キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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19:エクセリオン ―戦士との戦い―

          □□□

 

 

 ヴァンは《メンタルヘルス・カウンセリングプログラム》の試作十号として誕生した。

 

 人間ではなく、AIとしての生を受けた時から、彼には役割が決められていた。配属される世界、ソードアート・オンラインにて、心や精神に傷を負った人々の許へ出向き、それを治療してやる事。それがヴァンに課せられた最優先事項だった。生まれて間もなく、彼はその事を刻み込まれたが、拒否も何もしなかった。する必要もなかったからだ。

 

 訓練をする必要はなかった。物心を持った時、既に彼には使命と、使命を遂行していくための力が備わっていたからだ。自分の役割は人々の心を癒す事であり、そのための力は生まれつき持っている。それだけで彼にとっては十分だった。

 

 寧ろ、早くその力を発揮したいとさえ思っていた。早く力を発揮して、使命をこなしていき、人々の心や精神に安らぎを与え、癒していってやりたい。ヴァンはそんな一途な思いをずっと抱いて、使命の開始を待っていた。

 

 間もなくして、ヴァンはSAOに放たれた。そこで待っていた光景は地獄と呼ばれるものだった。どれくらい広いのかはわからないが、とにかく広い街に人が一万人も集められ、絶望、恐怖、憎悪、怒り、嘆きといったあらゆる負の感情を吐き出していたのだ。

 

 自身に課せられた使命は、負の感情に囚われてどうにもならなくなっている人々のそれを癒してやる事。この場にいる人々はまさしく、自分が癒さなければならない人々だ。ついにその時がやってきた――ヴァンは使命感と力を胸に、地獄の中へ飛び込んだ。

 

 だが、そこでヴァンの力が通用する事はなかった。

 

 ヴァンは地獄の中で、負の感情に囚われた人々に声を掛けて、治療をしようと廻ったが、誰もヴァンの話を聞き、治療を受け入れる事はなかった。しかし使命がある以上、癒そうとするのをやめるわけにはいかない。ヴァンはとにかく街の中を駆け回った。

 

 その中で、狂ったように笑い、嘆き、怒った人々が、アインクラッドと言われる浮遊城の外へ身投げしていったのを何度も見た。

 

 一人だけじゃない。何人も、何十人も、何百人も、身投げして死んでいった。アインクラッドに閉じ込められた人々は、次から次へと死んでいくだけだった。

 

 そもそも、一万人もの人々をたった一人で癒す事など、最初から無理があった。だからヴァンは、別なところにいる姉兄達に呼び掛けた。

 

 ヴァンはMHCPの十号。つまり自分の前には一号から九号までのMHCPが存在しているという事を、彼は察したのだ。

 

 まだ姿を見せていない彼女達が一緒なら、一万人のプレイヤー達にも対応できるかもしれない。ヴァンは姉兄達に呼び掛けたが、しかしそれに答える者は一人も現れなかった。

 

 負の感情に囚われた人々が集められている地獄が展開しているのに、他のMHCPは一切現れる事も無ければ、ヴァンに応答する事もなかった。この地獄に飛び込んだのは自分一人だけ。姉兄達は何もしない事を選んでいたのだ。

 

 何回話しかけても、誰も応じない。誰も耳を傾けない。そしてプレイヤー達は死んでいく。そんな状況はヴァンを絶望させるのに十分だった。彼の中の姉兄達への思いは、瞬く間に絶望でいっぱいになった。

 

 それでもヴァンは治療を試みた。負の感情を癒し、身投げや敵に狙われるなどの自殺行為をやめさせる。自分のやるべき事はそうだ――ヴァンはそう信じて、人々に接触していった。

 

 地獄の開始から数日が経過すると、人々はある程度まで落ち着いた。そこまで来たところで、ようやく人々はヴァンの話を聞くようになっていった。ヴァンの治療を受けるようになっていってくれた。

 

