キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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 ちょっと長め。


02:剣士と機鋼狼 ―銃使いとの戦い―

         □□□

 

 

「キリト……!?」

 

「待たせたな、シノン」

 

 

 シノンの一番の疑問に、彼は答えてくれた。黒い髪の毛に線の細い輪郭、そして黒いコート状のコンバットスーツ。その姿は間違いなく、シノンにとって一番大切な人であるキリトだった。

 

 教えていないのに、この世界の事は何も話していないのに、どうしてキリトがここに――半ば目の前の光景が信じられなくなっているシノンの身体を、激しい振動が襲った。つい先程からキリトの後ろに置かれたシノンは一定周期で揺さぶられていた。キリトの操る、白金色の装甲を纏った機械の狼に跨っているからだ。

 

 だが、今の揺れは機械の狼の歩行によるものではなかった。何か大きなものをぶつけられたかのような揺れ方だった。

 

 

《キリト、あいつの攻撃が来ているぞ!》

 

 

 頭の中に《声》が響いた。何度も聞いてきた初老女性の声色だ。その根源は勿論、キリトと一緒に跨っている機械の狼だ。その狼に応えるようにして、キリトは前へ向き直り、ハンドルを握り直した。その形状はバイクや車の物とは全く異なる、複数のボタンが付いた二本の操縦桿(そうじゅうかん)に近しい物だった。

 

 

「あいつの使ってるのはバルカン砲だって話だな、リラン」

 

 

 リラン――シノンもまた何度も聞いて呼んだ名前をキリトが口にした。その対象こそが自身の跨る機械の狼だ。

 

 

《バルカン砲は本来戦闘機や戦車に搭載される火砲だ。生身の人間が取り扱えるものではないぞ》

 

「それは知ってる。そんなものがプレイヤーが使えるようになってるんだから、この世界は《SA:O》やALO並みに自由だな!」

 

《我がこのような機械の身体になっているのも、その自由さのおかげだ!》

 

 

 そう発したリランの巨躯を再び衝撃が襲った。弾丸が連続で叩き込まれるような鋭い音が下方側面から聞こえてきた。音に誘われるようにして視線を向けると、ベヒモスが重いバルカン砲の銃口をこちらに向け、火を吹かせていた。

 

 ベヒモスはバルカン砲というミニガンの究極形を使っているが、その代償に旋回速度と移動速度を奪われている。なので移動速度は明らかにこちらが上回っているはずなのに、ベヒモスの弾丸は次々とリランの身体に撃ち込まれていっていた。

 

 よく見ると、ベヒモスは銃口をリランの前方方向に向けてごく短時間掃射、すぐに掃射を止めてリランの前方に銃口を向け直して掃射再開を繰り返しているのがわかった。

 

 相手の動きを出来る限り読み、前もって進行方向に銃口を向けておき、相手が通りかかったタイミングで発射するテクニック、《置き撃ち》だった。

 

 ベヒモスは脳筋だと言われていたが、それでも沢山のプレイヤー達を撃ち倒してきた猛者の一人だ。生き残るため、勝ち残るためのテクニック取得を怠っているわけがなかった。そんなシノンの予想は物の見事に当たっていた。

 

 

「あいつ、私達の進行方向を狙って撃ってきてる! こっちの対処方法を知ってるんだわ!」

 

「それで殺り過ぎ(オーバーキル)の武器を撃ってきてるのか。けど、こっちにだってそれはあるっての!」

 

 

 キリトは咄嗟にリランの頭に顔を近付け、声を掛けた。

 

 

「リラン、走られてると標準がぶれまくる。ブースト移動に切り替え!」

 

《そのうえ自動操縦であろう。移動は任せてしっかり狙え!》

 

 

 キリトが「あぁ!」と応じると、リランの身体からの振動が止まった。しかし移動は継続している。見れば彼女の脚部のバーニアが展開、地面からほんの少しだけ浮いているホバリング状態になっていた。

 

 移動速度は変わっていないにも関わらず振動が止まっているので、ここから銃撃する事も可能だ。確認したキリトは身体を左斜め前方に伸ばしてあるモノを掴み、手元へ持ってきた。

 

 リランの身体から延びる太いロボットアームのようなもので支えられているそれは、ベヒモスの持っているバルカン砲と似通った形のガトリング砲だった。

 

 だが、どう見ても彼の持っているバルカン砲よりも大きくて長いうえ、砲身が一本多い。そしてそれを確認できたところで、シノンはリランの左脚の付け根に当たる部分に大きなドラムマガジンが装着されている事に気が付いた。

 

