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シノンを抱えたまま穴へ落ちたキリトは、水面に顔を出した。穴の先にあったのは水だった。しかもかなり深いらしく、ちょっと沈んだ程度では底に足が付く事もない。
そしてぼんやりと灯りがあるくらいの明るさによって、水中も水面もほとんど闇の中だった。水面はほとんど揺らぎがない。自分達が落ちてきた事による動きこそあれど、流れも波も揺れもない。
そのおかげで周囲を見回す事が出来、キリトはすぐに岸辺を見つけた。シノンを抱き上げるのは、これまでそれなりの回数やってきたものだが、今のシノンはいつもより重く感じられた。どうやらシノンの持っている装備がこの重さを作っているらしい。
少しでも気を抜くと沈んでいきそうになるし、今も底の方に引っ張られつつある。キリトはなるべく全身に力を入れて水面へ顔を出しつつ、沈まないように泳ぎ続けた。しばらく泳ぎ続けて岸辺に辿り着いたキリトはシノンを最初に岸辺に上げてから、続けて上がった。
「シノン!」
キリトはシノンの顔を見た。頭の先から足の先までずぶ濡れで、目が閉じられている。泳いでいる最中も反応を示す事がなかった。気絶してしまっているのだろうか。だとすれば、このまま気絶が続けば強制ログアウトがかかってしまい、装備品は勿論、アバターもここに置かれたままになってしまう。
「シノン、しっかりしろ!」
大きな声で呼びかけながら、キリトはシノンの頬を軽く叩いた。続けて項の付近を叩いたところ、
「う゛っ、げほっ、かほッ」
シノンが咳き込んで水を吐き出した。やがて閉じられていた目が開かれ、翡翠水色の瞳がこちらを見つめてきた。視線が交差したところで、その口が開かれる。
「キリ……ト……?」
その声を聞いてキリトは安堵した。なんとか意識を取り戻させられたらしい。辛うじて強制ログアウトを防ぐ事が出来たようだった。ひとまずシノンの声に言葉を返す。
「あぁ、そうだよ。良かった、意識が戻って……」
シノンはゆっくりと起き上がり、周囲を見つめた。相変わらず薄暗い。
「私、どうなって……あ、そうだわ。確か何か踏んだと思ったら床が抜けて、落ちて……」
「あぁ、どうやらトラップがあったらしい。それに引っかかっちまったみたいなんだ。ここはそのトラップの底だよ」
直後、シノンはびっくりしたような顔をして、キリトに向き直った。
「え? トラップに引っかかったのは私一人よ。なのになんであなたまで一緒に居るの」
「そりゃあ、一緒にトラップに掛かって、一緒に落ちたからな」
「一緒にトラップに掛かってたの!? でも、あの時私とあなたは離れてたはずじゃ」
シノンの言うとおり、シノンが穴に落ちた時キリトは傍に居なかった。慌ててシノンの落ちた穴に飛び込んだのだ。その事を話すと、もう一度シノンは驚きを見せてきた。
「な、なんで……なんで一緒に落ちちゃったのよ。どうにもならないところに繋がってたかもしれないのに」
「君を一人にさせたくなかったからだよ。どこに繋がってて、その先に何が待ってるかわからないところに落とされたんなら、尚更」
シノンはきょとんとしたような表情をした。キリトの行動が信じられないと言っているかのようだった。キリトは続ける。
「ほら、俺達がまだSAOに閉じ込められてた時、こういう事があっただろ。二人でダンジョンに行ったら、俺が穴に落とされて、君はたった一人で残されて、ボスモンスターと戦う事になって……」
SAOで経験した出来事の中でも色の濃い出来事を、穴に落ちてから今この瞬間までキリトは思い出していた。
シノンの射撃スキルの強化のために受けたクエストにて、二人は古代遺跡風のダンジョンに向かった。
クエストをクリアするためのアイテムは高台にあり、シノンの射撃によって床に落とす必要があった。それを手に入れるべく、シノンが高台に登ってアイテムに矢を放つと、アイテムの落下と同時にキリトの立っていた床が開き、キリトは下の階に落とされた。
