色々詰め込んだので、長め。
□□□
「「キリト!!」」
前にいるユージオとアリスの叫びが木霊する。
グラジオ・ロレンディアの先輩であり、《傍付き練士》に選んでくれたメディナ・オルティナノスが変異した結果の姿である《
キリトは飛んできたメディナの棘のびっしりと生えた太い尻尾の一撃によって、自身の従える白き龍リランの背中から弾き飛ばされ、シノンに至っては
そうして三人は地面へ落ち、ほぼ同時刻にリランも轟音を立てて墜落する。すぐさま三人が動き出そうとする気配はなかった。今の一撃でかなりの重傷を負ってしまったらしい。
キリト、シノンという先輩二人、ルコとリランという二人を合わせた強者四人がたった一撃で倒されてしまったというのに、現実感が湧かなかった。それがメディナ先輩によるものだという事にも。
「おにいちゃん、シノンさん!!」
「ユピテル、わたし達を降ろして、四人に神聖術を!」
リーファが悲鳴のような声を上げ、次にアスナがユピテルに指示を下す。アスナ、リズベット、リーファ、シリカの四人はユピテルから降り、雷を操る獣の姿と少年の姿を行き来できる不思議な力を持つユピテルは後者の姿となり、キリト達の元へ駆け付ける。
その時、ルコを抱きかかえたまま地面へ落ちたシノンの身体が光ったのが見えた。光の色は柔らかい緑色。抱えられているルコが神聖術を使っているらしい。そこにユピテルが加わり、キリトとリランにも神聖術を使い始める。
二人の神聖術がかなり強力であるというのは、これまで見てきたからわかる。だが、それでもあの三人の治療には時間がかかるだろう。
そしてメディナがそこを見逃すとは思えない。追撃を加えて三人に
グラジオの予想は当たった。尻尾を膨らませて棘だらけにしたまま、メディナは巨剣を構え直した。その姿勢があぁなる前のメディナがオルティナノス家に代々伝わる剣、《陽炎の剣》を構えた時のそれである事に目を見開いてしまう。
メディナは対策本部に入ってから、腐敗した根性の貴族達から《欠陥品》と罵られながらも修練と訓練に明け暮れ、最高司祭クィネラ様が流布した《ソードスキル》なる剣技を九つも取得した。グラジオも両手剣で使える《ソードスキル》の取得を急ぎ、同じように修練と訓練に打ち込んだものの、五つ程度しか取得できていない。確かにメディナと同じくらい取り組んだはずだというのに。
彼女はそれだけ剣の才というものに恵まれているのだと、つくづく思ったものだ。そしてそんな彼女が自分を《傍付き練士》に選んでくれた先輩であるという事も誇らしかった。
メディナはそれら《ソードスキル》を魔獣や《EGO化身態》を討ち倒し、人界の人々を守るために使うと何度も口にしていた。「これは人々を守るための力なのだ」と何度も聞かされた。
しかしメディナは今、その力をキリト達を
世のため人のためにと最高司祭様から授けてもらった力を、気に入らないものを破壊するために使うなど、今しがた央都で逃げ惑っている腐敗した根性の貴族達のやる事だ。連中と同じ事をするという事は、同じように腐敗してしまうという事。
どれだけ追い詰められても、罵られて蔑まれても、迫害されようとも、決して誇りを失わなかった彼女が、自身達をそうした貴族達のようになってしまう。そんな事、断じて許せるものではない。
「メディナ――――――――――ッ!!!」
グラジオは全身の奥底から咆吼した。驚くユージオとアリスを乗せる冬追の背中から降りて離れた時、メディナは追い打ちを仕掛けようとしていたキリト達からグラジオへと目を向け直していた。
両手剣を構え直し、グラジオは更にメディナへ叫ぶ。
「誇りはどうしたんだよ、誇りは! 自分を止めようとしてくれる人達に向けてソードスキルを撃つ事が、メディナの誇りなのかよ!? 人界を守るための力を人を殺すために使う事が、オルティナノス家の汚名を
こんな言葉遣いをしたのはいつ以来だろう。
