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吹雪の中で見つけた小屋状の廃墟に転がり込んでシノンを降ろしたキリトは、外を見た。
扉は開けっ放しになっていて閉じる事ができないので、雪が容赦なく入り込んでくる。幸いにも風向きがこの建物の方へ向かう流れではなかったため、入ってくる量は少なかった。奥の方まで行けば雪も風もほとんど影響がなくなる。
そこの壁に背を預けて座っているシノンに、キリトは声を掛けた。
「ひとまずはここで身を隠そう。エネミーもいないし、この吹雪でプレイヤー連中も来れないはずだ」
「ご……ごめんなさい。私が動けないばっかりに……」
「気にしないでくれ。
シノンはきょとんとした顔になった。心当たりがないようだ。
「あの時、君は
後悔したところで遅い。そうわかっていても、キリトは悔やまずにはいられなかった。守ると誓っている彼女を危険に晒した事、リランが居ないと強敵に立ち向かえない事。それが諸に出たのが先程だった。
彼女を守る事を使命として誓ったというのに、あの
そんなキリトに向けて、シノンは首を横に振ってくれた。痺れが残っているようで、動作は少しゆっくりだった。
「そんな、謝らないでよ。悪いのはあなたじゃないわ。元はと言えば私が気付かなかったから……私が気を抜いていたせいで、あなたを巻き込んでしまったんだから……だから、お願い。謝らないで、キリト」
シノンの瞳は、彼女の言葉をそのまま伝えてきていた。その言葉、思いを自身の瞳で受け取ったキリトは、それを呑み込んだ。そのおかげなのか、胸の内に渦巻く嫌な気持ちが少しずつ収まっていった。
そこから数秒程度時間を置いてから、シノンが
「ねぇキリト、隣に来て」
「え? いや、俺はここで見張りを」
「身体の痺れがまだ取れてないの。こんなんじゃ、あなたに何かあった時に手を貸せないし、戦えない。だから、こっちに来て……」
それが彼女の心からの頼みである事は、キリトにはすぐ把握できた。エネミーやあの連中が来ても応戦できるように見張りをしている必要があるが、彼女の頼みを断る気にはなれない。
それにそもそも、彼女のいる位置からここまで十五メートル前後の距離がある。あまり距離を離していると、いざとなった時に彼女を守れない可能性が高いだろう。結論を出したキリトは何も言わずにシノンの右隣へ向かい、座った。
間もなくして、シノンが体重を預けてきた。これまで何度も感じ取って来た――だからこそ守りたいと思う彼女だけが持つ温もりが、その肌を伝って身体へ流れ込んでくるようになると、胸の内に
直後に、シノンが大きく深呼吸をした。肺の中の空気を全部入れ替えようとしているようにも感じられた。当然だが、辺りの空気は非常に冷たい。呼吸をするだけで身体が芯から冷えてきそうなくらいだ。それでも深呼吸をした彼女には、何か吐き出したい思いがある――キリトのその予想は当たった。
「……今、こうしてる間にも、あいつらが私達を探してるのよね」
「そうだな。今はかなり吹雪いてるし、この建物自体も雪
「……そんな状況なのに、私、なんだか安心してるの。隣にこうしてあなたが居てくれてるから、全然怖くない。おかしいわよね。敵から狙われてて、身体は痺れて動けないっていうのに……」
その気持ちはキリトにも通ずるものがあった。敵から狙われているうえ、心強いリランはいない。しかも外は猛吹雪。何一ついい条件などないのに、一方で心の中は暖かかった。それがシノンがこうして隣に居てくれているおかげなのは、深く考えなくてもわかった。
「俺も同じ気持ちだよ。隣に君が居てくれると、本当に安心する。いつもそうなんだよな、これって」
「私も同じ。いつもそう思うの。隣にあなたが居てくれると、こんなに安心できるんだって」
そう言って微笑んでから、シノンはもう一度口を開いた。
「ねぇキリト。あなたって、私の記憶をどこまで持ってるんだっけ」
その問いかけを受けたキリトは、頭の中の
一時期はこの記憶の存在によって自分の記憶との線引きが曖昧になり、苦しんだ事もあったが、今は何の苦しみも受ける事はない。
そしてこれが存在しているおかげで、キリトはシノンの事をこれ以上ないくらいに深く理解できるようになり、より一層シノンを愛おしいと思うようになった。
その断片を引き出しつつ、キリトはシノンに返事する。