互いの姿が確認できなくなった二人が思わず戸惑っていると、一人高台に残されたシノンをボスモンスターが襲った。キリトは即座に立ち上がって一階に戻ろうと駆けたが、その間シノンが生きているかどうか、気が気でなかった。
もし戻った時にシノンが既に殺されていたのなら――そんな考えが渦巻き続ける頭を抱えて、キリトは走ったのだった。キリトが一階に戻れた時、シノンは辛うじて生きていた。それを確認してすぐにキリトは二刀流ソードスキルでボスモンスターを切り裂いて討伐、無事にシノンを救う事が出来たのだった。
そしてその出来事の最後で、キリトとシノンは――システム上の扱いではあるものの――夫婦関係となったのだった。嬉しかった事と怖かった事がいっぺんに起きたその日の事は、三年近く経過している今も尚忘れる事はなく、キリトの脳裏に深く焼き付いていた。
その日の事を彼女もまた思い出したのだろう、口元から小さく「あ……」という声が漏れた。
「どうしても思い出すんだよ、君が穴に落ちるのを見ると。それで、もうそんな事は起こらないってわかってるのに、穴の先で君が殺されるんじゃないかって気になるんだ。またあんな事が起きるんじゃないかって……そんな気になるんだよ」
シノンはじっとキリトを見つめていた。キリトは胸の内を明かし続ける。
「だから、穴に落ちていく君を放っておく事なんて出来なかった。もうデスゲームが終わってるけれど、またあんな事と似たような事を繰り返すのは嫌なんだ。俺の見えないところで君が危なくなるなんて嫌なんだよ。だから、一緒に落ちたんだ」
シノンが殺されるような事はない。デスゲームは既に終わっているから、誰もゲームで死ぬ事などなくなっている。もう怯える必要も無ければ、必要以上に警戒する必要なんてないのだ。
それを誰よりもわかっているつもりだったが、いつの間にかデスゲームでの時の感覚に戻っている――キリトは胸中の全てを吐き出したところで、それに気が付いた。
そんなキリトからの言葉を最後まで聞いたシノンは、瞬きを繰り返していた。きょとんとしているようにも見えるし、驚いているようにも見えた。
その様子を見ていたキリトがもう一度声を掛けようとしたところで、シノンの口はようやく開かれた。だが、同時にその顔は俯き加減になった。
「……何よ……結局キリトは変わってなんてない……寧ろ私が……空回りしてるだけじゃない……」
ところどころ聞き取れない。こちらに向けている言葉ではない事がわかった。つまりは独り言なのだが、それでも放っておく気にはなれず、キリトはシノンに声掛けした。
「シノン?」
思わず首を傾げたその次の瞬間、シノンは顔を上げて腕を広げ、キリトに抱き着いてきた。濡れている彼女の身体は表面が冷たいが、その内部は暖かくて心地よい。
その温もりを感じ始めた頃、キリトの耳元で彼女は囁くように言った。
「……ごめんなさいキリト。私のせいで、あなたまで巻き込んじゃって……」
「このくらいどうって事ないよ。君が無事で本当に良かった」
「……ありがとう……いつも私と一緒に居ようとしてくれて、いつも私を助けてくれて……本当に、ありがとう……」
そう言ったシノンは抱き締める腕に力を載せてきた。キリトは数秒置いてから彼女の背中と後髪に手を回し、頷いた。
「俺の方こそ、いつも一緒に居てくれて、いつも俺を信じてくれて、ありがとう」
抱き締めてきているシノンから頷きが返ってきた。どうにか気持ちが伝わったらしい。なので彼女の事を離しても良かったが、キリトはシノンを離そうという気にはならず、彼女の方から離れるのを待つ事にした。
ふと彼女の背後の空間に目を向ける。闇が広がっていたが、遠くに白緑色の明かりが複数見えた。ラインを描くように並んでいる。どうやらあれは照明のようだ。そしてあそこが壁面のようだが、そこにある照明はここからだと随分小さく見える。かなりの距離が開いているらしい。自分達は随分と広い空間の丁度中央部にある、小島のようなところに居るらしかった。
地下遺跡の地下にある、ほとんどが水で満たされている広大な空間が、ここだ。
