キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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16:甦りの宴 ―戦士との戦い―

 

          □□□

 

 

「だああああッ!!」

 

 

 獣のように咆吼して襲い掛かってきたのは、エイジの方だった。これまで見てきたとおりの片手剣使いだが、その速度は常軌を逸しているくらいのものだった。

 

 あまりの速度で迫ってきたエイジに吹っ飛ばされそうになり、後退させられたが、逆にシノンはそれに助けられた。エイジの一閃が喉元のすぐ近くを通り過ぎたのだ。今後退しなかったら、剣で喉笛を斬られて早速終わっていた。

 

 シノンは咄嗟に対物(アンチマテリアル)ライフルをエイジに向けて発砲するが、弾丸が発射された際の射線からエイジは既に離脱していた。またしても常任離れした速度と足取りでシノンの右方向から一気に接近、振り降ろしを仕掛けてきていた。回避が間に合わない。

 

 

「やあッ!!」

 

 

 エイジの剣が届こうとした瞬間、エイジとシノンの間に人影が入り込んで、エイジの剣を止めてきた。一緒に戦ってくれているフィリアだった。彼女のロッドが姿を変えた短剣がエイジの片手直剣を防いでいた。

 

 ARという、現実世界に仮想世界のレイヤーを幾分か適応するだけなのがオーディナル・スケールだ。だから武器はロッドより大きくても()()()()()()()()()、相手方の武器の攻撃を防げるのはロッドがある部分だけである。フィリアはロッドのごく少ない面積を使い、エイジのロッドを防いでいた。

 

 

「邪魔をするな……!」

 

「そっちこそ記憶狙いはいい加減やめなさいッ!」

 

 

 エイジとフィリアの口論に合わせ、シノンは銃口をフィリアの向こうのエイジに向けた。

 

 この対物ライフルはモンスターに大ダメージを与える事を可能とする最高の遠距離武器だ。勿論それはプレイヤーにも効き、当てようものならば一撃で倒す事も出来るらしい。現実の対物ライフルが軍用車両や戦闘機を数発の射撃で仕留められ、生身の兵士ならば一発だけで、痛みを与える時間もなく倒す事が出来るのと同じだ。

 

 この弾丸を当てる事さえ出来れば、エイジを一撃で倒す事が出来るはずだ。――発射(ファイア)。胸の内で呟き、シノンは引き金(トリガー)を引いた。放たれた弾丸を、エイジはやはり軽い身のこなしで回避してみせる。

 

 しかし回避してすぐは隙だらけになる。着地したエイジにもう一度弾丸を放つ。それはエイジの身体を貫くはずだったが、エイジから異音が聞こえたかと思うと、そこからエイジの姿は無くなっていた。

 

 弾丸がエイジの居た空間を切り裂いて飛んでいくと、エイジはシノンの上を跳んでいた。天井にぶつかるすれすれの位置を華麗に飛んでいき、着地したエイジはぶんと回転斬りを放ってきた。咄嗟に後方に向けて転がる事で回避する事が出来たが、プロテクターも何もつけないでの回避行動だったため、身体のあちこちが痛んだ。回避力にさえ差が開いてしまっている。

 

 

「そんな超遠距離武器で近距離武器の僕に挑んでいるなんて、本当にSAOをクリアに導いた人なんですか、貴方は!?」

 

 

 確かに、エイジの言うとおりだ。自分の使っている対物ライフルは、間違っても近距離戦で使えるものではない。十分な距離を敵との間に作れた時にだけ進化を発揮できるものだ。

 

 シュピーゲルの使うサブマシンガンとかならば、連発力が近距離戦時の火力となり、剣を持つ敵ともやり合えるのだろうが、このライフルはそうではないのだ。流石オーディナル・スケールのランク二位、武器の特性もよく理解しているらしい。

 

 

「そっちこそ、そんなに強かったなんてね!」

 

 

 挑発するエイジに斬りかかりを仕掛けたのはフィリアだった。エイジは勿論回避するが、フィリアは手慣れた動きでそれに付いていこうとし、短剣でエイジを斬り刻もうとしていく。

 

 自分の使っている武器が超遠距離武器――そうだからこそ、フィリアが一緒に居てくれている。近距離戦を仕掛けてくるであろうエイジをフィリアが防ぎ、自分が渾身の一撃を遠距離からお見舞いする。それがシノンとフィリアによる作戦だった。

