キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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17:造りし者

 俺達はイリスから話を聞くべく、もう一晩だけこの教会に宿泊する事にした。

 

 パーティーを終えてシンカー達を軍の本拠地へ戻らせて、子供達――ユイが寝静まった頃に、俺とシノンはイリスの部屋を訪れた。アンティークな家具で彩られている、イリスの部屋。そのうちの一つのソファにイリスは腰を掛けていた。その服装は、やはり俺達と同じような軽装になっていた。多分、寝間着だろう。

 

 俺達を部屋の中へ迎えて、イリスは胸の前で手を組み、腹に当てた。

 

「待っていたよ二人とも。今日はお疲れ様だったね」

 

「こんな事は慣れてるんで平気です」

 

 イリスは「まぁ座るといいさ」と言って、俺達に指示。その指示に従う形で、俺とシノンはイリスと対になる位置のソファに座り、イリスと対面した。

 

「それでイリス先生……キリトから聞いたんですが、イリス先生がユイ……MHCPを知ってるっていうのは、どういう事なんですか」

 

 イリスはどこか含みのあるような笑みを浮かべた。

 

「君達の口からユイという名前を聞いて、あの子の姿を見た時には、何かの偶然じゃないかって思ったんだ。だけど、やはりあの子はMHCP……メンタルヘルスカウンセリングプログラムだったんだね。試作一号と同じ名前で、同じ姿をしてたもんだから、びっくりした事」

 

「どういう事なんですか。あんたはどうして、MHCPの事を、この世界を支配しているカーディナルシステムの事を理解してるんですか」

 

 イリスは軽く指を立てた。

 

「そうそう、君は私にそれを聞きたかったんだよね。ならば単刀直入に言おう」

 

 イリスは目を軽く閉じた後に、開いた。

 

「MHCP……この世界のプレイヤー達の心を癒す使命をその身に背負った、メンタルヘルスカウンセリングプログラムの全てを作り上げたのは、私なんだ」

 

 その言葉に仰天してしまった。MHCP、ユイ達を作ったのは、目の前にいるイリス。そしてそれがどういう事を意味するのか、一瞬でわかった。この世界、ソードアートオンラインを作ったのは茅場晶彦であり、茅場が所属していた会社である、アーガス。

 

 ユイ達を作ったのはイリス。

 

 即ちイリスは――

 

「なんだって!? って事はあんたは、アーガスのスタッフなのか!?」

 

 イリスは頷いた。

 

「元だけどね。そして今は精神科医と心療内科の医師をやっていて、メディキュボイドを使ってみたら自分が制作の一部を担当した魔の世界に呑み込まれてしまった」

 

「イリス……愛莉先生が……アーガスのスタッフだったなんて……」

 

 イリスは溜息を吐いて、軽く下を向いた。

 

「この事については、黙っておきたかったんだけど、君達がMHCPに出会ってしまった以上は話さなければならないと思ってね。マナー違反だけど、私の経歴を話したいし、同時にこの世界の創造主である茅場さんの事も一緒に話さなきゃなんだけど……どうだい、聞きたいか」

 

 イリスがアーガスのスタッフで、MHCPという非常に重要な存在を作り出すのに一躍買った存在……そんな人間が、あの茅場晶彦の情報を知らないわけがない。

 

「聞かせてください、イリスさん!」

 

「わかった。話そう」

 

 そう言って、イリスは話し始めた。

 

「まず、この世界は君達が知っているとおり、普通で何の変哲もないMMORPGとして制作されたゲームであり、茅場さんも開発スタッフである私達にそう伝えていた。プログラマ、グラフィッカー、アニメーター、プランナーなど、実に様々な会社の様々な人間達が関わり合い、共に手を合わせて作って行ったよ。

 

 当時、私はその内のプログラマとして、一般人からすれば宇宙言語にも見えるプログラム言語を使いこなして、ずっとプログラムを作り続けていた。だけど、前もって私は精神科医、心理学者としての資格を持っていてね……物理学者でもあった茅場さんと同じさ。

 