そういえば現実世界の東京の地下にも、規格外の大雨が降った際に都市が水浸しになってしまうのを防ぐために、地表の雨水を流し込める超巨大調圧水槽が存在している。もしかしたらここもそれと同じで、SBCグロッケンの地下に眠った旧文明都市をかつて水害から守っていた超巨大調圧水槽なのだろうか。
そうだとすれば、ここにこれだけの水があるのも納得がいく――。
「……ん」
その水面に目を向けて、キリトはハッとした。自分達から少し離れた水面がゆらゆらと揺れて隆起しようとしている。まるで何かが水中から現れようとしているかのようだ。
間もなくして、水中に赤い光が見えたのと同時に、キリトは叫んでいた。
「シノンッ!!」
叫んだのとほぼ同時に、キリトはシノンを抱えたまま右方向へダイブした。それまで二人が居た空間を赤いレーザー光線が貫いた。プレイヤーが持てる光線銃火器から出される規模ではなく、戦術兵器規模の太さのレーザー光線だった。
「な、何!?」
「エネミーだッ!!」
焦って声を上げたシノンから離れ、キリトはもう一度レーザーの飛んできた方向を見た。暗い水面が赤く光ったかと思うと、またしてもレーザー光線が照射されてきた。今度はシノンも確認できたようで、二人同時で右と左にダイブして回避する。
床を数回転がって立ち上がると、波打っていた水面が内部から食い破られるようにして割れて、中から巨大な黒い影が飛び出して来た。それは恐ろしいくらいの跳躍力でキリト達の頭上を飛び越え、キリト達の後方の陸へ着地した。どぉんという大きな音と震動が小島を襲い、その震動に足を取られそうになったのをキリトは足に力を込めて耐える。
震動が終わった頃に視線を向けて、キリトは息を呑んだ。リランもかくやと言わんばかりの跳躍で上陸してきたのは、巨大な戦機だった。
旧文明によって作り出された、かつて見た事のない自律戦闘兵器に間違いなかった。そしてそれの頭上には、《ボスエネミー》という概念が与えられている証拠である《HPバー》が存在していた。
「あいつ、ボスエネミーだっていうの!?」
シノンが狙撃銃《PSG-1》を構えつつ掛けてきた声に、キリトは光剣と拳銃《USP》を構えて頷く。この超巨大調圧水槽だと思われていた空間は、あの戦機の縄張りだったようだ。そして小島の形状は上から見ると円形で、周囲は水で満たされている。
ここは調圧水槽に見せかけた水上円形闘技場だ。シノンが引っかかったトラップは、プレイヤーを闘技場に落とし、あのボスエネミーと戦わせるためのものだったのだ。ボスエリアへの一方通行の近道とも言えるだろう。いずれにしても自分達はあのボスエネミーと戦う事になるトラップに掛かってしまっていたのだ。
周囲を確認しても、勿論逃げ道と思わしきものは見当たらない。どうやらこいつと戦って、勝つか負けるかしない限りはここから出られないようになっているらしい。
いつもならばここでわざと負けて帰還するという方法も取れるだろうが、今それをしてしまえば、ここより上に残されているフィリア、アルゴ、リランの三人を置いてけぼりにする事になるし、今日この地下遺跡で手に入れた武器の数々を、この手に持っている光剣と拳銃と一緒に
ならばどうすれば良いか。
戦って、勝たなければならない――そう思って初めて、キリトは自分の中のゲーマー魂が燃え上がっている事に気が付いた。そのままキリトはシノンへ振り返った。
「シノン、やるか?」
もしかしたらシノンは戦わない事を選択するかもしれない――そんなキリトの予想を彼女は裏切った。これから起こりうる事を楽しみにしているかのような表情で《PSG-1》を構えて、鰐型戦機を狙っている。完全にやる気だ。
「えぇ、やるわ! 思い切りやってやろうじゃないの! たった二人しかいないけれど――」
「俺達なら、やれるな!」
キリトは胸の高鳴りを感じつつボスエネミーを見る。
頭と胴体は鰐で、尻尾から先は蟲。独特な形状をしている鰐型戦機の背中周辺には、多数の銃火器が確認できた。だがそのほとんどが実弾を放つタイプのものではないとわかった。先程のレーザー光線による攻撃から考えるに、光学銃火器を装備しているのだろう。
