キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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 2021年2月最後の更新。

 


05:雪の女王

 

「そうだわ、あのお話! 《雪の女王》!!」

 

「《雪の女王》?」

 

 

 キリトは首を(かしげ)げた。《雪の女王》――如何(いか)にも何かしらの物語、もしくはなんらかの存在を指し示しているかのような名前だが、キリトには思い当たる節がなかった。だからこそなのか、アスナは詳しい説明を施してくれた。

 

 

「えぇ、そういう題名の童話でね。小さい頃にかあさんがよく読み聞かせてくれたの」

 

 

 直後、シノンがぴくりと反応をした。彼女は知っている事があるらしい。

 

 

「そのお話、私も知ってるわ」

 

 

 キリトはシノンに向き直った。彼女の記憶を参照してみるが、それに該当するものに辿(たど)り着けない。重要な部分ではなかったため、忘却してしまったようだ。だからこそキリトはシノンに説明を求める。

 

 

「んーと、どういう話なんだ」

 

 

 シノンはキリトは勿論、その場に居る全員に話をした。《雪の女王》。デンマークの詩人《ハンス・クリスチャン・アンデルセン》が描いた物語郡の一つである。

 

 ある国のあるところに、《カイ》という一人の少年と、カイを慕う少女《ゲルダ》が暮らしていた。二人はいつも一緒にいて、一緒に遊んでいた。このうちカイはとても心優しい少年であり、ゲルダとも仲良くしていたが、ある冬の日、悪魔の作った鏡の破片が飛んできて、彼の心に突き刺さってしまった。

 

 それを境にカイの性格は一変、悪戯(いたずら)や悪事を平然と働くような悪童になる。優しい性格の少年から悪童へと変わってしまったカイは、雪の降る日に《雪の女王》と出会い、魅入られるようにして連れ去られてしまった。

 

 春になって雪が収まった頃、ゲルダはカイを探し出し、雪の女王から助けるために旅に出る――というのが、シノンからの説明だった。

 

 悪魔の作った鏡の破片が心に突き刺さって人格が豹変(ひょうへん)したカイ。破片の形をした奇妙なブラックボックスが中枢部に入り込み、侵食されて苦しんでいるサチとマキリ。なるほど確かに、二人の状況は雪の女王でのカイの状況に似ていなくもない。

 

 

「つまり、サチとマキリの中にあるのは、悪魔が作った鏡って事なのか」

 

「それが元になってる可能性は高いと思う。だって、あまりにも似すぎているもの」

 

 

 アスナの意見は否定のしようがなかった。アスナとシノンの言った《雪の女王》での出来事と、サチとマキリに起きている事象、そしてこの夜の女王というクエスト名。全部ではないが、共通点が多すぎる。

 

 間違いなく、このクエストは《雪の女王》を元に作られたそれだ。そんなクエストを実装した《GGO》、その根本にある《ザ・シード》を解析して広めた張本人であるイリスが腕組をして、(うなづ)く。

 

 

「そこまで似てるんなら、それが真実って事だろうね。それは普通のVRMMOならば珍しい事ではないよ。《ザ・シード》のカーディナル・システムは北欧神話だとかギリシャ神話だとか、珍しいところだとクトゥルフ神話とか、そういった世界中の神話やら伝承やら創作話やらを参照して、それを参考にクエストを生成する機能を持っているから、雪の女王が元ネタのクエストっていうのも普通に存在するだろうさ」

 

 

 直後、イリスの表情は不思議そうなものになる。

 

 

「しかし、そうだとすると非常に意外な展開だ。《GGO》には《ザ・シード》が使われているんだが、カーディナル・システムの自動クエスト生成機能は切ら(オミットさ)れてる。《GGO》で実装されているクエストは全部ザスカー社が一つ一つ組み上げたものだから、そこに自動クエスト生成機能で作られたようなクエストが出てくるのは、おかしな事だ」

 

 

 不思議がっている顔のイリスだが、そんな彼女をツェリスカが不思議そうな顔で見ていた。いや、どちらかと言えば不審に思っている顔かもしれない。

 

 

「何故そのような事がわかるのですか。この《GGO》のカーディナル・システムの自動クエスト生成機能がオフになっている事なんて、知る方法はないはずですわよ」

 

