勝者じゃない……俺は君を死なせて、君の妹を不幸にさせて、結局同じように死なせた敗者だ。君を、君達を不幸にする事しか、出来なかった……」

 

 

 胸の内から溢れ出る感情を口にしていると、身体がふと前の方に抱き寄せられた。驚きながら目を開けると――いつの間にかキリトとサチを隔てていた壁が消えて、サチの肩口に顔を埋められていた。サチは膝にマキを寝かせて、キリトを抱き締めていた。

 

 

「そんな事ないよ。寧ろ私の方だよ、キリトを不幸にして、苦しめてきたのは。私ね、ずっとキリトの事を見てた。キリトが《SA:O》に来て、しばらくしたくらいに……」

 

「……俺を、見てた……?」

 

「……うん。物陰からこっそり。気付かれるかもしれないって思ってたけど……気付かなかったんだね」

 

 

 《SA:O》では生命が懸けられていたわけではなかったので、あまり物陰を注意する事などなかった。そこにサチが居るなど、考えた事もなかった。

 

 

「けれど、見ていられなくなる時の方がいっぱいあったんだ。私が、私達が死んだ時の事をキリトがどう思ってるかって、わかった時……キリトが、私達のせいで苦しんでるってわかった時……」

 

 

 サチの肩口に、より強く顔が押し付けられる。サチの抱き締める腕に、力が籠っていた。声も震えている。

 

 

「私、それが一番嫌だった。あのデスゲームを生き残ったキリトが、ずっと私達の、私の事で苦しみ続けてるなんて……キリトが、どうにもならないのに償おうとして……私達に縛られてるのが、辛かった。それで、マキも一緒に縛り付けてて……すごく、辛かった」

 

「サチ……俺は……」

 

 

 抱き締めてくれているまま、サチは首を横に振った。

 

 

「償わなきゃいけなかったのは私の方だよ。死んで、終わってるはずなのに、キリトとマキを縛り付けて、動けなくして、苦しめてたんだから。だから私、あなたの前に出ていける時を待って……マキが動き出したところで、出ていけた。

 ……遅いよね。もっともっと早くあなたに会えたかもしれないのに、あなたを止められたかもしれないのに、私に勇気がなかったせいで、キリトもマキも、キリトの仲間の皆も、苦しんで……私のせいで……」

 

 

 キリトは首を横に振り、否定する。違う、違うそうじゃない。君は悪くない。君は悪くないんだ。

 

 

「サチ、君は……君は悪くない。悪いのは――」

 

「――ねぇ、キリト」

 

 

 サチに途中で言葉を遮られ、キリトは向き直る。サチはそっとキリトの身体を離し、顔を合わせてくる。その頬は、少し赤みを帯びている気がした。

 

 

「私ね、あなたの事が好きだった」

 

「……え」

 

「あなたは、私のために戦おうとしてくれた。私なんかのために、力になってくれようとした。私なんかを守ろうとしてくれて……私を最後まで守るって、約束してくれた……それで、本当にそうやってくれて……本当に、私を安心させてくれた……」

 

 

 そうだ。あの時自分はサチを守ろうと本気で考えていた。そしてそれは本当に成し遂げられると、身の程知らずにもそう思い込んでいた。

 

 その守るべき人だったサチの言葉は続く。

 

 

「……そんなあなたの事を見てたら、安心させてくれるあなたと一緒に居たら……傍に居たら……いつの間にかあなたを好きになってた。会って、そんなに時間も経ってなかったのに、あなたを好きだって思うようになってて……けれど、私は勇気も何もないから、そんな事言い出せなくて……」

 

 

 ずっと聞きたかった、サチの本当の気持ち。自分を好きになってくれていたという事実。それは後から気付いた、キリトの胸の中にもあったものと同じだ。あの時自分はサチに対して好意を抱き、愛情を持ち合わせていた。

 

 あの時はまだ自覚がなかったが、もしサチを生き延びさせていれば、きっとその気持ちをいつかサチに打ち明けていたのかもしれない。

 

 

「だから、そんなあなたが……本当に好きなあなたが、死んだ私に縛り付けられてるなんて嫌だった。マキを苦しめるのも、あなたを苦しめるのも……もう、いやだ。そんなの、もう、いやだよ……」

 

 

 キリトは目を見開いた。瞼が動いて、涙がこぼれる。よく見れば、サチの目元にも涙があった。

 

 彼女から見て、キリトは《月夜の黒猫団》の事で苦しんでいるように見えたのだ。その姿を見た彼女もまた、苦しんでいた。

 

 気付かないうちに、自分はサチさえも苦しめていたという事実を突きつけられ、キリトは愕然としそうになる。

 

 

「サチ……俺、は……」

 

 

 直後、サチが顔を上げる。悲しさを感じさせない表情をしていた。

 