少なくとも、今まさに敵対しているメディナの《傍付き練士》になってからは、同級生達との交流もほとんどなくなったため、敬語で貫いていた。先輩達に向かってこんな喋り方をするのは、絶対に許されない事だからだ。やろうものならば確実に怒りを買う。
そして、その通りになった。後輩に罵声をぶつけられた先輩メディナは、怒り狂ったような声を上げて、グラジオ目掛けて走ってきた。変異した彼女が脚で地面を踏みつける度に衝撃が伝わってきて身体を縦に揺さぶられ、よろけそうになる。だが、こんな事で足を取られているくらいでは、彼女を止める事はできない。
メディナの声が少し混ざっているようにも聞こえる獣の声を上げて、《EGO化身態》となったメディナは巨剣を振り下ろしてきた。
迫り来る巨大な刃の色は、あの鮮やかな赤紫ではなく、闇のように黒い。まるで彼女の高貴なる心までもが黒く染まってしまったかのように感じられたのが何故なのかはわからない。
そしてその刃を防ぐのは、両手剣でも無理だろうし、最高司祭様が作ってくれた大盾でも不可能だろう。だからこそグラジオは、即座に横方向に飛び込んだ。間一髪のところで回避に成功する。グラジオのいた空間を巨剣が真っ二つにし、地面をかち割った。
《EGO化身態》との戦いになった時、まず最初にするべきなのは、攻撃の回避に専念して、相手の基本動作がどういうものになっているかを観察し、把握する事だ。これを教えてくれたのは、整合騎士長ベルクーリ様だった。
本来ならばグラジオが通っていた修剣学院の先生達が教えてくれなければいけないはずだが、先生達は片手剣、両手剣、槍といった武器の基本的な使い方だとか、神聖術のやり方、人界のちょっとした歴史くらいしか教えてくれず、魔獣や《EGO化身態》という名の怪物が現れ、戦う事になった時の対処方法などは全く教えてくれなかった。
魔獣や《EGO化身態》が現れたのはごく最近だから仕方ないだろう――問い詰めればきっと先生達はこう答えるに違いない。だが最高司祭様や最高司祭補佐様から話を
何より、《EGO化身態》は強い生存欲を持った動植物が変異してそうなる場合もあるが、大体は歪んだ欲望や
そしてそうなるのは、ほぼ決まって如何なる時も自分らの地位や権力に
人界を構成する四帝国のあちこちに
自身の地位に溺れて好き放題していると、最終的に《EGO化身態》という怪物になり果ててしまう――そんな話を先生達は一切教えてくれなかったし、だからこそ、グラジオの身の回りにいた貴族出身の学生達は、その親がそうしているように傲慢に振る舞い、貴族階級の低い者、もしくは平民出身である者を
そしてそれらと同じ態度や姿勢をし続けた上級生ライオス・アンティノスは、思い出すのも嫌な姿と性質をした《EGO化身態》となり、キリト達に討たれて死んだ。
黒い炎に全身を包み込まれて灰になっていくライオスが、喋れなくなる最期の瞬間まで「愚民が、愚民が」と
だが、もっと酷かったのは、学院側が修剣士達にこの一連の出来事を
ライオスが《EGO化身態》となった事、グラジオの同級生である――実は友達でもある――ティーゼとロニエを喰らおうとした事、学院の一部を破壊した後に庭先で、メディナと自分を含めたキリト達に討伐された事の全てを、学院側は一切語らなかった。
ライオスとウンベールは神聖術の実験をした結果、部屋を吹っ飛ばすほどの爆発を起こしてしまい、巻き込まれて死亡。庭先での轟音はその余波によるもので、ロニエとティーゼは偶然部屋の近くにいて負傷してしまった。
キリト、シノン、ユージオ上級修剣士はルコというダークテリトリーの子供を隠していた罪で整合騎士に連行される事になった。メディナとグラジオはロニエとティーゼ同様近くにいただけで何もしていない――これが昨日の事の
他者を蔑み、傲慢に振る舞い続ければ、醜悪な怪物に成り果ててしまうという、最も知るべき真実が隠されている事なんて、予想すらしていなかっただろう。
――結局、学院なんて信頼できない。皆貴族様達の味方なんだ。最初からわかってたんだろ?
