キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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―アインクラッド 04―
01:紫の来訪者


「パパ、起きてくださいー、パパー」

 

 

 すっかり聞き慣れた女の声で俺は目を覚ました。最初に見えてきたのは見慣れた天井ではなく、見慣れた女の子の顔。黒くて長い髪の毛に、同じく黒くてくりくりした愛らしい瞳――俺の娘、ユイの顔だった。

 

 

「ユイ、おはよう……」

 

「おはようございます、パパ。今日は随分と起きてくれませんでしたね。いつものパパならしゃっきり起きるのに」

 

 

 俺はユイの身体を動かしつつ、上半身を起こした。何だろうか、とても長くて濃い内容の夢を見ていたような気がする。それこそ、今この層に来るまでの出来事を、全部振り返って来たかのような内容の……そのせいかな、ユイの声を聞き続けても起きられなかった理由は。

 

 

「なんだかすごく長い夢を見ていたような気がする……ここアインクラッドで起きた事を全部振り返ったような……ユイ、寝起き早々悪いんだけど、今のアインクラッドの攻略は何層まで行った? 昨日は何があった?」

 

「今攻略が完了したのは59層で、60層の街が解放されました。そして、昨日はまるで特撮怪獣のような姿のワイバーンを、パパとリランさんが倒して、死亡者無しで59層ボス戦を終えました」

 

 

 そうだった、そうだった。俺は昨日、リランやシノン、ディアベル達と一緒にボス戦に挑んで、無事に勝利を収めたんだった。しかも昨日のボス戦はユイの言った通り、一人も犠牲者の出なかったパーフェクト勝ちだったんだけれど、60層到達記念パーティみたいなものは開かず、そのまま帰って来て、休んだんだった。ボス戦の後で疲れていたせいかな、今までの事柄を思い出すような夢を見たのは。

 

 

「そうだったな。シノンとリランはもう下か?」

 

「はい。ママは朝ご飯を作ってパパを待ってます。早く行きましょう」

 

 

 ユイが機嫌良さそうに言ったのを聞いた後に、俺はベッドから降りて、ユイと一緒に寝室を出て、階段を下りて一階に向かった。そこでは、いつものように薄緑色のパーカーと、ひざ上まで切り詰められている白い長ズボンを身に纏った、ユイのママであり、俺のこのゲームの中で妻であるシノン、昨日は俺が背中に乗れるくらいに大きな姿をしていたのに、圏内に入り込んだ事によって、金色の甲殻を身に纏った白い毛並みの、狼の輪郭を持つドラゴンがデフォルメされたような姿になって、俺の肩に乗れるくらいの大きさになっている相棒、リランがソファに座って、俺の事を待っていてくれた。

 

 テーブルの方に目を向けてみれば、俺がよく食べているチリソース入りのサンドイッチ、シノン、ユイ、リランが食べるためであろう、玉子のフィレが挟まれたサンドイッチが置かれている。

 

 

「おはようキリト。今日は随分寝坊したわね」

 

「あぁ。何だか濃い内容の夢を見たような気がして……」

 

 

 シノンとの応答に、リランが《声》を送ってきた。

 

 

《ほう、たとえばどんな夢だ》

 

「なんていうか、リランとの出会いからシノンとの出会い、ユイとの出会いの過程を全部濃縮したような夢。去年のクリスマスの日から、今日までを一気に振り返ったような……何だかそんな夢だった気がする」

 

 

 シノンが驚いたような顔をする。

 

 

「随分と長い夢を見ていたのね。道理で起きてこないわけだわ」

 

 

 ユイが再び困ったような顔をした。

 

 

「もしわたしが起こさなかったら、パパは今日一日眠ってたと思います」

 

「パパがなかなか起きなかったら、パパにプロレス技をかけてあげなさいユイ。そうすれば例えパパでも起きるわ」

 

「ちょ、勘弁してください。プロレス技なんてかけられたら、とんでもない事になりますって」

 

 

 シノンはもう一度笑った。

 

 

「冗談よ。ほら、キリトも起きてきた事だし、ご飯にしましょう」

 

 

