キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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 アイングラウンド最終話、どうぞ!

 


22:やるべきこと

           □□□

 

 

 

 マキリを止めた後に始まった《SA:O》のメンテナンスは、一日かかっても終わらなかった。特異点の表面化、及びその周りへの影響だけならば、修正も短時間で終わっただろうが、運営システムの乗っ取りというあまりの事態が加わったために、メンテナンスは長時間化したようだった。

 

 今回のメンテナンスは、プレミアとティアの命が懸けられたものでもあった。ユイとユピテルの解析によって、二人は特異点より完全に切り離されたために、特異点の修正に巻き込まれる事はないという話だったが、それでも心配だった。ユイ、リラン、ストレア、ユピテルといった、仮想世界で暮らしている者達でさえ、《SA:O》より追い出される状況だったので、尚更だった。

 

 しかし、結局杞憂に終わった。メンテナンスが終わってすぐにログインしたところ、プレミアとティアの存在がキリト達の家で認められた。彼女達はすっきりした顔をしており、問題の全てが解決した事を教えてくれていた。

 

 《SA:O》のクローズドベータテスト開始時からずっと続いてきたプレミアとティアを取り巻く異変、カーディナルシステムの厄災。それは特異点との戦いを最後にして、終わりを告げた。とうとう、何も不安要素が無くなった世界で、プレミアとティアと一緒に過ごしていく事が出来る。

 

 当たり前に出来ていた事がようやく当たり前になった事がこれ以上ないくらいに嬉しかった。しかし、その事実が分かったとしても、キリトの心は晴れなかった。ようやく全ての異変が片付いたというのに、晴れてくれない心を持ったまま、キリトは今日もまたログインを果たしてきた。

 

 場所はログハウスの二階の寝室。自分が寝落ちする時に使っているベッド。そういえばSAOの時からずっと使い続けている場所。時刻は既に夜の八時を過ぎており、日は落ちている。

 

 人感センサーなど搭載されていない照明の点いていない部屋の中は、夜の帳が落ちていた。別にそれはいつもの事なので気にせず、キリトは起き上がって出口を目指す。ドアを開けると、階段の下から灯りが見えた。一階の灯りが点いているらしい。そして人の気配もいくつか掴める。複数人が既に一階を利用しているようだ。

 

 あまり大きな音をたてないようにして階段を降りていくと、やはりというべきか、リビングの方に複数人プレイヤーの姿が見えた。一人目はシノンだった。そしてもう一人は、この前の最終決戦の時には運悪く参加できなかったイリスだった。彼女達はリビングにあるテーブル、備え付けられた椅子に腰を掛けていた。

 

 キリトの気配に気付くなり、ほぼ同時にその視線を向けてきた。

 

 

「キリト君、こんばんは」

 

 

 最初にそう言ったのはイリスだった。同じ挨拶をしながら、キリトはリビングへ向かい――やがてイリスに声掛けする。

 

 

「……イリスさん」

 

「待っていたよ」

 

 

 「座ると良いよ」。SAOの時にはよく言われたものだが、今のイリスはそう言わない。ここは自分の家だから、座るも立っているも自分の自由だ。丁度シノンの隣の椅子が空いている。キリトはシノンに声掛けしてから、そこへ腰掛けた。

 

 

「イリスさん、今日は余裕があったんですね」

 

「あぁそうさ。この前は余裕を見つけられなくてね。君達に手を貸してやる事が出来なかった」

 

「そんな事ないですよ。俺達だけで何とかなりました」

 

「……辛い思いをしたそうだね」

 

 

 イリスに言われたキリトは俯く。イリスには既に、あの場所での最終決戦の事は話してある。

 

 プレミアとティアを特異点から切り離す事が出来た事、その後でマキリが出てきた事、倒したはずのハンニバルが生きていた事、サチが生きていた事――サチとマキリが一緒に死んでいってしまった事を全て。

 

 だが、それを話したのはユイであり、あの時の全てを知っているわけではない。特にあの時サチが教えてくれた最後の願いなどは、まだ誰も知らない。シノンさえもだ。

 

 そのシノンが、キリトよりも先にイリスに言う。

 

 

「イリス先生……ハンニバルが生きていました」

 

