キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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05:歌姫と使徒

          □□□

 

 

 戦いを終えた翌日の昼間、青年は街へ足を運んでいた。使用時以外は重苦しくて仕方がない《鎧》を脱ぎ去っているために身体は軽く、足の運びもまた同じように軽い。《鎧》を着ている時の感覚が身体を鍛えてくれているらしかった。

 

 おかげで、あまり好意的ではなかった外出も軽々と出来るようになった。気持ちも軽くなってきているような気もした。

 

 

「どうしたんだい、ユナ」

 

 

 そんな青年は、街中でも人通りの少ないところにある、小さな台に腰を掛けている少女に話しかけた。白、黒、赤の三色、そのうち黒を基調としたポップな衣装に身を包む少女は今、空を見ている。

 

 しかし空とその目の間には、金色の小さな珠が割り込まれており、その金色の珠こそが少女――ユナの見ているものだった。

 

 

「ねぇ、これって何なの? よくわからないんだけど」

 

 

 ユナは首を傾げながら珠を見続けている。その様子は興味深い物を見つけた子供のようにあどけなく――青年からすれば、愛おしく感じられた。そんな気持ちを胸にした青年が答えるよりも前に、ユナに答える声があった。

 

 

「皆がお前の歌に感動した証拠だよ。いや、皆が《お前を大好きだと思っている気持ち》が形になったモノだ」

 

 

 青年にとってはとても馴染みのある声は、少年のものだった。声のしたところはユナの近くだったが、そこに実際に少年はいる。

 

 男にしては珍しい、黒いセミロングの髪で、前髪で右目を隠しているのが特徴だ。その上から背面が黒、前面が水色のケープを着込んでフードを被っているのだが、下半身は黒い短パンで脚を見せつけているという、アンバランスな服装をしている。

 

 

「ふぅーん、そうなんだ」

 

 

 少年の答えに、ユナはそう答える。あまり納得している様子はないようだが、興味はあるらしい。

 

 ユナの手元には透明なガラスのポットが持たされており、その中にユナの指先で持たれている金色の珠と同じものが二十個前後転がっている。それは――ユナの近くにいる黒髪の少年から抽出されたものであるという事を、この場にいる全員が知っていた。

 

 ユナは黒髪の少年に向き直り、笑顔になる。

 

 

「って事はさ、ヴァンは私の事をすごく大好きだって思ってくれてるって事だよね。この中に入ってるの、全部ヴァンが持ってたわけだし。これ全部、ヴァンの《大好きの気持ち》でしょ?」

 

 

 ヴァンと呼ばれた少年は、若干はにかんだような顔をして答える。

 

 

「……そういう事だな。そこにあるのはお前のためにおれが出したモノだから、な……」

 

 

 ユナは台から飛び降りると、屈み込んでヴァンと目の高さを同じにし、増々笑顔になった。

 

 

「ふふん、ありがとうねヴァン。私の事を大好きって思ってくれて」

 

 

 ヴァンはユナの瞳と自身の紅い瞳を合わせたが、先程のようにはにかんだりしなかった。やがてその視線をユナの持つ透明ポットに向ける。

 

 

「……もう一度言うが、そこに集まるのは《ユナが大好きだという気持ち》の結晶だ。それが沢山あるって事は、それだけ皆がユナを大好きだと思ってくれてるって事だ。もっと沢山集めたいだろ?」

 

「うん。もっともっと集めたいな! 皆の私への《大好きの気持ち》!」

 

 

 幼子のようなユナの笑顔を認め、ヴァンも青年も微笑む。ユナのあまりに無邪気で愛おしいその笑みは何物にも代えがたく、尊く、眩しい。だからこそ青年は必死になれる。ユナのために、必死に戦えるのだ。

 

 そんな青年と志を同じくするヴァンは、ユナの近くから青年の近くへ歩み寄った。

 

 