そして胴体と尻尾の間の部分というべきところには、ランチャーと思わしきポッドまで背負わされている。リランの後ろ脚に装備されているヘルファイアミサイルポッドとはまた異なった形状だ。同類のランチャーポッドではないだろう。あれが火を噴いた時には何が起こるかなど、想像もしたくなかった。
あらゆる重銃火器で装備を固めた大型の鰐型戦機。旧文明が戦争をしていた時には、さぞ沢山の戦機や人を殺していったに違いない。かなりの火力を持っているのは間違いないだろう。だが、それでも倒せない相手ではないはずだ。キリトは咄嗟にシノンへ呼びかける。
「前衛は俺に任せてくれ。シノンはいつも通り遠距離からの攻撃を頼む!」
「任せておいて! けれどキリトこそ無理しないでよ!」
「了解ッ!」
応じた次の瞬間、鰐型戦機の口先に取り付けられている二門の機関銃が火を噴いた。それはレーザー機関銃であり、青白い光の弾丸が連続して発射されてきた。その発射光が見えた時既にキリトは横方向にステップを繰り返す事で射線から外れる事が出来ていた。だが、鰐型戦機はキリトを追いかけながらレーザー機関銃を連射して来ていた。足元で数回レーザー光線が弾ける。
装備の中に《レーザー防護フィールド》を付けているため、光学銃による攻撃を受けたとしてもダメージを半分以上減らす事が出来るが、それはプレイヤーの持っている光学銃による攻撃くらいで、あのような大型戦機の携える戦術兵器級光学銃には意味をなさない。
威力減衰は見込めるだろうが、プレイヤーからの攻撃の時のような事にはならず、結局あっという間に全身を穴だらけにされて終わりだ。だから鰐型戦機から飛んでくるレーザー光線は全て回避しなければならない。
容赦なく執拗に追尾してくる鰐型戦機の簡易光弾幕をサイドステップでもう一度回避した後に、キリトは鰐型戦機へ駆け出す。銃火器を使う戦機の弱点は懐に入られて攻撃を叩き込まれる事だ。
どんなに追尾して銃撃していたとしても、懐に入り込まれれば弾を当てる事が出来なくなるし、銃撃も止まる。いくら敵を滅する事に貪欲で徹底的な戦機でも、自分の身体を撃つ事は出来ないからだ。それは鰐型戦機も同じだった。
口の先のレーザー機関銃が動きを止めたところを見計らい、キリトは光剣そのものの出力を上げて一閃をお見舞いした。ブォンッという独特な音と共に放たれた斬撃は鰐型戦機の口先のレーザー機関銃を真ん中から切断し、斬られたレーザー機関銃は赤い光を纏うポリゴン片となって爆散する。部位破壊成功。口先のレーザー機関銃からの銃撃はこれで止んだ。
しかし相手の《HPバー》はほとんど減っていない。部位破壊をしたとしても攻撃を止めさせるだけのものであり、《HPバー》を削るのに効くものではなかった。直後、鰐型戦機は右手を大きく振り上げ、そのままキリト目掛けて振り下ろしてきた。しかし予想通りの動きだ。
この鰐型戦機が遠距離武器だけでしか戦えないような知能しか持っていないわけはないだろう。その身体を活かした攻撃も仕掛けてくるはずだ――そんな事をキリトは頭の片隅で考えていたが、それは的中した。攻撃方法も予想通りであったために、キリトは後方にステップして回避した。
だが、その次の瞬間にキリトの視界がオレンジ色に染まった。《
「ッ!?」
咄嗟に上を見た直後、鰐型戦機の背中上方から何かが飛来してきて炸裂した。爆発を諸に受けてしまい、キリトは後方に吹っ飛ばされた。
「ぐあはッ!」
「キリト!!」
地面に激突する音と同時にシノンの悲鳴が聞こえた。それに続けて数回爆発音が聞こえたが、何が原因なのかはわからなかった。
身体の回転が止まり、全身の鈍い痛みにも似た不快感が抜けたところでキリトは上半身を起き上がらせる。《HPバー》は既にオレンジ色に変色するくらいの量にまで減らされていた。
咄嗟に救急治療キットを取り出して左腕に突き立てると、ひとまずは緑色に戻るくらいの量まで回復し、その後ゆっくりと最大値目指して増え始めた。その回復開始を目処にしてキリトは立ち上がる。