「あぁ。私もびっくりした。あの時、確かにあいつを仕留めたつもりだったんだが……最初から全部あいつが用意した舞台だったとはね。しかもやり口が今の社会や警察やマスコミがまんまと嵌ったのと同じと来た。してやられたよ」

 

 

 イリスは悔しそうに頭を掻く。相変わらず艶のある黒髪だが、その艶に傷をつける事も躊躇っていない。VRだからこそやっている事だろう。現に現実で彼女がこんな仕草を見せた事はない。

 

 

「それでジェネシスもマキリも、最初からハンニバルの指示で動いていたとはね。恐らくだけど、あいつはジェネシスとマキリを通じて、私達の様子やこの世界の状態を伺っていたに違いない」

 

「《エヴォルティヴ・ハイ》っていうデジタルドラッグも、あいつが」

 

「間違いない。あいつはそんなものまで作れるんだ。だけど当然かもね。あいつはこのゲームのシステムを乗っ取ったりもしたわけだし、第一この日本社会の警察やマスコミにクラッキング仕掛けてるんだからね。デジタルドラッグの開発なんかお茶の子さいさいってところなんだろう」

 

 

 警察やマスコミ、公共電波へのクラッキングに成功したのはハンニバルと、その部下であるマハルバルのみだ。他のサイバーテロリストが成功したという事例は確認できていない。だからこそハンニバルとマハルバルはこれ以上なくらいの特異災害とも言えるのだ。

 

 そんなハンニバルからすれば、ジェネシスとマキリの使っていたデジタルドラッグを作る事など容易いのだろう。

 

 

「んで、ハンニバルがマキリを怪物にさせて、君達を襲わせた。けれど、マキリを止めたのは――」

 

 

 キリトはイリスの言葉を止めた。

 

 

「サチでした。ずっと前にSAOで死んだはずの、サチでした」

 

 

 今でもキリトはあの時の事を信じられないでいる。死んだはずのサチが、仮想世界でのみの存在として生き永らえ、マキリを止めに来てくれた。未だにあの時の事は自分の見た都合の良い夢だったのではないかと思う事さえある。

 

 だが、それを否定するのがサチを見たと言う仲間達の言葉、そして彼女自身の言葉だった。イリスが顎元に指を添えつつ、言葉を紡ぐ。

 

 

「……恐らくだけど、前に話したとおりだ。誰かがサチのナーヴギアの中にあったデータを引き上げ(サルベージ)して、彼女を蘇らせたんだ。これは絶対に人の手が必要になるから、自然発生なんて事はない。誰かがサチを蘇らせたと考えるべきだよ」

 

「なら、それは誰なんですか。ハンニバルじゃないですよね? だってハンニバルはマキリを動かして、好き勝手やらせてたのであって……もしハンニバルがサチを生き返らせたんなら、ハンニバルがマキリをサチに止めさせたって事になりませんか」

 

 

 シノンの疑問は(もっと)もだった。ハンニバルがサチを生き返らせたのであれば、最終的にハンニバルは自分で自分の計画を失敗させるような事をした事になる。生き返らせたサチが、計画のために動いているマキリを止めてしまったのだから。

 

 その疑問にイリスは答える。

 

 

「私もそれについて大分考えたんだけど、子供達から聞いた事でわかったよ。ALOの時に殺したハンニバルが、実は《電脳化(アニマライゼーション)》させた須郷先輩を代役に出せたものだったって話と、サチから《アニマボックス信号》を拾ったって話を聞いたからにはね。サチを生き返らせたのはハンニバルだ。ハンニバルは私が持ってる技術をいくつか盗用して、その中の《電脳生命体(エヴォルティ・アニマ)》を作るための《アニマボックス》技術を明確に使ってるからね」

 

 

 キリトはシノンと一緒に困惑した。《アニマライゼーション》、《エヴォルティ・アニマ》。聞いた事のない言葉がイリスの口から飛び出してきている。その意味を確認すべく、キリトはイリスに問う。

 

 

「あの、イリスさん。アニマライゼーションとか、エヴォルティ・アニマって?」

 

 

 イリスは「おや」と言ってきょとんとする。こちらを困惑させている事に気が付いたようだ。イリスは苦笑いしつつ、答える。

 

 