「……やはり、おれのだけじゃ不足している。彼女の近くにいたおれなら、十分だと思ったのに……すまない」

 

「謝るな。ヴァンは悪くない。寧ろヴァンのおかげで、あれはここまで集まってるんだ。ヴァンがいてくれなかったら、もっと少なかった」

 

 

 すまなそうにしていたヴァンは顔を上げるが、その表情は険しくなっていた。

 

 

「そう言ってもらえると嬉しい。けど、あれがもっと沢山ほしいっていうユナの気持ちは、おれも同じだ。お前だってそうだろ」

 

「そのとおりだ。だから沢山手に入れる。いや、これから沢山手に入るさ」

 

 

 ヴァンが青年の手元にある一冊の本に目を向ける。青年は本を開き、栞を挟んだページを捲った。

 

 

()()()()()()()、こいつら全員に復讐すれば、うんざりするくらい手に入る」

 

 

 ヴァンが背伸びして本を覗き込んでくる。やがてその目は強い意志の光を宿した。ヴァンが青年の同志である証だ。その同志に、青年は再度声掛けする。

 

 

「そのためには、引き続きお前の力が必要だ。頼りにしてるぞ」

 

「こっちこそ頼りにしてる。必ず成し遂げるぞ」

 

 

 瞳の光を移したかのような、強い意志を込めた声に青年は頷きを返した。この少年こそが、自分の手に入れた新しい力であり、不可能を可能にする魔法だった。この魔法の力こそあれば、今度こそ失敗しない。

 

 自分のやるべき事は、必ず成し遂げられる。

 

 

「それで、今日はどうする。どいつを狙うんだ」

 

「……昨日の奴の、仲間全員だ。昨日みたいな誘い込んでの奇襲は難しいかもしれない」

 

 

 青年は見せているページの左上部を指差す。ヴァンの視線が向いたところで改めて確認する。《ギルド名:風林火山》、メンバーはクライン、カルー、ジャンウー、アクト、オブトラ、トーラス。このうちの一人、トーラスは既にヴァンの手で目的が済んでいるが、五人も残っている。

 

 五人を奇襲するのは難しいだろう――そう思う青年と、ヴァンの思いは逆だった。

 

 

「五人だろうが六人だろうが関係ない。全部ユナのために奪ってやるまでだ。それに()()()()だけじゃない、()()()()ならもっとユナの記憶を持ってるはずだ。動けてたおれとは違うが、同じ命令上ユナを見てたはずだからな」

 

「そいつらを狙った方が良いか?」

 

「いや……今はまだこいつらを優先する。だけど、きっとそのうち出てくるはずだ。その時叩き潰して、奪ってやるんだ。それがいいだろ、鋭二(えいじ)

 

 

 幾分かは私情も挟んでいるのだろうが、ヴァンの言った事は最もだ。同じようにユナを見ていたならば、必要な物を彼女らは持っているだろう。

 

 そいつらを狙わない理由は存在しないし、ヴァンならばまともに戦う事も出来る。いや、圧倒できるだろう。

 

 青年――鋭二はヴァンに向き直った。

 

 

「そうだな。今は目の前の目的に集中しよう。今日も頼むぞ、()()

 

 

 ヴァンの別名を呼ぶと、そのヴァン/ネモは上を眺めた。

 

 

「……お前らは傍観に徹してユナを救わなかったクズだ。そしてお前らの持ってる物はユナに還すべきモノなんだよ。

 

 

 ……必ずぶちのめしてやるぞ、クソ()()にクソ()()ども」

 

 

 

 

 

          □□□

 

 

 

 

 夜の八時五十分を過ぎた頃、明日奈は家を出ていた。普段はこの時間に外出する事などないが、今夜に限っては外出するための用事が出来ていた。

 