一撃でこの有様か。ここは高難易度ダンジョンで、鰐型戦機はそこのボス。本来ならば挑むべき相手ではないモノに挑んでいるのだから、被弾時のダメージはこれくらいで当然だ――キリトは最初から分かっていたので、戸惑いは生じなかった。
しかし、今の攻撃は一体何なのだろうか。少なくとも被弾直前の視界にはあの攻撃を放ったと思わしき銃火器は確認できなかった。爆発したので、ミサイル弾かロケット弾の
キリトは頭の中で攻撃の詮索をしようとしたが、鰐型戦機はそれを許してはくれなかった。攻撃したのにいまいち効き目がなかった事に腹を立てているかのように、突進攻撃を繰り出してきた。
どすんどすんという重々しい音を連続して立てて、巨体が迫り来る。しかしその速度はそこまで早くなかったので、キリトは横方向にローリングする事で回避する事が出来た。
が、またしても視界が赤白色に染まった。今度の弾道予測線は鰐型戦機の上空ではなく、鰐型戦機から飛んで来ている。更にローリングを繰り返して範囲外に逃げ出したところで、それまでキリトの居た空間を極太の赤いレーザー光線が通って行った。
交戦前に鰐型戦機が水中から撃ってきたものと同じで、それは鰐型戦機の大きく開かれた口の奥から放たれていた。
どうやらこれまでのリランのブレスと似たような感覚で、鰐型戦機は口内からレーザー光線を照射できるらしい。そして今この瞬間を持って、確認できる鰐型戦機の銃火器の数が増えてしまった。
鰐型戦機は思いの外沢山の銃火器で武装している。それはつまり、その数だけ対応しなければならないという事だ。しかもその中には、あの上からの正体不明の攻撃が含まれている。攻撃の正体が掴めなければ対策する事も出来ないが、どうすれば正体を知れるのか。
「キリト、気を付けて! あいつ、背中のポッドから何か上に撃ち出してたわ」
咄嗟に後方からシノンの声がして、続けて鰐型戦機の頭部に銃弾が数発撃ち込まれた。シノンが援護してくれていた。間もなくして鰐型戦機の狙いがキリトからシノンへ移動する。そのタイミングでキリトは鰐型戦機の背中のランチャーポッドに目を向けた。
鰐型戦機の
――
どうやらディスク型特殊爆弾を射出する銃火器があの鰐型戦機のランチャーポッドであるようで、同時に先程自分を襲った爆発もまたそれが原因だったようだ。
無論そんな兵器を見た事はないし、プレイヤーが使っているところも見た事がない。完全に新種の武器だ。
あんなものがまだあって、しかもSBCグロッケンの地下遺跡にそれを使うエネミーが存在しているなんて。驚くべき事が続けざまに起こっているものだから、キリトは一種の感動さえ覚えていた。だが感動している場合などではないし、そんな事をしている暇などない。
円盤弾の飛来を受けたシノンの傍を爆発が襲っていたが、果たして彼女はPSG-1を抱えて走る事で円盤弾を回避していた。流石GGOで自分達よりも長く戦い続けた彼女なだけあって、そんな簡単に被弾しないようだ。
それでも大分きつそうな方に入っているのは走り方から見てわかった。
「こっちを狙えっての!」
キリトは左手で構えるUSPを連射して鰐型戦機の顔を狙った。ダメージはあまり入っていかない。鰐型戦機を包んでいる装甲が弾丸を防いでしまっているのは間違いなかった。
プレイヤーを相手にした場合、相手が《レーザー防護フィールド》を持っている場合が多いので、光学銃よりも実弾銃を使うべきとされている。
一方で戦機やクリーチャーを相手にした場合は、相手が頑丈な鋼鉄の装甲、もしくはそれに匹敵する強度の甲殻を持っていて、実弾銃があまり効果を成さないので、光学銃を使うべきとされているのがこのGGOでの戦い方だ。
これまで戦機よりもプレイヤーと戦うケースの方が多かったため、仲間達のほとんどが実弾銃で戦っており、キリトもまた実弾銃であるUSP以外の銃火器は持っていない。
その普及率の高い実弾銃と、この鰐型戦機の相性は最悪のようだ。相性が悪すぎるからこそ、全然ダメージを与える事が出来ないのだろう。こいつには現状の装備では勝てないかもしれない――そんな不安がキリトの頭に