頭の中に《声》が響いたような気がした。言っている事はまさにグラジオが思っていた事だったが、気にしている余裕はなかった。《EGO化身態》となったライオスを倒し、被害を未然に防いだ事をなかった事にされてしまったメディナが、再度斬りかかってきたからだ。
先程のような垂直軌道ではなく、水平薙ぎ払い。防御できそうにない。できそうではあるものの、やろうものならば弾かれてどこまでも飛んで行ってしまうだろう。いや、その前に受け止めた時点で全身の骨がへし折られて終わりそうだ。
終わってたまるか――念じたグラジオは脚に力を込めて後方に跳ぶ。間一髪で間に合った。本当に間一髪だった。腕の袖の辺りを巨剣が
あと少しだけ回避が遅かったならば、上半身と下半身が綺麗に切り離されてしまっていた事だろう。メディナの使っていた《
背筋に冷や汗が吹き出るのを感じながら、グラジオはメディナを見た。
今のメディナは猫の姿をしている。と言っても、それは一般的に想像されるようなものではなく、二本足で立っているうえ、手に巨大な剣を構え、獅子や虎を混ぜ合わせたような顔をして、異様に発達した筋肉を黒い装甲で覆っているという、異形の姿だ。
メディナはとても猫を好んでいた。時間がかかるものの、猫の話題を引き出す事に成功すれば、彼女は剣術の話よりも雄弁に語った。
この人は剣よりも猫の方が好きなのだが、オルティナノス家の汚名を雪ぐという使命のために、仕方なく剣を振るっているのではないか――聞いていてそう思った事は一度や二度ではない。それくらいにまで、猫の事を語る時のメディナの顔と目は愛情に満ちていた。
それほどまでに猫が好きなメディナが、異形の猫となって人や殺し、街を破壊している。彼女をそんなふうに変えてしまったのは、腐敗した貴族達と、偽者の最高司祭だ。
クィネラ様とカーディナル様の話を聞く限りでは、オルティナノス家は本当にろくでもなかった偽者の最高司祭に《欠陥品》という
どうしてそうなったのかは二人も知らないが、ろくでもない理由なのは確実だとカーディナル様は言っていた。そして貴族達はその偽者の最高司祭が言っていたからと、何も疑う事なく便乗し、オルティナノス家を《欠陥品》と
どうしてそう呼ばれる事になったのか、偽者の最高司祭が何をしたからそうなったのか、何一つ考える事なく、ただひたすらに思考を停止してオルティナノス家を罵倒し、迫害していた。
そんな連中に苦しめられたメディナ・オルティナノスは今、怪物となって、街を壊し人を殺している。まるで現実と何も変わらなくなった悪夢のような光景だった。
――結局まともな貴族なんて、メディナ先輩とお前、あとティーゼとロニエとソルティリーナ先輩くらいだ。父上と母上が言ってたじゃないか。学院の連中だって信じられるものじゃないって。
またしても声が響いた。グラジオがずっと思っていた事を口にしていた。
そうだ。学院は信じられるものではなかったのだ。だから、メディナはこれ以上ないくらいに――。
「グラジオ!!」
そう思ったところで聞こえてきた声でグラジオははっと我に返る。呼びかけてきたのが誰なのかを認識できなかった。
いや、その余裕さえなかった。《EGO化身態》となっているメディナが一気に接敵してきて、グラジオの視界いっぱいに映っていたからだ。
「しまっ――」
メディナは再度水平斬りを放つ姿勢を取っていた。一度外したから、今度こそ当てるつもりなのだろう。グラジオは再度後方へ跳び下がろうとした。メディナとの距離はすぐに開けたが、ほぼ同時に巨剣の刀身がグラジオから見て左方向から迫ってきた。
避けきれない。グラジオは両手剣を垂直に立てて防御の姿勢を取ろうとした。
それも間に合わなかった。次の瞬間、巨剣の刀身がグラジオのすぐ目の前の少し上を通過して――そこにあったグラジオの両腕を斬った。
肘から先の感覚が消失し、両手剣を握ったままの手が宙を舞ったのが見えた。両腕の肘から先が切り離されたと認識した次の瞬間、
「ぐっ、あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ッッ」
