キリト・イン・ビーストテイマー   作:クジュラ・レイ

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 アリリコ編でやりたい事が多すぎて、どこをどう選ぶか思考中。



07:不揃いの意思

 

          □□□

 

 

「アーサー君、どう行く事にする」

 

「うん……」

 

 

 チームメイトとなっているイツキの問いかけに、アルトリウスは少し自信のない返事をした。サイバーテロリストである《死銃(デスガン)》討伐戦となる《スクワッド・ジャム》に結局参加する事になってしまって、アルトリウスはずっと気が沈みがちになっていた。

 

 いや、沈んでいる。こんな状況になって気分が上がる者などいるまい。《死銃》討伐戦という危険な戦いには行くべきではなかったというのに、結局行く羽目になってしまったというのが現状なのだから。

 

 

「本当は逃げるべきだったのよ。少なくともアーサー君とクレハちゃんはね」

 

 

 アルトリウスから少しだけ離れたところにいるツェリスカの(つぶや)きが聞こえた。他の者達には情けないと言われそうなものだが、正直なところアルトリウスはずっと逃げたい気持ちでいっぱいだった。

 

 ゲームで死者が出る。それはかつて《SAO》というゲームを原因として起きた事件であったが、それは今鎮圧され、政治家達と対策課達によって法整備もしっかりとされて、二度と同じような事は起こりえなくなった。だからこそ、《SAO》の後に生まれたVRMMOは安心安全、命の心配などしないで遊ぶ事のできるものだと決められたようなものだった。

 

 そのはずだったというのに、この《GGO》でそれは(くつがえ)った。《死銃》というサイバーテロリストは、自身が銃撃した相手を現実でも殺す事ができるという凶悪極まりない能力を持っており、既に有名プレイヤーが殺されている。

 

 その死を運ぶサイバーテロリストを捕まえるなどという、本来ならばそういった事件の専門家となる警察機関の人間がやらねばならないはずの仕事を、この《スクワッド・ジャム》で自分達が行う事になった。勿論(もちろん)こんな仕事を望むわけがない。本当は警察や専門家にやらせておいて、自分達は安全なゲームに退避するという方法を取りたかった。

 

 だが、それを断固として受け入れなかったのが、アルトリウスにとって大切な幼馴染であるクレハだった。今も割とすぐ近くにいる彼女こそ、アルトリウスをここまでやって来させた元凶みたいなものだった。そんなクレハは今、両手でしっかりと《UZI》を構えて荒野を見つめている。その目が狙っているものは一つしかない。

 

 

「……見つけてやる……それで絶対に倒してやる……」

 

 

 クレハの呟きが聞こえてきたが、その怒気を含んだ声にアルトリウスは驚かされる。こんな声を出したクレハを見たのは初めてだ。まるでクレハが外見だけをそのままにして中身が他の人間と入れ替わってしまっているかのようだった。

 

 本当にどこまでも、いつものクレハとは全く異なってしまっている。ここまでクレハを豹変させているのは《死銃》で間違いないが、何故クレハがこうまで《死銃》に固執して戦おうとしているのか、倒そうとしているのかがやはりわからない。

 

 その状況は数日前の会話の時から何も進展も後退もしていなかった。これまで一緒に過ごしてきた中で、時には何を考えているのか、何を思っているか全くわからない事もあったクレハだが、今はそれが頂点に到達している。だからこそアルトリウスは怒りにも焦りにも、悲しみにも似た感情を抱いていた。

 

 幼馴染であるはずのクレハの事が何もわからないし、その命が危険に晒されている。そして本人はここから逃げる気を全く見せてくれない。そんなわけのわからない事の塊のようになってしまっているクレハに、ツェリスカが声を掛けた。

 

 

「クレハちゃん、《死銃》はきっと本当にプレイヤーを殺す能力を持っているわ。あなたも狙われるでしょうし、下手すれば命を落とすかもしれない。戦うのは危険よ」

 