 リランという鋼鉄の狼型歩行戦車だからこそ搭載できる超々重火器。その銃口を向けられたベヒモスの顔は、遠くから見てもわかるくらいに蒼褪めていた。人に向けるべきものではないモノを向けられた者の顔だった。

 

 

「よくも他人の伴侶と親友と《使い魔》にそんなふざけた銃をぶっ放してくれたな。そのお礼をしてやるよ!」

 

 

 興奮しているのか、上ずっているような声をキリトが出した直後、その引き金(トリガー)が引かれた。一瞬ぎゅいんという機械音がしたかと思えば、すさまじい連射音と共に弾丸が吐き出された。ほぼ一瞬のうちにリランの身体が右方向に引っ張られ、ベヒモスと自分達の間の地面が何度も爆発した。

 

 

「う、う、わ――」

 

 

 その中に混ざってベヒモスと思わしき男の声がしたが、すぐに発砲音に掻き消された。キリトの放つガトリング砲に当てられた彼は、一瞬のうちに赤い光を纏う光の断片になり、跡形もなく消失した。

 

 それに続いて倒れていたベヒモスの仲間のスコードロン達も赤白い光のシルエットとなり、爆散。このフィールドから消えていったのだった。敵の気配が完全に消え去った。オールクリアだ。

 

 しかし、シノンはベヒモスの居たところから目を離せなかった。全然ダメージを受けていなかったはずのベヒモスが、一瞬のうちにやられてしまった。キリトの撃った機関砲は、かなりふざけた威力を持ったものである事は確かだった。

 

 そんなものをぶっ放して見せたキリトはというと、完全に唖然としてしまっていた。まさかここまでの威力が出るとは思っていなかったのだろう。

 

 敵性勢力の殲滅を確認したリランが立ち止まった頃、キリトはリランに声掛けした。

 

 

「あの、リランさん。これなんですか。相手一瞬で吹っ飛んだんですけど」

 

《そのガトリング砲は《GAU-8 復讐者(アヴェンジャー)》。《A-10サンダーボルトⅡ》などの対地用戦闘機に搭載される最強のガトリング砲だ。口径は三十mm――鋼鉄の牛乳瓶を秒間百発以上射出するモノと思ってもいい》

 

「「さ、三十mm!? 鋼鉄の牛乳瓶ッ!?」」

 

 

 思わずキリトと一緒に声を上げてしまった。この《PSG-1》でさえ放つ弾の口径は七.六二mmで、ベヒモスの使っていたバルカン砲の口径も二十mmだ。リランの搭載しているこのガトリング砲は三十mmと、それらを凌ぐ完全なる殺戮兵器であり、人間ではなく戦車や戦闘機、装甲車に向けて撃つべきものだ。

 

 そんなものの銃口を向けられたのだから、ベヒモスがあれだけ蒼褪めた顔をしたのもわかる気がした。

 

 

《それだけではないぞ。お前から見て右方向にある超巨大(エレファント)狙撃砲(スナイパーカノン)は――》

 

「キリト、キリト――!!」

 

 

 リランの《声》を遮る声があった。聞き覚えのある青年未満の少年の声。シュピーゲルだ。こちらから見て左前で手を振っている。ベヒモスのスコードロンの猛攻を浴びていた彼も、何とか生き延びる事に成功したようだ。

 

 

「シュピーゲル、危なかったな」

 

 

 親友であるキリトが答え、リランがシュピーゲルの許へ向かう。すぐ傍にまで辿り着くと、シノンはキリトと一緒にリランの背中から降りた。そこでシュピーゲルは、目をこれ以上ないくらいにきらきらとさせていた。

 

 

「キリトにリラン、二人も来てくれたんだ! GGOに!」

 

「俺達だけじゃないぜ、皆来てるよ。今《SBCグロッケン》で準備中だったと思うよ」

 

 

 シノンは目を丸くした。

 

 キリトとリランだけなく、皆まで来ている?

 

 どうして。どうして皆までここに来ているというの。

 

 誰にも言っていなかったはずなのに――そんな疑問を胸に抱くシノンに、三人は気付いていないようだった。

 

 すぐにシュピーゲルがリランの許へ向かい、大きな声を出し始める。

 

 

「リラン、リランなんだよね!?」

 

《あぁ、我だぞシュピーゲル。こんな姿になってしまったがな》

 

 

 その《声》はやはりリランのものだった。これまでは白金色の狼竜の姿となっていたキリトの《使い魔》である彼女は、この世界ではこのような機械の巨狼へ姿を変えたらしかった。そんなリランにシュピーゲルは興奮していた。

 

 

「すごいや! 《機鋼狼(きこうろう)リンドガルム》!! 《ビークルオートマタ》として入手できる戦機の最上位クラスがこんな近くで見れるなんて!!」

 