「あぁ、それぞれ私が作った言葉さ。《電脳化(アニマライゼーション)》は電脳になる事――茅場さんと同じになる事で、《電脳生命体(エヴォルティ・アニマ)》は、電脳化した生命体の事さ。もしくはリランやユイ達の事」

 

「リランとユイ達が、電脳生命体?」

 

 

 シノンの問いかけにイリスは頷く。

 

 

「そうだよ。彼女達は皆私が開発した子供達であり、人工知能だ。一般的に彼女達はAIと呼ばれる事になるが、私は彼女達は既にAIという(くく)りで呼ぶべきじゃないと思っている。だから、電脳生命体って単語で彼女達を括ろうかって思ってるんだ。まぁ、まだ予定であって、確定じゃないけれどね」

 

 

 確かにユイ達、リラン達の知能は一般的なAIなど超越しており、技術的特異点(シンギュラリティ)を迎えていると言ってもいい。そんな彼女達に相応しい分類はAIではなく、電脳生命体という新たなもの。イリスなら考えそうな事だが、その電脳生命体という単語が一般世間に流れ、定着するかは怪しく感じられた。

 

 そしてそんなイリスの話の中に、明らかに引っかかるものがあった。

 

 

「イリスさん、サチからアニマボックス信号って!?」

 

「そのまんまだよ。ユイ達がサチからアニマボックス信号があったって話があったんだよ。あの子達、相当驚いていたみたいだけれど、聞いてなかったのかい」

 

 

 その話はまだされていなかった。だが、確かにあの時ユイ達はサチの出現に妙に驚いているように感じられた。サチが現れてきた事自体が驚くべき事だったが、さらに驚くべき事に出くわしたような感じだった。

 

 

「どうしてサチからアニマボックス信号が……」

 

 

 アニマボックスの制作第一人者は、表情を少し険しくした。

 

 

「多分だけど、サチを生き返らせるのに必要だったんだろう。ナーヴギアからデータを引き上げたのはいいが、そのままでは動かせない。ゲームソフトで遊ぶためにゲーム機が必要なのと同じ――ゲームソフトだけがあっても意味はない。

 だからハンニバルは、私から盗んだアニマボックスの技術を使って適応したんだ。それで、アニマボックスという器を得られたサチは、電脳生命体として蘇った。そんなところじゃないか」

 

「サチが、リラン達と同じになって生き返ってきた……」

 

 

 シノンがどこか信じられないような顔をしている。恐らく自分もそうだろう。だが、イリスが嘘を言っているような様子はない。イリスの言っている事は、きっと真実なのだろう。全てが仮定の話のはずだが、信憑性があった。

 

 

「また多分だけど、ハンニバルにとってはサチの動きさえも実験、計画の段階だったんだ。マキリのやった事が頓挫したのも、それ自体が大きな演習だったと言えるかもだね。ハンニバルはマキリにあんな事をさせつつ、サチに阻止させたんだろう」

 

「マキリもサチも全部ハンニバルのために……」

 

 

 そう思うと、怒りが湧いてきた。ぎりぎりと拳に力が込められる。マキリは自分への報復に取り憑かれ、そのためだけに生きてきた。だが、その中でマキリはサチに再び会う事に成功し、サチもまた生き返る事が出来た。そしてその姉妹は――この世界を守るために、死んでいった。

 

 この悲劇の全てが、ハンニバルの計画した演習。

 

 

「ハンニバル……なんでこんな事を」

 

 

 キリトの呟きに、掌を広げたイリスは応じる。

 

 

「そんなのわかりっこないよ。日本社会に攻撃するかと思えば、重要機関に隠れてた反社会組織、国家転覆を狙ってた潜伏者(テロリスト)の存在と犯罪を暴き出して追放させ、逆に日本社会の機密性と防御力を底上げさせて良い方向に動かして見せた。これだけならまだしも、PoH(プー)、須郷先輩、セブン、ジェネシス、そしてマキリを操って動かしていた。やってる事はてんでばらばらで、一貫性がない。何のための演習と実験なのか。ハンニバルの行動は実によくわからないよ」

 

 