 

 クレハはツェリスカに振り向かないまま答える。いずれにしてもこの前からほとんど変わらない態度だ。

 

 

「だからこそ倒さなきゃいけないんでしょう。プレイヤーを殺すくらいの力を持ってる強い奴だから、倒さなきゃいけない。あたし達の手で」

 

 

 ツェリスカの眉が一瞬寄ったのが見えた。

 

 

「それと戦う事が危険だって言っているのよ。あなたは《死銃》と戦うつもりでいるみたいだけれど、それがとても危険なの。もしかしたらあなたが《死銃》に殺されるかもしれない。そうなったらどうするの」

 

 

 アルトリウスは思わず目を見開いて喉を鳴らした。《死銃》にクレハが、紅葉(もみじ)が殺されてしまうかもしれない。ツェリスカの言っている事は本当だ。この《スクワッド・ジャム》に参加しているという事は、《死銃》に命を狙われる可能性をいつでも抱えるという意味なのだから。だからこの大会に参加するのはやめようと言っていたのに。

 

 そんなアルトリウスの提言を完全無視したクレハは、またツェリスカに声だけで答えた。

 

 

「……その時はその時ですよ。あたしが死んだなら、あたしはその程度だったって事ですよ。

 ……何の資格もないような奴だったって証明されるだけです」

 

 

 アルトリウスは驚いて立ち上がった。クレハが殺されれば、それはクレハが何の資格もないような奴だったって事になる? そんな事があるわけがない。アルトリウスが否定に取り掛かろうとした時、イツキが口を開いた。

 

 

「クレハ君、なんだか随分自分を卑下しているみたいだね。君がそこまでする必要なんてないと思うんだけど」

 

 

 イツキの言うとおりだ。クレハの言っている事は《死銃》に勝てないと自分に価値がない、《死銃》に殺されれば自分は何の資格もない屑みたいなものだったという、あまりにも自分自身を卑下しているものだ。クレハがここまで言う必要などどこにもないし、そもそも《死銃》と無理に戦う必要だってないのだ。アルトリウスもイツキに続こうとしたが、それを遮ってきたのはプレミアだった。

 

 

「クレハは《死銃》の標的になろうとしているのですか。そうであるならば、その必要はありません。わたし達が《死銃》の標的になり、彼の者を目を釘付けにします。その隙にクレハ達で《死銃》を倒してください」

 

 

 プレミアの言ったのはキリト達がプレミア達《電脳生命体》と共に立てた作戦だった。《電脳生命体》である彼女達ならば、《死銃》に撃たれた際に起きるとされるくも膜下出血を起こさないでいられるため、《死銃》の狙いを集めるのにもってこいの立場にいる。

 

 その彼女達を《死銃》の標的にさせて《死銃》の狙いを逸らさせ、その隙に自分達による総攻撃で《死銃》を完膚なきまでに叩きのめす。それが今回の作戦だった。

 

 この作戦の要となっている《電脳生命体》のうちのプレミアが何故ここにいるかというと、この《スクワッド・ジャム》に参加している《エクスカリバー》のメンバーを一箇所に集めるためだ。

 

 彼女達《電脳生命体》は、例え《スクワッド・ジャム》の中であろうとBoBの中であろうと、互いの内部から発せられている《アニマボックス信号》を感じ取り合う事によってその位置を把握する事ができるようになっている。

 

 運営や他チームでは知る事のできないこの仕組みを利用して、自分達はこのだだっ広い戦場で散らばっているキリト達とレン達、シュピーゲル達と合流し、《死銃》と戦うという手筈になっている。だからこそ、今すぐにやるべき最優先事項はキリト達、レン達、シュピーゲル達とひとまず合流する事なのだが、それさえ無事に進める事ができるのか不安になっているのが、アルトリウスの正直な気持ちだった。

 