 

 シュピーゲルの口から飛び出す専門用語は、シノンもわからないものだった。とりあえずリランが《機鋼狼リンドガルム》という種類である事、《ビークルオートマタ》なるものが存在している事はわかったが、その詳細は全くわからなかった。

 

 一人大興奮のミリオタに、親友キリトは苦笑いして声掛けする。

 

 

「ははは……全然わからない用語が出て来てる……とりあえずシュピーゲル、街で詳しく聞いていいか、それ」

 

「いいよいいよ! 僕もリランをもっとよく見たい!」

 

 

 純粋に好きな物を目にした少年のようなシュピーゲルの様子に、キリトの苦笑いは続いていた。ここまで興奮している彼を見るのは、親友となっているキリトも初めてなのだろう。

 

 しかしシノンは変わらずにキリトとリランをただ見ていた。やがてキリトがこちらへ振り向き、声を掛けてきた。

 

 

「このゲームは《転移結晶》みたいなのは無いんだっけな」

 

「えぇ。フィールドに来たところに転送装置があったでしょ。そこから《SBCグロッケン》に戻れるわ」

 

「了解だ。じゃあ、そこまで一緒に帰ろう。リランに乗っていけばすぐだ」

 

 

 キリトが再度指示をすると、リランはこれまでのゲームの時のように伏せて、背中に乗れる姿勢を作ってくれた。キリトが最初に跨り、次にシノン、最後にシュピーゲルが跨ると、リランはすくっと立ち上がった。

 

 目の高さが一気に上がったところで、シノンは荒地の一角に落ちている黒光りする物を認めた。そこはベヒモスが倒れた場所であり、彼の使っていたバルカン砲が地面に放り出されていた。所有者であるベヒモスが戦闘不能になった事で、バルカン砲が彼の手より外れ、ドロップしたのだ。

 

 バルカン砲はミニガンの上位種だという話だから、ショップのオークションに送り出せばすさまじい値段が付けられる事だろう。持ち帰るべきだろうか。

 

 

「あれ、バルカン砲が落ちてるわね」

 

 

 そう言えばシュピーゲルが興奮した様子で反応すると思っていた。しかしそんなシノンの予想を裏切って、シュピーゲルは苦笑いに近い顔をしていた。先程のキリトの表情と同じだ。

 

 

「うーん、バルカン砲かぁ……」

 

「え、拾わないの」

 

「さっきも言ったけど、バルカン砲はドロップしてるのを持って帰るのも難しいんだ。持てば全然動けなくなるくらいに重いんだよ。売ればすごい値段になりはするだろうけど……持って帰る途中で敵にやられるかも。そしたら僕のMP5も全部なくなるから、パス」

 

 

 よくぞまぁ、そんなものを無事に街まで持ち帰れたものだ、あのベヒモスは――シノンはそんな事を思っていた。すると、キリトが何か思い付いたように声を出した。

 

 

「重い物ならリランに載せて運ぶか。リランならいけるだろ?」

 

 

 確かにこれだけの機械の巨躯をしているリランならば、あの程度の武器を運ぶ事など造作もないだろう。期待を込めてキリトと一緒に向き直ってみるが、リランは首を横に振ってきた。

 

 

《これ以上は無理だ。エレファントスナイパーカノンとアヴェンジャー、《ヘルファイアミサイル》を背負っているせいで積載限界ギリギリになっている。お前達三人も加わって、もう無理だ》

 

「へ、ヘルファイア!? まさかそんなものまで搭載してるの!?」

 

 

 シュピーゲルの反応をほとんど無視し、リランはバルカン砲から街の方へと身体を向けた。

 

 

《後々復帰したベヒモスが回収しに来るだろう。あれくらいはあのオスゴリラに残しておいてやろう》

 

「それもそうだな。よし、このまま帰ろう」

 

 

 キリトが改めて指示すると、リランは地面を蹴って走り出した。フィールドにあったり、手に入れる事が出来る車両よりも早く風景が通り過ぎていき、風がびゅうびゅうと吹き付けてくる。これもリランだからできる芸当であろう。

 

 この速度、そしてこれだけの火力の武器を積載しているリランに乗っていれば、何にも襲われる事はないだろう。リランの背中の上ならいける――そう思ったシノンは、前に居る大切な人に声掛けをした。

 

 

「キリト」

 

「うん?」

 

「あなた、どうしてここに。どうして、私のところに?」

 

 

 キリトからの応答が止まった。話しづらい事を頼んでいるわけでもないはずなのに、黙られるのは気持ちが良くなかった。

 

 

「ねぇキリト、教えてほしい。あなた、どうしてここに来たの」

 