 イリスの言う通り、ハンニバルの行動理由や目的は何一つ掴めなかった。SAO、ALO、そして《SA:O》といった自分達の行くところの先々に、刺客や工作員と思わしき者達を送り込んで来ている。だが、何のためにそんな事をしているのか、最終的に何をするのが計画の結末なのか、全く判明させて来ない。

 

 少なくともわかる事と言えば、未だハンニバルの計画は半ばにある事、それによって今後自分達に絡んで来る可能性が十分にあるという事だ。ALOでハンニバルの演出に引っかかった自分達は、まんまとそのとおりにハンニバルが死んだと思い込み、もう襲われる事も無ければ、脅威を取り除いたと思い込んでいた。

 

 実際は、今後もハンニバルと関わり、もしくはハンニバルの関わった事件などに巻き込まれていく危険性がある。未だに自分達はハンニバルとの戦いを終えられていない。今後どのような形でハンニバルが攻め込んでくるか、警戒する必要がある。見えない脅威との戦いが始まったという事だ。

 

 一人考え事を進めるキリトに、イリスはもう一度声を掛けてきた。

 

 

「ただ、あまり気にしすぎるのも疲れるというモノさ。ハンニバルの動きについては今後気を付けていくという事で……キリト君。マキリだけど……やっぱり死んでたんだってね」

 

 

 改まった様子のイリスに問われたキリトは下を向く。あの戦いの後、ナーヴギアに脳を焼かれて死んでいる少女が発見されたニュースがあった。名前は報道されなかったが、彼女はナーヴギアにインストールされていたゲームで遊び、その末にナーヴギアに脳を焼かれて死んだと発表された。

 

 それこそがマキリだったに違いなく、そのニュースを見た時の胸の痛みは今でも鮮明に思い出せる。だが、このニュースは妙だったという事に、キリトは後々気付く事になる。

 

 ナーヴギアは、SAOでゲームオーバーになった人間しか殺せないのだ。その他のソフトでゲームオーバーになろうとも、同じ事にはならないと実証されている。最早SAOはどこにもないので、例え存在していても、ナーヴギアが電磁パルスで使用者の脳を焼き切る事は出来ないはずだ。

 

 

「なんでマキリはナーヴギアに脳を焼かれたんですか。ナーヴギアはSAOでしか電磁パルス攻撃を作動させないんじゃ?」

 

 

 イリスは疑問に答えた。表情に悲しみの色が混ざる。

 

 

「……《SA:O》だよ。《SA:O》はSAOと基幹システム、基礎プログラム群が全く同じで出来ている。だからナーヴギアで《SA:O》を遊ぼうものならば、ナーヴギア側がSAOでゲームオーバーになったと誤解して、電磁パルス攻撃を実行してしまうようになってたんだ。これは《SA:O》製作者にとっても盲点だっただろう。如何せん今はナーヴギアは政府に完全回収されたからね。《SA:O》をナーヴギアで遊ぶ人間が現れるとは、思いもしなかったんだ」

 

 

 確かに今、元アーガスが作り上げた悪魔の機械であるナーヴギアが、政府によって回収されている。そして後でわかった事だが、それらがスクラップにされたというのは偽情報(カバーストーリー)であり、実は政府の管理施設で貯蔵されているという。そんなもので《SA:O》が遊ばれる事など、セブンを含めた《SA:O》の開発陣、運営は想定していなかったのだろう。寧ろ想定しろという方が理不尽だ。

 

 そしてマキリは奇跡的にも、ナーヴギアを付けた状態で《SA:O》でゲームオーバーになる事は、あの時以前には無かったのだろう。彼女の恐るべき戦闘能力から、それを察する事は出来た。

 

 

「……それで、キリト君。サチと話をしたんだろう」

 

 

 キリトはハッとして顔を上げる。イリスは鋭い目でこちらを見ていた。重要な事を聞き出そうとしている視線、もしくはやるべき事を思い出させようとしているかのような視線だった。

 

 

「キリト、それって?」

 

 

 更にシノンも声を掛けてくる。

 

 そうだ。あの時自分は消滅していくサチと話をし――その願いを聞き届けたのだった。これまで仲間達にも、シノンにさえも話していなかったが、ようやくその時が来た。

 

 

「はい。サチと、最後の話をする事が出来ました」

 