 

 

 そもそも、エイジと交戦するのは昨日決まったばかりの事だ。皆と一緒に車で東京中を走り回り、《英雄の使徒》を狩って廻っていた時、シノンの許にメッセージが届いた。

 

 

『明日のユナのファーストライブが始まったら、地下駐車場に来てみろ。そこで僕に勝つ事が出来たなら、英雄キリトの記憶を返してやる』

 

 

 差出人は不明だったが、確かにそう書かれたメッセージが来た。明らかに挑発的な内容であり、自分を罠に嵌めるつもりであるのが滲み出ている文章だった。重村教授、あるいはその手先となっている存在が送って来たもので間違いなかった。

 

 そのメッセージの事を、シノンはフィリアにだけ話した。キリトの記憶を取り戻すという事に、フィリアが誰よりもシノンに近しく、熱心だったからだ。シノンは思っている事を伝えた。

 

 もしかしたら罠かもしれない。行けば私達の記憶を奪い取られるかもしれない。けれど、もしかしたらキリトの記憶を逆に奪い取れるかもしれない。どうするべきか――シノンの問いかけに、フィリアは頷きを返した。

 

 そこが罠だったとしても、きっと何かがあるはず。そこでキリトの記憶もある集積所を見つけられるかもしれない。戦いに行こう。わたしがシノンの剣になるから、シノンはわたしの後ろから敵を撃ち抜いて――フィリアはいつにもなく頼もしい雰囲気と目付きで言ってきた。

 

 最早罠かどうかなどどうでもいい。キリトの記憶を取り戻す欠片がそこにあれば、掴み取らない理由は存在しないのだ。シノンはフィリアと共に打ち合わせをし、今日を迎えた。

 

 

 そして今朝、シノン/詩乃はキリト/和人と会わなかった。詩乃が起床した時、和人のベッドは既に空っぽだった。部屋もそうだった。どうしたんだろう――心配になってスマートフォンを確認すると、メールが来ていた。和人を差出人にして、

 

 

『詩乃、おはよう。今日午前の早くから病院に行かなきゃいけなくなった。検査があるらしくて。詩乃が起きた時にはもう出かけてなきゃいけない。だから一緒に朝ご飯を食べてあげられない。

 

 作るって約束したフレンチトースト、上手く作れなかった。ごめん』

 

 

 と書かれていた。

 

 詩乃は急いで階段を下りてリビングへ、ダイニングへ向かった。ここ数日間和人と一緒に食事をしたテーブルの上に、調理済みのフレンチトーストが載せられた皿があった。そのフレンチトーストだが――かなり焦げていて、焼き色がばらばらになっている見た目だった。

 

 そこから詩乃は記憶が薄れていた。あの時ほとんど無理を言って、作ってと頼んだフレンチトースト。それを記憶障害になっているはずの和人が本当に作ってくれたのが嬉しくて、その味を確認するのに集中しきっていた。

 

 その味は――美味しかった。けれど、足りなかった。色々なものが欠け落ちてしまっているような、中途半端な柔らかさ、中途半端な味加減、中途半端な甘さ。何もかもが中途半端なその味と触感は、今の和人の記憶の有様を詩乃にイメージさせた。

 

 今の和人は、このフレンチトーストのような状態。その和人の状態を、ファーストライブで直せるかもしれない。詩乃はフレンチトーストを食べ終え、すぐに支度をし、ここへ向かったのだった。

 

 和人の記憶を取り戻せる可能性が少しでもあるならば、罠であろうとも飛び込む。結局詩乃の考えている事はそうだった。

 

 詩乃/シノンが対物ライフルによる射撃をお見舞いするが、エイジは華麗を通り越した身のこなしで回避する。そればかりか柱に貼り付いてからジャンプなど、人間とは思えない動きまでするようになってきた。

 

 オーディナル・スケールは異界からの侵略者と戦うゲームとされているが、エイジはまさに異界からの侵略者だ。人間離れした動きで飛び回り、一方的に攻撃してくる。こんな事が出来るこいつは異界人だ――そう思えるくらいにエイジは、有り得ない動きでこちらを翻弄してきている。

 

 身の丈以上の高さを軽々と跳び、柱に張り付く、目に見えないくらいの速度を出して斬撃を仕掛けてくるようなその動きに、シノンの援護に回ってくれているフィリアも追い付けていない。追い付けるわけがない。