 クレハは明らかに冷静さを失っている。あまり冷静な性格――勿論いい意味で――ではないというのは知っていたが、今のクレハの状態は冷静さを(いちじる)しく書いており、何をし始めるかわかったものではなくなっている。

 

 皆と綿密に相談し合って作った作戦をこなしてくれるかもわからないし、下手すればクレハを原因として作戦が失敗し、《死銃》に仲間達が殺されてしまうかもしれない。

 

 いや、下手すれば最初の犠牲者はクレハ自身になってしまうかもしれない。クレハをこのままの状態にしておけば、絶対に恐ろしい事態が起こる。そう思えて仕方がない。だからこそ、アルトリウスはクレハをまず落ち着かせたいと思っていたが、その方法は全くと言っていいほど思いつかなかった。

 

 その心配の対象であるクレハがまた言葉を返してくる。

 

 

「……ええ。プレミア達で注意を引き付けて頂戴(ちょうだい)。その隙にあたしが《死銃》を倒す。注意の引き付けはお願いするけど、倒すのはやらないで」

 

 

 アルトリウスは目を見開く。

 

 クレハ以外の仲間が《死銃》を倒すのは駄目だって? そんな事を言っていられるような場合じゃない。いつもの大会ならばそういう考え方もありなのかもしれないが、これはいつもの大会というわけではない。《死銃》という凶悪なテロリストが参加しており、そいつを倒さなければならないような状況だ。

 

 誰が一番乗りになるか、誰が《死銃》を倒すかを競っているような余裕などないのだ。普通に考えれば一瞬でわかりそうな事だが、それをわかっているのかさえも怪しく感じられてきた。そんなクレハにプレミアが応対する。

 

 

「とりあえずはキリト達、ピトフーイ達、と合流しましょう。《アニマボックス信号》でリラン、ユピテル、ティアの具体的な位置が検知できています」

 

「そうね。ひとまずはキリトさん達と合流して……話さないと」

 

 

 そう言ってクレハが歩き始めたのを見て、プレミアが走って追い抜く。プレミアがリラン、ユピテル、ティアといった《電脳生命体》達の信号を検知して、その一を把握して合流したりできるというのはアルトリウスも既に見ている。なので、プレミアが歩き出した方向にリラン、ユピテル、ティアのいずれかが居る事は間違いない。

 

 キリト達と合流できるというだけでアルトリウスは強い期待感を覚えていた。その中でとても頼りになる者が一人いるからだ。今現在の状況ではキリトよりも役立つと思わしき存在の事を、アルトリウスはツェリスカに持ち掛けた。

 

 

「ツェリスカ、この大会にはユピテルも来てくれてるんだったな」

 

「えぇ、そうだけど。アーサー君、ユピテル君に何かあるの?」

 

 

 アスナ、イリス、ツェリスカ、そしてユピテル本人に聞いた話によると、ユピテルは女性の精神や心を治療するために作られたAIであるのだという。なので、今の状態のクレハをユピテルに接させれば、彼が治療してくれるのではないか。

 

 アルトリウスは思っている事をツェリスカに話したが、果たしてツェリスカは曇り気味の顔をした。

 

 

「確かに、わたしもユピテル君を育ててきたからわかるわ。あの子は女性の精神や心を治療する事を何よりも得意としている。精神的に傷付いたり、疲れていたり、何かしらの異常を起こしているってすぐに理解して、治療に取り掛かる事もできるわ。

 今のクレハちゃんの言動には不安なところがいっぱいあるっていうのもわかる。だからユピテル君に治療してもらうっていうのは良い考えなのだけれど……それが今のクレハちゃんが効くかはわからないわ」

 

「え?」

 

「あの子達は脳内物質の動きをフルダイブマシンを経由して検知する事ができるけれども、そこで異常が検知できなければ、どうにもならないの。あの子達の力が効くのは、あくまであの子達が異常を感知できた時だけであって……異常がなくても使う事はできるけれども、効果を発揮する事がないの」

 

 