「リラン、ちょっと方向転換してくれないか。どこか敵の居ないところに行ってくれ」

 

 

 キリトはシノンではなく、リランに言った。思わずシノンがきょとんとすると、リランは進行方向を街から全く別の場所、廃墟のあるところを目指して走り出した。

 

 シュピーゲルと一緒に出向いた時に敵を認められず、プレイヤーから見つかる事もなかった場所だった。そこへ向かい始めたという事は、キリトが話したい事があるというのは言われなくても分かった。

 

 巨大な鋼鉄の狼リランが足を止めたところは、かつて雑居ビルが立ち並んでいた場所の一角と思わしき場所だった。先程訪れた時同様に敵の気配はなく、プレイヤー達の気配もない。ひとまずゆっくりするのには向いている場所だった。

 

 キリトがリランに指示を出すと、リランは伏せて搭乗者を降ろした。

 

 直後、シュピーゲルが「敵がいないか見廻ってくる」と言ってその場を離れ、ビル群の外の方へ向かって行った。自分達の邪魔にならないように気を遣ってくれたのだろう。

 

 後でお礼をしないといけないか――そう思いながら、シノンは地面に腰を下ろしているキリトの隣に腰を下ろした。

 

 そのまま、キリトと一緒にリランに寄り掛かる。SAOの時にも、ALOの時にも、《SA:O》の時にもやった、三人の時間だ。二人で地面に腰を下ろし、リランに寄り掛かって話をする。そんなやり取りが、ここGGOでも出来るとは思ってもみず、シノンは静かに驚いていた。

 

 そうして始まった三人の時間で、最初に口を開けたのはキリトだった。

 

 

「遅くなってごめんな、シノン」

 

 

 そんな事は気にしていない。自分の知りたい事は、キリトとリランがどうしてここに居るかだ。

 

 

「ううん、そうじゃなくて……」

 

「あぁ。どうして俺達がここに来たのか、だろ」

 

「……えぇ。どうしてここにあなた達がいるの。私、ここの事は誰にも言っていないのに」

 

 

 キリトは軽く上を見た。相も変わらず異様なオレンジ色に染まった空が広がっている。終わりの来ない黄昏の空だ。

 

 

「教えてもらったんだよ、君の事をさ」

 

「まさか、それって」

 

「あぁ。イリスさん――愛莉先生が教えてくれたんだよ」

 

 

 それを皮切りに、キリトは事情を話し始めた。

 

 

 

 

         □□□

 

 

 

 

 五日前、桐ヶ谷宅。

 

 

「急にお邪魔する事になって申し訳ないね、和人君」

 

「確かにびっくりはしましたけど、喫茶店とかに招かれるより良かったですよ」

 

 

 そう言って座布団に腰掛ける和人の前方には、妙齢の美女が居た。

 

 艶のある黒い髪をなびかせ、白いコートを着ている。その上からでも大きいとわかる胸をしている、見慣れた顔をした女性。名を芹澤愛莉という彼女が、初めて和人の家を訪れてきていた。

 

 流石にリビングなどを使うわけにはいかないので、あまり使う事のなくなった和室へ案内し、そこで応対する事にした。かつては精神科医で、今はAI研究者である愛莉は和室に招かれるなり、「こんな部屋があったんだね」と意外そうにしていた。

 

 

「そう、銀座の高級スイーツ喫茶店とかでも良かったんだけど、如何せんしなきゃいけない話が他人に聞かれたくないモノだったからね。そういうわけにもいかなかったのさ。急に行きたいとか言い出して、本当にごめん、和人君」

 

 

 申し訳なさそうにしている愛莉に和人は首を横に振る。

 

 一昨日、急に和人のスマートフォンに愛莉からの電話があった。滅多に電話をしてこない彼女からの連絡内容は、「詩乃について話したい事があるから、君の家で話をしたい」というものだった。

 

 長期休暇を終えて職場復帰したはずの彼女が東京を越えた先の埼玉に、和人の家に行きたいと言い出したのだから、流石に和人は驚くしかなかった。

 

 だが、彼女の言葉のうちにあった詩乃についての話というキーワードが、その驚きを打ち消して要求を受け入れさせた。

 

 愛莉は全国に評判を轟かせられるくらいの実力と能力を持つ精神科医であり、だからこそ他の精神科医では治療困難とされている詩乃の治療に当たっていた。その評判に嘘偽りはなく、彼女の治療を受ける事によって、長年続いていた詩乃の苦しみは和らげられていた。

 

 そんな愛莉は詩乃の事情を深く深く知っており、詩乃の恋人となっている和人にもその事情を幾分か教えてくれていた。その共有してもらえる情報があると踏んだからこそ、和人はこうして愛莉を自宅へ招き入れたのだった。