「だってクエストの雰囲気も違うし、そもそも《ALO》や《SA:O》と比べて圧倒的に種類も数も少ないじゃあないか。自動クエスト生成機能が使われてるなら、カーディナル・システムによってぽんぽんぽんぽんと生成されまくるから、もっと多種多彩なクエストがずらりと並ぶよ」

 

 

 確かに、自動クエスト生成機能の生成能力というものは本当にすごいもので、ほんの数分で数多のクエストを自動で作っていってしまう。それが適用されている《ALO》と《SA:O》では、どこまでソートしても底に辿り着かないくらいのクエストがクエストボードに貼られていて、思わず冷や汗をかいたものだ。

 

 しかし《GGO》に存在するクエストはちゃんと数える事ができるくらいのものしかなく、内容も人の手で作られたとわかるようなそればかりだった。なるほど確かに、そこを見ればそのゲームで自動クエスト生成機能が使われているかどうかの判断はできるだろう。

 

 ましてや《ザ・シード》の解析を行い、無料で配布したのがイリスだから、《ザ・シード》の特性もよくわかっている。その《ザ・シード》がどのように使われているのか、どんな仕様になっているのかは、割とすぐに導き出せるのだろう。

 

 そんなイリスにエイジが問うた。

 

 

「《ザ・シード》のカーディナル・システムが例外的な判断を下して、その行動を取ったという事ではないのでしょうか? 本来の使命から背いて、僕達と一緒に居る事を新たな使命にしたヴァンのように……」

 

 

 エイジの意見にもイリスは「うんうん」と頷いた。ヴァンは《MHCP》本来の使命を放棄し、意図していなかった事を使命として動いている状態だ。イリスからすればヴァンは不本意な事をしていると思えそうなものだが、どうやらイリスはそんな事を思ってはいないらしい。

 

 

「その可能性は高そうだ。カーディナルが考えてる事は私にも予想がつかない事が多い。それに、ここも《ザ・シード・ネクサス》の一つに含まれているから、他のVRゲームのカーディナル・システムの影響を受けて変質を起こしている可能性も捨てきれない。ユナ、サチ、マキリが良くない状態になっているのも、《ザ・シード・ネクサス》に接続しているからっていうのもあるかもね。《電脳生命体(エヴォルティ・アニマ)》のコアである《アニマボックス》も、結局はカーディナルを改造して作り上げたもので、カーディナルからすれば身内みたいなものだからね」

 

 

 《ザ・シード・ネクサス》。新たな単語の登場にシノンやアスナ達は首を傾げるが、逆にキリトやリラン、ユピテルとユイはその存在を既に知っていた。《ザ・シード・ネクサス》とは、《ザ・シード》で作られたVRMMO同士がネットワーク上で繋がり合っている状態の事を指す言葉だ。

 

 《ザ・シード》で作られたVRMMO同士はデータをコンバートする事で、アバターをそのまま使う事ができるほか、様々な基幹部分を共有しているという一種の繋がりがある。

 

 この繋がりはただの繋がりじゃないから、《ザ・シード・ネクサス》と呼ぶ事にしよう――そんなキリトの提案をイリスを中心とした者達が聞き入れ、《ザ・シード》の繋がりを《ザ・シード・ネクサス》と呼ぶようになったのだ。

 

 そんな《ザ・シード・ネクサス》を作る《ザ・シード》に内包されたカーディナル・システムはアニマボックスの素材でもあったもの。それがイリスからの説明だった。

 

 

「《アニマボックス》もカーディナル・システムから作られているから、それを使って蘇ったサチとマキリも影響を受けてる……どうすればこの影響を断ち切れそうなんですか」

 

 

 キリトの疑問に答えるよりも前にイリスは隔壁の方へ向き直った。いつの間にか隔壁は開かれていた。サチとマキリの事に気を取られ過ぎていて、隔壁が開いていた事に気が付かないでいたらしい。

 

 

「サチとマキリの中にあるブラックボックスは悪魔の作った鏡……つまり本来彼女達の中に存在してはならないものだろう。そしてそれはこのクエストに関連している要素である事に間違いはないし、そのブラックボックス自体が、このクエストにおけるラスボスに関連している可能性も高い。新規フィールドのクエストなんだから、ボスがいないなんて事は絶対にありえないだろ?」

 

 

 かなりイレギュラーな事態で発生したクエストであるが、彼女の言っている通り新規で追加されたフィールドの恒例行事クエストである事は否定のしようがない。そして新規のフィールドが追加されるという事は、新規のエネミー、新規のボスが追加されるのも必然の《流れ》である。