「んー、《SAO》で君の頭の中に飛び込む直前くらいまでかな。そこまでの事なら大体わかるよ」
「大体?」
シノンの問いかけに、キリトはもう一度「んー」と返す。最近自覚してきて驚いた事なのだが、キリトの中にあるシノンの記憶は、ところどころ落ちてきている。忘れてきていると言った方が正しいかもしれない。
シノンの記憶を参照し、その内容を思い出そうとしても、上手く思い出せない時が増えてきている傾向にあるのだ。その事についてリランとイリスに話したところ、「君が経験した細々した事を忘れていくように、シノンの記憶も忘れていってるのかもね。それは自然な事だから気にしないでいいだろう」と、イリスが教えてくれた。
新しい体験や経験を積む事によって、その分昔の事を忘れていくのは、人間として自然な事である。人間の頭はそんなに沢山の記憶を貯蔵できるようにはできていないからだ。なので、シノンの記憶も徐々にキリトの中から消えていっているというわけらしい。
その事をシノンに話してから、キリトは更に続けた。
「でもさ、重要な部分は全然忘れてないよ。君がどういう思いをしてきたのか、どういうふうに痛んできたのか、苦しんできたのか。……愛莉先生と皆にどれだけ助けられたって感じてくれてるか」
「……じゃあ、これから言う事もわかる?」
シノンの問いかけに、キリトは一旦口を閉ざし、続きを促した。
「私、《SAO》に来るまではずっと一人ぼっちだった。誰にも頼れなくて、頼ったと思ったら、その人達は全然違ってて……そんな事の繰り返しだった」
それがどれだけ彼女を苦しめていた事柄だったのか、キリトは自分の事のようにわかる。シノン/詩乃の記憶が薄れてきていても、その部分だけはしっかりと残っている。
「でも、愛莉先生に巡り合えて……トラブルだったけど、SAOに巻き込まれて、あなたに出会って、リランに出会って、信頼できる仲間に出会えて……ようやく私も、生きてていいんだって思えた」
愛莉が勧めたメディキュボイドによる治療。それによって詩乃は《SAO》に巻き込まれ、自分達に出会った。他の人間からすればデスゲームに巻き込まれたという最悪の不幸だが、彼女にとってはそれが最大の救いだった。現にこの時の記憶を思い出すと、彼女がどれだけこの出来事に救いを感じていたのかが把握できる。
そんな仲間達に、大切な人達にこれ以上迷惑をかけたくないから、彼女はこの鋼鉄と銃の世界である《GGO》に飛び込み、自身の中に巣食うトラウマを克服しようとしている――というのが、以前シノンから聞いた話だった。
「だから私、《GGO》に飛び込んだの。銃が支配するこの世界で、昔の弱かった私から、強い私になって、あなた達と一緒に居る資格を手に入れたい。そう思ったから、こうして戦ってる。でも、やっぱり私一人だけじゃ難しいのかもしれない」
それは前にも聞いた話だが、シノンの心は変わっていないようだ。自分達と一緒に居るには強くなければならない――そんな条件もないし、そんな資格も必要ない。
自分達は一緒に居たいから、シノンと一緒に居るのだし、自分だってシノンを守りたくて、心の底から愛していて、シノンから同じように愛してもらっているからこそ、一緒に居る事を選んでいる。
だが、彼女はそれを素直に受け入れられない。強くなれなければ受け入れる事はできないと思っている。それをやめたくないのだ。
「でも、キリトと一緒なら、それが叶うと思うの。私一人じゃ難しい事でも、あなたと一緒なら飛び越えられるって、心から思うの。だから、敵に狙われてるこの状況でも、すごく安心できる……」
そう言ってシノンはキリトの方に頬を乗せ、擦り付けて来た。キリトはシノンの背中へ手を廻してから、そっと包むようにその頭へ
「一緒に居るために資格なんていらないよ。皆、シノンと一緒に居たいと思ってるから、一緒に居るんだ。だから、そんなに思いつめなくたって大丈夫だよ」
「……」
何も返さないという事は、それを呑み込めないという事だ。それもわかっていた。なのでキリトは更に続けた。
「でも、君が強くなりたいっていう気持ちを否定しない。それが君のやりたい事なら、俺はその支えになるし、これまで以上に一緒に居て、君の力になって、君を守りたい。そう思うよ」
「これまで以上に?」
そう問われたキリトは、もう一度頭の図書館で本を開いていった。シノンはこれまで、どのゲームでも危ない目に遭ってきた。