 

 

「だからいいです。それより愛莉先生、話って何ですか。詩乃に関係してる大切な話って」

 

 

 愛莉は一瞬だけ動作を止めた。間もなくして深く溜息をすると、言葉を返してきた。

 

 

「……和人君、最近《SA:O》で詩乃を見た事があるかい」

 

 

 和人はきょとんとした。そう言われてみれば、最近詩乃が《SA:O》にやってきた事はない。ここ三ヶ月くらいずっとそうだ。《SA:O》の正式サービスが開始され、続々と新要素が追加されてきているのに、詩乃は全く現れてきていなかった。

 

 あまりに来ないものだから、現実の学校で「どうした?」と聞いてみたりもしたが、「違うゲームをしている」と返してくるだけだった。そのゲームのタイトルは教えてもらえていない。

 

 

「そういえば、最近《SA:O》に詩乃は来てないです。おかげでプレミアとティアが心配してますよ。愛莉先生、詩乃が何のゲームをやってるのかわかるんですか」

 

「あぁわかるよ。私も聞いた時びっくりしたんだけど……あの娘がやってるゲームのタイトルは《GGO》。《ガンゲイル・オンライン》」

 

「《ガンゲイル・オンライン》……? あれ、それって」

 

「通称《GGO》。フルダイブ式VRFPSRPG。あの娘、銃で戦うゲームに居るよ、今」

 

「は!?」

 

 

 思わず和人は声を上げて驚いてしまった。あの詩乃が銃で戦うゲームをしているなんて、信じられる事ではない。

 

 現に彼女は銃を見ればパニック発作を引き起こしてしまうようになっているのだ。だからこれまで、彼女をなるべく銃から遠ざけるようにしてきた。それを指導していたのは目の前にいる愛莉だ。愛莉は誰よりも、詩乃に銃を近付けてはいけない理由を知っているはずだった。

 

 そんな愛莉から治療を受けているはずの詩乃がFPSをやっているなど、やはり信じがたい。

 

 

「信じられないだろう。あの娘が銃で戦ってるなんてさ」

 

「当たり前です! っていうかなんでそんな事を。まさか愛莉先生……!」

 

 

 愛莉は首を横に振った。

 

 

「いや、私は勧めてない。寧ろ、そんなものやるべきじゃないって止めたよ。けど、あの娘は行くって聞かなかったんだよ。《ガンゲイル・オンライン》っていうゲームに行くってね」

 

 

 《ガンゲイル・オンライン》。確か最近話題になっているVRゲームにそんな名前があった。ガンゲイルという単語が混じっている時点で、銃を使って戦うゲームだとわかっていたが、調べてみたら案の定FPSRPGだった。

 

 そこに詩乃が向かっているというのは相変わらず信じられない。

 

 

「なんで……なんで詩乃が銃で戦うゲームなんかに。詩乃は銃を見れば発作を起こすっていうのに……!」

 

「和人君、そもそも詩乃がどうしてそうなってるのか、わかるよね」

 

 

 和人は少しだけ下を向き、詩乃の事を思い出す。朝田詩乃――自分の恋人であり、大切な伴侶である彼女は、十一歳の時に母親と一緒に訪れた銀行で、覚醒剤により正気を失った銀行強盗に襲われた。

 

 強盗犯はまともな判断が出来なくなっており、銀行員も客もお構いなしに撃ち殺そうともしているような有様で、あるタイミングでその銃口が詩乃の母親に向けられてしまった。

 

 そこで咄嗟に詩乃は強盗犯に飛び掛かり、その凶器である拳銃――《五十四式黒星(ヘイシン)》と呼ばれるそれを奪った。

 

 武器を奪われた事に激昂した強盗犯は詩乃へ襲い掛かったが、詩乃は無我夢中で銃の引き金を引いた。その一発が強盗犯の頭を撃ち抜き、強盗犯は倒れた。詩乃の放った弾丸によって死んだのだ。

 

 自分の放った弾丸で人が死んだなどという現実に、まだ幼い方に入っていた詩乃は耐えきれるわけがなかった。それ以来彼女は銃を見るとパニックや嘔吐などの強く酷い発作を起こすようになってしまった。彼女は病魔に侵されていた。

 

 病気の名前は、心的外傷後ストレス障害。PTSDと呼ばれる病が、彼女に宿ってしまった。

 

 しかもそれはあまりに深刻であり、普通の医者では治療できるようなものではなかった。だからこそ彼女は、全国に知れ渡る名の精神科医、芹澤愛莉に掛かり、その治療を受ける事となったのだ。

 

 その事を出来るだけ細かく、尚且つ分かりやすく伝えると、愛莉は数回頷きを返してきた。

 

 

「そう。あの娘は銃をきっかけにして酷い傷を心に負った。そしてその心の傷は、銃を見たりする事によって開く。傷は開けば血が出てきて、それがあの娘にパニック発作として現れる。君もよく見てきているだろう」

 

「わかります。詩乃がどれだけ苦しんでるかも、全部わかります……」

 

「けれど、実は詩乃のアレは、詩乃が自分で作ってしまっているものなんだよ」

 

 

 和人は顔を上げて目を丸くした。

 

 詩乃が自分で心の傷を作った?

