色々回。
□□□
「――あああああああああああああああああああああああッ!!!」
何かと戦っているわけでもないのに、キリトは叫んでいた。
目の前に表示されているウインドウの中身は、どうという事のない物のはずだったが、それを見た途端にキリトは叫ぶしかなくなっていた。
まるで獣の咆吼にも似たその声は、格納庫中にしばらく
「いや、いやいやいやいやいやいやいやいやいや」
ウインドウの中身に向けてとにかく声を発する。
やはりおかしい。このウインドウの中身は何かがおかしい。おかしくないわけがない。こんな事があってたまるか。GGO開始早々でこんな事があってたまるか。
これはきっとバグだ。
GGO運営に連絡しなければならない事項であるはずだ。
「ちょ、ちょっとキリト、どうしたのよ!?」
不意に後ろから声が聞こえて、キリトは振り向く。
仲間達がぞろぞろとエレベーターからやってきていた。皆驚いたような顔をしている。どうやら先程の自分の絶叫が上にあるチームルームにまで届いてしまっていたらしく、何事かと思って皆が駆けつけてきてくれたようだ。今の呼びかけはその中のシノンがしてくれたものだった。
だがキリトは彼女に応じず、ある者の許へ向かった。渋い銀色の髪を一本結びにしている、迷彩服と黒緑ケープが特徴的な青年――自分の仲間達の中で最もGGOで過ごしている時間の長いシュピーゲルだ。
「しゅぴ、シュピ、シュピーゲル……」
シュピーゲルはびっくりしたような顔をする。こんなふうに突然詰められたのだから当然だったが、キリトには気にする余裕さえなかった。
「ど、どうしたのキリト。ものすごい声張り上げて……」
「リンドガルムが直せない! リランの機体が直せないんだよ!」
皆の方から「えぇっ!?」と大きな声が上がる。その中には勿論リランも居て、すぐにキリトの許へ駆け寄ってきた。
「おいキリト、我の身体が直せないとはどういう事だ!?」
「俺だってわからねえよ! なんたってこんな額を請求して来やがるんだ!?」
思った事を素直に言うと、シュピーゲルがきょとんと反応した。
「額?」
「そうだよ!
そう言ってキリトはウインドウを反転させ、プライベート機能を切って周りの皆にも見えるようにする。
最初にシュピーゲルが、続けて皆がウインドウを覗き込んできたが、すぐさま皆の方が一斉に大声で驚いた。間もなくして「なにこれ!?」「なんなんだこれ!?」「高すぎるよ!?」と口々に言い出す。
キリトが咆吼する前に見た光景とは、リンドガルムの修理画面だった。ベヒモスのバルカン砲弾を浴びたせいか、リンドガルムの機体はかなり傷付き、耐久値が七十パーセントを切っていた。
ベヒモスとの戦闘――というよりもアレがバルカン砲なんていうふざけた武器を使っていたのが悪い――でこれだけ削られたという事は、このまま敵対プレイヤー達との戦闘を続ければ簡単に壊されてしまうだろう。
次の出発までに耐久値を百パーセントに戻しておかなければ――と思って、キリトはリンドガルムの修理コマンドを実行した。
だが、それはすぐに止まり、《《WC》が足りていません。修理を行えません》というメッセージが返ってきた。
そこに必要額として表示されていたのは《三
《WC》――《
銃本体、弾薬、防具、衣装を買ったりするのに必要なものであり、モンスターやクリーチャーを倒した際にドロップする銃を売る、クエストをクリアする、敵対プレイヤーを倒した際に奪った銃器を売る、換金アイテムを売る事で増やしていく事ができる。それはSAOと《SA:O》の《コル》、ALOの《ユルド》と変わりがない。
しかし他のVRMMOと異なっているのは、《
これは換金アイテムの売却では手に入れられず、銃を売却する際にのみWCと同時に手に入れられるようになっていて、その他ではGGOでの大会で優勝する、並大抵ではない強さの敵を倒す事で手に入れられる仕様だ。
そしてそのGCは、現実の
GCを稼げば稼ぐほど、多額の電子マネーを手に入れて、現実の生活を
そんな現金にできるという魅力を持つGCだが、しかし今現在のキリトにとってはどうでも良い事だ。通常ゲーム内通貨であるWCを、初心者に向けるものとは思えない数値で請求されているからこそ、キリトは叫んだ。
その声を聞いてやってきたシュピーゲルに、キリトは揺さぶりをかける。
「なぁシュピーゲル、これはどういう事なんだ。俺始めたばっかりだから三万WCしか持ってないよ。こんな
いつにもなく熱の入った弁を振るってみたが、聞いているシュピーゲルは苦笑いを始めた。
「いや、キリト。これはバグじゃない。そういう仕様なんだよ」
シュピーゲルからの答えに、キリトは一瞬
「は!? これが普通の仕様なのか!?」