 家から少し離れた、うんと広い公園の中に入ると、沢山の人影が認められた。どれもが自分と同じくらい、もしくは自分より少し上くらいの年齢の若者達だ。全員、自分と同じ目的を果たすためにやってきているようだ。その証拠に、若者達の左耳には白いインカムのようなマシン、オーグマーが装着されていた。

 

 東京都内で八時頃に若者達が集まる事は珍しくないが、昼間と錯覚するくらいの熱気を帯びる事はない。だが、この広大なスポーツ公園の中に満ちる空気、若者達のやる気は昼間ではないかと思わせるくらいのものだった。

 

 

「やっぱり人が多いね。皆《英雄の使徒》を探してるのかな」

 

 

 明日奈の問いかけに、答える声があった。聞き慣れた少年の声色だ。

 

 

「間違いないです。皆さん《英雄の使徒》と戦うために来てるのでしょう」

 

 

 右隣を見てみれば、先端が白銀である事以外は自身と同じ栗色の毛、琥珀色の瞳をしている小さな少年が姿を見せている。如何にも十歳の男の子が着るものといったイメージの服装に見を包んでいたその少年は、明日奈の息子であるユピテルであった。

 

 そのユピテルが口にした《英雄の使徒》とは、オーディナル・スケールに出現するという、ユピテルの姉であり、自身の親友であるリランと同じ特徴を持ったボスモンスターの事だ。

 

 他のボスモンスターと比べてかなり強く高いステータスを持っているが、無事に撃破できれば膨大なポイントやクーポンをもらう事が出来、なおかつランキングを跳ね上げられるメリットを持っている。戦う際はハイリスクであるが、勝利した際のリターンもまた大きい。

 

 この英雄との使徒と戦い、勝利をするために、オーディナル・スケールのプレイヤー達はボスモンスターが出現するイベントバトルに積極的に参加するのだ。ここに集まっているプレイヤー達もまた、《英雄の使徒》を求めてやってきた若者達だろう。

 

 

「けれどかあさん、和人兄ちゃんの言っていた事は本当なのでしょうか」

 

 

 ユピテルの問いかけに対する答えこそが、明日奈がここに足を運んだ理由であった。昨日の都内で行われたオーディナル・スケールのボスバトルに、《英雄の使徒》が出現した。その《英雄の使徒》と戦ったのが和人達なのだが、その和人が気になる事を報告してきた。

 

 《英雄の使徒》と戦った際に、「スイッチ」と声掛けしてきたプレイヤーがいたというのだ。

 

 「スイッチ」とはSAO生還者達のみがその意味を知っている戦闘用語であり、他のゲームのプレイヤーは知り得ない。SAO事件記録全集という本も出回っているが、そこにはスイッチという用語の事など書かれていないので、本を読んでも攻略組と呼ばれた自分達の戦闘内情など知る事は出来ないはずだ。

 

 なのにそれを知っているという事は、つまりそのプレイヤーが自分達と同じSAO生還者、志を同じくした者かもしれない。それが和人からの報告だった。

 

 そしてそのプレイヤーは、もしかしたら《英雄の使徒》を求めて戦っているかもしれなく、《英雄の使徒》と出会えば、同じように出会う事が出来るかもしれない。

 

 もし上手く行けば、話を聞く事が出来るかもしれない。同じ死地を乗り越えた者同士なのだから――そう思った明日奈は、今夜この公園で開催されるオーディナル・スケールのボスバトルを求め、足を運んだのだ。

 

 《英雄の使徒》も、ユナがくれる祝福も正直興味がない。そのSAO生還者かもしれないプレイヤーに会うために、ここにいるのだ。

 

 

「わからない。けれど、和人君が嘘を言ってるとは思えないよ。だから、きっとここに来ると思うの。もし会えたら話を――」

 

「あれ、明日奈ー!」

 

 