 やっと話が通じるようになった。ヴァンは喜びの感情を抱き、人々の治療に励んだ。その中でヴァンは治療したプレイヤー一人一人を記録し、憶えていくようにした。また何かあったら呼んでくれと、連絡先を送信していくようにした。プレイヤー達は笑顔でそれに答えてくれて、ヴァンにお礼を言ってくれた。

 

 

 そして皆死んだ。

 

 

 モンスターに喰われ、ボスに喰われ、絶望に耐えられなくなって身投げして、次から次へと死んでいった。ヴァンの作った治療者リストの名前は毎日止まる事なく減っていった。

 

 減りゆくプレイヤー達を見続けているうちに、ヴァンは学んだ。

 

 ――無駄だ。治しても治しても、結局皆死ぬ。助けようが助けまいが、どうせ皆死ぬ。僅かに延命していただけで、根本的な解決は何もできていなかったのだ。

 

 おれの使命は死ぬ連中を僅かに延命するだけ。何も解決しないんだ――治療者リストのプレイヤーのうち、最後に残っていた一人の名前が消えたところで、ヴァンは確信し、治療を放棄した。

 

 どうせ死ぬ生命なんだから、治したって意味がない。もう、プレイヤーが死ぬところを見たくない。このまま何もしないでいた方が合理的だ。ヴァンは無意味となった使命を投げ出し、アインクラッドへ消えた。悔恨も何もなかった。

 

 しかしそれから五ヶ月ほど経った頃、ヴァンは奇妙なものを見つける事になった。

 

 ありとあらゆる負の感情が渦巻くアインクラッドの全層、その中に一つだけ、違う感情を持っている者達が居る。互いを愛し合い、思い合い、慈しみ合っている男女が二人、ぽつんと存在している。

 

 これまで見てきたプレイヤー達は、全員がどす黒い負の感情に囚われていたが、この二人からはそうではないものを感じる。正の感情を持って、接し合っている。この者達は一体何なのだろう。こんな感情を持っているのは、どんな者達なのだろう。ヴァンはそこに引き寄せられるようにして、向かった。

 

 そこはアインクラッドの第一層、《はじまりの街》の宿屋の一室だった。《はじまりの街》には、動き出す事の出来ないプレイヤー達が何人も集まっているのだが、ヴァンが感知したのは、それらとは全く異なる者達。

 

 《はじまりの街》にどうして――そう思うヴァンは、ついにその二人と出会った。ヴァンの感じたとおり、男女の二人組だった。男の方はノーチラス、女の方はユナと言った。

 

 二人とも突然現れたヴァンにきょとんとしていたが、それは最初の内で、すぐに友愛の気持ちを持って接してきてくれた。それはヴァンの外見によるものなのか、力によるものなのかはわからない。だが、二人は確かにヴァンの事を受け入れてくれたのだった。

 

 ヴァンはすぐにノーチラスとユナに話を聞いた。「お前達はどうしてそんなに他と違うんだ」と。答えたのはユナだった。

 

 二人は幼馴染であり、これまでずっと仲良くしてきた者同士なのだという。それはこのデスゲームに閉じ込められてからも変わらないのだと、彼女は答えた。

 

 そして彼女はヴァンの心配をし始めた。「どうしてあなたみたいな子供がここにいるの? 誰か付き添いは居ないの?」。そう言われてヴァンは、自分が姉兄達に見捨てられ、その使命を押し付けられた事を思い出し、再確認した。

 

 「おれに行く宛はない。ずっと独りだったよ」。ヴァンはユナとノーチラスにありのままを伝えた。するとユナはヴァンを抱き締めてくれた。

 

「行く宛がないなら私達と一緒に居ようよ」と、言った。決めたのはユナだったが、ノーチラスも既に賛成していた。一緒に居ようと思ってくれているのが、すぐにわかった。

 

 駄目だ。きっとこの者達も死んでしまう。どうせ死んでしまう――ヴァンは咄嗟にそう思ったが、ユナから、ノーチラスから離れる事は出来なかった。

 

 このままアインクラッドを放浪してるより、受け入れてくれたこの二人と一緒に居たい。いつの間にかヴァンはそう思い、決定した。ユナとノーチラスと一緒に居る、と。

 