 

 エイジはオーディナル・スケールのランク二位だが、その強さは明らかに二位のものを超越しているとしか思えなかった。ランク二位になったくらいで、こんな常識外れの動きなど出来るものか。

 

 それとも、これくらい強いからこそのランク二位なのか。だとすれば、SAOの時にエイジが最前線におらず、幽霊団員だった事との辻褄が合わない。

 

 

「何なのよ、あんた、なんでこんなに強かったのに、最前線に居なかったのよ!?」

 

 

 思わず吐き出すように言うと、すぐにエイジが斬撃を仕掛けてきた。フィリアを上回る速度で接敵してきていた。シノンは咄嗟に対物ライフルを横に構えてエイジの片手剣を迎撃する。ぎいぃんという、シノンが聞く事は少ない金属音が飛び、火花のエフェクトが散った。

 

 

「所詮見ているのは、見られるのは最前線のプレイヤーだけで、僕やユナみたいな弱虫は蚊帳の外にされるんだ。英雄以外は皆おざなりにされるんだよ!」

 

「――ッ!? あんた、悠那とSAOで一緒に居たっていうの!?」

 

 

 シノンの問いかけはエイジの怒りを誘った。猛烈な怒気を見せて、エイジはシノンを弾き飛ばした。転ばされはしないものの、思い切り後退させられた。そこにエイジが突き攻撃を繰り出してくるが、シノンは咄嗟にしゃがむ事で回避、エイジの剣はシノン後方の壁に深々と突き刺さった。

 

 

「あぁそうさ。僕は悠那と一緒に居た。その最期の瞬間も見たんだ。目の前で悠那は死んだ。けれど僕は何もできなかった。自分の弱さを呪ったよ。愛する人が危険に晒されて死にそうになってても、足がすくんで動けなかったんだ!! 僕が愛する悠那は、僕を愛してくれた悠那は僕の目の前で死んだんだッ!!」

 

 

 シノンはハッとした。刹那の時間でフラッシュバックが起こる。

 

 SAOでの出来事――キリトという大切な人と過ごした時間、思い出。キリトと送ったかけがえのない日々。

 

 それと同じような日々をエイジもまた送っていたというのか。キリトと同じように愛する人を持ち、愛おしさで満ちた日々を過ごしていたが、それをSAOという不条理に奪われた。それがエイジに底知れぬ怒りを与えた。

 

 エイジは怒りで動いている。奪った者への怒り、奪われた者の事を知らずに生きている者達への怒り。大切な人を取り戻そうとするのを邪魔する者達への怒り。それがエイジの原動力だ。

 

 それはいつかのティアと同じだ。だがエイジはティアとは明確に異なっている。

 

 きっとエイジの中には悠那に対する深い愛情があったに違いない。キリトが持ってくれているような、深く、大きく、暖かい愛情。悠那の命が奪われると、それは怒りという名の可燃性油になり、エイジを動かす燃料となったのだ。

 

 

「だからなんだっていうの、SAO生還者に向けて八つ当たりするっていうの!?」

 

 

 攻撃後の隙を晒すエイジにフィリアが斬りかかるが、フィリアの斬り降ろしが放たれると同時にエイジはフィリアの側面に廻り込み、一閃を叩き込んだ。猛烈な力を加えられたフィリアは横方向へ飛んでいった。

 

 

「フィリ――う゛ぐぅ゛ッ!?」

 

 

 フィリアの名を叫ぶより前に、シノンは首根っこを持ち上げられた。エイジが一瞬のうちにシノンへ再接敵し、首に掴みかかっていた。すごい力で上の方へゆっくり引っ張られた後に止まる。

 

 

「八つ当たりなんかで終わらせない。彼女をこのファーストライブで蘇らせるんだ。ここに集まってるSAO生還者全員の記憶を生贄にして、彼女をこの世に蘇らせる」

 

「あ゛、ぐぅ゛ッ……」

 

 

 首の血管が遮られ、脳への血流が()き止められ、視界がモノクロに変色しかかる。エイジの目が見えたが、明確な怒りの光で満ち溢れていた。それは《SA:O》で相手にしたキリトへの憤怒と狂気を宿す少女、マキリをも超えている気がした。

 

 この男はマキリ以上の怒りと、マキリには存在しなかった使命感で動いている。

 

 