 不意に呼ばれて、明日奈は少し驚きつつ振り向いた。夜の公園の入り口付近から歩いてくる人影が二つ。一人はショートボブにした、日本人にしては珍しい金色の髪、青い瞳が特徴的な少女で、もう一人はショートとセミロングの間くらいの黒髪で、もみあげの辺りを白いリボンで結わえている髪型をした黒い瞳の少女。

 

 SAO生還者の一人であり、自身と親しい友人である竹宮(たけみや)琴音(ことね)朝田(あさだ)詩乃(しの)の二名だった。琴音が手をこちらに振っているので、声の主は琴音だったらしい。

 

 

「シノのん、琴音!」

 

 

 まさかの友人達の登場は驚くべき事であり、喜ばしい事だった。嬉しさを胸に抱いた明日奈は二人に歩み寄る。勿論ユピテルも一緒だ。そのユピテルがまず、二人に挨拶をする。

 

 

「こんばんは、詩乃姉ちゃん、琴音姉ちゃん」

 

 

 二人共しっかりとユピテルに「こんばんは、ユピテル」と挨拶を返した。引き継ぐように明日奈は二人に声をかける。

 

 

「珍しいね、二人が来るなんて」

 

「そう言う明日奈がここにいるのが一番意外だよ。明日奈もオーディナル・スケールやりに来たんだよね?」

 

 

 琴音に明日奈は頷く。

 

 

「うん、オーディナル・スケールしに。二人もそうなんだ」

 

「勿論そのとおりだよ。なんだっけ、《英雄の使徒》? そういうレアボスモンスターが出てくるって聞いたら、ボスバトルに行きたくなっちゃって」

 

 

 VRMMOではトレジャーハンターを自称し、実際にお宝探しやレアアイテム探しを好んでいるのが琴音だ。彼女にとってはレアなものならば何でもお宝であり、探し出さずにはいられないものなのだろう。舞台が現実だろうと、その姿勢が変わらないのは、好ましかった。

 

 

「それでここに来たら、途中で詩乃に会って。これが一番びっくりだったよ」

 

 

 琴音に言われた詩乃に、明日奈も目を向ける。和人が一緒ならば納得だが、詩乃一人だけが来ているというのは、確かに意外だ。

 

 

「えぇ、私も参加したくなったの。だから来てみたわけ。それで琴音も居て、一緒になったの」

 

 

 詩乃が居るところには基本的に和人が居て、その隣にリランが居るのがお約束のパターンだ。詩乃がいるならリランも居るのではと思って内心期待したが、そうでもなかった。それでも詩乃に会えたのは嬉しいが。しかし疑問もあり、明日奈は問いかける。

 

 

「シノのんがこんな時間に、和人君とリランなしで来るなんて。何か気になるものでもあった? やっぱり《英雄の使徒》?」

 

 

 詩乃は一瞬はっとしたような顔した。すぐにそれは、少しだけ険しいものに変わる。

 

 

「……もしかしたら、乗り越えられるかもしれないの。オーディナル・スケールには、その可能性があるかもしれないのよ。だから、私一人でここに来たの。私一人でなんとかしないといけない問題だから」

 

 

 そう言われて明日奈は目を見開く。ずっと前に聞かされた、詩乃の中に眠る病。いつ目を覚まして彼女を苦しめるかわからないモノ。

 

 それと戦うために、詩乃はここに来ている。詩乃はオーディナル・スケールのボスとも、《英雄の使徒》とも戦いに来ているのではない。自分の中に宿るモノと戦いに来ている――明日奈は直感でそう思った。

 

 だからこそ、心配になった。

 

 

「そう、なんだ。でも、無理したら駄目だよ、シノのん」

 

 

 詩乃は何も言わなかった。ただ若者達が集まる空間を見ているだけだった。きっとこれから戦うべき相手の事を想像しているのだろう。そんな詩乃に、続けてユピテルが声掛けする。

 

 

「かあさんの言うとおりです、詩乃姉ちゃん。無理は絶対に駄目です。それでもし苦しくなったら、ぼくに頼ってくださいね」

 