 

 キリトはその《流れ》をこれまでのゲームで散々見てきたので、今回もその《流れ》が適用されているというのが既に把握できていた。

 

 

「これだけ大掛かりなクエストにボスがいないなんて、あり得ないと思います。そのボスを倒す事さえできれば、サチとマキリは助かるんですね」

 

「そうだと思うよ。これで駄目ならこの()達のアニマボックスに通路開通(ハッキング)を仕掛けてなんとかするけど、そうなった場合この娘達の無事は保証できないからね。現時点の最善の行動を取ろう」

 

 

 サチとマキリを救うための最善の方法は、この先に居るであろうボスを倒す事。この他の方法もあるのだろうが、それを採用しているだけの余裕が残されているとは思えない。イリスの提案に乗らない手は最早(もはや)なくなっていた。その対象である二人をキリトが見つめたその時、ツェリスカが声を掛けてきた。

 

 

「この二人について、わたしは何も知らないけれど、キリト君にとってはシノンちゃんぐらいに大切な人のようね。そういう事なら、手を貸してあげたいと思うわぁ」

 

「俺とレイアも力を貸すよ。なんだかただ事じゃないみたいだしな」

 

 

 アルトリウスもそこに加わってきてくれた。エイジとヴァンはわからないが、ここにいる全員が手を貸してくれるのは間違いないようだった。いつもの事なのに、それがとてもありがたく感じられて、キリトは胸の内が熱くなった気がした。

 

 そして取り残されているエイジとヴァンはというと、ヴァンの方がまたしてもうるさそうな仕草をした。

 

 

「わかったわかった。おれとエイジも手を貸せばいいんだろ。(しゃく)だけど手を貸してやるよ」

 

お前達についていけば、ユナを見つけ出す事もできるかもしれないからな」

 

 

 そう言ってヴァンは光の珠に戻って人狼型戦機に戻り、エイジはその背中に乗り込む。どちらも手を貸してくれるのは間違いないようだ。彼らとは一度敵対しているが、その時にはすさまじい力を見せつけられる事になった。そんな彼らが味方になってくれているというのは心強い。

 

 

「ボスがいるのはこの隔壁の向こうだ。一刻も早くそいつを倒して、このイベントを完了させよう!」

 

 

 リーダーとなっているキリトの指示は皆に届いた。

 

 どうしてサチとマキリがこうなっているかはよくわからないから、行動するための理由としては適格とは言えないかもしれない。だが、それでもサチとマキリが蘇っているという事と、二人がこのイベントのせいで苦しめられているというのは事実であり現実だ。

 

 そしてこの二人を正常に戻せた時に、この事情を引き起こした本人であるイリスは真実を語ってくれるつもりでいるだろう。

 

 それを掴むためにも前に進み、ボスと戦わなければ。上手く動けないサチとマキリをリランの背に載せさせ、キリトは皆と共に奥のボス部屋へ続く道を進み始めた。

 

 

 

「ねぇ、キリト」

 

 

 それから間もなくして聞こえた声で、キリトは立ち止まった。声の主はシノンだった。

 

 皆の中に混ざっていたかと思っていた彼女は一番後ろに居た。彼女がそうしているという事は、何か思っている事がある。そしてそれを話すタイミングを伺っている。長い付き合いで彼女の傾向を掴んでいたキリトは、そのタイミングを掴めるようにシノンの近くに居るようにしていた。その予感は見事に当たった。

 

 前進を続ける皆を見送るようにして、キリトは振り返った。シノンは歩みを止めて、じっとキリトを見つめていた。

 

 

「どうしたんだ、シノン」

 

 

 シノンはどこか言いづらそうにしているかのような、細い声で言った。

 

 

「……本当に()()()()()()()

 

「うん。なんでこうなってるのか全然よくわからないから、イリス先生に後で詳しく聞くつもりだけど、ひとまずはサチとマキリを助けたいと思う」

 

「……」

 

 

 素直に答えたつもりだったが、シノンの表情は(くも)っていた。まるで望んでいない事に直面していて、足を踏み出したくないと思っているかのようだ。

 

 それもそうだろう。シノンは《SAO》の時と《SA:O》の時の二度に渡ってマキリに苦しめられてきた。特に《SA:O》の時に起きた出来事はあまりにも(おぞ)ましく、シノンにとっては思い出したくないものの一つと思えるものだった。