本当に実弾銃だけでは倒せないのだろうか。もしかしたら実弾銃でもダメージを与える手段があるのではないか。
闇雲に攻撃しても倒せないだけで、手順を踏めばちゃんと攻略できるようになっているのではないか。少なくともこれまでSAO、ALO、《SA:O》で倒してきたボス達にはそんな共通点があった。
ただただ攻撃するだけでは《HPバー》を削る事は出来ず、弱点や行動を見極めて攻撃を仕掛ける事でようやく《HPバー》を削る事が出来、撃破に繋げられる。
もしかしたらこの鰐型戦機も同じで、何か攻略の糸口があるかもしれない。それを見つけ出す事さえ出来れば、きっと倒せるはずだ。
どこだ。どこにそれがある。キリトは先程より感覚と意識を研ぎ澄まして鰐型戦機を睨んだ。
鰐型戦機の目――正確には視覚センサー搭載カメラ――とキリトの目が合うと、鰐型戦機の背中のランチャーが動きを見せた。独特な発射音を立てて円盤弾が射出された。
一旦上空に飛び出して浮遊してから、対象を急襲する円盤弾。直撃を受ければ大ダメージを確実に負わされるそれを射出するランチャーをよく観察すると、発射時に一部が駆動しているのが確認できた。その動きは自動拳銃の射撃時のものによく似ている。まるでどこかにある
鰐型戦機が引き金を引いている様子はないので、鰐型戦機が独自の操作で動かしているのはわかるのだが、その操作によってランチャー自体のどこかにある引き金ごとランチャーが動いている――そんな気がしてならなかった。
その考えに至った直後、キリトのすぐ上空で爆発が起きた。そこには円盤弾があったはずだが、それは全て消失していた。どうやら空中で爆発四散し、こちらに飛んでこなかったらしい。
驚きながら背後を見ると、射撃体勢に入っているシノンの姿があった。その狙撃銃の銃口からは射撃後の煙が薄っすらと立ち上っている。
その光景によって、何が起きたかをキリトが把握するより前に、シノンが声を飛ばしてきた。
「あの円盤、落とせるわ! 発射されたら落とすようにするから、集中して!」
やはりシノンが狙撃銃で円盤弾を撃ってくれていた。円盤弾はかなり小さい方に入り、狙うのは至難の業のはずなのだが、シノンはそれを容易くやってのけている。なんという狙撃力、射撃スキルの高さなのだろうか。
その光景を一瞬見たところで、キリトは閃くものを覚えた。可能な限りの速度を出して前を向き、鰐型戦機の背中のランチャーをもう一度見る。全体像ではなく、細部へと意識を集中させ、視線を鰐型戦機の方へ動かしていく。ランチャーの付け根が見えた。
鰐型戦機とランチャーを繋ぐ部分は、意外にも随分と細いアームのような形状になっていた。恐らく可動域を確保するために小回りの利く細い形になっているのだろう。そしてその代償と言わんばかりに、耐久性はとても弱そうだ。
あれくらいならば、もしかすると――。
思い付いたキリトはそれを実行する事にした。鰐型戦機が暴れ出し、尻尾を振り回して来る。胴体よりも遥かに長く、脚までくっ付いている尻尾による薙ぎ払いは、超広範囲物理攻撃だ。受けてしまえば一溜りもない。キリトは意を決し、鋼鉄の尾が迫り来る寸前で思い切りジャンプした。
すると、想像を超える高さまで飛び上がる事が出来た。真下を鰐型戦機の尻尾が通過していくのが見えた。AGIを上げていたのが功を成したのかもしれない。
これくらいジャンプできるのであれば、やれる。
攻撃終了時に生じる隙が作られているのだろう、鰐型戦機の動きが緩慢化したのを見計らい、着地したキリトは思い切り床を蹴って走り出し、鰐型戦機に接敵した。
同時に鰐型戦機のランチャーが動作し、円盤弾を射出する。どうやら自衛目的の武器という側面もあるらしい。キリトはすかさずシノンへ声掛けする。
「シノンッ!!」
声が届いた時には、シノンの狙撃銃弾が浮遊する円盤弾を炸裂させていた。一つだけではなく全て貫かれ、本来飛ぶべきところへ到達するより前に爆発した。更に爆発時の衝撃が鰐型戦機を襲い、その動きを更に緩慢化させた。自分の放った爆弾がすぐ近くで爆発した場合の対応は出来ないらしい。