これまで経験した事のない激甚な痛みが襲い来て、ぶしゃあと両腕の断面から鮮血が
「「「グラジオッ!!」」」
「「「グラジオ君ッ!!」」」
しかし、咄嗟に飛び込んできた皆の声で、グラジオの意識は踏みとどまった。天命を、血を垂れ流しながら、グラジオは
メディナは背中にユージオやアリス様、アスナ達の攻撃を受けても、グラジオを睨み続けていた。それが今の、グラジオを助けてくれた人の姿だった。
「メディ……ナ……せん……ぱ……い…………」
□□□
「グラジオ、本当に修剣学院に行くのか?」
修剣学院に入る前、父上からの質問にグラジオは深く
グラジオの生まれた家であるロレンディア家は、央都セントリアに居を構える程の上位貴族だった。
グラジオが生まれる遥か昔には、そこまでの地位はなかったらしいのだが、当時の先祖は
どんな困難が立ち塞がろうとも乗り越えられるように鍛錬を積み、研鑽と努力を重ね、上を目指し続ける。
他の貴族達のように胡坐をかく事なく、どこまでも上へ上へ昇り続ける――そんな
他の貴族達ならば、やはりここで胡坐をかいて傲慢に振る舞うようになるのだろうが、ロレンディア家はそうではなかった。土地、地位、名誉を与えられても尚、上昇志向を絶やさず、空へ羽ばたこうとするかのように上を目指し続けた。
そうして努力と研鑽を積み重ね、それを子々孫々に継承し続けた結果、ロレンディア家の現在の当主である父上と、その
そんな両親の背中を見て育ったグラジオは、当然のようにその後に続こうと志した。父上と母上のような最高の剣士となり、いや、二人を超える剣士になって、皇帝の近衛兵長を超える役職に就いて、ロレンディア家をもっと上の段階へと昇らせてみせる。
かつてご先祖様達が、父上と母上が激しくも勇ましい程の上昇志向を胸に抱いて昇り続けたように、おれも上へ昇る。もっと高くまで昇り詰めて、更なる地位や名誉を手に入れて、ロレンディア家を更に発展させるんだ。
その夢のため、強い剣士を育てるための場所であり、そこでずば抜けて優秀な成績を叩き出して卒業した者は、公理教会の最上位の存在である最高司祭様をお守りする役職である整合騎士になれる可能性があるとされる、央都セントリアの修剣学院へ入りたいと話した時だった。急に父上と母上の顔が曇り出したのは。
それまでとても楽しそうにグラジオの夢を聞いてくれていたというのに。
「本当に……修剣学院に行くつもりなのかよ?」
グラジオと同じ赤茶色をした髪の、割といかつい顔つきと
そんな二人に視線を向けられながら、グラジオは素直に頷く。
「はい。父上と母上みたいに強くなって、整合騎士になりたいんです、おれ。整合騎士になって、最高司祭様や困ってる人々を助けたり、力を持たない人達のために戦いたいんです。だから、一番の近道って言われてる修剣学院に入学したいんですが……何かあるんですか?」
「あそこはわたし達が通い、卒業したところでもあるのだが……信用できない場所だよ」
母上はそう言って、詳しい事情を話してくれた。父上も母上も修剣学院に通い、修練と研鑽、座学の勉強をして、最終的に主席に近い立場で卒業したそうなのだが、その在学中が酷かったのだという。
まず自身達のように今よりも上の立場や地位の獲得を目指しているような者達は数えられるくらいしかおらず、既に高い地位を得る事に成功している上級貴族出身の者達は、揃いも揃って傲慢で腐り果てたような根性と人間性の持ち主で、他者や身分の下の者達を見下してぞんざいに扱う事は勿論、貴族として権力を持っているのを良い事に好き放題していた。
自身らよりも位の低い貴族出身の同級生や下級生に身勝手な因縁をつけては、身体的、精神的な嫌がらせ、時には性的な嫌がらせも平然とやっていた。そのせいで、授業や学院生活を続ける事が困難になり、学院を去る者もかなり多かったらしい。
父上も母上も、そんな上級貴族出身の連中に絡まれた事は何度もあり、あしらうのにも苦労したのだという。
そしてそんな連中を学院の先生達は全く