 

 そしてマキリはキリトの全てを破壊しようと迫り、サチの手によって消滅と死を迎える時まで、キリトとシノンを苦しめるつもりでいた。そんなマキリはシノンにとって、自分自身とキリトをどこまでも苦しめた悪鬼と言える。

 

 サチはともかく、マキリをも助けようという気にならないというのはキリトもわかる。マキリを助けた時、あの報復の悪鬼が蘇るのではないかと、恐れている部分もあるのだろう。だからこそ足が進まないのだ。

 

 だが、それをキリトは否定できた。ここにいるマキリは自分達が相手にした報復の悪鬼と化したマキリとは異なっている。明らかに同じ見た目をしているが、中身は全く異なっていると、確信できていた。

 

 根拠はこれから明らかにするが、その核心は全く揺らぐ気配を見せなかった。

 

 

「大丈夫だよシノン。マキリは俺達の知ってるマキリじゃない。だから助けたとしても、俺達に襲い掛かってくる事はないと思う――」

 

 

 キリトの言葉をシノンは首を横に振る事で止めてきた。ぶんぶんという髪の毛がよく動くくらいの振り方だったので、キリトは内心で驚いてしまった。

 

 

「……そうじゃない。そういうわけじゃないの。そういうわけじゃ……ないの……」

 

 

 後半に差し掛かっていくにつれてシノンの声は小さくなっていった。何か彼女の心で引っかかっているものがあるのは間違いないのだが、その正体をキリトは掴めなかった。

 

 いつもならば粗方(あらかた)シノンが何を言いたいのか、何を胸の内に抱いているのかわかるのに、今は何も掴めないし、把握もできない。

 

 

「……!」

 

 

 その時、キリトはようやく気が付いた。今自分はマキリの話をしたが、シノンが声を掛けてきた時、本当に()()()()()()()と聞いていたではないか。

 

 本当に()()()()()()()? それはまるでシノンがサチを助ける事に対して不満、よく思わない部分があるかのようだ。しかし、シノンがどうしてそう思うのかは掴めない。サチを助けると、何かあるのだろうか。何もわからない。

 

 なので、キリトはシノンに問うしかなかった。

 

 

「シノン、どうしたんだ。何かあるのか」

 

 

 シノンは何も答えなかったが、やがて意を決したように顔を上げた。そのまま何も言わずにキリトに歩み寄る。

 

 

「シノン――」

 

 

 とキリトが言いかけたその時に、シノンは急にその唇をキリトの唇へと重ねてきた。

 

 口付け――それはシノンから何度も受け、シノンへ何度も送っている行為であるが、それはいつだって誰もいない、二人きりの時と決めていた。それをシノンが望んでいたからだ。

 

 それにキリトも合わせるようにしていたので、誰かが近くにいる時にはシノンに口付けしたりだとか、そういった恋人らしい行為に至る事などなかった。

 

 

「――!」

 

 

 だというのに、シノンは唐突に口付けをしてきた。確かに、彼女は時に大胆な行動を取る事もある少女であるというのは、キリトはこれまで接してきた中で理解してきた。 

 

 だから、時に突拍子もない行動を取ったとしても不思議ではないのだが――これはあまりにも唐突過ぎて、キリトは理解が追い付かなかった。

 

 しばらくすると、シノンは唇を離した。自らの唇に柔らかい感触が残るくらい、長いキスだった。そんな事をしたためか、シノンの頬はやや紅くなっていたが――二人きりの際にした時より薄い。まるでこちらを求めているけれども躊躇(ためら)いがあるのか、(ある)いは物足りなくて仕方がなくなっているのかのようだ。

 

 いずれにしてもシノンは、いつものキスの時のように心を晴れさせているわけではないようだった。サチとマキリの復活と危機。

 

 ただでさえ自分では把握しきれない状況下であるため、真実を知りたくて仕方がないような状態だったのに、そこにシノンは加勢してきた。キリトの中の混乱はより大きくなって渦を巻き始める。

 

 

「シノン、本当にどうしたんだ」

 

 

 きっと彼女は答えをくれない。心の中にあるであろう(わだかま)りの正体を明かしてはくれないだろう。キリトが抱いた予測は当たった。シノンは手を伸ばしてきて、自分の右手と指を絡ませてきた。

 

 