「それ、私達に話せる事かい。ならば話を聞かせてほしいんだ。その事で大分君は苦しんでいるって話だったからね。……元だとしても、精神科医である私としては聞き逃せない」

 

 

 元精神科医であり、シノンの主治医だったイリスに、キリトは話した。サチから教わった事、その願いを全て。流石にサチの恋心の事は話さなかったが、話せる限り全てを話した。

 

 話が終わるとイリスは深い溜息を吐き、シノンは瞬きを繰り返していた。

 

 

「なるほどね……もう君に苦しんでほしくないって、彼女は思ってくれてたのか」

 

「はい。サチは言ってくれたんです。もう《月夜の黒猫団》の事に悩むのはやめて、生きてほしいって。それで……愛している人を、もっといっぱい愛してやって、一緒に居てやってほしいって。そう言って、彼女は消えました」

 

 

 それこそがサチの願いだった。自分へ向けてくれていた愛情を、今愛している人に向けてほしい、それをずっと続けていってほしい。その時の声は、顔は、今でも忘れられない。忘れてはならない。

 

 

「そうかい。てっきり恨み節の一つや二つぶつけられたんじゃないかって思ってたんだけど、余計な事だったね。それで、君はどうするつもりだい。サチにそう言われて、そう頼まれてさ」

 

 

 イリスのそんな問いかけには、既に答えを用意してあるし、それはサチ自身にも告げている。その時の事を思い出すように、キリトはもう一度言った。

 

 

「やっと、吹っ切れた気がします。俺のやるべき事は《月夜の黒猫団》について悩む事とか、後悔する事じゃなく、今一緒に生きてくれている人と一緒に生きていく事、その人を生涯守っていく事だと思いました。その人こそが……シノンです」

 

 

 シノンの目が少し見開かれる。改めて言われて驚いたようだ。キリトはその手をシノンの手へ伸ばし、包み込んだ。

 

 

「サチの事は大切な思い出の一つとしておきます。俺が好きな人は、愛してるって言える人はシノン――詩乃だけです。もう、サチみたいな事は繰り返したくはありません。だから俺は……ずっと詩乃を守って、一緒に年を取っていきます。どんなに苦しくたって、詩乃を支えますし、守ります。最後の時まで、一緒に居ます」

 

 

 心の奥底に刻み込むように、キリトは宣言する。自分のやるべき事、サチのためにするべき事、サチの願い。それら全てをイリスに、大切な人であり、守るべき人であるシノンに向けて言い放つ。言い終えた時には二人とも黙っていたが、やがてイリスは口を開いた。

 

 

「……それって、要するにどういう事かわかるかな?」

 

「え? 要するにどういう事って……」

 

 

 キリトはきょとんとした。自分の言った事は要約するとどういう事なのか。答えを導き出そうとしたその時に、イリスは噴き出して笑った。

 

 

「キリト君がシノンを支えて、愛して、守ってをずっと続けていく。それって結局いつもの事じゃあないか。君がやるべき事だって私達に言ってる事じゃあないか」

 

 

 そう言われてキリトは「あ」と言ってしまった。高らかに宣言したのはいいが、その内容はこれまでやってきた事をやり続けるという、何ら特別性も変化もないものだった。いつもやっていたから、高らかに宣言する必要のない事だ。今更ながらその事に気が付き、恥ずかしさが胸の内から込み上げてくる。

 

 その事に気が付いたのか、イリスはわぁっと大笑いして見せた。それでも人をからかったり、馬鹿にしていたりするわけではない、大らかな笑いだった。それを収めると、イリスは穏やかな顔で向き直ってきた。

 

 

「つまり君のやるべき事は、これまでやってきた事を続けていけばいいだけ。これまでどおり過ごしていって、詩乃と一緒に居て、恋人を続けていけばいいだけだ。サチにも頼まれたんだし、そもそも辞める気もないだろう?」

 

「はい。俺はずっと続けていくつもりですよ。詩乃と一緒に居る事も、詩乃を守る事も、家族で居る事も。サチが言ってくれなくても、そうやっていくつもりでした」

 

 

 サチにあぁ言われた事は全くの偶然だったと言ってもいい。例えサチがあの時別な事を言ったとしても、キリトはやるべき事と決めた事をやり続ける事を選んだ。あの時偶然、サチが背中を押してくれたようなものだった。