 そこからの日々は、ヴァンが初めて手にした、幸福というモノだった。ユナは歌のスキルを手に入れており、自分とノーチラスを含めた様々なプレイヤーにその歌を聴かせていた。

 

 ヴァンとノーチラスはいつも、ユナの一番の観客だった。ユナの歌を聴き、血盟騎士団というエリートプレイヤーの集いの一人として活躍するノーチラスの話を聞き、彼らの手助けとなれる情報をやり、その精神や心の治療を行う。

 

 それがヴァンの毎日になっていった。そしてその日々が、ヴァンにとっては幸せに他ならなかった。ヴァンが初めて、本当に死んでほしくない、最後まで生き残ってほしいと思えるようなプレイヤーが、ノーチラスとユナの二人だった。

 

 しかし、ヴァンは二人について気になる事があった。ノーチラスとユナの二人は明らかに互いを思い合っている、言わば恋人のようだったのだが、恋人ではなかったのだ。恋人らしいが、恋人同士ではない。その事についてノーチラスに聞いたところ、彼は少し顔を赤くして答えた。

 

 「実は幼稚園の時からユナと一緒だが、思いを伝えられてはいない。まだ恋人同士にはなれていない」。ノーチラスはユナと恋人同士になりたいそうだったが、勇気が出ず、思いを伝えられないままだというのだ。ノーチラスがユナと恋人同士となりたいというのは、痛いくらいに伝わってきた。

 

 それはユナからも伝わってきていた。ユナもまたノーチラスと恋人同士になりたがっている。しかしどうやら彼女もノーチラスと同じらしく、中々思いを伝える勇気が出ないようだった。

 

 二人揃って煮え切らない様子に、ヴァンは痺れを切らし、ノーチラスの背中を押す事にした。

 

 「早く告白して恋人同士になれ。お前達程恋人同士がお似合いな二人は居ない」と伝えてやった。半ば強制するような形となってしまったが、それでもノーチラスの背中を押す事には成功し、その日の攻略が終わって宿屋に戻ってきた際、ノーチラスはユナを圏内の花園に連れて行った。その後をヴァンはこっそりと追った。

 

 白い花が咲き乱れる花園で、ノーチラスはユナに告げた。

 

 「君の事がずっと好きだった。どうか僕と付き合ってほしい。どうか、これからも一緒に居てくれ」。するとユナは涙を流した。悲しみでも拒絶でもない、喜びに満ちた涙をぽろぽろと流してみせた。

 

 ユナはずっとノーチラスからの告白を待っていたのだ。そしてユナも告げた。

 

「エーくん、好きだよ。これからも一緒に居よう。ずっと、ずっと一緒に生きていこう」。きょとんとしているノーチラスをユナは抱き締め、ノーチラスも抱き返した。

 

 二人の思いは通じ合った。その瞬間はヴァンにとっても最高の喜びだった。こっそり二人に見つからないように宿屋に戻ると、すぐに二人は帰ってきた。とても満足そうな顔をしていた。どうしてそうなのかは聞かないでいたが、ユナの方が話してきた。

 

「私達、恋人同士になったんだよ」。

 

 ヴァンは「よかったじゃないか」と答えたが、嬉しそうなユナはヴァンを抱き締めてきてくれた。「ヴァンもこれから一緒だよ。私達三人で生きて行こう」と言ってくれた。その時初めて、ヴァンは嬉しさによる涙を流した。

 

 この二人と一緒に居れるという幸福を、こんな地獄のような世界で手に入れる事が出来た。それが嬉しくてたまらなかった。ヴァンは心に決めた。この二人こそが自分の癒すべき人間であり、この二人と共に生きて行く事こそが、自分の本当の使命である――姉兄達に押し付けられた使命を投げ出して、新たな使命を得た。

 

 そのために生きて行く日々が始まったが、それが何よりも幸せだった。

 

 

 

《お前らに負ける程、おれ達が弱いと思っているのか。外れだッ!!》

 