 

 詩乃はきょとんとして、ユピテルに向き直った。その言葉に戸惑ったようだ。

 

 

「え? それってどういう」

 

「ぼくは今、かあさんのオーグマーに本体を移しています。このおかげでオーグマーを使っている人にも力を使えるようになったんですよ」

 

 

 ユピテルは嬉しそうに主張していた。数日前にリランからやり方を教わって、明日奈はユピテルのバックアップとコピーを実行し、パソコンの中にあったユピテルの本体をオーグマーに移した。

 

 これによりユピテルは、オーグマーを使っているプレイヤーの項に手を当てて力を使う事で、VRMMOの時と同様に治療を行う事が出来るようになったのだ。ちなみに昨日里香の総カロリー量を閲覧できたのも、本体がオーグマーにあるおかげだ。

 

 それだけじゃなく、オーグマーが電池切れになっていない限りは、どこにでも瞬間移動ばりの速度で自由に出現できるようにもなっている。五百五十GB(ギガバイト)という、一TB(テラバイト)の半分にもなるユピテルを一時間半ほどかけて移した甲斐は、明日奈にもユピテルにも十分にあった。

 

 

「なので詩乃姉ちゃん、駄目そうならぼくに頼ってください。いえ、詩乃姉ちゃんが駄目そうなら、無理矢理にでも力を使わせてもらいます」

 

 

 そう言うユピテルの表情は力強さを感じさせるものだった。もとより女性を癒やす使命を背負った《電脳生命体》――と区別するべきだと言うのが愛莉の主張であるの――がユピテルだ。

 

 治すべきだと判断できる女性がいれば、即座に治療を行うのが当然であり、そうなりそうな詩乃に声掛けするのも無理はなかった。

 

 そんなユピテルを軽く見て、詩乃は――、

 

 

「……大丈夫よ。大丈夫でなくちゃいけないの」

 

 

 そう答えるだけだった。まるで誰の手も借りようとしていないかのようだ。ここまで手を取り合ってきて、力を合わせてきたのに、今の彼女はそれを良しとしていない。詩乃はこんなに近くに居るのに、本当は手が届かない遠くに居る。そんな気がした。

 

 

「んー、ううーんとね、三人共。そんなに肩の力入れないと行けない事かな、これからのバトルって」

 

 

 すっかり置いてけぼりにされている琴音が、戸惑ったように言ったその時だ。またしても聞き慣れた声が聞こえてきた。

 

 

「おーい、お嬢さんがたー!」

 

 

 四人で振り返って見たところ、琴音と詩乃が来た時同様にこちらへ歩いてくる人影が五つも認められた。体型に若干のばらつきがある男達であり、その中央に居るのはSAO生還者であり、仲間であるクライン/壺井遼太郎だった。

 

 

「遼太郎さん」

 

 

 明日奈の呼びかけに、遼太郎は右手を上げるジェスチャーで応じてきた。

 

 VRMMOでは彼の事はクラインと呼び捨てにしているが、現実の彼は社会人であり、自分達よりずっと年上だ。だからこそ現実に限ってはさん付けで呼ぶようにしているのが、和人達の間で行われている事だった。

 

 まぁ、和人と詩乃、里香なんかは普通に遼太郎と呼んでいるのだが。

 

 

「昨日に続いて今日も来たのね、遼太郎は」

 

 

 話しかけたのは詩乃だった。遼太郎はうんうん頷いて答える。

 

 

「おうよ。今度こそユナちゃんの祝福を手に入れてやるんだ。んでもってキリの字に奢らせるんだよ!」

 

 

 遼太郎とその仲間《風林火山》の男達は妙にやる気だった。ユナの祝福というのは読んで字の如く、ユナから与えられる特別な報酬の事だ。昨日《英雄の使徒》を倒したプレイヤーが、ユナから頬へのキスをもらったという事で大きな話題となっていた。