 シノンの言葉に頷いて、俺はユイと一緒にシノンと向き合う位置にあるソファに座り、朝食を摂り始めた。シノンの作ってくれたチリソース入りのサンドイッチは、やはり辛みがかなり強く作られているため、一口齧っただけで目が覚める。どんなに眠くても、この激辛料理を口にすれば一発で目覚める事が出来るから、便利なものだ。

 

 

《……何故そんなものが食べれるのだキリトは》

 

 

 自分のサンドイッチを口にしながら、リランが《声》をかけてきた。そういえば、初めてシノンに激辛の料理を作ってくれって頼んだ時、シノンとリランは「正気か!?」と俺に尋ねて来たんだっけ。その時の料理は確かに辛かったんだが、もともと辛いもの好きの俺からすれば丁度いいどころか美味しく感じられて――俺の真似をしたリランがその料理を口にしたところ、何とも言えない悲鳴を上げながらのた打ち回った。そしてリランをのた打ち回らせるそれを平然と食べている俺は、シノンにドン引きされた。

 

 まぁ、妻になってからは、シノンはそんな事を気にしなくなってくれたみたいだが、リランは未だに俺が辛い物を平然と食べられるのが信じられないようだ。

 

 

「ただ辛い物が好きなだけだよ。というか、今日は俺もシノン達と同じものでよかったぜ?」

 

 

 シノンはコーヒーカップを軽く揺らした。……中身は紅茶だけど。

 

 

「こんな時間まで寝てたら、起きた時眠いでしょ。辛い物を食べれば一発で目が覚める。そうでしょ?」

 

「あぁそういう事か。俺の目を覚ますためだったのか……気遣いありがとうな」

 

 

 シノンは「どういたしまして」と言って、紅茶を啜った。その横でサンドイッチを食べつつ、ユイが俺達に声をかけてきた。

 

 

「ところでパパとママ。今日もまた攻略ですか」

 

 

 60層まで行ったんだから、このままフィールドを突き進んで、迷宮区に入り込み、ボス戦まで一気に行く……そう考えたいところだったけれど、最近ユイを留守番させっぱなしだったし、昨日もボス戦だったから一日くらい休みを取ったっていいだろう。攻略はよほどの事が無きゃ滞ったりしないから、他の連中に任せても大丈夫だ。

 

 

「今日は一日休もうって思ってるんだ。流石に何日も連続で攻略を続けてたら、いつ眩暈を起こすかわからないし、攻略を急がなきゃいけないと言って焦って、眩暈を起こして倒れてしまったら、本末転倒だし危険だ。だから今日はじっくり休む事にして……22層に出かけてみようぜ、ユイ」

 

 

「わたしもそれに賛成するわ。最近はユイに留守番させてばっかりだったから、時折一緒に居られる一日を作らないとね。丁度日にちも土曜日だし」

 

「よし、そうと決まったら22層の散策に出かけよう。それに、ユイにはやらせてみたい事があるしな」

 

「えっ、何をやらせてくれるんですか?」

 

 モンスターのいない22層はレジャースポットとしても有名で、多くのプレイヤー達が釣りをするために訪れているし、釣り人がこの層に住んでいたりする。釣った魚は勿論調理する事が出来るので、釣れれば得をするし、何より釣る時が現実のそれっぽくてとても楽しい。だから今回、ユイにもその楽しさを教えてやろうと思っていたのだ。

 

 

「釣りだよ釣り。このゲームにも竿を持って糸を垂らせば、魚が釣れるようになってるからさ。ユイ、釣りやった事ないだろ」

 

「はい、ありません。ですので、やってみたいです」

 

 

 ユイの興味津々な表情を見て、俺は少し安心した。もしユイが女の子らしく、釣りなんか興味が無いなんて言い出したらどうしようと思っていたけれど、ユイはカーディナルシステムの束縛から解放されて、純粋に世界に興味を抱く事が出来るようになったから、様々な事柄に興味津々のようだ。

 

 

「よっし。それじゃあ今日は釣りに出かけるとしよう。もし大きな魚を釣る事が出来たら、シノンに料理してもらおう」

 

 

 シノンは頷いて、どこか安心したような顔をした。

 

 