 

 自分からPTSDになったというのか?

 

 暴言に等しい事を言ったような気がする元精神科医は、続けた。

 

 

「あの娘は銀行強盗犯を射殺した事を罪だと思っている。確かに詩乃は殺人者だ。普通ならば咎められるべき罪人だ。けれど、あの事件はあくまで覚醒剤キメて銀行強盗に走った強盗犯が全部悪いのであって、それを撃ち殺した詩乃は何にも悪くない。寧ろ詩乃が強盗犯を殺さなかったら、もっと犠牲者が出ていたのは間違いない。銀行員全員が頭をぶち抜かれて死んでたりもしただろう。だから詩乃のやった事は正当防衛であり、咎められる必要は一切ないんだ」

 

 

 そうだ。元はと言えばあの強盗犯の男が何よりも悪いのだ。法律で所持が禁止されている覚醒剤を、拳銃を所持して銀行を襲い、何の罪もない銀行員や客を撃った。そして挙句の果てに詩乃の母親を撃ち抜こうとさえしたのだ。

 

 もし詩乃があそこで強盗犯を殺さなかったら、愛莉の言うように、犠牲者がもっと増えていたのは確実だ。

 

 

「けれど、あの娘の中では強盗犯を射殺したという事実だけが異様に大きくなってしまって、罪を犯したわけでもないのに罪を犯したと思い込んでしまっている。もう自分のやった事を罪ではないとは思えなくなってしまっているんだ。

 

 本当はそうじゃない、正当防衛だった、詩乃は何も悪くないって事を外部の人間が教えてあげなきゃいけなかったんだけど、外部の連中……主に学校の教師生徒の(クソ)共が寄って(たか)って調子に乗って、詩乃を罪人とか血が付くとか好き勝手言い放題したせいで、あそこまで悪化した。可能ならそいつら全員に、詩乃に掛かってる治療費を十割負担で全額請求したいね」

 

 愛莉の声色に怒りが混ざっていた。和人は自分の中にある詩乃の記憶を閲覧する。銀行強盗を止めたのに、殺人者だの忌子だの血が付くだのと散々好き勝手言いまくって詩乃を傷付けた屑共の様子が浮かんできて、激しい怒りに駆られる。

 

 あいつらは詩乃がどれだけ苦しんでいるのかなど、何一つわかっていない。それどころか、詩乃が苦しむ様を見て笑ってさえいた。

 

 詩乃の記憶でそれを見た時、可能であればそいつら全員の首を撥ね飛ばしてやりたくなったのは、今でも鮮明に思い出せる。

 

 

「強盗犯が詩乃のPTSDの基礎を作り、外部の連中がそれを増強した。詩乃のPTSDは半ば外部の人間達が作ったものだ。だから詩乃は何も悪くないんだけど、詩乃は自分が悪いと思い込んで、それを自分で大きくしてしまっている。その自分で大きくしてしまっているっていうのが一番の問題でね。あの娘は言わば、自家中毒状態なんだ」

 

 

 自家中毒。自分の体内で作り出された毒素に自分で冒される症状の事だ。言わば自分で自分を攻撃しているようなものである。それを例えに出しているという事は、詩乃は自分で毒を生み出し、自分で冒されていると言いたいという事だろう。

 

 

「……それと詩乃がGGOに行った繋がりは何なんですか」

 

「その自家中毒を克服するためだよ。あの娘は自分の中の銃へのトラウマという毒を克服するために、あえてGGOという銃で戦う世界へ向かっていった。暴露療法ってわかるかな」

 

 

 暴露療法。確か前に愛莉から聞いた事がある。

 

 詩乃のようにPTSDを患った人が、あえて強いトラウマと繋がりを持っている物や場所に身を置き、トラウマとなっている事態が起こらない事を長らく認知し続ける事で、PTSDそのものを治療へ導くやり方だ。

 

 そういえば、詩乃のやっている事は銃というトラウマと繋がりのある物の近くに居続け、更に銃で敵と戦っていくという、暴露療法に近しいものだとわかった。

 

 