これ以上ないチャンスが来た。キリトは鰐型戦機へ更に接近し、円盤弾射出ランチャーポッドの二つあるうちの一つの真下に到達した。真上にあるのはランチャーと鰐型戦機を繋ぐ接合アーム部。そこに狙いを定めてジャンプし、キリトは光剣で縦一文字に斬り抜いた。
「だあああああッ!!」
光剣特有の
「壊れたのに、消えない……!?」
ランチャーポッドは上手く破壊すれば消えずに残るのではないか――キリトの予想は上手く当たってくれていた。そして強力な自前の武器を剥ぎ取られた事に戸惑ったのか、鰐型戦機は後ろを確認しようと首を動かし、それ以外の動作をほとんど止めていた。
予想的中に感謝しながら、キリトは落ちたランチャーポッドへ近付き、検品するように確認した。
円盤弾を射出する特殊火器であるそれは、ミサイルポッドにもロケットランチャーにも似つかない容姿をしている。鰐型戦機の背中にくっ付いていた時には、円盤弾の射出の際にどこか引き金を引かれたような動きをしていた。
もしかしたらこれは本来人が使えるものであり、そのための引き金、
あった。脱落した円盤弾射出ランチャーの後部に、ロケットランチャーのそれによく似たグリップが存在していた。そしてそこに引き金がある。これは使える武器だ。プレイヤーが使う事の出来る武器なのだ。
「……すげぇ物が使えるもんなんだな」
キリトは口角が上がっている事に気が付かないまま、グリップを勢いよく掴んだ。更にランチャーの上部にある取っ手を掴み、ミニガンのそれと同じやり方でランチャーを構えた。
「えぇっ!? キリト、それって!?」
またしても後方のシノンから驚きの声が聞こえてきた。エネミーの部位を脱落させ、それを奪って戦うというのは、彼女も見た事がない光景であるらしい。GGOでは一般的な戦い方ではないのか――キリトは意外性を感じていたが、そうしている余裕などなかった。
鰐型戦機が怒りの咆吼を放ち、全身の銃火器の砲門を展開した。この円盤弾射出ランチャーを奪われたのが余程気に喰わなかったのだろう。間もなくその銃身がキリトへ向けられるが、同時にキリトはランチャーの引き金を引いた。
ロケットランチャーのそれをさらに強めたような反動がすると同時に、円盤弾が勢いよく射出されて行った。射出された円盤弾は上空へ飛んでから対象へ向かう思いきや、真っ直ぐ飛んでいき、鰐型戦機の残された円盤弾射出ランチャーに直撃した。
その円盤弾が炸裂するや否や、鰐型戦機の背中のランチャーを中心に大爆発が起きる。こちらの放った円盤弾による爆炎が鰐型戦機のランチャー内部の残弾に引火し、連鎖爆発を引き起こしたらしい。そこでようやく、今まで全く減る気配のなかった鰐型戦機の《HPバー》が目に見えて減り、真ん中付近まで行ったところで止まった。
更に今の爆発によって鰐型戦機の背中を中心に装甲が剥がれ落ち、黒い人工筋肉が剥き出しになっているのも確認できた。
やはりこのランチャーがこいつを攻略するうえでの重要なファクターであったらしい。
「よしッ!」
掴んでしまえばこちらのものだ。キリトは得意げになってランチャーの引き金を引き、可能な限りの連射を試みた。ロケットランチャーやミサイルランチャーよりも少し遅い頻度で円盤弾を飛ばし、鰐型戦機の全身の銃火器を狙った。
「そういえばこのランチャー、お前のだったな。ほら、返してやるよッ!!」
先程まで散々甚振られていたのもあってか、キリトは気分が上昇するのを感じながら引き金を引いた。次々と円盤弾が撃ち出され、鰐型戦機を襲う。
やがてランチャー内部に残っていた円盤弾を撃ち尽くした頃、残っていたレーザー機関銃が全て破壊され、装甲も一緒に剥がれ落ちていた。攻略不可と思っていた鰐型戦機の《HPバー》は、残り僅かのところまで減少していた。
あともう少しだ。ランチャーを投げ捨てたその時、かっと鰐型戦機が口開いた顔をこちらに向けてきた。一瞬のうちに視界が赤白色に染まる。《弾道予測線》だ。咄嗟の反応で右方向にローリングダイブすると、元居た空間を真っ赤なレーザー光線が通り過ぎて行った。