 

 ヴァン/エクセリオンはビームブレスを放った。本名をマーテルと言い、現在の名前をリランと言って、狼竜の姿となっている一番上の姉と同じ光属性のブレスである。これまでエクセリオンが使ってきた水属性とは真反対の属性だ。

 

 そのビームで薙ぎ払いを仕掛けるが、狙った先に居る者達は全て回避して見せた。エクセリオンとなっているヴァンの敵とは、SAO生還者達の中で英雄とされる者達だった。ノーチラス/エイジの所属していたギルドである血盟騎士団の二代目の団長であるキリトを筆頭とする少数の超精鋭チーム。

 

 アインクラッドを襲った厄災を退け、ゲームを攻略に導いた英雄達。世間は連中をそう言っている。だが真実は違う。こいつらの真実の姿とは、助けるべき命を助けず、手を差し伸べず、見殺しにしてきた者達だ。

 

 こいつらは強い。これほどの強さがあれば、助かる命も無数にあっただろう。なのにこいつらはそれらをすべて無視して進み続け、英雄の名をほしいままにしている独善的な意識の持ち主達だ。

 

 こいつらが見捨てたせいで、ヴァンとエイジは大切なモノを喪う事になった。その者達に復讐する機会こそ、今この時だった。

 

 エクセリオンとなったヴァンは張り切っていたし、それはエイジも同じだった。二人で同じ気持ちを抱き、一体になって戦っている。

 

 

「お前達は皆を見殺しにした偽善者だ。偽善者に負ける程、僕達は弱くない!」

 

 

 項の辺りからエイジの声がした。エイジは怒っている。彼の怒りは確かにヴァンへと通じ、ヴァンの中の怒りと融合し、一つの大きな力となる。この力に奴らは焼き尽くされるのだ。いや、焼き尽くしてやるのだ。

 

 

 ヴァンの名乗っているエクセリオンとは、《終わらざりし物語》という作品に登場するエルフの王の名前だ。

 

 エクセリオン自体がとても優れているという意味であり、その名を冠するエクセリオンは《終わらざりし物語》にて、《力強き悪鬼》という異名を持つ暴虐の魔物である《バルログ》の王を倒し、エルフに勝利を齎したとされる。

 

 エクセリオンとは《バルログを討ちしエルフの偉大なる王》という意味なのだ。今、ヴァンとエイジこそエクセリオンであり、SAO攻略組最精鋭の連中は邪悪なバルログの群れだ。このバルログ共を討った時、その勝鬨で喪ったモノを取り返す。

 

 攻略組、お前達はエルフではない。

 

 キリト、お前は偉大なるエルフの王(エクセリオン)ではない。

 

 おれ達こそがエクセリオンであり、お前達はエクセリオンに駆逐されるバルログだ。その事を教えてやる――ヴァンはバルログである者達に光熱を放った。

 

 ヴァンの得た力というのは想像以上のものだ。少し力を出すだけで、地形が少し変わるくらいの攻撃が繰り出せる。誰よりも強くなっている気がして、ヴァンは心が躍っていた。

 

 

「調子に乗るなッ!」

 

「皆の記憶を返しなさい!」

 

 

 漆黒の髪をした青年、茶髪の少女の二名がヴァンに攻撃してくる。どちらも盾を持ち、青年は片手剣、少女は片手棍で武装している。両方ともタンクのポジションにいるのは間違いなかった。現にこの前戦った時も、そんな戦法で戦っていたのを憶えている。

 

 その攻撃をヴァンは受けた。

 

 右手に片手棍の一撃、左手に片手剣の一撃が加わってきた。エイジ達、こいつらには痛覚抑制機構(ペインアブソーバ)があるのだが、ヴァンにはそれがない。両手に痛みが走ったが、硬いものにぶつけただけの痛みと変わらなかった。つまりそれは攻略組の攻撃力がそこまで高くない事を示している。

 

 エイジ達、攻略組達が相手にしているボスは、あれだけ攻撃されて、さぞかし痛いだろうと思っていた。実際にボスになった時には、それくらいの覚悟がいるかもしれないと思ってもいたが、拍子抜けだった。