 アルトリウスはもう一度目を見開いた。

 

 どう見たって今のクレハは普通じゃない。ユピテルから見ても異常だとわかるような状態だろう。ユピテルの力がクレハに効かないわけがない。ユピテルの力を使えば、クレハもいつものクレハに戻ってくれるはずだ。その期待を否定しにかかって来たのが、イツキだった。

 

 

「僕はユピテル君の事を育てたわけじゃないから、ツェリスカ君みたいになんでもわかるっていうわけじゃないけど、クレハ君はこの大会が始まる前からあの状態だったよね。もしクレハ君が異常だったなら、とっくにユピテル君がクレハ君の治療に取り掛かっていたはず。でも、クレハ君にユピテル君は何も反応しなかったよね」

 

 

 アルトリウスははっとする。そこにツェリスカが付け加えてくる。

 

 

「……イツキに先に言われるっていうのは予想外だったけれど、そういう事よ、アーサー君。ユピテル君は女性の精神状態にとても敏感な子なの。異常をちょっとでも見つければすぐさま飛び付くくらいの勢いで向かってくれる子よ。でも、そのユピテル君がクレハちゃんに反応しなかったっていう事は、クレハちゃんは異常じゃないのよ」

 

 

 あんな状態が異常ではないだと? アルトリウスは耳を疑いたくなった。しかし何度も見てきているように、リランやユピテル達は決して嘘を吐く事ができず、その言動は常にほぼ真実であるというのが最大の特徴であり、弱点だ。そんな彼らの誰もがクレハに反応しなかったという事は、クレハには何も異常がないという事に他ならない。

 

 

「なんで……クレハはあんなになってるのに……」

 

 

 アルトリウスの呟きにイツキが答える。

 

 

「確かに今のクレハ君は《死銃》を倒す事以外に盲目になってる感じだけど……なんていうか、誰かのためを原動力にしてるような感じなんだよね。それでもって、誰かに手を差し伸べてもらいたい、支えてもらいたいって思っているような」

 

 

 イツキの答えにアルトリウスはきょとんとする。頭の中に蘇る声があった。《スクワッド・ジャム》のルール上参加する事のできなかったレイアの声だ。

 

 

《クレハは《死銃》を倒す事で何かを掴もうとしているんだと思います。それはマスターを想っての事です。クレハは……マスターのために《死銃》を倒そうとしているみたいなのです。クレハは強くなりたいと言っていました。それも全部マスターのためなのです……》

 

 

 レイア曰く、クレハの原動力は自分であると、クレハは自分のために強くなりたい、そのために《死銃》を倒したいと思っているという話だった。それが真実かどうかは本人の口からは聞けていない。なのでアルトリウスは半信半疑に思っていた。

 

 クレハは自分のために強くなろうとしているわけではない――そう思っていたはずだった。だが、イツキにまでレイアと同じような事を言われた今、いよいよこの話が真実性を帯びてき始めた。

 

 

「わたしも同じ気持ち。クレハちゃんはアーサー君のために戦おうとしているんだと思うわ。あくまで推測でしかないけれども……アーサー君のために戦って、《死銃》を倒そうとしているんだわ」

 

「そうだとしたら、なんで。なんで俺のためにそこまで……?」

 

 

 率直に疑問を口にしたところ、イツキが歩み寄ってきた。

 

 

「それを教えてもらうために、一緒に戦ってみたらいいんじゃないかな。全く、君もキリト君も隙のない大切な人が傍に居て、羨ましいものだよ」

 

 

 イツキはどこか溜息交じりで言ってきた。ここまでクレハは無反応を通してきたけれども、まだ詰め寄れる余地は残されているはずだ。《死銃》と交戦する前にクレハに問い詰めてその真意を聞く事ができれば、クレハを落ち着かせる事ができて、《死銃》としっかり戦えるようになるかもしれない。

 