「ごめんなさい、キリト……こうさせて……ボスのところに着くまで、ううん、それよりちょっとの間でいいから……こうさせて……」

 

 

 シノンは(うつむ)き、震える声で伝えてきた。明らかに状態が不安定化している。こうなったシノンを見たのも一度や二度ではないが、それが今来るとは思っていなかった。《SAO》の時はPTSDに起因する悪夢、それを原因とした極度の不安が彼女にそうさせたが、今は違う。何がシノンをそうさせているのか全くわからない。

 

 そう思ったところで彼女が不安定化しているのは現実は変わらないし、変わってもくれない。

 

 

「シノン、大丈夫か。イリスさんを呼ぼうか」

 

 

 こうなった時のシノンは、なるべく自分の手だけで何とかするようにしてきたが、それでも無理な時の手段はある。それにキリトは頼ろうとしたが、しかしシノンはくっと顔を上げて首を横に振ってきた。

 

 

「ううん、呼ばないで。イリス先生は呼ばないで……」

 

 

 キリトは思わず驚いた。不安で仕方がなくなった時、どうにもならなくなった時、シノンはイリスを頼るようにしていた。こういった状態の時に強いのがイリスだし、イリスから「その時は私を頼ってくれ」とも言われていた。そのイリスを呼ばないでほしいという言葉がシノンから出たのは初めてである。

 

 いよいよシノンの思っている事が本格的にわからなくなってきて、キリトの中の混乱は大渦になり始めた。そこでシノンの声は続けられてきた。

 

 

「ねぇ、キリト」

 

「うん?」

 

「キリトは、私の事を心配してくれてる……のよね。そうなってる理由がわからなくても……心配してくれる、のよね」

 

 

 キリトはまたしても驚き、思わず(まゆ)を寄せた。そんなの当たり前だ。

 

 

「当然だよ。君の状態が悪くなった時に、心配にならないわけないじゃないか」

 

「……そう思ってくれてる、のよね……うん、そうよね……」

 

 

 今までずっとそうして来たはずだ。少なくともそれは彼女にしっかり伝えられていたはずだ。自分にとってシノンは一番大切な人であり、一番愛している人だ。

 

 そんな人の容態や状態が悪くなった時、不安になったり、心配したりしないわけがない。だからこそ、この問いかけは引っ掛かって仕方がなかった。

 

 

「キリト、シノン、どうしたんだ――!?」

 

「キリト君、シノのん、大丈夫――!?」

 

 

 自分達の背後、これから向かうべき道から声が届けられてきた。アルトリウスとアスナの声だ。姿は見えない。それは向こうも同じである。こちらの姿が見えなくなったからこそ、心配して声を掛けてきたのだ。更に複数の足音も聞こえる。

 

 皆こっちに戻って来てしまっているようだ。

 

 

「シノン、本当に行けるか。無理だったらここで抜けても大丈夫だよ。俺も一緒に抜ける」

 

「――! それは駄目! そんな事しちゃ駄目……! そんな事したら……!」

 

 

 シノンは手をぎゅうと握って止めてきた。ログアウトしたくはないらしい。いや、こちらにログアウトしないように(うなが)しているようだ。なんとしてでもこのイベントを、サチとマキリを助けるのを完了してほしい――そう思ってくれているように見えたが、そうなると今度はシノンが呼び止めてきた時の言葉と矛盾が起きる。

 

 いつもは比較的わかるはずのシノンの考えている事。それが何もわからなくなっている事に対する一種の不安が、キリトの胸中の渦の中に混ざってきてしまった。

 

 

「……とにかく、ログアウトはしない。ちゃんと戦う。だからそこまで行かせて……このままで……」

 

 

 シノンは急にそう言ってきた。そこでキリトは自分の顔が強張(こわば)っている事に気が付いた。胸の内の混乱が顔に出てきてしまったらしい。全く持って良くない傾向だ。少なくともこのままのペースで進んでいたら、確実にもっと良くない事になる。それを感じ取ったキリトは、シノンに頷いた。

 

 

「わかった。ひとまず先に進もう。辛かったら言ってくれ」

 

 

 シノンがこくりと頷いたのを見てから、キリトはその手を引いて皆の待つ奥へと進み始めた。その間、シノンが手を握る力はいつもより強く、ずっと続いていた。

 

 

 

 

          □□□

 

 

 

 

 シノンを連れたキリトは皆と合流し、奥まで進み切った。

 