「うん。そもそもね――」
そこからシュピーゲルは、キリトが持つ事になった《ビークルオートマタ》についての説明をしてくれた。
《
このGGOには、他のVRMMOと同様にフィールドをモンスターが
そんな機械達の中には、戦車や装甲車といった、一般的な乗り物に近しい姿をしたものもおり、それらを倒す事で、低確率で《パーツ》を入手する事ができる時がある。
種類によってまちまちではあるが、その《パーツ》をすべて集め切り、多額の修理費を支払う事で、機械達はプレイヤーの持ち物として復活を遂げる。プレイヤーの所有物化した機械達の事を、《ビークルオートマタ》と呼ぶのだ。
《ビークルオートマタ》として入手できた機械達をフィールドへ出撃させた時には、プレイヤーが操縦席に乗り込んで、
そして《ビークルオートマタ》には専用の重火器が搭載されている場合が多く、その威力はプレイヤーが入手できる武器を遥かに超える威力を持っている場合が多い。強い《ビークルオートマタ》を手に入れる事ができたプレイヤーは、ほぼ無双の存在となるのだ。
しかしそんな《ビークルオートマタ》を扱ううえでは、それ相応の代償を支払う事にもなる。
まず《ビークルオートマタ》として入手できる機械達は並大抵ではない強さを持っており、攻略する事そのものが非常に困難である。
そんな機械達を苦労して倒しても、パーツを入手できる確率は低いので、倒しても倒しても手に入れられない事がざらにある。そして運よくパーツを全て手に入れられたとしても、請求される修理費も並大抵ではないため、大抵ここで
そんな多額の修理費を払い終えて、運用を開始できたとしても、損傷時にも多額の修理費が請求されるうえ、更に《ビークルオートマタ》は専用のバッテリーが空になると機能停止し、フィールドでも街中でも動けなくなってしまう。
この場合はバッテリーを購入して、機能停止した《ビークルオートマタ》の許まで持っていって
なので、使えば使うほど赤字になりやすいのだ。無双したところで赤字続きになってしまいやすいので、今のところ《ビークルオートマタ》を真面目に使っているプレイヤーは全くいない。言うなれば発展途上のシステム。
キリトの使っている《ビークルオートマタ》っていうのは、そういうものなんだよ――シュピーゲルはそう言って話を終えた。
「そ、そんな……この世界の《使い魔》事情はそんなものなのか」
がっくりするキリトを横目に、シュピーゲルは動かないリンドガルムへ近付く。ベヒモスのバルカン砲による銃創がリンドガルムの装甲のあちこちに開いていたのが、キリトも見えた。
「それに、このリンドガルム自体がすごいんだよ」
シュピーゲルによる説明が再開される。
《
歩行能力によってどんな悪路も突破できるうえに、戦闘機に似た飛行ユニット形態に変形して空を飛び回る事もできる。搭載されている武器の火力も桁違いで、もしリンドガルムを手に入れられたプレイヤーがいたならば、そのプレイヤーこそが現時点のGGO最強の存在と言えるそうだ。
その説明の最後付近――リンドガルムは飛べるという部分を聞いて、キリトは改めて驚いた。
「リンドガルムって飛べるのか!?」
「うん、飛べるよ。ほら、これ見てよ」
そう言ってシュピーゲルが指差したのは、リンドガルムの肩だ。
如何にも無骨さよりヒロイックさを追求しているかのような外観のそこには、シールドが装着されている。だが、よく見るとそれは折り畳まれたものであるとわかった。展開すると戦闘機の主翼のようになりそうだ――その目測はシュピーゲルによって肯定された。これが変形してウイングになるという。
そしてリンドガルムの後ろ脚は、前足に比べて大きく、爪先付近が異様な形をしている。ここが変形時に折り畳まれつつ展開されて、ジェットエンジン部となり、推進力を出すのだという。
リンドガルムとなったリランの姿は少し異様だなと思っていたが、変形機構を持っているとわかると納得がいった。……何故このような修理費を請求されるのかも。
「っていうか、もしかして修理費がこんなにふざけてるのは、飛べる機能のせいなのか」
「そうだよ。っていうより、リンドガルムは今のところ一番強い《ビークルオートマタ》だから、これだけの修理費がかかってるんだと思う」
現状最強の《ビークルオートマタ》がこのリンドガルムだから、かかる修理費も《ビークルオートマタ》の中で最高額なんだ――シュピーゲルに言われずとも仕組みが分かった。
現状のGGOの《ビークルオートマタ》の頂点に立ち、修理費の面から見ても他を寄せ付けない代物、《機鋼狼リンドガルム》。
それがGGOでのリランの姿であり、《ビーストテイマー》である自分の《使い魔》。その事実は揺るがない。