《SAO》でアルベリヒに囚われた時、《ALO》で生きていた
そんな事を繰り返されたせいなのだろう、キリトはいつしか、VR世界で自分が不意にシノンから注意を逸らした時には、彼女を未曽有の危機が襲うのではないかと不安になる時があるようになった。
現実世界ではそのような危険性はほぼないと言ってもよいが、近頃のVRMMOは何でもありだ。《SAO》の時から既にそうだったが、《ALO》、《SA:O》、そして《GGO》と進むにつれて、全く予想外の出来事が平然と起こる。
その中にシノンが巻き込まれるのではないかと急に不安になる事が、キリトには度々ある。だからこそ、キリトはこうしてシノンといる時間をなるべく増やしたいと思っていた。
その事を話すと、シノンは「あぁ……」と呟いた。自分でも思い当たる部分があるらしい。
「だからキリトは、これまで以上に私の近くに居てくれて、私にくっ付いていたいと?」
そこでキリトははっとした。確かにシノンを守りたいという気持ちはあるが、そんなにべったりとくっ付いているようでは、ストーカーをしているのと何も変わらない。そのような事をしたいわけではないのだ。
それをキリトは慌てて伝えた。
「べ、別にそんな君にべったりしてたいとか、そういうストーカー
これで弁明できただろうか。少々不安になってきたところ、シノンはぷっと吹き出した後に笑った。純粋に可笑しいと思った事を笑っている時に出る笑いだ。
その笑いの後、きょとんとしているキリトにシノンは返す。
「そんなにきっぱり言わなくたってわかるわよ、あなたがそういう事をしたがるような人じゃないって事くらい。ずっとあなたと一緒に居て、あなたの事を知ってきてるんだから」
「そ、そうか」
直後、シノンは笑みを静かな微笑みに変えると、より深くキリトへ体重を預けてきた。
「……それなら、もっと安心できるわ。私が強くなろうとしてる時に危なくなっても、あなたが傍に居てくれるって。キリトが助けに来るから、私は一人じゃないって、わかるから……だから、信じてるわ、キリト」
「うん、任せてくれ」
シノンの心からの言葉を受け入れ、キリトは掌を広げ、より広くシノンの身体を包み込もうとした。
彼女が強くなろうとしているのはこれまでと変わらない。
キリトはそんな気持ちを胸へ、心へ刻み込んでいた。
「って、あれ?」
その時、急に聞こえたシノンの声でキリトは我に返った。
「どうした」
「キリト、あれって
「へっ?」
シノンの向いている方向にキリトもまた向き直る。そこにあったのは長方形の少し大きな箱だった。遥か未来の地球を舞台にしているこの《GGO》でも、これまでのゲームと同じように宝箱というものが存在している。
その中身や開封は他プレイヤーのそれとリンクしており、誰かが先に開いていた場合は、一定時間経過しないと他プレイヤーは入手できないという特殊なルールが設けられているが、誰かが取ると、もう他の誰も取れなくなるような仕様ではないため、良心的ではあった。
そんな宝箱がここにあった事に、キリトは全く気が付かなかった。これまでのゲームでは宝箱を見逃す事などなかったというのに。若干呆気に取られたが、一瞬で我に返って、キリトは反応を示す。
「本当だ。全然気付かなかった」
「まだ誰も開けてないみたいね。開けてみましょうよ」
シノンに言われるがまま、彼女を支えつつキリトは立ち上がり、一緒になって宝箱に近付いた。シノンの言った通り、まだ誰も開けていないようだ。
いや、誰か開けたかもしれないが、そこからだいぶ時間が経過した事により、復活しているのだろうか。いずれにしても、中身は無事だ。
下部にあるボタンを押すと、それらしい駆動音を立てて箱は開いた。銃火器か、それとも特殊アイテムか、もしくは衣装やアクセサリの類か。少し期待しながら二人で覗き込んでみたところ、正体は割れた。
服だ。白い生地に黒茶のラインが入っていて、下半身がホットパンツのようになっているデザインが特徴的なスーツが一つに、その上から着るものであろう緑色の長袖のジャケットとズボン。そしてスーツと同じ白色で、黒いラインの入ったマフラーのセットが、宝箱の中身だった。
「これは……服だな」
「えぇ、服ね。強い狙撃銃辺りを期待してたのに」
キリトは中の服を手に取り、ぽんとクリックする。展開されたウインドウに詳細が表示された。スーツは《スナイピングスーツ》、ジャケットは《スナイパーズジャケット》、マフラーは《スナイパーズマフラー》というらしい。