 やはりというべきか、シノンの様子を目にした皆は彼女を心配したが、シノンは首を横に振り、「私よりもサチとマキリを心配して」と言った。自分は大丈夫だと伝えたようだったが、それも震えた声によるものだったから、心配が尽きることはなかった。

 

 このクエストが終わり、サチとマキリとを助け、全てを聞かせてもらった後に、シノンから全てを聞こう。それまでこの疑問は頭の片隅になんとか追いやっておく。そう決めて、キリトは先へ進み続けることを選んだ。

 

 辿り着いたボスとの戦闘エリアと思わしき場所は、屋外だった。天井も壁も取り払われていて、雪原と空が良く見えた。見上げてみれば、砂金を(ちりば)めたような星空が広がっている。

 

 更にそれを(おお)うように、光のカーテンと揶揄(やゆ)されるオーロラがゆらゆらと揺らめいていた。終末後の世界とは思えないような美しく神秘的な光景。しかし見とれている場合ではない。

 

 ここより先に道はないうえ、戦闘するための場所としか思えないくらいに広い。ここでボスと戦うのは間違いない。

 

 

「皆、気を付けて。絶対に何かいるわ」

 

《言われなくてもわかってる。何が来ようとぶっ倒すだけだ》

 

 

 アスナの呼びかけにヴァンが《声》で応じる。全員がそれぞれの武器を構えて、周囲をクリアリングするように見回していた。

 

 先程までキリトに手を引かれていたシノンもなんとか持ち直し――たように見える――、エネミーがいつ来ても大丈夫なようにしていた。

 

 しかし、その視線はエネミーが潜んでいるであろう周囲よりも、リランの背中から降ろされて、最後部の壁際で休んでいるサチとマキリに向けられているように見えた。彼女達が気になっているようだが、心配しているというわけではない。シノンは状態こそよくなったようだが、依然として何を思っているのかわからない。

 

 サチとマキリがとても心配だ。そこにシノンまでも加わっている。そのことに頭の処理容量を喰われかかっていた。そんなキリトの事を、クエスト、イベント、GGOは忖度(そんたく)してくれはしなかった。

 

 夜空の向こうで大きな光が二つ見えた。片方は紫、もう片方は白。それはすぐさま大きくなる。光を纏う何かがこちらに向かって飛んで来ているのだ。

 

 来るぞ――キリトが伝えるより先に、光の正体は姿を見せた。戦機だ。戦闘機を半分に割ったような形状の鋼鉄のウイングを背中に付け、しなやかな体躯(たいく)を人工筋肉で形作り、その上から黒と紫の装甲を纏っている、獰猛な猫の顔をした戦機。

 

 片方はウイングから紫色の光を出して浮遊していて、非常に凶悪な顔付きをしている。その隣に並ぶもう片方は、ウイングからは白い光を出して浮遊しており、少し獰猛さ、凶悪さを抑えたような顔つきだ。身体の装甲も白い部分がある。この二機の出現の直後に、それぞれの《HPバー》と名前が現れた。

 

 紫の方は《The_Snow_Storm_Queen》。

 

 白い方は《The_Snow_white_Queen》。

 

 それがこのイベントのボスのようだったが、その姿に見覚えがあったキリトは思わず驚いた。

 

 

「《セクメト》、《ハトホル》……!?」

 

 






――今回登場用語解説――

雪の女王
 デンマークの詩人、ハンス・クリスチャン・アンデルセンが描いた童話の一つ。劇中で説明があった通り、ある国のある街に住まうカイという少年と、カイと仲の良い少女ゲルダの物語。カイは心優しい少年であったが、ある時悪魔の作った鏡の破片が心臓と眼に突き刺さり、悪童と化してしまう。
 そんな状態になったカイの許へ、雪の降る日に《雪の女王》がやってきて、彼を連れ去ってしまう。やがて春が訪れると、カイと仲の良かったゲルダはカイを雪の女王から取り返し、元のカイに戻すために旅に出る。
 険しい旅の末、ゲルダは雪の女王の宮殿に辿り着き、カイを取り戻すことに成功し、尚且つカイにまた会えたという喜びでゲルダの流した涙がカイの胸に落ちたところ、カイの心臓と眼に刺さっていた悪魔の鏡の破片は剥がれ、カイは元の優しい少年へ戻った。
 こういったストーリーと設定の美しさから、この雪の女王を元ネタに、いくつもの作品が作られている。

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