 

「キリト、教えて。キリトは私の事、本当はどう思ってくれてた?」

 

 

 急な問いかけだったが、それに対する答えは即座に用意できた。守りたいと思ったサチの事を、力になりたいと思っていたサチの事を俺は――。

 

 

「……好きだった。愛してたって言った方がいいかもしれない。だから俺、君を守りたかったんだ。君を守って、一緒にいたかったんだ……」

 

 

 思った事を素直に言うと、サチの顔は一度ひどく驚いたものになった。しかし見る見るうちに、満面の笑みへ変わっていった。大粒の涙がぼろぼろと零れている。

 

 

「……嬉しい。ありがとう、キリト……こんな私でも、好きになってくれて……愛してくれて……」

 

 

 ――礼を言わなければならないのは、俺の方だ。そう言おうとしたキリトの事を、またもやサチが止める。

 

 

「でもね、キリト。その気持ちはもう、私に向けなくていいよ。今のあなたには私じゃない、好きだって、愛してるって思える人がいるでしょ。本当に守らなきゃいけなくて、支えてあげなきゃいけない人が、いるでしょ。あなたは今、その人のために戦って、その人を守ろうと決めてるんでしょう……?」

 

 

 脳裏に一人の少女の姿がフラッシュバックする。忘れた事などほとんどない少女。心に深く、ひどい傷を負いつつも、自分を信じてくれた女性。こんな自分に愛情を与えてくれた人。だからこそ守り、支えていこうと思っている人の名を、キリトは声無く呟く。

 

 

「……シ……ノン……」

 

 

 サチは笑みを浮かべたまま頷いた。

 

 

「シノンさん、素敵な人だよね。きっとシノンさんの方が、私よりよっぽどキリトの事を愛してると思う。キリトの事を、本当に好きだと思ってると思うよ。だからね、キリト、お願い……」

 

 

 サチはゆっくりと、キリトに体重を預けるようにして倒れてきた。キリトはその身体を優しく包み込むように抱き止める。膝にマキがいるせいか、更に重くて暖かかった。

 

 

「どうか、シノンさんの力になって、守ってあげて。最後まで守ってあげて、一緒にいてあげて……私にそう思ってくれたように、愛してあげて。私達への償いなんかやめて、シノンさんと一緒に居てあげて……私もマキも、《月夜の黒猫団》の皆も、ずっとそう思ってるから……」

 

 

 シノン/詩乃と初めて出会い、少し経った辺りから思い始めた決め事。いつしか決意となり、誓いとなり、使命となったそれは、かつて守ると言ったにもかかわらず守れず、愛していると言えなかったサチへの罪滅ぼし、贖罪だったと、今更ながらキリトは気が付いた。

 

 そして、そんなものをサチ本人は望んでいない。サチが望んでいるのは自分への、《月夜の黒猫団》への罪滅ぼしや贖罪の意識を捨てて、純粋な気持ちで詩乃と一緒に居て、守るために戦い、精一杯愛する事という事だ。

 

 

 これまでやってきた事を、改めて精一杯やって、最後まで続けていってほしい。

 

 

 それがサチの願い。サチの、本当に最期の願いだった。

 

 そんな彼女の心からの願いに対する答えを、キリトは口にしつつ、彼女の身体を抱き締めた。

 

 

「……わかった。君の願いを、叶えさせてくれ……」

 

 

 胸の中で、サチが頷いたのを感じた。間もなくして、視界が白に染まり始める。サチとマキの終わりの時が、来た。

 

 

「……こんな私を忘れないでいれてくれて……大切な妹を止めてくれて……愛してくれて……」

 

 

 胸の内のサチの髪に顔を埋めても尚、視界が白に染め上げられる。

 

 やがて全てが白になろうとした時、確かな声がした。

 

 

 

 ――ありがとう……キリト……私も……愛してる――――

 

 

 

 






 次回、アイングラウンド編、最終回。


















 ――くだらない事、ヒロインズ&キャラクターズのイメージテーマ――


 シノンのイメージテーマ⇒ニーアレプリカントの『イニシエノウタ/デボル・ポポル』

 リランのイメージテーマ⇒ポケモン超不思議のダンジョン『パートナーのテーマ』

 アスナのイメージテーマ⇒ニーアレプリカントの『カイネ/救済』

 ユピテルのイメージテーマ⇒UnderTaleの『UnderTale』『His Theme』

 カイム&ユウキのイメージテーマ⇒深夜廻の『メインテーマ』、『渡月橋~君想ふ~』、『今宵は夢を見させて』
 
 サチのイメージテーマ⇒ニーアオートマタの『曖昧ナ希望/氷雨』

 ハンニバルのイメージテーマ⇒『Dark, Darker, Yet Darker』

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