 《死銃》というサイバーテロリストとの戦いを控えているのだから、こんな事を考えている場合じゃないかもしれないが、如何せん今の状態のクレハを《死銃》と戦わせるのはあまりに危険すぎて仕方がない。今は《死銃》の事を最優先で考えるべきと思っていたが、クレハの事を最優先と考え直すべきのようだった。

 

 

「クレハ……」

 

 

 アルトリウスは先に向かっている彼女の名を呼んでから、その後を追って走り出した。

 

 

 

          □□□

 

 

 

 

「ユピテル君、そっちで合ってるんだよね?」

 

「間違いありません。今向かっているところがねえさんの居るところです」

 

 

 《スクワッド・ジャム》に参加する事になったレン達はユピテルの先導を受けて荒野を走っていた。走る度にガシャンガシャンと大きな音が鳴り、世界が若干上下する。いつものような走る時の感覚はほとんどないに等しい。

 

 それも当然である。レンの今の居場所はゴグとマゴグが合体した姿であるゴグマゴグの背中の上だったからだ。二体の戦機が合体しているという事もあって若干広めのその背中の上でレンが跨り、更にそのすぐ前にユピテルが、後ろにピトフーイが同じように跨っている。

 

 ユピテル、レン、ピトフーイという三色団子のような形になって、ゴグマゴグの背中の上で揺られていた。

 

 

「……ッ」

 

 

 通り過ぎてゆく荒野の光景を目にしていたレンはぶるっと身体を震わせた。背筋を嫌な冷たさが走り続けている。この《スクワッド・ジャム》が始まったあたりからずっとそうだ。これまで感じた事がないような悪寒が背筋を襲い続けている。今は背筋だけで収まっているが、そのうち全身に巡りそうで嫌な気分である。しかしこれを誰かに、この周りにいる友達に話すわけにはいかなかった。

 

 こんな事を話せば皆が不安になってしまって、上手く戦えなくなるかもしれないと思っていたからだ。だからこの震えも誰かに見つかったりしたくなかったが、ほぼ密着状態にあるピトフーイには気付かれるような震えの仕方をしてしまった。

 

 今のでピトフーイに気が付かれたかと思ったが、振り返ってみると彼女は周囲を見回しているだけで、気が付いている様子はなかった。周囲に気を配り過ぎていてわからなかったのだろうか。ならばよかった――かと思いきや、前方向にほぼ密着しているユピテルが軽く振り返り、顔を少し向けてきた。その目はやはり、友達になってくれたアスナのそれと同色だ。

 

 

「レンさん、どうかされましたか」

 

「えっ、ユピテル君、わかったの」

 

「はい。今、レンさんの身体が震えたのがわかりました。震え方からして、不安や怖さを感じている時のものです」

 

 

 レンは目を見開いた。ユピテルは女性の精神や心を癒すために産まれたAIだとキリト達から聞かされていた。その能力に嘘偽りはないというのを特に強く教えてくれたのは、ユピテルの母親であるというアスナだった。

 

 彼女によると、ユピテルは女性の精神や心に起きた細かい異変でも容易に感じ取る事ができるという話だったのだが、それが真実であるというのが今わかった。ユピテルは震え方だけで、対象がどんな気持ちになっているかを理解するだけの力があった。

 

 そんなユピテルに、レンは素直に自分の気持ちを話す。

 

 

「……なんだか怖いんだ。これから起こる戦いっていうのかな、それが怖いんだ。こんな事全然なかったのに」

 

「無理もありません。これからぼく達が戦う事になるのは《死銃》というテロリストです。しかもその人は本当に人を殺す力を持っていると思われます。怖くなっても無理はありません。寧ろ、怖くないと思う方が難しいのではないかと思います」

 

「……はぁ、やっぱりそうだよねぇ。私一人で来りゃ良かったんだわ」

 

 

 ユピテルがレンの言葉を肯定してくれた後すぐに、溜息交じりのピトフーイの声が聞こえた。レンは少し驚いて振り返る。ピトフーイが腕組をして曇り空のような顔をしていた。ピトフーイにしては少し珍しい表情だ。