「ほぉー……」
更に詳細を確認して、キリトは思わず声を出した。やはりこの装備は狙撃手のために作られたものであるらしく、狙撃能力の向上及び狙撃時のアシストをしてくれる機能が備わっているようだ。
しかし対応している性別には《Female》だけしかない。つまり女性プレイヤーしか装備できないというわけだ。男性プレイヤーが非常に多いこの《GGO》で、女性専用装備が手に入る時ほど、がっくりしてしまう事はないだろうが――自分の場合はそうではない。
女性であり、狙撃手である人が、すぐ横に居る。その人に向けてキリトは一つ提案をした。
「シノン、これどうかな」
シノンは「すすっ」と笑った。自分がこう言ってくるのが予想通りになってしまって、思わず笑ってしまったようだ。
「そう言ってくると思ったわ。これ、女性用装備だものね」
「しかも狙撃をサポートしてくれる機能も付いてるぞ。これがあれば、君の狙撃にも磨きがかかりそうなんだけど、どうだろう」
シノンは小さく「んー」と言ってから、キリトから物を受け取った。間もなくして、ジャケットやスーツを広げてみたりする。良いものかどうかを見定めているのは間違いない。身体の痺れが大分取れたらしく、身動きがしっかりと取れるようになっていた。
「デザインは良い感じ。それに狙撃のサポート機能付き……これ、いいわね」
「だろ。装備してみたらどうかな」
その提案にシノンは乗ってくれた。軽く頷き、キリトへ向き直る。
「そうしてみるわ」
シノンがウインドウを展開し、自身の装備の変更に移ったタイミングで、キリトはシノンへ背を向ける。彼女の薄着姿、下着姿どころか、一糸まとわぬ姿も見てきているし、そんな恰好になった彼女と交わってきた相手なのがキリトである。
シノンも着替えの際や下着姿をキリトに見られる事に対して羞恥などは抱いていないので、別に見ていても何も問題はない。だが、それでも男としては女性の着替えを直視するのは気が引けるので、キリトはシノンの着替えが終わるまで背を向けていた。
「見て、キリト」
着替えが終わったという事の報告ではなく、「見て」という言葉にキリトは若干きょとんとしながら、声の主の許へと顔を向け直した。
そこでは――当然だが――シノンの服装が変わっていた。手に入れたばかりの服である《スナイパーズジャケット》が彼女の身体を包み込んでいるのだが、その似合い方というものが尋常ではない。
ところどころ白がアクセントになっている緑のジャケットに、白い生地に黒茶色が適所に配色されているスーツ、そして首元をほどよく覆うマフラー。何もかもがシノンの身体と雰囲気にマッチしている。まるで《スナイパーズジャケット》がシノンのために存在している、最も適したものであったかのようだ。ベストマッチ。
だからこそキリトは感動を覚え、
「お、おぉお――……」
と間の抜けた声を出してしまった。運よくそれはシノンに聞き取られずに済んだようで、彼女はすぐさま反応せず、声を掛けてきた。
「どうかしら。似合う?」
キリトは即座に首を縦に何度も振る。
「すごく似合っておられます。姫様、最高でございます」
「……ちゃんと言ってほしい」
その要望にはっとしたキリトは、もう一度頷いた。
「すごく似合ってる。前まで着てたのも良かったけれど、今の方が抜群にいいな!」
素直に思った事を言ったところ、シノンは少し頬を桜色に染めた。照れているようだ。服装のせいなのか、いつもよりも愛おしく感じた。
「そ、そうかしら。それなら、これからずっとこれを着てようかしら。狙撃のスキルも上がるみたいだし……」
「それがいいと思うよ。帰ったら皆に見せてやろうぜ。きっと皆も似合ってるって言ってくれるよ」
「そう、かもね」
そう言ってシノンは、照れながらも嬉しそうにした。皆が服装を似合ってると言ってくれる瞬間が想像できるのだろう。シノンとこれまで一緒に過ごしてきて、一緒に苦楽を共にしてきたのが、自分の仲間である女の子達である。
彼女達がシノンのイメージチェンジを否定するわけがないだろう。その時の光景がキリトも想像できて、自分の事のように嬉しく感じた。
「って、あれ?」
またしても何かに気付いたような反応をシノンがした。今度は何だろう。
「どうした」
「キリト、宝箱の中にまだ何かあるわ」
「へっ?」