「わかります。もしかして詩乃は銃へのトラウマを克服するために、銃で戦うGGOに?」

 

「そうだよ。あえて銃の近くに居続けて、銃で戦っていく事によって、銃は安全なもの、銃は怖くないと認識出来るようにして、あの娘はPTSDを治そうとしている。リスクが伴うかなりの荒療治だけど、短期間での効果が見込める有効なやり方でもある」

 

「詩乃、なんでそんな焦って……ゆっくり治していけばいいのに」

 

 

 ふと思った事を口にしたそこで、愛莉が反応を示した。

 

 

「ねぇ和人君」

 

「はい?」

 

 

 和人が顔を上げた時、愛莉は手を向けてきていた。その形は、人差し指と親指を立てている、子供がよくやる銃の真似だった。和人はその人差し指の先端に目を奪われていた。

 

 愛莉の人指し指は細く白い、美しい形をしていて、爪が非常に短かった。高速タイピングをやるプログラマ、文章入力を仕事としている者の指だ。

 

 

「……ばぁん」

 

 

 愛莉は呟くように銃の声真似をした。和人は瞬きを繰り返す。一体何のつもりなのだろうか。愛莉の意図は掴めない時が多かったが、今はかなり顕著だ。そんな和人を見る事数秒、愛莉は手を下ろして、溜息を吐いた。

 

 

「和人君は、何も感じないんだね」

 

「え?」

 

「あの娘、今でもこれをやられると発作を起こすんだ」

 

 

 和人ははっとした。そうだ。今のは銃の真似だ。何よりも詩乃が嫌うものであり、詩乃から遠ざけなければならないもの。そしてそんな彼女の記憶を持っている自分も、銃の真似をされたりすると、その発作に近しい症状を起こす事があった。

 

 だが、今はもう何も起きる気配がない。

 

 

「俺、なんで……俺も確かに詩乃と同じ記憶があるのに……」

 

「これは憶測だけど、君は詩乃と自分の記憶の線引きをしっかり行った事で、詩乃の記憶からの影響をほとんど受けなくなっているんだ。だから詩乃が苦しむ事をされたり、見せられたりしても、君は平気になっているんだよ」

 

 

 確かに、詩乃の記憶の混濁に苦しむ時期があったが、それは詩乃の努力によって良化し、今では何も感じないくらいになっている。だから自分はもう銃を怖いとか思わないし、銃を見ても何も感じない。

 

 強いて言えば、銃は詩乃を苦しめるものという認識がある程度だ。

 

 

「けど、平気になったのは君だけで、詩乃はそうじゃないんだ。あの娘はそうなってる自分自身を許せないでいる。だからGGOに飛び込んでいったんだ」

 

「なんでそんな無茶を。銃の真似くらいで苦しむのに、銃で戦う世界になんて行ったら」

 

 

 速攻で発作を起こして危険だろうに――そう思った和人に、愛莉は声かけしてきた。

 

 

「いや、私も意外に思ったんだが、GGOだとあの娘は銃を見ても発作を起こさないんだ」

 

「え?」

 

「それだけじゃない。前までやってたオーディナル・スケールがあったろう。あれでも詩乃は銃で戦ってたし、銃で戦ってるプレイヤーを見ても何ともならなかっただろう」

 

 

 そういえば、オーグマーでプレイするオーディナル・スケールで詩乃/シノンは対物ライフルで戦っていた。明らかにトラウマの引き金になりかねない銃を使っているはずなのに、何の発作も起こさなかったから驚いたものだ。

 

 

「どうやらあの娘、仮想世界での銃なら平気みたいなんだよ。どういう仕組みかはわからないけど、仮想世界でなら銃に触れても、銃で戦っても発作は起こらないんだ」

 

 

 もう言われないでもわかった。仮想世界での銃で大丈夫ならば、そこで戦い続ける事で、現実世界でも銃を平気になれる――詩乃はそう思ってGGOに飛び込んでいるのだ。

 

 

「だから詩乃はGGOに居るんですか」

 

「そうだよ。誰にも言ってないのは、自分の発作で迷惑を掛けたくないからだろう。GGOで銃を使って戦って、人知れず強くなって、銃を平気になって戻ってきたいっていう算段みたいだ。PTSDを乗り越えて、君達の許へ帰りたいと思ってるみたいなんだよ、あの娘は」

 

 

 この行動は皆を、そして自分を思ったため。詩乃の考えが手に取るようにわかった気がしたのは、詩乃との付き合いが長くなったためだろうか。或いは詩乃との繋がりがここまで深くなったという事か。

 

 愛莉の言葉が続く。

 

 