だが、リランがいきなり現状最強の代物になるなんて全く予想していなかった事だった。そしてそんなリンドガルムは、GGOを始めて一ヶ月さえ経っていない初心者が入手できるようなモノじゃないし、入手できていたならば、それこそがバグの領域だ。
そのバグに等しい現象で手に入っているリンドガルムは、事実の発覚と同時に皆の視線を集めるようになっていた。誰もが間近に行って興味深そうに見ている。まるで新種の大型恐竜の化石が展示された博物館の一角の再現だった。
しかしここは
その問題によって頭を抱えるキリトの隣で、シノンが呟くように言った。
「なんでリランがそんなものになって、キリトが手に入れちゃったっていうの」
「多分、リランがすごく強い《使い魔》だからじゃないかな。いや、もしかしたら他のゲームで《ドラゴンテイマー》って言われてるプレイヤーの《使い魔》は、GGOに来るとすごく強い《ビークルオートマタ》になるのかも……」
シュピーゲルの言っている事はどこか推測的だ。そういえば《ビークルオートマタ》はまだ実装されて日が浅いらしく、調整もまだ発展途上という話だった。
そんな発展途上の《ビークルオートマタ》が存在するこのGGOに、他のゲームで強力な《使い魔》を手に入れていた《ビーストテイマー》がコンバートされてくると、その《使い魔》は桁違いに強力な《ビークルオートマタ》に変換されるなんていう、ゲームバランスがどこかに行っているような調整になっているのかもしれない。
つまり俺はそんな甘々なGGOの仕様による被害者になってしまったというわけだ。始めて早々無双の力を手に入れ、それを動かすための代償に苦しめられている。なんて幸先の悪いスタートを切っているのだ――と、キリトは頭を抱えた。
しかし無双の力を手に入れた以上、使わないわけにはいかないし、使いたくなるのがゲーマーの
この世界でも力を振るう気満々だった彼女を、こんな格納庫の中と、ネオンライトに照らされた鋼鉄の都の中に閉じ込めておくわけにはいかないし、何より彼女の力はきっとこの先必ず必要になる。その時がいつ来ても良いように、リンドガルムは動かせるようにしておかないと駄目だ。
しかし、まだGGOでの右も左もわからない初心者であるキリトには、このリンドガルムを動かすための最善の行動は思い付けなかった。いつもは様々な戦い方や戦術、作戦を思い付いてくれる頭は役割を放棄していた。
なのでキリトは、リランの妹であり、自身の娘である小柄な少女に声掛けした。
「ユイ、お前に頼るべきじゃないんだろうけど、WCをなるべく早く稼げる良い方法はないか。お前のねえさんの今後がかかってるんだ」
ユイは顎元に指を添えた。ユイにしては珍しい仕草だ。それにこれまでユイは、白いワンピースなどといった白い服を好んで着ている傾向にあったが、今のユイは白黒のコンバットスーツ――もしくはスニーキングスーツか――のような服を装着していた。
「そうですね……SBCグロッケンの地下には、旧文明の遺跡ダンジョンが広がっているそうです。そこにはレアなアイテムや武器をドロップする敵が沢山いるので、何度もやられる覚悟で向かってみるといいかもしれません」
「えぇっ。そんな難しいところに行かなきゃいけないのか」
ユイの提案も悪くはないだろう。自分だけならばどうにもならなかったかもしれないが、ここに居る皆と一緒に向かえば、武器やアイテムを拾えて、リンドガルムを動かせるだけのWCが手に入れるかもしれない。
しかし、そこはどれ程の場所なのか――。
「そこってかなりの高難度ダンジョンだろ。俺達で攻略できるところなのか」
「それはわかりません。ですが、おねえさんの新しい姿である《ビークルオートマタ》は最強なんですから、動かすだけでもそれ相応の困難に当たらなければいけないです」
「そうだよなぁ……リンドガルムは最強の《ビークルオートマタ》っていうんだから、動かせるだけの額は熟練プレイヤーが行くような――」
言いかけたその時、ユイがもう一度声掛けして来た。
「あの、パパ」
キリトは応じようとしたが、すぐに違和感を抱いた。ユイの声は後方からした気がした。ユイは目の前に居るのに。
その声はもう一度続いてきた。
「パパ、わたしはこっちです」
「へっ?」
声に誘われるまま振り向くと、そこにユイが居た。妖精の服をイメージしているようなSFチックな白い衣装に身を包んでいるユイが、確かに居た。
「え? え?」
咄嗟にキリトは前方を見た。そこにもユイが居た。白黒のコンバットスーツを着ているユイが居た。
――ユイが二人に分身している。
「ゆ、ユイが二人いる……!?」
これはどういう事か。発展途上のGGOに来た事で、ユイにまで不具合が生じてしまっているのだろうか。思わずあたふたしてしまったその時に、白黒コンバットスーツのユイが「ぷっ」と噴き出したかと思えば、