 

 そんなキリトの宣言を再度聞いたイリスは深く頷き、顔を向けてきた。穏やかな微笑みを浮かべている。

 

 

「それならいいんだよ。サチが出てきた事で、君がシノンを守ろうとする事、シノンと一緒に居る事を放棄するなんて事にならなかったなら、それでいいのさ。もしそんな事になってたら、私は君にシノンを任せようとした自分と、シノンを放り捨てた君に深く深く呪いをかける事になっていたかもしれないからね」

 

「の、呪い!?」

 

 

 穏やかな顔しているイリスから出てきた言葉に驚く。シノンも同じように驚いていたが、やがてイリスはまた笑い、言い返してきた。

 

 

「何、冗談さね。とにかく君の決意が揺るぎないものだったとわかって、嬉しかった。

 シノン。君はどう思うかな、キリト君の事」

 

 

 問いの先を向けられたシノンに、キリトは向き直る。彼女もまた――決意を固めたような顔をしていた。

 

 

「私も同じです。キリトと、和人とずっと一緒に居たいです。和人と一緒なら、どんなに苦しい事も乗り越えられますし、どんなに怖い事が起きても、和人と一緒なら立ち向かえます。和人は私の全てを任せられる人です」

 

 

 一度言葉を区切ってから、シノンは改まって言った。

 

 

「だから私、今よりもっと強くなりたい。私を守ってくれる、私を支えてくれる和人を、同じように守ってあげられるように、恐ろしい事にも一緒に立ち向かえるように、強くなりたいです。強くなって、和人の隣に居たいです」

 

 

 いつまでも守られてばかりの私じゃない、和人を守るのもまた私だ――シノン/詩乃は確かにそう宣言していた。和人に任せきりではなく、和人に守られっぱなしでもなく、自分も一緒に戦い、立ち向かい、支える。そんな意志が認められて、キリトは胸の内が熱くなったような気がした。それは詩乃/シノンが与えてくれる安堵だった。

 

 ここまで自分に安堵を与えてくれるシノンを守るという使命、やるべき事とは、とても重大で大切な事なのだ。

 

 ここまで俺を思ってくれる人を守らないでいるわけにはいかない。サチの願いを抜きにしてもだ――キリトがもう一度自分の責務を実感すると、イリスは静かに、穏やかに笑った。

 

 

「……詩乃、本当に良い人に会えたわね。切っ掛けは全くの偶然だったけれど、詩乃を和人君に会わせる事が出来て、本当に良かったわ」

 

 

 本来の喋り方をして、イリスはキリトに顔を向ける。

 

 

「これからも詩乃をよろしくね、和人君。あなたが詩乃を支えてくれる、助けてくれるのを続けていくっていうなら、わたしも全力で応援するし、手も貸すわ。全力であなた達の味方でいるから」

 

 

 キリトは深く頷き、答えた。

 

 

「はい、任せてください。愛莉先生」

 

 

 思わず本名で呼ぶと、イリス/愛莉は「すすっ」と笑った後に、

 

 

「よろしいッ!」

 

 

 と一言言って大きく笑い出した。その笑いに誘われるようにして、キリトもシノンも一緒に笑った。

 

 部屋の中が一瞬笑いで騒がしくなったその直後に――突然玄関の扉が開け放たれた。全員で少し驚きつつ向き直ると、そこには二人の少女が姿を見せていた。プレミアとティアだった。

 

 

「プレミア、ティア」

 

「おやおや我が子達、どうかしたのかね」

 

 

 キリトに続いて愛莉/イリスが言うと、二人はそそくさとキリトの方へ向かってきて、プレミアが開口した。

 

 

「キリト、ピクニックに行きましょう」

 

「は!?」

 

 

 まるでプレミアの口がびっくり箱になっていたようだった。挨拶もなしに唐突に言ってきた。三人して驚いていると、プレミアは続けてきた。

 

 

「ピクニックに行きましょう、キリト」

 

「いやいやいや、待ってくれ。なんで急にピクニックなんて言い出したんだ」

 

「わたしは皆とピクニックを出来ましたが、ティアは出来ていません。ティアも一緒にしてピクニックしましょう」

 

 