「どうせSAOなんてクソゲーだ。お前らの記憶だってクソみたいなものばかりだろ。抜き取ったところで何も問題ない……彼女の蘇りの生贄になれる事に感謝しろ……!!」

 

 

 エイジは残っている片手に剣を戻し、その刃先をシノンの頭部に向けていた。このまま突きを放って、止めを刺すつもりだ。

 

 だが、シノンはじたばたと足を動かす程度しか出来ない。手から既に対物ライフルは滑落してしまっているし、フィリアは地面に倒れたまま動かないでいる。衣装の変化がないため、戦闘不能になってはいないものの、失神してしまっているらしい。

 

 

「あ、う、ぐぅ、はぐッ……」

 

 

 シノンが呻くのがスイッチになったのか、エイジはついに突きを繰り出さんとしてきた。

 

 その刹那にエイジの背後に黒い影が踊るのをシノンは認めた。

 

 

 影の正体は人だった。

 

 黒い短髪に、女性のような線の細い顔、決意に満ちた黒い瞳をしている、黒衣の少年。

 

 

 シノンはその出現に唖然としてしまっていた。世界がスローモーションになり、エイジの動きがゆっくりになっている。しかし少年だけは等速で動いていた。

 

 少年はエイジの項に手を伸ばした。少年が何かを見つけたように掴むと、エイジの動きが止まる。完全な不意打ちに驚いているのだ。

 

 

 

(おれ)(シノン)に手を出すなああああああああああッ!!!」

 

 

 

 少年は咆吼すると、力任せにエイジの項から何かを引き剥がした。それは機械だった。何かを制御しているかと思われる見た目の機械が強引に居るべき場所から引き千切られ、青白いスパークが起きた。

 

 間もなくしてエイジの手がシノンの首を離すと、少年は勢いよく回し蹴り、エイジの身体を右方向に吹っ飛ばした。それまでの華麗な身のこなしはどこへ行ったのか、エイジは床を転がった。

 

 解放されたシノンは床に尻から落ちた。ようやく息が出来るようになり、世界に色が取り戻される。手で首元を撫でつつ咳き込み、顔を上げると、少年の姿が映った。黒髪で黒い瞳、黒衣の剣士。

 

 それは紛れもなく――。

 

 

「――キリ、ト」

 

 

 彼――キリトは応じなかった。地面を見て何かに気付いたような仕草をしただけだった。

 

 一体どうして――疑問を抱くシノンは次の瞬間置いて行かれた。エイジがキリトに斬りかかってきていたのだ。先程と比べて遥かに遅いが、顔の怒気は変わらない。

 

 

「この野郎があああああああああああああッ!!!」

 

「ッ!!」

 

 

 エイジの一閃が唸ったその刹那、キリトとエイジの間に武器が姿を現した。銀色の未来的な相貌の対物ライフル。それはシノンが持っているはずの武器だった。キリトは瞬時にそれを拾い上げて――銃口をエイジに向けていた。

 

 両手でなければ使えないはずの銃身を片手で持ち、引き金に指をかけていた。

 

 

「――なッ……」

 

 

 驚愕したエイジが次の言葉を出すより先に、キリトは引き金を引いた。どぉん、という強い発砲音と同時に銃弾が発射され――次の瞬間にはエイジの腹が貫かれていた。

 

 強い衝撃をその身に浴びたエイジは硬直し、やがて膝を付いてその場に崩れ落ちた。

 

 その衣装は紫の光のラインが走る戦闘装束から、一般青年が着ていそうなジャケットとジーンズの組み合わせに変わる。――戦闘不能になったのだ。

 

 もう襲い掛かってくる危険性はない。そう判断したかのように、キリトがシノンへ寄ってきて、腰を落としてきた。

 

 

「キリ、ト……あな、た……」

 

 

 キリトはまたしても応じず、その両腕でシノンの上半身を抱きすくめてきた。何度も入ってきたところだが、そこへ急に入れられるのには驚かずに居られなかった。

 

 

「シノン、迷惑かけた。大丈夫だったか」

 

「キリト、あなた、なんで……」

 

 

 一番の疑問に、彼は答えてくれた。少し申し訳なさそうな声色で。

 

 

「ごめん。リランに君の動向を追跡させてたんだ。そしたらあいつ、シノンのところにメッセージが来てるって、今日のここで君が戦うって教えてくれたんだ」

 