「あははははははははははははッ」
と大きな声で笑い出した。その笑い方には覚えがある。そしてよく見てみれば、コンバットスーツのユイは、髪の一部がプレミアのような色彩になっていて、顔の形もユイとは異なっている。特に目付きが違うし、瞳の色も深紅に近しい赤茶色だ。
そのユイに似た少女はすぐに笑い終えて、面白そうに声を掛けてきた。
「おやおやおや、私ってよっぽどユイに似てたんだね。いや、ユイがそれだけ私に似てくれてるって事なのか」
「え? 君は……いや、あんたは……」
ユイに似た少女は「くふふ」と笑った。
「こんなちんちくりんになってしまったが、私だよ、キリト君」
ユイくらいの少女のものに近しい声色になっているが、その根本にある声が何なのかがわかり、キリトはもう一度驚いた。この声、この見た目、そしてこの喋り方。全てを照らし合わせる事で出てくる人物は一人しかいない。
自分にGGOへ向かうよう依頼してきた依頼人であり、恩師である芹澤愛莉/イリスだ。
「あんた、もしかしてイリスさんなのか!?」
そう呼ばれたのを少女は否定しなかった。苦笑いはしてきたが。
「やれやれ、皆して同じような反応してくるね。そうさ、イリスだよ」
「なんであんた、ユイとかプレミアとかティアみたいに小さくなって……!?」
「運良くレアアバターを引いちゃったみたいなんだ。アバターをコンバートした時に身体が小さくなったり大きくなったりするアレだよ」
そういえばそんな話をVRMMOの情報系サイトで聞いた事があったし、リランやユイからも似たような報告を受けた事があった。あの話は本当だったのか。
一人驚いているキリトの横を通って、ユイがイリスに対面した。
「イリスさん、いくらわたしに似てるからって、わたしのふりをしてパパをからかわないでください!」
「いやー、ごめんごめん。まさか私自身が君並みに小さくなるなんて思ってもみなかったから、新鮮な感じがして、ついつい」
イリスの産んだ娘であるユイは「むむーっ」と可愛らしく頬を膨らませて怒った。
これまでのイリスとユイは身長、体格などの差があるため一目瞭然だったが、今の二人は身長も体格もほとんど同じで、見分ける方法は顔つきと目付き、瞳の色くらいしかない。まるでイリスがユイの双子の姉妹となったようだった。
そんな二人の様子を、これまた髪色と瞳の色以外は一卵性双生児のそれであるプレミアとティアは興味深そうに見ていた。彼女らも今は小さくなっているイリスの娘達である。
イリスが小さくなると、ここまで彼女が母親であるというのが全くわからなくなるものなのか。キリトは複雑な気分で母親と娘達のやり取りを見ているしかなかったが、やがてその母親はこちらへ向き直ってきた。
「おっと、話が逸れてしまった。キリト君、リランの力をどうするべきか、わかるよね」
「はい。できるならなんとかして稼働させたいんですが……」
「そうだろう。けれど、いきなりそんな額を普通に稼ぐのは他のゲームでも難しい。普通じゃないやり方以外じゃ、とてもリランの稼働までは持っていけないだろう」
ではどうするべきか。いよいよキリトは顎元に指を添えて考える。そういえばこのゲームでは銃をドロップする敵が居て、そいつらからレアな銃をドロップさせる事ができれば、オークションにしてもショップにしても、売却時に凄まじい額のWCが手に入るという話だった。
ならばレアドロップを狙ってどこかダンジョンなどに籠ってみるのもありだろうか。だとすればどのくらいの難易度が妥当になるか――そう思ったその時に、不意に背後から声がした。シュピーゲルの声だった。
「そうだ、バルカン砲!」
キリトは少し驚きつつ振り返った。リンドガルムの観客となっていたシュピーゲルが寄ってきていた。
「バルカン砲? あのベヒモスが落としていったアレか?」
「そうだよ! 《ビークルオートマタ》の武器は付け替えできるし、装備を外す事もできるよ。リンドガルムの武器をある程度外せば、ベヒモスの落としていったバルカン砲を積めるかも!」
シュピーゲルに続けて、シノンが何かに気付いたような反応をする。
「バルカン砲は重すぎて、プレイヤーじゃ運ぶのもやっとだけど、リンドガルムになってるリランならいけるかもしれないわね。もし今から取りに行って、他のプレイヤーに先を越されてても、重すぎて全然動けてないはず。そんなすぐに街に戻れないはずだわ。それでバルカン砲はすごいレア銃だから……!」
そこで頭の中に一筋の光が走った。やるべき事が決まった。キリトは即刻リランに声掛けした。
「リラン、耐久値とバッテリー減ってるけど、行くぞ!!」
次回『黒い雨の鯱』