上級貴族出身の連中のせいで修剣士が何人も立ち去ってしまっているという現状に何も言わず、そんな状況を招いた者達の事を優遇していた。父上と母上が卒業するその時まで。
そこまで聞いて、グラジオは「えぇっ」と言ってしまった。父上と母上が修剣学院の卒業生であるという話も今初めて聞いたが、そこには驚いていない。二人が語った修剣学院の有り様が、グラジオの驚いた点だ。
「ど、どうしてそんな事になってるんですか。上級貴族の人達がそんな事やってて、何のお咎めもないどころか主席にされてるなんて、おかしいじゃないですか」
グラジオの問いかけに答えたのは父上だった。なんとも苦い顔をしている。
「そいつらは学院の資金の出資者の子供なんだ。修剣学院に居た頃は知る由もなかったが、皇帝陛下直属になってから知ったよ。修剣学院は資金の大半を上級貴族の連中から出資してもらってやがる。公理教会からも出資してもらってるけど、それは全体の二割くらいでな。残りの八割は全部央都と近郊の上級貴族達によるものなんだよ」
額の辺りに手を添えて、母上が続ける。
「だから、修剣学院は上級貴族達を優先して入学させ、そいつらが好き勝手していようが、周りの下級貴族達に嫌がらせや苛めをしていようが咎めたりしないで放置するし、何なら主席だとかを与えたりするんだ。そいつらを咎めたりすれば、そいつらの親によって金の流れを止められてしまって、経営をきつくさせられてしまうし、悪評だって広められてしまう」
「そんな……!」
信じられなかった。最高司祭様という公理教会の最高権力者であり、この人界の取りまとめを行ってくれている人の護衛、一般の人々ではどうにもならない脅威や厄災を退けてくれる整合騎士となる者を輩出する場所であるはずの修剣学院が、上級貴族達の思うがままになっているだなんて。
戸惑うグラジオを見つめながら、父上が答える。
「本来ならこんな形は適切じゃねえ。それこそ公理教会や最高司祭様が手を下し、学院の在り方、資金の流れの仕組みを正すべきだ。だが、最高司祭様は一切何も言わねえどころか、おれ達みたいな民の前に姿を見せてくれさえしねえ。だから公理教会も黙りこくって、修剣学院の現状に何も言わないでいやがる。これはおれ達が修剣学院に居た頃の話だが、今も変わってるとは到底思えねえ」
父上はグラジオと母上を交互に見た後に、問うてきた。
「グラジオ。それでも修剣学院に行くつもりなのか? 何なら、おれとかあさんが近衛兵の訓練舎に根回しして、近衛兵見習いに採用するための試験をお前に受けさせる事もできる。試験の内容はそれなりの難度があるが、お前は既に両手剣の扱いに長けていて、そんじょそこらの貴族の餓鬼共よりよっぽど強いし、優秀だ。だから修剣学院に行くよりも――」
グラジオは下を向いた。
父上と母上は心配なのだろう。修剣学院の腐りかけの内情を見てきたものだから、子供である自分を入れたくないと思っても不自然な事は何もない。
だが、ここで修剣学院ではなく、近衛兵の訓練舎に行ってしまったら、整合騎士になれるのだろうか。
父上と母上と同じ皇帝陛下直属の近衛兵に就き、近衛兵長にまで昇り詰めるのもいいかもしれないが、それより上はあるのだろうか。その職に、更に上の段階があるのだろうか。
いや、きっとないのだろう。あるとすればそれは皇帝陛下に色々進言したり、周辺を取りまとめる大臣だとかだろうが、近衛兵上りが大臣になったなんて話はほとんど聞いた事がない。
ましてや近衛兵が昇り詰めて皇帝になったなんて話もない。結局そういった職は血族で決まるようになっているのだろう。
そうなれば父上と母上を超える職は、立場は――整合騎士しかない。それになるための近道は、腐っていようが腐りかけだろうが、修剣学院しか残されていない。
「……父上、母上。ご忠告を本当にありがとうございます。でも、おかげで覚悟が決まりました。おれ、整合騎士になりたいんです。ご先祖様がどんどん功績を上げて地位を手に入れていって、父上と母上が皇帝陛下直属の近衛兵長になったように、おれもロレンディア家をどんどん上へと昇らせていきたいんです」
結局、父上と母上はグラジオの修剣学院入学の許可を出してくれた。