 

 シノンはまたしてもはっとする。そういえば、本体のコピーを自分のオーグマーに入れているリランは、その気になればそういったデータを勝手に覗く事も出来るのだった。いや、不可能だったとして、リランはそのクラッキング能力によって可能にしただろう。それをリランはキリトに流したのだ。

 

 

「だから君に嘘を吐いて、君達より先にここに来て、ずっと隠れてた。あいつに見つからないように、君達に見つからないようにしてたんだ」

 

 

 それで機会を(うかが)って飛び出してきた――シノンは言われなくてもそこまで掴めた。

 

 

「ごめん、シノン。俺の記憶を取り戻さなきゃいけないのは、俺自身でやらなきゃいけないのに、君にやらせてしまって……」

 

 

 シノンは言葉を出せなくなった。言いたい事が沢山ある。ぶつけたい言葉もたくさんある。なのに、どれも出せない。声を出そうとすると、嗚咽になるだけだとわかったからだ。

 

 泣きたいような、そうでないような――そんな気持ちに駆られたシノンは、ただただキリトの胸にむしゃぶりついた。

 

 

「……シノン、俺のために戦ってくれて、ありがとう。ここからは俺も戦うよ」

 

 

 シノンは小さい子供のように、うんうんと頷くだけした。間もなくして足音が聞こえてきて、シノンは我に返る。意識を取り戻したと思わしきフィリアが駆け寄ってきていたのが確認できた。

 

 

「キリトッ!!」

 

「フィリア……」

 

 

 目の高さをキリトと同じにしたフィリアは、今にも泣きそうな顔をしていた。

 

 

「キリト……また……わたし……キリト、に……」

 

「フィリアもありがとう。俺のために戦ってくれて、シノンを守ってくれて」

 

 

 フィリアも色々言いたそうな顔をしていたが、自分と同じようにキリトへ頷くだけをした。その気持ちを飲み込んだように、キリトは柔らかい微笑みを向けていた。

 

 だが、それも僅かな間だけで、キリトは険しい顔になってシノンと一緒に立ち上がり、あるところを向いた。いつの間にか柱まで移動して、背中を預けて座っているエイジがその先に居た。

 

 

「なるほど、そういう事か。お前のあの身体能力の正体は、その衣服型強化外骨格装置(エクソスケルトン)だったのか。大方重村教授の研究成果だろうな。あの人はロボットとか強化外骨格の研究してるもんな。

 そして今の重村教授は、SAO生還者の記憶を寄せ集めて、悠那をA()I()として蘇らせるつもりでいる。お前と重村教授の狙いはそうだったんだな」

 

 

 そこでシノンは当初の目的を思い出す。エイジと戦ったのは、キリトの記憶を取り戻せるかもしれないと思っていたからだ。だが、エイジが倒れたのに何も起きていない。

 

 キリトの眉間に(しわ)が寄る。

 

 

「教えろ。SAO生還者達の記憶は、俺の記憶はどこにある。どこかに皆の記憶を集積させてるだろ。その場所を教えろ!」

 

 

 いつにもなく低く、脅すような声でキリトは言った。しかしエイジはどういうわけか、それに笑いを返してきた。ざまぁみろ――間接的にそう言っているような笑い方だった。

 

 

「――もう遅い。お前は遅すぎたんだ。僕の、僕達の勝ちだ」

 

「何を言ってる」

 

「耳を澄ましてみろ。さっきまで歌が流れてたはずなのに……静かになったよな?」

 

 

 エイジの指摘通り、シノンは耳を澄ませる。そう言えば、妙に静まり返っている。先程まで会場のユナの歌がここまで響いて来ていたというのに、何も聞こえてこない。

 

 いや、聞こえてくる音はある。足音だ。無数の人々が行き交っているかのような足音に加えて――悲鳴や怒声のような音が聞こえてきている。

 

 

「この音……ライブの音じゃない……?」

 

 

 シノンの独り言の後、キリトがエイジに問いかける。

 

 

「なんだ。何が始まった。上で何が起きてるんだよ!?」

 

 

 エイジはもう一度笑い出した。こちらを嘲笑している。

 

 

「悠那が生き返るんだ。SAOに、お前達に殺された悠那が、生き返る時が来たんだ! ……おかえり、悠那……」

 

 