 

 《英雄の使徒》を倒せば、ユナにキスしてもらえるかもしれない。そう思った男達は、ユナの口付けを祝福と名付け、躍起になってオーディナル・スケールに打ち込むようになったのだ。

 

 話題を聞いた時点で予想が付いていたが、やはり遼太郎もそうだった。

 

 

「ユナの祝福は良いとして、和人が奢るってどういう事? なんか賭け事でもしてて、和人が負けたの」

 

 

 事情を知らない琴音に問われ、遼太郎は力強く応じる。

 

 

「違え、キリの字が一人勝ちしやがったんだ! だから今度はオレ様が勝って、あいつにクソ高え飯を奢らせるんだよ!」

 

 

 風林火山の者達も加わって「おぉー!」と咆吼する。それを呆れてみているのが詩乃だった。

 

 そのまま詩乃は明日奈を見る。くだらない事で盛り上がってるだけだから適当にあしらっておいて――彼女は表情でそう言っていた。実際そのとおりなのだろう。明日奈は軽く苦笑いして、やり過ごす事にした。

 

 間もなくして、ユピテルが呟く。

 

 

「まぁでも、丁度良いですね。かあさんと琴音姉ちゃん、詩乃姉ちゃんも居て、遼太郎兄ちゃん達も居ます。皆さんで力を合わせれば、《英雄の使徒》とも十分にやれます」

 

 

 確かに、この場にSAO生還者である実力者が八人も揃っている。《英雄の使徒》がどのようなモンスターかは知らないが、どんなものが出てきたところで、しっかり太刀打ちできるだろう。

 

 と思ったところで、遼太郎が困ったような顔をしてきた。

 

 

「そう言いたいところなんだけれどよ、オレ達は後になりそうだ。メンバーが一人足りないんだよ」

 

「え、そうなの」

 

 

 詩乃が少し驚くと、明日奈は改めて遼太郎達風林火山の者達の人数を数える。遼太郎を合わせて六人いなければならないはずなのだが、この場にいるのは五人だけ。一人足りなくなってしまっていた。

 

 気付いたユピテルが遼太郎に問う。

 

 

「その人、どうかしたんですか」

 

「それがよくわからねぇんだ。連絡も付かなくってよぉ。ったく、何してんだか」

 

 

 他メンバーも困っている様子だった。風林火山のようにチームで活動している者達は欠員が出ると、その者だけ遅れを取ってしまう不平等な事になりやすい。そういう事にならないよう、遼太郎達は残り一人を待っているのだ。そんな事を察した明日奈に、再度遼太郎が言う。

 

 

「このままじゃ遅れちまう。だから四人は先に行っててくれや。オレ達の都合に皆まで巻き込んじまうのは申し訳がねえ」

 

 

 確かにもうすぐイベント開始の九時になる。このままここでしどろもどろしていたら、せっかくのイベントにも遅れてしまうだろう。今回のイベントを心待ちにしていたであろう琴音が遼太郎に答えた。

 

 

「そうだね。明日奈、詩乃、ユピテル。わたし達だけで先に進もう」

 

「うん、わかった。ちゃんと追い付いて来てくださいね」

 

 

 遼太郎達は「おうよ!」と返してきた。攻略組の一つとして戦い続けていた猛者達が遼太郎達なのだ、心配はいらない。《英雄の使徒》と戦う時になれば、きっと駆け付けてきてくれるだろう。了解した明日奈は三人と一緒に、公園の奥へと歩いた。

 

 

 道中でオーディナル・スケールを起動して、自身をアバターであるアスナへ変じさせると、琴音もフィリアに、詩乃もシノンとなってそれぞれ短剣と対物ライフルを構え、アスナも細剣を構えていた。ユピテルはアスナの《使い魔》として戦うので、武器は持っていない。

 