「けれど、本来トラウマの引き金である銃の近くに居る時点で、あの娘はかなり無茶してるし、本来GGOはあの娘にとってはかなり危険な環境だ。いつあの娘を発作が襲っても不思議じゃない」

 

 

 では自分はどうするべきか、今後自分が取るべき行動とは何か。

 

 考える和人に愛莉は言葉を掛けてきた。

 

 

「なので和人君、私から頼みがある。GGOへ向かい、これまでどおりに詩乃を守ってやってほしい」

 

 

 そう来ると思った――和人は咄嗟にそう思っていた。詩乃がこれまでないくらいに危険なところにいるのだとすれば、自分がやるべき事はただ一つ。詩乃/シノンのいる場所へ向かい、シノンを守るために戦う事だ。

 

 これは愛莉に言われるまでもないし、言われる前からそう思っていた。

 

 

「そう言ってもらえると思ってましたよ」

 

 

 愛莉はふふんと笑った。如何にもこちらの反応を楽しみにしていたかのようだ。

 

 

「だろうね。私も君ならそう言ってくれるんじゃないかって思ってたところだ」

 

「俺も詩乃と同じ事を思ってます。詩乃はこれまでずっと辛い思いをしてきました。いい加減詩乃をそんな状態から解放してやりたいですし、そのためにやれる事があるなら、喜んで手を貸そうと思ってました」

 

 

 今日までずっと、詩乃は苦しみ続けてきて、今も尚苦しんでいる部分がある。そこから一刻も早く解放してやりたいというのは、和人がずっと思ってきた事だ。

 

 もしかしたら今回話に出ているGGOは、詩乃をトラウマから解放してやれる最大のチャンスかもしれない。そんな事を考える和人を、愛莉は肯定してくれた。

 

 

「なら、行ってくれるね。GGOにさ」

 

「はい。詩乃を探しに行きます」

 

「よろしい! いつも頼んでばかりになってしまっているが、頼むよ和人君。どうかGGOで詩乃を守ってくれ。あとそれに、GGO自体楽しいって評判の人気ゲームだから、君達でも楽しむ事が出来るだろう」

 

 

 そこで和人は引っかかった。君達?

 

 

「君達って?」

 

「和人君だけじゃなく、他の皆も誘うって事さ。詩乃の守りは君に頼むが、そのアシストを皆にしてもらわないと。詩乃だって仲良い皆が居てくれた方が良いし、君だって心強いだろう?」

 

 

 和人は頷いた。これまでずっと一緒に手を合わせて戦ってきた仲間達がGGOに来てくれるのならば、心強い事この上ない。

 

 

「はい。皆も誘ってみます」

 

「無論そこには私も加勢するよ。開発が佳境に入って取りづらくなっているが、それでも得られる時間はある。これまでどおり、出来る限りのサポートをさせてもらうよ」

 

 

 和人は頷き、軽く上を見た。詩乃が一人で向かっている世界の事を、想像していた。

 




――今回登場武器解説――


GAU-8 アヴェンジャー
 実在するガトリング砲。A-10の先端下部に取り付けられている事で有名であり、三十mm口径弾を秒間百発発射し、地上も空も薙ぎ払うウルトラガトリング砲。
 戦闘機ゲームでもその要素は取り入れられており、A-10で出撃してフリゲート艦を撃つと、僅か十数発で撃沈させられる馬鹿げた威力を発揮する。
 当然人に向けて撃つべきものではなく、人が当たろうものならば一瞬で粉微塵になるとされる。
 あまりにも色々な物を吹き飛ばしてしまうので、『掃除機』『ゴミ吹っ飛ばすガトリング砲』『アヴェンジャーさん』とも言われる。

超巨大(エレファント)狙撃砲(スナイパーカノン)
 実在しない狙撃砲。四十mm口径徹甲弾を超長距離から放つ事の出来る架空兵器。《エレファント》とは象を意味する単語だが、《超大型》という意味でも使われる事がある。つまりこの狙撃砲は象の形はしていないという事。

ヘルファイアミサイル
 実在するミサイル弾。正式名称《AGM-114 ヘルファイア》。
 主に戦闘機や戦闘ヘリに搭載される空対地ミサイル。超長距離から対象を誘導し、爆撃してくれる事から「撃ちっぱなしミサイル」「撃った事忘れるミサイル」とも呼ばれる。


――原作との相違点――


Q.詩乃が母親と一緒に襲われたのは郵便局じゃなかった?

A.本作では郵便局から銀行に改変。郵便局強盗も銀行強盗にレベルアップ。そして詩乃の母親も精神年齢逆行を起こしておらず、普通である。



――補足――

・オリキャラ、イリスの立ち絵をアップデート

【挿絵表示】

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