 最早答えになっていない。思った事を吐き出しているだけだ。いち早く察したキリトが「上へ行こう!」と言い出すや否や、シノンもフィリアもそれに従い、地下駐車場からエレベーターへ駆けた。

 

 ボタンを押してエレベーターを上昇させた頃、キリトの懐のスマートフォンが鳴った。彼はスピーカーモードにして、シノンとフィリアにも通話を聞かせるようにしてくれた。

 

 

《もしもし、キリト君か!?》

 

 

 焦っている様子がわかる声の主は、菊岡(きくおか)誠二郎(せいじろう)だった。三人で軽く驚きつつも、キリトが応じる。

 

 

「菊岡さん、何が起きようとしてるんですか。そっちでは何がわかったんです」

 

《そっちではって、キリト君、会場に来ているのかい!? 記憶障害になってるんじゃ?》

 

「我慢できなくなって飛び出してきたんですよ。それより菊岡さん、重村教授の狙いがわかりました」

 

 

 キリトは菊岡に地下駐車場で起きた事を話した。重村教授とエイジの狙い、これから何が起ころうとしているかを全て。菊岡は驚かず、納得している様子の声を届けてきた。

 

 

《そういう事だったのか。これで全部繋がったよ》

 

「何かわかった事があるんですか」

 

 

 フィリアの問いかけに菊岡は答えた。彼は部下を連れてこのスタジアムに来ているが、その前に重村教授がボスを務める企業、カムラから情報を手に入れたという。

 

 オーグマーを製造しているカムラによると、ライブ会場内を特殊ドローンが複数台飛行しており、それはワイヤレス給電機構でオーグマーに電力を供給しているのだという。つまり今、会場内のSAO生還者達のオーグマーは電池切れしていても使えて、バッテリーの心配をせずにユナのライブを楽しめるようになっている。

 

 ――というのが表向きだが、裏を返せば必要過多の電気を流し込まれ、大幅に出力が上昇している状態にあるのだ。

 

 

「ワイヤレス給電でオーグマーの出力が上がってる……って事は!?」

 

 

 シノンの呼びかけに菊岡が応じる。

 

 

《もしこの状態でオーグマーがSAO生還者達の脳のスキャニングを行えば、それは多すぎる電力によって電磁パルス攻撃になる。つまりナーヴギアの電磁パルスと同じだ。SAO生還者達はオーグマーからのパルス攻撃で脳を焼かれて、死ぬ事になってしまう》

 

 

 その宣告に三人は凍り付いた。

 

 かつてSAOが悪魔のゲームと言われたのは、SAOをプレイするための機械であるナーヴギアが、ゲームオーバーになったプレイヤーの脳に電磁パルスを浴びせ、脳を破壊するようになっていたからだ。しかしそれ故にナーヴギアは封印され、後継機であるアミュスフィアにはそんな力はなくなっている。

 

 ナーヴギアこそが一番凶悪であり、そんなものはもう現れない――今日この時までそう思われていた。

 

 だが、ナーヴギアは生きていた。オーグマーという小さな装置に姿を変えて、再びあの時の悲劇と同じ事を成し遂げようとしている。シノンがそう思った時には、三人は会場へ続くドアの前に辿り着いていた。キリトがドアを開け、シノンとフィリアは続く。

 

 そこでもう一度言葉を失う事になった。ARアイドルの歌が思い切り披露されるライブ会場に集まるSAO生還者達は、その全員がオーディナル・スケールをプレイしている時の武器と防具で武装している。無理矢理オーディナル・スケールのイベントに参加させられているらしい。

 

 そしてそんなプレイヤー達を襲っているのは、身体に剣のある巨大な異形の獣達。獣人、ドラゴン、巨人――《英雄の使徒》と通称されるモノ達十二匹以上が、群れを成して出現していた。このライブの主役であるはずのARアイドル、ユナの姿はどこにもない。

 

 既にそこはライブ会場ではなく、奴隷戦士(グラディエーター)達が無理矢理戦わせられている闘技場となっていた。

 

 

「なんなの、これ!?」

 

「《英雄の使徒》が、一気に出てきてる!?」

 

 

 シノンはフィリアと一緒に混乱するしかない。あのうるさいくらいのライブはどこへ行ったのだ。主役のユナはどこへ消えたのだ。それは恐らくここに居る誰もが思っている事だろう。

 

 