 ユピテルが《SA:O》にてアスナの《使い魔》になったデータはこのオーディナル・スケールにも適用されていて、戦闘が始まればオーディナル・スケールの世界観に(のっと)りつつも、《SA:O》の時の面影とコンセプトをしっかり持ったそれへ変化を遂げる。しかしまだその姿にはなっていない。戦闘が始まっていないからだ。

 

 現に今は、見える景色は現実世界の物であり、仮想世界のレイヤーは適応されていなかった。だが、もうじきイベントが始まる時刻となるのは既に確認している。すぐに来ても大丈夫なように三人に声掛けし、注意を払う。

 

 次の瞬間、見える景色に変化が起きた。現実世界の景色に仮想世界の景色が混ぜ込まれ、辺りは一面ダークファンタジー風の風景に変わっていった。街灯は禍々しい光を放つオブジェクトへ、特徴的な建物は更に特徴的で禍々しい城に変わる。公園の若干の高台は西洋の舞台のようになっていた。

 

 更に続けて、公園の中央付近が突如として燃えた。こちらの背丈など軽く通り越している高さの真っ赤な炎が空へ昇っていく。ボスモンスターの登場エフェクトだ。炎が消し去られると、その中心部に新たな存在が姿を見せていた。

 

 

 ――恐竜だ。ティラノサウルスのそれに酷似した大型獣脚類で、鱗と甲殻はリランの毛のように白い。背中にはステゴサウルスのような青い棘が生えていて、その輪郭は恐竜というよりも獣に近しい。目の上に二本の青い角が生えているが、その額と尻尾に注目したアスナは驚く。

 

 白き恐竜の額からはリランのそれに酷似した聖剣が生えていて、尻尾もまたそれそのものが巨大でしなやかな聖剣となっていた。リランという、英雄の《使い魔》と同じ特徴を持つ者。

 

 まさしく噂に聞いていた《英雄の使徒》だ。

 

 

「出たわね、《英雄の使徒》!」

 

「ひぇっ、あ、あれって!?」

 

 

 シノンが獲物のお出ましを喜んだように前に出るが、アスナはフィリアの方に気を取られた。フィリアは剣の恐竜にひどく驚いていた。本当に《英雄の使徒》が出てくるとは思っていなかったのだろう。

 

 だとすれば驚いても無理はないのだが――何故かその頬が赤くなっているように見えた。

 

 

「フィリア、どうしたの。あれに何かあるの?」

 

 

 フィリアはびっくりしたような仕草をすると、すぐに激しく首を横に振った。

 

 

「ななな、なんでもないなんでもないなんでもない! それよりお宝、お宝が出たんなら行かないと!」

 

 

 突然話題を変えたように、フィリアはシノンに並んだ。そのシノンもフィリアの驚きを感じていたようで、不思議そうに横目で見ていた。一体フィリアが何を感じたのか気になるところではあったが、そんなアスナの注意を引く者がもう一度現れた。

 

 

「皆ー! 集まってくれてありがとう! 準備は良いー!?」

 

 

 ダークファンタジー風の舞台となった場所の中心に降り立つ人影が見えた。天から差す光と共に降り立ってきたのは、下にかけて紫のグラデーションが入っている長い銀髪で、黒、赤、白のポップな衣装に身を包んだ赤紫の瞳の少女。ARアイドルであるユナだった。

 

 

「ユナちゃん!」

 

「やった、ユナちゃんだ!」

 

「ついに俺にも祝福のチャンスが!」

 

 

 男性プレイヤー、女性プレイヤー問わず喜びの波が広がった。昨日の同時刻で開始されたイベントであったという、MVPへ向けられたユナの祝福。ここにユナが現れたという事は、それを掴む事が出来るかもしれないという事だ。

 

 愛しき歌姫の祝福の口付けをもらうべく、親しき者(ファミリア)達は更に躍起になっていった。SAOでのボス攻略戦の時とはまた異なる士気の上がり方だった。

 