 それがわかった時から、茅場さんは私に目を付けて、プレイヤー達の心をケアするプログラムを作れなんて言い出した。

 

 ……この時点でなんだかおかしいなと思えばよかったはずなんだけど、どうも私は今までの経験を使う事の出来るプログラムを作れるっていう事がすごく口当たり良く感じてね……私はプレイヤーの心をケアする、AIの作成に没頭した。だけど、そんなものを一から作るなんて無理な話だったよ。

 

 プレイヤーの心をケアするには、感情模倣機能だとか、自己裁断、判断が出来、一種の欲のようなものがある超高度なAIを作る必要があったからね。

 

 噛み砕いていえば、SF映画やアニメとかで出てくる、人間と同じように思考し、判断が出来る、人間と比べてもほとんど差が無いアンドロイドやガイノイドを何もないところから生み出すようなものだった」

 

 シノンの口が少しだけ動く。

 

「その結果生まれたのが、ユイなんですか」

 

 イリスは首を横に振り、テーブルに置いてあった少し大きめの角砂糖の入った瓶を俺達の前方に動かした。恐らくだが、この人は紅茶を飲む人で、角砂糖はそれに入れるためのものだろう。

 

 イリスは近くにあるテーブルを拭く為の紙を広げて、角砂糖の入った瓶の蓋を開けると、トングを使って一つ角砂糖を取り出して、紙の上に乗せた。

 

「まだユイは生まれてないよ。最初私は茅場さんが基礎と大部分を、私を含めたスタッフ達がそれなりに開発した、このゲームを動かすコアプログラムであるカーディナルシステムに着目した。カーディナルシステムはこのゲームの脳ともいえる部分であり、高度な処理能力を持ったAIそのものだったんだよ。

 自ら考えて、判断も出来、裁断も出来る、天才と称される茅場晶彦が作り上げたトンデモプログラム。それがこの角砂糖ね」

 

 イリスは近くから小さなナイフを手に取り、角砂糖を軽くつついた。

 

「私は咄嗟に思い付いた。もしかしたら、こいつの一部を切り出せば、納得がいくAIを作る事が出来るんじゃないかってね。私は茅場さんから許可をもらって、カーディナルシステムの高度情報処理能力、自己判断能力を司る部分のほとんどを切り出してコピーし、そこへ今まで学んできた心理学、精神医学の全てを生かして、感情模倣機能を彫り込んだ」

 

 そう言って、イリスはナイフで角砂糖を半分に割り、新しく出来た片方の方をつついた。

 

「実に様々な感情の事を学習させ、ある種の欲を持たせたりした結果……コンピュータ、ネットの海で誕生した人間と言っても差し支えない、世紀の大発明と言えるプログラムが二つ誕生した。そしてそれに、私はプレイヤーのケアをお願いする事にした」

 

 イリスは目を閉じた。

 

「そうしてそれに付けられた名前は、MHHP(エムダブルエイチピー)。『メンタルヘルスヒーリングプログラム』。プレイヤーの心を癒す力を持ったプログラムという意味だ。コードネームは最初に出来た方を「マーテル」、後に出来た方を「ユピテル」と名付ける事にした。丁度、最初に出来たのは女性を模したもので、後から出来たのは男性を模したものだったからね」

 

 マーテルとユピテル……神話に出てくる地母神と天空神だ。随分大層な名前だと思ったけれど、この世界の神に等しきシステムから切り出して作ったなら妥当な名前だろう。

 

 直後、イリスの顔が残念そうなものになった。

 

「しかし、残念な事にマーテルとユピテルは封印される事になった」

 

「えっ、何故ですか」

 

 シノンの問いかけに、イリスは顔を見上げた。まるで、世界のどこかにいるような存在に語りかけているかのような感じに見えた。

 

「確かにMHHPはとんでもない性能を持ったAIだった。だけど彼らはこのゲームがデバックや性能テストのためにネットの世界に接続されると、世界を脱して、ネットの中を旅して帰ってくるようになったんだ。