つい先程と同じような反応をしてから、キリトは開けられた宝箱の中身をもう一度確認した。明かりがない事、よって箱の中が黒く染まっている事で気付かなかったが、彼女の言葉の通り、箱の黒の中に隠れているものがあった。
手を突っ込んで掴んでみたところ、布を掴んだような感覚が返ってきた。
「なんだこれ」
そのまま引き抜くと、残り物の正体は割れた。またしてもマフラーだ。シノンが今装備している《スナイパーズマフラー》と同じデザインをしている。だが、シノンのそれとは色が反転しており、黒い生地に白いラインとなっていた。
「あれ、私と同じマフラー?」
「みたいだな。宝箱の中が黒いから、それでカムフラージュしてたのか」
服そのものは一セットしかないのに、マフラーは二つあって、しかもカラバリになっている。なんとも奇妙な宝箱だ。そう思っていたところで、キリトは視線を感じた。シノンがじっとこちら――ではなく、マフラーを見つめていた。
どことなく先の展開が読めてしまい、キリトは少しぎこちなく言った。
「姫様、こちらの品物がどうかされましたか」
「キリト、それ、装備したら?」
そう来ると思った。シノンはこれが自分に似合うであろうと思ってくれているようだ。だが、これを装備してしまうと、とある問題に接触するのではないだろうか。
「えっと、いいのかな。君がそれを装備してて、俺がこれを装備してると、所謂ペアルックっていうのになるぞ。そういうのは嫌だったんじゃなかったっけ」
如何にも恋人らしい事をするのは二人きりの時だけで、その時以外は嫌。周りに見られれるのはもっと嫌。そう要望を伝えていたのがシノンだ。だからこそキリトは、これまでシノンと恋人らしい事をするのは、二人きりで誰にも見られていない時と決めていた。
そんな感じなので、ペアルックなどシノンからすれば一番嫌な事のはずだが、しかし彼女は「ふふっ」と微笑んだ。
「これくらいなら、その範囲外よ。まぁ、もっとペアルックになると恥ずかしくて嫌だけど、お揃いのマフラーくらいなら、寧ろ嬉しいくらい」
「そっか」
確かに、マフラーくらいならばペアルックというよりも、単純に考えた事が似ていた程度の認識しかされないだろう。現にこのVRMMOでも、プレイヤーが他のプレイヤーの真似をして、同じような服装やアクセサリを付けるなんて事は日常茶飯事である。
「だからそれ、付けてみてくれる?」
「わかった」
返事一つで承諾し、キリトは黒い《スナイパーズマフラー》を装備した。首元を光が包んだかと思うと、直後には黒いマフラーがふんわりと巻かれていた。
マフラーはあまり巻かない方に入るが、首元が暖かくて心地が良い。そのおかげなのか、不思議と心が落ち着くような気もする。これが狙撃の助けになるのだろう。
そんなマフラーを巻いたキリトは、シノンを見る。彼女は自分のように間抜けな声を出したりしていなかったが、意外な良いものを目にして、呆気に取られているような顔になっていた。
「どうかな、シノン」
「……似合ってる。あなたって意外とマフラーが似合う人だったのね」
シノンは気に召したようだ。付けている感覚も悪くない。これは良いものだ。が、すぐにキリトはあることに気が付いた。
これでシノンとペアルックというわけだが、それが自分とシノンが恋人同士であることを示すという事実に辿り着ける者は、関係者以外はいないだろう。
だが逆に関係者たち――つまり自分の仲間達には、キリトとシノンは恋人同士という事実が一目でわかるようになったというわけだ。クラインは「リア充見せつけんなぁー!」とか言って掴みかかってきそうだし、ピトフーイは「ただれてるね~え」とか言ってからかって来そうだ。
その時の光景が容易に想像できたので溜息が出そうだったが、しかしそれを上回っているのが、シノンと同じものを自分が着用している事によって、胸に不思議な暖かさと心地よさが湧いている事だった。
「さてとキリト。そろそろやり返しに行かない?」
そう言ってきたシノンの顔は得意げになっていた。痺れが完全に取れたらしい。加えて新しい服を着れたのが、気分にブーストをかけているようだ。その勢いにキリトも乗った。
「よし、やり返しに行ってやろう」
いつもとは少し違う高揚感を得て、キリトはシノンと共に建物を出た。吹雪は止んでいて、雪原が良く見えるようになっていた。
――原作との相違点――
・シノンが原作(アニメ)のジャケットを手に入れる。
・キリトがマフラーを巻く。