「こんな事もあろうかと、アスナから醤油に似た調味料、和風の味付けが出来る調味料の作り方を教えてもらっておいてよかったわ。釣れた魚は新鮮なはずだから、焼き魚と刺身でいただきましょう。……釣れたらだけどね」

 

「釣れるとも。……釣って見せるとも」

 

 

 俺は力強く言ったが、正直なところ大物を釣る自信というものはなかった。このゲームは釣りさえもスキル制になっており、スキルの値が大きければ大きいほど、大物の魚を釣る事が出来るようになっているらしい。俺は釣りスキルなんてつい最近やったばかりだから、低い方に分類される50の値になっている。50くらいでは、せいぜいニジマスやイワナ程度の大きさの魚が限界だろう。

 

 まぁしかし、まだユイが来る前、ニジマスやイワナに似た川魚を釣りあげて、シノンに調理してもらったらかなり美味しかったから、ニジマスやイワナでもいいって思うけれど。――フルダイブ技術が投入されたらとんでもない事になるだろうなと思っていた、小さい子から大人まで遊べる、『動物と暮らす生活ゲーム』みたいに、時間帯と季節で大物が釣れたりするシステムなら、もっとよかったのに。

 

 

 そんな事を思いながら俺はサンドイッチを食べ進めて紅茶を飲み干し、外に出る時の服を装備した。続いて、ユイ、シノン、リランも食べ終えて、シノンはそのままの格好で、ユイはシノンのそれとよく似た薄ピンク色のパーカーとデニム生地のスカートのセットを装備し、リランは特に装備をする必要が無いので、俺の肩にそのまま乗ってきた。

 

 

「さてと……竿も持った事だし、早速出発。目指す場所は、ここから北西の湖だ」

 

 

 そう言って、俺達はこの前魚を釣ったポイントへ出かけた。

 

 

 

          ◇◇◇

 

 

 ユイに釣りを教えたくて、俺達は湖に赴いたのだが、日の光を浴びてキラキラと輝いている水面を見つめて、ユイはもうその時点で目を輝かせ、心を弾ませているように見えた。ユイはカーディナルシステムによって牢屋の中に幽閉されて動けなくなっていたようなもので、きっと純粋に世界に触れるという事が出来なかった、もしくはカーディナルによって許されていなかったのだろう。だからこそ、こんなふうに世界を感じる場面に出くわした時点で、もうわくわくする事が出来るのだ。

 

 

「綺麗な水辺です……これだけ大きいと、泳いだりできるんじゃないでしょうか」

 

「泳ぐ?」

 

「はい、この層には沢山湖がありますし、どれも中々の水深があります。ですから、泳ぐのを楽しむ事も出来るんじゃないかと思うのですが、どうでしょうか」

 

 

 迂闊だった。ここら辺の湖で、川魚が釣れる事ばかりに目が行ってしまって、泳ぐ事が出来るなんて事は考えた事もなかった。確かにこの辺の湖は、大きな魚が泳げるくらいに水深があって、それは魚を人に変えても差し支えが無いくらいだ。釣りというものに囚われすぎて、泳ぎや水浴びというレジャーを思い付けなかった。

 

 ユイの思い付きがなかったものだったせいか、シノンが意外そうな顔をして、湖を覗き込んだ。

 

 

「泳ぐか……このゲームにはしっかりと季節もあるから、夏になったら行くといいかもしれないわね。問題は人目に付かない湖があるかどうかだけど」

 

「その辺は大丈夫だと思うよ。釣り人達は基本的にむらに近い湖にしかよらないし、そもそもそのポイントが魚が一番よく釣れるポイントだったりするから、あまり動かない。俺達の家を出て、少し遠くへ行ったところにある湖なんかなら、大丈夫だろう。それに、いざとなれば俺の索敵スキルでプレイヤーを見つける事も出来るから、今度泳ぎに来るのもいいかも」

 

 

 そう考えたその時に、俺は水面を覗き込んでいるシノンの姿を目に入れた。そういえば……二人で暖かさを感じるためにした時に、シノンの身体は見たけれど、シノンの水着姿ってどんなの何だろう。あの時のシノンはこれ以上ないくらいに綺麗だったから、きっと水着姿もさぞかし絶品だろう……。