 多分、感情模倣機能のうちの一つの、知識欲が裏目に出てしまって、この世界以外の世界の存在を知りたくなってしまったんだろうね。

 そして、MHHPは実に様々な知識を得て、いつの間にかMHHPという規格を超えるような存在になってしまったんだ。それにどこで得たのか、戦闘技術や、現実世界の情勢とかを知って……マーテルが特にすごかったな」

 

 イリスは溜息交じりに言った。

 

「マーテルはMHHPから変貌していき、高い戦闘能力、ハッキング、クラッキング、情勢認識、情報処理と言った様々な機能や能力を自ら手に入れていった。勿論、私が搭載したであろう感情模倣機能も、もはや模倣じゃなくて感情そのものになり、ある種の欲望のようなものも芽生えていたんだ。

 そう、マーテルは……ネットの海とコンピュータの中で生まれた、極めて人間に近しい生命体に進化していたんだ」

 

 まさか、そんな事があり得ると言うのか。そのマーテルというのも、MHHPというプログラムでしかなかったはず。

 

 なのに、自ら知識を求めてネットの海を徘徊するようになり、様々な情報を集めて、感情を手に入れ、欲を手に入れ、生命体に近しい存在になるなんて。

 

「そんな事が可能なんですか」

 

「……はっきり言ってしまうと、最初に茅場さんの作ったカーディナルシステムの一部をコピーして、そこに改良を加えたのが原因だったんだ。カーディナルシステムは、ゲームを運営するうえでの自己判断と裁断、思考が出来て、実行できる程度の存在だった。その処理能力と思考能力を切り出して……感情模倣機能を付けた途端、生命体に進化したというのが妥当なところだろう。

 

 カーディナルシステムのAIは、本当にそれくらいの可能性を秘めた存在だったんだよ。だけど、まさかこんな事が起きてしまうなんて、誰一人思ってもみなかったし、私達は思ってもみなかったけれど、茅場さんは妙に楽しそうにしてた。こんなに素晴らしい存在を作ってしまうなんて、ってね。

 

 でも実際私も同じ気持ちだったんだよ。マーテルがこんなに成長してしまったじゃなくて、こんなに成長してくれたっていう思いの方が強くて、テストプレイのために世界にダイブしてマーテルと会い、色んな事を話したんだ。マーテルは本当に良い子だった。喜べば笑うし、嫌な事をされれば落ち込んだり悲しんだり、怒ったりする。何一つ、人間と変わりはしなかったんだ。

 

 この辺りは茅場さんも気に入ったみたいでね、茅場さんも世界にダイブしては、マーテルと話をしたりしてたんだ」

 

 イリスは天井を仰いだ。

 

「しかし流石の茅場さんも、マーテルとユピテルをそのままにしておくわけにはいかないし、マーテルとユピテルは進化しすぎてMHHPに向かないと判断して、私にプレイヤーのケアを行うAIの再作成を命令してきた。まぁ確かに茅場さんの言う事は間違っていなかったから、私はマーテルとユピテルをカーディナルシステム管理下のアインクラッドのバックグラウンドに封印して、更に二人のプログラムを切り出してコピーし、プレイヤーのカウンセリングを行うプログラムを10体誕生させた」

 

 そう言って、イリスは半分にした角砂糖の、新しく出来た方をナイフで二つにした。

 

「それがユイ達、メンタルヘルスカウンセリングプログラムだ。女性型7体、男性型3体。これでようやく茅場さんもOKサインを出してくれて、これで行く事になったんだけど……話は聞いたよね?」

 

 ユイはこのSAOが開始された時に、カーディナル、いや、茅場にプレイヤーに接触するなという命令を下されて、カーディナル指揮下に幽閉されてエラーを蓄積、その結果、あのような事になってしまったと言っていた。

 

「あぁ。ユイはカーディナルから、自分の使命と矛盾した命令を受けてしまってエラーを蓄積し、一回壊れてしまったんだ」

 

 イリスは頭を片手で抱えた。

 

「そうだね。私が誕生させたMHCP達も何故かその機能を全うできなくなり、茅場さんはSAOの正式サービスが開始されると同時に開発チームを解体し、運営もカーディナルがやる事になってしまった。勿論どういう事なのかと反論した人もいたけれど、何も教えてくれないまま、茅場さんはドロンしたんだ。