やはり父上と母上が文武の両方を鍛えてくれたからか、入学試験は比較的容易に突破でき、初等練士として修剣学院に入学する事ができた。
そしてそこで、父上と母上が言っていた事が真実であったと認識する事になった。グラジオと同級生の初等練士の中に、グラジオと同じような上昇志向の持ち主というのは全くおらず、どいつもこいつも傲り高ぶって偉そうにしていた。腐敗しているとしか思えない根性の連中が、同級生のほとんどだった。
そうではなかったのはティーゼ、ロニエ、フレニーカという三人の少女くらいで、彼女達とたまたま授業で一緒になった際に話をしたところ、意気投合し、友達になった。だが、本当に彼女達くらいしかまともな人達というのがおらず、修剣学院に入る前にいたような男友達はできなかった。
そして、グラジオは彼女達同様に、《上級修剣士》から《傍付き練士》へ選ばれる事になった。
恐怖の瞬間だった。《上級修剣士》達も、まともだと思えるような人達はほとんど確認できず、同級生達のように傲り高ぶって、気に入らないものを攻撃したり、身分の下の者に嫌がらせするのを当然のようにやっているような連中ばかりだった。
そんな奴らに選ばれる事になるんじゃないか。そうなったならば、どうすればいいのか。ひたすら耐えるしかないのか。ロレンディア家は上級貴族であるため、一応は傲慢で腐敗した連中と同じくらいの地位にいるが、連中がそれで収まるわけがない。あいつらは同じくらいの地位にいる者と徒党を組みはするが、気に入らなければ攻撃するくらいに見境がないのだから。
毎日のように嫌がらせをしてくる事だろう。そんな日々に耐えられる自信が、グラジオにあるわけがなかった。あんな奴らに選ばれたら終わりだ――グラジオの心は既に不安の汚水で満たされつつあった。
選抜は行われ、グラジオはとある《上級修剣士》に選ばれる事になった。
選んだのは、メディナ・オルティナノスという女性の《上級修剣士》だった。その名前にはどこかで聞き覚えがある気がした。確かティーゼ達以外の同級生――ろくでもない連中――が口々に何か言っていたのだが、詳しい内容は思い出せなかった。
そんなグラジオを選んだメディナ・オルティナノスだが――彼女との出会いこそが最高の幸運だった。まず、メディナは不愛想であるものの、とても真面目で几帳面だった。剣の鍛錬も決して怠らないし、授業で自身が教わった事を、グラジオに教えてくれたりもした。
父上や母上が言っていたような腐敗した根性の連中とは程遠い、高潔で誇り高い人物。それがメディナだった。だからグラジオはメディナに何度も感謝した。
「選んでくれてありがとうございます」、「貴方の《傍付き練士》になれて本当に良かったです」。そう言って頭を下げるグラジオを、メディナは時にうるさそうに、時に呆れたように見ていた。
この人のおかげで、おれは腐った根性の貴族連中と一緒にならずに済んだ。もしそんな連中の《傍付き練士》にされていたならば、きっと毎日のように虐げられていただろうし、それが苦になって修剣学院を去っていたかもしれない。
彼女は学院におれを繋ぎ止めてくれた。この人のおかげで、おれはここにいられる――グラジオがメディナへ恩義を感じるのには、時間はかからなかった。
しかしそんなメディナは、周りの腐った貴族連中から迫害や罵倒を受けていた。なんでも、彼女の一族には、最高司祭様に「《欠陥品》の一族」と言い渡され、央都から追放されてしまった過去があるらしく、それ故に貴族連中はメディナの事を《欠陥品》と罵り、嫌がらせや迫害を平然とやっているらしい。
その《欠陥品》という汚名を雪ぎ、最高司祭様に再び認めてもらうというのが、自身の目的であり、課せられた使命なのだとメディナは語った。オルティナノス家を《欠陥品》でなくさせるために、武功を立ててやるのだと。
その話を聞かされた時、グラジオはかなりの衝撃を受けた。この人は自分よりもずっと悲惨な立場に置かれながら、決して誇りを失わず、上を目指している。上昇志向を抱いているのはグラジオと同じであるが、彼女は土台がそもそも違いすぎている。