《重村教授は間違いなくそこでスキャニングは行う。そのタイミングがいつになるかはわからないけど、どこかでモニタリングしているはずだ。僕は重村教授がそうする前に止めるから、キリト君達はスタジアム内のプレイヤー達に、オーグマーを外すよう指示してくれ!》

 

 

 そう言って菊岡からの電話は切れた。その頼みには無理がある。まず皆は突然《英雄の使徒》に襲われて、その対応を迫られて何が何かもわからなくなっている。こちらの指示を聞いてくれる可能性はゼロだろう。

 

 何より《英雄の使徒》が、オーグマーを外すよう(うなが)す者の存在を許すわけがない。真っ先に狙い撃ちされて終わりだ。

 

 

「こ、こんなのどうしろって……!」

 

《キリト兄ちゃん!!》

 

 

 フィリアの呟きの後、頭の中に《声》が届いてきた。小さな少年の声色――ユピテルのものだった。キリトが真っ先にそれに気付き、シノンとフィリアも追って視線を向ける。

 

 仲間達が居た。共にSAOという地獄を生き抜いた仲間達が、迫り来る《英雄の使徒》と戦っていた。《声》の発生源であるユピテルも《使い魔》の姿となって戦っている。完全に焦り、混乱を極めているのは確かだった。

 

 

「ユピテル! 皆!!」

 

《ねえさんが解析に当たってるせいで、戦力不足です! 手を貸してください!》

 

 

 全員で頷き、皆の許へ向かう。その途中で、新たな《英雄の使徒》が皆の前に現れた。《英雄の使徒》は、最終作戦に乗り出してきていた。

 

 

 

          □□□

 

 

 

 

「今度こそ、私の勝ちだ。教え子のお前が私に勝てるわけなどないのだ」

 

 

 重村徹大は独り言ちた。

 

 徹大の計画はついに最終段階へ進んでいた。新国立競技場に集められたSAO生還者達の記憶を奪い取り、集積し、一点に流し込む。そこで我が娘である重村悠那はこの世に生き返る。今日、それを成し遂げるために、ここまで徹大は出来る手段全てを講じてきた。

 

 AIとして生き返った悠那は、最初こそはそれっぽくはないだろう。だが深層学習(ディープラーニング)を繰り返していけば、やがて悠那その人となる。ナーヴギアに殺される前の悠那になるのだ。

 

 あの世に逝ってしまった悠那を、この世に再び呼び戻す。その儀式がスタジアムで起きている事だった。

 

 

「……悠那」

 

 

 徹大はこれまで後悔していた。教え子である茅場晶彦と、自分にやたら楯突く事が特徴的な、可愛げのない問題児である芹澤愛莉が作っていたSAOに、悠那を行かせてしまった事を、ずっと後悔し続けていた。

 

 悠那にせがまれても、拒否すればよかった。晶彦と愛莉を信頼しなければよかった。晶彦も愛莉も結局とてつもない問題児だと割り切って、その開発物の事に興味など持たなければよかった。そんな後悔が徹大を襲い続けた。

 

 あの時自分は罪を犯した。自分が悠那を殺したようなものだ。だから悠那を生き返らせる。ナーヴギアに殺される前の悠那を、形がどうであれ、手段がどうであれ、蘇らせてやるのだ。それこそが自分の使命であり、贖罪だ。

 

 決意を抱いた徹大は、あらゆる手段に手を伸ばした。その末に、今の手段を思い付いた。オーグマーという機器を開発し、極秘裏に記憶を抜き取る機構を取り付け、SAO生還者の悠那に関連する記憶を実際に抜き取り、一点に集積させて、かつての悠那を()()する。悠那をAIという電子の存在に生まれ変わらせる。

 

 それをするに当たって、記憶を引き抜かれたSAO生還者達が記憶障害に陥るという事情が起きる事になったが、徹大は気にしなかった。

 

 SAO生還者は全国で六千人程度しかいない。一億二千万人いる日本の総人口の一パーセントにさえ満たないのだ。その程度の者達が記憶障害になったところで、大したニュースにも問題にもならないし、内閣だって動かない。海外の戦地で戦闘機が誤って民家を爆撃し、民間人を殺傷したが、問題にならなかったのと同じだ。

 

 SAO生還者の生命も記憶も、日本の総人口に比べれば大したことはない。寧ろ悠那を生き返らせるための生贄になれるだけ、マシだ。

 

 