 

 考えていると、顔の辺りが熱くなってきたのを感じた。多分だけど、今顔が赤くなっているだろう。流石にこれをシノンに見られたら、シノンの水着姿を想像したと一発でばれそうだ。

 

 

「キーリートォー」

 

 

 聞こえてきた声に、俺は驚きながらその方向に顔を向けた。――想像していた通りのシノンの顔がそこにあった。何かを深く疑うような表情が浮かんでいる。

 

 

「な、なんですかシノンさん」

 

「あなた今何か変な事考えてなかった?」

 

「考えてないよ! いや、強いて言えば釣れた魚でどんな料理が出来るかなって考えたら心が弾んで……」

 

「本当にそんな事なの」

 

「そんな事です!」

 

 

 俺はアイテムストレージから釣竿を呼び出して、未だに水面を覗き込んでいるユイの隣に並んだ。

 

 

「さぁユイ、釣るぞ」

 

「はいパパ。それで、どうやればいいんですか」

 

 

 俺は竿を思い切り振り、浮きの付いた釣り糸を湖の中央方面へ投げ入れた。ぽちゃんという音が鳴り、軽く水面が揺れて、ユイは首を傾げた。

 

 

「……あれでいいんですか」

 

「いいともさ。釣りっていうのは待つもの。魚が食いつくまで、待つんだ」

 

 

 ただ、話しによれば釣りスキルが高いと大物が食いつきやすい上に、魚が食いつくまでの時間も短縮されるという。俺の場合は値が50しかないので、ニジマスやイワナに似た川魚を釣るのにも結構な時間を要したりする。実際リランと一緒にやった時は、あまりに魚が食いつかな過ぎて、寝てしまった事もあったので、あまりに魚が食いつくのが遅すぎて、途中でユイとシノンが寝てしまわなければいいのだが。

 

 だけど、釣りというものは、水の音を聞き、静寂に包まれながらやるものだ。

 

 

《こんな事をしなくとも、我が水面へブレスを打ち込んで炸裂させれば、魚が浮いてきそうなものだが》

 

 

 元の姿に戻って、俺達の後ろの方に佇んでいるリランの言葉に思わず驚く。爆発で魚を捕るのは禁止漁だし、そもそもリランのブレスは威力が高すぎて、水中に撃ち込んだりすれば、中の魚が一匹残らず木端微塵になってしまうだろう。そんな事をしたら魚が釣れなくなる事は勿論、リポップに時間がかかって、周辺の人達にも迷惑がかかる。

 

 

「そんな事すると22層でモンスターが現れたとかの騒動になりそうだし、そもそも禁止漁だからやめてくれ」

 

 

 リランはふんと言って軽く溜息を吐いた。直後に、ユイが俺に声をかけてきた。

 

 

「あの、パパ。竿、わたしが持っていてもいいですか」

 

「あぁいいよ。ただし、魚がかかるかもしれないから、気を付けるんだぞ」

 

 

 ユイは「はい」と言って、俺から釣竿を受け取って、じっと構えて待ち始めた。さて、魚がかかるのはいつになるやら。こんな事なら、釣りスキルをもっと上げておくんだった。そうすればきっと、魚がかかりまくって、ユイも楽しいと思えたかもしれないのに――。

 

 

「あ、パパ、お魚がかかったようです!」

 

 

 ユイの声で我に返り、俺はユイに目を向けた。ユイは竿を力いっぱい握って、身体を持って行かれないようにその場に踏ん張っていた。まさかこんなに早くかかるなんて、これがメンタルヘルスカウンセリングプログラムの力なのか!?

 

 

「よ、よしユイ、まずは落ち着いて、竿を引くんだ。あまり急にやると魚が逃げるから、慎重にやるんだぞ。くれぐれも、水面に身体を持って行かれるな!」

 

「は、はい!」

 

 

 ユイは力いっぱい、釣り糸を陸へ引き寄せはじめるが、魚も相当なパワーがあるようで、ユイが引っ張っても、なかなか陸の方へ近付いてこない。どうやらかなりの大物がかかったらしい。もしかしたら……いや、俺が釣った時以上の大物がかかっている!