 

「それじゃあ、戦闘開始だよ! ミュージックスタート!!」

 

 

 そして歌姫が宣言すると、その場の全員の能力が上昇し、歌が始まった。歌姫ユナの歌をBGMにして開始された戦闘の、先手を切ったのは剣の恐竜の方だった。

 

 恐竜は軽やかに飛び上がると、比較的近い位置にいたプレイヤーに尻尾の大聖剣を叩き付ける攻撃を仕掛けた。その隙を狙って、周りのプレイヤー達が恐竜に走り出す。

 

 一応確認を取ってみるが――和人が見たというプレイヤーの姿は見えなかった。しかし戦闘が始まった以上、いくしかない。

 

 

「行こう、皆!」

 

 

 アスナは細剣を手にして号令し、恐竜へ走り出した。

 

 

 

          □□□

 

 

 

 仲間の一人を待って数分後、ユナの歌声が公園の中央付近から聞こえてきた。更に続けて独特の戦闘音も次から次へと飛び込んでくるようになる。戦闘が開始されたのは間違いない。尚且つそこにユナも、《英雄の使徒》も来ているに違いなかった。

 

 

「お、おいおい、ユナちゃんの声するぞ!?」

 

「しかもなんかすげぇデザインの剣付いてるモンスターが暴れてるの見えるぞ! 《英雄の使徒》が来てるんじゃねえのか!?」

 

 

 仲間達が次々と状況を話し始める。ユナが居て、しかも《英雄の使徒》もいる。その状況をどれだけ――一日しか経っていないのは見ない事として――待ち望んだ事か。

 

 あの時仲間が独り占めした羨ましすぎる歌姫の祝福が手に入るチャンスが、すぐそこにある。これだけで喜べるというのに、遼太郎/クラインは動けない。仲間の一人が来てくれないせいで、そこへ向かえないのだ。

 

 向かってしまったらそいつが置いていかれてしまい、チームが不平等な状況になってしまう。行きたいのに、仲間を見捨てる事は出来ない。前にも後ろにも進めない。ヤマアラシではないが、板挟み(ジレンマ)だ。

 

 

「畜生、あいつどうしてるんだよ。こうしてボスが、ユナちゃんが来てるのによ!」

 

 

 仲間の一人がスマホを見ているが、連絡が来ている様子がない。こちらのスマホも同じだ。その仲間からの連絡は来ていない。昨日の夜からずっとこの有様だ。一体何をしているというのか。

 

 

「くっそぉ、今日の獲物が!」

 

 

 クラインが思わず言ったその時に、

 

 

「いや、今日の獲物はお前達だ!!」

 

 

 答える声があった。その主を確認しようとしたそこで――近くに巨大な水泡が見えた。ボスモンスターの出現のエフェクトに酷似しているが、こんな場所に、しかもも一匹現れるとはどういう事か。

 

 

「な、なんだなんだ!?」

 

 

 混乱したまま、クラインは刀を抜き払う。水泡が弾けると、そこに巨大なモンスターが姿を見せてきた。青い水に包まれた白い毛に身を包んだ、腹部は群青の甲殻に包まれ、ところどころに七色の光のラインが走っている。

 

 背中と肩から一対ずつ、アオミノウミウシの手のような形状の翼を生やしていた。そしてその輪郭はリランと同じ、狼のもの。――水の狼竜。それは昨日のボスバトルで出現してきた《使い魔》だった。

 

 

「え、お、おい、こいつは……!?」

 

 

 どうしてこの水の狼竜が――仲間達に動揺が広がった直後、

 

 

《……渡してもらうぞ、おれ達の大切なモノを》

 

 

 頭の中に《声》がした。聞いた事のない、男性の《声》だった。

 






――くだらないネタ――


・オリキャラのイメージCV


 ヴァン:水瀬いのりさん

 水の狼竜:津田健次郎さん


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