円盤弾射出ランチャーで全部落としたかと思っていたが、まだ使える火器が残されていた。鰐型戦機の最大の武器であるレーザーブレス光線発射機構。鰐型戦機の口の奥から照射されて来るのだから、恐らく破壊は不可能だろう。このレーザー光線と最後まで戦う事になるのか。
そう思ったところで、キリトはふと鰐型戦機の口腔内に目を向け、はっとした。
――鰐型戦機の口の奥に何かがある。青い光を帯びている四角形の物体だった。《リンドガルム》としてのリランの背中、バイクで言うシートに当たる部分の下に格納されている、戦機用バッテリーによく似ている。
(まさか)
戦機と戦う事はあまりなかったので、仕様は理解していないが、もしかしたらエネミーとしての戦機にはバッテリー部が剥き出しになる場合があり、そこが弱点部位となっているのではないのだろうか。いや、最早そうであると考えるべきだ。
現に鰐型戦機の口腔奥のバッテリーと思わしき部分は、狙ってくださいと言わんばかりの目立ち方をしている。恐らくはあそこが鰐型戦機の露出した弱点なのだろう。あそこを狙えば、この戦いは終わる。
そう思ったところで、鰐型戦機は口を閉じてしまった。弱点が隠されたが、丁度良かった。キリトは後方のシノンへ声を飛ばす。
「シノン、こいつの口の奥を狙ってくれ! 口の奥に青く光るバッテリーがある。そこがこいつの弱点だったんだ!」
「口の奥!? けどそいつが口を開けた時って――」
無論、あの極太レーザー光線が飛んでくる時だ。角度的に横から狙う事は出来ない。弱点を狙うには、極太レーザー光線の射線内である真正面にいる必要がある。だが、口を開けてから照射まで、一秒から二秒くらいのラグがあるのも確認できていた。
つまりあいつが口を開けてからレーザーを照射するまでの間に攻撃出来れば、いけるかもしれない。キリトはシノンへ答える。
「危ないけど、それがチャンスだ。狙えるか?」
シノンはじっとキリトを見ていた。無茶なやり方になるのだから、迷いがあるだろう。だが、やがて意を決したように彼女は頷き、キリトの丁度後方まで移動した。
「……やってみせる」
その強気な表情に背中を押され、キリトは鰐型戦機に向き直った。
対峙する怒り狂う鋼鉄の鰐は、倒れない獲物に更に腹を立て、その口を開けた。一番の攻撃方法で滅却するために。その口の奥に、やはり青く光るバッテリーがあった。《弾道予測線》が視界いっぱいに広がっていたが、バッテリー部の位置は完全に捉えた。
「そこだッ!!」
キリトは叫ぶと同時に、光剣を槍投げの要領で投げつけた。本来そのような使い方をされる設計にはなっていないはずの光剣はブレード部を維持したまま鰐型戦機の口の奥へ飛んでいき、バッテリー部に深々と突き刺さった。
心臓に杭を打ち込まれた鉄の鰐は悲鳴を上げ、姿勢を大きく崩す。既に三秒経過しているが、レーザー光線が照射される気配はない。しかし《弾道予測線》は飛ばされたままになっている。まだ足りない。
あと、もう少しだけ必要だ。
「シノン、今だッ!!」
そのもう少しを担うシノンへキリトは叫んだ。シノンは既に膝を付いてバランスを取り、銃口を真っ直ぐ鰐型戦機の口腔の奥へ向けていた。しかし狙っているのはバッテリー部ではないとわかり、キリトは驚いた。
「――
シノンが呟くと同時に、その引き金が絞られた。PSG-1より放たれた狙撃銃弾は、鰐型戦機の口腔部へ真っ直ぐ吸い込まれて行き、その心臓部――に突き立てられた光剣の柄の底部に到達した。
後ろから狙撃銃弾に押された光剣は、鉄の鰐の心臓を貫いていた。心臓に大きな穴を
水上闘技場の主が倒された瞬間だった。
次回、ついにあれが来る。乞うご期待。
――原作との相違点――
①地下遺跡のエネミーが戦機に変更。原作ではゴッズペットという、非常に珍妙な外観をしたクリーチャー。ちなみにこのゴッズペットの上位種にゲンブというのがおり、大金を入手できる換金アイテムが手に入る事で有名。