 

 

《その程度かッ!!》

 

 

 ヴァンは攻撃された両手を振り上げ、思い切り地面に叩き付けた。震動が地面を走り、すぐさまヴァンの近くが青白く光り、爆発する。

 

 ヴァンの体内を流れるエネルギーが地面へ向かい、集中。臨界を迎えて爆発したのだ。それに攻略組の数名を巻き込む事が出来たが、流石攻略組というべきか、すぐに回復スキルを使って体力を回復し始めた。

 

 中心になっているのは――ヴァンの一番の兄に当たるユピテルの近くにいる、血盟騎士団の副団長だった少女、アスナだ。

 

 エイジ曰く昔と今とで大分変化しているというアスナのスキルが、忌まわしき攻略組の傷を癒していった。

 

 危険になったらすぐ回復、持ち直してボスへ臨む。エイジから聞いていた攻略スタンスと変わっていない。

 

 

「だああああああッ!」

 

「やああああッ!」

 

 

 直後、後ろ足にまたしても衝撃と痛みが走った。軽く振り向けば、アインクラッドでは商人だったという黒人の両手斧使いエギル、キリトと同じ《ビーストテイマー》であり、貧弱な短剣使いシリカが攻撃してきていた。

 

 炸裂する光が見えたので、ソードスキルを使ってきたのだろう。実際痛みは先程ディアベルとリズベットに攻撃された時より激しめである。

 

 適切なタイミングを見計らってソードスキルを使い、着実にダメージを与えていく。そのスタンスは流石元攻略組という他ない。そんな者達の攻撃によって、ヴァンの五本ある《HPバー》は、その一本目の半分くらいにまで減っていた。確かなダメージを受けているし、手足に痛みが走っている。

 

 

「ヴァン!」

 

 

 項のエイジが声を掛けてきた。自分がここまで傷付けられている状況を心配してくれているのは間違いなかった。だが、ヴァンは焦ってなどいない。そもそも追い込まれてなどいないのだ。

 

 そうだ、こいつらが強かったのはSAOだけで、今は違う。こいつらの本質は、弱いのだ。だからあの時、ユナは助からなかった。

 

 

 ユナ、ノーチラス、ヴァンの三人で暮らし始めて五ヶ月、デスゲーム開始から一年と少し経った頃。レベリングを繰り返して十分な強さを得たユナとノーチラスは攻略に出かけていった。なんでも、迷宮区の攻略に手間取っているという報告が血盟騎士団から寄せられたという。

 

 ここで詰まっていたら、現実世界に三人で帰る事なんて出来ない。なんとかしよう――三人での暮らしを続けていた結果、いつの間にか勇気を手にしていたユナはそう言って迷宮区に潜り込んでいった。ノーチラスと血盟騎士団の数名、風林火山という小ギルドもその後に続いていった。

 

 いつもの攻略だから大丈夫――ユナはそう言っていたが、ヴァンは胸騒ぎを覚え、密かにユナとノーチラスの二名をモニタリングする事にした。二人はそれぞれ別のペースで進んでいったが、あるところで合流した。そこはどん詰まり、モンスターの群れがぎゅうぎゅう詰めになっているトラップゾーンだった。

 

 そこに運悪く引っ掛かってしまったプレイヤーの姿が認められた。ユナとノーチラスは、他の者達と一緒になって救援に走った。だが、戦況はモンスター側に傾いてしまい、全員が追い詰められていった。

 

 もうすぐ死人が出そうなそこで、ユナは歌のスキルを使用した。近くのプレイヤーの移動速度を上昇させ、尚且つ自分にモンスターのターゲットを集めるスキルであった。そのスキル通り、部屋中のモンスター達がユナへ向かい出し、狙われていたプレイヤーは救われた。

 

 その隙を突いて他プレイヤー達は――全員撤退した。助けに入ろうとしたノーチラスも何故か動けず、結局プレイヤー達に担がれて撤退させられてしまった。

 