 

 

「頑張れユイ! あと少しだ!」

 

「は、はい!」

 

 

 ユイは精一杯の力を込めて、竿を引くが、やはりユイの力よりも魚の力の方が勝っているようで、浮きは全くと言っていいほど動かず、そればかりか、徐々に陸の方から離れて行っている。その光景は、もうユイの力だけで、魚のパワーに打ち勝つ事は出来ない事を教えていた。

 

 

「ユイ、俺もやるぞ!」

 

 

 そう言って、俺はユイの手に自分の手を重ねて、竿を引き始めたが、浮き、釣り糸、釣竿を通して、釣り針に食いついている魚の力強さを感じた。餌はなくなったみたいだが、釣り針が魚の口に引っかかっているらしく、痛みを感じて魚は暴れ狂っているようだ。だけどそれは同時に、思い切り引いても針が魚から離れない事を意味するから、思いっきり引いて空中に打ち上げても大丈夫だ。

 

 ユイと力を合わせて竿を引いて……そのままこいつを地面に打ち付ける作戦で行こう!

 

 

「ユイ、思い切り力を入れて竿を引け! こいつを一気に、地面まで打ち上げるんだ!」

 

「そ、そんな事できるんですか!?」

 

「出来るともさ!」

 

 

 そう言って俺は力いっぱい竿を握って、ソードスキルを使ってボスモンスターの弱点を攻撃する時のように、全身の力を込めて竿を引いた。ボスやモンスターとは戦わないと決めた休日だったけれど、これはもう、ボスモンスター戦と言っても差し支えないだろう。

 

 

「ユイ、俺がせーのって言ったら、思い切り竿を引け! せーの!」

 

「やあああッ!!」

 

 

 二人で声と呼吸、力を合わせて竿を引くと、ユイと戦闘を行っていた魚が水面から飛び出し、その姿を俺達に見せつけた。全長2mほどはあるであろう巨体を銀色の鱗に身を包んだ、川魚とも海魚のどちらとも言えない形をした姿で、日の光と水しぶきをその身に纏い、虹色に煌めいている。これまで釣った事のない、大物で美しい魚。

 

 

「す、すげえ!!」

 

「つ、釣れました!!」

 

 

 その場にいた全員で魚の姿に驚きながら、打ち上げられた魚をそのまま陸へ引き寄せようとした次の瞬間、突然大きな水しぶきが上がって、俺達目掛けて降り注いだ。視界が一瞬で青一色に染まり、元に戻ると、俺とユイはずぶ濡れになってしまっていて、髪の毛から無数の水滴を垂らしているような状態に変わっていた。

 何が起きたかわからず、二人で何度も瞬きをしていると、少し後ろの方で俺達を眺めていたシノンが駆け寄ってきた。

 

 

「キリト、ユイ、大丈夫!?」

 

 

 放心状態に近しいまま頷いた。《HPバー》は減っていないようなので、特にこれといった問題は起きなかったようだ。ただ、このSAOは水に濡れたりすると、現実のそれと同じような状態になるため、頭から足の先までびしょ濡れになっている。

 

 

「うう、もっと大きなお魚さんが跳ねたんでしょうか、とても冷たいです」

 

「そうだ、俺達の釣った魚はどこへ行った。まさか逃げられた……?」

 

 

 あれだけの水しぶきが起きたのだ、魚も逃げてしまっただろうか。せっかくユイが釣り上げた魚なのに――。

 

 

《魚ならここにいる》

 

 

 リランの《声》が聞こえてきて、俺はそこに目を向けた。ユイの釣った銀色の美しい魚、リランがいつの間にかその口の中に咥えていた。多分だが、魚がぶっ飛んで行った時にリランが受け止めてくれたんだろう。そしてその間に、俺達はこうして水を被ったわけだ。

 

 

「魚の心配もそうだけど……一体何が起きたの。今の水飛沫は?」

 

 

 俺はさっきの水飛沫の光景を思い出した。あの水飛沫の感じは、まるではるか上空から何かが降って来て、そのまま湖の中へ突っ込んだような感じのものだった。それにしては飛沫が大きすぎるから、大気圏から落ちてきたような、そんな感じだ。