 

 

「ピトさん?」

 

 

 レンは呟くように問いかける。ピトフーイは周囲に目を向けたまま答えてきた。

 

 

「やっぱそうだよ。《死銃》っていうクソッタレを殺す戦いっていうのは最高に燃えるから、首を突っ込みたくてしょうがないんだけど、そこにレンちゃん達も巻き込んで行くっていうのは間違ってると思ってたんだ。

 私は別に死んでも構わないけどさ、そこにレンちゃん達が巻き込まれて死んじゃうっていうのは大間違いだよ。やっぱり私一人で来ればよかったなぁ」

 

 

 レンは思わずぱちくりと瞬きを繰り返した。

 

 いつも戦闘になれば大笑い、あまり周囲への被害などを考えない思考の持ち主であるピトフーイが自分達の心配をしてくれている。こんな言葉が出てくるのがあまりにも意外過ぎて驚くしかなかったが、その言葉の内容を確認し直したところ、驚いている場合ではないとわかった。

 

 ピトフーイは《死銃》に戦いを挑んでそのまま死ぬつもりだったのか。この作戦でピトフーイは《死銃》に殺されるつもりでもあるのか。この戦いで大切な友人であるピトフーイが死のうとしていたというのか。

 

 レンは慌ててピトフーイに言う。

 

 

「だ、駄目だよピトさん! こんな場所で死ぬなんて、絶対駄目だよ!」

 

「え? レンちゃん止めてくれてんの?」

 

「当たり前だよ! ピトさん、いくらなんでも《死銃》に殺されちゃ駄目! 《死銃》に殺されるような事になっちゃ駄目だよ!」

 

 

 ピトフーイは目を丸くしていた。直後にレン達の乗るゴグマゴグの隣に一機の戦機が並んで走り出す。エムの乗る亀型戦機《霊亀》だ。そこからエムの声がしてくる。

 

 

「ピトフーイ、らしくないな。お前が自分のやってる事に人を巻き込んでる事をすまなく思うなど」

 

 

 霊亀内部に乗り込んでいるエムをピトフーイがぎんと睨み付ける。相変わらず猛禽類や猛獣――最早魔獣の域か――を思わせる眼光にレンはごくりと唾を呑む。

 

 

「うっせぇわ。《死銃》との戦いでレンちゃん達が死んだ後の事を考えたら、すごく申し訳なく思えてきたんだよ。この戦いでレンちゃん達に犠牲が出るのは悲しいって思った。それの何が悪い。あんま変な事言ってると尻に花火突っ込んで身体の内側で花火大会やらせるよ」

 

「それはいくら何でも勘弁願いたい」

 

 

 あからさまにエムの声が小さくなっていた。そのエムがいると思われる霊亀の甲羅に該当する部分、その上部に座っているフカ次郎が声を飛ばしてきた。

 

 

「お二人さん、心配ないぜ。今回の戦いで誰も死ぬ事なんてねえよ」

 

「え? なんでそう言い切れるの?」

 

 

 フカ次郎が「にししっ」と笑った後に答えてくる。

 

 

「何故なら、私が幸運の神様をわざわざ拝んで祈って来たからだ! 誰も死にませんようにってな!」

 

 

 自信満々のフカ次郎の台詞に、レンは一瞬きょとんとした。すぐさまとある答えが浮かび上がってきて、同時に嫌な予感がしてきた。フカ次郎の言った幸運の神様とは――。

 

 

「えっとフカ、それってアーサーの事じゃないよね?」

 

 

 レンの問いかけに、これまたフカ次郎は自信満々に頷いた。

 

 

「あぁそうだぜ。うちのスコードロン、いや、この《GGO》で一番の幸運の神様であるアーサーに祈って来た! だから大丈夫だ!」

 

 