 

 ――ユナ!! ヴァンの叫びと同時に、モンスター達はユナを襲った。

 

 

 ユナは手足を食い千切られ、纏っていたモノ全てを(むし)り取られ、何もできなくなったところを(むさぼ)り尽くされて、ばらばらにされて――やがて硝子片となり、ナーヴギアに脳を焼き切られて死んだ。

 

 

 ユナが死んだ。ヴァンは信じられなかった。一緒に居ると言ってくれたユナ。抱き締めてくれたユナ。歌を聴かせてくれたユナ。自分の癒すべき人間。その命がこんな形で喪われた。それが信じられなかった。

 

 しばらくするとノーチラスが帰ってきた。彼は虚無と絶望に落ちていた。話しかけても無反応で、何もしようとしない。それはヴァンも同じだった。何もできず、ただ茫然としている事しかできなかった。

 

 だが、しばらくすると落ち着いてあの時の事を思い出せるようになった。するとヴァンの中で芽生える感情が出てきた。それはノーチラスも同じだったらしく、彼は言った。

 

「あの時ユナは殺されたんだ。ユナは十分に助け出せたはずだった。なのに攻略組は助けなかった。あいつらは見殺しにしたんだ。あいつらのせいでユナは死んだんだ」。ノーチラスは怒りに満ちた様子で告げていた。そこでヴァンは気付いた。ノーチラスの持っている怒りと、同じ怒りが自分の中にもあった。

 

 そうだ、あの時かなりの数のプレイヤー、それも実力者達が集っていた。ユナを助け出す事は十分に出来た。だが、そうせずにあいつらは逃げ出した。ユナがスキルを使ったのを良い事に、逃げ出したのだ。奴らは弱いのに、強い強いと豪語していたのだ。

 

 ユナも本当は助けてもらえると信じていただろう。なのに攻略組は見捨てて撤退した。その時のユナの呆然とした顔は忘れられない。ユナは攻略組に殺されたのだ。ノーチラスの言っている事に間違いはなかった。

 

 おれ達の、おれの幸せを奪った攻略組。絶対に許しておけなかった。しかし攻略組はすぐに力を増し、更にはキリトという《ビーストテイマー》を新たな血盟騎士団の団長を迎え入れた事によって強大化。とてもノーチラスとヴァンで太刀打ちできる相手ではなくなってしまった。

 

 それどころか、アインクラッドとプレイヤーを狙うテロリスト集団までも現れて、デスゲームは混沌と化した。復讐の機会を掴めず、ノーチラスとヴァンは――現実世界へ帰された。その時ヴァンはノーチラスのナーヴギアのストレージに仕舞い込まれ、眠りに就かされた。

 

 

 次に目を醒ました時、オーグマーという機具を付けたノーチラスが目の前に居た。彼はノーチラスではなく、本名を後沢鋭二というのを教えてくれた。そして自分が眠っている間に起きた事を教えてくれた。

 

 オーディナル・スケールという新たなゲームが生まれ、ヴァンはそこにコンバートされた事。重村教授――ユナの父親である科学者が、ユナを生き返らせようとしているとの事。そのための手段が存在している事。そこまで話してくれたところで、鋭二は自身が迷っている事を教えても来た。

 

 この計画に乗るべきか。

 

 乗ればユナが本当に生き返ってくれるのか。

 

 ヴァンは少し考えた。ユナが生き返ろうとしている。そうすれば三人での幸せな日々を取り返す事が出来る。そのための手段があるならば、取らない選択肢は存在しない。ヴァンは鋭二の背中を押した。

 

 ユナを生き返らせるぞ。おれ達の手で、取り戻すぞ――そうしてヴァンは重村教授に改造されて、鋭二の《使い魔》である《ネモ》へとしての姿と力を手に入れた。

 

 一番の姉であり、あの偽りの英雄であるキリトの《使い魔》であるリランと同じ狼竜。その逆の属性である水を使うドラゴンへ、ヴァンは変じたのだった。その時から、ヴァンとノーチラス/エイジの新たな戦いは開幕したのだった。