「……お前の手など借りるものか。元はといえばお前のせいだ」

 

 

 徹大は拳を握り締めた。AIとして悠那を生き返らせる計画を思い付いた時、真っ先にあの問題児が脳裏に浮かんだ。

 

 自分にやたらと楯突き、言いくるめを逆にやろうとしてくる問題児――それは芹澤愛莉という少女だった。小学校六年生になった頃にアメリカの大学へ行き、ずっとAIと心理学の研究と勉強をしていたという異様な経歴を持つ愛莉は、大学生になった時に自分の研究室へとやってきた。

 

 その時愛莉は茅場同様に画期的なAIソフトを作り上げて企業に売り捌き、莫大な資金を得ていた。その愛莉は徹大の研究室に来るや否や、ずっとAI研究に打ち込んでいた。

 

 何を言ってもあまり聞かず、AI研究以外になるとてんで興味を失う。何を言っても、逆にこちらを言い負かそうと楯突いてくるものだから、心底腹が立った。

 

 そんな彼女のAIを作り上げる能力は、研究室の同級生の誰よりも秀でていた。徹大さえも超えていた。

 

 生意気なくせに能力は異常に高いものだから、あまりに腹が立った徹大は、愛莉が作っているAIを解析しようとした時もあった。だが、愛莉のAIや研究物は全て異常なほど頑丈なセキュリティが敷かれていて、それを破る事は叶わなかった。

 

 そればかりか、愛莉は作ったAIにわざわざ名前を付け、挙句「この子はわたしの子供です」なんて言い出す始末だった。徹大は一番の問題児をこの愛莉とし、なるべく距離を持つようにしていた。

 

 卒業後は茅場晶彦と同じアーガスにチーフプログラマーとして就職し、SAOを開発した。結局あの問題児が引き起こした事件で、悠那は死んだ。悠那を殺した殺人鬼にAIとしての悠那を作らせるなど、徹大は許せなかった。

 

 だから単独で研究と開発を進めたが、思った以上に上手くいった。あの問題児は所詮、問題なだけの大したことのない女だったのだ。それが徹大は誇らしかった。

 

 愛莉がそこまでの事を出来たのは、愛莉が悪魔に魂を売っていたからだ。悪魔に魂を売っていたからこそ、あれだけの所業が出来、あれだけの問題を起こし、悠那を平然と殺せたのだ。

 

 悠那を生き返らせるという話を聞いたら、食いついてきただろう。贖罪をさせてくれと頼んで来ただろう。悠那というAIを作りたいがために。最高のAIを作りたいがために。

 

 だが、愛莉にこの話はしない。それがあいつにやらせる罰だ。AIを作れないという最高の罰をくれてやった。

 

 AI研究者である愛莉の手無しで、自分は悠那を蘇らせる事に成功したのだ。悠那は蘇り、SAO生還者達は死ぬ。恐らくは悪魔に魂を売っている所業だろう。

 

 しかし徹大は気にしない。愛おしい娘を生き返らせるために、父親が奮闘して何が悪いというのだ――そう思って前を見る。

 

 スタジアムの超大型モニターに、大きな数字が表示されている。七千五百から七千六百の間。それはドローンが計測している、この場のSAO生還者達の恐怖の感情の総合値だった。

 

 英雄の使徒に襲われる事で抱く恐怖の数――これが一万に到達した時、ドローンに電力を供給されたオーグマーは一斉にSAO生還者達の脳をスキャンし、SAOの全ての記憶を抜き取る算段だ。

 

 抜き取られた記憶が集積されているところで、悠那はAIとして蘇るのだ。もう七千七百になった。じきに悠那はこの世に蘇る。その時は刻一刻と迫っている。自分は悠那への歩みを一歩ずつ踏みしめているのだ。

 

 

「もうすぐだ。もうすぐだぞ、悠那……」

 

 

 その時、徹大は気付いた。そういえば、この計画の協力者として動かしていた鋭二からの報告がない。彼は地下駐車場で二人のSAO生還者を迎撃し、その記憶を奪い取る手筈になっていた。

 

 それだけではない。鋭二にはまだやってもらわなければならない事がある。本人はまだ伝えていないが、今こそ伝えるべき時だろう。

 

 徹大はオーグマーの通話モードを起動し、鋭二にかけた。

 

 

 




 次回も大幅改変&急展開。

 乞うご期待。

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