憶えのない事で迫害され、嘲笑され、全てを奪われているのだ。彼女は、何にも縋る事ができないから、上を目指すしかなかったのだ。自分みたいに「上を目指したい」のではなく、「上を目指すしかなかった」。
自分はどれだけ恵まれた環境にいて、ぬくぬくとしていたというのだろう。上を目指す、上を目指す、上へ上へと言えていたのは、結局恵まれた環境で育つ事ができていたから。誰からも虐げられず、誰からも迫害されずにいられたから、言えていた。
「おれは上を目指しているんだ」。そう言っていた時の自分はきっと、とても呑気な顔をしていただろう。メディナのような《上を目指すしかなかった人》が存在する事など知りもせずに。
だからこそ、グラジオはメディナの力になろうと思った。
ロレンディア家のご先祖様達がそうしてきたように、ロレンディア家を更に上の地位へ持っていこうという気持ちを胸に昇るならば、この人と一緒に昇ろうと思った。
メディナと一緒に、上へ昇ろう。自分をここに繋ぎ止めてくれて、腐敗した貴族連中から遠ざけてくれたこの人と一緒に、整合騎士へ辿り着くんだ。
この人に恩返しをして、必ず一緒に整合騎士という高みへ昇る――それがグラジオ・ロレンディアの、メディナ・オルティナノスへの誓いと約束だった。
□□□
――けど、ろくでもなかったじゃねえか。メディナと一緒になったせいで、お前まで《欠陥品》呼ばわりされて、嫌がらせされるようになったじゃねえか。
頭の中に《声》が響いた次の瞬間、グラジオは顔以外の全身を締め付けられるような感覚に陥った。
「あ゛……あ゛あ゛あ゛……」
《EGO化身態》となったメディナがその手でグラジオを掴んできていた。そのまま力を込めて締め上げてくる。握り潰してしまうつもりでいるのだろう。
既に両腕の断面がこれ以上ないくらいに痛くて仕方がないというのに、全身を潰される痛みまで追加されてきた。
天命がもう少し多く残っていたならば、いよいよ気が狂ってしまっていた事だろう。だが、グラジオにはそんな余裕を与えてくれる天命も残っていなかった。両腕を切断された事で血が大量に流れ出し、一緒に天命も流れ出てしまった。
痛みが冷たさに変わってきた。その感覚さえもなくなりつつある。
自分は死ぬのだろうか。一緒に高みへ上ろうと誓い、雪辱を果たそうと約束をしたメディナに殺されて、終わるのだろうか。
――メディナに恩義なんて感じたばっかりに、こんな事になっちまうなんてな。やっぱりメディナに選ばれたのは間違いだったんだよ。
……そんな事ないぞ。メディナ先輩に選ばれてなかったら、おれは今頃どこにいたのかもわからないんだ。
――でも、メディナのせいじゃねえかよ。お前がこうして死にそうになってるのは。
違う。おれが弱かったせいなんだ。おれがもっと強かったら、メディナ先輩をこんな目に遭わせるような事はなかった。
――お前、なんでそんなにメディナを庇うんだよ。メディナのせいでお前まで《欠陥品》扱いされてるのにさ。
……おれ、メディナ先輩の事、好きなんだよ。上を目指す人だからとかじゃなく、一人の女性として、メディナ・オルティナノス先輩が好きなんだ。
――今まさにお前を殺そうとしているそいつがか?
あぁ。この人と一緒にいると本当に楽しいし、この人のために頑張ろうって気になるんだ。
――こいつはずっと言われてるだろ。《欠陥品》って。
違う。この人は《欠陥品》じゃない。少なくとおれはそうだって信じてる。だから、助けたい。
――そんな奴を助けたいのか? 助けたらどうするんだよ?
一緒に居たい。この人と一緒にこの先を歩いて、上に昇っていきたいんだ。
――そうか。それがお前の願いか。そいつを独り占めしたいと。
あぁ。おれのものに、したいんだ。おれのものにした上で、昇っていきたいんだ。どこまでも、高くへ。
――じゃあ、それを現実にしてみやがれ。お前にはそのための力がある。
自分自身の《声》が頭の中に響き渡った途端、一気に身体が軽くなり、目の前が真っ白に染め上げられた。
まるで真っ白な光に包み込まれたかのようだった。