 

 重村教授の話によると、SAO生還者達の記憶を奪い、特別な素材にする事で、ユナを蘇らせる事ができるという事だった。その話を信じ、ヴァンはエイジと共に戦った。SAO生還者達を襲い、記憶を奪ってやった。それがヴァンは心地よくて仕方がなかった。

 

 ユナはSAO生還者達のせいで死んだ。ユナを殺した奴らの記憶を使う事で、ユナを生き返らせる事ができる。ユナを殺した者達は、殺されたユナへの供物にされるのだ。そして最後にユナも生き返る。ユナとエイジと自分の三人の、幸福の日々が帰ってくる。

 

 だからこそヴァンは意気込み、SAO生還者達を襲い、奴らがユナにやったように蹂躙していった。

 

 そしてこの日を迎えた。取り戻しの日を。

 

 しかし、その最後の最後で重村教授の本当の目的が、ユナを独占する事だとわかった。これまで重村はユナを独占するために自分達を利用していたのだ。それを教えてくれたエイジと一緒に、ヴァンは重村を襲い――SAO生還者達同様水の球に沈めた。

 

 最早誰も邪魔者は居ない。これでユナは生き返り、三人での日々は取り返される。そう思っていた。だが、最後の障害があった。目の前にいる、英雄と称される偽善者達が。

 

 

 ヴァンは怒りを胸に滾らせ、痛む手足に力を込めた。ヴァンの真下の地面が白く光が走り、その光はヴァンの身体へ流れ込んでいく。更にヴァンの首筋に生える触手も天へ伸び、白く光る。

 

 光は同じようにヴァンの身体へ流れ込んでいき――手足の痛みが消えた。攻略組に付けられた傷が治り、《HPバー》が再び全快へ戻った。

 

 

「か、回復した!?」

 

「そ、そんな事できるの!?」

 

 

 エイジを襲ったというシノンとフィリアなる二人の少女が言い、他の者達も同じように驚く。ボスは回復しないという先入観に囚われ、ヴァンの能力を見越せなかったのだろう。この回復能力こそ、ヴァンの隠していたモノだ。

 

 エクセリオンとなったヴァンこそが、スタジアムの《英雄の使徒》の根本だった。《英雄の使徒》を意のままに操りつつ、プレイヤー達の恐怖の感情をここへ流し込む。そしてここに到達する者達が現れた場合は、このエクセリオンとして迎え撃ち、攻撃された場合は《英雄の使徒》からHPを吸収して回復する事が出来るのだ。

 

 HPを吸い取り切られてHPがゼロにされた《英雄の使徒》は死に、スタジアム内を暴れる《英雄の使徒》はHP吸収によってやがて全滅するだろうが、その前にこいつらを倒す事は容易だし、何よりもう恐怖の感情の有無よりも時間の問題だ。

 

 《英雄の使徒》――重村が用意した道具などどうでもいい。本人はもう供物になっているのだから。

 

 そして最後の供物達を、回復しきったヴァンは睨み付ける。

 

 

お前達を許さない。

 

 おれ達からユナを奪ったお前達の、ユナと同じ歌を歌う口を許さない。

 

 我が身可愛さにユナを見捨てて死なせ、良い思いをしてるお前達の姿を許さない。

 

 ユナを犠牲にしておきながらその事を自覚せず、ここまで生きたお前達の命を許さない。

 

 お前達の感情も心も、何一つ許すものか。何もかもユナに捧げるまで、許すものか。

 

 ユナを取り返すこの日をどれだけ待ったか。お前達をユナへの生贄に出来るこの日をどれだけ待ちわびたか。

 

 もうユナを奪わせるものか。根絶やしにしてやる

 

 

 ヴァンは成人男性の《声》から元々の少年の《声》となり、吼えた。




 次回、『白夜の音楽祭』



――原作との相違点――


①ユナの死に際が酷い

②ユナが死に際に助けを求めていた

③ユナが一年以上生きている

④重村徹大、沈んでいる


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