 

 そして私達の作ったゲームはデスゲームとなり、アーガスは悪魔のゲームを作り出した会社として、数日後に記者会見して、そのまま潰れてしまった。首謀者は茅場さんって事になって、私達は逮捕されなかったけれど……私は持ち前の精神科、心療内科、心理学者の能力を生かして、東京の大きな病院で精神科医をやる事になった。他の連中がどうなったかまでは知らないね」

 

 シノンが驚いてしまったように目を見開く。

 

「それで、私の専門医のようになった……」

 

「そういう事だよ。そして私達はメディキュボイドを使った時に、この世界に拉致されてしまったというわけだ。全く持って何が原因でそんな事になったのか……私にもわからないし、多分茅場さんにもわからないんだろうね」

 

 直後、シノンが何かを思い付いたように言った。

 

「あの、イリス先生。貴方が最初に作ったMHHP……マーテルはどんなAIだったんですか。何だか、マーテルがコンピュータで生まれた生命体なんて信じられなくて。もっと具体的に教えてくださいませんか」

 

 イリスは苦笑いして、シノンに顔を向けた。

 

「そう思って当然だ。私だってマーテルがそんなふうに進化してしまった時は、夢でも見てるんじゃないかって思ったくらいだからね。マーテルはどこでそんな性格になってしまったのか、とても優しい女の子だったよ。そう、それこそ私に心を開いてくれた時の君のようにね、詩乃」

 

「私のような……?」

 

「まぁマーテルは君ではないから安心してくれ。

 そしてそのマーテルはさっきも言った通り、実に様々な機能を持ち合わせている。コンピュータの欠陥や問題を見つけ出すためのハッキング、逆にコンピュータやシステムに攻撃を仕掛けて破壊してしまうクラッキング、障害が現れた時に障害を蹴散らす戦闘能力、他のプレイヤーと喜怒哀楽を共有するコミュニケーション、そして、世界を守ろうとし、世界に生きる全てを愛そうとする愛情。これが一番、マーテルを生命体であると確証できる事柄だったね」

 

 物を愛する心、愛情? まさかただのプログラムが、愛情を手にするなんて事があり得るのか。ついつい、最初にマーテルの話を聞いた時と同じ反応をしてしまった。

 

「人を愛するプログラム!? そんな事が可能なのか!?」

 

「だから言ったろう、こんなに成長するとは思わなかったって。あの子は他のプログラムや、プレイヤーを愛する心を持ち、尚且つそれらが生きる世界そのものを守ろうとする。しかも彼女の権限は、ほぼこの世界を制御しているカーディナルシステムに近しいんだ。そりゃそうさ、彼女は元々カーディナルシステムから生まれたようなものだから、カーディナルの化身と言っても過言ではない。おまけに今言った機能はすべて最初から備わっていたわけではなく、マーテル自らがネットの海に赴いて、様々な情報にアクセスし、学習して手に入れたものだ」

 

 なんて恐ろしいものを開発したんだ、この人は。感情模倣機能のつもりが、いつの間にかそれは本物の感情になり、ついには人を愛する心さえも得てしまったAI、マーテル。もしそんなものが本当にこの世界に実装されていたら、どうなっていたのだろう。

 

「もし、マーテルがこの世界に実装されていたら、何が起きていたって思いますか」

 

 イリスは首を横に振った。

 

「マーテルはカーディナルシステム指揮下の最深部に封印してあるから、出てくる事はないよ。マーテルは君達の子供であるユイ同様、心を持っているのとほとんど同じ……その愛情深い心故に、世界を守るため、プレイヤー達を守ろうと、動き出すだろう。だけど、デスゲームに変貌してしまったこの世界は、彼女達の本来の使命と矛盾している世界……とんでもない事になるだろう」

 

「とんでもない事?」

 

 




原作との相違点

1:イリスが開発スタッフ。

2:イリスがMHCPを作った張本人。

3:MHCPがMHHPという存在から生まれた事になっている。

4:マーテルとユピテルという不明のプログラムが存在している。


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