 確かにティアを加えてのピクニックはやった事がない。プレミアは前回のピクニックを大変楽しんでいたので、その楽しさをティアに教えたいのだろう。だが、今は既に八時を廻っており、ピクニック時ではない。

 

 それを真っ先に、シノンが伝える。

 

 

「あのねプレミア。ピクニックっていうのはお昼にやるものなのよ。今はもう夜だから、ピクニックは出来なくて」

 

「いいえ、出来ます。星空ピクニックです。青空の代わりに星空の下でピクニックしましょう。今の天候は最高のロケーションです」

 

 

 星空ピクニック――そんな言葉の登場にキリトはずっこけそうになる。確かに星空を見ながらのピクニックというのも良いだろう。そんな事を思い付いたのは、もしかしたらあの時プレミアに星空の話をしたせいかもしれない。

 

 あの時教えた事が、巡り巡って変な形になって戻ってきたのだ。

 

 

「なるほど、星空ピクニックとは考えたものだ。だけどプレミア、それは正確にはキャンプっていうんだよ」

 

「「キャンプ……!」」

 

 

 イリスに言われ、プレミアとティアは目を輝かせる。お互いに身長も体格も大幅に異なっているが、様々な事柄を勉強中であるという事は何も変わっていない。それこそがプレミアとティアを双子たらしめる要素であった。

 

 キリトは少し焦り、二人に話しかける。

 

 

「二人とも、そんなすぐにキャンプなんかできないよ。第一皆だって集まってきてないし、抜けてる奴も多いだろ?」

 

 

 答えたのはティアだった。

 

 

「いいえ、皆もう現地に集まってる。後はキリトとシノンと、イリスが来れば完璧」

 

「なんだって!?」

 

 

 プレミアとティアの二名による連続爆撃に驚かされっぱなしになっている。その言葉の真偽を確認すべく、フレンドリストを確認すると、確かに仲間達全員のログインと、全員がここジュエルピーク湖沼群最北部に集まっている事がわかった。だが、そんな話は聞いていない。

 

 

「キリトとシノンは落ち込んでいるだろうから、驚かせてあげようという事で、黙ってました」

 

「こういうのをサプライズっていうのを、リラン達が教えてくれた」

 

 

 プレミアとティアから説明に、キリトははっとした。確かに仲間達には落ち込んだ様子を見せてきていたし、心配の言葉を掛けられる事もあった。そんな皆が自分の事を思ってくれて、今回の星空ピクニック――キャンプというべきか――を企画してくれたのだろう。二人はそれを告げに来たのだ。

 

 

「そういう事、だったのか。皆がやってくれてるのか」

 

「そう。皆、キリトとシノンとイリスを待ってる。だから早く来てほしい。皆でキャンプしよう」

 

 

 ティアが急かすように言うと、イリスが椅子から立ち上がった。その視線は家の玄関に向けられている。

 

 

「良い仲間に囲まれてるね、キリト君は。そんな人達を待たせておくわけにはいかない。そうだろう?」

 

「……はい。待たせたくないです」

 

「それなら、早く行かなきゃだよ」

 

 

 イリスに続けて、シノンが立ち上がり、手を差し伸べてくる。

 

 

「こうなったら、行くしかないわ。皆一緒のキャンプ、やりましょ。キリト」

 

 

 キリトはシノンの掌を見つめる。自分のやるべき事とは、《月夜の黒猫団》の事を後悔するのではなく、あの時の事を繰り返さないように、今いる仲間達と過ごし、彼らを守っていく事だ。その中で最もシノンが大切だが、皆の命が同じように大事で、守るべきものであるというのに変わりない。

 

 ――誰もが、自分と繋がってくれる生命達だ。そんな仲間達の誘いに、乗らないわけにはいかない。

 

 キリトは椅子から立ち上がると、シノンの手を握り、

 

 

「わかったよ。早く行こうか、皆のところに!」

 

 

 強く言い放った。全てが過ぎ去った後の、全てが許されたかもしれない後の、最初の大きな出来事が始まろうとしていた。

 

 

 

 

《キリト・イン・ビーストテイマー アイングラウンド 終わり》

 




 
 次に元ネタと軽いあとがきで、終わりです。
 もう少しお付き合いしてくりゃれ。

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