 予想通りの答えにレンはずっこけそうになった。アルトリウスが運の良いプレイヤーであるというのはよくわかっているが、だからと言って幸運の神様扱いするのは大いに間違っている。

 

 なので、その祈りに効果があるかは疑わしいどころではないし、アルトリウスもこんな戦いの前にフカ次郎に拝まれたのだ、どんな気持ちになっていたか想像するのが容易い。レンは苦笑いを更に苦くしたような顔になっていた。

 

 

「レンさん、ピトフーイさん、それにエムさんにフカ次郎さん。心配しないでください」

 

 

 そう言ってきたのがユピテルだった。レンはまたきょとんとして、ユピテルに視線を向ける。

 

 

「ご存じでしょうけれど、ぼくの使命は女性の精神や心を癒して差し上げる事ですが、それは結果的にその方の命を守る事に繋がっています。ぼくの使命は、結局は命を守って差し上げる事なんです」

 

「……」

 

「ぼくは《電脳生命体》だから、《死銃》に撃たれても平気です。それに、ぼくはハッキングも得意ですから、もしかしたら《死銃》の能力を封じる事もできるかもしれません。ぼくが標的になって《死銃》から皆さんをお守りしつつ、《死銃》を無力化できるようにも務めます。だから皆さんは心配しないで戦ってください」

 

 

 レンはまたまた瞬きを繰り返してユピテルを見ていた。先端が白い栗色の長髪は後頭部付近でまとめられている髪型になっているため、戦闘服に包まれたユピテルの背中が見えるが、それはとても小さい。

 

 しかし今のユピテルの宣言を聞いたためなのか、その背中がとても大きく見えているような気がしていた。それを確認したその時、レンは自身の中にあった怖さと不安が姿を消していた事に気が付いた。

 

 

「ほほぉ……白昼堂々ハッキングなんかもしちゃえるんだ。んでもってそんなふうに女性も口説けちゃうなんて……小さい身体に似合わない事が詰め込まれてるねぇ」

 

 

 その声は後ろから聞こえてきた。ピトフーイがユピテルを見下ろす――背丈の関係上仕方がない――ように言ってきている。

 

 

「それなら私、ユピテルには期待するしかないんだけど、レンちゃんもそう思うよね?」

 

「へっ?」

 

 

 急に話を振られたレンは一瞬驚きつつ思考する。確かにユピテルの力が実はどれだけすごいものなのか、その言葉に嘘偽りがないのか、これまでの戦いで再三教えられてきている。そのユピテルがこう言ってくれているのだから、期待するしかないというのはわかる。

 

 

「あ……うん。わたしもユピテルに期待したい部分、結構あるかも。任せられる部分は任せてもいい?」

 

「任せてください。皆さんの事はぼくが、いいえ、ぼく達が必ずお守り――」

 

 

 途中でユピテルの言葉が止まった。レンが思わず「え?」と言った次の瞬間だった。

 

 

「あっ……!」

 

 

 ユピテルが突然声を出したかと思うと、急に身体を反転させ、飛び込んできた。

 

 

「ちょッ!?」

 

「おぉッ!?」

 

 

 ユピテルの急な突進を受けたレンは、その重みに引っ張られてゴグマゴグの背中に倒れた。レンとユピテルが急に倒れ込んでくるとは思ってなかったのだろう、ピトフーイは胸元に二人の直撃を受け、同じように仰向けの形でゴグマゴグの背中に倒れた。

 

 ドミノ倒しのように三人仲良くゴグマゴグの背中に転がった次の瞬間、後部から轟音が聞こえてきて、レンはかっと目を開けて、ピトフーイの胸に後頭部を擦り付けながら後ろを見た。

 

 

「え……」

 

 

 そこには荒野の一角に佇む岩の柱があったが、それは今、レンのすぐ頭の上辺りの高さから横一文字に斬り裂かれていた。

 

 

 見えない一閃が飛んで来ていたという証拠に他ならなかった。

 

 

 


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