 

だけど、一体何が落ちてきてあんなふうになったのだろうか。本当に隕石が降って来たとでも言うのか――いや、そもそもこの世界はデカい城の中だから隕石なんて事はあり得ないはずだし……。

 

 そんな事を思いながら激しく波打っている水面に目を向けたその時に、俺はハッとした。……人だ。先程まで存在が確認できなかった人が、いつの間にか水面に姿を現して、背泳ぎに近しい姿勢で浮いている。すぐさま索敵スキルを展開してみたところ、それはプレイヤーである事と、高所から落下してしまったせいで《HPバー》が残りわずかになっているのがわかった。

 

 

「あれは……落ちてきたのはプレイヤーだ!」

 

「なんですって!?」

 

 

 俺は目の前の湖に飛び込んで、波立つ水面をかき分けながら進み、俺はプレイヤーの元へ辿り着き、その身体を抱えた。両手剣の重みを知ったせいなのか、プレイヤーの身体は全く重くなく感じられて、抱えながら泳ぐ事も出来た。そしてシノン達が心配そうな顔をして待つ陸へ戻り、俺はシノンとユイの力を借りながらプレイヤーを陸へ引き上げ、俺自身も陸へ上がった。

 

 そこでようやく、俺はプレイヤーの姿を確認した。水面から落ちてきて、俺達同様びしょ濡れになっているプレイヤーは、腰の辺りまで届いていそうな長くてさらさらとした紫色の髪の毛に赤いカチューシャのようなリボンを付け、肩と腿が露出している紫色の戦闘服を身に纏い、腰から剣を下げた、整った顔立ちの女の子だった。落下の衝撃があまりに凄まじかったせいなのか、気を失っている。

 

 

「お、女の子じゃないの」

 

「あぁ。……空から女の子ってなんだかデジャヴを感じる」

 

「そんな事言ってる場合じゃないでしょ。この人、大丈夫なの?」

 

 

 ひとまず俺達のログハウスで休めばHPは自動で回復するようになっているから、HPの方は問題ないとして、意識を失ってしまっているのは深刻だ。

 

 いったい何があってこのような事になったのか。普通、大きな水飛沫が起きるような高さから落ちてくる事なんてないはずなのだが……。

 

 

「おい、おい君、大丈夫か」

 

 

 女の子の身体を揺すりながら、声をかけつつ、顔を軽く叩く。直後、女の子は小さな声を漏らしてギュッと目を瞑り、そのまま瞼を開けた。その瞳は、美しい宝石のような赤紫色だった。

 

 

「あ、あれ、ここは……?」

 

 

 シノンやユイの時と違って、すぐに目を開けてくれた事に4人で安堵する。続けて女の子に声をかけてみる。

 

 

「君、大丈夫か?」

 

「わぁっ!?」

 

 

 女の子は急に意識をはっきりさせて、そのまま急に起き上がって――俺と頭をぶつけた。ごすっというなんとも良い音が鳴ったと同時に痛みに似た不快感と衝撃が頭に来て、俺達は互いに頭を抑えた。

 

 

「あたたた……痛くないけどあたたた……ここはどこ……?」

 

 

 シノンが頭を押さえて痛がる女の子に声をかける。

 

 

「ここは22層の湖畔だけど……あんた一体何があったのよ」

 

 

 女の子は「22層?」と首を傾げた。落下の衝撃で物事がよくわからなくなっているのだろうか。

 

 

「22層だよ、22層。君は高所から落下して来たんだよ。一体何があったんだ」

 

「何って……」

 

 

 次の瞬間、俺、ユイ、女の子は同時にくしゃみをした。直後に背中を舐められるような悪寒が走る。そういえば、頭のてっぺんから足の先っぽまでびしょ濡れだって事忘れてた。

 

 

「と、とにかく一旦俺の家に戻ろう。リラン、その魚逃がすなよ。あと食うなよ」

 

 

 ひとまず俺はその場にいる全員を連れて、家に戻る事にした。楽しい休日になるはずが、またまた大ハプニングだ。

 


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